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2008.08.29

微妙にお疲れ様でした的なムシャラフさん

 今月ブログをへたっていた間に起きた国際情勢でこれははずせないなというのは、18日のパキスタン、ムシャラフ大統領の辞任だろう。私は、ムシャラフでパキスタンは安定化すると見ていたので意外は意外だった。
 流れ的には議会で連立四党による弾劾決議が迫り、強行に政権を維持するか、辞任するかという二者択一しかなかった。そう追い詰められたら前者しかないじゃないかという思いと、ムシャラフさんももう疲れてるんじゃないかなという感じはあった。
 というか、ムシャラフさんも自分の思いで突っ走れる時期は超えているし、あとは誰がサポーターかということになる。国民はもうそれほど支持していない(かつては支持してくれたのに)となると、軍と米国が頼みということになる。他に頼みになるスジが無いわけでもないけど、その悪スジを取ることはないだろう。
 なので結果が出てみると、軍と米国はムシャラフさんに引導を渡したということだ。軍からの見限りがあり、その全体を読んで米国がスッコメを呑ませたということではないか。ただ、軍と米国に今後のシナリオがあるかといえば、無いんじゃないか。
 事実関係のログとして報道もクリップしておこう。18日朝日新聞記事”ムシャラフ・パキスタン大統領が辞任 与党の圧力受け”(参照)より。


パキスタンのムシャラフ大統領(65)は18日、大統領を辞任した。99年の軍事クーデターで政権を奪って以来、軍の力を背に事実上の独裁体制を敷いてきたが、3月に発足した反大統領派の連立内閣を支える人民党やイスラム教徒連盟シャリフ派など4党が、大統領弾劾の圧力を強め、辞任を迫っていた。

 99年の軍事クーデターについては後で触れたい。

連立4党は今月初め、国会でムシャラフ氏の弾劾決議を目指すことで合意。その上で、クーデターによる政権掌握や昨年11月の非常事態宣言などが憲法侵害に問われ、死刑につながる可能性があった弾劾決議の前に辞任するよう求めていた。ムシャラフ氏は演説で「弾劾には根拠がなく、戦う用意があるが、弾劾が成立しても失敗しても国を混乱に陥れるだけだ」とした。

 でも、なんとか折れたということだ。
 彼の心情は、IBTimes”メッカの巡礼へ行きたい:ムシャラフ大統領”(参照)が伝えるとおりかもしれない。

9年間実権を握り続けてきたパキスタンのムシャラフ大統領が辞任してから一夜が明けた19日、同氏は報道陣に対し、近くメッカに巡礼の旅に出る意向を表明した。しかし国会では、反大統領派が同氏の弾劾裁判を行うよう要請している。


ムシャラフ氏はまず「ウムラ(Umrah:時期を問わぬメッカ巡礼)」の旅に出て、そこからアメリカに向かい親族に会うと見られている。ムシャラフ氏の親族は、医者である弟のナヴィード氏がシカゴに、その息子のビラール氏がボストンに住んでいる。

 暢気なトーンの背景には、同記事が伝える強面の脅しもあったのだろう。

 報道によると、ムシャラフ氏は辞任前に、9年間の大統領就任期間中に行われたいかなる行動に対しても裁判にかけられることのないよう、また身の安全が保障されるよう、連立政府との間で合意を結んだとされる。この合意には、パキスタンのカヤニ陸軍参謀長とアメリカ、イギリス、サウジアラビア3国の政府が保証人になっているという。

 ムシャラフは99年にクーデターで権力を得たと言われる。その評価にはちょっと微妙な部分がある。先の朝日記事でも微妙な譲歩感はある。

ムシャラフ氏は99年10月、当時のシャリフ首相(現シャリフ派党首)によるムシャラフ氏の陸軍参謀長職解任を巡って起きた軍の無血クーデターで権力を掌握。01年6月には大統領に就任した。01年の米同時多発テロ後にはアフガニスタンとの国境地帯に潜伏する国際テロ組織アルカイダの掃討にも積極的に協力するなど親米姿勢をとった。

