« 2008年1月27日 - 2008年2月2日 | トップページ | 2008年2月10日 - 2008年2月16日 »

2008.02.09

後人類的知性についての与太話

 与太話でも。先日、3日の日経コラム「春秋」(参照)にこんな話があった。もちろん、コラムだし些細な話である。春秋の筆法という趣向ではない。


ベランダに放置してあるプランターに、勝手に生えてきたタンポポやスミレが早くも花をつけている。狭い人為的な空間でも、みごとに生態学的な地位を築く草花のたくましさに驚く。心配なのは、彼らも我ら人類も、生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件が、今大変動しているという科学者の指摘だ。

 春秋子、あまり科学的なものの考えをなさらないのであろうが、科学少年の慣れて果てでかつ無粋なダーウィニストである私はこんなことを思った。「生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件」とかいうけれど、別段温暖化がどんどん進んで人類が滅んでも、生命が途絶するわけではないよ、心配すんなよ、と。
 氷河期だってなんどもあったんだし、そのおかげでむしろチャンスが回ってきたのが人間種の祖先だった。
 もともと地球上の酸素は生物が、牛のゲップみたいに吐き出したものだし(いやそうではないけどね)、その総量もそれほど多いわけでもない。人間種が炭素濃度を変化させることで自身の種の生存環境を壊滅しても他種のチャンスが回ってくるだけのことだ。というか、人間種は恐竜なんかと同じように種としてはすでに生存に失敗してしまったのかもしれない。この手の生存はある種のインフレーション後に一気に瓦解的に滅亡してしまうものではないだろうか。ありふれた種の滅亡パターンの構成をそう逸脱してないようにも思える。
 人間種が滅んだあと、何か別の種が、人間に近いようなあるいは人間以上の知性を獲得し、そしてそれが人間のように自らを滅ぼさないような知性にまで到達したなら、人間種のことは地球にとって、「ま、あれはなかったことにしよう、ノアよ」みたいに、忘れ去れていいような挿話に過ぎないことになるのだろう。ただ、その新知性生命が、人間種なり、あるいは人間種の知性と関わりを持つかどうかわからない。
 とか私は考えていた。
 私の考えは変だろうか?
 べたなダーウィニズムからの逸脱はないのではないか? どうなんだろ。
 なんか変な感じがするのは、人間種の知性が撲滅したあとでも、何億年くらい後に、また生命による知性の到達の可能性があると想定するあたりが、どうよ?ってことだろうか。
 このあたり、知的種という概念にも奇妙なものがないわけではない。人間種は、自身の種以下の知性の想定ができても、人間種を越える知性については、その部分的な知性の量的な延長としてしか想像できず、その質的な延長の種みたいなものはなかなか想像できない。
 世の中には天才みたいな人がいるし、そういう人の知性のある種の量的な拡張ではなく、質的な拡張みたいなものを想定してみると、異質な上位知性がまったくありえないわけではない。仏陀のような知性がごく普通に偏在するような知的種というのが、想定できないわけではないが、仏陀に限っていえば、それがリプロダクションをしたのは出家前だし、出家後の仏陀となるとおセックスはしないだろうから、どうやって生命のリプロダクションと進化を遂げるかがわからない。そのくらいの知的種なら、おセックス以外のリプロダクションを獲得しているのだろうか。そのあたり、おお、なんて与太話なんだっていうことになる。
 遺伝子(ジーン)に対して、意味を伝えるミームといった与太話もあるが、人類が滅んだあとグーグルのシステムだけが、アレキサンドリアの図書館のようにしばらく生き残っても、それが生命としての独自の生存をするかはよくわからない。しないんじゃないだろうか。どのような知性があっても、かなり低次な生命のリプロダクション・システムに従属するというのは、生命そのものの制約なのではないだろうか。
 というところで、すでに自分のなかで人類は終了している感がなきにしもあらずだが、そもそも地球の歴史は46億年だったか。地球誕生から生命誕生までは6億年くらいか。意外に早いっていうか、本当にそれは地球で誕生した生命なのかよくわからないが、案外生命というのはそのくらいの速度で自然に発生するものかもしれない。
 でも、現在の地球生命体の直接的な祖先である後カンブリア紀型生物の出現はこの5億年くらいなので、30億年くらいの奇妙な停滞を必要とするのかもしれない。
 いずれにせよ、後カンブリア紀の生命の進化速度は速い。人類種が滅亡しても、後カンブリア紀のスタートラインに戻るわけではないから、数億年で人類知性くらいの獲得は楽勝なのではないか。
 というあたりで、地球歴史と宇宙歴史の時間差も気になる。全宇宙史は137億年らしいので、その間、地球様の生命環境は多様にあるだろうから、人間くらいの知的種の達成はかなり楽勝で宇宙のあっちこっちに存在していると考えるのが妥当だろう。が、先の人間知性を越える知性が想定しづらいように、実際には、かなりの知的種は、自滅しているのだろう。宇宙空間の広さと自滅の速度を考えると、おそらく知的種と人間種の遭遇というのは、ほぼゼロなのだろう。でも、ダイソンの永遠知性(Dyson's eternal intelligence)みたいなことも考えられるか。
 とか思って、ネットをちらと見ていたら、”進化:ダーウィンを継ぐもの」対談:ドーキンス vs レニエ”(参照)という記事があって、ちょっと微笑ましかった。ドーキンスはその可能性に興奮していたわけだな。

レニエ:
最近私がスリルを感じたことが一つあります。それは,私をちょうどこのところ高めてくれているある種の畏怖を与えてくれたんですが,火星の生命の証拠です。私は,この生命のように見えるものの化学が,如何に私たち自身のと似ているかに衝撃を受けました。それに,私は,多くの科学コミュニティの飽きて関心の無い態度にも衝撃を受けました。これは,とてつもなく大きなことのように思えるんですけれど。
ドーキンス:
もし本当なら,恐ろしいほど大きなことだよね。それは,一つの惑星で生命が誕生する確率についての私たちの推定を完全に変えてしまうからね。これまで生命の起源は普通にはありそうもないことで,この種のことは銀河にたった一度しか起こっていないだろうと私たちは思ってきたから。もし突然,私たちの太陽系で生命の2つの別々の進化があるってことになったら,生命は全宇宙に単純に満ち溢れていることがわかるわけだ。これが,それが大きなことだっていう理由のひとつ。もう一つの理由は,全然別のことで,進化の一般的な現象について考えるときに,私たちはサンプルを一つしかもっていないよね。たった一つのサンプルから,全部の生命と進化の理論を位置づけているわけだ。もしこのサンプルが二つに増えたら,たとえ二つ目が2,3の微小な化石だとしても,一般現象としての(たんなる地方教区の,地球上の現象としてではない)生命について,新しい情報とアイディアの莫大な注入を手にすることになるだろう。
レニエ:
そうすると,私たちを理解してくれる他の生命とのコンタクトについて考えるのは合理的でなくもないということになりますね。
ドーキンス:
だが,問題は,その証拠によって興奮しすぎてしまうことだ。多くの人はまだ懐疑的だよ。本当であって欲しいとは思うけれど,納得はしていないと言わざるを得ないね。

