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2008.04.05

オムレツと小麦粉についての悩ましい問題

 「悩ましい問題」って表現は日本語じゃないよなと思いつつ、なんとなくこの手のボケ話題には向きそうな表現なので採用。というわけで、オムレツと小麦粉ついての悩ましい問題だ。つまり、オムレツに小麦を入れるか?ということ。入れるわけねーじゃん、とか脊髄反射でツッコミすんなよ、ネタがなくなるからさ。
 まずオムレツとは何か?だが、これが非常にうざい。ウィキペディアの記事とか読むとうでうで書いてあるんだけど、けっこうどうでもいいかなと。どうでもいいの決定版がその写真で、「うーむ、お母さんの手作りか」と思いきや英語版にも載っている。これってオムレツのグローバルスタンダードってやつですかい。
 で、オムレツっていうのの日本人のイメージはあれでしょ。というわけで、ユーチューブ的にはこんな感じ(参照)。難しいこと言う人がいるけど、こんなんがスタンダードでは。
 それはそれとして、問題は、オムレツと小麦粉ついての悩ましい関係だ。これが国際的にあるいは大英帝国的に、紅茶のミルクはいつ入れるか的に、大問題だというのはBBCのサイトの”Omelettes”(参照)からもわかる(いやエイプリールフールじゃないからネタバレすると個人ブログだけどね)。いわく、オムレツには2つの問題がある。1つはミルクを入れるかよと。答えはクリームちょっとくらいならよいよ、と。2つめが小麦粉問題。


Secondly, one should mention flour, since a few recipes for omelettes have erroneously and spuriously included it in the ingredients. If an omelette is made using that recipe the result could double as building material. A properly-made omelette is one of the most delicate dishes one can eat, unlike the pancake which, exactly as a consequence of the flour, can be a stodgy affair. So, no flour.
(二番目に小麦粉について言及せざるを得ない。というのもレシピによっては間違いも甚だしく偽りにも事欠くというべきか、オムレツに小麦を含ませている。万が一にもかくなるレシピで製造されるなら建築材の代用になりうる。適正なオムレツは人が食しうるもの料理においてもっとも繊細なものだ。パンケーキじゃないんだ。それなら小麦粉は使うし、気の重い出来事になる。つまり、小麦粉は絶対なしだ。)

 まあ、わからないでもない。
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亡命ロシア料理
 でも、私は小麦粉入れることがある。カラマーゾフの血が、アリョーシャの良心が、そうさせるのだ。いや違うか。ロシアといってもこりゃ、ユダヤ料理だもんな。というわけで、前世紀に作成されたもっとも美しいラフマニノフの音楽と「亡命ロシア料理」(参照)だが、こう書いてある。

 かつてベテランの料理人は、新人を採用するとき、一つだけ試験を課した。それは、オムレツを作ることだった。この料理の簡潔さと端正さは、単純であると同時に手が込んでいて、まるでソネットのようだ。温めたフライパンにバターを入れて溶かし、そこに、卵と牛乳と小麦粉をミックスしてあらかじめよく泡立てたタネを流し込む。(小麦粉はほんの少し ―― 卵二個につき小さじ一杯 ―― にしなければいけない。牛乳といっしょに薄めたサワークリームや生クリームを加えてもいい)。

 つうわけで、私は小麦粉を入れることがある。入れてどうなるかなんども作っているけどよくわからん。たいていそれなりにうまくできる。
 まずバターを大さじ一かけくらい入れて溶かす。フライパンは強火。ちなみにプチ・レミパン(参照)。

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 卵2、小麦粉小さじ1、牛乳大さじ2をよくまぜたタネを流し込む。

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 箸でかき回す。フライパンを揺するとか別にしなくてもよい。

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 全体がこんな感じでクリーミーになったら、端からフライ返しで端に重ねるように寄せていく。無理に巻こうとしなくていい。

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 寄せるとこんな半月形の感じになる。

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 これをフライパンをていねいにひっくり返すようにして皿に盛りつける。このとき同時に、形を自然に整形することになる。

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 できあがり。ソースはデミグラもよいよ(参照)。

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 つうわけで、まあ、こんなものなのかな、とも思うのだが、先の「亡命ロシア料理」ではこの先がちと違っている。


 タネが固まったらすかさず、フライパンを温めておいた天火の中に移す。そこでオムレツは膨らみ、盛り上がる。それをフライパンから取り出して、数秒以内に食べるのが肝心だ。

 それをやったことがない。めんどすぎ。
 とはいえ、「亡命ロシア料理」のこの先の教訓はロシア的であるとともに、非カント的な非モテの倫理性とは異なるかもしれないが、家族の本質を描くという点で概ね現代日本にも当てはまる普遍性を持っているかもしれない。

最も難しいのは、食べる人たちが唯一のしかるべき瞬間に食卓についているようにすること。たいていは、そんな風にはゆかない。あなたは家族を呼ぶ。家族は「いま行くよ」と答えるけれど、もちろんどこへ行くわけでもなく、どうでもいいような自分の仕事にかまけている。そこで、たとえ腹立ちまぎれに、「くそ、悪魔のところに行っちまえ」などと心で罵ったとしても、悪魔のところに行ってくれるわけでもない。ささやかな料理のお手柄はもう喜びにはつながらず、家族をみんな殺してしまいたくなる。そして、ナイフやオーブンがそばにあるものだから、妙な空想がだんだん高じてくる。でもこれはもう、全く別のお料理……。

 天国と地獄の境目は、スェーデンボルグのように考えなくても、そこいらに存在する、っていうか、飯を作ってもらったらさっさと食え。

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2008.04.04

ジンバブエ大統領選・議会選後、メモ

 うまく整理できてないので散漫になるかと思うし、ブログに書くにはもう少し待ってもよいかもしれないのだが、現時点で記しておく意味も多少はあるかもしれない。あとで触れるかもしれないが、日本のジャーナリズムはアフリカ問題に疎いということもだが、中国の手前この問題に触れたくないのではないかという印象もある。なお、前回ジンバブエに触れたのは昨年7月の”ジンバブエ情勢メモ”(参照)だった。
 3月29日に実施された大統領選と議会選の結果だが、ロバート・ムガベ(Robert Mugabe)大統領(84)の敗北は明確なので、問題はそれによって何が起きるかということに関心が移る。どう進んでもかなりの困難が予想されるが、最善な傾向としては、AFP”ジンバブエ、ムガベ氏が辞任に同意か”(参照)が伝える線だろう。つまり、国内争乱なく政権の移行が行われることだ。


