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2008.12.20

慌てろ これは日銀孔明の罠だ

 なるほどね。そうだったのか。「極東ブログ: [書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)」(参照)で日銀金融政策決定会合について「それなりの結果は出てくるだろう。たぶん、0.25%じゃなくて0.2%下げみたいな愉快なオマケもつくだろうけど」と書いたものの、どのあたりが愉快なオマケかなと。0.1%のしょぼさなんだろうなとは思った。
 ロイター”無担保コール翌日物金利誘導目標を0.1%に引き下げ=日銀金融政策決定会合”(参照)より。


日銀は18、19日に金融政策決定会合を開き、政策金利である無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.2%ポイント引き下げ、0.1%前後で推移するよう促すことを決めた。賛成は7人、反対は1人で、反対は野田忠男審議委員だった。

 庶民にしてみると、金利差で0%と0.1%ではあまり意味ないしね、苦笑と思っていたのだが、こ、これが孔明の罠か。韓リフ先生”事前シナリオ通りか?―日本銀行の0.2%利下げ”(参照)より。

 なぜならば高橋洋一さんの『この金融政策が日本を救う』の中にも記述がありますように、この0.1%というのは日本銀行の「罠」といえるものです。なぜならこれではまだ超過準備に付利をつけるという例の手法が生きています。

 え!
 と、「この金融政策が日本を救う」(参照)を読み返すと、エピローグに、日銀がたまにする金融緩和についてこうある。まずリークが問題になるというのだが、それはそうとして。

 このとき、日銀が超過準備に金利を付けるという話もリークされました。超過準備とは、金融機関が、法律により日銀に預け入れなければならない最低金額(「法的準備預金額」あるいは「所要準備額」といいます)を越えて日銀に預け入れている準備金額のことです。
 これは、まさに日銀の罠です。これによって、見かけ上ハイパワードマネー(ベースマネー)は増えますが、金利がつくため、銀行から日銀の積み上げが増すばかりで、かえって世の中にお金が出回らなくなります。
 また、超過準備に金利をつけると、それが下限金利になってゼロ金利政策ができなくなります。それが日銀の狙いですし、市場では、日銀はもう金融緩和をしないというメッセージとして受け取られます。当然、円高に拍車がかかります。
 いずれにしても、超過準備に金利をつけることを、日本のような金利水準下で行えば、マイナスのメッセージになってしまいます。
 これは由々しき事態ではないでしょうか。

 なるほど、そうだったのか。0.1%だからたいしたことないやと思っていたが、そこが孔明の罠、と。
 ついで。

 情けないのはメディアです。協調利下げに加わらなかったことも、利下げ幅が〇・二%だったことも、超過準備に金利をつけることも、メディアでは批判の対象になっていません。

 先の引用の「市場では、日銀はもう金融緩和をしないというメッセージとして受け取られます」とも関連して、今朝の朝日新聞社説”日銀も利下げ―資金が回るよう全力で”(参照)を読んで、なんか変な感じはした。

 日銀はこれ以上金利を下げると短期金融市場の機能を低下させ逆効果だとして、慎重だった。それが、いきなりゼロ金利にせず、0.1%ながらプラスを維持した理由だろう。今後は、企業が資金を調達する金融市場へのテコ入れ策がますます重要になる。
 そこで日銀は、企業が短期の資金繰りのために発行するコマーシャルペーパー(CP)を買い入れることにも時限的に踏み切った。企業金融にかかわるCP以外の金融商品へも対象を広げる構えだ。プラス金利を維持したまま量的緩和政策に踏み出した、ともいえる。

 「プラス金利を維持したまま量的緩和政策に踏み出した、ともいえる」というのが、まさに、なんて、効果的なメッセージなんだろ。泣ける。

 日本と米国の中央銀行はともに、考えられる政策を総動員する方向へ踏み出した。当座の危機をしのぐために避けられない選択といえる。

 というあたりに、総動員は終わった感が滲む。
 同じ話だけど毎日新聞社説”日銀利下げ 大不況回避へ官民で総力を”(参照)では。

 ただ日銀は、当面ゼロ金利にはしない姿勢である。短期金融市場が事実上崩壊するなど、過去のゼロ金利で弊害を経験したためだ。金融政策を維持するうえで最低限必要な条件を守ったといえる。