 懐疑的とかいうけど口の滑り具合からして、ドーキンスもけっこう与太なことを考えていたようだ。
cover
神は妄想である
宗教との決別
 ところで、私の与太話、そしてドーキンスの与太話にも暗黙に含まれているが、生命進化に知性への方向性というか指向性という想定がある。
 そのあたりは、どうなのだろうか。というのは、知的種というのは宇宙の必然だとするなら、それ自体がなんだかインテリジェント・デザイン臭い感じはしないではない。もちろん、インテリジェント・デザインみたいに原点にデザインという起点を置くのではなく、知性を形成させる場としての宇宙といった考えになる。
 ベルクソンはそんな場としての宇宙を考えていたようだ。ド・シャルダンはというと、彼の想定するポイント・オメガの場合は、そうした自滅する知的種を含んでいたのか、人類種の知性の到達に描かれていたのか、どちらかといえば後者であるようには思う。
 そう考えてみると、ベルクソンとかはけっこう索漠とした宇宙の冷酷さに震撼しているという感じであろうか。星も無き夜、聖書的漆黒!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.02.08

チャド情勢、本質はダルフール危機

 チャド情勢について多少推測を交えて踏み込んでおきたい。というのは、この問題の本質はダルフール危機なのだ。このブログでの関連エントリはいくつかあるが、とりあえず「極東ブログ: ダルフール危機からチャドにおけるジェノサイドの危険性」(参照)は近い文脈にある。
 まず日本国内のこの事態へのジャーナリズムの扱い方から触れたい。私たち日本人の公的な関わりがここで問われているからだ。典型例として、6日付け日経新聞社説”AUは紛争解決へ意志示せ”(参照)を取り上げたい。誤解なきよう前もって述べておきたいのだが、同社説を批判したいのではない。むしろ日経はこの問題を社説に取り上げただけ他紙よりはるかにましだと言える。
 冒頭はこうだ。


 産業基盤の強化を主な議題にアフリカ連合(AU)首脳会議が先週末開かれたが、ケニア、そしてチャドの治安情勢の悪化に翻弄(ほんろう)された。アフリカではスーダンのダルフール地方、ソマリアでもいまだに紛争が続いている。AUは先進国による援助を生かすためにも紛争解決へ積極的な役割を果たすことが求められている。

 この書き出しから、「チャドの治安情勢」がケニアに並列することで、ソマリアの紛争と並列されたダルフール「紛争」が分離される。あたかも、チャドの治安とダルフール危機が別の系列の問題かのように読める。執筆者は欧米高級紙などを読まず、単純に事態を理解していないだけなのかもしれない。今回のチャドの問題はダルフール危機に強く関連していることは読み取れない。この分離はむしろ主張もされている。

 会議開会中にはチャドの内乱激化という知らせも飛び込んできた。その隣のスーダン・ダルフール地方では今も約250万人が難民となったままだ。

 あたかも2つの問題であるかのように記述されている。だが、これが連鎖した問題である可能性がかなり高いことは後で述べる。なお、難民も問題だが、ダルフール危機の問題の本質は、ジェノサイドにある。
 もう一点気になるのは表題にあるAUへの過大な期待だ。

 会議に出席したリビアの最高指導者カダフィ大佐はAUの紛争解決機能を強化すべきだと強調した。大佐には独特の政治的思惑があるのかもしれないが、その主張は正論だ。

 カダフィによる提言は前回もあり、NHKもそれが解決であるかのような報道をしていたが、経緯を長期的かつ詳細に見ていたBBCはその時点からスーダン政府による裏腹な妨害行動を報じていた。あの時点でのカダフィーの活動は失敗に終わった。端的に言えば、同席すべきダルフール反抗勢力に、スーダン政府あるいは仲介とする勢力への信頼が構築できないことだった。ダルフール反抗勢力に問題がないわけではないが、この時点での動向はダルフール反抗勢力の推測に近く展開していたし、ダルフール難民の多くもほぼ同じ視点を持っていた。
 日経の社説は結語として日本はアフリカを支援すべきだというふうに展開し、当の主題を失ってしまう。重要なことは、AUがダルフール危機、そしてその連鎖とも言えるチャドの問題に、現時点ではほぼ対応不能になっていることなのだ。
 このエントリの結論を、やや踏み出して先回りして言えば、今回のチャド問題は、おそらくスーダン政府がAU以外の勢力としてEU軍がダルフール危機に介在することを妨害するための工作だということだ。その背景にはAUならスーダン政府が手玉に取れるという自信がある。
 話を当のチャド問題に移そう。情勢の変化については、事件勃発に近い2日付けAFP”チャド反政府勢力が首都ヌジャメナ制圧”(参照)がわかりやすい。

 アフリカのチャドで2日、反政府勢力と政府軍の戦闘が発生し、3時間にわたる交戦の末、反政府勢力が首都ヌジャメナ(N'djamena)を制圧した。政府軍筋が明らかにしたもので、イドリス・デビ(Idriss Deby)大統領は、大統領府に残っているという。
 反政府勢力と政府軍双方からの情報では、戦闘は現地時間の午前8時(日本時間午後4時)ごろヌジャメナの北約20キロで始まった。フランス軍がのちに発表したところでは、約2000人の反政府勢力がヌジャメナ市内で激しい戦闘を行ったという。

 このチャドの反政府勢力なのだが、どこから現れたか? スーダン側の拠点である。

反政府勢力は1月28日、トラック約300台に分乗してスーダンの拠点を出発し、800キロ離れたヌジャメナに向けて進攻した。1日にはヌジャメナから約50キロ離れたMassaguetで反政府勢力と政府軍が交戦し、Daoud Soumain陸軍参謀長が戦死した。この戦闘が政府軍が示したほぼ唯一の抵抗だった。

 その後の展開だが、同じくAFPの7日付”チャド、首都戦闘の死者は160人以上、3万人が国外に避難と赤十字”(参照)では被害はこう報道される。

チャドの国際赤十字(Red Cross)現地事務所は6日、先に首都ヌジャメナ(Ndjamena)で起きた政府軍と反政府武装勢力との激しい戦闘で、160人以上が死亡、1000人近くが負傷したと発表した。市内の墓地に埋められていた遺体80体を回収したが、全部は回収しきれていないとしている。

 国外避難民は4万人に登るという報道もある。
 現状ではチャド政府軍が優勢のようだ。7日付けCNN”政府軍が全土掌握と大統領が宣言、アフリカのチャド情勢”(参照)より。