 前月29日に大統領選と議会選の投票が行われたジンバブエで1日、28年に及ぶロバート・ムガベ(Robert Mugabe)大統領(84)の時代が終わりを告げ、長年にわたる政敵モーガン・ツァンギライ(Morgan Tsvangirai)氏が政権を握る見通しが強まってきた。
 ムガベ氏からの敗北宣言はないものの、外交官や与党幹部までもがムガベ氏が辞任に基本合意したと話している。

 もっともジンバブエの場合は”極東ブログ: ケニア暴動メモ”(参照)で触れたケニアのようにはならない。この点についてもAFPが詳しい(ただしケニアの件ではAFPの視点は結果的に外れた)。”選挙結果を待つジンバブエ、ケニアの「二の舞」にならない理由”(参照)にはいくつか分析があるが、要するに、ムガベ政権は論外の水準にあった。

地元の大学講師は、「国のすべてが腐敗している」ために今回の選挙で民族が焦点になることはないと話した。

 今回の選挙では、選挙操作でどうとなるレベルではなかったというのが事態をぐいっと進める結果になった。加えて、米国はワシントンポスト”Zimbabwe Teeters”(参照)が伝えるように選挙操作への威嚇を出していた。

Whether Mr. Mugabe succeeds in imposing a fraudulent election result will depend on whether other governments in southern Africa accept Ms. Rice's judgment -- and resolve, at last, to do something about the situation.
(ムガベ氏による詐欺的な選挙結果の強要が成功するかどうかは、南アフリカの他の政府がライス氏の判断の受諾するにかかっている。つまり最低でも状況に何か関与するという判断だ。)

 2つのAFP記事が楽観視する方向で進むかなのだが、現時点ではわからない。現時点の最新AFP記事はニューヨークタイムズの孫引きだが、懸念も伝えている。”ジンバブエ当局、外国人記者2人を拘束 無許可取材で”(参照

 前月に大統領選・総選挙が行われたジンバブエで、米ニューヨーク・タイムズ(New York Times、NYT)記者らジャーナリスト2人が3日、無許可で取材していたとして当局に拘束された。警察当局とNYTが発表した。
 
 ジンバブエ警察当局の広報によると、2人は首都ハラレ(Harare)中心近くの高級宿泊施設ヨークロッジ(York Lodge)で拘束され、警察当局によって留置されているという。

 ニューヨークタイムズの関連記事”New Signs of Mugabe Crackdown in Zimbabwe ”(参照)にはより深刻な事態のトーンがある。
 私の推測だが、すでに西側諸国の合意もあり、それほど大きな混乱はなく、ムガベ政権は終了するのではないか。
 問題は最善の線を進むとして、ムガベ大統領はどうなるか。3つシナリオはある。それなりに国内で隠遁する、裁判にかけられる、国外脱出する。たぶん、最初のシナリオはないだろう。ムガベはマタベルランド虐殺に関与しているからだ。この虐殺はなぜかあまり日本のジャーナリズムからは顧みられないが、2000年のBBCに簡素な記事”Mugabe: Madness of Matabele deaths”(参照)がある。

President Robert Mugabe of Zimbabwe has admitted that the killings and atrocities that took place in Matabeleland in the 1980s were "reckless and unprincipled".
(ジンバブエのロバート・ムガベ大統領は、1980年代マタベルランドで行われた殺戮と虐殺を「無謀かつ不測の事態」と認めた。)

 殺戮の規模については数千人と触れているが数万に及んでいたかもしれない。この虐殺はグクラフンディ(Gukurahundi)(参照)として知られている。かなり明白に国際法上の違反になるだろう。
 もう一つのシナリオは国外脱出だが受け入れ国の問題があり、さらに上位の枠組みに中国と西側諸国の問題がある。結論を先にいうと米国と中国北京政府側で暗黙の合意がとれている可能性もある。
 今回のムガベ敗北は中国にとっても手痛い事態でもあった。率直に言ってこれはこれでかなりの偏向があるが産経新聞記事”ジンバブエの大統領選、中国が強い関心”(参照)がこの背景を伝えている。

【北京=矢板明夫】中国のメディアはジンバブエの大統領選挙に高い関心を持ち、連日最新情勢を詳しく伝えている。これまでに10回以上の訪中経験を持つ盟友のムガベ大統領が落選すれば、中国にとってアフリカ南部における影響力の後退を意味し、大きな痛手になるからだ。

 以下の話は産経新聞らしいネタではあるがあまり重要ではない。個人の思想というより利権・独裁・ポピュリズムといった構図で見るべきだからだ。

 中国メディアの報道などによれば、中国は1980年に独立したジンバブエを最初に承認した国の一つ。それ以後、両国間の交流は順調に発展。87年にムガベ大統領が就任し、中国との関係はさらに接近した。大統領は独立運動を指導していた時代から毛沢東思想を信奉。若いころに約10年間投獄されたが、その間、「毛沢東選集」を繰り返し読んだという。

 ジンバブエを今日の圧政国家に育て上げたのは、しかし、かなり公平に見て中国だと言ってもよいだろうと思う。

 2002年、大統領が白人の農園を強制収用し、野党を弾圧したことなどを理由に、欧米諸国から経済制裁を受けた。四面楚歌(そか)の中、中国だけが支援の手を差し伸べ続け経済交流を拡大させた。ジンバブエからクロム、銅などの天然資源を輸入し繊維製品、医薬品などを輸出した。二国間の貿易額は01年に約1億4000万ドルだったが、07年には約3億4000万ドルに増えた。今年1月にはジンバブエの経済混乱を受け、中国は5000トンの緊急食料援助を行った。

 産経新聞をソースにするだけで反感を持つ人もいると思うので昨年6月のBBC”Zimbabwe signs China energy deal ”(参照)もあげておく。

China has signed a $1.3bn deal with Zimbabwe to help relieve an acute shortage of energy.
(緊急のエネルギー不足の解決のために、中国はジンバブエとの間に13億ドルの援助協定に調印した。)

 産経新聞は触れていないが、その後、胡錦濤政権が強化されるにつれ、この問題は、北京側では認識されている。昨年8月のテレグラフ記事”China is to withdraw backing for Mugabe”(参照)が簡素に対ジンバブエの中国の変化について触れている。

Robert Mugabe is to lose vital support from one of his few remaining allies on the world stage, China.