 ここは笑っていいところですよね。

 一方、日銀の政策金利は、10月末の利下げで年0・3%の低水準に下がっていたことから、さらに0・2%引き下げても、それほど大きな景気刺激効果は期待できないだろう。

 というか、それが結果になる出来レースなんだろうな。
 高橋の本に戻ると。

 メディアの多くは、日銀のいうことを鵜呑みにして、金融政策をやっても意味がないと思っています。プロローグで触れたように、政策の効果が出るまでにはタイムラグがあります。ちゃんと検証すればわかることなのに、金融政策との因果関係を考えようとしないのです。
 また、現在の低金利(一〇月末の利下げで〇・三%)では利下げの余地がないという説明についても、鵜呑みにして報道しています。

cover
この金融政策が
日本経済を救う
高橋洋一
 なんか溜息が出る。私は経済学に詳しくないが、高橋洋一の言うところが正しければ、今回の「量的緩和」では効果は出ない。出なければ、与謝野・白川失政も問われない。いい話だなぁ。

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2008.12.18

[書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)

 「この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)」(参照)という本が出ると聞き、アマゾンで予約しておいたらひょっこり届いた。カバー裏に「本書は、おそらく世界一簡単な金融政策の入門書です。数式を使わず、平易に、高校生でもわかるようにしました」とあり、確かに「簡単」というのもわからないではないのだが、高校生でこれは読めるだろうかな、名目金利や実質金利の話などは、例をあげて説明を割かないとわかりづらいのではないのかなとは思った。

