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2009.01.04

[書評]吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里)

 今日、NHKの教育で22:00~23:29に、ETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)が放映される。いちおう録画予約を入れた。リアルで見ることはないと思うし、予約がこけることもないと思うのだけど、そうだな、ワンセグのほうでもダブルで予約入れておくかな。


戦後思想界の巨人と呼ばれ、日本の言論界を長年リードしてきた吉本隆明(よしもと・たかあき)さん。84歳になった今も、自らの「老い」と向き合いながら、思索を続けている。

吉本さんは、目が不自由になり読み書きがあまりできなくなった。足腰も弱り、糖尿病を抱えている。しかし、2008年夏、「これまでの仕事をひとつにつなぐ話をしてみたい」と親交のあるコピーライター糸井重里氏に協力を依頼し講演会を開いた。


 とういこと。
cover
吉本隆明の声と言葉。
〜その講演を立ち聞きする74分〜
吉本隆明, 糸井重里
 かなりたぶん、この講演のころ出版された「吉本隆明の声と言葉。〜その講演を立ち聞きする74分〜(吉本隆明,・糸井重里)」(参照)と関連があるのだろうと思う。で、この本は献本を頂いていた。私が吉本隆明の熱烈なファンであることと理解してもらったことでもあり、それはそれで嬉しかった。
 私は吉本隆明に会ったことがない。知り合いが彼の本の編集に関係していたことがあり、私淑とまではいかないけどそのツテがないわけではないし、また1987年のイベント「いま、吉本隆明25時―24時間連続講演と討論・全記録(吉本隆明, 中上健次, 三上治)」(参照)にも行かないかと誘われてもいた。行かなかった。行った人の話では、話の合間、舞台隅でお山座りでじっとしている吉本の姿がベトナムのボートピープルみたいでよかったよとのことだった。そうだろうなと思った。
 その後、弓立社からこの録音が販売もされ、当時は私は小林秀雄の講演録音などを好んで聞いてもいたので(で時間系列は合っているかな)、少し気になっていた。しかし、吉本の肉声は聞かなかった。どういう声質でどういう語り口の人かは予想はついていた。それは、彼の結婚の経緯を知ればわかることじゃないかとも思っていた(この本には書かれていない)。今回、糸井さん企画の「立ち聞き」で、MP3嗽エンコーディングの向こうから肉声を聞いたが、そこはあらかた予想どおりだった。初めて聞くのに懐かしいという感じでもあった。ただ、ちょっと違った印象もあった。
 このブログを始めたころ、私にとっては吉本隆明は終わりという意識があり、それと格闘していた。今の時点で言うなら、私は吉本隆明に完敗というか、まったくこの人にはかなわないと思うようになった。そういうと心酔者のようだが、自分自身の理解としては少しずれる。むしろ、自分が無名であり知識人としては公的には無だがそれでも、昔吉本さんの講演録で「おまえさんたちみたいなインテリは一生インテリなんだから、あきらめな」という話があり、自分のことを言われたように思った。また、私は20代後半の一夏、シモーヌ・ヴェイユのひそみで工場現場の仕事(といってもラインではなかったが)もして自分の知の撲滅を図っていたころ、吉本さんの宮沢賢治の評論だったか、「知識人はそうやって自滅を計るものだがやめときな」というのを読んだ。正確な言葉は忘れたが、ああ、そうだと思った。で、なんというか、それで救われた。吉本さんには恩義がある。
 自分が半可通なできそこないの知識人であることは自分の宿命みたいなものでそれは受け入れていくしかないんだろうと観念したし、「では吉本さん、その知が非・知に解体する姿をきっちり見せて下さいね」とも思った。そして吉本さんは、きちんと見せてくれたと思う。私も、80過ぎまで生きられて、ボロボロな爺さんになれたらいいなとまで思う(なれないにせよ)。なにより、この時代にあって、知が巨大な自然のなかに起立しつつ回帰しいく光景を見るというのは、思想というものが辿りうるもっとも壮絶な光景ではないかとまで思う、いや、レトリック過剰。ウソが入った。もしそうだったら、それをじっと見ていたはずだ。でも必ずしもそうではない。なぜ私は吉本の肉声を避けていたのか。