One of the Zimbabwe president's oldest diplomatic friends, China yesterday told Lord Malloch Brown, the Foreign Office minister, that it was dropping all assistance except humanitarian aid.
(ロバート・ムガベは、国際舞台のわずかな同盟国の一つ、つまり中国から貴重な支持を失うことになる。ジンバブエ大統領の長年の友である中国が昨日、マロック・ブラウン卿(外務省大臣)に話したことろでは、人道援助以外の援助はすべて低下しているとのことだ。)


 つまり中国側としても疲弊したジンバブエに対して人道援助に絞りたいとしていた。
 少し勇み足な考察になるが、中国が今回の事態を想定していたかだが、いただろうと私は思う。結果的にババを引く形になるが胡錦濤としてはこの時点でもっとも合理的な結論だともいえる。だが、当然抜本的な解決に至る結論にはなっていない。
 もっとも、ジンバブエの未来において、抜本的な解決というのはたぶん存在しないだろうし、混乱からの回復にどのように国際社会が関わるかについて、帝国主義時代の遺産を抱える西欧や大国の思惑があり、見えてこない。日本のほうがこうした問題に関われるチャンスはあるかと思うし、北京側との暗黙の合意を取りつつ汗を流すという選択もありうるだろうとは思う。

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2008.04.03

マケドニアのこと

 もう15年以上も前になるが北部ギリシアを旅行し、サロニカ(テサロニキ)から40キロほどのペラ遺跡を見に行ったことがある。
 ペラはマケドニア王国の首都でアレキサンダー大王の故地だ。サロニカを拠点とした小旅行では、カナダ人4人と私とガイドの矍鑠としたギリシア人のインテリお婆さんの6人だった。私は彼女から戦前の話も伺えて面白かったし、交渉力の強い彼女のおかげで発掘中の遺跡なども間近で見ることができた。
 ギリシア内の古代マケドニア遺跡をいろいろ見て回り、私は、なるほどこの文化はアテネなどの古典ギリシア的な世界とは随分違うものだと思ったし、墓制が異なるというのはそもそも文化が違うのだろう、いわゆるヘレニズムというのは西洋の誤解かもしれないと思ったものだった。
 ちなみに、ヘレニズムのヘレはギリシアを意味する。というか、英語でGreeceというのは俗称で、正式にはHellenic Republicという。つまり、ヘレニックというのはギリシアということだ。
 遺跡見学の途中、観光目当ての小さなカフェテラスでまいどながらのギリシア・コーヒーを飲んだ。ギリシア人は「ミドル・スイート?」と聞くので、「ノーノー、ベリーベリースイート」と答える。甘くなくちゃね。ぺっぺっしながらギリシアコーヒーを飲みつつ土産物を見ると、「マケドニア 3000年」というティーシャツがあった。ほぉと思って買って、日本に帰ってから着ていた。アテネで着るのはちょっとためらわれた。
 あの地域ではマケドニアはどういう含みがあるのか、以来いろいろ気になっていたが、最近、なるほどねというニュースを聞く。
 国内報道では毎日新聞記事”マケドニア:「ギリシャの一地方」 国名論争再び過熱”(参照)が比較的わかりやすい。


 【ベルリン小谷守彦】「マケドニア共和国」の国名をめぐり、同国と隣国ギリシャとの90年代以来の論争が再び過熱している。「本来のマケドニアはギリシャの一地方」と主張するギリシャは、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)へのマケドニアの新規加盟阻止をちらつかせつつ、国名の変更などを要求。国連と米国が仲裁に入り、解決策を模索している。

 この問題だが国際的には、3月30日付けニューヨークタイムズ”The Republic Formerly Known As ... ”(参照)のように、どちらかといえばなんとかなる類に見られていた。

Tiny Macedonia poses no threat whatsoever to Greece under any name; on the contrary, its economy is highly dependent on substantial Greek investments. Bringing it into the NATO fold is good for Europe, good for the Balkans, good for Macedonia and good for Greece. The name is something Athens and Skopje can work out on the side.
(ちっぽけなマケドニアがどのような名前を持とうとギリシアの脅威にはならない。逆に、経済面では実質ギリシアの投資に依存する。NATOに含めることは西欧にも、バルカン半島にも、マケドニアにも、ギリシアにも利点がある。国名の問題は両政府が本題から外して解決が可能だ。)

 残念ながらそういかない。
 なぜこの問題が紛糾しているのか、先の毎日新聞記事は近代史的な背景をこう説明する。

 バルカン戦争(1912~13)までオスマン・トルコ支配下にあったマケドニア地域は戦後、ギリシャとブルガリア、旧セルビアに分割され、セルビア側の領土だけが91年に独立。米国やロシア、中国などは「マケドニア共和国」として国家承認した。
 これに対しギリシャは、「マケドニア」の復活による領土要求を懸念。93年のマケドニアの国連加盟時には、両国は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の暫定名称を使うことで妥協していた。

 さらに根深い背景がある。
 冒頭たらっと書いたが、ようするにアレキサンダー大王の歴史を両国民が自国史のように見なしているので、その古代の栄誉の名前を譲りたくはないというのと、ギリシア側にはある種の恐れの感覚がある。
 毎日新聞の記事の書き方が悪いわけではないが「オスマン・トルコ支配下にあったマケドニア地域」とあると、その地域とギリシアとの関係がわかりづらいが、サロニカもオスマン帝国の一部であり、トルコ建国の父(アタチュルク)ことケマール・パシャも、サロニカの生まれだったし、当時そこはマケドニア州でもあった。
 国際問題としては、「マケドニア」という名前だけのこだわりだけで、ギリシアが拒否権(veto)を行使しようとしているようにも見えるが、BBC”Greece to veto Macedonia Nato bid”(参照)などを読むと、ややこしい背景がもう少し見える。

Territorial claims
Greece's foreign minister, Dora Bakoyannis, says the dispute is not just over a name.

