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2008.12.27

グリューワイン

 寒くなるとグリューワインを飲む。ホットワインのことだ。作り方は簡単で、ただワインをミルクパンで温めればよい。温度は好みだが、沸騰させないようにする。電子レンジで温めてもよい。ホットミルクを作る要領だ。
 砂糖を入れて甘くすると飲みやすい。蜂蜜でもよい。飲むときにレモンのスライスを浮かべてもいいし、紅茶用のシナモンスティックを入れてもよい。ドライフルーツを入れてもいいんじゃないか、飲みづらそうだけど。
 普通スパイスを入れることが多い。シナモンだけでもいいし、クローブを少し入れると引き締まる、というか、クローブの香りはクリスマスティーっぽくてこの季節を感じさせる。
 ティーパックタイプで専用のスパイスも販売されているし、チャイ用のスパイスを入れてもかまわない。黒胡椒を入れてもいい、まあお好きなら。そういえば、最近はやらなくなったけど、セージのドライを少し入れたこともあった。
 グリューワインを作るための材料のワインは普通のワインでいいし、飲み残しのワインでかまわない。普通は赤ワインを使う。すでにグリューワインとして販売されているのもある。私は最近はそういうタイプの買ってきて、温めて飲むことも多い。軽くていい感じだ。ドイツからの輸入なので1リットルとなっているのが、なんか律儀な感じがする。ワイン棚を覗くと、Bacchusfeuerというのがある。アルコールは9.5%のようだ。つまり、軽い。

 白のグリューワインもある。というか棚に入っている。Sternthaler Apfel-Zimtと書いてある。りんご果汁にシナモンで香り付けというのだが、たしかにりんごっぽい酸味があって美味しい。これは温めなくてもそれなりいける。こちらは作ったことはない。りんごジュースと白ワインを混ぜてシナモンでも入れるとできるのだろうか。
 そういえば夏場、冷やしたサングリアとコーラを割って飲むことがあるが、これも温めて飲んでもよいのではないかな。以前コーラの歴史を調べたことがあって、その過程でコーラを温めて飲むことがあるというのを知った。やってみたけど、酸味がきつくなる。もちろん、炭酸は抜ける。
 話がだんだんグリューワインからそれてくるが、そういえば以前自分の父親くらいの世代の女性で米人と結婚した人と話していて、風邪をひいたらコーラにピーナッツを入れて飲むといいのよと教えてくれた。なんのこっちゃと思ったが、その後、そういうものがこの世に存在することを知った。ググってみると、”The Minorcan Factor: Coke n Peanuts”(参照)という記事があった。そう有名なものでもないのか。なんか喉につまりそうで、日本だと、危険な飲み物だな、こりゃ。

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2008.12.25

[書評]イーゲル号航海記 2 針路東、砂漠をこえろ!(斉藤洋)

 「イーゲル号航海記 2 針路東、砂漠をこえろ!(斉藤洋)」(参照)を読んだ。この本について何か書くべきなのか別に書かなくてもいいのか、とても迷った。その迷いみたいのを書いてみたい気がした。

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イーゲル号航海記〈2〉
針路東、砂漠をこえろ!
 話は「極東ブログ: [書評]イーゲル号航海記 1 魚人の神官(斉藤洋)」(参照)に続くものので、半年前くらいには2巻目も執筆が終わっていたようだった。出版されるまで意外と時間がかかったように思えるのはコジマケンのすばらしいイラストに手間取っていたのか、作品の直しがあったのか、それとも出版の不況とかの要因もあったのだろうかと思った。もちろん、よくわからない。もともと斉藤洋の本が出るのは遅いことがあります、というだけかもしれない。
 1作目を読んだとき、これは大きな物語の助走的な作品かなと思った。2作目からは大きなしかけが入るようになるのではないかと期待した。で、どうだったか。そこがまず微妙なところだった。
 全体としては、今回の話は今回の話としてクローズしていて、その点では1作目と2作目とはフラットに別のテーマでしたとも言える。ただ、それを越えて、主人公のカール・キリシマ・キルシュの、日本人である父が男爵であることや、きな臭い政治的な役割もっていたこと、ローゼンベルク博士の技術には戦争応用への危険性があることなど、シリーズを貫く大きな物語もきちんと描き込まれている。このままシリーズが続けば当然、ナチスの時代がやってくるし、その中でドイツが進めていた原子力爆弾などの話も関わってくるだろう。潜水艦イーゲル号が探索する謎の水域もその大きな物語とも関係するのかもしれない。その歴史の背景を通して、このシリーズは何を訴えようとしているのだろうかということにも私は関心がある。
 個別の物語としては、前作がポストモダン的でポストコロニアル的な展開だったの対して、今回はエコロジーがテーマになっているとも言える。しかし、面白いのは、現代の地球のエコロジーとはまったく異なる生態のエコロジーが問われるところだ。その点ではSFといってもいいくらいで、そういう生物は地球にはないという生物のエコロジーが問われる。人間主義に毒されないエコロジーの根幹的な思考が問われるようでもある。
 読みながら、一種の謎解きをしていくのだが、なんというのだろうか、想定したこともない生物のエコロジーを考えるというのは脳に奇妙な快感というか不思議な感じがする。それは普通にSFの面白さともいえるのだろうが、SFの多くがおそらくは現実の隠喩的であるのに対して、この作品はそうとも言い切れない。
 前作もそうだったし今回もそうだったのだが、物語でありながら、一種の反物語になっている。しかもそうでありながらこれは児童文学だ。子どもたちがこれを面白いと思って読むのだろうか。もちろん、面白く読めるように最大限の工夫はされているし、文体も美しい。それにしても、物語というもの自体を裏切るような想像力の動かし方を強いる子ども向けの物語というのはなんなのだろうか。アマゾンにある出版社側の紹介は。