 そういえばと思い出すことがある。ビートたけしが監督として受け出し、いっぱしに知識人みたいなことを言い出して、ついでに吉本批判をしたころ、吉本はそれを聞いて、記憶なので不正確だが、けろっとビートたけしみたいなのに批判されるほど自分の思想は小さくないと思うがねというのと、むしろたけしには話芸ということで勝ちたいものだと言っていた。力点は話芸のほうにあった。吉本は、自身の話芸というものを磨こうとしていたのだろう。たぶん、80年代の初めではなかったか。今回の「立ち聞き」をこれはいつの年代かな、話芸としてはどうかなといろいろ思った。言うまでもないが、小林秀雄の話芸のほうはまさに話芸としかいえないようなものがあった。この話芸に匹敵するのは、五木寛之くらいかな。
 本の話に戻る。その前に率直に言うと、私は糸井重里という人にアンビバレンツがある。こっそりいうが私は萬流コピー塾に投稿して一点掲載されたことがある。自分にはコピーの才能はないなという確認で終わったが、逆にその過程で、糸井さんの才能というものを深く理解した。また彼の前妻はクリスチャンで当時の彼は、嫁さんがクリスチャンであることはどういうことなのか考えていたようだったのも関心を寄せていた。
 私は、他者を見るとき、その人がどのような恋愛的な情熱と罪を意識を隠蔽して生きているのかとつい考える、つまり下衆であるのだが。当時、糸井重里が村上春樹と気楽な共著を書いているとき、糸井さんは村上夫妻に、あれは夫婦っていう関係と違うなという感想をしゃらっと洩らしていた。あるいは彼の前妻がそう言ったのかもしれない。で、村上春樹のほうも似たようなことを言っていたように記憶するのだが、このあたりの本、吉本の著作を含めてぜーんぶふててしまったのでよくわからん。
 下衆の勘ぐりには延長があって、女を捨てた男を私は認めない、というのがある。小泉元首相が出て、世の中が熱狂していたときも、私は、こんな、女を捨てる男をオレは信じないねというのはあった。実は今でもそう思っているが逆に受け止められるふうはある、どうでもいいが。ほいで、糸井さんの離婚・再婚でもそう思った。下衆の勘ぐりは続くもので、その後も通販生活のエッセイでご夫妻の様子をじっと見続けていた。これについては、私も年を取ったのでいろいろ思いが変わった。率直にいうと、糸井さんは糸井さんなりに、なんつうか若い日の思いは思いとして受け止めているんだろうし、そこに自分があまり関心がもてなくなった。下衆度が少し減ったのか。
 だらだらした話になってきたが、続く。糸井さんを受け入れにくいなと思っていたのは、ニューアカ全盛のころ、浅田彰や中沢新一なんかとつるんでほいほい吉本隆明の悪口の座にしらっといるあたりだった。もちろん、同調はしてないし、そのあたりの立ちまわりがずるこいなとも思っていた。吉本隆明ってただのトンデモさんでしょと普通に思っているだろう浅田彰に媚びているふうでもなかった。蓮実重彦に罵倒されるのが嬉しくてよっていくエピゴーネンとも違っていた。
 で、吉本はどう見ていたか。これは今思うのだけど、糸井も中沢も信じていたと思う。率直にいうとこういうあたり、私が吉本隆明にアンビバレンツをいだくところだ。
 吉本は糸井がゲバ学生だったことを知っており、こっそりサポートしようとしている。これは高橋源一郎についてもそうだ。坂本龍一についてもそうだ。この二人はその後、朝日・岩波的というか、しゃらっとした昭和モダンな左翼に吸引されていくのだが、彼らは吉本は批判しないし、吉本もそこは批判しない。中沢についてもその背景を吉本は知っているのだろうと思う。つまり、なんのことはない、セクト的な感性が吉本さんにはあるなと私は思っていた。というか、それこそが吉本さんが30代だった敗北というものの意味かもしれない。吉本がそういう部分でなくて、自然に共感や好意を持っていたのは江藤淳や小林信夫などのほうだろう、年代的にも。
 本書を見るとしゃらっと糸井は「25年以上前、糸井重里は「戦後思想界の巨人」と呼ばれる吉本隆明さんにお会いしまいた。それ以来、吉本家のお花見や海水浴などに参加したり、ときどきお家におじゃましたり、というおつきあいを続けてきました」と言う。間違いでもないだろうし、そうして見える部分の、つまり、非・知として完成に向かう吉本隆明を、きちんと受け止めてもいだろうし、それの一部がばななさんに結集していくのも興味深く見ていただろう。ついでに言うけど、この親子のオカルトのトンデモ度はかなりなものですよ、私がいうと失笑する人も多いだろうけど。
 で、ようやく本書、というか、CD。聞いた。圧倒されましたよ。何にって、糸井さんが、どれほど吉本の声と言葉を聞き続けていたかということがわかった。何十時間というものじゃない、何年にもわたり、吉本隆明が語るということはどういうことかを糸井さんは聞き続けたのだなと。こりゃ奇跡的だなと思いました。まいりましたよ、糸井さん、すごいよ。
 そして今回の「立ち聞き」がこういうビジョンを描くというのにも圧倒された。これ、読売新聞記事「「ほぼ日」10周年記念に吉本隆明講演デジタル化 」(参照)より。