She says the government in Skopje regards the Greek province of Macedonia as occupied territory and has refused to remove such claims from textbooks speeches, maps and national documents.
(領土の主張:ギリシア外相ドーラ・パコヤニスは、国名だけの問題ではないと言う。マケドニア政府はギリシアのマケドニア州を占領地と見ているし、教科書や地図、国家文書にそのような主張があるのを拒絶していると、彼女は言う。)


 つまり旧「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」が国家として「マケドニア」を名乗ることで、現ギリシア共和国内地域への領土的拡大を回復の名目でもくろむのではないかとギリシアは懸念している。
 面白いといってはいけないかもしれないが、アレキサンダー大王時代の古代史意識がやはり関係している。まるで白山伝説を南韓の人までが民族起源伝説と思いたがるように国家は起源伝説に捕らわれる傾向はあるのだろう。

The Americans say a dispute over who are the descendants of Macedonia's legendary king Alexander the Great cannot be allowed to derail Nato's expansion.
(米国にすれば、誰が伝説のアレキサンダー大王の子孫という議論でNATO拡張を頓挫させるわけにはいかない。)

 そういえば当時、ギリシアの北部国境近くの川沿いを走っていると、ところどころにテントがあり、ギリシア人のお婆さんはロマの旧称を叫んでいた。この地域には民族問題も潜んでいるのだろう。

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2008.04.02

シーア派内抗争が深まるイラク情勢

 イラク情勢が大きな曲がり角に達しているようだ。備忘もかねて簡単に記しておきたい。
 話はやや込み入っている。まず、日本語で読める報道からアウトラインを描いてみよう。今日付の朝日新聞”イラク「6日戦争」で治安懸念 撤退シナリオに影響も”(参照)が取りあえずスキーマティックに事態を伝えている。


 イラクのマリキ首相が率いる治安部隊と、イスラム教シーア派の民兵組織マフディ軍との戦闘は、3月25日に始まって以降、イラク全土で400人ともいわれる死者を出した。「6日戦争」とも呼ばれる今回の戦闘は収束に向かいつつあるが、改善傾向にあるとされてきたイラクの治安のもろさを見せつけた。米英軍の本格撤退シナリオにも影響を与える可能性がある。

 イラク情勢というと日本のジャーナリズムではつい対米軍の構図を描きがちで、朝日新聞の記事ではつい米英軍を焦点に置いてしまっている。だが、対立の焦点は、イラク政府軍対シーア派民兵マフディ軍である。
 やや勇み足の懸念もあるが、ここでいうイラク政府軍とは実質シーア派である。これはシーア派対シーア派の構図が基本にある。朝日記事には補助でトリアーデに見せかけた解説図があるが誤解の印象を与えかねない。
 朝日新聞記事では、南部の対立を、「サドル師派とイスラム最高評議会(SIIC)とのシーア派」として捉えている。正しいのだが、これもまたシーア派対シーア派である。よく読むとその構図がわかるが、やや読みづらいうえ、実態はシーア派として見てよい政府の関与もやや曖昧になっている。

 大油田地帯を抱えるバスラなどでは、サドル師派とイスラム最高評議会(SIIC)とのシーア派同士がしのぎを削り、傘下の民兵組織が抗争を続ける。マリキ政権で軍や警察の治安当局を握るSIICが首相と結託し、南部で根強い支持があるサドル師派をつぶしにかかったと、同派内では受け止められている。
 サドル師派は06年5月のマリキ政権発足に貢献。マリキ首相の出身母体のダワ党、SIICとともに、シーア派与党会派「統一イラク連合(UIC)」を構成した。しかし、サドル師派は首相が米軍撤退日程を示さないことや、米ブッシュ政権が首相に実現を求める石油法案に反発。昨年は閣僚の政権離脱、国民議会ボイコット、与党離脱とゆさぶりをかけた経緯があり、首相にとっては悩みの種となっていた。

 朝日は米軍に関心をおきすぎるが、対立の根幹にあるのは石油の利権である。
 この点、フィナンシャルタイムズ3月27日付け”The Basra fight for Shia supremacy”(参照)がわかりやすい。今回の政府軍の動きはあたかも統治主体の正当性があるかのようにも見えるが、フィナンシャルタイムズは否定的に見ている。

But the Shia-dominated administration of Nouri al-Maliki is a national government in name only. In practice it has ceased even pretending to pursue a communalist agenda, preferring the even narrower sectarian interest of the prime minister’s faction of the Da’wa (Call) party and that of its allies in the Supreme Islamic Council of Iraq led by Abdelaziz al-Hakim. The Iraqi national army, moreover, is really rebadged militia: in this instance mostly the Badr brigades of the Supreme Council.
(しかし、マリキ政権がイラク政府であるというのは名目上に過ぎない。実質は、国家自立の大義追求の虚構も止め、首相のダワ党とそれに同調する、ハキム師率いるイラク・イスラム最高評議会の党派的な利益への偏向がある。イラク政府軍もまた実態は民兵の言い換えに過ぎず、今回の事態についていえば、その大半は最高評議会指揮下のバドル旅団である。)

 さらにその闘争目的が石油利権であることも示している。

That is why the offensive is targeting Moqtada al-Sadr’s Mahdi army. The Hakims, backed by Tehran as well as Washington, want power in Baghdad, but underpinned by an oil-rich mini-state made up of the nine mainly Shia provinces of southern Iraq. Another local militia, a Sadrist splinter called Fadhila (Virtue), mainly wants to control the lucrative oil-smuggling trade. It has buttressed these aims through rough control of the oil ministry and a project for a three-province mini-region that would contain most of Iraq’s oil.
(攻撃対象がサドル師派民兵マハディ軍である理由は以上の通りだ。イラク政府内の権力を求めるハキム派はイラン政府と米国政府の支援を受けているものの、支持しているのは豊富な原油を持つ主にシーア派の南部9地方だ。その他の地域の民兵はサドル派分派のファディラ派であり、彼らの主目的は原油密貿易の支配だ。石油省の緩やかな支配とイラク大半の原油を持つ三地域プロジェクトによってこの目的が強調されてきた。)

