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2008.09.26

麻生首相がやって来て小泉元首相が去った、で?

 麻生首相がやって来て小泉元首相が去った、で? 私には何の感慨もない。麻生首相に期待もない。いやまったくないわけでもなく景気回復につながる政策をしてほしいと思う。だけど与謝野馨経済財政担当相に増税以外の何が期待できるだろう。中川財務相金融相兼任の「兼任」って何かの冗談か。いやいや、”日銀、8日連続の資金供給…合計16兆円以上”(参照)とか効くかもしれない。
 小泉元首相が去ったというか政界を引退した件についても何にも思わない。いやこれもしいて言えば66歳の引退は他の自民党議員に比べると若いようにも思う。が、当面無益な待望論を打ち消すにはよいか。というか、小泉元総理は長年の夢であった郵政解体以降すでに引退していたようなものだ。事実上安倍元総理がダメになるのを見越していたし、福田内閣にも関心はなかった。小池百合子にマジで期待していたとも思えない。
 で? この件で何か、いやほんと何にもない。一応世相の話題でもあるし、一応政治の話題でもあるのだけど、何にも思い浮かばない。海外紙だと、こういうときにどんな話をするのだろうか。と見ていた。が、ワシントンポスト社説では特に言及は無かったようだ。そりゃ、ないんじゃないかな。
 ニューヨークタイムズにはあった。”The Return of Taro Aso”(参照)がそれ。「麻生太郎の復帰」というけど、何が復帰、あるいは再来なのだろう。タイトルの語感がよくわからない。出だしを読むと萎える。オーニシ記者が書いたのか、みたいなクオリティ。


Japan’s new prime minister, Taro Aso, is well known --- and not fondly remembered --- by Japan’s neighbors as a pugnacious nationalist. As foreign minister from 2005 to 2007, Mr. Aso soured relations with China and South Korea and raised tensions throughout the region, praising the achievements of prewar Japanese colonialism, justifying wartime atrocities and portraying China as a dangerous military threat.
(日本の新首相は、日本の近隣諸国に有名だが、好ましくというのではない、喧嘩を好む国粋主義者として有名ということ。05年から07年の外務大臣時代、中韓の関係を悪化させ、この地域に緊張をもたらし、日本の戦前の植民地主義の達成を称賛し、戦時の虐殺を正当化し、中国を危険な軍事的脅威として描いた。)

 麻生さんを弁護する気はないが、そうだったかなと思うし、罪状あげつらったどくさに付け足した最後の"China as a dangerous military threat"(軍事的脅威としての中国)についていえば、それほど変な認識でもないのではないかというか、ニューヨークタイムズさんのお国と同じ見解のような気がするが。
 というわけで、執筆子、もしかすると麻生さんがクリスチャンというのも知らないのかもしれないなみたいな間抜けな雰囲気が漂う。

Now, the power brokers in the long-governing Liberal Democratic Party have made him Japan’s fourth prime minister in just two years and rebranded Mr. Aso as a “pragmatist.”
(今や長期の自民党政権の黒幕は彼をこの2年間の日本で4人目の首相とし、麻生氏を「現実主義者」のブランドに変えてみた。)

 というブランド変更が”The Return of Taro Aso”ということで、ようするに中韓に嫌われる国粋主義は自民党の黒幕だという感じの戯けた陰謀論のように書いてあるが、それをいうなら中韓受けのよかった福田元首相こそ黒幕の産物だった。ニューヨークタイムズは日本のこと知らないのだろう。くだらねえ社説とか思ってざっと読んでいく。

Nationalism is enjoying a disturbing political revival because many Japanese fear that their country, once Asia’s clear economic leader, is losing ground to booming neighbors. The answer for that doesn’t lie in the nostalgic fantasies about Japan’s ugly past for which Mr. Aso has become well known.
(国粋主義が不穏な復活を遂げつつあるのは、多くの日本人にとって日本国がかつてアジアの明確な経済的な盟主であったのに、今や台頭しつつある近隣国に対して地歩を失っているからだ。この解答は、麻生氏が知悉する日本の醜い過去についての郷愁的幻想にはない。)

 よく言うよだけど、その先に、おや?

