[書評]ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)
邦訳書のタイトル「ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)」(参照)からもテーマはわかりやすいだろう。2007年、米国や欧州の膨大な数の養蜂のミツバチが消失した。
ハチはなぜ大量死したのか |
が、死骸がまったく見当たらないというのでもない。箱のなかで死ぬ個体もある。この現象は蜂群崩壊症候群(CCD:Colony Collapse Disorder)と呼ばれている。
CCDは実に奇っ怪な現象で、シャマラン監督「ハプニング」(参照)の冒頭でもエピソードとして使われている。
ミツバチが全米各地で姿を消している。
こんなことが起きる原因は?
誰も?
ハチの異変に興味ない?
見えない力が働いている。
何らかの攻撃のようだ
もちろん、それはフィクションに過ぎない。そしてこの露悪的なフィクションは人間を比喩にしてこう続くのだが、案外その比喩はCCDの本質に関係するかもしれないのでもう少し引用しよう。
第一段階は言葉の喪失
第二段階では---
方向感覚の喪失
第三段階は---
死
ミツバチたちもその言葉を失い、方向感覚を失い、そして死んだ。
なぜ、多数のミツバチにそのようなことが起こったのか。その原因はなにか。
科学に関心が薄い人でもこの奇っ怪な現象には関心を持つだろうし、その期待を本書に寄せるだろう。本書もそのことは前提としている。
CCDは典型的な探偵小説そのもので、興味をそそる要素をすべて備えている。つまり、不可解な死、消えた死体、世界の破滅を招きかねない結果。その上、容疑者は山ほどいる。犯人の可能性を指し示す指はあらゆる方向に向けられ、なかには驚くようなことまでほじくりだされた。
ではなにがその原因なのか。
率直にいうと、私は本書を読んで、その答えを本書から得ることはかなり難しいと思った。そのこと自体がスポイラーになってしまってはいけないが、この難しさがこの問題の本質の一端に関係しているのだろう。間違いはなにかというリスト作って正解を見て頷くだけの知性ではわかりえないものがあるし、そこにこそ本書の面白さもある。
どちらかというと難しい読書なので誤読もされるだろう。たまたま今週の週刊文春を見ると「業界騒然 ミツバチが大量死している」という記事があり、少し考えさせられた。
ではこの原因は何か。ミツバチの体液を吸うダニ、携帯電話の電磁波から地球温暖化、ウイルスや伝染病など「容疑者」は様々に挙げられているがどれも決め手にかけるなか、同書が指摘するのは人間に無害で大気や地下水を汚染することもない「夢の農薬」、ネオニコチノイド系農薬。成分が作物内に染み込むため、これを食べた昆虫の神経中枢に作用。ミツバチの場合は作物の花粉を食べたことで麻痺し、CCDを引き起こす可能性が高いという。
ネオニコチノイド系農薬がもっとも疑わしいのか。そう同書は指摘しているのか。記事は同書の出版元の文藝春秋なので週刊文春としても記事というよりは広告に近いのだろうが、この記事は必ずしも正確ではない。同書ではこう指摘されている。
フランスでは今でもイミダクプロリドとフィプロニルの使用を禁止している唯一の国だが、フランスのミツバチが、イミダクプロリドが現在もっとも広範囲に使用されているヨーロッパの他の国々より良い状態にあるとはとてもいえない。
この他にもネオニコチノイド系農薬を原因とする説への反証例は同書で指摘されている。
週刊文春の記事でもこれに続いて日本の識者の説明の後、原因は不明としている。
結局のところ詳しい原因は不明。だが、行政がこのまま手をこまねいていれば、空っぽの食卓が待っている。
そう結んでいるが、おそらく記者は事態をよく理解していないだろう。行政の問題とは言い難いことは同書を読むとわかるはずだ。むしろこの問題は、現代農業のあり方そのものが問われているので、行政的にそれを規制して解決するほど事態は解明されていない。また、食卓が空っぽになるのではなく、養蜂に依存する農業の壊滅をどう捉えるかという問題でもある。
週刊文春の記事をあげつらうわけではないが、CCDは、我々が現在知りうる問題と解決のひな型(テンプレート)からは答えは見つかりそうにもない。
むしろそうした状況のなかで、携帯電話の電磁波、地球温暖化、未知のウイルス、遺伝子組み換えといった一種の疑似問題につられてしまう現代の知性の頽廃の戯画にもなっている。その意味で、本書は、危機に面してテンプレート的な思考に陥ることの結果的な批判にもなっている。
