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2008.12.13

[書評]すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)

 先日サイプロダクションを辞めたという大槻義彦早稲田大学名誉教授が解説を書かれているので、「ムペンバ効果」は非科学的とかいう、その手のあっさりした内容の本かなとも思ったけど、「ネットに潜むカウンターナレッジ」というあたりが面白いかな、著者は宗教社会学者でもあるらしいからこの手の話の単調さはないかもしれないなと、ちょっと期待して、「すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)読んだのだけど、低く見積もった期待以上に、存外に面白かった。

cover
すすんでダマされる人たち
ネットに潜む
カウンターナレッジの危険な罠
ダミアン・トンプソン
 日本のネットやマスメディアの状況からズレた部分がそれなりに描かれていて、ああ、海外だとそうなんだよね、日本だとそのあたりあまり通じないんだけどね、と思った部分がいくつかあった。というか、偽科学とかいう文脈で読まなくても普通に面白い本ですよ。オリジナルは"Counterknowledge: How We Surrendered to Conspiracy Theories, Quack Medicine, Bogus Science and Fake History"(参照)ということで、いわゆる偽科学話より広義の陰謀論から偽歴史学などが含まれている。ネットという限定は標題からは見られないけど、内容的にはたしかにそうかなと思える。つまり、現在のネットの世界を論じるのにも有益な一冊だ。
 ダンコーガイ風紹介みたいになるけど、目次はこんな感じ。

1 知識と反知識――世界を席巻するデマ情報
2 新しい創造論とイスラム圏――進化を続けるアンチ進化論
3 『ダ・ヴィンチ・コード』と『1421』――息を吹き返した疑似歴史学
4 サプリ、デトックス、ホメオパシー――危険な代替医療の落とし穴
5 巨大デマ産業の登場――『ザ・シークレット』のインチキ起業家たち
6 デマと生きていくには――決してなくならない反知識

 釣りはこう。

◎9.11は米国政府が仕組んだ陰謀だ。
 その狙いは中東で戦争を起こすことにある。
◎エイズ・ウイルスはアフリカ人を根絶やしにするために
 CIAの研究所で開発された。
◎サプリメントをたっぷり摂取すればガンを予防できるし、
 エイズ治療薬より効果がある。
◎キリストは生き延びて結婚し子孫がメロヴィング朝を興したが
 教会はこれをひた隠しにしている。

 こんな話、どうしてみんな信じているのだろう?
 デマに引っかかるのは間抜けな人だけと思いがちだ。でも今では、きちんと教育を受けてまともな仕事に就いている人が、大学の学者が、政府の閣僚が、こういったガセネタを信じ、広めている。
 なぜか?
 インターネットの普及は、危険な「カウンターナレッジ」(=ニセ情報)の蔓延をもたらした。カウンターナレッジを信じ、数百万の国民の命を危険にさらす大統領。カウンターナレッジで数億ドルを荒稼ぎするインチキ起業家。
 我々は脅威に対抗する術(すべ)を学ばなければならない。
 イギリスで発売後、一大センセーションを巻き起こしたダミアン・トンプソンの新刊本、ついに登場。


 釣りを読んだだけでなんかお腹いっぱい感が出てしまうかもしれないけど、この釣りはうますぎ。というか日本人になんとか伝えたいという工夫が出過ぎたかな。本書の面白みは、真なる知識対カウンターナレッジということより、結果的に、欧米型知識と非欧米型知識の対立の現状がわかるところにあると思う。
 読みながら、日本でもけっこう多数の人がセプテンバーイレブンは米国の陰謀だとか言う人がいて、あるいはペンタゴンへの墜落は違うとか、ちょっと唖然としたことがあったなと思い出した。この人は経済にはかなり詳しいのにどうしてこんな陰謀論を信じてしまうのだろうと疑問に思って、さらと言ったら逆に悪意に取られてまいったこともある。それどころか私のほうが陰謀論ばっかだろとか。田中宇さんのような、この陰謀論をベタに採用する論者と同一レベルに扱ってくださる人もいた。なんかなぁ、私のほうがよほど陰謀論者みたいに思われているのか。どうしたらいいものだろかと思ったことを思い出した。最近は、仕方ないやと思うことにしているけど。私を陰謀論者だという人が、副島先生の信奉者だったりするとこれは私が手に負えるレベルではないね。
 ID(インテリジェントデザイン)論については、当然というべきか、それなりの説明が割かれている。ああ、これはよい指摘だなと思ったのは、ここだ。