Instead, Japan needs to modernize its economy by completing the market reforms begun by Junichiro Koizumi, the former prime minister.
(そうではなく、日本は経済を近代化する必要があるが、それは小泉純一郎元首相が着手した市場改革を貫徹することだ。)

 えええ、そこで小泉賛美が来るわけ? お茶吹いちゃいましたよ。これって社説じゃなくてジョークか。
 ジョークといえば、フィナンシャルタイムズはニューヨークタイムズみたいにオチに持ってくるのではなく冒頭でカマしていた。”A temp in Tokyo ”(参照)より。タイトルがまた面白いのだけど、意訳すると「日本政府の日傭い労務者」かな。

One feature of today’s Japan is the prevalence of contract workers in a once-stable labour market. Now even the prime minister holds a temporary job. Japan’s previous two premiers, Shinzo Abe and Yasuo Fukuda, lasted one year and 11 months respectively. The latest incumbent, just sworn in, will do well to beat even that poor showing.
(今日の日本の特徴の一つは、以前は安定していた労働市場における契約労務者の蔓延である。今や首相ですら日傭い労務者となれるのだ。日本の前首相二人、安倍晋三と福田康夫はそれぞれ1年または11か月職を得ることができた。就任したばかりの目下の現職は、体裁悪くても最善を尽くすんじゃなかろうか。)

 この嫌味な文章にしびれるが、さらにビリビリと。

Taro Aso, a blue-blooded aristocrat known for his slips of the tongue and penchant for teenage comics, is the latest gamble by a Liberal Democratic party desperate to retain its long hold on power.
(舌禍と青少年漫画偏愛で有名な、名門貴族出身の麻生太郎は、長期の権力維持のために焼け糞になった自民党の最近の賭けなのである。)

 うまいぞ、こら。嫌味がすべるすべる。

Like the haken shain, the dispatched workers sent by temp agencies, Mr Aso will have to please his new employees, the Japanese people, who have dismissed the last two prime ministers via lousy opinion polls. If he does not pass the test, he will be sent back to the Liberal Democrats to be replaced by yet another short-contract hopeful.
(日傭い派遣業者が送り込む労務者である"haken shain"こと派遣社員のように、麻生氏は雇い主である日本国民を喜ばせる責務がある。というのも日本国民は前二人の首相を世論支持低迷によって解雇してきた。もし彼がこの試験に落第すれば、別の希望に満ちた短期労働者と交代に自民党に送り帰されるだろう。)

 うまいぞ、こら。って、ネタがすべりすぎだよな。実際のところどうしろと? え、また小泉ですか。小泉は中国との関係をこじらせたが、として。

Mr Koizumi’s rhetoric was sometimes misleading. But he still provided a framework in which issues such as tax, spending, social welfare and Japan’s international role, could be debated.
(小泉氏の弁舌は時に間違っていた。しかし、それでも彼は、税制、歳出、社会福祉、国際的役割など検討可能な枠組みを提出した。)

That framework has been lost. Japan has been drifting. Almost no meaningful legislation has been passed since the opposition Democratic Party of Japan seized the upper house last year.
(その枠組みはすでに失われた。日本は漂流してきた。昨年参院を民主党が牛耳るようになってから有意義な法案は通らなくなった。)


 まあ、なんだかんだいっても小泉は偉かったという感じなのか、フィナンシャルタイムズ。
 では、麻生はどうすべきかというと。

Mr Aso’s chief task is to break this logjam so that Japan can regain some sense of purpose. Unfortunately, he holds few cards.
(麻生氏の主要な仕事は停滞を打ち破り、日本に目的意識を持たせることだ。残念ながら、彼にはその持ち駒はほとんどない。)

 つまり、麻生首相はダメでしょと。じゃ、どうすんの?