秋葉原で通り魔事件が起きると、それを現代日本の社会問題という意味付けを求めずにはいられないといった短絡的な思考のテンプレートにも似ている。気の利いた洒落のようにいうなら、未知の問題に精神の異常を来しているのは、我々のほうかもしれない。
CCDについては、レイチェル・カーソンの「沈黙の春(Silent Spring)」(参照)を洒落たタイトルの本書オリジナル「Fruitless Fall: The Collapse of the Honey Bee and the Coming Agricultural Crisis(Rowan Jacobsen)」(参照)が出版される前だが、クローズアップ現代が取り上げたことがある。「アメリカ発ミツバチ“大量失踪”の謎」(参照)より。
いま、アメリカ全土で、養蜂家の所有するミツバチが大量に姿を消し、農業大国に衝撃が広がっている。アメリカでは農作物の3分の1をミツバチの受粉に頼っているだけに、食糧高騰に拍車をかけかねないと危機感が高まっている。科学者たちはこの異変を「蜂群崩壊症候群(CCD)」と命名。米農務省は緊急に研究チームを立ち上げて原因究明に乗り出した。明らかになりつつあるのは、グローバル化に伴う食糧増産のなかで、人間が自然に逆らった農業を営んでいるという実態だった。ミツバチの"大量失踪"は何を警告しているのか。研究チームの調査と各地で始まった対策を通して検証する。
(NO.2597)スタジオゲスト : 中村 純さん (玉川大学ミツバチ科学研究センター教授)
この番組は私も見たのだが私の印象では要領を得なかった。しいて言えば、大規模農業の受粉のために養蜂が利用され、ミツバチが単一の花粉しか食料として得られないために免疫が低下し、農薬やウイルス、カビなどに冒されたということだったが、ゲストの中村さんは、もっと単純にミツバチを酷使しているからでしょうし、管理の問題もあるでしょうといった感じで説明していた。
先の週刊文春記事ではCCDが日本にも迫っているみたいな書き出しがあったが、同番組でも同書の補足でも日本の養蜂でのそうした状況は顕著にはなっていないようだ。また、北米でも一時期のCCDは最悪を脱したようでもある。
結局、ミツバチの酷使が問題なのか?
本書では、CCDの謎に迫るにあたり、養蜂というものの歴史にも比較的詳しく触れているのだが、そもそも養蜂自体が、北米や欧州では基本的にセイヨウミツバチ、つまりアピス・メリフェラ(Apis mellifera)に限定されており、そのありかたもそれほど自然的な営みとは言い難いようだ。つまり、CCDが自然の異常という以前に、養蜂自体が自然に即しているとも言いいがたい。
そうした点から、CCDについて同書で引用されているバリー・ロペスの次の言葉は奇妙な説得力をもつ。
たいしたことじゃないだろう。生態学の見地から見れば、マメコバチのような地元の受粉昆虫が戻ってくる可能性を切り拓いてくれる現象ではないか。
つまり、もともと北米の地に合わないからアピス・メリフェラが自滅しているのだということだろう。そしてその合わなさというのは、現代農業そのもの不自然さでもあり、さらにいえば、農業そのものが自然に合ってないのではないかということにもなるだろう。
同書ではややこしい謎解きが三分の二ほど続き、残りの三分の一で、新しい養蜂の可能性や、農業と生態系はどうあるべきかについても模索が語られる。そのなかで、当たり前といえば当たり前だが、私がはっとした指摘の一つは、生態系の弱点として昆虫の受粉を見ていることだった。食料が結果的に植物に依存するかぎり、そのウィークポイントは確かに昆虫の受粉にあるだろう(すべての植物がそのように受粉するわけではないとしても)。
著者は明確には述べていないが、CCDの現象をミツバチ個体に帰せられる問題ではなく、その集団的な知のレベルの発狂というか、集団的知のシステム的な崩壊ではないかと考察しているように思えたことも考えさせられた。
集合的な知が、なんらかの理由でシステム的に崩壊していくということは、Web2.0と言われるインターネットの知のあり方にも関係しているのではないかと私は少し思ったからだ。我々はインターネットで知性を向上させているのではなく、CCDが暗示するような自滅に向かった狂気を育成している危険性ないのだろうか。
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