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2008.02.16

[書評]さまよう魂(ジョナサン・コット)

 邦訳「さまよう魂 ラフカディオ・ハーンの遍歴」(参照)が出版された1994年にざっと目を通していた記憶があるが、この年沖縄出奔など私事いろいろなことあり、そうした記憶に埋もれてしまっていた。ラフカディオ・ハーンほどではないが、自分もさまよう人生になりそうだなと思っていた。先日「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)でも触れたが「転生」を読んだ後、こちらの本も続けて読んだ。非常に面白かった。

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さまよう魂
ラフカディオ・ハーンの遍歴
ジョナサン・コット
 本書はラフカディオ・ハーンが日本に至るまで、新聞記者として書いたコラムが数多く掲載されている。アンソロジーの趣向もある。前世紀のシンシナティ、ニューオーリンズの情景も米国という国の理解を深める点で興味深い。また、マルティニークの描写にも心惹かれる。
 引用というのは長すぎる随所のラフカディオ・ハーンのコラムだが、読み続けていくうちに、コットがラフカディオ・ハーンの霊とインタビューでもしているような錯覚にも襲われる。詩人のコットならではの感受性によってしか掬い取れないラフカディオ・ハーンの魂が結果的によく描かれている。が、その分、学術研究ないし歴史的な人物評論しては描かれていない側面も多いのだろう。それでも、単純に人種差別主義だったかような浅薄な理解を排する力は十分に込められている。
 本書は、ちょっと年寄りめいた言い方になるのでためらうのだが、二十代から三十代の、文系的な感受性も持ちながら現代性にも適合する感覚も持っている男性が読むことで深い感動というか得難い読書経験をもたらすだろうと思う。たとえば、ラフカディオ・ハーンが28歳のときニューオーリンズで無一文かつ病を得たときに、知人に充てた次の手紙の一節は、若い現代日本人にも痛切に響くだろう。

 しかし、自分を改めない限り、この苦い二十八年――着実に悪化の一途をたどったように思える歳月――の向こうに未来はありません。自分を改めるのは不可能に近いことです。そう思いませんか。大きな意志も気力もない小男がこの素晴らしい国でできることなどないのではないか、そう思うこともあります。成功する者はかならず大きな肩と優れた品行の持ち主であるようです。私が追随しようとむなしくあがいてきた分野で成功した青年たちの軌跡を見ると、だいたいは首吊りか自殺か飢え死にで終わっています。発行人たちが巨万の富と世界的な評判を得るのは、不幸な理想家の作家たちが死んだあとなのです。二、三の例外はありますがそれは作家に並はずれた個人的な気力と生命力がそなわっている場合のことです。私の全本質は始まったことを続けろと訴えていますが、その先には飢えと病気しか見えません。人為的な要求を多少なりとも満足させるだけの財力もなく、最後は失意の底に落ちていくのでしょう。私はまだ完全に自信を喪失したわけではありませんが、自分のなかに潜んでいる価値のある何かを成し遂げる能力を伸ばす手段や暇があるかというと、はなはだ心許ないところです。

 ラフカディオ・ハーンの人生はその後もなんども無一文、野宿のような経験を経て、放浪の最後に、40歳で日本にたどり着いてまだ無一文のような状態になる。それは彼の生き方や性格にもよるとしか言えないところも多いが、本書のオリジナルタイトル"Wandering Ghost"、彷徨っているゴースト、としか言えない放浪の魂の必然が根幹にある。こういうと適切ではないのかもしれないが、ラフカディオ・ハーンは黒人やアジア人といった有色人種にしかおそらく性的な感興を覚えなかったようだ。異人や異世界でなんども自分を破滅させたいという欲望に駆られていたとしか見えない。
 本書の後半三分の一は、ラフカディオ・ハーンが日本に至ってからの話になる。この部分で描かれるラフカディオ・ハーンの像はこれまでよく流布されてきた小泉八雲像とそれほと変わっているものではないし、日本人からするとその日本賛美を勘違いしそうになる。だが、この日本時代へのある種の変化に、コットの視線は少しズレのようなものを描いている。
 コットは強調していていないが、工藤美代子「夢の途上 ラフカディオ・ハーンの生涯」(参照)のようにあるいは工藤の理解とは違うのだろうし「知られざるハーン絵入書簡 ワトキン、ビスランド、グルード宛 1876‐1903」(参照)のようにそのつながりは精神的なものであったことは否定しないが、40歳を過ぎてのラフカディオ・ハーンの精神的な意味での恋人はエリザベス・ビスランドと言っていいだろうし、妻セツとの関係は、恋愛とはまた違ったものだったのだろう。
 もちろん、ラフカディオ・ハーンはセツを愛していたし、その間に生まれた一雄の存在によって救われたとは言える。