The best Mr Aso can hope for, then, is to provoke political realignment by enticing opposition parliamentarians into the LDP fold. Paradoxically, if he led his party to electoral defeat that might serve Japan better still. At least it would give the opposition a chance to show what it could do --- or how spectacularly it could mess things up.
(麻生氏が望みうることは、対立議員を自民党に組み入れて政界再編を喚起することだろう。おかしな話だが、彼が選挙を敗北に導けば、日本の事態はよくなるかもしれない。少なくとも、反対政党に何ができるかを明示させるチャンスになるからだ。つまり、どんだけめちゃくちゃなことになるか、わかるよ。)

 ほぉ。

Neither is likely. Japan’s premiership is likely to remain an on-the-job training scheme for some time yet.
(ってなことはでも起きないだろう。もうしばらく日本の首相の仕事は、新人研修的な状態に留まるだろう。)

 なーんだ、やっぱりネタか。
 しかしまあ、国際的に見れば、日本の目下の内政はこんな感じに見えるのだろう。

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2008.09.23

つまり、第二のプラザ合意みたいなものかな

 アメリカの金融の状況についてコラムニストのロバート・サミュエルソン(Robert J. Samuelson)がどのように言及するのか、私は期待していた。ニューズウィーク日本版に掲載された比較的最近の彼のコラムでは、米国経済の状況をそれほど深刻なものだと見ていなかった。しかし事態はすでに深刻と言っていいだろう。彼はこの状況をどう判断するのだろうか。ポールソンやバーナンキを批判するだろうか。
 私がサミュエルソンに注目するのは、ニューズウィークに転載される彼のコラムをかれこれ20年近く継続的に読み、いくつも真実を言い当ててきたと思っているからだ、というのに加えて、いわゆる経済学的な視点ではない経済コラムニストという視点がきらっと光る感じがするからだ。この事態に彼は何と言うか。22日付けのワシントンポストで”The Confidence Game”(参照)が掲載された。数度読み返した印象だが、非常にわかりづらい。どちらかというとがっかりしたという感じがする。
 出だしは事実をなぞりつつアイロニカルなトーンを浮かべている。


It's doubtful that Princeton University economist Ben Bernanke and former Goldman Sachs CEO Hank Paulson imagined what awaited them when they took charge of the Fed and the Treasury, respectively, in 2006. Since then, they have put their agencies on a wartime footing, trying to avert the financial equivalent of an army's collapse.
(日本版Newsweek訳:ベン・バーナンキはプリンストン大学のエコノミスト。ヘンリー・ポールソンはゴールドマン・サックスの前のCEO(最高責任者)。2人が06年、FRB(米連邦準備理事会)議長と米財務長官の職にそれぞれ就いたとき、こんな事態に直面するとは予想していなかっただろう。)

 バーナンキとポールソンがそれぞれの役に就いたとき、この事態を想定したとは思えないと切り出す。覚悟はなかっただろうということだ。
 私はバーナンキがFRBのヘッドになったとき、米国は恐慌になる可能性のシフトを敷いたのだろうなと思った。この天才ならすぱすぱと解決できるのかもしれないというのと、いや経済は生き物だから学問通りにはいかないだろうとも思った。その後のバーナンキの動向を見ているとやはり市場に慣れない部分があり、ポールソンなどと対話をしているようだった。その部分ではいわゆる経済学的な能力より別の実務能力が問われるのだろう。陰謀論的な意味合いではなく、バーナンキとポールソンは米国経済の中心にありその関連者も幅広い。サミュエルソンの皮肉はコラムとしては効いている。
 彼らを中心とした努力は、「信用」に関係しているとして、サミュエルソンはこう言い放つ。

It's all about confidence, stupid. Every financial system depends on trust.
(同:問題は信用の回復だ。あらゆる金融システムは、信用を頼りにしている。)

 ここが私にはよく読めなかったところだ。バーナンキとポールソンの奮迅は信用に関わることだが、それがわからないのは「stupid(ばかじゃね)」ということだろうか。追記:コメントいただきました。この表現の出所はクリントン元大統領の"It's the economy, stupid."(問題は経済だよ、このバカ)です。
 危機の構図についての説明は教科書通りに続くとも言えるのだが、サミュエルソンお得意の数字読みは考えさせられる。

