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2008.07.12

[書評]中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計(梁増美)

 「中国人のビジネス・ルール 兵法三十六計(梁増美)」(参照)は出先の書店の平積みで見かけ冒頭を立ち読みし、へぇ面白いんじゃいのと思ったので買って読んだ。兵法三十六計について面白いというより、「第一章「兵法」がわかれば中国人がわかる」が儒教と兵法の対応で中国人を論じていて、それはそうかなと思った。つまり、同書によれば、中国人というのは身内には儒教の倫理を適用するけど、身内でない人には兵法で接する、と。

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中国人のビジネス・ルール
兵法三十六計
梁増美
 ここでいう兵法というのは簡単に言えば策略、計略、というか、奸計というか陰謀というか、まあ日本人から見るとそう見える。中国人にビジネスで接していると「なんだか騙されたような気がする」から「マジに騙された」とか、第三十一計美人計で嵌められたとか(微細に羨ましい感じもしないではないが)、とかいろいろあり、本書は、そういうケーススタディが計ごとに伝聞的にテンコモリになっている、とひとまず言える。
 ちょっと留保してしまうのは、話は伝聞的なんで、まったくの架空のお話かもしれないし、ものの見方ということかもしれない。そのあたりはそうマジこいて読むことでもないのだろうけど、とはいっても実際に読まれると、こういうのって本当にあるんだろうな、うひゃあ怖いと思う日本人も多いだろうと思う。
 著者は、といって私はこの人についてまったく知らないが、中国通なんだろうなという感じはするし、あとがきでは儒教の話もしたかったのだけどみたいなこともある。それも書いてあったら面白いかもしれない。
 冒頭、立ち読みして、へぇと思ったその理論的な枠組みは”Chinese Business Negotiating Style(Tony Fang)”(参照)によっている感じだ。そっちを読んでみるかとお値段を見ると高い。洋書で直接買うかなと見てもそっちも高い。なんでなんでしょかね。もう一つの枠組みは、岡田英弘先生の考えに拠っているようだ。というわけで、先生の本はおそらくすべて読んでいる私にしてみると、なるほどだから馴染みやすかったのかなとは思った。が、岡田先生の中国人観と本書は微妙に違う。違って別に言い悪いということではない。
 本書は、端的に言えば、日本人が中国人とビジネスをしていかに騙されないないかというニーズで読まれるのだろう。そして実際のところ騙された人は多いし今後も多いだろうからそういうニーズはしかたないのだろう。ただ、ごくお気軽にいうと、本書はそういう面でそれなりに役立つけど(たとえば、献金を求められたら払っておけとか)、騙されまいとしても無理なんじゃないかな。邱永漢先生ですらなんどもやれているし、おそよ計には計を、つまり謀略には謀略をというのはどうしようもない悪循環になる。この点は、中国人も大人というかそれなりにわかっているから、ここは日本人は日本人商人の心意気で通すしかないんじゃないか、というか、現実問題として中国人とビジネスをやってそう騙されるというものでもないし、むしろ律儀だ。でなけりゃ華僑なんてやってられないというか、実は華僑が律儀という話は本書にもあるし、それと本書の良いところは、中国人は篤志家が多いことも書いてある。それもそうだ。
 本書は、序論後、兵法三十六計に沿って書かれてはいるけど、このあたり率直に読めばわかると思うけど、各計とエピソードがうまく噛み合っていない。もともと兵法三十六計というのが、それほどたいした根拠のないものだからというのはある。そのあたりはウィキペディアにもそれなりにまとめられている。

成立時期は不明であるが、大体5世紀までの故事を17世紀明末清初の時代に纏められた物だと言われている。1941年、邠州(現・陝西省邠県)において再発見され、時流に乗って大量に出版された。様々な時代の故事・教訓がちりばめられ、中国では兵法書として世界的に有名な『孫子』よりも民間において流通し、日常生活でも幅広く流用されている。