cover
この金融政策が
日本経済を救う
高橋洋一
 内容的には、経済学的な面では「極東ブログ: [書評]霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」(高橋洋一)」(参照)で扱った新書とだいたい同じ、文春のほうが読みやすい感じはする。ようするにリフレ論です。
 が、今回の光文社のものは、リーマンショック以降の状況を扱っているのと、かなり露骨に与謝野・白川失政を突いているので、露骨に言うと政府や日銀にすり寄っておきたいマスコミ系にとってはけっこう踏み絵的な本になってしまった。ただ、結論から言えば、高橋の主張の流れにならざるをえないのではないか。昨日のヘリコプター・ベン全開で今朝の大手紙社説があたふたしている空気を読むと、今日明日の日銀金融政策決定会合でも、それなりの結果は出てくるだろう。たぶん、0.25%じゃなくて0.2%下げみたいな愉快なオマケもつくだろうけど。
 もうちょっというと、これで与謝野・白川失政が明らかになったという流れにはならないのではないかな、そこはなんとなくうやむやにマドル・スルーしてしまうような気がする。加えていうと、今回の本では、与謝野・白川失政についで民主党への攻撃もけっこうある。このあたりは民主党は反感を持つんじゃなくて、きちんと高橋の話を聞いたほうがよいと思うが。
 ブログで展開されるリフレの議論や、海外の動向、といってもFTやOECDくらいだがざっと見ている範囲では、高橋の経済学的な議論にはそれほど違和感はない。おそらくそのあたりのブログ経済論壇、ここに(笑)と付けるべきか悩むが、を雑見している層にはとりわけ新ネタはないだろう。しいていうと酒の入った雑談的なエピソードや「なかには円高こそ日本国の繁栄の道という本を書いているエコミストもいます。誰とはいいませんが……」というところで爆笑といった面白みはある。
 とはいえ、この本は一般的には違和感をもたれるのではないかなとは思った。率直にいうとリフレ論に違和感があるという土台の部分(これはヘリコプター・ベンがスチームローラー・ベンになって日本も金融政策もただしてしまうかもだけど)に加えて、現下の経済危機への、一般的な認識とのズレは大きいと思うからだ。たとえば、「日本経済の先行き不安の原因は、サブプライム問題ではありません」というあたりだ。もちろん、ここでいうサブプライム問題は比喩で、むしろリーマンショックとでも言うべきかもしれないが、そうした世界不況より、日本の金融政策の根幹に問題があるのだという主張の理解を促すことは難しいのではないか。個別に与謝野・白川失政としてはある程度理解されても、日銀とそれを支える伏魔殿の問題は見えてこない。ちょっと踏み出していうと、日本のある年代以上のマジョリティはこの伏魔殿のステークホルダーなのではないかなとも思う。昨今、非正規雇用者が問題になっているがこれらの利害は正規雇用者側と対立する部分もあるというのに似た構図だ。ああ、つまり、デフレメリットみたいなものは、団塊世代くらいから上の層に構造化されているんじゃないか、と。ちょっと言い過ぎたかな。
 高橋の指摘したい問題をもう少し広い視野でみると、米国の不況は4年くらいで終わると踏んでいるという前提もありそうだ。1年から2年くらいで改善が見えてしまうのではないか。というか、その時点で日本の宿痾がかなりなことになっていそうだという危機認識がありそうだ。二年後くらい私がまだブログやっていたら、現在を顧みて泣いちゃってもいいですかになっていないといいのだけど(ブログシーンにいなかったりして)。
 そういう構図は理解できるとしても、現在の日本の状況を、金融政策を第一義にするかなというのは、ちょっと私としてはぶれるところだ。経済音痴の私が言ってもしかたないが、問題は銀行や企業が保有している資産ではないかな。あまり言うとなんだけど、地銀とかかなり危ないのではないか。道路作っちゃえよ感はある。そのあたり、後の千金の事、じゃない部分の対応としては、もう少し複眼的に考えないといけないようにも思う。
 今回の高橋の本と限らないし、リフレ論者の大半に感じることだが「なんで日銀ってこんなにおバカ?」というのがある。そこが、正直に言うと私には、それほど納得できない。日銀がそれほどおバカなわけないのではないか。あるいは、なんらかの合理的な作動をしているのではないか、その合理性についての議論を知りたいと思うのだが、そこがわからない。「だからぁ、日銀に合理性なんてないんてば」と諭されそうだが、政治的に考えるとやはり利害の対立のダイナミズムはあると思うし、そのあたりの、構造的な政治権力については、高橋洋一は天才すぎて問題にしてないと思う。雑談だが、天才っていうのは、劣等感とか怨嗟でgdgdになっている人っていうのがさらりとしか見えないもんだったりする。
 その意味で、今回の本に出てくる「国際金融のトリレンマ」は逆に読むべきなんじゃないかと思った。つまり、「固定相場制」「独立した金融政策」「自由な資本移動」の3つのうち、2つしか実現できずどれかが犠牲になるという話だ。普通の国は、ここで固定相場制を犠牲にするのだが、日本は擬似的にそこを死守している。そして自由な資本移動もなぜか守りたい。だからして、独立した金融政策は国是としてダメダメってことなんじゃないのか。なんか愉快な法螺を書いてみたいだけど、だから、高橋がいくら金融政策を議論しても、無駄なんじゃないか。
 というか、「固定相場制」と「自由な資本移動」を死守したいというのは、結局ウォルフレンが言っていた新重商主義ということなのではないかな。まあ、言っていて自分がこの分野でもトンデモさんなっているようが気がしてくるが。ついでに、言い忘れ。円キャリー問題についても触れているが、高橋はそんなたいしたことはないよとのこと。このあたりの真相ってどうして根幹的にわからないのだろう。ああ、なんか陰謀論の誘惑。
 くらだないブログのエントリー話なんだけど、大学生とかこの本を読んでおくといいと思う。たぶん、みなさんの未来はここに描かれたものになっていくんじゃないかな。脅しじゃなくて、若い世代を団塊世代の資産による保護でなんとかできるという枠組みはそろそろ終わりなんじゃないかと思うので。

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2008.12.17

社会と鬱ということでなんとなく思うこと

 まだ見てないのだが今晩のクローズアップ現代のテーマは「非正社員に広がる“うつ”」(参照)らしい。このところ、なんとなく雇用と鬱のことを考えていたこともあり、なるほどそれって世の中の今の話題でもあるんだろうなと思った。クローズアップ現代の話はこういうことらしい。


世界的な景気悪化で大規模な「派遣切り」が相次ぐ中、派遣社員や契約社員など非正社員の間に「うつ」などの心の病が広がっている。「うつ」の治療には医師の診察に加えて、十分な休養が欠かせないが、非正社員の場合、解雇を恐れて休養を取れず、症状を悪化させるケースも多い。さらに仕事ができなくなった後のセーフティーネットも脆弱だ。正社員の多くは働けなくなっても「傷病手当金」を受け取ることができるが、職場を転々と変わることの多い非正社員の場合、「健康保険料1年以上継続支払い」という条件を満たせずに、日々の生活に困窮する人も少なくない。