 さらっと読むと、当時のシャリフ首相がムシャラフ陸軍参謀長職を解任したのでそれに反発して、軍の力任せにクーデター起こしたみたいだが、そうではない。
 97年の総選挙でシャリフは首相に就任し、憲法改正によって権限を首相に集中させ、さらに自身が任命したムシャラフ陸軍参謀長との対立から、ムシャラフが海外出張中にだまし討ちのように解任し、彼がパキスタン航空機でカラチ着陸するのを妨害した。これを知った陸軍が怒りシャリフ首相を拘束した。ムシャラフ自身がクーデターで政権を取りたかったわけではない。読売新聞(1999.10.15)”パキスタンのクーデター 「解任」知った参謀長激怒 「だれも止められないぞ」”より。

 イスラマバード発のインドPTI通信などによると、シャリフ首相によるムシャラフ参謀長解任の動きを軍が察知したのは、十二日午前十時(日本時間同日午後二時)。当時スリランカ訪問中だった参謀長は、本国の副官からの連絡で、急きょパキスタン航空の帰国便に飛び乗った。
 パキスタン国営テレビが「参謀長解任」の声明を読み上げたのは午後四時。参謀長は機中にあったが、首都ではすでに幕僚らが緊急会議を開き、一時間半後には陸軍第百十一旅団が出動してシャリフ首相の身柄をおさえた。
 一方、カラチに近づいた参謀長機は、首相からの指示があったのか、空港管制塔から着陸を拒否された。激怒した参謀長はコックピットに乗り込み、「私がカラチに降り立つのをだれも止められないぞ」と叫んだ。さらに無線機を勝手に使い、管制官に「おれは参謀長だ。燃料がない」と呼びかけ、午後七時四十五分になんとか着陸にこぎつけた。
 カラチで参謀長は、国民向けテレビ演説の録画撮りを行った。この演説が国営テレビで放映された十三日午前二時五十分(日本時間同六時五十分)までに、軍は全土を完全制圧した。
 一連の動きは、「クーデターは、参謀長解任で引き起こされた突然の行動だった」(ラシド・クレシ陸軍報道官)との軍の主張を半ば裏付けるものだが、その反面では見切り発車的であったことも示している。

 おそらくムシャラフ政権への期待もあったのだろうが、こうした背景からも米国はこの事態をクーデターとするにはためらっていた。読売新聞(1999.10.13)”パキスタンのクーデター断定を米が回避 援助継続へ配慮”より。

パキスタン政変について、米政府高官は十二日、「クーデター」と断定するのを避けた理由について、「再任されたばかりの陸軍参謀長を解任しようとしたのはシャリフ首相である」と言明。ムシャラフ参謀長の軍動員以前にシャリフ首相が軍の一部を動かし、スリランカ訪問中の参謀長の帰国を物理的に妨害しようとしたとの情報もあり、米政府内では、ムシャラフ参謀長はこれに対処して行動をとったとの見方が広がりつつある。
 米国防総省のベーコン報道官も同日、「シャリフ首相がムシャラフ参謀長を解任、後任に自分の腹心であるジアウディン統合情報局長(軍の情報機関トップ)を据えようとしたため、参謀長が反発して(政変が)起きた」との見方を明らかにした。

 当時はこの政変もパキスタン国民にそれなりに受け入れられてもいた。読売新聞(1999.10.14)”パキスタンのクーデター 国民、むしろ「歓迎」 シャリフ政権は災禍”より。

 だが、市内ではシャリフ氏の身を案じる声は聞かれない。「軍万歳」と歓呼する市民の姿が目立つ。アタル・モイヌディンさんは「皆、軍の登場を喜んでいる」と話す。学生のマリア・ムカダルさんも「政権が求めたのは、自分たちの利益。軍が全権を掌握したのは良いことだ」と強調。商人のマクスッドさんは「混とん、無政府状態、利己主義がはびこっていた。シャリフ政権の二年半は災禍だった。それが終わったのは、神のおかげだ」と歓迎した。
 市民の多くは、「軍は混乱に終止符を打つために決起せざるをえなかった」とする参謀長の決起理由を受け入れているようだ。