政府軍と反政府勢力の戦闘が今月2日から首都で起きたアフリカ中部、チャド情勢で、同国のデビ大統領は6日、首都ヌジャメナだけでなく地方部を含めた全土を掌握したと宣言した。AP通信が報じた。戦闘後に大統領が記者団の前に姿を現したのは初めて。

 ただし、情勢は安定していない。反政府勢力の再攻撃の懸念も高い。
 本題に入る。現状では、公平に見れば、チャド反政府勢力がスーダン政府によるものだとは確定しづらい。スーダン政府も否定している。そのためか日本の報道ではそのリンケージがほとんど語られていない。しかし、このリンケージは欧米報道ではもはや自明に近い。ジャンジャウィードがスーダン政府の支援を受けていたこと、またスーダン政府軍がダルフールに空爆していたことなどと同様に、自明なものに近く報道されている。そのあたりを、テレグラフとワシントンポストから言及しておきたい。なお、どちらも右派的な報道だと見るむきもあるだろうから、その分については考慮されたい。
 5日付テレグラフ”Rebels' assault on Chad really a war by proxy”(参照)では表題のように代理戦争とまで今回の問題の評価を強く打ち出している。

The battle on the streets of N'Djamena, Chad's capital is a vivid demonstration of how a war which began in Sudan's western region of Darfur has now spread across Africa to engulf a neighbouring state.

Rebel fighters besieging the presidential palace in Chad are said to be supported by Sudan's regime

Three rebel groups are besieging President Idriss Deby's palace on the banks of the Chari river. All are believed to be armed and supplied by Sudan's regime.


 証言を使い間接的な報道だが(その分誘導的にも読めるが)、チャドの反政府勢力がスーダン政府の傀儡であるとしている。
 重要なのは、なぜ現時点でチャドで紛争が発生したかだ。

The European Union has agreed to deploy a military mission of 3,500 troops to protect 370,000 refugees in eastern Chad.

But Sudan is adamantly opposed to the presence of European troops on its western frontier.

The latest fighting has already halted the arrival of the EU force. If Mr Deby is ousted, Chad's new president will almost certainly serve Sudan's interests and block the arrival of any foreign troops.

Khartoum blames Mr Deby for helping to start the Darfur war. Fighting began in 2003 when black African rebels rose against Sudan's Arab-dominated regime.


 EU軍がこれから東部チャドに派兵する直前のタイミングでこれらの紛争が発生した。EU軍の介在を恐れたものだという推測は自然に導かれる。テレグラフは、ややほのめかしたような記述にしているが、ダルフール危機へのEUの介在を阻止する目的を推定しているようだ。
 この点、7日付ワシントンポスト”Darfur's Chaos Spreads”(参照)は、もう少し踏み込んでいる。

N'DJAMENA, the capital of Chad, is hundreds of miles from Darfur. But the violence in Chad over the past few days is closely linked to the Sudanese government's bloody campaign to subdue Darfur. Some of Darfur's rebels enjoy sanctuary in eastern Chad as well as other support from the government of President Idriss Deby. Meanwhile, Chadian rebel groups are clients of President Omar al-Bashir of Sudan.

 重要なのは、"closely linked to the Sudanese government's bloody campaign to subdue Darfur"という点だ。つまり、スーダン政府によるダルフール制圧のための流血の軍事活動に強く関連している、とワシントンポストは冒頭で述べている。
 どうすればいいのか。それ以前にこれは、ワシントンポスト記事の表題にあるように、スーダン政府とダルフール危機の問題の延長だという認識をどこまでとるかにかかっている。
 日本のジャーナリズムはどこまでこの問題に対応できるだろうか。
 もし、問題がスーダン政府にあると単純に考えれば、スーダン政府に外交的に自粛を求めることが先決のように思える。だがそれがどれほど無益なことだったかは、ダルフール危機の経緯が明らかにしている。AUへの期待のむなしさもすでにほぼ証明済みと言っていいだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.02.07

ニューヨーク・タイムズが報道した中国薬剤問題について

 1月31日付ニューヨーク・タイムズの一面報道ということと昨今の日本の騒動もあって、日本でも多少孫引きでニュースにはなったようだが、少しニュアンスが違う部分があり、以前、「極東ブログ: 中絶船、ポルトガルへ」(参照)や「極東ブログ: お菓子のような避妊薬」(参照)で触れた問題とも関係があり、最近この方面に言及していなかったので、国内報道の仕組みもかねて簡単にまとめておきたい。またそういう次第(事実性のみ、孫引き情報、記事が短い、報道検証)なのであえてニュースは全文引用とする。
 まず同日の共同”中国製の薬品にも懸念 米紙報道”(参照)は次のように報道していた。


 31日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、中国・上海の国営薬品会社のがん治療薬が原因で中国国内で薬害被害が深刻になっていることを伝え、同じ会社から米国が経口中絶薬を輸入しているとして懸念を指摘した。
 同紙によると、米食品医薬品局(FDA)と中国の衛生行政当局は、中国での薬害と輸入経口中絶薬とは無関係としているが、米国の消費者保護団体の専門家は「同じ企業の工場はすべて検査されるべきだ」としており、米国で中国製品に対する不信が再燃しそうだ。
 同紙によると、薬害は白血病患者に投与された抗がん剤が原因。2種類の薬を飲んだ患者計200人近くが相次いで下半身のまひなどを訴え、両方の薬に製造過程で別のがん治療薬が混入した結果の副作用と判明した。
 米国が輸入している中絶薬は別の工場で生産されたというが、同紙は中国製薬品で死者が出た例があることや米薬品会社の中国製の薬品成分に対する不信感を紹介している。(共同)

 次に翌日1日付のTBSでは次のように”米紙、中国製経口中絶薬の輸入に懸念”(参照・リンク切れ)と報道していた。

 アメリカのニューヨークタイムズ紙は、中国で去年発覚した抗がん剤による薬害被害を伝え、同じ会社の経口中絶薬がアメリカに輸入されていることに懸念を示しました。
 上海で発覚した被害は、国営薬品会社の抗がん剤を投与された白血病の患者およそ200人が、下半身のまひなどの副作用を訴えたものです。上海の公安当局が捜査を始め、この薬品会社は、去年12月に、衛生部から薬の製造許可を取り消されています。
 ニューヨークタイムズ紙は、この事件を1面で報じ、同じ会社で生産された経口中絶薬がアメリカに輸入されていると指摘しました。
 FDA=アメリカ食品医薬品局は、輸入中絶薬と薬害の関連性を否定していますが、専門家は、「同じ会社の製品は、全て検査すべきだ」として、中国産の薬品への懸念を示しました。(01日09:15)

 時系列的には共同が先になっているが、報道された内容と構成からみると共同は共同なりに、TBSはTBSとして独自に孫引きニュースを作ったようだ。文体は共同のほうがしっかりしているようだが、報道としてみるとTBSのほうがわずかに優れている。共同の「薬害被害が深刻」や「米国で中国製品に対する不信が再燃しそうだ」はやや主観に傾きすぎる。また両方とも「副作用」としているが意図された作用があれば副作用とみてよいが今回の事例では異なる。ただし、こうした報道に問題があるというわけでもないし、報道批判をブログで展開したいということではまったくない。
 ニューヨーク・タイムズのオリジナル報道はWebからでも閲覧ができる。”Tainted Drugs Tied to Maker of Abortion Pill”(参照)である。

BEIJING - A huge state-owned Chinese pharmaceutical company that exports to dozens of countries, including the United States, is at the center of a nationwide drug scandal after nearly 200 Chinese cancer patients were paralyzed or otherwise harmed last summer by contaminated leukemia drugs.