As is well known, the crisis began with losses in the $1.3 trillion market for "subprime" mortgages, many of which were "securitized" -- bundled into bonds and sold to investors. With all U.S. stocks and bonds worth about $50 trillion in 2007, the losses should have been manageable.
(同:始まりは1兆3000億ドル規模のサブプライムローン市場が崩壊したこと。そうしたローンの多くは証券化され、投資家に販売されていた。07年の米株式・債券の時価総額は50兆ドルだったから、その損失は吸収できるはずだった。)

 50兆ドルの市場において、失われたサブプライムローンの規模は1.3兆ドルに過ぎない。藤巻健史もこの規模を指摘していた。目下の金融崩壊は「サブプライムローンに端を発した」とはいえるが、それ自体の問題ではなかった。が、思わぬ展開になった。どこかで押し止める歴史のイフはあっただろうかというとそこはわからない。サミュエルソンも読めていなかっただろうし、それを冒頭の"It's doubtful that"でバーナンキとポールソンにもかぶせたあたりの書き方はちょっと汚い。
 危機の根幹にはCDS(参照)があり、その部分をサミュエルソンはこう教科書通りに指摘する。

So the crisis spread because the initial losses were multiplied. AIG, the nation's largest insurer, is a case in point. Although most of its businesses -- insurance, aircraft leasing -- were profitable, it had written "credit default swaps" (CDS's) on some subprime mortgage securities. These contracts obligated AIG to cover other investors' losses. In the first half of 2008, AIG itself lost about $15 billion on its CDS contracts, and through the summer losses mounted, resulting in downgrades of the company's credit rating and a need to post more collateral. AIG didn't have the cash.
(同:こうして危機が拡大した。AIGが典型的な例だ。同社は保険業や航空機リースなどで利益を上げていた。問題は、一部のサブプライムローン関連証券の信用リスクをクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)で保証していたこと。CDSは損失を肩代わりする保険のような契約だ。AIGはこのCDSで損失が拡大したため、巨額の追加担保が必要になった。)

 単純に言えば、元手のないクレジットデリバティブで転けてしまうことがあるのは当然だろう、ということか。
 サミュエルソンはCDSに潜むかもしれない本質的な問題といった考察はしてない。コラムの字数制限かもしれない。今回の危機で私みたいな素人がよくわからないのは、このクレジットデリバティブの問題だ。ウィキペディアを参照すると(参照)。

例えばCDSは、買い手が定期的に売り手にリスクプレミアムを支払い、売り手は万一あらかじめ決められた参照企業にデフォルトが発生した場合にその損害額を保障するという契約である。このリスクプレミアムの計算には金融工学的手法が使われる。

 仮にこの単純な例で考えるのだが、今回の事態はリスクプレミアム計算の金融工学的手法の間違いなのか、そもそも、これらは複雑なネットワークになったとき、必然的なシステムリスクを持つものなのか。状況を見ていると、後者のようでもあるが、そこは学問的にはどうなのだろうか。経済学的な説明というのを見かけないのは私の視野が狭いか。
 サミュエルソンのコラムに戻る。
 経済コラムという単純な土俵に還元して言えば、この事態にバーナンキとポールソンがどのように対処しえたかという歴史のイフが問われていることになる。もっと上手はなかったか、と。
 サミュエルソンは彼らの手を三段階に見せ、一段階の金利低下は標準的だが、後の2手は斬新なものだった("By contrast, the second and third responses broke new ground.")という。だが、そこがまた読みづらい。

If banks remained reluctant to make routine short-term loans -- fearing unknown risks -- then the Fed would act aggressively as lender of last resort. Bernanke created several "lending facilities" that allowed banks and investment banks (such as Goldman Sachs) to borrow from the Fed. They received cash and safe U.S. Treasury securities in return for sending "securitized" mortgages and other bonds to the Fed. In this manner, the Fed has lent more than $300 billion.
(同:一つは銀行がリスクを恐れて短期融資を渋り続ける場合、FRBが積極的に貸し手の役割を果たすというものだ。バーナンキは、FRBが金融機関に直接融資することができる制度を新設。金融機関は証券化された住宅ローン債権などを担保に差し出し、現金や安全な米国際を受け取る。FRBはこの方法で3000億ドル以上を貸し出した。)

