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2008.09.20

パパと一緒に食べたいの♪

 諸君10月号「ブログ論客かく語りき これが〈格差〉の現実だ」にジャーナリストの佐々木俊尚さん、「アンカテ」主宰アルファブロガーessaさん、「天漢日乗」主宰アルファブロガー天漢さんの鼎談があって、それはそれで面白いには面白いのだけど、出だし近く、ブログ論壇というのは75世代が中心かなみたいな話があり、それはあれかな、06年8月の文藝春秋に梅田望夫さんの「グーグルを倒すのは'75世代だ」のエッセイの流れだなとか読んでいくと、その梅田さんは47歳とあり、ファイナルベントさんは50歳というのがあった。え?と思うより、ちょっと他人事のような感じがしたのは、俺っち50歳をしっくり受け止めてない部分はある。と、枕。
 でも、50歳という、自分に積み上げられた年月もだけど、それより自分が生まれた昭和32年、西暦1957年という時代の感触を思うこともある。世代論的には私は、団塊世代から新人類世代への中間の徒花のようなものでそのヤーヌス的な心性もある。というのが、標題「パパと一緒に食べたいの♪」である。
 「パパと一緒に食べたいの♪」というのを見て、頭にメロディラインが浮かんでいるのはどの年齢までだろうか。そう思ったのは、たぶん私より5歳ほど若い世代の方ではないかなと思うが、「日曜日には父がラーメンを作ってくれたものでした」といった述懐を聞きいたおり、脊髄反射で私が「パパと一緒に食べたいの♪」とツッコミすると、「それってCMですか?」と逆に問われたことがあったからだ。仮にその方が私より5歳分お若いとして昭和37年生まれ、つまり1962年生まれということになる。そう考えてみて、なるほどな、もしかすると、「パパと一緒に食べたいの♪」のメロディラインは想起されないのかもしれない。
 「パパと一緒に食べたいの♪」は明星食品のインスタントラーメンのCMである。


明星即席ラーメンのうた

雨が降ってる 日曜日
坊やドロコンコ なぜ泣くの
あそこの角で ころんだの
どうしてそんなに 急いだの
明星即席ラーメン
パパと一緒に食べたいの


 今50歳以上の人なら誰でも歌えると思う。省略した二番まで歌える人は少ないだろうが。
 これはいつの歌だったか。「60年代の食文化」(参照)というサイトの情報が正しければ、明星食品「明星即席ラーメン」(スープ別添え)は1962年の製品なので、62年ではないか。
 そう考えるといろいろ辻褄が合う。私が5歳ころで、まさに「明星即席ラーメンのうた」に出てくる「坊や」くらいの年齢だ。そして、ここが歴史の情感としてわかりづらいのだが、「パパと一緒に食べたいの」は5歳の私の心情そのものだった。「雨が降ってる 日曜日」に、パパと一緒に食べたいものはインスタントラーメンだった。
 これはその時代のパパからも言えることだろう。知人で私より数歳お若い高級官僚の娘さんというかお嬢さん(今ではもちろんおばさん)がいるが、子供のころやはり、パパとラーメンを食べていた記憶が鮮明にあると言ってた。パパは昭和一桁の世代だろうし、そのころの戦中・戦後の若いパパは子供にインスタントラーメンを作ったものだった。
 しんみりくる感じの話に無粋なメモが割り込むことになるが、「明星即席ラーメンのうた」はまさに「即席ラーメン」というキーワードが歌詞に入っているのだが、先のサイトの写真から見る商品名は「明星ラーメン」であり、英語でINSTANT RAMENとはあるものの、そこには「即席」という言葉も「インスタント」という言葉もない。明星食品の会社沿革(参照)でも1962年に「スープ別添の明星ラーメン発売」とのみある。ウィキペディアの明星食品(参照)の項目ではこうある。つまり、「明星即席ラーメン」という呼称はやはりない。

スープを粉末化して小袋包装する技術いわゆる「スープ別添方式」を開発し「明星ラーメン」を商品化する。この形が即席麺の標準型として現在まで受け継がれ、ラーメンのみならず、焼そば・和風麺が各社から商品化された。

 ところで、この粉末スープであることの意味合いは、先行するチキンラーメン(参照)が味付け麺だったことの対比にある。チキンラーメンのほうが湯を注ぐだけだったが、明星ラーメンのほうには多少なりとも調理的な手順があり、おそらくそこが「パパと一緒に食べたいの♪」という商品コンセプトでもあったのだろう。そして、にもかかわらず、それがインスタント食品であることを強調するためにCMソングでは「明星即席ラーメン」となったのではないかな。
 さらに重箱の隅をつつくようだが、現在のインスタントラーメンの「インスタント」は当時はこの歌のように「即席」だった。いつ「インスタント」が定着したのだろうか。先の「60年代の食文化」のサイトには次のように考察している。