 こうして振り返ると、シャリフのほうがろくなもんじゃないなともいるが、シャリフにも別の思いはあり、軍とイスラム原理主義勢力の関係を排除したかったと見ることができる。
 逆に軍を背景としたムシャラフはイスラム原理主義勢力と癒着を余儀なくされた。一方でイスラム原理主義勢力に、他方で米国に支持というムシャラフにできることは最初から限られていたが、それでもパキスタンの経済成長率は6%にも上がった。
 暗殺されたブットとムシャラフの間には、おそらく米国の仲介だろうと思われるがそれなりの連携の密約があっただろう。ブットの死によってそれが消えたとき、ムシャラフの荷はさらに重くなっていたのだろう。
 現在の、ムシャラフ後のパキスタンはさらなる混迷に向かうだろうし、そうした中でムシャラフの復権があるかというと、私にはよくわからない。少し待ったらシャリフですら復活したのだから、ムシャラフの復活もありえないこともないようにも思うが、なんとなく、ないんじゃないか。ムシャラフは大統領になりたい人ではなかったのだろう。
 過去を顧みると、この話の背後にもう一人、カーン博士という大役者がいる。彼がこの権力の渦のなかでどういう立ち回りをしていたのか、特にシャリフとどういう関係にあったのか、そのあたりはいつかきちんと歴史に記されるまで待ってもいいかもしれない。

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2008.08.28

ドン・ガバチョフ元大統領、グルジア問題を論ず

 今回のグルジア衝突の報道をブラウズしながら、しみじみ自分は西側という地域にいるのだなという思いと、報道を少し超えた部分の解説では日本は未だに喧嘩両成敗か念力平和主義くらいしか思いつかないのかなと思った。
 とは言いつつ、欧米のジャーナリズムというのはすごいもんだなと思ったのは、いやあるいはロシアがそれだけ自由化し知識人をもっているということかもしれないが、聞き耳を立てれば、ロシアの声もきちんと聞こえることだ。そういう例として、ゴルバチョフ元大統領のコラムを紹介したい。オリジナルはロシア語でロシアの新聞に掲載されたが、英訳されワシントンポストにも掲載された。”A Path to Peace in the Caucasus”(参照)である。最初に当然ながら、戦闘は誰にとっても痛ましいものであり平和が希求されるとある。最初にあるのは、日本の新聞社説じゃないんだから、それをオチしてはコラムにならないからだが。
 前口上が終わると、簡単にこの問題の背景について触れている。くどいけど、このコラムはロシア人向けに書かれたというのを念頭において読んでいただきたい。


The roots of this tragedy lie in the decision of Georgia's separatist leaders in 1991 to abolish South Ossetian autonomy. This turned out to be a time bomb for Georgia's territorial integrity. Each time successive Georgian leaders tried to impose their will by force -- both in South Ossetia and in Abkhazia, where the issues of autonomy are similar -- it only made the situation worse. New wounds aggravated old injuries.

 ゴルバチョフは、今回の衝突の背景を1991年に誕生したグルジア分離主義指導者の存在に見ている。彼らは南オセチアの自治を否定しようとしているのだ、と。そしてそれがグルジアの領土統合にとって爆弾となり、91年以降、グルジアは軍事力をもって南オセチアとアブハジアにごり押しをし、これが事態を悪化させてしまった、と。
 衝突はどのように発生したと彼は見ているか。

What happened on the night of Aug. 7 is beyond comprehension. The Georgian military attacked the South Ossetian capital of Tskhinvali with multiple rocket launchers designed to devastate large areas. Russia had to respond. To accuse it of aggression against "small, defenseless Georgia" is not just hypocritical but shows a lack of humanity.

 彼は、グルジアが非人道的にも首都ツヒンワリにロケット弾を打ち込み軍事侵攻したと見ている。そこでロシアはしかたなく応答することになった、と。
 ここで私のコメント。今回の衝突、いったいどちらが口火を切ったのか? 日本のメディアだとそこはわからないが衝突はいけないといった落とし所になってしまったが、私はグルジアが口火を切ったのではないかと思う。昨日引用したフィナンシャルタイムズの、グルジアへた打ったなコラムも、その観点から読み直せば、前提にグルジアの暴発説を含んでいるようだ。ただし、サアカシビリの直接的な関与ではないし、その後の経緯から見ればロシアの術中に落ちたことは確かだろう。
 衝突の背景についてゴルバチョフはこう見ている。

Mounting a military assault against innocents was a reckless decision whose tragic consequences, for thousands of people of different nationalities, are now clear. The Georgian leadership could do this only with the perceived support and encouragement of a much more powerful force. Georgian armed forces were trained by hundreds of U.S. instructors, and its sophisticated military equipment was bought in a number of countries. This, coupled with the promise of NATO membership, emboldened Georgian leaders into thinking that they could get away with a "blitzkrieg" in South Ossetia.