 正規雇用の場合、鬱と診断が下されると会社もそれなりの対応を取る。取らざるをえない。実態についてはいろいろあるのだろうが、それでも非正規社員の場合とはかなり違うものだろう。という以前に、雇用が安定しないということが鬱の原因にもなるだろう。
 話を戻して、このところセリグマンの本「オプティミストはなぜ成功するか」(参照)にあったジョージ・ブラウンの話が気になっていた。たぶん原典は”Social Origins of Depression”(参照)ではないかと思うが、出版年は1978年とあり、かなり古い本のようでもある。邦訳もなかったのではないか。で、その話なのだが、彼の調査結果では、サウス・ロンドン貧困地区の400人の主婦への面接から20%が鬱状態だったとのことだ。逆にいうと80%はそうではない。鬱な人とそうでない人の差はなにかということに関連して、彼は、鬱からその人を守る三つの要因を挙げている。この1つでも満たされると鬱にはならないということでもあるようだ。それはなにか。

   1 配偶者か愛人との親密な関係
   2 外に仕事を持っていること
   3 家で面倒を見なければならない14歳以下の子どもが3人以上いないこと

 おそらく60年代のロンドンなので、現代日本には当てはまらないのかもしれないのだが、なんとなくこの三点が気になっていた。鬱というのも個人の問題というより、社会現象的な部分が大きいのだろう。
 別の面で心にひっかかっていたのは主婦の鬱状態ということだ。私の生活環境からは、主婦の鬱状態というものが見えない。自分が世間を見回した感じでもピンとこない。しかし、いないわけはないだろうと思う。そのあたりの齟齬感は何なのだろうか。また、鬱というと、なんとなく男性、あるいは未婚女性を想定してしまうのだが、実際の日本の鬱の状況というのはどうなんだろうか。
 ブラウンによる鬱予防の要因なのだが、1と2についてはなんとなくわかる。親密な性的なパートナーがあると救われるだろうな、というのと、仕事があればなんとかなるか、と。実際には仕事が原因で鬱の人も多いだろうから、そのあたりは微妙なのかもしれないし、それを言うならパートナーが鬱の原因ですよという人もいるだろう。まあ、それはそれとして。
 気になるのは、3番目の子ども三人というあたりだ。現代日本では、三人以上の子どもをもつ家庭がそもそも少ないのではないかとも思うし、二人なら大丈夫という線引きもないだろう。が、日本の場合、主婦からすれば、夫や親という存在が14歳以下の子どもと同じような負担かもしれない。つまり、自分が支えないといけない夫と親がいてそれに子どもが一人いたら、それでアウト、ということはないんだろうか。
 ブラウンはこれに加えて、鬱病への危険要因を二つあげている。

   1 夫の死、息子の移民など大切な人を失う
   2 13歳になる前に母親を亡くしている

 1の大切な人を失うというのはわかる。2もわからないではないが、13歳前に母親を亡くした主婦という像が、妙に心にひっかかる。自分の場合思い浮かぶ人がいない。いないというより、そういう経験を抱えて生きている主婦という存在をまるで知らないでいる。
 ブラウンの調査は女性が対象だが、男の子の場合とは違うのか。どういう心の問題なのか、も気になるが、女性特有のことのような印象は受ける。
 人はいずれ親を亡くすようにできているのだが、男子と女子、そしてどの年代で、どういう意味をもつのだろうか。いや、そう問われても答えなんかなさそうでもあるのだが。
 自分の経験では、30歳を越えたら親の死はなんとか受け止められるかなと思う。40歳くらいだと、つらいにはつらいがそういうものかという自然性もあるだろう。現代は晩婚だから、人は60歳くらいまでは生きるべきなんじゃないか、子どもがあればとも思う。

cover
シャドウ・ワーク
I. イリイチ
 特にまとまらない話なのだが、鬱病というとき、当然社会的な要因というのがあるし、雇用とかも大きな要因になるだろうと思うが、主婦というような、シャドウ・ワークの部分で、鬱に関連して、日本に今何が起きているのだろう、起きつつあるのだろうかと、とりとめなく思う。ちょっと踏み出していうと、「妻は鬱です」「お母さんは鬱です」という家庭は少なくはないのだろう。

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2008.12.15

フィナンシャルタイムズ曰く、日本よ、匍匐前進!