 フィナンシャルタイムズの論点は明快と言えば明快なのだが、ハキム派とサドル派の背景がわかりづらい。この点は、ニューズウィーク日本版4・9”シーア派内紛と血の因縁”が簡素にまとまっている。

 シーア派の指導者として尊敬されていたサドルの父は、フセイン独裁時代もイラク国内にとどまったが、ハキム一族はイランに亡命した。以来、両陣営は相手を卑怯者とみなしている。そこには階級的な対立も感じられる。サドル派の多くは貧困層だが、ハキムの組織は比較的学歴の高い層を引きつけている。
 イラクのシーア派とスンニ派強硬派が戦っている間、ハキムとサドルの対立は一時的に目立たなくなっていた。だがサドルが昨年夏に一方的に宣言した停戦で、国内が平穏になった。それ以来、シーア派内部の対立は表面下でくすぶることになった。

 こうした構図のなかで、イラクの治安回復がどのように進むのか、率直なところ皆目わからない。
 印象にすぎないのだが、米軍が撤退すれば、混乱からサドル派が勢いづき、またスンニ派やクルド人との対立が激化することになるのではないか。

追記
 政府とSIICの関係についてワシントンポストは”Battle for Basra”(参照)で異なる見解を出していた。


Critics claim that the prime minister's only intention was to favor one Shiite faction, the Islamic Supreme Council of Iraq, over another, but Mr. Maliki does not belong to either group and gained his office with the support of Mahdi Army leader Moqtada al-Sadr.

 私は依然シーア派内部の問題だろうと見ている。また、以下のワシントンポストの視点は米軍を重視過ぎていると考える。

What the end of the fighting demonstrated is that Mr. Maliki's government and army are not yet strong enough to decisively impose themselves by force in areas controlled by the Mahdi Army or other militias, at least not without the full support of U.S. ground forces. The fact that such support remains available to the government no doubt contributed to Mr. Sadr's embrace of a cease-fire.

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2008.04.01

グルーバル・メタボリックシンドロームの時代

 昨日の産経新聞社説”メタボ健診 世界をリードする先例に”(参照)を当初さらっと読んだときはそれほど気にも留めていなかった。だが、これは今後の世界の動向を考えるうえでとても重要なことになるかもしれないと気になりだした。


 生活習慣病につながるメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)予防の概念を取り入れた厚生労働省の特定健診・特定保健指導が4月1日から始まる。40歳から74歳までの男女5600万人を対象に、企業の健康保険組合など医療保険者に実施を義務付け、受診率などで目標に達しなければペナルティーを科す。

 メタボリックシンドローム予防は健康に寄与するだろうと思われるが、問題はむしろこの「ペナルティー」、つまり罰則にある。さらっと同社説を読んだかぎりでは、罰則の対象は、企業健康保険組合や医療保険者であり、基準は受診率だ。しかし根幹にある問題はメタボリックシンドロームであることから、罰則対象は診断される人に向く傾向があるだろう。つまり、メタボリックシンドロームの人の存在が罰則対象となり、簡単に言えば、デブは犯罪だということになりかねない。いやそうした世界が迫ってきている懸念がある。
 産経新聞社説では、実質社会的なデブ処罰を「予防医学の取り組みとしては世界をリードする壮大な試みだけに成果を期待したい」として、日本が世界をリードするかのように認識している。確かに予防医学という視点からすると、日本のメタボリックシンドローム基準は国際的な医学の水準を凌駕しているかもしれないが、デブの処罰という点では、どうだろうか。やはりデブの多い米国で先進的な対策が進められているようだ。
 特に全米でもっともデブの多いミシシッピ州では、デブ取締法とも呼べる法案「House Bill 282」(参照)が成立に向かっている。まさかこれが法律なのかとぞっとするような内容の一部を紹介しよう。

Any food establishment to which this section applies shall not be allowed to serve food to any person who is obese, based on criteria prescribed by the State Department of Health.

下記項目に関連する食品業者は、州健康部門が定める肥満基準において、肥満と見なせるいかなる者にも食事を提供してはならない。


 レストランに入ってきたデブに食事を出すのは違法であり、デブに食わせることは犯罪になる。
 当然ながら、こうした状況に危機感を持つジャーナリストも増えてきている。ニューズウィーク日本版4・2「世界に広がるメタボ狩りの波(No Country for Fat Men?」では次のように懸念が訴えられている。

 ファーストフード店の接客マニュアルには「注文前に笑顔でBMI値を聞くこと」という項目が加えられ、高級レストランはエントランス近くに独ツェーレン社のおしゃれな体重計を用意し、ハンバーガーは禁酒法時代のウイスキーのように闇で取引される――そんな日がやってくるのだろうか。

 「デブ狩り」は人権問題の視点からも反対の声が上げられている。
 NAAFA(National Association to Advance Fat Acceptance)という組織による”Stop Mississippi House Bill 282! by Peggy Howell”(参照)というアピールでは、「デブ狩り化社会」の反対運動を盛り上げようとしている。

Oakland, CA - The National Association to Advance Fat Acceptance, a civil rights organization fighting discrimination against people of size strongly opposes the Mississippi House Bill 282.

カリフォルニア・オークランド 米国高度肥満受容協会(NAAFA)こと、市民権により、体重による差別と戦う団体は、ミシシッピ州州法 House Bill 282 強く反対の意を表明する。



Depriving people of food does not cause them to lose weight in the long term and only increases the risk of ill health. Is our end goal good health and increased longevity or superficial appearance?