 書き出しは共同やTBS報道とほとんど同じ。またこれに続く段落も同じ。国内の孫引き報道と異なってくるのは三段落目である。

The drug maker, Shanghai Hualian, is the sole supplier to the United States of the abortion pill, mifepristone, known as RU-486. It is made at a factory different from the one that produced the tainted cancer drugs, about an hour’s drive away.

 つまり、その経口中絶薬とはRU-486、つまりミフェプリストン(mifepristone)である。英語版のウィキペディアには詳細な情報がある(参照)が、日本版には存在していない。

Mifepristone is a synthetic steroid compound used as a pharmaceutical. It is used as an abortifacient in the first two months of pregnancy, and in smaller doses as an emergency contraceptive. It can also be used as a treatment for obstetric bleeding.[1] During early trials, it was known as RU-486, its designation at the Roussel Uclaf company, which designed the drug. The drug was initially made available in France, and other countries then followed - often amid controversy. In France and countries other than the United States it is marketed and distributed by Exelgyn Laboratories under the tradename Mifegyne. In the United States it is sold by Danco Laboratories under the tradename Mifeprex. (The drug is still commonly referred to as "RU-486".)

 合成ステロイドであること、RU-486と呼ばれる背景、また米国ないでMifeprex商標のもとにDanco Laboratoriesが製造しているという基本情報がウィキペディアの同項の冒頭に書かれている。
 邦文で読める情報をサーチすると04年の情報だが”経口妊娠中絶薬ミフェプリストンに新たな警告--健康情報”(参照)が詳しい。以下の点は重要なので引用しておきたい。

日本ではミフェプリストンは認可されていませんが、インターネットを中心に代行輸入販売がされていました。個人輸入されているミフェプリストン(mifepristone)には、RU-486(開発時のコード名)、ミフェプレックス(MifeprexTM)(米国)、ミフェジン(Mifegyne)(EU)、息隠(米非司酉同片)(中国)など、いくつかのブランドがあります。厚生労働省は、違法な輸入や入手が多いため、このほどミフェプリストンの危険性を警告し、違法な介在をする、インターネット販売業者の摘発を要請しました。

 数年前の厚労省の懸念だが現状も変わっていないだろうが、この件について最近の国内報道はあまり見かけないように思う。また、ミフェプリストンに中国語の薬剤名がある意味についてはこのエントリでは立ち入らない。
 ニューヨークタイムズの報道に戻るが、この問題はきわめてRU-486に深く関わっている側面があり、結論的な言い方になるが、その部分が日本国内報道には、しかたがないのかもしれないとはいえ、その背景からみた話のスジには関心が向けられていない。
 この部分の記述で私が気になったのは、"the sole supplier"という点だ。もちろん、米国内のRU-486がすべてこの中国の製薬会社からということではなく、中国から輸入しているRU-486についてはこの上海の製薬会社ということだが、それでもウィキペディアに情報があるように、米国内にRU-486の製薬会社がありながら、なぜ米国が中国から輸入しているのだろうかという点だ。普通に考えられるのは、薬価だろう。中国製品が安いということだ。だが、私は違うのではないかと思った。それは記事中央ほどにある次の言及に呼応する。

Because of opposition from the anti-abortion movement, the F.D.A. has never publicly identified the maker of the abortion pill for the American market. The pill was first manufactured in France, and since its approval by the F.D.A. in 2000 it has been distributed in the United States by Danco Laboratories. Danco, which does not list a street address on its Web site, did not return two telephone calls seeking comment.

 RU-486に対する過激な反対運動のため、米国製造社Danco Laboratoriesの所在情報は公開されていない。というか、食品医薬品局(FDA)は保護のためにその情報を意図的に隠蔽している。
 今回の中国制約会社についても同様の配慮がある。

The United States Food and Drug Administration declined to answer questions about Shanghai Hualian, because of security concerns stemming from the sometimes violent opposition to abortion.

 ここで私のまた推測なのだが、なぜRU-486の製薬会社が保護されるのかなのだが、当然他の薬品どおり保護されるべきだというのがあるとして、どうも中絶の比較的容易な選択の権利を守ることの副次的なあるいは従属的な保護のようでもある。さらに推測を延長するのだが、中国製薬会社からの輸入は薬価よりもRU-486のある種イデオロギー的なサポートの一環なのかもしれない。そして、今回のニューヨークタイムズの報道にもその背景のニュアンスが感じられる。
 話を今回の事件に絞ると、国内孫引き報道にもあるように中国制薬剤への不信というのはある。たとえばファイザーは品質の問題から中国から薬剤の素材は輸入していないとのことだ。

One major pharmaceutical company, Pfizer, declined to buy drug ingredients from Shanghai Pharmaceutical Group because of quality-related issues, said Christopher Loder, a Pfizer spokesman. In 2006, Pfizer agreed to evaluate Shanghai Pharmaceutical Group’s “capabilities” as an ingredient supplier, but so far the company “has not met the standards required by Pfizer,” Mr. Loder said in a statement.

 日本の製薬やサプリメントといった分野でどうなっているかは私はわからない。
 もう一点、これはニューヨークタイムズの報道で啓発されたのだが、今回の問題は中国の病院の問題でもあるというのだ。

“Many people thought there was a problem with the hospitals,” said Zheng Qiang, director of the Center for Pharmaceutical Information and Engineering Research at Peking University. “It wasn’t until later that they discovered the problem was with the medicine.”


Family members at the No. 307 hospital have counted 53 victims in Beijing, and say they were told that there were least 193 victims nationwide. It is unclear how many were paralyzed, because the authorities have not released an official figure. Relatives have joined to share information and advocate for the victims. Based on interviews with several families in Beijing and Shanghai, it appears that about half of those injected still cannot walk.