 「インスタント」という言葉が最初に使われたのは1960に発売された森永製菓の「インスタント・コーヒー」だったと言われています。
 即席ラーメンの草分け、「チキンラーメン」は1957年ですから、インスタント以前の商品だったのです。即席ラーメンをインスタントラーメンと呼んだのは1960年代に入ってからということになりそうです。

 そうかなとも思うがはっきりしたことはわからない。インスタント・コーヒーについても、私の記憶を辿ってもはっきりとはしない。
 「パパと一緒に食べたいの♪」の明星即席ラーメンのうたに話を戻すと、該当の商品が出来た年代に加えて、なぜ私がこのCMソングを聴いていたかなのだが、つまり、62年ごろ何の番組でこのCMを聞いたのか。私の記憶では、日曜日昼時の10チャンネルの番組の一連ではなかったかと思う。だから「雨が降ってる 日曜日」なのではないか。ついでだがこの時間帯では「男は度胸、女は勘定。お手手出しても足出すな」の「がっちり買いまショウ」(参照)も懐かしい。
cover
懐かしのCMソング大全2
1959-1966
 私は懐かしむという心情がどうもうまく受け入れられない面があるのだが、最近はグラディウス・リバースも買うだけ買ったしみたいなノリというか、さすがにこのCMソングをフルで聞きてみたくなり、収録されている「懐かしのCMソング大全2: CMソング, ボニージャックス, BLACK CATS, 榎本健一, 小海智子, 牧嗣人, 楠トシエ, 中島そのみ, スリー・キャッツ, ボーカル・グループ, 東京混声合唱団」(参照)を買ってしまった。1959年から1966年ということになっているが、いくつかは70年代まで生き延びているようだ。

曲目リスト
1. まみむめもりながの歌
2. いろはのいの字の磯じまん
3. 明治JPチョコレート
4. ペンギンさん
5. バンロンの唄
6. アルペンの歌
7. 不二家ハイカップ
8. アサヒビールはあなたのビール
9. やっぱり味の素
10. くすりは山之内
11. 伊東に行くならハトヤ
12. 渡辺のジュースの素の歌
13. キャンロップの歌
14. 不二家パラソルチョコレート
15. ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー
16. サロンパス
17. ヴィックスの唄
18. テル
19. アツギのタイツで
20. アツギ・シームレスストッキング
21. パント錠の唄
22. グッと飲んだわグロンサン
23. タケダ・オープニング・テーマ
24. 長生きチョンパ
25. スカッとさわやか
26. ネスカフェ43粒スプーンに一杯
27. チキンラーメンのうた
28. 明星即席ラーメンのうた
29. 渡辺インスタントココア
30. 明治マーブルチョコレート
31. ブタブタ子ブタ
32. アスパラでやりぬこう!
33. ハウス・バーモントカレーの唄
34. 春日井シトロンソーダ
35. パンシロンの歌
36. ワンサカ娘(レナウンの唄)
37. 明治チョコレートボール
38. かっぱの唄
39. 日石灯油だもんネ
40. ヘーイ,ミスター・ダッシュ
41. ワタシニモウツセマス(フジカシングル8)
42. サクマのチャオ
43. うちのテレビにゃ色がない
44. フェザー・オソリソリ
45. 明治ポリック水虫出たぞ
46. 意見が合うのは

 懐かしい、泣けるかと思っていたが、いくつかはあまりにビビッドに記憶が蘇り、当惑というのか幻惑感があった。「ヘーイ,ミスター・ダッシュ」とか思わず、脊髄反射でエコーしてしまいましたよ。ブルースカーイ、ブルースカイ♪
 明星即席ラーメンのうたが「ロカビリー3人男」ミッキーカーチス(参照)というのは知っていたが、歌詞まで彼だったのか。
 「伊東に行くならハトヤ」が野坂昭如というのは知っていたが、「不二家パラソルチョコレート」もそうだったのか。そういえば、パラソルチョコレートって今でも不二家で売っているんだろうか。あ、あった(参照)。
 ミニマルみたいな「キャンロップの歌」も野坂か。やっぱり佐久間のキャンロップだよな。 「サクマのチャオ」の歌は天地総子。「ワタシニモウツセマス(フジカシングル8) 」の台詞は扇千景(参照)かあ。
 「ネスカフェ43粒スプーンに一杯」は弘田三枝子、う、うまいなあ。っていうか、弘田三枝子はレナウン娘だよな。
 ああ、なんかもう気分は爺。