 兵法三十六計というのはそれほど大したものでもない。
 むしろ、漫画的なストーリー物のオチというか、大衆的な知恵をまとめたもので、逆にいえば、本書でも指摘されているが、この手の謀略の大半は、中国人にとっては子供でも知っている常識のようなものだ。ただ、それを実際にやるかというとそうでもないだろうし、儒教というのは別かもしれないが普通の倫理観というか道徳観のようなものは普通に中国人にもある。当たり前の部分が大きい。
 というか、最終のところで兵法というのは孫子であり、孫子というのは老子であり、タオに極まる。ということでタオの地点で儒教(つまり道教)と根が同じなので(この点は本書でも触れていて好ましい)、だから、そうしたちょっとオカルト的な部分も出てくる。まあ、そういう文化というか文明なんだから、そういうものなんじゃないかくらいなことかな。中国とは長い付き合いなのだから大きく構えたほうがいい。
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孫子
(講談社文庫 か 1-1)
海音寺潮五郎
 そういえば本書の計の説明で孫子の孫臏のエピソードが何度か出てくるけど、このあたりは、「孫子(海音寺潮五郎)」(参照)が面白いよ。私はこの本、十回は読んだ。まだまだ繰り返して読むと思う。

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2008.07.11

[書評]あなたがあたえる 大富豪ピンダーの夢をかなえる5つの秘密(ボブ・バーグ、ジョン・デイビッド・マン)

 どういう話の文脈だったか忘れたが、「夢をかなえるゾウ」(参照)をきみは読んだほうがいいよ、みたいに言われた。その本は読んだことがないが、先日、人に用事を頼まれて薬局に行ったおり待合室の女性雑誌にこの本の要点があって、ふーんと思った。要点のなかで覚えているのは「靴は磨け」だけだ。いや、違ったかな。記憶があやふやだが、お話は、たしかダメ人間がガネーシャ神の指導で夢を叶えるサクセスストーリーではなかったか。
 そういえば、関係ない余談だが、私は以前コルカタを旅して、現地の寺院で売られている小さいガネーシャ神像がかわいいなと思い、こういうの好きそうな女友達にプレゼントしようとして買おうとしたら、現地の親切な人に、あなたはこの神様を尊敬していますか、と問われた。インドの人たちはこの神様を大切にし、信じているのです、と。痛いところを突かれたなと思って買うのはやめた。ガネーシャ神を大切に思う人にはガネーシャ神の御利益はあるんだろう。