 昨晩、私の子供が生まれました――黒い大きな目をしたとても元気な男の子です。
(中略)
 もしあなた〔エルウッド・ヘンドリック〕が父親になって赤ん坊のか細い泣き声を聞いたら、きっとあなたの人生で最も奇妙で最も強い印象を受けることでしょう。しばらくのあいだは、まるで自分の分身が現れたようなおかしな感じがすると思います。でも、それ以上に分析などとてもできないようなこともあります。――過去において似たような状況であらゆる父親と母親が感じたことの、人間の心の反響とでもいいましょうか。それはとても優しく、同時にとても精神的な感覚です。――
 人生の意味や、世界の意味や、あらゆるものの意味というのは、子供を持ってその子を愛するようになるまでは誰にもわからないでしょう。子供を持ったとたんに、宇宙全体の意味が変わるのです――何もかもがそれまでとは違ってくるのです。

 どこかのはてなダイアリーでも引用しているような感じもするが、汚辱と異世界を愛した放浪者ラフカディオ・ハーンが変わっていくのは、日本という世界より、セツと子供ということ、つまりは年齢といっていい何かによる影響でもあっただろうし、それは彼の人生の一つの到達的な結実でもあっただろう。
 しかし、コットの視線はそうした大団円を微妙にズラしている。コットがその地点で自分の感性をラフカディオ・ハーンに重ねられなかったからかもしれないし、その違和感がむしろ、日本に向かうラフカディオ・ハーンの印象的な後ろ姿のイラストで象徴したものかもしれない。
 本書の結末の言葉をここに記すのは未読者にスポイラーになりかねないが、コットが次のラフカディオ・ハーンの言葉で締めくくった意味は大きい。

私は個人――個人の魂だ! いや、私は全市民――十億の集団さえ越えた全市民だ! 私は数え切れないほどの世代、永劫の永劫だ! 何度となく私をつくっている群衆が離散させられてきた。としたら、次の分裂にどんな不安があるというのだ? そおらく、それぞれ違った太陽の王朝で一兆年も燃え続けたあと、私の最良の部分がまた集まってくるだろう。

 人はこれを詩と読むだろう。コットはここで沈黙する。「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)でふれたように、本書オリジナル刊行1991年を思うと、コットはその後、ラフカディオ・ハーンとの出会いの記憶を失った。詩でなければそこにとてつもない神秘が、まるでラフカディオ・ハーンの左眼の視界のように、現れている。

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2008.02.15

[書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)

 先日のエントリ「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)の訳者後書きに、コットを評して「……、自らの鬱病と記憶喪失体験をめぐる『記憶の海の上で』など、多面的な好奇心を生かした緻密な仕事が特徴的である」とあり、気になってコットの最近の作品をアマゾンを見直したら、『記憶の海の上で』は、本書、「奪われた記憶 記憶と忘却への旅」(参照)という邦題でほぼ同時期に出版されていた。オリジナルは「On The Sea Of Memory: A Journey From Forgetting To Remembering」(参照)であり、05年の作品だ。有名なインタビューの復刻を除くと、比較的最近のコットの作品のようだ。

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奪われた記憶
記憶と忘却への旅
ジョナサン・コット
 邦訳副題が「記憶と忘却への旅」とあるがオリジナル副題の直訳は「忘却から想起の旅」となる。「転生」後書きからは、鬱病と記憶喪失が関連し、そしてそこからまたある想起に至ったのだろうかという印象を得た。そしてそはどこかしら「転生」のオンム・セティの生き方と共鳴する部分があったのだろうか。そんな思いににも駆り立てられ読んだ。感想に結論というのもなんだが結論はとても微妙な感じがする。エントリなりでも書いてみないとその感触がくっきりとしてこない。
 まず本書の構成だが、インタビューが中心になっている。そして、希代のインタビュー名手ジョナサン・コットだから、どういう対話と切り込みがあるのか、そこに期待が寄せられて当然だろう。だが、そこがなんとも不思議というか、通常優れたインタビューというのは対象者の本音というか、対象者を含む裏や社会背景までさりげなく引き出したり、対立する緊迫感を伴うものになるのだが、本書のコットは非常に内面的だ。自己主張的ということではない、対話が総合してコットの苦悩や懐疑に音楽的な調和を示しているような不思議さがある。
 そのあたりは、出版社からこてこてと書かれているアマゾンの紹介とは、かなり違う印象がある。

 『ローリング・ストーン』誌 創刊時からの敏腕インタビュアー、ジョナサン・コットは、危険性を知らされないまま、鬱病治療のため、計36回の電気けいれん治療--ECTを受け、その結果、過去15年間分の記憶を失った。本書は、いちじるしい記憶障害に苦しむ著者が、各界の専門家との対話を通して、忘却と記憶について多様な視点から思考を試みるノンフィフィクション。前半では、神経生物学者、老年学者、神経精神医学者などとの対話を通して、医学的、肉体的、物理的アプローチを試み、後半では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、チベット仏教の宗教家たちなどとの対話を通して、哲学的、精神的、神秘思想的アプローチを試みている。最終章の「追記」では、自分を知る親しい人たちと、自分と同じ境遇の作家との対話を通して、自分のこれからの生き方について探ろうとしている。記憶をなくした経緯が完全な一人称で語られる1章以外、ほぼ全編が対話形式となっている。