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2008.09.19

AIG救済、雑感

 リーマンは救済されなかったが、AIG(American International Group)は救済された。リーマンを見捨てた時点では、米国家による救済はこれで終わりメッセージとも受け取れる感じはあったので、その後AIGが救済されると、後付の理屈はいろいろあるせよ、恣意的な印象は否めない。
 今朝の朝日新聞社説”ドル資金供給―市場安定に方策尽くせ”(参照)も「リーマンを見殺しにしたかと思えばAIGを救済し、市場が動揺したら世界中にドル供給網を張る。米当局の対応には泥縄の観も否めない」とぼやいてみせたが、まあわからないわけでもない。
 近く僧正の申し開きもあるだろうし、僧正が役職ついた時に書いた「極東ブログ: バーナンキ祭の後」(参照)でワシントンポストのコラム”Inflation: Man vs. Machine”(参照)に触れたが、僧正はもともと”he proposed creating a machine to crank out the central bank's interest-rate decisions.(彼は中央銀行の利率決定を量産する機械の製造を提案した。)”という考えのおかた。FRBの運営など理論どおりにメカニカルに遂行すればいいといった考えの持ち主でもあるので、FFは○、リーマンは×、AIGは○というのも機械的な説明があるのではないか。いや皮肉。目下の問題は金利ではないし。
 「極東ブログ: リーマン破綻、雑感」(参照)で触れたフィナンシャルタイムズは、AIG救済についてはなんと言うのかなと気にしていたが、17日付けの”Changing the rules of the game”(参照)がそれ。曰く「ゲームのルールは変更だ」ということ。救済基準の変更ということでもなさそうだがと読み進めていくと、ちょっとどきっとしたことが書いてあったので、エントリでも少し触れておきたい。


Just two days after allowing a large investment bank to fail as a stern statement of free market discipline, Ben Bernanke, chairman of the Federal Reserve Board, and Hank Paulson, Treasury secretary, in effect nationalised American International Group, the insurance giant. There was no alternative, but these dramatic steps show how finance will never be the same again.

 出だしはしけた感じで事後確認。他に手はなかったじゃん(There was no alternative)ということ。そのあたりは後で補足もあるだろうし、いくらでも補足はありうるのだろうが、問題は"these dramatic steps show how finance will never be the same again"ということだ。ようするにもう金融の世界は同じルールでやっていけないよということ。以前の”Kill or cure for the Wall Street malaise”(参照)の"the banking system as we know it has failed."と同じ意味に受け取っていいだろう。未来の金融の世界は今と同じではない。
 では、どうなるというのだろうか。その前に。AIGを救わざるをえないということについてフィナンシャルタイムズはこう弁解する。

But AIG was too important to go under. Default on its $441bn exposure to credit default swaps and other derivatives would have been a global financial catastrophe.

 CDS(参照)やその他のデリバティブ、都合4410億ドル(47兆円)が不履行となると世界経済の崩壊(global financial catastrophe)となるらしい。私にはよくわからないがフィナンシャルタイムズが言うのだからそうなんだろう。その先の説明には焼け糞感が漂う。

As with Freddie Mac and Fannie Mae, the nationalisation of AIG has caused problems for future policymakers, but future systemic moral hazard is of secondary importance when the system itself is at risk.

 世界経済のシステムが崩壊することに比べるなら、モラル・ハザードなんて二の次だよ(moral hazard is of secondary)、と。あれだな、吉本隆明がよく言っていたが、食うに困ったら盗みでもなんでもやれみたいな話だな。
 フィナンシャルタイムズはこの続きで、AIG救済のスキームはよく出来ているし、僧正が金利を下げずにカネを投下したのもよしとしている。それはそうではあるんだろうが。
 私がどきっとしたのは、しかし、そんなことではなく、次の指摘だ。

Of potentially greater importance, however, the reach and power of the state has been greatly extended. The Bear Stearns bail-out involved the Fed moving to cover investment banks. With the AIG takeover, it has moved into insurance.
(潜在的な一層の重要性は、しかしながら、国家の対応範囲と権力が大幅に拡大されてしまったことだ。ベア・スターンズ救済によって国家の中央銀行が投資銀行を兼ね、AIG救済では保険業務まで担うことになってしまった。)

 国家が巨大な投資銀行と保険を含み込んでしまったというわけだ。
 国家なんてものは小さければ小さいほどいいという吉本主義者の私にしてみれば、米国のこのデブデブ状態は社会主義みたいなものだし、結果論からすれば、それはないでしょ的な存在だ。

In the long run, policymakers must turn their minds to how systemically important institutions should be governed without creating over-powerful regulators, and whether any parts of the financial system might best be kept in the public sector.

 米国家は結局投資銀行と保険を運営しなくてはならないはめになったということ。
 フィナンシャルタイムズもそこを憂慮している、ということでもある。

Governments are currently rightly preoccupied with crisis management. The next challenge will be to work out how far the state should stay as more than just an umpire.
(政府が危機管理に没頭しているのは目下とのころは正しい。だが、次の課題は、国家が審判以上の役回りをいつまでこなしていくかということだ。)