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あなたがあたえる
大富豪ピンダーの夢を
かなえる5つの秘密
 「夢をかなえるゾウ」の本は本屋でよく見かける。表紙の絵のインパクトも売れた理由なんじゃないかなとなんとなく思っていた。この手のベストセラーは、古本屋で100円くらいになった時分に読むのがよかろうかと思っていたところ、本書、「あなたがあたえる 大富豪ピンダーの夢をかなえる5つの秘密(ボブ・バーグ、ジョン・デイビッド・マン)」(参照)をあたえ・られた。ので、もらった。なんかよくわからないが、「宇宙」の御心は、私になんとか夢を叶えてほしいんじゃないかだろうか。
 私の夢? なんだろ? ダルフールの人々が平和に暮らせますように、かな。それもあるけど、自分自身ビジネス的にも社会的にも成功したいなというのがないわけではない。メシャムのパイプが似合うノンスモーカーとかになりたい気もする。どのくらいサクセスしたい気があるかというと、もう50歳にもなっちゃたんだしな。現実的にはあまりその手の夢は自分には合わない感じはするけど。
 で、読んだ。読み始めて、あ、これってあれだよ、「極東ブログ: グーグルは何かを知ろうとしている」(参照)でふれた本田健著「ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)」(参照)の元ネタ本? タイトルも似ているし。
 でも、サクセスに至るまで17もの秘密をマスターするより、5つのほうがいいような気がする。だいたい四十八手っていったって、正常位、騎乗位、後背位、坐位、シックスナインとかだいたい5つくらなもんだよね、梯子丹。なんか話がいよーにずれているような気もするが、この本のコンセプトは本田健的、ビジュアルは「夢をかなえるゾウ」の矢野信一郎、ということかな。
 これっていつの時代の本か? と、ちとオリジナルを米アマゾン調べて、一つ星の悪口でもたーんと読むかな、うひひ、とか思って、「The Go-Giver: A Little Story About a Powerful Business Idea(Bob Burg、John David Mann」(参照)を調べたら、昨年末の出版で、米国でめっちゃベストセラーやんか。ガネーシャ。ということは米人との付き合いのあるビジネスマンなら普通に読んでおけ常考、でもあるわけだ。
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The Go-giver
CD朗読(英語)
 とにかく米国でのベストセラーブリには驚いた。これってすごい本なのかも。今なら古書1円で買える「チーズはどこへ消えた?」(参照)以来の革命的なビジネス寓話とかいう評もあった。な、なるほど、っていうか、こっち本も沖縄時代読んだな。内容はなんにも覚えてないけど。
 というわけで読み始めた。出だしのところを原文で照合した。イタリックになっている用語の強調がうまく翻訳に反映されていないかなという感じもあるけど、翻訳の文体はこれでいいんじゃないか。英語タイトルのGo-Giverは、出だしにもあるけど、Go-Getter(ビジネスのやり手)の洒落になっていて、これって昨年の米国映画のタイトルとかの連想もあるのかもしれない。
 実際読んでみると、自分などからは若い世代になってしまった現代米人ビジネスマン特有の発想や、日本のメディアからは見えづらい米国のビジネスシーンが見えてきて、そういう面でも、読んで桶本だろう。
 内容はストーリー展開になっている。25歳のジョー(つまり「名無し」ということだよね)が、金持ちの賢者から教えを請うということだ。ふんふんふんとか読んでいたのだが、後半のところにあるジョーの妻との話や、夫を失ったデブラの話あたりが、寓話ですませないえぐみがあってなかなかええんでないのガネーシャとか思うに至った。
 感動がこみ上げるということではないけど、こうして語られている5つの秘密というのはとても重要なことには違いないし、こういう、ある意味で当たり前のことを教えてくれる人は今の時代だと少なくなったのかもしれない。人生、宝くじに当たったみたいに富豪になる人はいるし、普通の人でそういう富豪のコネがあってなんとなくつられて富豪になる人もいるけど、悪銭身につかずではないけど、長期にカネにご縁をもつなら、それなりの人間の「うつわ」というものが必要なものだ。この本の秘密はそういう「うつわ」を大きくする基本でもある。読後ぼんやりエビチリ食いながら、そういえば、こういう秘密を世間から自然に学んで立身出世する人たちというのはいるなあ、特に中国人にとか思った。
 書籍のコンセプトとしてはオリジナル本と比べ練られているといえるのかなと挿絵を見ながら思った。かなり練り込まれたイラストかなと表紙裏のイラストとか見て思った。これね。これから読む人の便宜になればと、名前と秘密番号を貼っつけておいたけど。

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 キャラとストーリーの感じがよくイラストに練り込まれている、のかな、表紙のイラストもだけど、と思ったけど、よく見るとサムが抜けているので、そうでもないのかも。
 で、この本の秘密なんだけど、以下に英語の原文と試訳を添えておきますよ。翻訳が悪いというわけではないけど、ちょっとニュアンスが違う感じがしたので。
 というわけで本書を読まない人がここだけ暗記してもどうかなと思うし、いちおうスポイラーっぽいので、本書読んでから以下は本書を読んだ人が参考にしてほしい。

Law 1. The Law of Value; Your true worth is determined by how much more you give in value than you take in payments. (法則1 価値の法則:あなたの真価は、どれだけ支払いを得るかではなくて、どれだけの価値を与えるかによって決まる。)

Law 2. The Law of Compensation; Your income is determined by how many people you serve and how well you serve them.
(法則2 報酬の法則:あなたの収入は、あなたがどれだけ多くの人々に役立つか、そしてそれがうまくいくかで決まる。)

Law 3. The Law of Influence; Your influence is determined by how abundantly you place other people’s interest first.
(法則3 信望の法則:あなたの信望は、あながたどれだけ十分に他人の利益を優先するかによって決まる。)

Law 4. The Law of Authenticity; The most valuable gift you have to offer is yourself.
(法則4 誠実性の法則:あなたが与えることができるもっと価値のある贈り物は、あなた自身である。)

Law 5. The Law of Receptivity; The key to effective giving is to stay open to receiving.
(法則5 受容性の法則:効果的に与えるための鍵は、受容できるようにオープンでいることだ。)