――50講演だけでも大変な量ですが、残りの講演はどうなりますか。
糸井 最終的には、無料にするのが目的です。CD集が売れたら、残りはタダでだれでも聞けるようにしたい。高速道路のように最初は有料でも償還後はタダにする計画で、お金を出してくれた人は「あなた方が後でお金のないひとがタダで聞けるようにしてくれた」と感謝される形になります。吉本隆明の“リナックス化”がそこから始まります。吉本さんの講演が百何十回分無料で聞けるって、実現できたらすごいことだと思います。世界中を探してもそんな人はいないでしょう。

 吉本隆明の思想が無料化されることなど、率直に言えば、大したことではないと思う。そうではなく、戦後が終わり、日本が新たな混迷を迎える時代のなかで思索を続け、もどかしく語り続けた人のなかに、大衆の原像の声が聞きうるかもしれないということだ。
 いや、思想的に大衆の原像というものはすでに解体されている。しかし、歴史というのは、知ではなく、非・知の側から揺り動く。その言葉にならないものが言葉になろうとしているあり方は、人の歴史そのものだろうし、戦争を経験して考えて、うちのめされた普通の人の肉声に近いものからその意味に至ろうする何かを日本語として聞くことが可能になることは得難い恩恵でもある。
 それに何の意味がある?
 あると思う。たぶん、それは、歴史の反面がゆさぶる時代の狂気を癒す。

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「書評」カテゴリの記事

コメント

思想は世界を知るための手段。

なのになぜか思想が好きな人は「思想コミュニティー」
における「恋愛模様」というか、人間の布置というか
相関図の話ばかりをする。結局「世界」や「時代」や
「歴史」については何も語っていない。
しかし「哲学・文学・批評・思想」業界の固有名詞や
あれやこれやの人物名を並べて書くと、大層なことを言っているように見えてしまう。「プラトン的」といった表現が何か実体的な意味を持ちうるかのように信じ続けている。そして厳密な定義づけから逃避し続ける。そして「通じる」人達同士の温かいコミュニティーが生まれる。警戒心の強い人は「つまり何が言いたいのだろう」と立ち尽くす。そうやって縮小しながらも延命を図っている。と見えてしまう人もいるかもしれないと思うこともないことはない。