 被害者当然病院に収容されているのだが、その病院から情報があがってこない現状がある。
 広義に言えば、情報の問題がある。特に、中国では国家や分散された権力主体による隠蔽が問題になる。
 余談だが、情報という点では日本では、今回の中国製毒入り餃子では解毒や診断の点で、東京(地下鉄)サリン事件の教訓が生かされていたかは報道からはよくわからない。毒入り餃子はテロだという声も聞くがそうであればテロの教訓が生かされていたのかの反省が先行すべきだろう。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008.02.06

[書評]人間関係にあらわれる未知なるもの(アーノルド・ミンデル)

 先日、「極東ブログ: [書評]身体症状に<宇宙の声>を聴く(アーノルド・ミンデル)」(参照)を書いたあと、アーノルド・ミンデルの新刊書がこの1月25日に出ていたことを知って、条件反射的にアマゾンのワンクリックてぽちっとなとした。すぐに、これ、「人間関係にあらわれる未知なるもの 身体・夢・地球をつなぐ心理療法」(参照)が、古い本というか初期ミンデルの著作だなとわかったが、注文の取り消しはしなかった。おそらくミンデルをフォローしている関係者にとって、日本の現在に重要な本という認識があるのだろうという直感があったからだ。実際読んでみて、そのあたりの思いのようなものは伝わった。たぶん現実に日本でプロセスワークに関わっている人、あるいは関わっていく人にとっては、昨日触れた「極東ブログ: [書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル)」(参照)より喫緊の課題というか、差し迫った現状のようなものがあるのだろう。

cover
人間関係にあらわれる
未知なるもの
身体・夢・地球をつなぐ
心理療法
 とはいえ本書のオリジナル"The dreambody in relationships"が執筆されたのが1987年であることの明示的な言及はなかった。訳本は2002年刊行のものを利用しているが、オリジナルは1987年であることについて監訳者あとがきに含めるべきだっただろう。もっとも本文に中にはすでにプロセスワークでは利用されていない、易(「ガラス玉演戯」を彷彿とさせる)や冷戦時代背景についての訳者注は含まれているので、そうした点での理解に躓かないような配慮はなされている点は評価できる。
 難癖のようなコメントが続くが表題も誤解を招きやすいのではないか。確かに、ミンデルは「人間関係にあらわれる未知なるもの」に着目しているし、冷戦時代らしい世界意識や公的な政治状況の対話を実践していく後半の展開からは、「身体・夢・地球をつなぐ心理療法」という表現も的外れではない。オリジナルの"The dreambody in relationships"をそのまま「関係性におけるドリームボディ」とするわけにもいかないこともわかる。だが、この原題のrelationshipsは実際には夫婦関係と親子関係を指しているので、「夫婦と親子の関係を人生の総体から見直す」という含みがある。「ドリームボディ」というというミンデルのオカルティックな着想は、人間の個性化の可能態ともいえるだろうし、個性化と家族関係の問題が、実質本書のテーマになっている。
 冒頭の、本書の訳書が今なぜ?という視点に戻ると、私の推測だが、団塊世代が退職を始めた日本の現在、そしてその子供たち(団塊チルドレン)がさらに子供を産み、大きなジェネレーション変化が起きつつあるが、その地殻変動的な日本社会変化に、この"The dreambody in relationships"が関わるという、大きなプロセスの認識が訳者たちの実践の場にあり、それが出版に大きく関わっているのではないか。
 端的に言えば、ふたつの問題になるだろう。ひとつは団塊世代の夫婦関係の少なからぬ関係が終わりを迎えているというここと、もうひとつは団塊チルドレンがうまく親になれないことだ。
 あまり強く勧めて失望されてもなんだが、この二点の問題に関心のある人なら本書から得るものは大きいだろうと思われる。本書は、「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照)のような不必要な難解さもないし、「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」(参照)のような、人によっては深刻な渇望とも違う文脈にあり、かつ、ミンデルの初期の作品らしく比較的わかりやすい。ただし、前半はやや精神医学プロパーな話もあるし、一次プロセスと二次プロセスという概念はやや曖昧な部分がある。即効を求めてしまう現代人には、少し忍耐を強いる読書になるだろう。
 本書の、現代日本という文脈における意義として私は二点あげたが、その一点目を「夫婦関係の少なからぬ関係が終わりを迎えている」とした。これは端的には離婚なり熟年離婚して理解されるだろうし、それはそれでいいのだが、私が本書を読みながら考えたのは、夫婦関係というのを、人間のプロセス、つまり、人生の流れのなかで経験すべき過程(プロセス)として捉えたとき、始まりと終わりがあるという、ミンデルのある明瞭な前提意識だった。
 すこし余談に逸れる。米人の場合、人工国家的な米国国家の特質にもよるが、その構成員は家族と愛というものに個体レベルの神話性を求められるので恋愛という協約的な神話が人生のプロセスに求められる。それゆえに愛情がないと家族が崩壊してしまう。やや余談めくが米人における愛情とは実際には身体的なセンセーションであり禁忌と性快楽の無意識のシステムなので、愛情(恋愛)に性が強く反映する。反面、実際の米国の支配層は恋愛よりも日本の閨閥にも近いファミリーの関係性のなかで資本と女を交換しているので、性愛は別の側面に出るし、その特権性が禁忌的な階級への欲望を喚起する。いずれにせよ、夫婦の関係が、その国家の認識のように丸山真男的な作為の契機を軸としているので、終わるという前提発想がある。また彼らは性センセーションによる身体性から、死体による性交不能性によって、関係性の終わりを暗示する愛の神話的な構造がある(死は身体の性的な別離である)。これに対して日本では、夫婦関係の終わりは恋愛から性的身体の終焉としての死体にはなく、家制度に、つまり娘の権力の側の神格化に、収斂していく。吉本ばなな「デッドエンドの思い出」(参照)が顕著な例だが、夫婦関係は「老」から「死」の空間にたやすく接合している。しかも、彼女の父吉本隆明がプレ団塊であることから、彼女もプレ団塊チルドレン的な世代ではあるものの、この日本の夫婦関係の幻想性は、団塊チルドレンの夫婦関係の無意識的な基底に危うく存在することも示唆される。吉本ばななが過剰なまで身体性を唱える疑似宗教的な雰囲気を醸し出しているのも同じ水平にある。
 余談に逸れたが、夫婦関係は、プロセスという視点からすれば当然、始まりがあり終わりがある。その形態は文化性として偽装されている国家の宗教性との関係があるものの、そのまさにプロセスとしての本質には関わらない。端的にいえば、退職した団塊世代の夫婦は強烈な圧力でそのプロセス、つまり夫婦関係の終わりというのも日本の社会に吐き出すだろうし、その団塊チルドレンの夫婦関係の暴走もそれに連鎖するだろう。その一番身近な問題は、団塊チルドレンの子供の身体と心に、こう言うとやや一線を越えるのだが、病的に出現するだろう。まさに、その病的特質こそがドリームボディの本質でもある。
 ここには、プロセスというものが、個体を越えている、つまり、関係性のプロセスをドリームボディが含み込むという、通常なら曖昧な言説にしか受け取れないミンデルの明瞭な認識がある。夫婦関係の終わりというのは、個体プロセスの側の問題だけではなく、関係性のプロセスの問題であるのだ。短絡させれば、個体や関係を包む社会から日本社会という関係性のプロセスの総体が今問われ始めていることになる。
 この極東ブログを読んで不眠症が解消されましたと素敵なコメントをくださった五反田六先生こと鋭敏なライター速水健朗による「自分探しが止まらない」(参照)はまだアマゾンでは予約中だし私などが読んでも理解できるかどうかわからないが、表題や釣りから察する「自分探しが止まらない」日本人というのは、おそらく個体の問題というより、夫婦関係的な性の関係性の不安定性とその時代的なフレームワークの終焉の大きな圧力の、まさにプロセスなのではないだろうか。
 と書くとまた五反田六先生の眠気をさそう曖昧な表現となるのだろうが、本書「人間関係にあらわれる未知なるもの」は、日本社会の大きな変化が性的な関係性(夫婦関係・家族関係)でどのように出現するかということに対して、初期ミンデルの心理治療家らしい具体的な創見に満ちている。
 ついでなので、現時点までのミンデルの邦訳著作のリスト(邦訳書はアフィリエイト・リンク)を整理しておく