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2008.07.10

原油高騰にまつわるきな臭い話

 先日「極東ブログ: 原油高騰の雑談、2008年前半版」(参照)でざっと原油高騰まわりの雑感を書いた。そのおり、ちょっとさすがにこの話は控えておこうかなと思って控えたのだが、今週の日本版ニューズウィークのホルヘ・カスタニャダ(Jorge Castan~eda)のコラム「原油高騰とイラン攻撃の幻影」というコラムに出てきた。例によって原文”The War Premium On Oil”(参照)は無料で読める。
 結論から言うと修辞を除けばどってことない話なのだが、ニューズウィーク所属のコラムニストが出してきたのかというのと、この手の話の出所がいつもならお馴染みのあたりではないところから出てきているようなので、ちょっと首を傾げていた。印象でいうと、そのスジではまさかオバマが出てくるとは思っていなかったのかな。
 そんな背景で、与太話といえばそうだけど、このあたりは目下の常識となりつつある与太話だし、日本では若干タブー化しているようでもあるので、ちょこっと触れておこう。まあ、タブー化しちゃう理由もわかるし、それほど弊害があるわけでもないのだけど。
 話はホルヘ・カスタニャダの切り出しがわかりやすいだろう。ちょっと長いけど、こういうことだ。


 最近の国際情勢で誰も模範解答を示せない二つの疑問がある。一つは世界経済が減速しサウジアラビアが原油増産を打ち出しているのに、なぜ原油価格が上がり続けているのか。もう一つはなぜ多くの専門家や政府がアメリカかイスラエル、または両方が、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が任期を終える来年1月までに、イランの核開発計画を破壊あるいは後退させる行動に出ると考えているのか。

 一見この二つはつながりがないし、真実は繋がっていないのかもしれないが。

 膨大な数の解答のうち、筆者は「答えは二つの疑問を結ぶ関連性の中にある」という意見が気に入っている。

 この書き方はようするに与太話ということではある。が、与太話を書くときにはこっそっといいづらい真実を混ぜておくものだ。

 相場はすでに1バレル=140ドルを超え、連日最高値を更新している。理由を解き明かす唯一の説明はない。だが石油取引業者や消費者、製油業者に政府機関までもが、近い将来アメリカとイスラエルがイランに軍事介入し、結果として原油価格がさらに高騰すると考えていることは説明の一つにはなるだろう。

 与太話はこう展開していくのだが、与太は与太でもこれで動いていそうな投機筋はありそうだし、カスタニャダはこの先そう書ききっている。というあたりはとりあえずガチなのだがようするにその比率がどのくらいで、そしてその投機筋はどこかということは、ぼやかされている。
 カスタニャダの話は日本人にとってはへぇくらいなもので、米国民にとってもへぇなのだろうが、この先、与太の楽しみで、ウゴ・チャベスを登場させ、このマッチョも米国への原油をストップさせるだろうとしている。おお怖いぞぉとか合いの手を入れたくなるところだ。
 が、実際にはそれでもそれほどの危機にはならないと私は見ているし、カスタニャダもそのハラはありそうだ。ただ、短期的に200ドルという局面はありそうなんで、投機筋の最適化行動は続く可能性は高い。結局のところ、カスタニャダが与太を超えて言いたいのは、こうしたチキンレースが世界構造化しているよということで、それはそう。問題は、つまりイスラエルの国是としては空爆圧力はあるよというのと、イランやベネズエラが火遊びを楽しめるだけの外貨をもってしまったということ。
 現実的には、イスラエルが米国を無視して暴走する可能性は少ないし、ちょっと踏み出していうと、昨今米国が北朝鮮がらみでわいわいやっているのは、日本の思惑とはべつにイランへのメッセージかもしれない。どさくさでふみだすと、構図はイラン対イスラエルではないかもしれない。まあ、ちょっとぶっそうなんであまり与太でも言うべきこっちゃない領域に近づいてくる。
 もうちょっとイスラエル寄りに見ると、日本では報道されたかどうかわからないが、先日はでな軍事演習をやっていた。先月26日のガーディアン”A shot in the dark”(参照)より。

Efforts to persuade Iran to freeze its programme of uranium enrichment are entering a dangerous new phase. Viewed from Tehran, the west is playing a classic game of good cop, bad cop. The good cop, the EU foreign policy chief Javier Solana, tells them that a package of incentives is still on the table if they halt enrichment. The bad cop, Israel, sends 100 fighter planes 870 miles into the eastern Mediterranean (the distance between Israel and Iran's main enrichment plant at Natanz) for an exercise designed to show military readiness for a long-range attack.