天才科学者ローゼンベルク博士のつくった最新式の小型潜水艇“イーゲル号”。小学生のぼくは、その乗組員としてふたたび異世界への冒険に出る。なぞの大渦にまきこまれ、たどりついたさきは無人の砂漠のように見えたが―。予測不能の展開にますます目がはなせない、海洋アドベンチャー・第2弾!小学校高学年から。

 たしかに「予測不能の展開」という感じはする。
 面白さの工夫は文体やディテールのシカケにもある。イーゲル号や今回登場するムッシェル号もメカ的に面白い。また個別のシーンでの感性の描写は前回同様きめこまやかだ。キャラクターも生き生きしている。ドイツを場所に設定しながら、日本語の戯れのような話もあり、その点では日本語というコンテキストをハズしているものでもない。
 対象は小学校高学年からということで、実際にそのくらいの年代から読めるだろうが、これを読む子どもというのが私にはうまく想像できない。私からすると反物語をそのまま物語として受容する読書の心というのはかなり高度な知性だろうと思うが、それが子どもに可能なのだろうか。それはもしかして、日本の子どもだけに可能なのかもしれないとも少し思った。
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イーゲル号航海記〈1〉
魚人の神官
 読むのであれば、まだ2巻目までしか出ていないこともあり、1巻目から読むことをお勧めしたい。単純にエンタイメント的ではないが、不思議に面白い。