 超高齢化社会にともない、認知症の問題がますます深刻になっています。
 また、これは高齢者だけの問題ではありません。若年性のアルツハイマーを題材にした、現在放映中の長瀬智也主演のTVドラマ『歌姫』渡辺謙主演の『明日の記憶』、韓国映画の『私の頭の中の消しゴム』などがヒットするなど、若年の記憶障害も注目されるようになってきています。一方、人間の思考を科学的に理解する脳科学への関心も高まり、茂木健一郎氏などの本もよく読まれています。本書は「記憶と忘却」について、科学、医学、宗教、音楽、演劇など、フィールドを超えて考察した稀少な本で、読み物としてもおもしろく読めます。ロック雑誌の名インタビュアーで、本書の著者であり、患者本人でもあるコットの文章は一般の読者にも容易で、一気に読み進められるものです。人間にとって「記憶とは何か」を考える手がかりになります。

 出版社の意図がわからないでもないし、そういうふうな売り路線を見るのも誤りではない。が、一見日垣隆でもやりそうな啓蒙的なインタビュー集とはかなり違うのは、コットの内面から読者、おそらくある一定の人生経験における記憶の神秘に触れた読者の内面に呼応する不思議な部分だ。
 あえて単純に言えば、私たちの記憶はなぜ存在するのだろうかという本質的な問いに迫まってくる何かだ。記憶が今の自分そのものを示すプロセスであることについては本書の最新科学研究者の指摘が興味深いとして、消し去りたい記憶やあるいは基調な記憶の喪失ということがなぜ存在するのだろうか。
 出版社紹介にも触れているがコットは、ECTつまり電気痙攣療法(参照)によって、彼の才能の最開花期ともいえる1985年から2000年までの15年間の記憶を失った。彼の説明を読むかぎり喪失の原因はECTであるようにも思われる。そして「カッコーの巣の上で」(参照)のような非人道的な療法が現在でも行われているのかと、つい思いがちだが、ウィキペディアの項目にもあるように、現代でもこの療法は有効で安全だとされている。

術前の全身状態の評価を適切に行い、無けいれん電気けいれん療法を行った場合、安全で有効な治療法である。薬物療法による副作用での死亡率よりも少ないという報告もある。米国精神医学会タスクフォースレポートによれば、絶対的な医学的禁忌といったものも存在しない。[1] しかし、以下のような副作用が起こることがある。

 一応そういう医学評価が出ているし、薬剤がらみでもないのでナニワの浜六郎医師が登場する場面でもなさそうだが、コットの事例を見ていると私はこれは一種の高次機能障害ではないかという印象も持った。
 話を非科学的な部分に誘導したいわけではないが、神経生物学者ジェームズ・L・マッガの次の指摘は中立的なのではないだろうか。

― お話ししたように、私は何年分もの記憶を永久に失いました。
M 脳の損傷の研究では、逆向性健忘が数年間に及ぶことが報告された複数の症例がありますが、ECTがそのような影響をもたらすのは珍しいことでしょう。そういう記憶はかなり長い間固まっているように見えるという他に、長期間の逆向性健忘を説明できるうまい解釈はありません。
― 子どの頃の記憶と、人生の大半の記憶はきちんとあります。
M それは臨床的な記憶研究において、多数の証拠にもとづいて提唱されている一般的な結論と一致します。しかし、あなたが経験したと思われる類いの長期の記憶喪失を、ECTが誘発するのは異例でしょう。

 本書を読みながら、自分の記憶を失い、その記憶を親しい友人に頼って他者のように過去の自分に出会うコットの内面の動揺に親近感を覚えながらも、コットの記憶喪失はECTが原因だとだけは言い難いのではないかということと、「転生」という奇妙な作品に続けて読んだせいもあるが、コットの記憶喪失は87年刊行の「転生」との時間的な系列があるような印象を覚える。つまり、「転生」を書き終えたときコットは長い記憶の喪失の期間に入った……もちろんそこが話を非科学的な部分に誘導したいわけではないと前置きした部分でもあるのだが。
 本書はコットのある種の記憶というものの、人間存在の痛切な思いからいろいろと共感的に魂に突き刺さってくる部分が多い。さらに違和感のようなそれでいてさらに強く訴えかけてくる部分もあった。長く心に残る問い掛けのように残るのはユダヤ教ラビ、ローレンス・クシュナーの話だろう。

― 哲学者アヴィシャイ・マルガリートは著書『記憶の倫理』の中で、ユダヤ教の伝統において、許すことと忘れることをどう区別するかについて書いています。また、エレミア書にある神の言葉、「私は彼らの咎を許し、彼の罪を忘れるであろう」を引用します。そしてマルガリートは、神が許したことを神が忘れることはあるかもしれないが、われわれは許すことはあっても、忘れることはないと言っています。
K その言葉は好きだけど、嫌いでもありますね。ユダヤ人はこの概念に固執しています。これはアマレクに関する命令にまで遡るわけですが、人びとがあなたに対してやったことを思い出さなければならない、でないと人びとは同じことを繰り返す、という考え方です。でも、たとえば、虐待されてきた人がすべてを忘れるためには、何が必要なのかも考え合わせなければなりません。なぜなら、覚え続けていると、それがその人を虐待し続けるからです。残念なことに、今日多くのユダヤ人の中にその傾向が見られます。私個人は、ワシントンのホロコースト博物館への特別招待を何度もお断りしました。思い出したくないからです。また、私のことを犠牲者として思い出すなんて、世間の人にとっては時間の無駄だと思います。私がその恐ろしさを覚えておきたいのは、あのようなことが私にも、他の誰にも、二度と起こらないようにするためだけです。