 それから20年たった現在、IDは知識階級にも多くの転向者を獲得している。進化論者も認めるように、IDはもはやキリスト教根本主義のプロパガンダとしてかたづけられなくなってきたのである。その代表格が、ペンシルバニア州にあるリハイ大学の生化学者、マイケル・ベーハ、そしてアメリカの優秀な数学者、ウイリアム・デンブスキだろう。ID信者の多くは、非キリスト教徒だ。

 ID論=創造論、だから、キリスト教徒ということは全然ない。フンダメだとも言い難い。なんかそう言うだけで、お前の本心はID論だろか陰口を言われる。そして、統一教会に結びつけられる。私が統一教会をどう見ているかは過去ログを読むとわかると思うのだけど、なんかそのあたりで、ありゃ、もしかしてなんかその糾弾のほうが陰謀論臭いんですけど感が出てくる。
 で、それなりの説明がある割には(私の読み落としがあるかもしれないけど)、現下の議論、たとえばウィキペディアの”Expelled:No Intelligence Allowed”(参照)には触れていなかった。この騒動において私はどちらかの意見に加担するわけではないけど、出版時期に間に合わなかったのかもしれないが、それなりの萌芽はあったようなのだから、なにがかくも問題なのかというのの言及はあってもよかったのではないかと思った。
 本書のよい点は、ID論がイスラム世界に広がっている点をきちんと指摘していることだ。他に、"1421 the year china discovered America"(参照)に言及してこの阿呆な歴史異論が中国にけっこう広く受け容られ、あろうか胡錦濤までクチしているという状況も描いていた。さらに、「極東ブログ: [書評]嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)」(参照)で少し触れたマーティン・バナールの「黒いアテネ」についても、カウンターナレッジとして言及されている。
 このあたりの話はあまり日本では見かけないように思う。どこかしら、日本には反欧米型知識への反発の底流があり、イスラム、中国、アフリカという世界の知については、うっすらと、なんかそれって変だよなということでもそれほど反発はされない。
 私もスピリチュアル系と見られることもあるが、「ザ・シークレット(ロンダ・バーン)」(参照)は全然読んでいないし、ほとんど関心ない。というか、山川紘矢・亜希子ご夫妻の関係本は、本人に偶然お会いしたときの印象がきつくて以来、近寄るもんじゃないなと偏見をもっていたりする。「夢をかなえるゾウ」(参照)の作者水野敬也が「彼は持っている服を全部浜辺で燃やして全裸で海に浸かりながら「リボーン」と叫ぶ」(参照)人なんだ話を聞くと、へぇと思う反面、この本は読まなくてもいいかなと偏見をもったりする。でも、どっちもただの偏見かな。
 で、本書では「ザ・シークレット(ロンダ・バーン)]の作成経緯があって興味深かった。DVDが先に出来たわけで、つまりメディアミックスというか。出版社としては、売れないと話にならないものねというのはあるか。著者は「疑似学術書を堂々と上梓する大手出版社も厳しく追及すべきだろう」とはいうけど。
 本書でのカウンターナレッジの見分け方は意外に簡単だ。

 大多数の科学者が、ある実証的な主張を認めているときには、それを信じるに足る理由がある。(中略)だから、慎重な研究者が圧倒的に認めた場合、その主張はきわめて高い確率で正しいと言える。

 ということ。ただ、これが通用するのは、欧米型の世界だけという難問に世界はぶつかることになった。
 また、科学者の主張がわかりづらいこともある。たとえば、「水道水にまつわる怪しい人々―夢の浄水器が教えてくれた生命のこと(湯坐博子)」(参照)については私は私の見解を持っているけど、言うのはためらう。方向性は逆だけど、「虫歯の敵は幾万ありとても―世界の常識、水道水フッ素化が遅れたわけとその解決策」(参照)についても私は私の見解を持っているけど、言うのはためらう。
 このあたりの躊躇の感覚は他にもある。著者はこう言う。

 モルモン教はスミソニアン博物館群のひとつであるアメリカ国立自然史博物館から、主たる教義を公式に偽りと宣言された唯一の宗教である。そして、ほぼ完全なデマ情報に基づいた唯一の世界宗教でもある(ちなみに、世界中にモルモン教徒は1300万人いるが、急増中だ)。

 このあたりも、私はクチをつぐんでしまう。
 著者はこうしたカウンターナレッジへの対抗はネットゲリラが効果的だという。そうだなと思う。私もカウンターナレッジの人だと思われて攻撃を受けるのでその効果がよくわかる。わかるからこそ、舌鋒激しい人たちのグループがいたら、できるだけ黙って敬遠することにしていたいなと思うようになった。