投稿: ウェブ進化論 | 2009.01.04 15:12

>>弁当翁

>吉本さんには音義がある。

 「恩義」でしょ。面倒くさかろうとは思いますけど、簡易校正くらいしましょうや。知識が泣きまっせ。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.04 16:47

観てからコメントしようかと思ったのですが、番組の予告と前振りに感動したので、一言、ありがとう。

吉本さんの生の姿と声に触れられるかと思うとワクワクしてしまって、録画がこけるといけないので、ワンセグの予約というのも同じくセットしました(電波がおかしなことにでもならない限り、大丈夫!)。
ダブルでスタンバッたので心を休めて早く寝れます。

投稿: godmother | 2009.01.04 17:46

 あとね。知識量のある人って本当に馬鹿だなって思うのが、言い合いになったら知識量勝負に持ち込んで相手の知識量が少ないとその時点で勝利宣言出して以後小馬鹿にしまくるでしょ。ああいうところやね。それが馬鹿のやることだって分かってんだか分かってないんだか知らんけど、ネットにはそういう傾向の人が多いから、嗚呼馬鹿だなーって思いますよ。

 駆けっこ比べで勝った方が女の子にモテるとか美系で能弁なら女の子にモテるとか、そういう世界観って普通に小学校か中学校で終わりでしょ。仕事がどうとかステータスがこうとか経験の有無とか金持ってるか否かなんてのも、無いヤツ相手に見せびらかす程度のことなら一瞬気を惹くことくらいは出来るだろうけど、延々そこに拘ってずーっと言ってたら馬鹿ですよ。単純に。

 馬鹿の要素がある程度無いことには実力や地力が身に付かないってのもあるから馬鹿が駄目ってわけじゃないけど、馬鹿であることを大前提にしないとモノが言えないってのは、おちんちんビローンしないと人前に出られない変態小僧のようなもんですよ。

 ネタでやるならともかく、マジんなってすんなと。

 駆けっこ比べとか美系とか能弁とか仕事とかステータスとか金持ってるとか、ある程度可視的な例えだと「そうだよなー」かもしれんことが、なんでまた哲学とか人生みたいな抽象概念になったら脳みそ筋肉化してしまうのか、そこんとこが意味分からんですね。

 晩年の清原和博さん(プロ野球選手)がアホの子のように上半身強化して結局下半身の故障で現役引退してるのと同じようなことを、知識でやっちゃってる。それは駄目だろう? って、なんで誰も言わないんだか不思議でしょうがないっす。

 みんな、駄目が好きなのね。人が駄目なのは構わんけど自分が駄目じゃマズいよなって、思わんのかな? 赤信号 みんなで渡れば 怖くない みたいなてんごは、世間じゃ通りませんて。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.04 17:48

野ぐそさん、ご指摘ありがとう。修正しました。

投稿: finalvent | 2009.01.04 18:00

 常用漢字の「恩義」で別に構わんのにわざわざ「恩誼」の字を用いるくらいなら、やっぱ簡易校正はキッチリやっといた方がいいですよ。せっかくの賢明さが活かされんのじゃあ、勿体無いですわ。儲かりゃええわでアホの子をやるんだったら、小飼弾ブログで十分。あっち逝かんゆうて決めたのに、来ると決め打ちした弁当屋で不味い飯出されたら食欲失せますわ。

 安もんの弁当やったら要らんのです。弁当爺ちゃんは弁当にするの勿体無いくらいのネタを何でか弁当にするから、信用に値するんでしょ。それが衆に優れた偉い資質なんだから、インテリで別にいいじゃん、って感じです。ネタの程度?の良し悪しじゃなくて、どんなネタでもハンドメイドで丁寧に作ってるんだなって感じられる、そこが最終弁当屋さんのいいところだと思いますよ。