  • 1982年 『ドリームボディ』(第二版)  Dreambody, the body’s role in revealing the self. Santa Monica, CA: Sigo Press. ISBN 0938434055
  • 1985年 『プロセス指向心理学』 River’s way: the process science of the dreambody: information and channels in dream and bodywork, psychology and physics, Taoism and alchemy. London: Routledge & Kegan Paul. ISBN 0710206313
  • 1985年 『ドリームボディ・ワーク』 Working with the dreaming body. London: Routledge & Kegan Paul. ISBN 0710204655
  • 1987年 『人間関係にあらわれる未知なるもの』 The dreambody in relationships. London: Routledge & Kegan Paul. ISBN 0710210728
  • 1989年 『昏睡状態の人と対話する』 Coma: key to awakening. Boston: Shambhala. ISBN 0877734860
  • 1990年 『自分さがしの瞑想』  Working on yourself alone: inner dreambody work. New York, NY.: Arkana. ISBN 0014092018
  • 1992年 『うしろ向きに馬に乗る』  Riding the horse backwards: process work in theory and practice. New York, NY.: Arkana. ISBN 0140193200
  • 1993年 『シャーマンズボディ』 The shaman’s body: a new shamanism for transforming health, relationships, and community. San Francisco, CA: Harper. ISBN 0062506552
  • 1995年 『紛争の心理学』(抄訳) Sitting in the fire: large group transformation using conflict and diversity. Portland, OR: Lao Tse Press. ISBN 1887078002
  • 2000年 『24時間の明晰夢』 Dreaming while awake: techniques for 24-hour lucid dreaming. Charlottesville, VA.: Hampton Roads. ISBN 1571741879
  • 2001年 『プロセス指向のドリームワーク』 The dreammaker’s apprentice: using heightened states of consciousness to interpret dreams. Charlottesville, VA : Hampton Roads. ISBN 1571742298
  • 2004年 『身体症状に「宇宙の声」を聴く』 The quantum mind and healing: how to listen and respond to your body’s symptoms. Charlottesville, VA: Hampton Roads. ISBN 1571743952

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2008.02.05

[書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル)

 アーノルド・ミンデルの思索と実践が現代社会に重要な意味を持つ、あるいはさらに持ち続ける可能性があるのは、本書「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」(参照)によるものだろう。本書、あるいはコーマワークが存在しなければ、ミンデルは奇矯な思索者・精神医学者ということで終わるだろう。もっとも類似の問題は、本書のはしがきでミンデル本人が言及しているように、キュブラー・ロスにも関連している。

cover
昏睡状態の人と対話する
プロセス指向心理学の
新たな試み
(NHKブックス)
 本書、あるいはコーマワークとはなにか。これは邦訳の表題が適切で「昏睡状態の人と対話する」ことであり、その手法に言及したものだ。アマゾンの紹介が、ある意味で、簡素にまとまとまっているので引用する。

著者のミンデル氏は、昏睡状態の人と対話するという信じられないことを可能にした。忍耐強い働きかけを行っていくと、クライアントは筋肉の一部の動きや言葉の応答によって、死にたいか、生きたいかの意思表示や未解決の愛のテーマなどを完了することができる。そして生と死にまつわる観念を乗りこえていく。ユング派のセラピストが、数多くの臨床例から、死に瀕した人の微細なメッセージを聞きとる方法や、生の深い意味を明かす待望の翻訳書。

 「ある意味で」と限定したのは、これは現代医学的にはトンデモ説の領域になることは、ほぼ明らかと言っていいだろうと思うし、これを組織化して実践されたら、偽科学なり似非科学なりで批判すべきだろう。穏当に言っても、そうしたことが可能になるケースもあるが、医学的には、ほぼありえないことだと見ていい。
 問題は、これがレアーケースを汎化した珍妙な議論なのかというと、このミンデルの提起は、まさにその彼の提起というプロセスにおいて現代社会に重たい意味をもたらしている。端的に言えば、私たちはみなこの昏睡(コーマ)を経て死にいたるし、おそらく50年も生きていれば大半の人が愛する人がコーマに陥ってしまう状態に直面する。その時の苦悩のなにかにつながっている。
 昏睡者、それは死者ではない。生きているのだ。そしてその生きたその人を愛しているのだが、彼は彼女はもう私の愛に応えてはくれない。脳につながった計測器は脳死を示す。彼は彼女はあるいは私はコーマのなかで肉体に接続された機器なしには生命を存続させることはできない。
 これに対する現代社会の答えは一つある。脳死を定義し、コーマに陥る前に自死を表明しておくことだ。
 だがそれが答えになるのか。正直にコーマに直面したとき、私たちは答えられないことが多い。そうした心の弱みにつけいる悪書が本書であると言われたとき、どうしたらいいのだろうか。ミンデルはそこを理解していないわけではない。

 なぜ私は、本書を書くことに切迫感を感じているのだろうか? それは私が脳死に関する現在の医学的定義の拡大、つまり新たな倫理に向けて戦っているからだろうか? あるいは、私自身の永遠の自己を発見するために、臨死体験を研究する意味があるからだろうか?
 当初から私は、本書の執筆が私にとって必要であることを感じていた。第一稿を書き終え数カ月が過ぎ、本書を編集している段階においても、初めに私を執筆に向かわせたあの切迫感を感じている。

 答えは本書の中にある。ではお求めくださいと、アフィリエイトを誘うわけではない。簡単には答えがたい問題があるからだ。端的に言えば、本書のオリジナルタイトルが答えになる。"COMA: Key to Awakening"、つまり「昏睡、それは覚醒の鍵」ということ。昏睡とは人間存在の覚醒のプロセスだというのだ。ただ、それだけ言えば、すでに宗教の部類だろう。つまり、答えがたい問題に戻る。
 本書を扱ったエントリを書くに際して、アマゾンを見て不思議に思ったのだが、本書は絶版なのか古書のプレミアムがついており、定価より千円ほど高い。そこまで求められていた本なのか。また、邦訳書が宗教系の出版社ではないところから出されている点にも思うことは多い。千円ほど高いプレミアムで購入すべきかはよくわからないが、恐らく求められているのは、以上述べてきたような周辺的な知識ではなく、昏睡者との対話法というハウツーであろう。この点については、訳者前書きに配慮がある。