 明らかにユダヤ人は、ホロコーストによって、狂気に駆られた技術主義国家の強大な力の犠牲になることの意味について、恐ろしい教訓を得ました。しかし、現在同じ状況で苦しんでいる他の人びとをどのように助けるかを忘れてしまったように思われます。そのことを問題にしたい。
 以前所属していた教会で、「大量虐殺に反対するユダヤ人」をスローガンに掲げるグループを作るのに私は手を貸しましたが、そのグループの名前は「われわれでなければ、誰が?」でした。そのようなやり方で、私はホロコーストの記憶に応えようと思います。私はガス室の写真を見たいとは思いません。ですが、大量虐殺が現在行われているルワンダやその他の地域の写真は、関心をもって見ています。私はそのことをひとりのユダヤ人としては心の底から知っています。ですから、そのことが私なりの社会的責任を負わせているのです。そのことは忘れたくありません。

 クシュナーの話はそこで終わり、これを受けるコットの言葉は記されていない。

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2008.02.14

主婦の友休刊を聞いて

 雑誌「主婦の友」が休刊するという話を12日のニュースで聞いた。時代かなと思ったが、私が読んでいた雑誌ではないしそれほど気にかけてもいなかったのだが、それからぽつんぽつんと思い出すことがあった。
 休刊というのは実際には廃刊になる。今年の5月発売の6月号が最後になるらしい。歴史は91年に及ぶという。長いと言えば長いのだが、先日まで少年だったような記憶が入り交じる自分は50歳なので、私が生まれころは40年くらいの歴史だったということになる。朝日新聞記事”老舗女性誌「主婦の友」今年6月号で休刊”(参照)によるとこう。


同誌は「主婦之友」の名称で、主婦之友社(現主婦の友社)を設立した石川武美社長が1917(大正6)年2月に創刊。「家庭生活の向上」をめざし、月刊の総合婦人雑誌の草分けとして、主婦向けに生活情報や教養などを提供してきた。

 大正6年と聞くと随分古いものだと思うが、その時代から昭和の初期はある意味でハイカラな自由主義的な時代でもあったので、今読み返してみても面白いのかもしれない。だが、こうして歴史を考えるとむしろ戦中に至る時代や戦後の時代のほうに関心が向く。継続的に刊行されてはいないだろうが(3月号で通巻1173号)、時代時代でどのように「主婦」の関心事を受けていたのだろうか。
 関連記事を読むとピーク時には単号で180万部に達したとのことだがその時代はいつだろうか。70年代か80年代か。競合の「婦人倶楽部」「婦人生活」「主婦と生活」は80年代から90年代に休刊したことから、最盛期は70年代ではないか。というと、私の母親がいちばん主婦らしい時代だったはずだ。
 家には「主婦の友」だったかわからないが、分厚い主婦雑誌があった。内容の記憶はほとんどない。が二つ思い出したことがある。一つは、新年号の家計簿の付録が主婦には重要だったらしいことだ。本誌よりは薄いが立派な家計簿がついていた。あれで実際には年間購読を募っていたようだった。記憶と辿ると、当時は本屋が家にやってきて配達していた。もう一つの記憶は、内容の記憶はないといいつつそこに袋とじのページがあった記憶がある。つまり子供に見せないという配慮なのだろうが、子供としては見られないものがあるということについ関心を持った。
 今頃になって推測すれば、袋とじの内容は出産関連か性行為に関連する記事だろうと思う。そしてそう考えてみると、そういう情報を提供するためのメディアでもあったのだろう。
 主婦雑誌というジャンルが90年代になくなっていったわけではない。「サンキュ」「すてきな奥さん」「おはよう奥さん」といったいまではコンビニ販売系の平閉じ雑誌が刊行されていたから、ただ時代に合わせた世代交代というものだったのだろう。それと、雑誌というのは基本的に広告媒体なので、広告主の変化もあるのかもしれない。
 そういえば、蛍雪時代は生き残っているようだが、中一時代や中一コースといった学習雑誌は無くなった。それも90年代に入るころだったようだ。この手の雑誌で、私は富島健夫のティーン向けの小説をいくつか読んだことがある。タイトルは忘れてしまったが、ちょっとエロという感じだ。富島健夫か。なんかネットに情報があるかなと思ったらウィキペディアに項目があった(参照)。

富島 健夫(とみしま たけお, 冨島とも, 1931年10月25日 - 1998年2月5日)は、日本の小説家・官能小説家。


「喪家の狗」(1953年)で芥川賞候補。その後ジュニア小説に進むが、それまでタブー視されていた性の問題を正面から扱った。ジュニア通俗小説と見られつつ、『制服の胸のここには』、『純子の実験』など、独自の世界を作り上げた。1970年代には官能小説にも進み、生涯を通じて数百冊の作品を残している。