 国家が投資や保険なんかやるもんじゃないよ、というのだが、はて? なんかを思い出すな。そういえばつい最近まで、国家が投資や保険をやっていた経済大国があったっけ、どこだったけ、極東のあたりに。
 洒落にならない。日本がようやく、国家規模の投資銀行である郵貯と保険屋である簡保のワンセットの郵貯民営化への糸口を見つけたのに、本家米国では投資銀行と保険屋を今から国営化ですかい。米国最新トレンドってやつか。
 っていうか、日本の郵政解体もそう簡単なことではないから、実際の展開に当たって見直しも必要なるのかもしれないというのは、わからないことではない。私は、小泉郵政選挙の際、その支持をしたために小泉マンセーに見られて、ひどい揶揄や中傷や嫌がらせを受けたが、私は小泉支持者ではなく、十五年来の小沢一郎の支持者だったし、彼も郵政の自主運営を唱えてもいた。郵政民営化は小沢がやるべきだと思っていた。あの選挙の時でも、郵貯と簡保の民営化を彼は認めていた。
 が、話がだいぶずっこけるが、それが、郵政民営化を潰す点で国民新党と一体化するという話を聞いたときは、がっかりした。郵政民営化の見直しというのはあってもいいと思う。だが、大樹をバックにした国民新党の路線を呑んでのことではないでしょ。
 今しがたニュースを見たら、民主党と国民新党の合同はお流れになったそうだ。それはよかったねと思ったが、日経記事”民主、国民新が合併断念”(参照)によると、決裂した理由は、「国民新党は対等合併と民主党の党名変更を求めていたが、民主党が応じなかった」ということらしい。戦陣訓其の二第八「名を惜しむ」、あるいは義経の弓流しの故事か。なんかもう……。

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2008.09.17

日本の備蓄米放出の話、その2

 米国経済の問題は依然混沌としているが、日本の備蓄米について、この機に少し言及しておくべきかな。話は、「極東ブログ: 日本の備蓄米放出の話」(参照)の続きになる。
 最初に関連事項だが、ニューズウィーク日本版9・17でビル・エモットが福田辞任にふれたコラム”政権交代まで日本の漂流は終わらない”のなかに気になる言及があった。


 日本は世界的な食糧危機に有効な対応を取れなかった。もしコメの備蓄を国際市場に放出したり、アジア諸国に大型の経済支援を実施していれば、中国に対抗してアジアでの発言力を高めることができたかもしれない。

 読みながら私は迂闊にもあれ?と思った。いろいろごたごたした経緯はあったもののそれなりにコメの備蓄を放出したのではなかったかと。
 ところが、そうではなかったようだ。15日付けワシントンポスト社説”Release the Rice (III)”(参照)を読んで驚いた。というか、(III)になる理由は、先に書いた「極東ブログ: 日本の備蓄米放出の話」(参照)にすでに書いた。
 さてこの(III)だが、リードは”While the hungry suffer, Japan still sits on a mountain of imported grain.(飢餓に苦しむ間、日本は依然輸入米の山の上に胡座をかいている)”というもの。

JAPAN'S RICE mountain is a monument to the irrationality of economic protectionism. Rice-growing in Japan is notoriously inefficient. But it is also the source of income for a powerful political constituency, so the country blocks consumers from eating imported rice.
(日本のコメの山は経済保護主義の非合理性の記念碑である。日本の稲作の非効率性は悪名高いばかりか、強い政治的な選挙地盤獲得の源泉でもあり、この国は輸入米を消費者が食用にしないようにしている。)

 輸入米を食わせないようにするのがポイントということ。なんかふと思い当たることがあるようなないような。

As a sop to the United States and other producers, each year Japan imports some rice, which it stores in warehouses. As of April 1, the stockpile had accumulated to 1.3 million metric tons, enough to feed more than 20 million Japanese for a year.
(米国やその他の生産者のご機嫌伺いに、日本は毎年所定のコメを輸入し、倉庫に備蓄している。4月1日には、備蓄は130万トンに達し、年間2千万人日本人を養うに十分な量にまでなった。)

 世界全体がコメ余りならそれもありかもしれないが、そうではなかった。アジア諸国にコメ高騰の危機が及び、世界中から日本のコメ政策が叩かれ、フィリピンに20万トン、アフリカに2万トンを提供することをアナウンスした。
 で、それは実施されたと私は思っていた。違った。ワシントンポストはこう嘆く。

We applauded these moves -- but we may have spoken too soon. Three months later, Japan has not released a single grain. The sale to the Philippines has not happened because the two countries are still haggling over price. Nothing more has been heard on Africa donations; a spokesman for the Japanese Embassy in Washington told us that he had no details. Meanwhile, Bloomberg News has reported that Japan is considering selling 600,000 metric tons of the rice to its own farmers for use as animal feed.
(私たちはこの動向を賞賛した。が、時期尚早だったかもしれない。3か月が経ても、日本はコメ一粒も放出していない。フィリピンへの売却が実現しないのは未だに二国間で価格交渉をしているからだ。加えてアフリカへの贈与の話も聞かない。ワシントンの日本大使館広報員が私たちに語ったところによれば、詳細情報はないとのことだ。その間、日本は60万トンの備蓄米を自国畜産業者に家畜飼料として売却を検討していると、ブルームバーグ・ニュースは伝えていた。)