In other words, Georgian President Mikheil Saakashvili was expecting unconditional support from the West, and the West had given him reason to think he would have it. Now that the Georgian military assault has been routed, both the Georgian government and its supporters should rethink their position.


 グルジアとしてはいったん衝突の口火を切ってしまえば、西側の援助はガチに決まっているじゃないかという読みがあったのだろう、と。そしてその奢りを増長させたのは米国の軍事的なサポートだった、と。
 私のコメント。グルジアから口火を切ったとすれば、最初から西側をのっぴきならない状況に巻き込む意気込みだったというのは、論理的な帰結のようなもので、そうなのだろう。むしろ重要なのはプーチンはそれを読んでいたし、さらに薄目で見ると、米国もそれを読んでいたのではないだろうか。昨日エントリ「極東ブログ: グルジア問題を少し振り返る」(参照)でなんとなく密約説を含めておいたのはそのためだ。ただ、この読みは現段階では微妙で、むしろ事件以降のロシアと米国の動きにシナリオ感があるかどうかが重要になる。
 さてゴルバチョフはどう落とし所を見ているか。私はコラムを読みながら、彼はなかなかの平和主義者なんだなと思ったが、日本語でそういうと違和感があるにはある。
 南オセチアとアブハジアに関わる紛争は今回が初めてではない。そのあたりはウィキペディアあたりに書いてあるのではないか。ロシアとしては平和維持軍の建前でこの地にプレザンスを持っている。それを前提として、ゴルバチョフはこういう。

When the problems of South Ossetia and Abkhazia first flared up, I proposed that they be settled through a federation that would grant broad autonomy to the two republics. This idea was dismissed, particularly by the Georgians. Attitudes gradually shifted, but after last week, it will be much more difficult to strike a deal even on such a basis.

 私の読みが違っているかもしれないが、彼は、南オセチアとアブハジアに暫定的な連邦を形成しろ、としている。追記: 「グルジアに2自治区を含めた連邦とすべき」と解釈すべきとのコメントをいただいた。

Old grievances are a heavy burden. Healing is a long process that requires patience and dialogue, with non-use of force an indispensable precondition. It took decades to bring to an end similar conflicts in Europe and elsewhere, and other long-standing issues are still smoldering. In addition to patience, this situation requires wisdom.

 そして実際の紛争解決は、時間をかけ、あくまで非軍事的に対話で推進せよ、と彼はいう。それだけ読むと日本の知識人が喜びそうな感じだが。
 そんなことが可能なのか?
 ここがこの問題の急所になるのではないかと私は思う。私は、日本的知識人からずり落ちてしまうが、この問題は対話によるべきで、平和維持軍の投入は違うと考えている。ロシアは対話に応じるだろうし、プーチンとゴルバチョフには基本的な前提が存在しているだろう。もっとも、この対話はかなりタフなもので、その能力の半分もあれば日本は……以下略。
 さて、ゴルバチョフの前提は、そのまま露骨に言えば西側としては受け入れがたいが。

Over the past few days, some Western nations have taken positions, particularly in the U.N. Security Council, that have been far from balanced. As a result, the Security Council was not able to act effectively from the very start of this conflict. By declaring the Caucasus, a region that is thousands of miles from the American continent, a sphere of its "national interest," the United States made a serious blunder. Of course, peace in the Caucasus is in everyone's interest. But it is simply common sense to recognize that Russia is rooted there by common geography and centuries of history. Russia is not seeking territorial expansion, but it has legitimate interests in this region.