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2008.12.24

finalvent's Christmas Story 3

 アドベントが近づく頃、この一年で自分が随分年を取ってしまった気がした。だから今年はKFFサンタクロース協会の依頼があってもお断りしようと決めていた。それを察してか、昨年は秋の内に連絡があったマリーからも今年は音沙汰がなかった。それはそれで少しさみしい気もしたし、自分がなにか間違っているような気もしていた。
 12月に入ってからマリーから手書きの手紙が届いた。この子にプレゼントを渡してくれるかしらと書かれていた。プレゼントの中身はこの子の手紙に書いてあります、とも。手紙のなかには、開封されたもう一通の手紙があり、「サンタクロース様、よく切れるナイフをください、リックより」と書かれていた。よく切れるナイフとはなんだろうと疑問に思った。マリーにはどう答えてよいかわからなかったが、無理に返信しなくてもいいです、でもそのときは、このプレゼントの話もキャンセルにします、と但し書きがあった。
 私は数日ぼんやりとそのことを考えていた。そして、アフリカで援助の仕事をしてたころ、ナイフでよく木を削ったり、簡単な料理を作ったことを思い出した。ナイフは便利なものだ。少年たちがそれを欲しがったことも思い出した。リックはそうしたアフリカの子どもたちとは違う。富裕な階層の子どもだ。14歳にもなるらしい。自分でナイフを買うこともできる、しかし、とそこまで考えて、マリーに電話をした。時間帯からしてその場で話ができるとは思わなかったが、すぐにつないでくれた。今年もやります、と答えた。マリーは、プレゼント用のナイフはすでに用意してありますと答えた。私の心の動きを見抜いてたということだ。
 ケネディ・エアポートで私を待っていたのはドニという黒人の青年だった。今年のプレゼントは手渡しできるほどのものなので、サポート・スタッフも一人で十分だ。ガボンの出身で現在ニューヨークの大学で遺伝子工学を勉強しているという。二人でタクシーに2時間ほど乗りながら彼の故郷のことやニューヨーク生活の話も聞いた。そしてふと、私にはこの子くらいの息子がいたかもしれないと思い出した。正確な年齢は知らない。50代半ばの失恋。別れた女性に子どもが生まれたという話を人づてで聞いた。私の子どもではないかもしれないのだが、煩悶した日々があった。マリーにきけば探してくれるかもしれないとも思ったが、組織を私的な目的のために使うべきではないだろう。タクシーが住宅地に入るころふと窓越しに夜空を見て、ほどなく私は死ぬだろう、私は私の罪をこの世に残していくのだろうと悲しい気持ちになった。
 リックの家のゲートにつき、形ばかりのサンタクロースの支度をした。開いたゲートの向こうから、父と思われる、映画スターのように立派な紳士が、ようこそサンタクロースさん、と迎えてくれた。ドニはタクシーの中で待つ手はずだったが、紳士の勘違いで一緒に家に通された。アフリカ生まれのトナカイさんは寒いのが苦手ですから、とドニは笑って付き添った。
 リックの部屋は開いていて、ソファでなごやかそうな顔をして私たちを待っていた。トナカイさんも一緒だけどいいかな、ときくと、ええ、かまいませんよ、と答えた。少年なのに上品な響きのする声だった。
 私はハッピーホリデーズと言って、ナイフの入った小箱を渡した。リックは箱からナイフを取り出した。スイス・アーミー・ナイフ。赤い外装でスイスの国旗のマークが入っている。ナイフのほかに栓抜きや鋏や鑢も畳み込まれている。私もアフリカ暮らしで使っていた。この子が使い方を問うなら、ドライバーで助かったことがあった話をしてあげよう。
 だが、リックはぼんやりとつまらなそうな表情をしていた。ドニがそのことを察して私に目配せした。しばらく間を取って「あまり、お気にめさなかったかな」ときいてみた。
 「そうでもないのです」
 「なぜ、よく切れるナイフが欲しかったか、きいてもいいかな」
 「父を殺すため」とリックはさらっと言ってのけた。まるで、食事のとき、そこの塩を取ってくださいとでも言うような感じだった。
 私はなぜかその答えに驚かなかった。そのくらいの仔細はあるだろうと思っていた。ドニも驚くふうもなく微笑んでいた。私たちはリックの次の言葉を待った。
 「実際にナイフを手にしてみると、これで父を刺すことは想像しにくいものですね」とリックは言った。
 「そういう用途に作られたナイフではないからね、がっかりさせたかな」私はきいてみた。なぜ父を殺そうと思ったのかとはきかなかった。ドニに振り向くと相変わらず微笑んでそんなことは考えてもいないようだったが、私の視線が発話を促すように思えたのか、ドニが一言言った。
 「手術(surgery)には使えますよ」
 リックは不思議そうにドニを見て、「あなたにはできるんですか」ときいた。ドニは「いえ、でも使っているのは見ていました」と答えて黙った。
 リックはドニがそこにいるのが不思議そうな目をしながら、なにか考えているようだった。
 ドニは私をちらっと見た、もう一言言いたいふうだった。私は頷いた。
 「ほかにも便利ですよ」とドニは言った。リックはその言葉がナイフのどの部分に対応するのか、ナイフを手でいじっていた。ドニは「でもまだ使えません」と言った。
 「まだ使えない? ぼくが子どもだから?」
 「子どもはワインを飲んではだめだから」ドニはそういって、ナイフのワインオープナーを手にワインの栓を抜きグラスに注ぐふりをした。そして私に向けて見えないグラスで乾杯の仕草をした。私も乾杯のまねごとをした。
 「僕に乾杯してくれるのはあと7年後ですか」とリックは笑い、「そうだ」と声を大きくした、「本当に僕に乾杯してください、トナカイさん、サンタクロースさん」
 ドニは「いいですよ」とためらいもなく言った。「でもそのとき、僕はガボンに帰国しているかもしれません」
 「ワインとこのナイフをもってアフリカに行きます。サンタクロースさんも招待します、絶対です」リックは言った。
 私たち二人はリックの家を出てタクシーに戻った。ドニはホテルまで付き添って、「お仕事、ありがとうございました」と言った。
 私は、あの約束は本当なのか、ときくことはなかった。彼らは約束を守るだろう。私が約束を守るためには、あと7年生きていなくてはならない。