 これはひどい話だなと思う。というかワシントンポストのRelease the Rice (III)を読むまで私は事態がそういう進展をしているとは知らなかった。戦後の飢えに苦しんだ日本国民なら他国の飢えも理解していると思ったが、自国の家畜用にするのか。
 幸いというべきか、ワシントンポストの社説もこの先指摘しているが、当時1100ドルのコメ価格は約735ドルにまで落ちている。ワシントンポストは日本が当時提供するアナウンスした効果があるとしている。が、私はこれは原油価格の低下のように投機が弱くなったからではないかなとも思う。いずれにせよ、価格が十分に下がったという状況ではない。

Still, poor Filipinos are paying far more for rice than they did a year ago, and they need all the help they can get. Japan should promptly close a favorable deal with Manila and expedite donations of its imported rice stockpile to hungry people elsewhere. And it must abandon its costly, wasteful protectionism -- sooner rather than later.
(未だに、貧しいフィリピン人は昨年より高価格なコメを購入しているし、得られる援助はすべて必要としている。日本は早急にフィリピン政府が望む価格で交渉を締結し、日本が輸入したコメの提供をそこここで飢えている人々に提供することを促進すべきだ。加えて、先決事項として高価で無駄の多い日本の保護主義を廃棄しなければならない。

 ちょっとひねくれた見方をすると、ワシントンポストは人道主義の立場と、自由貿易主義の立場をわざと混同させているようにも見える。今日本に求められるのは人道上からの早急のコメの提供であり、次にコメの保護主義政策の転換となるだろうが、直結する話ではない。
 さて、この話はここまでだし、ここで終わりでもいいのだけど、どうも気になる関連の話があるので、多少話が飛躍するが触れておきたい。昨今、日本で話題の輸入米の事故米についてだ。
 事故米の処分は適切に行われなくてはならないし、それは食の安全から当然のことだが、そのことと、実際に流出した事故米の安全性については、多少分けて考えることができるし、さらにアフラトキシンのようなカビ毒と、農薬の問題についても、安全性の面で分けて考えたほうがいいだろうと思う。ということで、農薬、メタミドホスについてだが、16日付け毎日新聞記事”事故米転売:農薬規制強化後3500トンが事故米に”(参照)に興味深い指摘があった。誤解もされたエントリだが「極東ブログ: 三笠フーズの事故米、雑感」(参照)の次の部分に関連する。

 穿った読み方になるが、メタミドホスは2003年度以前は実際にはかなりの部分が野放しだったのではないか。

 16日付け毎日新聞記事では。

 コメ卸加工会社「三笠フーズ」(大阪市北区)などの事故米転売問題で、03~07年度の5年間に政府が売却した事故米の総量7400トンのうち、半分近くにあたる3500トンは残留農薬の規制が強化されたため輸入後に事故米になったコメであることが16日、農林水産省が民主党に提出した資料で明らかになった。基準を超える殺虫剤「メタミドホス」が検出され、三笠フーズが転売した中国産餅米800トンもこれに含まれている。

 別の言い方をすれば、残留農薬の規制が変更になったので、よって、3500トンが事故米にその時変わったということだ。また、それによって事故米が増えることになった。

 農水省の資料によると、書類が残っている過去5年間に売却された事故米7400トンのうち輸入米は5285トン、国産米は2115トンだった。輸入米の事故米は05年度の29トンから06年度の2589トン、07年度の1078トンと急増したが、その背景は06年5月に導入された「ポジティブリスト制」の影響とみられる。

 どうやら、03年以前というより、05年の時点でも今日なら事故米だったものが、普通に流通していたようだ。メタミドホスによる「事故米」の登場は、どうも2年前の変化と見てよさそうだ。
 同じく毎日新聞のこちらは社説なのだが”汚染米転売 農水省の責任を厳しく問え
”(参照)では、事故米の安全性についてこのように提言している。

 これまでに確認された範囲では、ただちに人体に危険な量の殺虫剤成分などは検出されていないという。だが、汚染米の流通は相当以前から続いており、体内に蓄積した場合の健康被害の不安はぬぐい切れない。

 ここで少し整理したい。
 現在、メタミドホスの事故米について安全性の視点からかその流通経路が話題になっているが、「汚染米の流通は相当以前から続いており」ということで、現在の事故米流通だけが問題ではない。整理したいのは、「事故米」と「汚染米」の関係だ。毎日新聞社説が「汚染米」としているのは、メタミドホスの「事故米」が生まれた06年以前を含んでいるので、06年以前の通常流通米の毒性を問題にしていることになる。そしてこれに対して、こう提言している。

 国は速やかに、汚染米の流通先での使用状況を確認し、健康への影響の有無を確かめると同時に、検診などの長期的な対策を講じることが不可欠である。でなければ、国民の不信と不安を解くことはできない。

