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2008.08.15

霞が関に50兆円眠っているから、日本経済は大丈夫?

 今月の文藝春秋で高橋洋一が書いている『新「霞が関埋蔵金』50兆円リスト」(参照)が面白かった。高橋洋一の著作では以前「極東ブログ: [書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)」(参照)と「極東ブログ: [書評]霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」(高橋洋一)」(参照)に触れた。

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文藝春秋
2008年 09月号
霞が関埋蔵金リスト掲載
 以前の霞が関埋蔵金の所在は、もうばっくれようにもないなという追い込み方がも興味深かったのだが、なんとなくそれ以上の深掘りはできるとは思えなかったし、今から50兆円も掘れるとは思ってもいなかったので、驚いた。私は科学以外の「知識」というものにそれほど価値を置いてない人なのだが、本当の「知識」というのは怖いものだなと思った。正直に言うと、その怖さは諸刃の剣だとも思うけど。
 今回の話で、50兆円という金額にも呆れるのだが、それ以前の掘り出し埋蔵金の話も興味深いものだった。

 「霞が関埋蔵金」はこれまで二度、掘り出されてきた。竹中大臣のもと、経済財政諮問会議で仕事をしていた私がその在り処を示したために、のちに「埋蔵金男」という仇名まで頂戴した。
 最初は二〇〇六年の小泉政権下で、すったもんだの末、約二十兆円あまりの埋蔵金を吐き出させた。主なものは、「財政融資資金特別会計」から十二兆円、「外国為替資金特別会計」から八兆円、両方とも財務省所管の特別会計である。
 彼らは「もう余剰金はない」と言っていたが、翌二〇〇七年末、清和研の指摘をしぶしぶ認め、ふたたび財政融資資金特別会計から九・八兆円の埋蔵金が出てきた。

 よく出したものだなと当時は思っていたのだが、その顛末が面白い。これは国債償還に宛てることになった。

 だが、財務省が国債償還に使うといった埋蔵金九・八兆円分をどうするのか。実は、日本銀行が保有する国債三・四兆円分と、財務省の財政融資資金が保有する国債三・四兆分を買い入れるという。
 はっきり言って、これは国債償還したことにならない。財務省はもちろん政府の一部だし、日本銀行も広義では政府のなかにある。つまり、財務省の隠しポケットにあった「埋蔵金」を、同じ服についている日銀というポケットと、もう一つの財務省のポケットに移し替えているに過ぎない。

 そのくらいはするだろうなとは思うけど、その効果と背景はちょっとぎょっとした。自分がいかに経済学に無知かということでもあるけど。

 もし、財務省の目がきちんと国民のほうに向いていれば、埋蔵金九・八兆円を全額、市中の国際償還金にあてただろう。もしそうしていたならば、金利はもっと低下し、これほどまでに景気は落ち込んでいなかっただろう。

 ちゃんと市中に埋蔵金を出せばリフレ効果があったのか。というのと、逆にこうした埋蔵金の存在それ自体が日本経済をデフレに追い込む機能があるわけか。一種の巨大な箪笥だし。
 高橋はこう疑問を投げる、陰謀論に聞こえないわけでもないが。

 なぜこんなことをするのか。財務省と日銀との間で、密約でもあったのだろう。日銀は国債を保有することを過度に嫌う。どこの中央銀行でもマーケット・オペレーションは国債を中心にやっているけど、日銀は違うのだろうか。

 いずれにせよ、九・八兆円は埋蔵金に戻ったのでまた掘り返せる。しかも今年中に確実に掘り出せる。すごいな。
 目下の日本経済はこの記事の他所で触れているように、食料・エネルギーを除いた消費者物価指数を見ると、〇・1パーセント。横ばい状態。国内は依然デフレが続いている。

 しかも、海外の物価が上がっているため、国内の所得が海外に移転している。原油や食料を輸入しているため、実は二十五兆円ほど海外にカネが流出してしまた。これも日本国内のデフレ(お金が足りない)傾向を助長している。


 国内がデフレから完全に脱却していないのに、海外がインフレだから、「外からのインフレ圧力」で苦しいのだ。
 こうした場合、金融政策のセオリーとしては金融緩和をして、中央銀行が国債を買い取り、国内のマネーの流通を増やすのだ。海外にお金を吸い取られ、国内の所得が減った分を埋め合わせるべくお金を増やす。
 国内のお金が増えれば、なんとか価格を国内に価格転嫁できるようになる。海外のインフレによる負担を国民全体で、広く薄く負担したほうが楽なのだ。