 愉快なフィナンシャルタイムズの日本提言シリーズ、その第三弾、ありゃ、四弾かな。どうでもいいけど、世界的に見て、日本は何処に進むべきや、と。”Muddling through a middling slump”(参照)が面白かった。
 まず日本低迷どんだけ、ということなんだが、大したことないよ、と。


It is a mediocre kind of recession.
(まあ、よくも悪くもないといったところか。)
Japan’s banks have not blown up, its housing sector has not collapsed, and the mood is one of glum resignation, but in its economic weakness Japan is paying the price for its reliance on growth overseas.
(日本の銀行は潰れてないし、住宅部門も崩壊していないし、気分は気の進まない諦観といったところだが、日本経済の弱みは海外の成長に依存したツケが周っているというものだ。)
There is now only one option left: Japan must boost consumption at home, or else mirror the suffering of its export markets.
(かくして今や選択肢は一つあるのみ。日本は国内消費を高めること。さもないと、輸出市場の苦難を再現することになる。)

 「mirror the suffering」のところがよくわからないが、相手国のことを考えろということか。
 いずれにせよ、世界的に見ると、日本はそう悪くもないんじゃないのということだ。が、そう言われてもな、苦笑、みたいな感じはする。そして、輸出依存だから失業問題が急速だ("output is sliding quite fast enough to bring rising unemployment")とも指摘はしている。実際そうだ。
 フィナンシャルタイムズは冒頭、国内消費でしょと結論を述べたあと、話が続かないなということか、いくつかネタを引っ張る。

The policy prescription differs little from that of other countries.
(政策的な対応はほとんど他国と変わるところはない。)
Hard as it is to advocate fiscal stimulus in Japan – a country in which politicians spent decades using deficit spending to dam any river and build roads to anywhere that voted – now is the time.
(日本の政治家は何十年も票田にダムだの道だのこさえて赤字を貯めてきたから、財政出動を提唱するのは困難だが、今やそれをやるべき時なのだ。)
In the unlikely event that Japan’s government put money in the hands of low and middle income workers, it would do much to rebalance the economy towards consumption.
(日本政府が中間所得層以下にカネをばらまくとも思えないが、それをするなら消費に向けて経済の均衡を取り戻すことができるのにな。)

 以前も言っていたけど、もうビンボ人にカネをばらまけ。それができないなら、ダムを作れ、道路を造れ、国土開発、列島開発、田名角栄再臨、っていうか、その薫陶を受けたあの政治家、カムバ~クってことか。うーむ、ノリがキモイな。
 でも、あれですよね、財政出動じゃなくて、リフレじゃね? だから、日銀じゃね? ところが。

There is little the Bank of Japan can do now.
(現下、日銀ができることはほとんどない。)
It should not be shy about a return to unconventional monetary policy, but given the poor prospects the bank could force zero per cent money on corporate bankers and then threaten them with baseball bats, but they would still struggle to lend it out.
(非常時の金融政策に戻ることにためらうべきではないのだが、日銀がゼロ金利のカネを市中銀行に押しつけて、さらには棍棒で脅しても、こうも景気が悪いと、貸し付けには困難が伴う。)
That is despite the recent rise in borrowing from Japanese banks, which reflects the closure of commercial paper markets, rather than a sudden urge to invest on the part of Japan KK.
(目下日銀からの借り出しは増加していものの、それは日本株式会社に突然投資が促進されたというより、それはコマーシャルペーパー市場からの締め出しを意味している。)

 量的緩和はやったほうがいいけど、それほど効果はないよ。需要がないんだもの、というやつですね、まいどまいどの。
 どうしましょう、善兵衛殿、あれですか、あれっすよね、日本お得意の、あれ、どかんとン兆円。

That leaves the yen, and the option of intervention to weaken it to try to boost exports.
(でもまだ円がある。輸出向上のために円安誘導というオプションがあるじゃないか。)
If the yen surges again it would be legitimate to intervene to slow the rise.
(もし再度円高になるなら、それを緩慢にするための介入は正当化されるだろう。)
Japan would also have a case if China took sustained action to weaken the renminbi.
(もし中国が人民元安を続けるなら日本もそうすることになる。)
In and of itself, however, a weak yen would add nothing to global demand, and be simply a beggar-thy-neighbour attempt to corner such demand as there is.
(それ自体としては、しかしならではあるが、弱い円が世界需要を喚起することはないわけだよ。だからして、それは単純に、近隣窮乏化政策ってやつでそこの需要を買い占めるということだ。)