 空爆機を百機もイスラエルからイラン核濃縮施設のあるナタンツへの距離に相当する870マイルも飛ばした。
 イスラエルの強行の裏付けはガーディアンによるとこう。

  • Syria was planning to supply Iran with spent nuclear fuel from al-Kibar, the site Israel bombed in September;
  • discrepancies found in the amount of fissile material North Korea (Syria's adviser in the construction of al-Kibar) declared and the amount it could have produced, drastically alter intelligence calculations of how soon Iran could get enough material to make a nuclear bomb;
  • the point of no-return in Tehran's bomb programme is now 2010;
  • there would be regional consequences to a strike on Iran's nuclear facilities, but that these would be the lesser of two evils.

 さすがにこれは与太と笑い飛ばせることではないし、日本みたいに目をつぶって過ぎゆくの待つわけにもいかない。
 この潜在的な危機だけど、意外と別の方向からくるかもしれない。ガーディアンにはその意図はないのだろうが、結語にはよからぬ暗示がある。

There is also Afghanistan and the Strait of Hormuz through which 90% of Gulf oil passes. And that is before you even get to Hizbullah's long-range rockets. A ball of fire, the phrase of Mohamed El Baradei, the head of the International Atomic Energy Agency, would not even begin to describe the fallout from an Israeli attack.

 エルバラダイIAEA事務局長まで与太かよとはいいづらいが、つまりその話はカスタニャダのコラムに近い。問題はこの前半だよな。オバマはこの問題の構図を根幹からわかっていないようだし、EUにはもう解決は不可能みたいだし。

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2008.07.09

[書評]母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子)

 4月に出た本だけど暑苦しい夏向けのホラー物、とちゃかしたい気もするが、というかカバーを外した本書の装丁のように、少しはそんなアソビっ気もないとやってらんないよなというすごい話がテンコモリでしたよ、「母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き(信田さよ子)」(参照)は。

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母が重くてたまらない
墓守娘の嘆き
信田さよ子
 表題を見て、何かピンと来た人、とくに女性は、場合によってはこの本は劇薬級のインパクトがあると思う。でも、率直に言えば、「鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール」(参照)とか読んで人生をさらにこじらせてしまった人には、そうしたインパクトが必要なのかもしれない。
 釣書的にはこう。

母との名状しがたい関係に苦しみながら、それでも罪悪感にとらわれている女性たちが数多く存在している。本書では、カウンセリングの経験に基づいて、墓守娘たちの苦しみを具体的に取り上げた。進学、就職、結婚、介護…。どこまでもついてくる母から、どう逃げおおせるか。NOと言えないあなたに贈る、究極の"傾向と対策"。

 短い文章でよくまとまっているけど、ようするに「母との名状しがたい関係に苦しみ」が本書のキモ。そこを簡単に言えば、罪悪感によって娘を支配する母親、ということだが、それだったら、モーツアルト「魔笛」の世界からありがちな話であるが、本書はもっとスペシフィックに、団塊女の母親がどのように娘たちの人生を破壊しているかという事例がものすごい。
 話のなかで嗚咽したり、泣き崩れたりする女性の姿があるが、そのあたりは、中年男性の私が読んでも(私だからかもだけど)、ヒリヒリするくらいの痛みが伝わってくるとともに、母親に向ける憎悪あるいは意識に立ち上る憎悪について、共感もする。
 そのあたりの叙述は、ストーリーテリングとしても面白く、なんというか村上春樹の近年の短編を読んでいるような趣もある。たとえば、母の支援でビジネスエリートになったヒカルさんという娘の話だが。

 入社して三年目を迎えるが、休みの日には、母がかいがいしく下着を洗濯してくれる。部屋は毎日掃除機がかけられ、夜には昼間干したふとんのぬくもりの中で眠る。駅から「今着いたわ」と携帯で電話すると、どんな遅くても暖かい夕食が用意されている。「ビールどう?」と勧められるままにコップを干すと、母はうれしそうに「ママも一杯もらっちゃおう!」と華やいだ声を上げる。「まるでオヤジのような毎日でしょ」と、ヒカルさんは低い声でつぶやいた。
 「ときどき、夜中に目が覚めるんです。そんなとき、ふっと母を殺したくなっちゃう自分がいて、それがこわくて……」。このことを他人に話したのは初めてだと言いながら、ヒカルさんは激しく泣いた。