 つまりはリフレということで、そしてリフレは実際には増税と似た効果を持つが、消費税のような逆進性は少ないし、また、特定分野だけの値上げよりはマシということなのだろう。
 このあたりの高橋の説明は私などはディテールまでよくわかるわけではないが、それほど理解しづらいものではない。

 なぜか日本のエコノミストは指摘しないが、これは金融政策のセオリーとしては大学生の教科書レベルの話である。逆に、原油価格が上がっているから、インフレだといって金融を引き締めようとするのはまったくおかしい。せめて、GDPデフレーターがプラスになるまで、金融緩和すべきだ。金融引き締めはGDPデフレーターが二~三パーセントになるまで控えたほうがいい。

 先日のフィナンシャルタイムズの指摘だとこのレベルにまで上げるにも、外圧インフレでは十分ではないらしい。よほど政治が必要なんだろうなという感じがする。
 話を埋蔵金に戻すと、埋蔵金掘り出しがその効果、リフレというかインタゲ的な効果を持つかというと持つわけはないが、援助にはるだろうし、まさに、政治のコミットになるだろう。ただ、これもフィナンシャルタイムズが指摘したように、そこは、デッドロックだ。
 さっさと浅堀できる埋蔵金が6・8兆円としても、50兆円なんて額はどこから出てくるのかというリストが記事には掲載されている。清和政策研究会提言を文藝春秋がまとめたもので、清和政策研究会提言はネットリソースとしては”「増税論議」の前になすべきこと―「改革の配当」の国民への還元―”(参照)だろう。

1.平成20年度中の対応(最大6.8兆円)
2.平成21年度予算での対応(10兆円以上)
3(1)3年以内の「改革の配当」の国民還元(9.2兆円超)
3(2)3年以内に合意形成をめざすべきもの(最大31兆円)

 べたに計算して50兆円を越える。ほんまいかな。
 詳細を見ると、埋蔵金というよりは、政府というもののありかた、あるいは官僚体制の在り方が問われる部分なので、これは今後どのような政権になっても問われるものになるだろうし、次回衆院選挙で、私は基本は民主党による政権交代を支持するのだが、この埋蔵金にどう答えるかによっては考え直そうかなと思う。もともと郵政の民営化は小沢も民主党も主張してたはずなのにああいうことするからな。
 ただ、この埋蔵金を掘り出せば、日本は本当に変わる。どう変わるかといえば、地方分権が伴わないといけない。それが今の日本を取り巻く外交的に危機的な状況で可能かなという懸念はある。外交的な危機を演出されるのも困るが、平和念仏で平和になるわけもないので、そのあたりの、我慢のしどころというのは国民にとってむずかしいところだろうなとは思う。

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2008.08.11

フィナンシャルタイムズ曰く、小泉だったら日本は成長できるのに

 フィナンシャルタイムズの日本関連の記事は最近では「フィナンシャル・タイムズ - goo ニュース」(参照)にオフィシャルな翻訳が出ることが多いので、4日付けの”Japan’s recession is not a recession”(参照)もそのうち出るんじゃないかと期待したが、今日11日になってもそんな気配はないし、4日付けの記事はなんとなくスルーされた感じなので、ほいじゃ、このブログで扱いますか。
 というか、一応普通に日本の知識人ならフィナンシャルタイムズの社説くらいは読んでいるんじゃないかと思うけど、この話題、他所では特に見当たらないようだが、どう? それほど話題になるようなネタじゃないということなのかもしれない。つまんない話題は当ブログのお得意だな。
 標題の”Japan’s recession is not a recession”は、「日本の景気後退なんて景気後退じゃないよ」ということ。


Fears that Japan’s government will soon be forced to declare a “technical recession” make a fine example of how useless the technical definition of a recession really is. Japan is suffering a slowdown but it has no house price bubble or credit crunch to deal with and its export markets in Asia are still growing. What the economy needs most is robust reforming policies from the government, not an ill-designed fiscal stimulus, or an excessive response to high inflation by the Bank of Japan.
(試訳)
日本政府が近々「自律的景気後退」宣言を出さざるをえないという恐怖は、自律的景気後退という定義がいかに無意味であるかということの好例になる。日本は景気減速に苦しんでいるものの、対処すべき住宅価格バブルも貸し渋りもなく、アジア向け輸出市場は依然成長している。経済で最も必要とされることは政府が力強い改革方針であって、下手な立案の財政出動や、高インフレに対する日銀の過剰反応ではない。