 「1970年代には官能小説」とあるのは「おさな妻」あたりからだろうか。と、リストを見直すとたぶん団塊世代には胸キュンものの小説がずらりとあり、官能小説家への変化は自然な流れだったのだろう。
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雪の記憶:
富島健夫
 私はなぜかというか角川文庫で出たときの「雪の記憶」(参照)を買って読んでいる。なんだか思い入れがあって処分しないと思うので実家にもまだあるはずだ。が、これが事実上彼の処女作に近いようだ。1958年の作品というから、私が生まれた時代の恋愛や性の意識を描いている。

敗戦と同時に引き揚げてきた小島海彦にとって、心の支えは毎朝電車で出会う少女・雪子だった。やがて二人は言葉を交すようになる。雪子に、やるせない思いを抱き始める海彦だが、ある日雪子から恋文を受け取り…。富島青春文学の最高傑作。

 現代から見ると柴田翔「贈る言葉」(参照)の「十年の後」の一世代前版みたいなもので、私くらいまでは、最初のおセックスに至るまではなにかとこの手の物語があったものだった。いや今でもあるんだろうけど。
 「雪の記憶」の主人公は小島海彦は引き揚げ者とある。私の父も引き揚げ者だった。その世代の最後が五木寛之になり、「風に吹かれて」(参照)にも関連する話があった。あらためて五木寛之と富島健夫を比べると一つ違いであることに驚く。

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2008.02.13

コソボ独立宣言、迫る

 コソボ独立宣言が迫っている。ニュース報道では17日という予想が多い。この問題について私が特定の見解を持っているわけではないが、時代のログとして看過できないので簡単に触れておきたい。
 この問題は、大筋では地位問題である。国家の地位問題は日本近代史さらには日本近隣国家の問題として重要な問題を示唆する部分もあるだろう。
 ウィキペディアを見ると単独の項目が立っていて(参照)、簡素な説明がある。一言でいえばこうだ。


コソボ地位問題(又はコソボ地位プロセス)とは、国連暫定統治下にあるセルビア共和国のコソボ地域の最終的な国際法上の地位を確定する問題。

 概要も手短にまとまっているが、実際的な問題化はコソボ紛争の関わりが深い。

 コソボは1991年にユーゴスラビア連邦共和国(当時)からの分離独立を宣言した。これを国際的に承認したのはコソボと同じアルバニア人国家であるアルバニアのみで、国際承認というプロセスにおいてコソボは独立国と見なされず、国際的にはあくまでもユーゴスラビア(その後、セルビア・モンテネグロ、次いでセルビア)の一自治州と見なされていた。
 一方1999年のコソボ紛争後、コソボにおけるセルビア人部隊が一斉にセルビアに引き上げ、これに代わって国連コソボ暫定行政ミッション(United Nations Interim Administration Mission in Kosovo:UNMIK)の暫定統治下に入った。ここにおいてコソボはセルビアの実効支配下から完全に脱する事になった。[1]
 従って1999年以降のコソボは「独立国ではない」ものの「特定国家の実効支配下にない」という非常にあいまいな地位に意図的に留め置かれている。
 「コソボの地位問題」とは、究極的にはこのあいまいな状態を脱して「独立国」とするのか、それとも「現状を維持」するのかという議論に集約できる。

 つまり今回の独立宣言の予想は、この問題を住民側から一歩進めることになる。
 そこで懸念されるのはコソボ紛争の悪夢だ。コソボ紛争についてもウィキペディアを引用しておく(参照)。多少セルビア寄りの視点を感じる人もいるだろう。

 一向に進展しない情勢に業を煮やしたアルバニア人住民の中には、ルコバの非暴力主義では埒が明かないと、武力闘争を辞さない強硬派のコソボ解放軍(KLA)を支持する者も多くなった。またアメリカやEUがコソボ解放軍を支援していたとの情報もある。コソボ解放軍は1997年7月頃からセルビア人住民へ対しての殺害や誘拐などのテロ活動を行うようになり、1998年には遂にユーゴ連邦政府は反乱を鎮定するべく連邦軍(実質セルビア軍)を送り込み、コソヴォ解放軍との間で戦闘となった。しかし、セルビア軍やセルビア人民兵がアルバニア人の虐殺を行ったことが明らかになり[1]、人道面からユーゴ政府に対する非難の声が上がった。
 アルバニア人による自作自演とセルビア側は主張しているが、西側マスコミはこぞってセルビア軍の残虐さを強調した。国際連合はユーゴにコソボからの撤退を要求したが、当時のミロシェビッチ大統領は「自国の問題」と拒否した。