また家族や知人に実際に昏睡状態の人がいて、理論や臨床例よりもコーマワークの具体的な方法を今すぐしりたいという読者は、7章と8章をまず読むことをお勧めする。
 また一般の方ならびに援助専門家のためのコーマワークの実践的マニュアル本(現在翻訳中)が、本書の後にミンデルのパートナー、エイミー・ミンデルによって執筆されている。とても平易な英文で書かれているので必要なかたは是非活用していただきたい。

 その翻訳書が日本で出版されたかどうか、ざっとサーチしたところではわからない。英書は、”Coma, a Healing Journey: A Guide for Family, Friends and Helpers”(参照)である。
 
cover
Coma, a Healing Journey:
A Guide for Family, Friends and Helpers
 コーマのなかの人と対話できるとしよう。それはすべて、なんらかの覚醒の状態であるのかはわからない。そのなかで常に生きることが選択されているわけでもないことも興味深い。

 生き続けたいという欲求は誰もが抱くわけでもない。ロジャーのケースがそうだった。私はそれまで彼には一度も会ったことはなかった。彼は慢性的なアルコール依存症患者で、その時には脳幹にダメージを負っており、数週間にわたって持続的な植物状態に陥った。質問(サムに用いたのと似たような方法を用いての)に対する彼の答えは「ノー」だった。それがあきらかになるや医療スタッフは私たちのワークがまるでなかったように、ロジャーの親族の一人と相談して、数日以内にライフサポートシステムを取り外すことを決定した。この場合、医療システムサイドの思惑が、植物状態の患者と一致したわけである。

 私の率直な考えを言えば、コーマワークは偽医学であろうし、その応答は端からナンセンスだろうと思う。そしてこの対処の過程は、ありがちな普通の風景なのだろう。そしてこうミンデルが説明することに困惑を覚える。

 死の倫理とは、一人一人に自分自身で決定を下すチャンスを与えることである。臨死状態におけるドリームワークとボディ・ワークの向かうべき方向ははっきりしている。私たちは深い無意識状態から送られてくるシグナルを展開する技術を身につけるべきなのだ。そうすることで患者自身の手に人生の選択権を下す力を委ねることができるのである。

 私はミンデルに冷淡だろうか。そう言われても昏睡者にその選択権の能力があるとは思えない。そこで、この問題はまた平行線をたどり元にもどる。つまり、選択権は昏睡前に表示するしかないだろうと。
 だが割り切れないものは残る。私たちもまた一人一人昏睡を経て死に至る。そのことを体験できない。昏睡のなかで意識はないとされているが、意識とはおよそ「私」の意識であり、計測器の電光ではない。電光を見つめているのは私ではなく、私の殺傷権を委託されされたとする誰かだ。
 私は完全にミンデルに否定的なのではない。ミンデルの前提が受け入れられないとは思うが次の提言に、私たちの生存のなんらかの謎が関係していることは感受できる。

 変性意識状態に光りをあて、それにもっと自覚的になることで、現実に対する私たちの文化的信念の基盤は変わっていくように思われる。人生はもっと楽しいものになり、死は以前ほど問題ではなくなるのではないだろうか。
 植物状態は、自己探求へと向かう私たちの衝動を促進させようともくろむ非常に特殊な夢なのである。私たちの内側で息をひそめていた、この生の最大級のブラックホールにおいて、全生命が完了と目覚めを求めている。この観点からすると人生は自らを理解するための探求であり、私たちの能力の普遍化と全体化を目指すものである。

 私にはわからない。だが50年も生きて、すでに人生の大半を消費した私ですら、人生の意味了解が自分に根付き、どこかしら死につながっていると了解せざるを得なくはなっている。それをプロセスと呼ぶのなら、基本的なところで私はミンデルとプロセスを共有している。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008.02.03

[書評]身体症状に<宇宙の声>を聴く(アーノルド・ミンデル)

 本書を読んでいる姿を人に見られ「何を読んでいるの?」と聞かれ、手渡したところ表題を見て顔をしかめられた。内容を理解しようとしていて、うかつにも表題のことなど念頭になかったので、ふと表題を思い出してから、あたふたした。「いやそのそういう表題の本というわけじゃないんだけど……」とつい弁解が先に立ったが、私に向けられた疑念の表情は消えなかった。やっぱりこいつトンデモじゃん……ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者の諸賢にそう思われてもしかたないものばかり読んでいる。

cover
身体症状に「宇宙の声」を聴く
癒しのプロセスワーク
 表題だけじゃない。帯もこうだ。「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照

“心ある道”を生きるための心理学。
私たちは複数の次元、パラレルワールドに同時に存在しており、病は、叡知に満ちた普遍的次元からのメッセージを知る手がかりとなる。量子論、シャーマニズム、東洋思想の考え方を援用しつつ、深々とした生のリアリティを取り戻す具体的方法を紹介。

 いやはや。これって著者はチョプラじゃねーの、みたいな感じがする。が、アーノルド・ミンデルであり、刊行は04年。日本では06年のもので邦文で読めるミンデルものとしては最新刊になる。これまでのミンデル思想の集大成になっているのだが、そういう背景を知らなければ、救いようのないトンデモ本と見られてもしかたがない。
 オリジナルタイトルは”The Quantum Mind and Healing: How to Listen and Respond to Your Body's Symptoms”で、べたに訳すと、「量子精神と癒し。身体症状の聞き方と対応の仕方」となる。オリジンルタイトルもけっこうドンビキではあるな。
 どのような本なのか。アマゾンに出版社紹介があるので、ドンビキついでに引用してみよう。

◎“心ある道”を生きるための心理学
“プロセス指向心理学”の創始者、ミンデル博士の最新作である本書は、量子論、生化学、東洋思想、シャーマニズムなどの考え方を援用しながら、身体症状についての新たな視点、新たな医療パラダイムの可能性を提示する。著者によれば、痛みや熱などの身体症状、あるいはちょっとした違和感などは、叡知に満ちた根源的次元からのメッセージを知る重要な手がかりであり、繊細な「気づき」の能力を培うことで、そうしたメッセージを癒しの力として、また、人生を新たな方向へ展開してくれる強力なガイドとして活かすことができるという。「気づき」の力が老化プロセスや遺伝子に影響を与える可能性についても論及されている。本文内のコラムでは、最先端の科学的知見がわかりやすく解説され、プロセスワークを体験するためのエクササイズも豊富に盛り込まれている。医療関係者、セラピスト、ヘルパー、ファシリテーター、そして何よりも身体症状に苦しむ人たちに有益なアドバイスを与え、新たな世界観を提供する、刺激に満ちた一書と言えよう。