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2008.12.23

クリスマスケーキ、クリスマスプディング、シュトレン

 私は昭和32年に生まれた。戦争が終わって12年後。日本(というかナイチだけだが)の独立は昭和27年だから、その5年後ということになる。「もはや戦後ではない」のが昭和31年だから、本当に戦争を知らない子どもたちさ♪として育ったことになるのだが、身近の風景には戦争の記憶が滲んでいた。米軍の文化がそれを彩っていた。ランドリーゲート♪的な。
 私の父母は米国的な文化に憧れた世代でもあるし、軽井沢生まれの父とその母、つまり私の祖母は外人の多い避暑地でハイカラさんよろしく自転車を乗り回して話題でもあったらしい。美人だったのかもしれない。ドイツ人病院で看護婦ではないのだろうが手伝いの仕事をしたことがあると聞いた。私が子どものころ、食事で牛乳とバターはしっかりとりなさい、と諭されたことがある。
 私が生まれて一歳のクリスマスか、ゼロ歳だったか、あるいは二、三歳だったか父はホールのクリスマスケーキを買ってきたらしい。いずれ私は赤ん坊でそんなものが食えるわけはなく、父母もこりごりしたようだが、その後も子どもの頃には毎年クリスマスツリーはあったしクリスマスケーキもあった。ツリーはちゃんと庭に専用の樅の木を植えていた。植木鉢は父が木造で作ったものだった。白くペンキで塗ってあった。

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イギリスは愉快だ
 私が子どものころ食べたケーキのクリームは、バタークリームだったと思う。重くてべっとりという感じだった。美味しかったかというと子ども心には美味しかったはずだが、少年期・青年期になってからバタークリームの洋菓子を好んだことはない。私は甘党ではないからなと言うと、私を知る人は苦笑するだろうけど。
 クリスマスケーキというものが、そういうものではないと知ったのは、青年になって欧米の文化を間近で知るようになってからだ。まあ、いろいろあるにはあるのだが、ほぉ、これがクリスマスケーキってやつですかというのを知るようになった。してそれはどんなものか。
 リンボウ先生の『イギリスは愉快だ (文春文庫:林望)』(参照)の「甘いクリスマス辛いクリスマス」に説明がある。先生は、クリスマスディナーを食べ、クリスマスプディングを食べ、ミンツパイを食べ、スコットランドのクリスマス菓子という大きなビスケットを食べ、そして。

 で、その次が、ハッハ、クリスマスケーキなのである! イギリスではクリスマスケーキとクリスマスプディングは全然別物で、並びに賞味するのが本当であるらしい。
 このクリスマスケーキというものは、これまた容赦なく甘いフルーツケーキの回りをホワイトマージパン(marzipan)というものですっかりくるみ、その上に雪に見立てた真っ白な粉砂糖が存分に振りかけてあるいう姿のものである。そして、そのホワイトマージパンというものは、白砂糖とアーモンドの粉を水飴のようなシロップでネットネトにこね上げたもので、ちょっと見ると求肥かなにかのように見える。そうして事実これは餅のように薄く延ばして、それを飾り下地並びに香り付けとしてケーキの回りに貼り付けるというものにほかならぬ。どうです、読んでるだけで胸がヒリヒリ焼けてくるでしょう。

 とま、アイシングに恐れをなしているのだが、当然だけど。
 『イギリス菓子のクラシックレシピから(長谷川恭子)』(参照)ではそこを省いたシンプルなレシピが掲載されているのだが、その由来が面白い。

 歴史的にみると「ウェディングケーキ」の名前がふさわしいフルーツケーキである。(中略)
 中世の頃、この手のフルーツケーキは特別の宴会のために焼くのが習慣だった。それは結婚式のパーティにも焼かれていてブライドケーキbridecakeとも呼ばれていた。また17世紀には、ドライフルーツが大量に入れられていたためかプラムケーキplum cakeとも称された。プラムplumは当時、ドライフルーツ全体を指す言葉だった。(中略)
 さて、この種のフルーツケーキがなぜクリスマスケーキとして紹介されるようになったのかは不明である。