 とりあえず以上が今回も問題の背景だが、近いところでは、結局このブログで触れなかったのだが、3日行われたセルビア大統領選挙が重要だった。単純に色分けすれば、極右とされるセルビア民族主義系のセルビア急進党ニコリッチ党首代行に対して、再選を目指す親欧米系の民主党タディッチ大統領の争いだった。結果はタディッチ大統領が勝利し、欧米側としては胸をなで下ろした形になったが、皮肉な見方をすれば、経済的な関係でEUと縁を切るわけにもいかないというセルビアの現実路線の結果でもあっただろうし、国政を担う元ユーゴ大統領でもあったコシュトニツァ首相にはセルビア民族主義系の支援層も強く、そのあたりからコソボ独立に向けて奇妙な動きも懸念されるといえば懸念される。
 私はこの問題の本質によくわからない点があるので、ごく単純に本質はロシアとEUの問題だろうと思っている。約200万人の住民構成からすればコソボはアルバニア人が9割を占め、EUや米国も独立承認に賛成の意向を持っているので、問題は反対勢力が浮かび上がる。セルビアが反対するのは元領土ということで理解できるが、これを国際問題上難しくしているのは国連の常任理事国でもあるロシアがセルビア支持に回っていることで、広義にはロシアの民族主義的な動向の力の問題だろう。冷淡に見ると、コソボが独立しても経済的にはセルビアが利する面のほうが大きいようにも思われる。
 もう少し踏み出していえば、EUはセルビアをも飲み込む形で動こうとしているのをロシアが阻止したいのだろうし、ロシアの思惑はEUとNATOの分断を目論んでいるのだろう。
 NATOを中心とした流れで見ていくと、アフガン問題におけるNATOの躓きも結果的にはロシアを利する方向に動いていく。だが、そうであればEUはもっとアフガン問題に関わっていくかというとそうではない。むしろ、穏和な形で各国のナショナリズムが国際問題を遠隔化していく。この傾向は日本も同じだ。そのなかで表面的には反米意識が鼓舞されることになる。そして当の米国はこれも単純にいえば大統領選挙もあり、また金融問題からも米国自身が国内問題に目を向けすぎている。
 とはいえ、実際にコソボが独立宣言を出した場合の動乱も予想される。EUは関わらざるをえないし米国も巻き込まれるだろう。ロシアはすでに巻き込む気概で固まっているようにも見える。
 こうした当面の問題に対して、日本、そして中国も対岸の火事のように傍観しているし、傍観を越えそうな気配以前にロシアは日本にもちょこっと威嚇をかけているようにも思われる。
 単純に見れば、新冷戦構造とも言えないことはない。だが、経済の流れから見れば、ロシアとEUは一蓮托生になっていくだろうし、EUは長期的にはより国内の民族問題を抱えていくのだろうから、ロシア的な国家モデルが先行しているかもしれないし、賢いプーチンのことだからどっかに痛みのある落とし所を想定しているのかもしれない。

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2008.02.11

[書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)

 「転生 古代エジプトから甦った女考古学者」(参照)のオリジナルを読んだことはないがけっこう古い本なので復刻かなと思ったら、後書きに訳者田中真知が「本書をルクソールの本屋で見つけたのは十数年以上前である」と書いていて、そうかと思って奥付を見ると、昨年11月20日の初版だった。ついでにこれが新潮社刊だったのかとあらためて気が付いた。

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転生
古代エジプトから
甦った女考古学者
 オリジナル”Search for Omm Sety: A Story of Eternal Love”(参照)は紅渡が生まれた1987年だ。最近、古い本でも訳者からこれ絶対に面白いっス的な企画が大手出版社に登るようになったのかもしれないな。そう、これ、絶対に面白いっス。
 とまで言っていいか、ちょっとためらうところもある。ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者諸賢とかには気持ち悪いのではないだろうか。アマゾンの紹介はこれだものね。

内容紹介
私はファラオの愛人だった! 3000年前の記憶を持った女性の驚くべき人生。

20世紀前半、英国に生まれたドロシー・エディーは、自分の前世が古代エジプトの巫女であったことを知り、昼は厳正なエジプト学者としての評判を高めてゆく一方、夜になると幻視を通じて過去の記憶に入っていった。ついにナイル渓谷にあるアビドス神殿に住みつき生を終えた女性の特異な転生体験を辿る異色ノンフィクション。


 間違いではないし、率直に言って、現代日本で出版するとなるとマーケットとしてはその当たりを狙わざるを得ないのだろうとはいうのもわかる。そして、新潮社売りの枠組みがなく何の予備知識もなく第一章から読み出すとけっこう面食らうというか、これって、角川書店「ザ・シークレット」(参照)かよというか、講談社「江原啓之 本音発言」(参照)かよとか、文藝春秋「冥途のお客」(参照)かよとか、大手出版までハート出版なのかよ的状況に圧倒されるというか、いや芹沢光治良最晩年の「神の微笑」(参照)シリーズを出版させちゃったさすがは新潮社というか。なんだかアフィリリンクだなこりゃ。
 冗談はさておき。本書「転生」については、そういう昨今の、オウム事件もすっかり忘れましたなという世相のオカルト循環の文脈で読まれるのは仕方ないし、米国でも本書は、Reincarnationサブタイトルが強調されることもある。だが、本書はそうアチラの世界だけの関心で読んで面白い本ではない。むしろ、腐女子というかオタク少女というかそういう幻想に突っ走ってしまう系の女性の物語としても読めるし、いや女性というのは案外理念型としてはみんなドロシー・エディーみたいなもんよとも読めるし、女性本質の文脈を除いても人が内面に従って生きる気魄の物語とも読める。英国人というかアイルランド人気質の女性ドロシー・エディーが後半生エジプト国籍を取得し、オンム・セティなり、名声もカネも一切拒絶してただ自分の個性化だけに生きて死んだ物語りとしても読める。というか私はそう読んで圧倒されましたよ。立って半畳、寝て一畳ならぬ、砂漠のわずかな砂となる。
 オカルト的な文脈が読書の障害になるなら、本書は、むしろ訳者後書き、そして第七章エピローグから読まれてもいいと思う。特にこの第七章では、転生したされるドロシー・エディーことオンム・セティについて著者ジョナサン・コットが、どう考えたらよいのかというのを冷静に扱っていて、普通の近代人にとっても受け入れやすい、妥当な見解が導かれている。単純に言えば、ドロシー・エディーの生涯の意味は、転生を信じなくても十分に理解できるものではないかということだ。もちろん、それはすべてを短絡的な合理性に還元するものでもない。ジョナサン・コットがインタビューした、マイケル・グルーバー博士の次の提言はわかりやすい。