 この紹介は間違いか? よく読み直してみたが、間違いではない。むしろよくまとまっているとも言える。では、やっぱりこの本はトンデモ本とか偽科学の類なのだろうか。
 偽科学というキーワードがつい出てしまうのは、病といった医学分野に生化学が出てくるのはわかるとして、なぜ量子論、東洋思想、シャーマニズムが出てくるのか。そのあたりで日本的な常識人なら放り投げてしまうだろう。あるいは、東洋思想とシャーマニズムというなら、よくあるありげなおばかな本なのだが、ここに量子論が登場してくるとたんに、トンデモ度がアップしてくる。
 実際、本書を読んでみると、いやめくってみてもわかるが、量子力学の話がけっこう出てくる。チョプラの書きそうおバカ本の比ではない。量子力学の不思議な特性をダシにしたよくあるイカレポンチの本なのだろうか。が、ここでちょっとミンデルの経歴を引用しよう。

ミンデル,アーノルド[ミンデル,アーノルド][Mindell,Arnold]
1940年生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了(理論物理学)、ユニオン大学大学院Ph.D(臨床心理学)。ユング派分析家、プロセスワークの創始者

 ごらんのとおり、Ph.Dの分野は別として、MITの理論物理のMSはガチですよ。量子力学の基本的な理解にベタなボケがあろうはずはない。
 では、あれか脳機能学者で紅白歌合戦の審査員でもある茂木健一郎訳の「ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて」(参照)といった趣向なのだろうか。そこが実に微妙だ。ミンデルはペンローズほどマジじゃない。では、シャレなのか。
 それ以前にMITのMSとかいっても現状はただのボケということはないのか。つまり、量子力学の理解にトンデモが含まれていないのか。まずはそのあたりがこの本、というかミンデル理解のかなりキモになるだろう。少し強い言い方になるのだが、ミンデルの信奉者たちもけっこうそのあたりに誤解があるようだし、さらに先回りした言い方をすればミンデル自身がそうした誤解をある程度意図的に提出しているきらいがある。
 結局どうなのか。私が知る量子力学の知識で見るかぎりだが、本書では、一点を除いて、ミンデルの量子力学理解に間違いはなかった。
 では、正確な量子力学の知識がなぜ、シャーマニズムと結びついてしまうのか。これは、ミンデルがユング派に属していることを考えれば、ある程度想定外のことではない。ユングと、パウリ効果でノーベル賞を受賞したヴォルフガング・パウリによる「自然現象と心の構造 非因果的連関の原理」(参照)にその根がある、といった冗談の文章に笑えるようでないと、なかなかこの分野のまともな知性を投入するのはいかがなものかという感じだが、その懸念どおり、「シンクロニシティ」(参照)ではユング・パウリからデイビッド・ボームの量子力学への延長がある。どうでもいいけど、この本、サンマーク文庫だよ。もう朝日出版じゃないのな。
 ミンデルの本書における量子力学理解で、一点問題になるのは、そうしたユング・パウリ的な展開のいかがわしさではなく、いやその部分こそ重要なのだが、前提としてどうにも受け付けがたいのは、古典的なコペンハーゲン的解釈と、エヴェレットの多世界解釈にさらにデイヴィッド・ボームのパイロット波論、さらにノイマン的な意識論が、ごちゃごちゃに、いいからかんにおじやになっているというか、それぞれの具の味わいはあるのだが、量子論としては、いったいなんだかさっぱりわからないものになっている点だ。
 量子論のある種の不可思議さに対する諸論は、単純に多世界論だけ取り出しても通約不能になっているというか、基本的にはコペンハーゲン的解釈に緩やかに集約されるはずだ。くどいが、ミンデルはそうしない。諸論の面白げなところをパッチワークにしている。とくに、デイヴィッド・ボームのパイロット波論が重視されているのが、そのモデルが光速を越える実体を想定しなければならない難点というか、つまりはベル定理と同質じゃないかこのボンクラぁには目を向けてない。意図的なのか、同値だからか。
 なぜこんなことになってしまったのだろうか? 答えはあっけないほど簡単なのだ。ミンデルは人間の意識、というか無意識の比喩として量子力学的実在を挙げているだけなのだ。くどいが、私はよくよくミンデルの説明を読んだが微妙なところで、量子力学的実在は無意識の比喩とされていて、同値はされていない。無意識は、実在のように不可分であるという比喩表現なのだ。そして、彼はこの無意識を、ちょっと大雑把な切り方になるが、「夢」と呼んでいる。そしてこの夢の表現が「病」だというのだ。
 とはいえ、実在に無意識が含まれうると考えだとすればついその比喩的な特性が無意識にあるかのように誤解されるのはしかたがないだろう。
 再び問おう。なぜこんなことになってしまったのだろうか?
 無意識が不可分な実体であるということをミンデルは説きたいためだ。
 無意識が不可分な実体であるというのは、ある意味で不可解極まる考え方で、ようするに、私たちが意識しているこの意識は私にバインドされ局在されているが、無意識は私を越えてすべて全一の実在なのだということなのだ。
 それって宗教?
 いや、ここでやはりユングを問い直すと、まさにそれこそがユングが問うたことと言えるのだろうし、ミンデルはまさにユングのある意味で直系とも言えるのかもしれない。ただ、一般に理解されている元形論的なユングとは異なるだろうが。
 ミンデルの考えには、先行して無意識が不可分な実体であるという前提があり、その説明が量子力学を頓珍漢に引き寄せているとみてよいだろうと思う。
 いったい、このヘンテコな無意識不可分仮説にどのような意味があるのだろうか。明らかにそれは科学ではない。量子力学を持ち出すのは悪趣味だと言ってもよい。だがこの仮説の意味は、ユングがそうであったように、私たちの生存や人生の意味に関わってくる。存在を意味了解する(あるいは了解しつつ変容する、なんだかハイデガー臭いが)、というプロセス(生成)の基底に、この珍妙な仮説が眠っていることは、人生経験のある地点である種の経験的な理解として訪れやすい。
 ここにゲートがあるのだ。
 ユング・ミンデルのこの奇妙な前提というゲートの向こうには、人生の意味を変える魔法のようなものが薄ら見えるというだけでなく、私たちの実人生の死へのプロセスの過程においてその向う側の先駆的な了解を信じている事実性がある。およそ人生を50年も生きたなら、我々は自分の人生にある種の意味判断を持たざるをえない。
 ところで今アマゾンを見直したら、さらにミンデルの新刊が出ていた。ちょっと溜息をつくなあ。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

« 2008年1月27日 - 2008年2月2日 | トップページ | 2008年2月10日 - 2008年2月16日 »