 つまり06年以前の輸入米の流通経路をすべて明らかにして、「健康への影響の有無を確かめると同時に、検診などの長期的な対策を講じることが不可欠」だというのだ。
 正論というべきなのか、私には単純によくわからない。また、そうした調査がどのように可能になるのかもよくわからない。
 耐震偽装事件のとき、ヒューザーのマンションの耐震性が問題視されたが、同程度以下の耐震性の既存建造物はそれほどは話題にならなかった。いや話題にならなかったわけではない特に小学校校舎の耐震性に関心を寄せた人もいるし、地域よっては今も問題になってもいる。というか、予算がなくてできませんという問題に変質しつつあるようだが。

追記
 18日付けNHKニュース”農水省 コメ輸入は当面行わず”(参照)より。


こうした状況のなか、関係者によりますと、農林水産省は、17日に予定されていた輸入米2万5000トンの入札を延期しました。さらに、基準を超す農薬が見つかった輸入米は生産国に送り返すとする再発防止策の具体的な手続きが十分に固まっていないとして、当分の間、コメの輸入を行わないことになりました。コメの輸入は、政府が、WTO=世界貿易機関の合意に基づいて行い、基準を超す農薬やカビが見つかった輸入米は、工業用の「のり」の原料などに使いみちを限定して、加工業者などに販売しています。

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2008.09.16

リーマン破綻、雑感

 世界経済のむずかしい話なんか私のような阿呆なブロガーにわかるはずもないのだが、ここは世界の傍観者として一言くらい。とはいえリーマンがサラになったらサラリーマンとか暢気な洒落言っている場合じゃなくて、これで人生が狂ってしまう人もいるのだろうなと思う。株とか投資は一種の博打なんで勝ちもあれば負けもある、というのをそれなりに人生のどっかの局面で覚えておくといいのだけど、初手からずんどこする人もいるだろう云々。
 私が微細に株をやってたころは安田二郎の本とかよく読んでいた。この人今どうしているのだろう。すがやみつるさんが安田の奥さんはきれいなかただったと言っていたがそれはさておき、安田は株は博打じゃない三分の一にまで落ちることはないと言っていたのを思い出す。ついでに、人の行く裏に道あり花の山というのも思い出すが、さてそんなことは今でもあるのか、いやあるんだろうけど、そこを行くのは「人」じゃあないんだなとしみじみ思う。
 さて。
 蓋を開けて見て後出しじゃんけんで言うなら、リーマンの破綻は「極東ブログ: ファニーメイとフレディマックと中国の物語」(参照)で触れた、FF兄妹の救済の必然なわけでポールソンはそこまで決めていたのだろう。では、市場関係者はその必然を読んでいたかというとそのあたりをどう読むかが傍観者の視点。私は読めてなかったし、読めてない人も多かったのではないか。15日付けエコノミストのコラム”Nightmare on Wall Street”(参照)も率直にこう書いていた。


The weekend began with hopes that a deal could be struck, with or without government backing, to save Lehman Brothers, America’s fourth-largest investment bank. Early Monday morning Lehman filed for Chapter 11 bankruptcy protection. It has more than $613 billion of debt.

 リーマンはどっかが救うんだろうという曖昧な空気だったのだろう。ベア・スターンズみたいに米政府かな違うかな("with or without government backing")、という逡巡に、FF兄妹の救済からさらに微妙な空気が加わり、だからこそそれが醸し出される前に、結果的にだけど、一気に潰したということなんだろう、毎度ながら薄目傍観だと。
 というわけで、その線引きは何?ということになる。フィナンシャルタイムズ社説”Kill or cure for the Wall Street malaise”(参照)はそこにきちんと焦点を当てていた。

Lehman is entering bankruptcy because the US Treasury refused to subsidise a rescue. That is a change of policy after Bear Stearns and a stark contrast to the nationalisation of Fannie Mae and Freddie Mac. It is emphatically a courageous call. The Bear Stearns bail-out was motivated, and probably justified, by the fear that a collapse of Bear would wreck the entire financial system, so interconnected was the bank with its peers.

 フィナンシャルタイムズは、ベア・スターンズとFF兄妹を救済してからの政策転換(a change of policy)があると指摘している。そしてそれは勇断(It is emphatically a courageous call)だとも評価している。
 FF兄妹は特例というのはわかるが、ベア・スターンズとリーマンの違いは何かは問われる。ベア・スターンズの場合は突然で連鎖を恐れたということだ、そうだ。

An important distinction between Lehman and Bear is that, while Bear failed suddenly, Lehman Brothers has been struggling for months. Those exposed to its failure have had time to hedge their risks and tidy up their transactions, so the financial system, rocky as it is, may be able to handle the unwinding of Lehman’s financial contracts in an orderly fashion. If so, the decision by Hank Paulson, the Treasury secretary, will be seen as the moment when investors and bankers had at last to take responsibility for their own risky decisions.