 オンム・セティを「虚言症」や「統合失調症」といって片付けてしまえば彼女の経験を切り捨てることになります。ご存じのように、オンム・セティの経験は、彼女の人生に充実した意味をもたらしました。健康あるいは正気を示す基準が、仮にその人が創造的で、思いやりをもち、規律正しい生き方をしているかどうかと関わっているとすれば、オンム・セティはまちがいなく、この条件を満たしていました。彼女は社会にたいして、多くのきわめて有意義な貢献を行っています。

 私もこの考え方に同意する。オンム・セティを「虚言症」や「統合失調症」といって片付けてしまいそうな、いわゆる科学的な批判ほうが偽臭いのは、そもそもこうした内的な体験の領域が科学の問題ではなく、また体験の外的な表出が社会のルールの問題であることを隠蔽にする点にある点だ。社会のルール、あるいはさらにその社会的な貢献や規律において律せされるべき問題に、倫理でありえない科学を擬似的に倫理を変形して持ち込み、本来なら社会の融和たるべき倫理性に断罪的な属性を強いるのは欺瞞だろう。
 とはいえ、このこと、つまりオンム・セティの転生ということが、簡単に片付くわけでもない。単純な話、オンム・セティはいいけどエハラーが間違っているとはいえないということになるし、前世を信じる少女や外面的にはおばさんにしか見えないけど内面は少女たちの、前世確信を、おそらくオンム・セティの生涯という物語は鼓舞することになるだろう。それでいいのか、私は少し違うだろうという思いもある。
 第七章ではユングも登場しているし、夫人も。特にユング夫人によって、ユング派では、それは言わないお約束がぽろっと語れてもいる。死や前世といった神話は、私たちの人生の意味的な了解の必然的な形態の一つのなのかもしれないし、私がおちゃらかしている19世紀的科学的社会主義者諸賢の活動も実際には同次元の神学的な、宗教的な闘争にすぎないのかもしれない。そしてこの問題は、お前はどう生きるのさ? どう死ぬのさ?という問い掛けをやはりオンム・セティの生涯が持っていることを示しているし、おそらくオンム・セティの強烈さはそこに、ある種の普遍的な宗教性を暗示させるところにある。さらに、およそ人類に文明というものが数千年の規模で残存されている意義についてもちょっと奇っ怪な理解を強いる。
 私はこの本を読みながら、ユング夫人が内緒のお約束をぽろっと述べたように、小林秀雄だの本居宣長だのも、それほどオンム・セティと変わらない人生の意味了解をしていただろういう奇妙な確信を深めた。
 もうちょっと私も踏み出して言えば、この書物は、著者や訳者が意図していたかどうかわからないが、オンム・セティの直の言葉の系列がもたらす、ポリフォニックな奇っ怪な意味合いがあり、その系列をある種の直感力のある人なら読み解いてしまいかねない。
 本書は、1987年に出版されたときは、副題が”A Story of Eternal Love”(永遠の愛の物語)とされた。つまり、愛の物語の側面を持っており、オノ・ヨーコも「オンム・セティの三千年の愛の強さを感じる魅惑的なラブストーリー」(訳者後書きより)としていた。だが、この物語は、死を渡る罪と許しの物語という枠組みがある。

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2008.02.10

人類文明についての与太話・序説

 そろそろコソボ問題に言及しとくべき時期にきているようだけど、なんとなく昨日の続きのような与太話。今度は人類文明編。でも、書いてみたら今朝の除雪ならぬ、序説っぽくなってしまった。
 高校生のころ図書館にトインビーの全集があって学校の世界史の勉強の参考書というか批判的参考書がてらにぽっつりぽっつり読んでいた時期があった。具体的なことはあまり頭に残っていないが、文明をフラットに見る感じと、微妙に大英帝国的な世界の感性の影響を受けたかと思う。彼は四大文明という発想を捨てるというか拡張し細分化していた。そのころ自分が思ったことで今でも覚えているのだけど、文明というのはようするに今の文明につながっているかどうかということだけが問題の軸なんじゃないかな、今の文明と途絶した文明というのはけっこうどうでもいいんじゃないかな、いや、むしろそういう文明こそが、我々の文明が学ぶべき点があるのかなとか、そんなことだった。
 今でもあのしょーもない四大文明説は学校とかで教えているのだろうか。さすがにそれはないと思うが、高校生向きと思われるネットの「世界史講義録」(参照)とみると困惑する。”第3回 文明誕生”(参照)にはこうある。