長期間に渡り食事を取り上げることで、体重が減らせることはなく、健康を害するリスクを高めるだけのことになる。我々が求めるゴールは、健康であって、寿命をすり減らしたり、表面的な見てくれにこだわることではないのではないか。


 人権や差別撤廃の観点から「デフ狩り」批判をする民間団体が存在する反面、過激な環境団体のようにデブそのものを社会的にバッシングしていく反肥満活動家も存在する。
 先のニューズウィーク記事ではミーミ・ロス(Meme Roth)を取り上げている。彼女はユーチューブを使って果敢に反デブ活動をする点で、ウェブ2・0的世界においても注目されている。

 昨年5月には、フィラデルフィアで行われた地元のYMCAのイベントに「反肥満活動家」が乱入。来場者に配るために用意されたアイスクリームとシロップを勝手に廃棄しようとして、警察が呼ばれる騒ぎになった。
 乱入したのは「反肥満のために活動する会」の設立者であるミーミ・ロス。肥満は病気ではなく、生活習慣にのみ原因があると主張する彼女は、今やCNNやFOXニュースが肥満関連の話題を取り上げる際には欠かせないコメンテーターとなっている。

 彼女は、ゲームをやってデブになった子どもがいる家庭には課税を増やせとも主張しており、そのようすは「YouTube - MeMe Roth- NAAO- New Mexico Video Game Tax Child Obesity」(参照)でも見ることができる。
 こうした反肥満活動家の矛先は、サンタクロースにも及ぶようになった。言われてみるまでもなく、たしかにサンクロースは太りすぎだ。同じくニューズウィークより。

 太った女性でも着られる服を取り上げた雑誌のファッション特集、ガールスカウトが資金集めのために売るクッキー、サンタクロース……彼女が批判したりボイコットを呼びかける対象は幅広い。

 反肥満運動家の活動はグローバルなつながりも見せている。興味深いのは、アジアでの反肥満運動家の活動では文化的な偏見にも深い批判を投げかけていることだ。アジア、特に中華圏でサンタクロース系のデブとして問題視されているのは弥勒菩薩だ。
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弥勒菩薩
 日本では弥勒菩薩といえば広隆寺・中宮寺のスレンダーな仏像が連想されるが、中華圏の弥勒菩薩は布袋様のように腹を出したデブだ。これはもうメタボリックシンドロームといった次元を越えているうえに、こうした仏像を崇拝することが大衆のデブ容認をもたらすとして反肥満運動家の恰好の攻撃対象となっている。
 日本も例外ではない。残酷な闘技ゆえにボクシングを無くそうとする人がいるように相撲も格闘技というにはあまりに不健康でデブすぎるという声が起きている。BBC”What health problems can sumos suffer?(相撲取りの健康上の問題は?)”(参照)では、こうばっさりと切り捨てている。

What health problems can sumos suffer?

Because sumo wrestlers are very big and over weight, they can suffer from diabetes, heart, bone and joint problems.

相撲取りの健康上の問題は?
相撲取りは巨体かつ体重超過ゆえに、彼らは糖尿病、心臓病、骨格上の問題に苦しむことになります。


 今後の対応としては、相撲も健康志向のグローバル化の流れにそって、スレンダーな体型の相撲取りを主流にしていくか、あるいはあの体型に隠された軽快な身のこなしを活かした新分野に取り組むことが求められるだろう。後者の可能性については、デブ促進サイドとして批判されがちなペプシがすでに取り組んでいることは以下の動画で確認されたい。

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2008.03.31

ヒラリー・クリントンはユダヤ人じゃないよというお話

 先日栗本慎一郎「パンツを脱いだサル」(参照)をぱらっとめくっていて、ちょっと変な記述に目が止まった。いや、変というならこの本全体がかなり変なのだが、些細な記述ながら陰謀論的間違いという点では以下はけっこうランクが高いのではないだろうか。


その上流階級に属し、しかも親子二代の上院議員であるゴアには、ある特別のコネがあった。二〇世紀初頭のユダヤ資金資本家に繋がるアメリカ・コミュニストの人脈が、ゴア家にあったからである。ゴアが副大統領を務めたクリントン政権では大統領夫人ヒラリーはユダヤ人だし、金融界、すなわちユダヤ国際資金資本が民間、たとえば「ゴールドマンサックス」から財務長官を送ったりして協力していた。

 この手の話は私はスルーっとスルーして読んでしまうのだが、なんとなく、え? ヒラリーはユダヤ人?でひっかかった。それはあんまりなと思い、ネットを見るとその手の話がある。こりゃ季節がらかと思ってちょっと調べてみたのだが、まあネタにするにも落ちるという感じなので、妥当なあたりと思える話をこの機会にまとめておこう。
 ネタ元はいくつかあるが、Zionist Watch”Meet Hillary Clinton's Grandmother, Della Rosenberg - The Feisty Wife of a Yiddish-Speaking Jewish Immigrant”(参照)が包括的にまとまっていた。Webページの外観はありがちな陰謀論的な雰囲気だが、読んでみるとけっこう普通なジャーナリズムの手順でまとまっていて面白かった。
 ヒラリーがユダヤ人というお話がどっから降って湧いたかというと、この記事にもあるが1999年、ヒラリーがニューヨークから上院に打って出るというあたりの時代の間違った噂だろう。この時期、唐突に彼女の家系とユダヤ人のつながりがまるでリークのように流れた。ニューヨークに多いユダヤ人票を狙ったものという憶測で受け止められたのもしかたないかという感じではあった。
 最初に結論を言うと、ヒラリーはユダヤ人ではない。その母方のお婆さんの再婚相手がユダヤ人だったということで、ヒラリー自身はそのお婆さんの初婚の子どもの系統にある。
 では。
 ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton)は1947年生まれ、私より10歳年上。ウィキペディアの同項にはこうある(どうでもいいけど今英語版を見たらなんか記述が発狂しているっぽいが)。

ヒラリー・ダイアン・ローダム (Hillary Diane Rodham) は1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。一家はメソジスト教派であり、彼女は白人中産階級が多く住むイリノイ州パークリッジで成長する。父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ドロシーの両親はドロシーが幼い頃離婚、ドロシーは父方の両親に預けられ寂しい子供時代を過ごした。