 困ったときには、もっと困ったやつからふんだくれ、です。もちろん、悪い冗談というか、このフィナンシャルタイムズの英文もなかなかなもの。
 結語は冒頭と同じなので、略でもよいのだけど、よいお言葉があります。

The only option for Japan’s policymakers is to muddle through.
(日本の政治家に残された唯一の道は、なんとか切り抜けろ!だよ。)

 日本でも流行の、muddle through、ですよ。プロフェッショナル仕事の流儀ですよ。「技術者 渡辺誠一郎(2007年3月1日放送)」(参照)。

マドル・スルー(muddle through)
 シリコンバレーの流儀とも言われる、この言葉。まるで、泥の中に放り入れられたかのように、上下も左右もわからなければ、解決策も見当たらず、出口がどこにあるのかさえも見えない。その泥の中から顔を出すためには、頭で考えているだけではだめで、体を動かし、もがきながらも行動に移さなければならないと、渡辺は自身の経験を振り返って言う。起業直後に襲いかかる極めて困難な状況をマドル・スルーしながらクリアした者だけが、シリコンバレーでは生き残れる。

 泥の中をもがいて進むしかないよ、日本、匍匐前進!

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2008.12.14

漢方が疑似医療だと言われるとなぁ的な雑感

 昨日のエントリの続きというか、ごく雑談。最初にお断りしておくと、カウンターナレッジをご披露したいわけではないし、何かを熱心に訴えたいということではない。何かよくわからないけど変な感じがするよねくらいの他愛ない印象を書こうかなくらい。たかがブログだし、アルファーブロガー(笑)だし。
 「すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)で、疑似医療としてホメオパシーが批判されている。これは日本のブログなんかも見渡すとたまに同じような舌鋒で批判している文章を見かけることがある。
 え? ホメオパシーとは何か? あー、ウィキペディアにはなんて書いてあるかな、ちょっと予想する部分があるけど、と、見ると(参照)。


ホメオパシー(homeopathy)は、ホリスティック医療に分類される、代替医療の一種である。「ある症状を持つ患者に、もし健康な人間に与えたら、その症状と似た症状を起こす物質をきわめて薄くしてわずかに与える」ことによって、症状を軽減したり治したりしようとする療法のことである。たとえば、解熱を促そうとする時には、健康な人間に与えたら体温を上げるような物質を含む物質を少量患者に与える。このことによって、極めて短時間発熱が促進されるが、すぐに解熱に向かうとされている。一方、科学的根拠の欠落を指摘する識者も多い[1][2][3][4][5][6]。

 けっこうきちんとしているんじゃないかな。のっけから断定的な否定が書かれているんじゃないかと思ったけど、とりあえず[1][2][3][4][5][6]くらいなものか。ノートのほうに乱闘の跡でもあるかなと覗いたが(参照)それほどでもない。
 オモテに戻ると。

これまでにホメオパシーの有効性を立証したと主張する論文が何度か発表され、そのたびに議論になったが、いずれも対照群の設定や母集団の数、主観の入りにくい調査の実施などが不十分とされ信頼性が低いとされてきた。医学専門誌Lancetの2005年8月号に、ホメオパシーに関する臨床検討の論文110報をメタ解析した調査が報告され、これにおいてもホメオパシーの効果はプラセボと同等であると結論されている[7]。

このことを問題とする立場の者は、ホメオパシーが疑似科学であるとし、プラセボ以上の治癒効果の可能性が有る「代替医療」ではなく、そもそも全く治療効果のない「偽医療」であると主張している。


 というようにカウンターナレッジじゃないの的な部分は併記された意見として掲載されている。
 英語のほうを見ると、カウンターナレッジ云々というより、それが占める歴史的な考察の比重が重たいようだ(参照
cover
人はなぜ治るのか
 そういえばちょっと気になって、この英語の説明のなかに、アロパシー(allopathy)は出てくるかなと思ったが参考文献の標題くらいだった。それもへぇと思ったが、別項目に”Homeopathy and allopathy”(参照)があった。

Allopathy is a term coined in the early 19th century[1] by Samuel Hahnemann[2], the founder of homeopathy, as a synonym for mainstream medicine.