 簡単にいうと、日本の景気後退なんて世界的に見ればどんだけぇ~ということだよ、と。
 ほんとかねと日本人なら疑うわけで追い打ち。

The usual definition of a recession --- two consecutive quarters of negative growth --- matters little for two reasons. First, Japan’s notoriously volatile statistics recorded 4 per cent growth in the first quarter of 2008, so negative numbers in the second and third quarters are still compatible with a strong result for the year. Second, Japan’s stagnant population means its economy cannot grow as fast as others: recession is no worse for Japan than growth of below 1 per cent is for the US.
(試訳)
四半期が二期連続してマイナス成長なら景気後退だとする通常定義がそれほど重要なことでないのは二つの理由がある。第一に、日本は2008年の第一四半期に悪名高くも4%成長の急変記録を遂げているから、第二、第三四半期がマイナスであっても依然年間通して見れば強い結果になっている。第二に、日本の人口停滞は他国ほどの経済成長が不可能であることを意味している。つまり、日本の景気後退は米国の一パーセント成長よりひどいということはない。

 つうわけで、稼ぎ時に稼ぎやがって日本人何言ってんだというのが世界の視線、ということだろう。もともとそんなに稼げる国じゃないんだよ、これからは、と。
 ということでこの先フィナンシャルタイムズ社説はまあ日本のこれからの停滞は深刻といえば深刻だよねという同情はしている。
 じゃ、どうすりゃいいの?
 そんなこと口酸っぱく言っているだろ的フィナンシャルタイムズのお怒り感が微笑ましい。こんな感じ。

That is disappointing. Japan, once again, has failed to turn export-led recovery into sustainable growth powered by consumption at home. Compared with the US, UK or Spain, however, wrestling with inflation as well as a housing slump and a gummed-up financial system, Japan’s problems are minor. Large companies are still exporting and one month of bad trade data, for June, is no cause for panic.
(試訳)
がっかりしたのなんのって。日本はまたも輸出主導型回復から国内消費に裏打ちされた持続的経済成長への転換に失敗してしまった。とはいえ、住宅需要の落ち込みやぐちゃぐちゃの経済システムに加えインフレに格闘している米国、英国、スペインといった国に比べて、日本の問題なんてたいしたことはない。大半の企業は依然輸出しているし、6月の一か月ほど貿易統計がまずくても、パニックの理由にはならない。

 いや、うらやましいんじゃないか、世界の国からすると日本の経済は、こんちきしょー、というくらい。いや、こんな時にまた日銀やってくれるなよというフィナンシャルタイムズというか世界からのハラハラ感はけっこうマジっぽい。

The Bank of Japan should keep interest rates on hold. Headline inflation may be higher than it prefers but the slowdown already in progress should create spare capacity and it will take more than expensive gasoline to persuade Japanese consumers, accustomed to deflation for so long, that they should expect further price rises.
(試訳)
日銀は低金利を維持すべきだ。消費者物価指数は想定より高いかもしれないが、すでに進行中の減速によって余剰生産能力が生まれる。また、長期のデフレに慣れきった日本の消費者が物価上昇を期待できるように説得するには、ガソリン高騰以上のものが必要になる。

 すげぇ。いや、英語で読んだときは、ふふふふ、ブログのネタになるじゃじゃないか、おいしいなこの話とか思っていたのだが、訳してみると、けっこうすごいこと言ってる感が迫ってくる。ぶっちゃけインフレ期待を形成するにはガソリン高騰にくわえて、バイキンマン許さないぞアンパーンチとメロンパンナのメロメロパーンチ的な政策が必要になるということか。すげぇな。

Japan’s government, by contrast, could do much to support growth if it revived the structural reforms of Junichiro Koizumi, the former prime minister.
(試訳)
日本政府は、これに対して、経済成長支援に多くのことができる……もし前首相である小泉純一郎の構造改革が復活するならば。