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2008.12.12

Web2.0とモンテッソーリ教育

 昨日のエントリを書くとき脳裏にはあったのだけど、話がずっこけて書くのを忘れていたのが、Web2.0とモンテッソーリ教育ということだった。
 私は個人的にシュタイナー教育にはかなり関心をもってオイリュトミーやシュプラッハとか学んだりもしたというか、グルジェフィアンだと思っていた笠井叡先生が帰国後ほどなく開催した一般向けのオイリュトミー講座(中野テレプシコール)に参加していたくちで、あそこから後に有名な日本人オイリュトミストが出てくる。そういえば、ヨガなんかでも東京在外国人グループ向けにこそっとロドニー・イーが開いていたワークショップなんかも参加していたがあそこからも今著名なヨガ指導者が出ているみたいだ。野口体操の野口三千三本人のワークショップにも参加したな云々。時代かな。私も若かったし。ただ、私はどれにもそれほど傾倒しなかった。才能もなかった。しいていうとフェルデンクライスのいくつかのテーマは今でも考え続けているが。
 モンテッソーリ教育についてはよく知らないのだが、が、というのは、いわゆるWeb2.0あるいは最近一部で流行のWeb2.0(笑)の動向に、この反映というか成果があるんじゃないかなとなんとなく思っていた。誰か、まとめて書いているだろうか。もしそういう視点でまとめて書かれている本があったら読んでみたい気がする。五反田先生とかの守備範囲ではなさそうかな。
 真偽を確認したわけではないしホームスクールを誇張している感じもするが、よく知られているビッグネームでは、セルゲイ・ブリン(Sergey Brin)とラリー・ペイジ(Larry Page)、ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)、ジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)がモンテッソーリ・スクール出身者である。 ブログDonald Clark Plan B”Brin, Page, Bezos and Wales?”(参照)はこれをネタにしてた。


What do the founders of Google (both of them), Amazon and Wikipedia have in common?
(グーグル、アマゾン、ウィキペディアの創立者に共通なことは、なーに?)

 彼らの共通点はなにか?、と。

Like Alexander Graham Bell, Thomas Edison, Henry Ford, Mahatma Gandhi, Sigmund Freud, Buckminster Fuller, Leo Tolstoy, Bertrand Russell, Jean Piaget and Hilary and Bill Clinton before them, they all had early Montessori schooling.
(彼ら以前に、グラハムベル、エジソン、ガンジー、フロイト、フューラー、トルストイ、ラッセル、ピアジェ、クリントン夫妻はみな初期のモンテッソーリ教育を受けた人々だ。

 モンテッソーリ教育だ、と。まあ、このリストがそうだというのはちょっとアレっぽいが。

Sergei Brin and Larry Page both attended Montessori schools. Indeed, they both credit their Montessori education for much of their success. It was the Montessori experience, they claim, that made them self-directed, allowing them to think for themselves and pursue their real interests.
(セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジの両者はモンテッソーリ校に通った。実際、彼ら二人はモンテッソーリ教育が成功要因だと確信している。彼らによれば、モンテッソーリ教育の経験は、自己主体的になること、自身を考慮すること、本当の興味を追求することだった。)

 数年前だったか、グーグルの社風をギークとか、Web2.0世代だったかな、まあ、そんなふうに話題にされたことがあったけど、私は、ああ、これって、モンテッソーリ・スクールのビジネス版じゃないかと思った。あまりそういう指摘はなかったようだったし、私自身モンテッソーリ教育がよくわからないが。
 あとレゴというのも関係しているなと思う。いや関係しているようだが、その関係の歴史がいま一つわからない。余談だが私もレゴが好きでいまでも1000ブロックくらいは持っている。
 現在ネットのリッチメディアで活用されるFlashの元になったFutureSplashを作成したジョサン・ゲイ(Jonathan Gay)もレゴな人で、”Macromedia - Showcase: History of Flash”(参照)で"Macromedia Flash began with a few bits of colored plastic.(Flashは色つきプラスチックブロックで始まった)"と言っている。プログラミングはレゴと同じだというふうな話もしている。そうなのかもしれない。
 日本では75世代というのとその目立つ成功者が取り上げられたが、目立たないところで、レゴな人々が支えているように思う。そのあたりの歴史の真相みたいのがいずれ語られるかなとも思う。