 違いはリーマンの場合はもう市場的には敗戦処理に入っていて、その処理というのはまさに普通に(in an orderly fashion)市場の問題でしょ、なので、潰れたのは普通に市場の原理でしょ、ということなのだろう。
 それで納得するかというのは別問題であれ、とりあえずそこで線引きしたわけで、そこから結果論的に見るとFF兄妹を救済した時点で、ポールソンの腹は決まっていたわけなのだろう。
 その視点から他はどうなるとフィナンシャルタイムズは見ているか。

The future of Goldman Sachs and Morgan Stanley, the last two independent investment banks, is now an open question. Goldman has survived not because of a fundamental difference between it and Bear, Lehman and Merrill, but because it took more successful bets. Investors may be happy to bet that the run of success will continue, but regulators may not: expect capital requirements to be tightened.

 つまり投資というのは賭けなんだから賭けに勝つか負けるかということ。政府がすべきことは金融の緩和くらいなものか。
 いやはや、日本人からするとひんやりしたものだのうという感じもするが、日本の場合は投資がどことなく日本に閉じているという印象から日本人の資産を防衛しなくてはアンヌ隊員、みたいな情感が働くからで、米国の場合はそういうものでもないだろう。
 フィナンシャルタイムズ社説の結論はその意味でだめ押しになる。

For now, the Treasury’s calculated risk looks better judged than those of a banking system intoxicated by bail-outs. Yet even well-judged gambles often fail.

 とはいえ、社説冒頭では新しい時代になるだろうとも言っていてそっちのほうが結語にふさわしい。

The world has not ended. The international economy has not yet collapsed. But one thing is now quite clear: the banking system as we know it has failed.
(世界は終わっていない。国際経済はまだ破滅していない。しかし、現時点で明確なことは、我々が銀行システムと呼ぶところのものは、もう失敗している。)

 これで問題が終わったわけではなく、なんとか今週を乗り切っても、この先のエコノミストが言うように信用問題は厳しくなりそうだ。

Even if markets can be stabilised this week, the pain is far from over?and could yet spread. Worldwide credit-related losses by financial institutions now top $500 billion, of which only $350 billion of equity has been replenished. This $150 billion gap, leveraged 14.5 times (the average gearing for the industry), translates to a $2 trillion reduction in liquidity. Hence the severe shortage of credit and predictions of worse to come.

 ひどくはなるのだろう、というか中期的にはそうかな。
 日本については、その問題、国際的な信用の喪失(Worldwide credit-related losses)もだけど、政策的には朝日新聞記事”日銀も1.5兆円の資金供給 金利は据え置きの見通し”(参照)ということ。

また、日本銀行は16日午前、金融機関の間で手元資金を融通し合う短期金融市場に対し、臨時に1兆5千億円を即日供給する公開市場操作(オペ)を実施すると発表した。短期金融市場に予防的に資金を供給するとみられる。日銀の白川方明総裁は「適切な金融市場調節の実施などを通じて、円滑な資金決済と金融市場の安定確保に努めていく」との談話を発表した。

 これで金利引き上げもないし、消費税アップの話は雲散霧消。結果的に便乗リフレってことになりそう。庶民的には、バブル期が若い人が思っているほどバブルの恩恵がなかったように、逆に今回も金融問題の波及は限定的で、当然インフレになるので経済苦しいなというのはあるけど、そこにかこつけて、しばらくすると意外に正解はリフレでしたねみたいなことになるんじゃないだろうか。楽観過ぎるかな。

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2008.09.14

[書評]やせれば美人(高橋秀実)

 私事になるが趣味の水泳の話をしていたら、面白いよと勧められた本がある。高橋秀実「はい、泳げません」(参照)だ。そこで読んだ。面白かった。ブログには感想をまだ書いていない。どう書くか微妙なところがあってためらっているうち、なんとなく感想を書くのも忘れてしまった。が、その本が面白かった記憶があり、高橋秀実の「やせれば美人」(参照)は、ためらいなく買った。これも読んで面白かった。数か所、笑い転げたところもある。ということで笑える本という売りもあるんだろうし、たしかに笑える。
 というあたりで、この本にも奇妙に微妙な心のひっかかりもあって感想を書くのにためらいそうなので、えいや、と書いてみる。

cover
やせれば美人
 本書は改題で、元は2005年にアスペクトから出版された「センチメンタル ダイエット」(参照)だ。私はそちらは読んだことなのが異同はないだろう。文庫版では中野翠が解説を書いているがそれほどぱっとしない。薄い本なので2時間もあれば読めるかと思う。そして、人にもよるだろうが、笑いの後に奇妙な印象を残す。「はい、泳げません」でも似た印象があったので、高橋秀実の資質なのだろう。軽いには軽いのだが内省的な視線に少し暗い感じがする。というか、そもそも、泳げないとか太った妻というテーマ設定自体、絶妙に暗い。
 紹介がてらに本の釣りを引用するのだが、がという部分の躊躇はあとで触れるかもしれない。