 まあそんな理解でいいのだが、ヒラリーの母親で、魔法使いではない専業主婦ドロシー母さんの、そのまたお母さんが離婚したとさらりと書いてある。
 この母方のお婆さんが、デラ・マレー(Della Murray)さん。1902年イリノイ州オーロラに生まれた。明治35年である。
 デラの祖先だがフランス語圏のカナダ人だったらしい。ルイ・エモン(Louis Hemon)が1880~1913年なので、デラのお母さん、つまりヒラリーの曾婆さんは「白き処女地」(参照)的な世界だったのではないか。
 デラは1918年にエドウィン・ハウエル(Edwin Howell)と結婚する。16歳くらいなので白き処女地的な世界だなまだとか思うが、結婚したのはシカゴの地。駆け出しアル・カポネという時代だ。エドの旦那は運転手をしていた。留守がちだったのかもしれない。
 結婚の翌年1919年、長女ドロシー・エマ・ハウエル(Dorothy Emma Howell)が生まれる。このドロシーちゃんが、後にヒラリーのお母っさんになる。さらにその5年後にドロシーちゃんの妹のイザベルが生まれるが、1927年に離婚が確定。
 離婚騒ぎのころはデラ婆さんまだ24歳キャピキャピ(死語)なんで、宇多田ヒカルみたいなもんかもしれないが、この離婚にまつわる挿話はなかなかすさまじい。デラさんは旦那に暴力振るいまくっていたっぽい。
 ドロシーとイザベルの姉妹はどうなったか。
 8歳のドロシーと3歳のイザベルは二人でシカゴからロサンゼルスまで鉄道で3日の旅をしてエド父さんの実家に辿りついたらしい。ドロシーはその後16歳までメイドなんかして育ったとのこと。メイド先の主人が「高校くらい出ておいたら」と勧め、ドロシーは高校に進学。卒業後シカゴに行き、それが中産階級玉の輿に結びつく。ヒュー・ローダム(Hugh Rodham)君と1942年に結婚。5年後に我らがヒラリー嬢が生まれた。
 話を自由になった若き日のデラ婆さんに戻す。
 デラさんは離婚してその後どうしたか。シカゴにいたらしい。そこで1933年、デラ31歳のとき、1歳年上のユダヤ人青年マックス・ローゼンバーグ(Max Rosenberg)と結婚した。
 マックス君は1901年ロシアの生まれで、ラフマニノフとかチョムスキーのお父っつあんや先生のゼリク・ハリスなんかと似たような背景かもしれない。マックスもチョムの父っつあんのビルもイデッシュ語を最初の母語としていた。
 マックスの母親は当地のユダヤ人コミュニティの要人でもあったようだ。またマックスは不動産屋をやっていたが資産もそれなりにあったのではないかと思う。が、再婚後のデラは、元旦那の家庭に取られた娘を取り返すことは資産関連の問題でできなかったようだ。ユダヤ人差別もあったのかもしれない。
 再婚後、デラも名前を、デラ・ローゼンバーグとした。ローゼンバーグ事件ではないがべたにユダヤ人名だ。が、彼女自身はユダヤ教には改宗しなかった。
 結婚後翌年の1934年に長女、アデリン(Adeline)が生まれる。彼女は後に自身でユダヤ教に改宗した。ヒラリーからするとアデリン叔母さんになる。1998年に亡くなるまで、二人は懇意であったというし、そのつてでヒラリーはマックス爺さんとも親交があったようだ。
 ヒラリーにとってユダヤ人社会と文化はかなり身近なものであったようだし、米国ユダヤ人社会もその点は好意的に見ているようだ。

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2008.03.30

[書評]にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)

 最近になってもイザヤ・ベンダサンと山本七平の書籍復刻が続く。死後随分経つのに読み継がれるものだなと思う(反面、ネットでは強烈に嫌われていて私のような愛読者にもとばっちりがくる)。

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日本教徒
にっぽんの商人
イザヤ・ベンダサン
山本七平
 本書、「にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)」はデータベースを見ると一度文庫本(参照)となり山本七平ライブラリーでは「日本教徒」(参照)に収録されている。最近の復刻はなさそうだが、古書を気にしなければまだそれほど入手が難しい本ではない。私が手元にもっているのは、昭和五十年のハードカバーの初版だ。愛着の深い本だ。ただ、この本は紹介するまでもないなかという思いもあった。というか、他のイザヤ・ベンダサンの本や山本七平の本についても、わかる人が大切に読めばそれでいいのではないかという感じもしている。
 書棚から取り出してぱらぱらとめくってみて今思うと、この本については、イザヤ・ベンダサンの著作というより、概ね山本七平としていいだろう。理由は後で触れるかもしれない。私は長い間、イザヤ・ベンダサンと山本七平の本を読んできたので、どのあたりにホーレンスキーなどの着想が入っているかだいたいわかる感じがするようになった。山本は尾籠なユーモアをするがホーレンスキーが色気のあるお下劣テイストがある。山本は日本人に敏感だがホーレンスキーらはある種の政治的な思想を隠し持っている。
 本書をエントリのネタにしようかと思ったのは、うんこことハナ毛こと野ぐそさんが昨日のエントリに、どっちかというとエントリに関係の薄いコメントだが、こう書かれていて、それもそうかなと少し思ったからだ。「弁当爺」は、finalvent(ファイナルベント)のベントを弁当にかけ、私が50歳なので爺としたものだろう。もう少し上品だと終風翁くらいにはなるか。

>弁当爺さん

 今の世相にあった人選品評をするのもいいけど、江戸時代あたりの商家の身の処し方を今一度掘り起こして、金と商売の伝手「だけ」持った人間が経済崩壊・低成長時代に入ったときどう生き延びたかを解説してあげれば、それはそれで今を生きる人たちの参考程度にはなるんじゃねぇーの? って感じなんですけど。少なくとも、ここの読者さんには十分参考になるでしょ。小金持ち多そうですし。


 そこで、本書「にっぽんの商人」を思い出した。ただ、野ぐそさんの意に沿うかはわからないし、そうした処世術的なものとは違うかもしれないが、私はずっとこの本の次のエピソードを胸に秘めて生きて来た。
 原文は江戸時代の庶民の文章とはいえ、古文なので読みづらいところが多いので、私がざっくり現代語にしてみようと思う。こういう話だ。