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四大文明
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 農耕が世界各地で始まるのですが、その中で文明と呼べるものを生み出した地域が四つあります。すべて、大河の流域に生まれました。
 メソポタミア文明---ティグリス・ユーフラテス河
 エジプト文明---ナイル川
 インダス文明---インダス川
 黄河文明--------黄河

 古い順に列べてあります。
 長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから、ここでは覚えなくてもいいです。
 それぞれの話は次回以降にやります。
 今日はこの四大文明の共通点を確認して終わろう。


 味わい深い。「長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから」だそうです。私が高校生だったら、ゲリラ的に別の教材プリント作ってばらまいてしまいそう。で、この「長江文明」もちとアレげな感じはする。アレげというのは梅原猛のあの変な議論みたいな。ちなみにウィキペディアの同項を見ると。

長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある[2]。


 これもちょっとなと思う。が、読み進めるとそれなりにウィキペディアらしい説明があるのでそれはそれでいいのかもしれない。ちょっと気になったのだけど、この項目の関連では中文しかリンクがないのはなぜなんだろ。余談ついでにいうと、中国古代史関連では史記とか真に受けちゃう暗翻丹が多いんで困る。
 関連で話を少し戻すと。

このように河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの中国文明=黄河文明と言う図式のみならず、古代文明=世界四大文明と言う図式をも壊し、当時の定説を大きく覆す事になった[3]。

 だからというわけではないが、四大文明説はゴミでもいいかなという面もある。ただ、ここでやっかいなのは、文字の問題だ。

2004年現在、長江文明・四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代は紀元前2000年 - 紀元前600年とされている。現在出土している最古の甲骨文字が紀元前1300年くらい(武丁期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字に先んじた文字と言う事になる。

 ほいで、それをちょっとスタックに入れておいて、四大文明(参照)についてのウィキペディアの説明に戻ると、それなりに現代啓蒙的。

世界四大文明(せかいよんだいぶんめい)とは人類の歴史において、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむという歴史観に基づく概念である。四大河文明とも言う。

四大文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明をさした。

この考え方の原型は梁啓超の『二十世紀太平洋歌』(1900年)にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている。この考え方はアジアでは広まったものの、欧米では受け入れられなかった。また、考古学研究が進展した現代では、初期の文明を4つに限定する見方は否定的であり、四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものといえる。


 そのあたりは現代人のFAでいいのだが、問題は先の「文字」ということになる。スタックからポップ、と。
 歴史というのは、書かれた文字という性質があり、ようするに文明というのは文字の観点からつい見られる。いちおう無文字文明という概念も成り立つのだが、そこでどうしてもある種のひっかりがあり、ジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)の提唱する二分心(Bicameral Mind)のような問題意識はつきまとう。
 そういえばとジュリアン・ジェインズ関連をウィキペディアを見るとあまり情報はないが(参照)。

Julian Jaynesは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない進化段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、古典文献・神話学・考古学・心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。

 与太話でどさくさで言うと、私も、文明というのはどうも「3000年前に生成した」というのでよいのではないかという感じがしているというか、そこから多元文明論や無文字文明というのをフィルターというか整理していいような感じがしている。そのあたりと、「銃・病原菌・鉄」(参照)で与太話が展開できそうな感じはする。
 その前にジュリアン・ジェインズに戻って、彼については英語の同項目が当然詳しいのだが、この「二分心」の主張は1976年の”The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind”(参照)によるもので、トインビー級に古い。なのでその後の展開としてはトインビー並にシカトの憂き目にあっているのかと思うと、英語の同項がやや微妙(参照)。

Jaynes's hypothesis found little acceptance among mainstream academics. This was partly due to the perception that Jaynes was pandering to the general public[citation needed], and because he did not offer The Origin of Consciousness for peer review.

His proposals generated great controversy when first published, and provided impetus for many other scientists and philosophers to investigate the matters it discussed in detail in order to attempt to refute its arguments.[citation needed]


 文明史学のメインストリームからは無視という感じではある。なお、この項目、[citation needed]が多いようにちと偏向もあるかもしれないし、古い問題持ち出すなか、あるいは今でも問題か。
cover
神々の沈黙
意識の誕生と
文明の興亡
 というあたりで、なぜかこの本、日本では2005年になって翻訳された。「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」(参照)。アマゾン読者評を見るとこれが30年前の古い本なんだよということは理解されてないかもしれない懸念もある。
 同書については別の機会に触れるかもしれないけど、このところ70年代の本とか読み返すと、随分得るものが多い。
 話を少し戻して、ジュリアン・ジェインズ説へのコメントを見ていって、そういえばこれがあった。

Richard Dawkins addressed the subject towards the end of his book The God Delusion in an attempt to discover where religion comes from. He says about it: "It is one of those books that is either complete rubbish or a work of consummate genius, nothing in between!"

 私のようなぬるい人はそのビトゥイーン・ライオンみたいなリンボにいるわけだけど、ドーキンスはこうしてみるとけっこうお茶目。
 どうでもいいけど、与太話の本題に入る前に話が長くなってきたので、本題はまたいずれ。

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