 泣いて済めば、「ふっと母を殺したくなっちゃう」よりいいのかもしれない。だけど、問題はそれでは解決しない。
 この短い引用ではわからない人は本書を読む必要はないが、おそらく読まなくてはならない、あるいは本書でなくてもそうした問題に直面しなくてはならない人はいるだろう。もうちょっと本書を紹介する。
 本書を、ダンコーガイ書評スタイルで目次も引用すると、こう。

1 母が重くてたまらない―さまざまな事例から
〈Ⅰ〉
  ママのための中学受験
  母と娘の「運命共同体」
  息子を見上げ、娘を見下ろす母
  気がつけば、落とし穴
〈Ⅱ〉
  自分の不幸にふたをして
  団塊母の苦しみ
〈Ⅲ〉
  傷つけ合うことで深まる絆
  父の存在はどこに?
  無邪気な独裁者
2 母とは一体誰なのか?
   母親を徹底的に分析する
   母をどうとらえればいいの?
3 迷宮からの脱出―問題解決の糸口
   母に対する処方箋
   父に対する処方箋
   墓守娘に対する処方箋)

 目次を引用したのは、構成を紹介したしたいためで、圧巻は「1 母が重くてたまらない―さまざまな事例から」にある。
 「2 母とは一体誰なのか?」は、著者がカウンセリングの専門家であることもあり、ごく一般的というか、そこいらの精神医学系の著名人でも書きそうな内容なのでつまらないといえばつまらない。さらにそのつまらなさの部分を言えば、母性幻想は近代に作られてものだとか、戦時体制の国家が母性を女性に強いたのだとかくだくだ書かれているが、ちょっと踏み込んで言うけど、それはたぶんはずしでしょ。本書では、この恐ろしい団塊女性母が青春時代に恋愛イデオロギーにあったというけど、まさにそのイデオロギーが帰結したものがこの本で描かれている事態なのだと思う。つまり、端的にいえば、夫婦関係の、微妙な失敗の必然的な帰結であり、そこから生まれた子供、特に娘は悲劇だよねということだ。
 筆者は女性問題に注視し、そして団塊女性母の配偶者で「夫」の問題(別の切り口からすれば「父」なんだがそこはなぜかあまり深掘りされていないのは、林道義みたいな議論になってもなあ、かもしれない)を扱うのだが、むしろ現代的な問題は、こうした苦しみのなかで生きる娘さんたちの恋人や夫のほうが重要な問題だろう。昨今、非婚時代で、非モテとか男女関係と経済を含めた世相の切り口でわかりやすい物語がよく作られるけど、実際に30代の男女関係・夫婦関係に重たい影を落としているのは、その親たちの団塊の世代だろう。
 というか、団塊の世代に、その自覚がまったくないのだというのが、本書でよく描けている。ぞっとするほど。著者、信田さよ子自身がその団塊世代のまっただなかにいるせいもあるだろうが、それだけ同世代に向けてきちんとした批評眼を向けているのはさすがだと思うのと、私などからすれば、まだまだこんなもんじゃないよとも思う。
 母親に自覚があればまだ救いがある。しかし、大半は念入りに隠蔽された地獄なのだ。

(前略)母親たちは無邪気に見える。透明な清らかさというより、彼女たちの体重ように鈍重な無邪気さだ。自分の感情や行動は娘のためだとつゆ疑うことのない、そんな無神経な無邪気さに満ちあふれている。
 パソコンやケータイを使いこなせないと、「わかんない~」と娘に甘えてドジなおばさんぶりを発揮する。無理に話を合わせようとして娘から軽蔑のまなざしを向けられれば、「どうせおばさんだからね」とすねた顔をして娘を困らせる。時には「ああ、このしわやしみを見て見て……もう長くないかもよ」と脅しながら、娘の心配げな顔を見てはほっとする。たぶん、これらは何とも言えない快楽なのだ。年齢をかさにきた脅しとひがみで娘を操作し、最後はひらきなおって無邪気を装う。そのくせ異様に元気で、体力は娘以上ときている。ジムに通って、毎日四~五時間も水泳やマシーンで体を鍛えているからだ。このように、母親たちは人生を安楽に過ごすために蓄えた年季のはいったスキルを、ここぞとばかりに発揮する。