 器用貧乏人宝で、素晴らしいことじゃないですか。みたいな。み~た~い~な~。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.04 21:01

野ぐそさん、ご指摘ありがとう。それもそうですね。常用漢字としました。

投稿: finalvent | 2009.01.04 21:33

吉本氏が何を語っているのかよく理解できないのですが、
吉本氏に直接質問できない世の中・吉本氏がいちいち質問に答えられない現実の下では、
私の思ったことなんてのは何の意味もないのでしょう。
ただ「藝術は経済的に無価値」というくだりは、フジテレビの深夜ドラマ「悪いこと」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8
の主題
「悪を薔薇の美しさに喩えるならば、監獄という装置はその美しさに何の意味も為さない」
を見ていたので、そういうことなのかなとは思います。

投稿: てんてけ | 2009.01.04 23:53

ついさっき帰ってきてこちらを拝見し、気付いて、それでも見ないよりはマシだと30分だけ見さしてもらいました(横光利一さんに触れたあたりですね)。

大変素晴らしい体験をさしてもらいました。ありがとうございます。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2009.01.04 23:53

ども。TV見ました。うちTVないのでAQUOS携帯のワンセグで。
ある意味、カッコいいなとも思ったし、カッコわるいなとも思った。

80歳になって素っ裸で語っていたような印象。
世界を把握する術、マルクス的アプローチ、
言語、自己表出、指示表出、芸術、価値、沈黙、
そして人間の魂とは?

芸術とは自らの魂を注いだオナニー100%のこと。
経済的価値として無価値である。
到達点が岡本太郎と同じ結論かなと。

これはこれでわかるけど、
僕は違う到達点に向かいます。

投稿: K2nd | 2009.01.04 23:56

吉本隆明と糸井重里との関係でいえば、僕の印象は晩年を迎えつつある糸井さん自身が、今立っている自分の場所に大きな影響を与えてきたモノゴトを、一つひとつ敬意をもって対応しているという認識ですね。そういう意味で、糸井さんの思想や哲学にとって吉本さんは特別な存在(塊)であると。

※前回のコメントで「80歳になって」のくだりは、「80歳を越えて」のミス記述です。83歳として頂いても可。確認不足のままコメント投稿してしまい申し訳ないです。。

投稿: K2nd | 2009.01.05 13:44

偶然最後の方を聞きましたが退屈でした。
若い頃の録音も流れましたが、同じやうな調子で、別に年を取つたから熱気がなくなつたと云ふことではないやうです。
講演をしても分つて貰へないので本を書いたと云ふことでしたが、それも当然のことと納得しました。


投稿: あがるま | 2009.01.06 11:31

>日本人は、文明国の国民としては、ひどく「音感」の悪い国民なのかもしれません。

 視覚に訴えるものであれば受け入れるけど聴覚嗅覚味覚など視覚以外のものに訴えかける要因に関しては、ひどく鈍感だとは思いますね。感性の方面がひどく脆弱で、その分を権威や世間体で糊塗して「基準に従っているから」分かっていると納得する、みたいな。権威主義とも言うんでしょうけど。

 よく分からないけど取り敢えずお付き合い、から入ってるから、ホントに分かってるの? って言われても自分に自信が無くて、だから権威を欲するんでしょう。多分。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.06 15:05

吉本をありがたがっていたのが戦後なんでしょね。
テキスト文化が欠落した日本で、考え抜くとああなってしまう。
ブロックを積んで劇場ができるわけでもなく、水道橋ができるでもなく、議事堂ができるわけでもなく。
虚空を見つめて、手をかざして、とりとめもなく言葉を発し続ける。
あれが戦後の真実ですね。

投稿: PK | 2009.01.07 07:13

 視覚以外の感覚って拘れば拘るほどカルト視されやすいから、何事も視覚限定で「これなら誰が見ても分かるだろ」って言わないと場が持たないとか。そういうのもあるでしょうね。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.07 08:17