 米国の言い分もそれなりに理解した上で、彼は、"But it is simply common sense to recognize"と言い出す。これはロシア人にとっては常識なんだ、と。何か? ロシアという民族国家は歴史的にこの地域に根を持っていているから、どうしようもないのだ、と。ロシアには領土拡大の野望はなく、適正な歴史民族意識の領土を保全したいだけなの、と。
 私のコメント。ここがむずかしい。単純な話、グルジアはそれを認めるはずがないからだ。そして、日本の知識人などは民族国家というのは近代が形成したもので云々とか言いだしかねない暢気さがあって、ゴルバチョフが「常識なんだ」という部分の思いが伝わらないかもしれない。
 それでも、ロシアには意図的には帝国主義的に領土拡大したいという意図はないのだというのは認めてよいのではないかと私は思う、これは他のロシア知識人も主張している。
 そして今回の問題について、グルジアにある西側向けの原油パイプラインを維持したい勢力としては、この地域に集約的に視点をあてるが、ゴルバチョフはこれを広くコーカサスの民族問題として捉えている。

The international community's long-term aim could be to create a sub-regional system of security and cooperation that would make any provocation, and the very possibility of crises such as this one, impossible. Building this type of system would be challenging and could only be accomplished with the cooperation of the region's countries themselves. Nations outside the region could perhaps help, too -- but only if they take a fair and objective stance. A lesson from recent events is that geopolitical games are dangerous anywhere, not just in the Caucasus.

 そしてこうした民族問題を抱える国家というのはロシアだけではないだろうから理解してほしいとゴルバチョフは言う。
 このあたりは、中国にもツボであり、今回の衝突で冷戦構造を煽る勢力は、中国を困惑させロシア側に付かせることにもなりかねない。
 イデオロギー的に見れば、いろいろ意見があり、そしてそれはまさにイデオロギーというものだろう。でも、平和というのものを戦闘のない状態の維持として考えるなら、私は、ゴルバチョフは平和主義の人であると思うし、こういう知識人がロシアに存在することを重視しなくては、対話は成り立たないと思う。

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2008.08.27

グルジア問題を少し振り返る

 5月に遡る。「極東ブログ: 学習すると早死にするらしい」(参照)というおふざけエントリでこう蛇足を書いた。


また3日穴が開いてしまった。しまったな。ちょっと気を抜いていたというか、日々ブログを書いていた時間をTwitterにシフトすると、なるほどそれなりにブログを書く気力みたいのも抜けるものなのかな。ブログが書けないわけでもない。いろいろ思うことはあるし、いくつか書評めいたことも書きたい本もある。


以前なら目下のグルジア情勢やレバノン情勢についてもエントリを書いたものだった。

 5月の時点で、グルジア情勢について書こうと少し思っていた。それを今頃夏休みの宿題のように少しだけ進めておこう。もちろん、問題は、とてつもなく、と大げさに言うのはいけないのだろうが、大きい。だからこそ少しずつ進めておこう、ブログをこのまま辞めてしまうのでないなら。
 とりあえず目下の状況の端緒は、4月2日にルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATO(北大西洋条約機構)の首脳会議と見ていいだろう。一番の話題は、クロアチアのNATO加盟であった。これに続いて、アルバニア、マケドニア、グルジア、ウクライナの新規加盟も協議された。アルバニアも加盟した。マケドニアは当初から見送りの方向で、問題はグルジアとウクライナをどうするかだった。この旧ソ連の2国を。
 米国は加盟支持を打ち出していた。ブッシュはそのために東欧巡りもした、というか引き際の花にしたかったのだろう。仏独は問題を見送った。つまり加盟を否定した。なぜ? ロシアに配慮したからだ。ロシアを刺激しないように、ロシアと仲良くやっていくために、敵対的な関係を作るべきではない、とかいうことで。そして、つまり、それが今回の結果になったというと、話が急ぎすぎるのだが、ようするにそういうことだ。
 それから無人偵察機関連の危ない話が起きる。4月20日にグルジアの無人偵察機がグルジアの自国領内なのにロシアのミグ29戦闘機によって撃墜された。5月8日、ロシアの支援でグルジアからの独立を目指すアブハジア自治共和国は、アブハジア域に入ったグルジアの無人偵察機を撃墜した。が、グルジアはこれを否定。
 その間の4月29日、ロシアはアブハジア自治共和国に駐留する兵力を増強すると発表。理由は、グルジアがアブハジアへの軍事作戦を準備しているから、アブハジア内のロシア人を保護しなければいけないということ。もちろん、グルジアは怒る。6月に入り、NATOデホープスヘッフェル事務総長はロシア軍の撤退を要求。形だけね。
 さらにこの5月、ロシアではメドベージェフ大統領誕生、グルジアでは議会選挙サアカシビリ大統領与党「統一国民運動」が勝利。ここでサアカシビリ大統領は反ロシアを煽ってもいた。
 洞爺湖サミットは、実はこうした流れで、米ロ対談の場でもあったけど、なんとなくあまり報道されなかった。
 7月8日、ロシアは同じくグルジアからの独立を目指す南オセチヤ自治州上空を軍用機で領空侵犯。もちろん、グルジアは怒る。さらに、アブハジアで爆弾事件。南オセチヤでグルジア軍兵士が拘束。事件事件というか、チキンレース。
 15日からはグルジア(600人)と米国(1000人)が2週間合同軍事演習をグルジア内で始める。同日、ロシア(8000人)もグルジアに隣接する北カフカス軍管区対テロ演習を開始。まあ、緊張といえばそうだけど、なんとなく大物が出て落ち着いた感はあったし、洞爺湖サミットで米ロに密約でもあったのかもしれない。ところが北京オリンピックでブレイクしてしまった。
 さてあのころのワシントンポストから。4月22日。
 ”Aggression in Georgia”(参照)では、NATO首脳会議は、旧ソ連の2国にもたついたメッセージを送ったと断じていた。