Next, the Fed and the Treasury prevented bankruptcies that might otherwise have occurred. With the Fed's backing, the investment bank Bear Stearns was merged into JP Morgan Chase. Fannie Mae and Freddie Mac, the mortgage giants, were taken over by the government; their subprime losses had also depleted their meager capital. And now AIG has been rescued.
(同:次にFRBと財務省は、大手機関の破綻防止策を講じた。FRBは証券大手ベアー・スターンズへの緊急融資を実施して、IPモルガン・チェースによる買収を実現。政府系住宅金融のファニーメイとフレディマックを政府の管理下に置いた。そして国会、AIGを公的資金で救済した。)


 つまり、2手目、バーナンキによるカネの放出は下手、ということだろうか。3手目、国家による救済や国家指導の下の統合は下手、だろうか。
 サミュエルソンはこれによって、米国民はどれだけ税を担うのかと問うているようだが、私としてはこの手を打つべきではなかったとも思えない。
 結語は投げやりと言っていいだろう。

Paulson has one powerful retort: It's better than continued turmoil. But that presumes success and raises an unsettling question: If this fails, what -- if anything -- could the government do next?
(同:「混乱が続いてパニックが起きるよりはまし」と彼は考えている。その考えは対策が成功することを前提としている。もし失敗したら、果たして政府に打つ手があるのだろうか。)

 ポールソンにしてみれば金融の混乱を止めるには仕方ないとしてとしても、もうこれで政府の打つ手はないでしょう?というのがサミュエルソンの皮肉だ。
 コラムとしてはそれでいいかもしれないが、読み手の私は釈然としない。結語ではない部分に本音が隠れているのではないかと読み直すのだが、ここだろうか。RTC的な機構に関連して。

The Fed has financed its lending program by reducing its massive holdings of U.S. Treasury securities. It cannot do this indefinitely without exhausting all its present Treasuries. The Fed might then resort to old-fashioned -- and potentially inflationary -- money creation.
(同:実務的な問題もあった。FRBは一連の救済策をまかなうため、保有する米国債の一部を処分せざるをえなかった。もし手持ちの米国債がなくなれば、FRBはインフレの危険を冒してでもドル紙幣の増刷に踏み切りかねない。)

 米国財務が空っぽになるようなことをすれば、残された、ありきたりの道は、紙幣を刷りまくることだし、インフレになるだろうと。
 そういうことになるのだろうか。
 サミュエルソンのコラムとしては、ちょっと無責任な感じがするのと、それ以上は言えないコラムの限界があったかなとも思うが。
 経済コラムということを除けば、サミュエルソンの実質的な示唆は当たるのではないか。私は今回の米国の対応は、第二のプラザ合意ということなんじゃないかと思う。またまた日本がツケを払うということでもある(バブルとその崩壊の芽はプラザ合意にあった)。
 中国もツケを払うことになる。中国はそれに同意しているようだが、予想通り(参照)インフレへの舵を切ったから、一番のババ掴みは日本になるだろうか。
 関連して、今週の日本版ニューズウィークは激動に間に合わなかったが、”リーマン危機で金融恐慌の脅威(A Sour Lehman Aid)”というダニエル・グロスによるダジャレ・タイトルのコラムは示唆的だった。

 ベアーや住宅公社2社とは事情が違う、というのが財務省の主張。住宅公社の場合、両者が発行する債券は暗黙の政府保証つきとみなされ、中国人民銀行など世界の中央銀行が大量に保有していた。FRBによればその残高は、08年3月末時点で9850億ドル。アメリカ政府は、それが債務不履行に陥ることで重要な貿易相手国が大きな損失をこうむる地政学的なリスクを冒すことはできなかった。「大きくてつぶせなかったわけじゃない」と、調査会社フュージョンIQのバリー・リソルツCEOは言う「中国に借りがありすぎたんだ」