 苦笑で済む話ではない。
 本書は必死に解決を与えようとして後半はその試みに費やされる。しかし、答えなんかあるわけがないのだ。と読み進めながら、該当の娘に対して、次のように筆者が語るとき、私はこの筆者の根幹の良心のようなものに出会えたように思えた。

 「勇気を出してそう言ってみましょう、お母様もわかってくださるでしょう」こう言いながら背中を押してあげたいのは山々だ。しかし、残念ながら私はそんな甘く楽観的な考えをもってはいない。
 (中略)
 クールに現実を見据えれば、そんな甘い期待であなたたちを満たすことはできない。おそらく墓守娘たちは、これまで何度も体験してきた「やっぱり無理だったのか」という失望のどん底に落とされるだろう。それもいい経験だからやってみましょうなどという残酷なことばを、カウンセラーとして私は伝えることはできない。(後略)

 本書は墓守娘に焦点を当てている。母と娘という関係は、息子のそれとは違うとしてその説明も縷々といった印象はある。だが、息子も同じなのだというのは、中島義道の乱造本に思われている「愛という試練」(参照)の、母の死との情景によく描かれている。50過ぎてこんな号泣なんてやだなと思う。だが、これはきれいに描かれた必然なのだ。中島義道は中二病で恥ずかしいっす、みたいなありがちな揶揄で済ませる人生なら……いやそれもまた別の地獄なのだが。

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2008.07.06

[書評]仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか(山本ケイイチ)

 「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか(山本ケイイチ)」(参照)だが、最初書名を見たとき、「ああ、これは最近乱造されているネタ本かな」と思って敬遠していたのだが、なんとなく面白い本のではないかなとも思ったので購入し、ざっと目次でもブラウズするつもりが、ぐいぐいと引かれてそのまま読み切った。面白かった。知らないことをこの本で知ったという部分はそれほどないが、読みながら、現代日本やこれからの日本社会がどういうふうに変化していくか、ある具体的なビジョンが得られたように思った。

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仕事ができる人は
なぜ筋トレをするのか
山本ケイイチ
 ということは、書名「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」が当然暗示するような、「筋トレすれば仕事ができるようになる」だから「こうやって筋トレしなさい」ということがこの本の面白さではなかった。その話が描かれていないわけではないし、筆者は、一流の筋トレのトレーナーとして多くの人にきちんと筋トレをやって欲しいと願っていることはよくわかるのだが、逆にその明鏡止水的な視点が、ある意味で現代人のグロテスクな側面を結果的に描いてしまっているのが、皮肉なようだが、とても面白かった。
 グロテスクな部分、つまり、筆者の意図ではないのだがという限定は明確にし、私が受け取ってしまった部分を単純に言えば、筋トレしない人間はもう脱落者、ということだ。もちろん、筋トレしないでも人生の成功者というかビジネスの成功者はいるだろうし今後もいるだろうから、そのグロテスクな見方が一般的になったり支配的になることはない。だが、成功者=筋トレ=肉体的に見た目の差別感、という社会通念的な人間観はこれから一層強化されていくだろうし、そうした先行的な傾向の風景がこの本からよく見える。
 もう少しこの部分を踏み込んで言う。私も筋トレを始めた、というか、再開したので本書の内容がよくわかる部分は大きいので、その点はあとで触れたいのだが、本書が結果的に描いているのは、筋トレでも、たとえば私のようにブルワーカー(参照)やチューブ(参照)などを使ってチープに実現するということではない。くどいが筆者はそれを否定しないだろうと思う。が、この本が結果的に描いているのは、社会的成功者、あるいは成功に到達しつつある若い世代の一群の人々が、フィットネスクラブを使って身体を改造していく光景だ。
 ある程度ぶっちゃけて言ってもいいと思うが、30代、40代の米国のビジネスエリートを思い出すと、彼らは男女ともにまず肉体が違う。これはがっちり筋トレしているなという感じがすぐにわかる。ごく個人的な印象なんでハズしているかもしれないが、最近は中国人エリートでもそれを感じる。エリートは体格でまずわかる。その体格がないとファッションも着こなせない。こういう見た目でエリート感というのは30年くらい前もそうだったように思うが、あの時代を思うとエリート達には、それ以前に、ある種の倫理感と禁欲感のようなものがまず先行してあり、肉体はそれに従属していた。どこかで逆転したように思える。
 この米人エリート達は高級フィットネスクラブで筋トレをやっている。そしてそれがビジネスと恋愛の一種の社交界を形成し、つまりインサイダー的グループを形成している。それが日本にも及んできたのだなと思う。残念ながら現在の私はそうしたものをもう間近で見ることはない(見たくもないけど)。
 こうした風景のアイロニカルな表出はたとえば次のような部分だ。入会金や月会費が高いフィットネスクラブは何が違うのか。