LAST MONTH, NATO sent a muddled message to Ukraine and Georgia, fragile European democracies that are seeking membership in the Western alliance. Pressed by President Bush, a NATO summit meeting issued a statement declaring that the two countries "will become members of NATO" someday. But the alliance also deferred the requests of their governments for "membership action plans," the bureaucratic vehicle for joining, at the insistence of France and Germany -- which made it clear they were deferring to Russian objections.

 ここまでは普通の読みなのだが、これをワシントンポストはこう見ていた。

Russian President Vladimir Putin read NATO's ambivalence exactly as Georgia's president predicted he would -- as a sign of weakness.

 プーチンはNATOが弱腰になったと受け止めたというのだ。
 弱腰っていうことは、旧ソ連の2国について、NATOが手を離したなと見た、ということでもある。NATOがプーチンGOGOのシグナルを結果的に送っていた。
 もともとアブハジアと南オセチアは、ロシアとしては仕込みをしていた。

Russia has backed Abkhazia and South Ossetia in their rebellions against Georgia ever since Georgia became an independent country after the breakup of the Soviet Union. It has dispatched its own personnel to head ministries in the separatist regions and issued passports to many of their remaining citizens. Now it is treating the provinces as if they were autonomous Russian republics and attacking Georgia's aircraft as if they were over the territory of Russia, rather than in Georgia.

 旧ソ連のように2自治共和国をロシアの一部に見なしていた。
 そこでNATOの弱腰!

Mr. Putin clearly expects that Georgia's would-be Western allies will take no concrete steps to defend it -- and will shrink from any further step to bring it into NATO.

 NATOは動きませんよ、ということになった。
 ワシントンポストは、これはまずいとしてブッシュに動けとつっついている。それはNATOの弱腰をワシントンポストも認めてのことだ。

The appropriate and proportionate response is for NATO to take its own concrete steps toward integrating Georgia and Ukraine. An alliance meeting in December is due to reconsider the issue; the Bush administration should insist that a decision on membership action plans for the two nations be made then. It should also propose a new international mechanism for resolving Georgia's dispute with its provinces, one that cannot be dominated by Russia.

 4月22日の時点でだがブッシュが動かなければ、NATOの線引きが変わると危惧を表明している。

If it shrinks from challenging Mr. Putin's actions, NATO will allow a new line to be drawn in Europe -- one that leaves Georgia and Ukraine on the wrong side.

 でも、ブッシュは動かなかった。
 ニューヨークタイムズはほぼ悲鳴を上げる。5月6日、”Georgia, NATO and Mr. Medvedev ”(参照)より。

Russia is playing a game of cat-and-mouse with neighboring Georgia that, if everyone is not a lot more careful, could quickly turn deadly.