 私は米中の金融の摺り合わせは努力してもそれほどうまくはいかないだろうと思っていた。実は今でもそう思っている。しかし、ようするに今回の米国金融の混乱は、米国はそれなりに自分の肉を切っても中国に摺り合わせの努力をしているということかもしれない。中国もそれに目下応えているようだ。
 米国民がそれに同調するか、北京がどこまで同調できるかわからない。どっちかといえば、ワンテンポ遅れていやな崩壊がありそうにも思う。

追記
 日本語版ニューズウィーク日本版10・1に邦訳が掲載されたので、該当部分の訳を補っておく。ただし、比べてみるとわかるようにあまり適切な訳とは言えないかも知れない。

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2008.09.21

北京オリンピックが終わったので、プラズマテレビを買った

 3月のエントリ「極東ブログ: 北京オリンピック近づくに黄砂の他に舞うもの」(参照)でこう書いたものだった。


私はオリンピックにはほとんど関心はないが、つつがなく北京オリンピックが成功すればいいなと思っている。そしてできたら秋口に値崩れしたハイビジョン・ディスプレイでも買おうかな、とその程度の思いしかない。

 というわけで、ハイビジョン・ディスプレイっていうか、ハイビジョンテレビを買った。結論からいうと、プラズマテレビにした。「Panasonic VIERA 42V型地上・BS・110度CSデジタルフルハイビジョンプラズマテレビ TH-42PZ800」(参照参照)というやつ。
Panasonic VIERA 42V型地上・BS・110度CSデジタルフルハイビジョンプラズマテレビ TH-42PZ800
Panasonic VIERA 42V型
地上・BS・110度CS
デジタルフルハイビジョン プラズマテレビ TH-42PZ800

 この手のものを買おうかなと思ったのは昨年2月、エントリ「極東ブログ: 普通に人が知っていることで私が知らなかった三つのこと」(参照)にも書いた。この時点でまるで理解しておらず。

 とりあえず自分なりに納得したものの、またダイモンはささやく。どうもサイズが変だ。ハイビジョン・ディスプレイのサイズが、ブラウン管のそれと違うようだ。
 帰宅してネットで調べてみた。解説によると、29型ブラウン管テレビの縦のサイズは32V型のハイビジョン・ディスプレイのサイズより短いらしい。とにかく、そうらしい。なので40V型を買えとのことだ。これも普通に人が知っていることで私が知らなかったことみたいだ。

 このエントリでdrpさんから有益なコメントをいただいた。

地上デジタル放送は1920x1080(インターレース)で配信されています。これをハイビジョンと呼ぶなら、パネル画素が1366x768しかない多くの横長テレビはハイビジョンデータを低解像度で表示する「似非ハイビジョン」です。これを知っているマニアの間では、そのようなテレビに対して「ハーフHD」という屈辱的な呼称が用いられています。

ところが、電器屋の集い(JEITA)の定義上は垂直650画素を超えれば「ハイビジョン」を呼称できることになっているため、店頭の多くの似非ハイビジョンも「ハイビジョン」と表記しているわけです。で、似非ハイビジョンを「ハイビジョン」と呼んでしまったために、本来のハイビジョンに対応しているものは「フルスペックハイビジョン」などという複雑な名前で呼ばなければならないという、消費者置いてけぼりの状態となっているのが現状です。