 なんというか。先日…と言っても2,3年前か、うちの母ちゃんの実家の叔父さんが30万円だか払って布団買ってるんですな。そんなもんどう見てもどう考えても詐欺でしかないから、「それ詐欺でしょ。引っ掛かっちゃ駄目ですわ」とか言ったら、叔父さん軽くキレて「俺は夢を買ってるんだ」とか言ってんの。そんで当たり前のように先の衆院選ではホリエモン面白がって支持してるし、馬鹿じゃなかろうかとしか言いようが無いんだけど。でも結局はそういう輩が多いから、詐欺か乞食のような連中が幅を利かせるんだと思いました。

 せめて広辞苑のひとつも読むとか。全部理解しなくていいから(っていうか出来ないの当たり前だから)小六法でも読んで知見の幅を広げておくとか。しないならしないで金言格言でも心得ておけばいいものを、そういうことを一切しない、体動かして働くだけが全てで本読むのはサボリと見做しかねないような。そういう世界観の人たちは、どーやっても駄目だと思いますわ。

 そういう輩と、対極的に本ばっかり読んで実地の経験に基づいた説得力トークをしない人って、根っこは一緒なんよね。バランス欠いてるから、欠けた部分を補い合うだけ。欠けた状態でイビツに成長し合ってる同士がくっつくから、詐欺か乞食の馴れ合いのようにしか見えないだけ。そらまあ、弁当爺ちゃんじゃなくても「今は詐欺だが将来有望な商法かも?」なんて世迷言のひとつも言いたくなりますわ。

 頼母子講って知ってるか? みたいな根本的な部分から無知な輩は、詐欺に引っ掛かって当たり前なんですわ。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.08 11:50

「誰が見ても分かるだろ」 ってことは世の中そんなに沢山ないし、分かる部分だけ見てても判断誤ることもあり。taurus

投稿: さて | 2009.01.09 15:00

埴谷雄高と廣松渉も、どうにかして欲しい。

投稿: ねこ | 2009.01.10 00:11

 って言っとけば、捻じ込む余地あり。人生。

投稿: 野ぐそ | 2009.01.10 00:30

大本教の出口王仁三郎聖師によれば、「霊界物語」には9種類の読解法があり、「古事記」には81通りの読解法があり、81通りのうちの9通りは予言書としての「古事記」の読解法であるとのこと。
出口聖師説くところの「古事記」の読解法81通りすべての解明と習得に生涯をささげるリアル基地外の国粋主義者などというのはもうどこを探してもいないことと思います。

そういう国粋主義者がいないから左翼がうじゃじゃけるのだろうと思います。また左翼がうじゃじゃけているから国粋主義者も熱意をもてないのかもしれません。

戦後、曹洞宗の沢木興道師は、禅僧を廃業しないまま共産主義運動にはせ参じたそうです。
そういう影響もあるのでしょう、「滝の行者」、知る人ぞ知る金井南龍先生も神道家でありながら、マルクス主義の説くユートピアに魅了され続けていたのだと思います。
金井先生はソ連にすごく関心があったらしく、ソ連では核戦争に備えて、核兵器の放射線吸収のために人工リチウムの製造にも成功を収め、人工リチウム製造実験中に、接触した軍人の死亡事故が起きた、などという今考えてもトンデモな話を真顔で話していたようです。

どうしても、仏教者や神道家をやめられなかったけれど、知性が高いがゆえに、共産主義に共感した宗教家も多かったようです。

第1次世界大戦後の世界大恐慌を経験して、その後敗戦を迎えた世代の人々のリアリティや理想というのは、今となっては理解も意思疎通も不可能ではないまでも、ひどく困難なのかもしれません。

投稿: ごった煮(侮辱的な意味はありません) | 2009.01.25 14:22

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