 もちろん、そんな夢を世界が持っているわけはない。絶対にない。あるわけない。EUにも中国にも米国にも第三世界にも、まさか、日本が小泉時代に戻るなんて以下略。

Political deadlock makes that unlikely but what prime minister Yasuo Fukuda can do is resist a wasteful fiscal stimulus. Fuel subsidies for the fishing fleet, already announced, are a bad idea --- but a return to building roads to nowhere would be much worse.
(試訳)
もちろん政治的なデッドロック状態の日本ではありえない。しかし現首相の福田康夫君だって無駄な財政刺激に抵抗することはできる。すでに公約された漁船のための燃料補助金は悪い考えだが、それでも行き先のない道路建設に戻るというのはさらに、ひどすぎ。

 でも、そのひどすぎの道を辿るんじゃないか。
 人生塞翁が馬、日本塞翁が馬。西洋人や世界の人からは愚かに見える日本の政治経済がよい結果にならないとは限らない。

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2008.08.10

赤塚不二夫の満州

 2003年8月14日に始めたこのブログも5年になる。まだ45歳だったな、まだ若かったなみたいに思うけど、また5年もすれば今があんときゃまだ若かったなになるのかもしれない。いつまで私は生きているんだろう。いつまでブログを書いているんだろう。
 ブログを始めた数年は毎年8月には戦争ネタを書いたものだったが、昨年あたりからそういうのも飽きてしまった。が、昨年の8月にはジョー・オダネルが死んで、いろいろ考えさせられるものがあり、「極東ブログ: ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)のこと」(参照)を書いた。今年はそういう、胸に迫るような戦争関連の出来事はあるだろうか、これからあるのかよくわからない。そういえばこの間、沖縄でお世話になった古老が幾人かお亡くなりになった。戦禍を生き延びたオジー・オバーみんな百まで生きてくれるというわけではないな、もっと話を聞いておけばよかったな。
 先日佐野洋子のことをふと思い出した。というか、「私の猫たち許してほしい」(参照)を思い出した。書架を探したが見つからない。実家にもないかもしれない。たしかこのエッセイに彼女が生まれた北京のアカシアの話があった。あるいは、「アカシア・からたち・麦畑」(参照)だったか。「猫ばっか」(参照)ではないだろうな。最近とんと佐野洋子の本を読んでいないことにも気が付いた。ちなみに、「100万回生きたねこ」(参照)は嫌いでもないがそれほど好きでもない。「空とぶライオン」(参照)が好きだ。
 佐野洋子の北京は赤塚不二夫からの連想だった。赤塚不二夫は昭和10年9月14日旧満州熱河省に生まれた、とウィキペディア(参照)には書いてある。またウィキペディアが参照しているヴィレッジセンターのプロフィール(参照)には、「旧満州熱河省承徳市に生まれる」とある。が、自伝的エッセイ「これでいいのだ」(参照)にはこう書かれている。


 ぼくはこれまで説明が複雑になるので、中国の承徳(旧満州国・熱河省。現在、中国の河北省)生まれだといってきたが、しかし正確にいうと承徳から西へ直線距離で70キロほど行った古北口(北京市東北部)生まれである。
 本籍がある新潟県西蒲原郡四ツ合村(現在、潟東村)大字井随809番地の戸籍謄本から見ると、
 赤塚藤雄 昭和10年9月14日 父・藤七、母・リヨの長男として満州国熱河省灤平県古北口古城裡22号において出生 父・藤七届け出
 となっている。

 なぜそこで赤塚不二夫が生まれたか。父の仕事に関係する。

 古北口というところは北からきた万里の長城がこのあたりで東に伸びるところで、旧満州国と中国の国境沿いの町だ。当時、満州国で抗日ゲリラと対峙する〈古北口国境警察隊〉の特務警察官だったおやじは、女房、子供を引きつれて危険地帯を転々としていたのである。

 そういえば、ウィキペディアには父についてこう書いている。

「バカボンのパパ」のモデルであり[1]憲兵であった父親は第二次世界大戦終戦直前にソビエト軍に連行されてしまい、残された家族は1946年に母の故郷の奈良県大和郡山市に引き揚げる。

 これも正確ではない。藤七は小学校を出て農業を手伝った後、憲兵の試験を2番で合格する。

 それだけ苦労してなった憲兵だったのに、おやじはこの陸軍のエリートコースをあっさり捨てた。満州に渡ってのことだが、昭和8年、上官の理不尽ないい分が我慢できず辞意を申し入れたのである。そのあと選んだ職業が警察官だった。警察官といっても通常のそれではない。反満、反日の中国人ゲリラと、目には見えない最前線で命を張って渡り合う特務警察である。