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2008.12.11

教育について

 国際学力比較について一昨日から昨日、少し話題になっていた。国際教育到達度評価学会が各国の小学4年と中学2年を対象に昨年実施した、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表され、低かったとされる03年の同調査に比べ、やや上回る結果となり、学力低下には歯止めがかかったいうことだった。しかし、他の調査では落ちているとか、学習意欲が低下しているなど、新聞などメディアでは話題になっていた。
 私はまったく関心ない。一つには、日本は国際的に高い教育水準にあるのに何が問題なのだろうかと不思議に思うくらい。今回の調査では、日本は小学4年の算数・理科は36か国中4位、中学2年は48か国中、数学5位、理科3位。そのくらいでいいのではないか。
 また私は、公教育は最低限であとは私学にすべきだし、なにより教育に国家が介入するのはやめてくれと思う人だからだ。なので文科省なんて不要だと思っている。
 で、なぜですか? どういう教育が理想的ですか、と問われた。前者については、人はできるだけ国家に関わらずに生きていくほうがよいという主義だから、くらいだが、後者については、さて理想の教育とは何だと自分は思っているのか少し考えた。率直にいうと、あまり考えたこともないな。まとまった意見もない。ただ、ちょっと雑談は書いてみたい気がした。
 思想家吉本隆明は小学生は遊んでいたらそれでよいと各諸で言っていた。私も今はどちらかというとそれに近い。最低限、読み書き算盤的なものができたらよいのではないか。さらにいうと、私は初等教育は地域の人が先生になるとよいと思っている。警察官に学ぶ、魚屋さんに学ぶ、コンビニのバイトにお姉さんに学ぶ、と。子どもはやがて地域の人になるのだから、そういう人になるという目的がはっきり見えるとよいと思う。科学教育や言語能力の向上などは、そういう生きた地域の人々がそれをどう活かしているかという応用のなかで見ていくとよいのではないか。
 中学生については、もう少し学問的な部分はあるかなとは思う。基本的には日本の場合、高校が義務教育化しているので、SATのような達成水準を大学組織で提示して、それを段階的に習得させる学習体系があればよいのではないか。
 それと中学については、公民というか、市民教育をもっと徹底させるべきかなと思う。特に、民事訴訟はどのように行うかということは一教科にしたらよい。もう一つやって欲しいのは、「お父さんお母さんの税金」という科目を作ることだ。市民がどのように公僕を養っているかという仕組みは中学生くらいでしっかり知っていてもらいたい。
 まあ、そのくらいだろうか。
 個人的には、自然の教育を増やすとよいと思う。学校に集まらないで、いろいろな地域に集団で移動したらもっとよい。というか、晴れた日は、公園に集まって授業にしたらよいのではないか。私は大学生のとき、芝生の上でなんどか講義を受けたことがあるが、よいものですよ。
 以前に書いたが、私は若いころちょっとしたきっかけで障害児の教育に関わっていた。そのとき、指導の先生が、子どもたちにはできるだけ実物を見せて、触らせてくださいとよく説いていた。モンテッソーリの影響かもしれない。ある時、先生はふと思い出したように、集まった父母を前に「みなさん、茄子の花を見たことがありますか?」ときいていた。私より10歳くらい年上の父母だから、団塊世代だろうか、それにはいと答える人はほとんどいなかったように思う。先生は、茄子の花の話を少しした。
 私は茄子の花をよく知っている。茄子を育てたことがあるからだ。キュウリもスイカも南瓜もある。トマトもある、トウモロコシもある。大豆もあるエンドウ豆もある。その花はすべて知っている。大豆の根っこを顕微鏡で観察したこともある。小学生の時のことだ。
 モンシロチョウは青虫から飼ってなんどもチョウに育てた。「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉に止まれ♪」である。尖った黄色い小さな卵を見つけて育てる。アゲハチョウも育てた。後年津島祐子の「歓びの島」(参照)の感覚には共感したものだ。蚕とはなんども一緒に眠ったことがある。
 月の満ち欠けの日記を書いていたこともある。太陽黒点の観測を続けたこともあった。試験管、フラスコ、シャーレ一式もっていた。今思うと弱いが塩素なんか発生させたりしたこともあったな。あぶねえ。
 父親にならってゲルマニウムラジオも作った。コイルはエナメル線を手で巻いた。エナメル線は蛍光灯を分解して手に入れる……。3球のラジオ、5球のラジオも作った。後者はスーパーヘテロダインだ。なんか言葉の響きが面白い。
 で、そういう自分がどうなったかというと、まあ、ブログでよくバカにされるくだらない人間になった。教育成果はなしということだ。どうも人に勧められるものでもないな。ただ個人的には、生命や宇宙というものに、ある実感をもった。この世界に、この生命と共存して生きているという。

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