 結論からいえば、その3か月後、北京オリンピックの宴の陰で"could quickly turn deadly"ということになってしまったのだけど。
 ニューヨークタイムズは、ブッシュのケツを蹴るより、サアカシビリにここが我慢のしどころだぜと諭す。

Georgia’s leaders must also resist being baited into a fight by Moscow. That will surely doom their dream of NATO membership.

 グルジアが短気を起こせば、NATO加盟の道を閉ざすことになる、ということは、これは見方によればプーチンうまーの話。ということで、あとは、ロシア側としては、グルジアの堪忍袋をなでていればいつか、実は落ちるということだった。
 ここで、ニューヨークタイムズは少し興味深い指摘もしている。

The United Nations Security Council should also consider replacing Russian peacekeepers in Abkhazia with genuinely independent troops.

 アブハジアにいるロシア軍を国連軍にしちゃいなというのだ。この点、日本だと、国連幻想があるから、国連軍がこの地域に平和維持で入ればいいとか、たぶん、脊髄反射で言いがち。あるいは、ロシア軍よ撤退せよとか。
 ニューヨークタイムズも結果的には、これは仏独の問題だろ、しっかりしろよとは言っている。

NATO needs to work with both sides to defuse the growing crisis. France and Germany, which argued for putting off Georgia’s membership, have a special responsibility.

 これだけ緊張が高まっていながら、結局3か月も特になんにもなかった。まさか、北京オリンピックで勃発するとはね。
 ということで、8月11日付けで邦訳されたフィナンシャルタイムズ”傷ついたプライドのせいで発火、南オセチアの偶発戦争”(参照)の表現は当たっている。

しかし今のこの情けないていたらくの真相はもしかしたら、陰謀というよりは、ヘマと呼んだ方が近いのかもしれない。いつかは起きるに決まっていたヘマ、ではあったが。ロシアはもう何年も前から、グルジアをわざと挑発し続けていた。グルジアからの分離独立を求めるアブハジアや南オセチアを支援し、グルジアに対して禁輸措置をとっていたのはロシアの方だ。これに対してサアカシュビリ大統領は、防衛費を拡大し、軍事力行使の可能性を否定しようとしなかった。とはいえ大統領は、実際に軍事行動に出るつもりはなかったのだ。各方面の消息筋によると、大統領は今回の軍事衝突について、決して心構えが出来ていなかった。北京五輪の開会式に出席するべく、フライトの手配もしてあったというのが、何よりの証拠だ。


もしグルジアが最初から、南オセチアを軍事占領するつもりでいたのなら、当然ながらロキ・トンネルをあらかじめ封鎖したはずだ。ロシア軍が北オセチアの山間部を経由して支援部隊を現地に送り込むには、このルートしかないのだから。しかし実際には、グルジア軍のツヒンワリ攻撃開始からわずか数時間の内にロシア軍の戦車が南オセチアに侵攻していた。

 なんとなく締めの一言を言うのもなんだなあという感じがしてくる。
 それにしても、ヘマかあ。国際情勢や軍事のセンスがないとヘマになるんだろうな。

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2008.08.24

[書評]私のアメリカ家庭料理(長島亜希子)

 どこの国の料理が一番食べたいと聞かれて、そして正直に答えてよさそうなら、私はアメリカ料理と答えてしまうかもしれない。それでいいのかなと今一度自分に問うてみて、それほど確たるものはないが、概ねそれいいかなとやはり思う。自分に一番合う料理はといえば、気分とか季節にもよるけどなんとなく地中海料理かトルコ料理かもしれないが、ああ食べたいなというときに思うのはアメリカ料理だし、家庭料理ということで思い浮かべるのもアメリカ料理だ。アメリカ料理って、ところで何?