 祝い事のケーキだっらしく、クリスマスケーキという名前が定着するのは1850年ごろらしい。
 ところで、クリスマスケーキとクリスマスプディングというのはまた別ものである。クリスマスプディングがどんなものかはリンボウ先生の先のエッセイに書かれているのだが、まあ、すごい代物。牛脂のスエットをたっぷり使う。
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イギリス菓子の
クラシックレシピから
長谷川恭子
 『イギリス菓子のクラシックレシピから(長谷川恭子)』にはこちらの解説もあって、読むと、へぇと思ったのだが歴史的にはジルーgiroutという肉のシチューから変形したものらしい。現在のクリスマスプディングにまとまるのは19世紀らしい。ノルマンジー公ウイリアムスくらいの歴史はありそうだが、現在の形状でケーキとセットになったのは、この200年くらいのことだろうか。砂糖が手軽に使えるというコモンウエルス的な歴史も関係しているらしい。
 ところで、私はクリスマスプディングは食べない。クリスマスケーキは、日本人らしくイブに食べるが普通のスポンジケーキベース。代わりというか、アドベント以降はシュトレンを食べる(参照)。ドレスデン起源のお菓子らしい。
 「ブランデーなどに浸けておいたドライフルーツを、たっぷりのバターと一緒に練りこんで焼いた長細いパンである。普通のパンと違ってかなり重くて日持ちがする。パンというよりはお菓子、ケーキとして食べられる。自宅で作るほか、クリスマス・マーケットで買う事も多い」とあるが、馴染みのパン屋さんにアドベントになると登場する。今年は明日がイブだというのに、食べ切っていない。どっしりしすぎてそう食べられるものでもないからね。

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2008.12.21

じゅーしーめーとかぼちゃ

 冬至である。というわけで、神殿にのぼりシリウスを拝む、ということは別段しない。何をするかというと、じゅーしーめーを炊いて、南瓜を煮て食う。あ、ついでにビール。


 何故、じゅーしーめー。っていうか、じゅーしーめーは、あれだ、オレンジをたっぷり絞ってジューシーに……違う。ナイチの言葉で書くと「雑炊飯」。ぞうすいめし、が、うちなーふうになって、じゅーしーめー、だろう。たぶん、きっと。
 ただし、雑炊というのとはちがって、べっちょべっちょしてない、でもないか、ぼろぼろじゅーしーというのがある。炊き込みご飯みたいのがくふぁじゅーしー。
 作り方は簡単だ。オキハムのじゅーしいの素を買ってきて炊き込めばいい。ってか、ネットをみたらAbsolutely quattro! blog”じゅーしい”(参照)に掲載されている。そんな感じ。もうちょっと手を入れたいなら、茹でた三枚肉と分葱を刻んでまぜると、ぐー。韮刻んでもあり。うちなーんちゅによっては、刻んだチューリップをまぜる人もいる。これは、ごめんね、苦手。
 翌朝はこれに汁をかけて食う。この手の汁かけご飯をなぜか、りゅうきゅう、と九州あたりでいうのではなかったか。
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シリウスの都
飛鳥
 で、何故、じゅーしーめー。理由がよくわからん。宗書に「冬至の朝賀享祀は、みな元日のごとし、また赤豆かゆを作る」とあるらしい。また、荊楚歳時記に「冬至の日、赤線をもって日の影をはかる。共工氏の子、冬至に死にて疫鬼となり、赤を恐る。故に赤豆かゆを作り、もって疫を払う」とのこと。ともに「沖縄の年中行事(比嘉朝進)」より。
 ということだが、赤豆というのはナイチでも地方によってはそうらしい。とはいえディアスポラの信州人である私は、冬至赤豆の文化は知らない。代わりに、かぼちゃを食わされた。
 懐かしく思うのだが、縁側の脇に冬至を待って干されているかぼちゃがあったものだった。冬至になると食わされた。これが旨くないのだ。干して水気を抜くとそれなりにでもあるのだが、昔のかぼちゃって旨くなかったなと思う。いつからかぼちゃが旨くなったんだろう、というか、今出回っている、今晩も食ったあれは、本当にかぼちゃなのだろうか。
 冬至にかぼちゃを食う地方は多い。何故かぼちゃ? 吉野裕子がなんか書いていそうなのだが、ちょっとわからなかった。ネットを見ると、”冬至と南瓜”(参照)に。

冬至は「一陽来復」の日。
 陽の気の兆しがようやく見え始めた冬至の日に、

  南方(陽の方向)から渡来した野菜 (名前なんかずばり「南瓜」)
  夏(陽の季節)の野菜
  赤(陽の色)味がかった色の野菜

 である南瓜は、「陽の気を助長する最高の呪物」と考えられたのでは無いかと言うものです。
 これは、日本の風習を陰陽五行思想の観点から研究した吉野裕子さんの説。


 とある。どの本だろう?
 ただ、これ、さっきの荊楚歳時記の「共工氏の子、冬至に死にて疫鬼となり、赤を恐る」ではないかな。つまり、昔の南瓜って、赤かったんじゃないか。どうなんだろ。
 そういえば、こんにゃくも食わされた。体のなかを掃除するのだと昔聞いた。「冬至、 こんにゃく煤払い」だったか。そんだけの理由だろうか。
 よくわからないが、まあ、じゅーしー食って、かぼちゃ食って、ビール飲んで、まあ、それでいいやっと。

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