 他にも有益なコメントをいただいて今回購入時に参考になった。ということは、実は今回購入するにあたってよくわかっていなかった。今では多少理解して、というか実際に見て納得したが、現行の地上デジタルは1440×1080iが多いようだ。NHK BS hiは1920×1080で、これを「フルハイビジョン」と呼ぶらしい。ちなみに、私は早々にBS hiは受信契約している。
 いろいろと無知だったな、なのだが、なかでも実に無知だったなと思うのは、通常のDVDの多くも4:3のSDTVだったわけだ。ディスプレイ購入後映してみて、わかったというか、なるほど世人がブルーレイっていうわけだ。というか、DVD映像汚いじゃん。
 プラズマテレビ購入に至るまでのどたばただが、当初、ソニーかシャープの液晶を考えていた。親族の家で見せていただいたおり、液晶よりプラズマがいいよとは言われていたが、プラズマというのもよくわからなかった。サイズは37型くらいでいいと思っていた。
 で、いくつか液晶テレビを家電店店頭で見たのだが、どうもキモイ。なんか表示が普通じゃないという感じがする。そのうち、微妙に船酔いみたいになる。これはいったいどういうことなんだろ、でかいディスプレイに慣れてないからか、目が悪いからか、と思ったのだが、どうも気持ち悪いな感は再現する。同じような感想を持つ人はいるんじゃないかとぐぐって知ったのだが、どうも「液晶酔い」ということらしい。へぇ、まいったな。
 最近の液晶テレビ技術だと描画速度も上がってそういうことはないという話も聞くので、また家電店で見てみるのだが、最新の機種のでも来る。だめだわ、俺、大型テレビ向いてねぇと思ったあたりで、そうでもないのを見つけた。つまり、それがプラズマ。
 じゃ、プラズマテレビで考えますかと、いうところで困ったのは、プラズマテレビって37型というのはほぼない。じゃ、42型でもいいか。液晶テレビを選択するときはあれこれ迷ったけど、42型のプラズマテレビとなると、ぐっと選択は狭くなる。で、当初パナソニックのPX80というのを考えた。ちなみにこれだと37型もある。店頭で見てみた。液晶酔いはないんだけど、なんか暗いし発色悪い、横のと比べるとジャギー、ということで、この時点で、ようやく「ハイビジョン」と「フルハイビジョン」の違いがわかった。PX80はフルハイビジョンではないのか。
 なんかセリの金額が上がっていくようだが、次にフルハイビジョンのPZ80を検討した。ま、これでいいんじゃないのと思った。そこで隣に置いてあるPZ800と見比べなかったら、そのままPZ80にしていたと思う。でも、比べたら、色が違った。まいったな、オレこんな些細な色にこだわる人間だったのかよと自嘲して、まあ、PZ80で決まりということにいったんした。買うのは後日もう一度別の家電店で比べてからにしようと思った。
 眠れない。
 というほどでもないが、どうもPZ80の発色が気に入らない。発色なら液晶のほうがええんでないのと液晶を見ると、ああ、もうだめ。しかたないなということで、この機種TH-42PZ800にした。ネットで買うと安いのだけど、この手のものは地域の家電店で買ったほうがいいだろ、そのくらいは経済学でいう「取引コスト」の部類かなと。
 私はもともとテレビ番組はほとんど見ない人というか、VDRに適当に貯めて再生するだけなんだが、実際に部屋に入れてみたら、42型でもすごい迫力っていうか、きれいなもんだな。というわけで、VDRの録画のほうもHDクオリティというのかハイビジョンにしたし、地上波デジタルなんてイラネとか思っていたけど、以降、地上波デジタルしか録画しませんよ、オレ。
 Wiiに接続したら、げ、Wii Fit島のこんなところにマリオいるじゃん、ひどいよ的ですよ。こんなに世界は広かったのか。では、広い世界でグラディウス・リバースやったら楽勝じゃんとか思ったけど、それはダメでした。
 とま、すっかりハイビジョンな私になってしまって、あれですな、気分は。

汚れっちまった悲しみに
今日もきれいな映像だ
汚れっちまった悲しみに
今日も女の皺を見る

汚れっちまった悲しみは
たとえば狸の玉裘
汚れっちまった悲しみは
小雪(参照)のかかってちぢこまる


 昨日のエントリ「極東ブログ: パパと一緒に食べたいの♪」(参照)で昔のCMソングの話を書いたが、あのなかに「うちのテレビにゃ色がない♪」というのがあったが、白黒テレビからカラーテレビ、そしてハイビジョンテレビを経験したなあ。なんだか夢の未来を生きているみたいだ。

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