cover
私のアメリカ 家庭料理
長島亜希子
 長島亜希子が生涯の1冊の本として、特に娘さんが大学を卒業するの合わせて書かれた「私のアメリカ家庭料理」(参照)は私のアメリカ料理のイメージがつまった本だ。掲載されている料理は1960年代のもの。私は1957年生まれ。別段アメリカ家庭料理を食べて育ったわけでもないけど、わずかに進駐軍文化や、当時のアメリカのホームドラマなどの影響から、そんな思い込みがあるのだろう。そして、不思議なことに、私の人生もなにかとアメリカ家庭料理のようなのものを食べる機会が多かった。特に沖縄暮らしでは意識して、米軍文化が残したアメリカ料理を食べた。玉城村(現南城市)にあるチャーリー・レストラン(参照)や浦添市の米国領事館跡のピザハウス(参照)・(参照)にはよく通った。
 長島亜希子は昭和18年生まれ。小・中学校は雙葉学園。栗本慎一郎の本にそのころの彼女の思い出話があった。1958年、15歳のとき高校からインディアナ州ココモハイスクールに単身留学。氷川丸に乗った時代だった。船酔いでふらふらしながらシアトルに上陸。三日三晩大陸横断鉄道に揺られシカゴへ。ローカル線に乗り継いでココモについた。そこでビクスビー家にホームステイ。ビクスビー家の転居で高校三年の時友人のクーンズ家に移った。クーンズ家の母親はココモ・トリビューンの編集長をしていた。

午後3時ごろ仕事を終えるママ・クーンズは、ひと休みしたのち、手早く用意した料理をオーブンに入れるか大鍋で煮るかします。パパ・クーンズが帰宅すると、パパ、ママ、テレサ、それに私の一家全員で「食前のカクテルアワー」が始まります。パパはママと自分用にマルティーニ(カクテルの一種)を作り、テレサと私はコーラを片手にリビングルームに腰を下ろし、ポテトチップスをつまみながら一日の出来事を話すのです。

 彼女はそこから家庭料理を含めた家庭の理念のようなものを学んだのだろう。

 楽しい思い出をたくさん与えてくれたアメリカの’60年代。そこには古き良きアメリカの生活がありました。そこにはまた、素朴で情け深く、他人の喜びをわが喜びとし、他人の悲しみは己の悲しみとする、まことに信仰心の厚い人々が住んでいました。私はその生活と人々によって多くのものを学んだのです。”’60年代”は私の青春と共に永遠に過ぎ去ってしまいましたが、アメリカが私にくれた”贈り物”はいつまでも心の奥深く残って、励ましてくれているように思えます。

 そして彼女は、このレシピ本をアメリカへのお返しという意図も込めて書いたという。
 レシピを見るとわかるし、巻末の食材リストを見てもわかるが、スパムやビスクイックなど缶詰や簡単料理の食材に溢れていて、いわゆる料理のレシピ本とは違い、60年代の、あるいはそれからあまり変わらない米国の家庭料理のそのままが描かれている。

 紹介したい料理は数限りなくありますが、ここではふだん我が家で数多く作るものだけに絞りました。

 長島家の普段の食卓がそこにあると言っていいだろう。
 先日、このレシピ集からアボカドのグラタン(Baked Avocado)を作った。アボカドのグラタンにはいろいろなレシピがあり、ネットを検索するとそれなりにレシピが出てくる。長島亜希子がココモで覚えただろうレシピはこうだ。カップは米国標準なので240ccになる点を注意されたい。説明は私流にする。正確には本書を参照されたい。

(6人分)
アボカド(熟れたもの) 3個
タマネギみじん切り 1/2カップ
マッシュルーム薄切り 1/2カップ
エビまたはカニ(または両方) 適量
カレー粉 小さじ1/2
パン粉 1/4カップ
パルメザンチーズ 1/4カップ
レモン汁 少々
バター 大さじ1

1 アボカドは縦割り。果肉を取り出しフォークで適当にマッシュ。変色しないようにレモン汁を混ぜる。アボカドの皮は器にするのでとっておく。
2 タマネギ、マッシュルーム、エビ(カニ)をバターで炒めカレー粉で調味。あら熱を取る。
3 1と2を混ぜ、アボカドの皮のうつわに入れる。
4 パン粉とパルメザンチーズを混ぜて、表面に振りかけ、中火オーブンかオーブントースターで表面がきつね色になるまで焼く。


 レシピを見るとわかるがチーズの塩味以外に塩は入っていない。調味に少し入れてもよいかと思う。カレー粉は6人分で小さじ1/2ということ。このくらいに控え目にしないとうるさくなる。

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