「目が覚めたらやせていた――」というのが理想、と妻は言った。不可解な女性心理を考察し続けた夫の3年間の記録。抱腹絶倒のダイエット・ノンフィクション。

妻が倒れた。心臓がバクバクするという。158センチ80キロ、この10年で30キロ増量、明らかに太りすぎ。ダイエットするわ、私。子供も産みたいし――病院の待合室で妻はしんみり呟いた。しかし運動は大の苦手、汗をかくのは美しくない、目が覚めたらやせていたというのが理想とのたまう。夫は、ダイエットの道を探り始めた。不可解な女性心理に寄り添った抱腹絶倒の3年間。『センチメンタル ダイエット』改題。


 短い釣り文に、「不可解な女性心理」が二度も出てくるが、本書のテーマは、まさにそれだと言っていいだろう。ある意味、女性を描くという点でとても優れた作品だ。

 もともと妻は運動が嫌いである。
 というより、汗をかくことが大嫌いで、基本的には一日中、リビングの大きなテーブルに向い、置物のようにじっとしている。
 彼女はこの位置を「定位置」と呼ぶ。そしてそこを中心に、仕事で必要な文房具や書類などを手の届く範囲に配置している。すべてが定位置なのである。

 私はこういう女性を数名知っている。太っている。一人暮らしだと猫を飼っているのではないかと思う。が、公平に言えば、「定位置」性は本居宣長を引くまでもなく痩せた男、というか、学者にありがちだが、が、やはり女性の場合はなにか独特の何かがある。単純に考えれば、定位置にいるから運動が少なくて太ると考えがちだが、たぶん、それは違う。高橋もおそらくそう考えているのだろうが、それ以上の考察はない。この本では、何か奇妙な領域の一歩手前まで行ってはしかし黙って引き下がるという感じがすることがいくつかある。
 本書の主人公ともいえる太った彼の妻君だが、昔から太っていたわけではなかった。痩せることは不可能ではないとも確信している。10代をデビュー前と呼んで。

 彼女はデビュー後の女優なのであった。
――デビューしてから、やせてもいいんじゃないですか。
「はっきり言うと、もうどうでもよくなっちゃう」
――どうでもいい?
「私は努力をしないで、やせたいのよ」
 彼女は真顔で言った。虫がよすぎると私は思った。
――なぜ?
「何もしないで、しあわせになりたいのよ」
――しかし、何事も努力というものが……。
「努力には”美”がない」
――……。
「努力して何かを得ても、当たり前でしょ。努力したんだから。それではしあわせにはなれない」
――と、いうことは?
「努力をせずに得てこそ、しあわせなのよ」
 やせることと「美」や「しあわせ」をすり替えているようにも思えたが、下手に反論すると、「しあわせ」をもたらさない私がそもそも悪いということになるので、止した。

 笑い話のような展開だし、もちろん、笑う。しかし、笑ったあとに、たぶん、ある程度女というものに手を焼いた、あるいは焼くことの意味を受容した男なら、笑ったあとに、「ちょっといけなかったかな」と首をすくめるだろう。そのあたりの機微も高橋はそれとなく描く。と同時に、「妻」という存在の奇妙な距離を描き出す。

――じゃあ、どういうダイエットなら、やってみたい?
私が起き上がってたずねると、妻が即答した。
「朝、目が覚めたらやせてた、っていうやつ」
――……。
ありえない話だった。
「この世に、ありえないことはない」
妻は断言した。

 というあたりで「妻」という言葉が夫婦の関係性のなかで奇妙な色彩をもつ。
 ここで少し下品な感想を私は書こうと思う。
 何の気無く、面白そうだから読み捨て文庫本というくらいで、ふふふんと読みながら、私はあることを考えずにはいられなかった。

 妻はデブである。
 結婚前はデブでなかったが、結婚してデブになった。
 158センチで80キロ。
 この10年で30キロも増量したのである。
 かつて彼女は当時のアイドル歌手、小泉今日子に似ていた。怒っても笑っても、その表情が顔からこぼれるキュートな顔立ちだったのだが、今はまわりに余白が増えたせいで、表情が小さい。かつての顔が今の顔の真ん中あたりに埋もれており、遠くから見ると、怒っているのか笑っているのか、わからないほどである。

 私が下品な関心をもったのはデブな妻をもつ夫の心理とは何かである。
 もう少し言えば、たぶん男というのは妻がデブになろうがあまり関心を持たない。そして、そのことがある意味で本書に如実に描かれているのが興味深い。
 高橋は妻を「デブ」と呼ぶが、本書を普通の読解力のある人が読めば、細君への愛情は読み取れるし、「デブ」に関心がないというより、それはそれで受け入れている。
 というか、その受容の部分にこそ夫婦の関係性があるのだろうとは思うし、実世間の別事例ではそこに奇妙な嫌悪の乖離もまたあるだろう。その機微の部分の秘密というか象徴の一端がおそらく、妻と限らず夫であっても「デブになる」ということなのだろう。
 本書は中頃からダイエットの取材といった趣になる。太った妻との関係が背景に引き、知識や現代社会が語られる。そのあたりは、私にはどちらかといえば退屈な話であるが、人によってはそこもまた面白いのだろう。いや、私も婦人服の号数の仕組みの話は、本書で得心した。なるほどね。

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