 では高い入会金や会費は何に使われているのか。
 私は以前、あるコンサルトに、
 「会費が高いフィットネスクラブとそうでないクラブの違いって、どこにあるんですか?」と質問したことがある。
 するとそのコンサルタントは、
 「ロッカーとロッカーの間隔だよ」と即答した。

 筆者はそうしたものは筋トレには必須ではないし、よい経営によってカバーできると力説するのだが、現実には、ロッカーとロッカーの間隔のある高級フィットネスクラブにエリートは集まり、ゆったりとシャワーをする。そしてその先は言わずもがなだろう。
 この本の魅力はそうした結果的な風景を次のような真摯な視点で対比させることだ。

 では、入会金や月会費の違いによるトレーニング内容の違いはあるのだろうか。
 私はないと考えている。それはズバリ、入会金や月会費がトレーナーやインストラクターにあまり還元されていないからである。フィットネス業界で働いたことのある人には納得してもらえると思うが、トレーナーにしてもインストラクターにしても、とにかく給与、報酬が安い。これはいわゆる高級クラブであっても変わらない。

 たぶんそうなのだろう。そして、その部分はこれからは変わっていき、より優れたトレーナーがより肉体的なエリートを作成していくのだろう。
 そこまでして肉体的なエリートになりたいものなのか。という問いをもう少し筋トレという点で見て、そこまでして筋肉を付けたいのか、というと、本書の事例で、予想外ではないが、ディテールが面白すぎる。ようするに、エリートのみなさん、もっとモテたいのだ。筋肉はモテると思われている。実際にそうなのだろう。私などはいやはやという感じがするし、そうした側面について良心的なトレーナーがどう見ているかは本書がとても参考になる。もちろん軽蔑はしてない。否定もしてない。
 筆者はとても公平に多様な側面を描いている。一般的な筋トレ本では得られない話も多い。忠告も重要な点が多い。例えば、筋トレは筋肉増強に暴走しがちだとも忠告している。これは当たり前に重要なことだが、そこに嵌る人は少なくない。ありがち雑誌みたいに3か月で腹筋を割る特集みたいなことはあり得ないこともきちんと書かれている。加圧トレーニングの危険までは踏み込んでいないが、ダイエットと筋トレの関係や、筋トレと有酸素運動との差異などもきちんと書かれている。本書は、フィットネスについてかなり読みやすく妥当な概説書になっている。ただし、しいていうとディテールで非科学的な部分も若干あるようには思えた。
 本書は年代別の筋トレの示唆も30歳から5歳単位で細かく書かれている。ふむふむと読みながら、示唆には50歳以上がない。そこであれれと私は気が付いた。私自身が50歳であることをすっかり忘れていたのだ。つまり私などは、筋トレの実用書的にはもう本書の対象外かな、あはは、とか思った。が、たぶん、市場的にはこれからは50歳から70歳レンジの筋トレも重要になるではないか。というか、その世代がある程度おカネをこの分野に注げるかどうか?
 50歳である私は世代的にはぎりぎり戦後の貧しい世界に根をもっている。筋肉を鍛えるにはコンダラでも引っ張るほうがいいような間違った先入観もある。団塊の世代とか兎跳びとかしちゃうんじゃないか。脚を伸ばして腹筋するなよ爺みたいな。とか、ざっくりと見れば、たしかに現在の50歳以上はあまりまともなフィットネス市場にはならないような気もする、といったところか。
cover
40歳からの肉体改造
頑張らないトレーニング
 本書が面白かったので、アマゾンのお勧めにある「40歳からの肉体改造 頑張らないトレーニング」(参照)も読んでみるか、だけど、こっちはディテールの本みたいだな。読者評を見ると筋トレ的ではなさそうだ。そういえばダンコーガイさんは筋トレやってんの?

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