 憲兵ではないことは明らかだが、警察官というのともやや違う。現代では説明がむずかしい。藤七も中国語を駆使し、不二夫も物心ついたころから中国語を話していた(後年忘れたとは言っている)。
 藤七は息子を戦闘の場に連れ出したことがある。すこし長い引用になるが、藤七という人間を、そして赤塚不二夫という人間を知る重要なエピソードだろう。

 ある晩、隣の砦のほうから突然、ドカーン、パンパンパン……と爆発音に続く銃声が聞こえた。
 「襲撃だ!」
 おやじは言うが早いか制服に着がえてぼくと一緒に外に飛び出した。「ぼくも行く」と言ったからなのか、それとも「お前もこい!」とおやじがぼくを促したからなのかは定かではない。しかし、火事場見物ではない。深夜の殺し合いに、たとえ子供にせがまれたからといって連れて行くというのは考えにくい。やはりおやじは自分の意志で息子をあえて殺戮現場に連れて行ったのだろう。おやじは長男であるぼくに、ゆくゆくは父親のあとを継がせたいという明確な意志を持っていた。
 この夜の同行も、この意識から出たことにちがいない。
 外に出ると小規模だが日本の正規軍と、”満系”も集合、トラック何台かに分乗して現場へ急行した。到着したときはすでに敵の襲撃は終わり姿を消したあとであり、一家皆殺しに遭った千葉さんの家が焼け落ちて煙がプスプス立ちのぼっていた。敵は明らかに千葉さん一家を標的として選び、襲撃したのである。
 おやじの首には当時の金で2千円の賞金がかかっていた。当時としては途方もない大金である。べつに護衛に守られていたわけではないおやじが、裏切りや密告によってつかまる可能性はそれほど低くはなかったはずだ。おやじが砦の外の村へ出たとき、村人の1人が敵に連絡すればそれまでである。だが村人は誰もおやじを敵に売り渡さなかった。こういうわけで、おやじだけではなく赤塚家も襲撃されることがなかった。
 砦には時々、さまざまな物資を積んだトラックが到着した。おやじはその物資をよく村人に分けていた。
 「敵も味方も同じ人間じゃないか」
 なにか見返りを期待したわけではない、こちらに真心があればそれは必ず相手に通じるはずだ――これがおやじの人間観だった。

 これは中国的な人間観なのかもしれないし、赤塚不二夫という人の人間観にはこうした根があるのかもしれない。
 赤塚不二夫は同じく満州で生まれた兄弟姉妹をこう語る。

 ぼくのきょうだいは長男であるぼくをかしらに、妹、弟、弟、妹、妹――の男3人女3人、6人きょうだいである。しかし、幼い時の死別と生き別れで半数になってしまった。

 次女綾子は6か月でジフテリアで亡くなった。生き別れは弟の一人で他家に養子になった。「後年、ぼくは一度だけこの弟に会ったことがある。戦後、成人して茨城県の炭坑で働いていた彼に、実の兄とは名乗らずにそれとなく会った」とある名乗らなかった仔細は書かれていない。
 父・藤七はシベリア抑留となり、日本への帰還は母リヨ一人の手によることになった。子供がはぐれないようにつかまっていたという。書籍「これでいいのだ」の裏表紙の絵はこれを表現したものだろう。本書の読後に見ると涙がこぼれてくる。手を離せば残留孤児となったかもしれない。
 赤塚不二夫にとって日本は異国だった。

 ぼくが初めて眼にする日本だ。行けども行けどもコーリャンと畑とでっかい夕陽、乾いた道が一瞬にして大河に変わる光景、一寸先が見えなくなる黄砂……、といった風景しか見たことのなかったぼくにとって、今、眼の前に広がる風景は新鮮そのものだった。

 そして子供の赤塚不二夫は日本で満州帰りとして差別される経験もした。
 死んだ次女の名を受けたもう一人の妹綾子は日本に辿りついて亡くなった。

引き揚げの途中で子供に死なれでもしたら、かあちゃんは半狂乱になったかもしれない。でもここまできて綾子に死なれたのなら、かあちゃんには自分を責めるものは何もなかったし、泣く理由も感傷ももうなかったのだろうと思う。
 そういう意味では、生後わずか6か月で死んだ綾子は、本当にかあちゃん思いの親孝行な妹だった、とぼくは思っている。

 その思いを抱えて生きるということが戦争というものの一つの意味なのだろう。
cover
これでいいのだ
赤塚不二夫

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