 それでよかったかな、ちょっとこのあたりの正確な知識は忘れたというか、資料は実家にあってちょいとはわからない。さらに見ていくと、もう一つ項目がある。”Allopathic medicine”(参照)だ。なんか項目が混乱しているようだがここにちょっと面白い話があって。

Allopathic medicine or allopathy may also refer to:

・The opposite of homeopathy, see homeopathy and allopathy.
・The opposite of complementary and alternative medicine.
・The opposite of traditional medicine, especially of Ayurveda.[7][8][9]


 3点目に、アーユルヴェーダじゃないものというのがある。たしか私の記憶では、ホメオパシーの伝統は大英帝国の名残でインドに独自の定着をしていたはずだ。っていうか、私はコルカタでホメオパシーと超能力を混ぜた治療を見たことがある。感想は特に書かない。
 で、と。先の「すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)だと、ホメオパシーもアーユルヴェーダも疑似医療ということなのだが、これにさらに漢方も含まれている。
 「漢方」という訳語がそのまま書かれている部分もあるが、一番触れているところでは「中国医学」となっている。

中国医学:伝統中国医学(TCM)の薬草療法はマッサージや鍼が、西洋医学を補完してくれるという考え方は次第に広く受け入れられつつある。だが、それを裏づける研究データはない。最新の大規模なTCMの無作為化臨床試験は、1990年に『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』に発表されたものだが、約3000件の試験のうち、盲検法によって検証されたものは15%にすぎず、サンプルサイズは小さく、効果が数字で示されている場合はほとんどなかったうえ、「大半の試験でテストされた治療法が有効だとされており、公表バイアスが一般的だったことを示唆している」。2007年までに中国製の医薬品で世界保健機関(WHO)の予算承認が得られたのは、抗マラリア生薬アルテミシニンだけだ。

 これはそうじて漢方を含むと読んでいいと思う。
 たぶん、著者は漢方と中医の違いは知らないと思うし、WHOとの関わりの意味、たとえばエッセンシャル・ドラッグのような考え方も知らないのではないかなという印象も受ける。まあ、ごく印象というか偏見かもねだけど。ついでにいうと、BMJのその公表は1990年というのはちょっと古すぎる気もしないではない。
 でも、ようするに、著者にしてみると、漢方は疑似医療だし、カウンターナレッジで、しかも、医療に関係しているだけ悪質ということになる。
 このあたり、そう言われるとなぁ感はある。特に反対もしなけいけど、「著者の意見に賛成です、漢方を世の中から撲滅しましょう」と言われたら、ちょっと引く。
 ちなみに日本では漢方薬は特に毒性などの再検査もなく、伝統的に使っていたからということで、すんなり大衆薬として認可されているはず。もっとも、コンビニとかで販売してはいけない。といいながら、あれ、ユンケルとか漢方薬なんだけどなとも思う。
 ちょっと個別のことになるけど、麻黄附子細辛湯というのがあって、この附子というのは狂言でも有名なように毒というか、トリカブトです。ほかにも桂枝加苓朮附湯とか附子を含むものがある。ウィキペディアを見ると、そのあたりの配慮があって(参照)。

漢方ではトリカブト属の塊根を附子(ぶし)と称して薬用にする。本来は、塊根の子根(しこん)を附子と言い、「親」の部分は烏頭(うず)、また、子根の付かない単体の塊根を天雄(てんゆう)と言って、それぞれ運用法が違う。強心作用、鎮痛作用がある。 毒性が強い為、修治と呼ばれる弱毒処理が行われる。炮附子は苦汁につけ込んだ後、加熱処理したもの。加工附子はオートクレーブを用いて加圧加熱処理をしたもの。危険なので素人はトリカブトを見つけても、絶対に自分で使ってみようなどと思ってはいけない。

 へぇなるほどそれなら大丈夫じゃんと思うだろうか。「毒性が強い為、修治と呼ばれる弱毒処理が行われる」というあたりをどう受け止めるか。まあ修治については附子だけの問題ではないんだけど。
 たしか、FDAでは附子配合の漢方薬の市販を禁止していたかと記憶している。ちょっと曖昧だけど。
 漢方は疑似医療なのか、そいで、その危険性ってどう科学的に考えていいのか、というのは、よくわからない問題だなと思う。
cover
漢方
日本人の誤解を解く
劉大器
 個人的には葛根湯証が出ると私は葛根湯を飲む。うーむ、だからって疑似医療の推進派だろとか非難されるとちょっとなと思う。

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