 江戸時代に商人、仁兵衛(じんべい)さんがいた。商才のある人で商売は繁盛し、いずれ店を子どもの甚之介(じんのすけ)に継がせようとして、厳しく育ていた。甘やかさず、行儀もしこみ、衣服も質素にさせ、甚之介が9歳になってからは他の雇い人と同じように商売の初歩を厳しく叩き込ませた。
 ある年の暮のこと、9歳の甚之介にお歳暮の配達をさせた。長男だから親の代わりにもなる。ただ幼いので一人だけでは難しいだろうと大人の店員を付き添わせた。
 お歳暮配達のポイントは、平成の現代でもそうだが、品物に付ける名札である。現在ではお歳暮にくっついていることもあるが、当時は、お歳暮はお歳暮、名札は名札。手渡しするときに名札を載せるということだった。そしてそれを一式、お膳のような台に載せて、お客様に渡した。
 手順はこうなる。届け先の門前で付き添いの店員がお歳暮の荷を降ろす。お歳暮をお膳のような台に載せる。そして店員がふところのポケットから名札を出してお歳暮に載せて、台ごと甚之介に手渡し、甚之介はそれを手に持って届け先の家に入る。家から出たら、甚之介と店員は門前で、その家の人から載せ台を返却してもらうのを待つ。
 事件が起きた。ある家の前で、店員がしくじって名札を載せるのを忘れたのである。甚之介もそれに気づかず持っていってしまった。店員が気が付いたときはすでに甚之介は家から出てきたところだった。
 店員は真っ青になったが、9歳の甚之介は平然としていた。「いい考えがある」と言って、載せ忘れた名札を手に取り中庭に入りぽいと落とした。
 そしてその家の人から台が返却されるときに、「おや、これは落ちた名札ではありませんか」と言って、先ほど落とした名札を指さした。
 家の人は「これは失礼しました。先ほどのお歳暮に載せておきましょう」と言い、名札をもって家に戻った。
 付き添いの店員は、さすがは主人仁兵衛の息子だけある。9歳にして大した知恵があると感激して、店に戻るや同僚に「甚之介様はすごい」と話してまわった。
 話は、父仁兵衛の耳にも届いた。

 同書では、いったん、話が中断される。


 ここまで読んで、読者は、何を感じ、また仁兵衛がその息子をどうしたか、予測できるであろうか。予測のあたった人は、徳川時代の商人――といってもこれはやや理想像に近いが――の道徳的水準に達しているわけだが、私のみるところでは、そういう人は今では少ないではないかかと思う。

 ここでこのストーリーのエンディングを少し考えてほしい。
 仁兵衛はこの9歳にして知恵者の息子、甚之介をどう扱ったか?

 ストーリーの展開からすれば、叱責したと予想は付きやすい。
 では、どう叱責し、どう処分したか。そこがこの物語のポイントだ。

 では解答。

 父親仁兵衛は、もっとも信頼のおける番頭(店員)を呼び、こう言った。
 「もはやこの息子には、店を継がせるわけにはいかない。自分の失態を、お客様の仕業にしたてるような悪知恵が働くとは許し難い。しかも、わずか9歳でこんな恐ろしい悪知恵がはたらくとは成人してからが思いやられる。大悪人になりかねない。親不孝をしでかすまえに、私の祖先の田舎に送って畑仕事でもさせ、15歳になったら勘当(親子の縁を切ること)しよう。店は娘によい婿を取って継がせるしかあるまい。」
 番頭はなんとか、甚之介を許してやってくれと頼んだが、仁兵衛は譲らなかった。

 当たりましたか?

 仁兵衛には商人の生き方があった。


彼にとって商人とは、絶対に、甚之介のような知恵を働かす職業ではなかった。この知恵は彼の目にはおそらく疑似武士道的な、また勧進帳的な悪知恵としてかうつらなかったのだろう。そういう行き方をすれば、商人には破滅しかないと彼は信じて疑わなかった。


しかし商人には「目的は手段を正当化する」という考え方はない。なぜなら、商人の目的は利潤の追求であり、それはただ社会的に正当な手段においてのみ許されること、その正当性を失えば、商人が存続しえなくなることを彼らは知っていた。商人においては「手段が正当な場合にのみ、目的が正当化される」のである。このことを江戸時代の町人は知っていた――おそらく今の日本人以上に。

 ついでながら、この「今の日本人」とは昭和40年代の日本人のことである。
 本書の著者「イザヤ・ベンダサン」は、本書の終わり近くこう問い掛ける。

 以下の言葉は、皮肉と考えないでほしい。外部から見ていると、日本とは、広い意味の商行為に従事するもの、いわば広い意味での商人だけが、国際間にあって、全くひけをとらずに大活躍しているが、他には、何も存在せず、商人以外は全く無能な人たちの国のように見えるのである。日本は軍事ではなく実は「商事」に関する限り、明治以来、不敗であったといってよい。そしてこの「商事」が敗北した如くに見えた場合も、実は、日本国内の他の要素、たとえば軍事が商事を妨害した場合に限られるのである。
 この事情は今も変わらない。日本には国際的指導力をもつ政治家がいるわけではない。また世界の世論を指導する言論機関があるわけでもない。日本の言論機関は、国内では大きな発言力をもっているように見えるが、国際的には沈黙しているに等しい。また世界的な指導力をもつ思想家がいるわけではない。外部から見ていると、日本には思想家は皆無だとしか思えない。政治において、国会は不能率というより麻痺しているように見え、外交は稚拙の一語につき、だれもこれを自国の模範にしようとは考えないであろう。


 各人が静かに自問されればよい。一体日本に何があるので、世界は日本に注目し、日本を大国として扱い日本の動向に注意を払い、日本に学ぼうとするかを。いうまでもなくそれは日本の経済発展であり、それ以外には何もないのである――この言葉を、たとえ日本人がいかに嫌悪しようと。


 そして日本の経済的発展は、原料を買い入れて、下請けに加工させて、製品としてこれを販売した徳川時代の町人の行き方を、国際的規模で行うことによって、徳川時代の町人が富裕になった同じ方法で達成されたのであった。そして日本で国際的評価に耐えうるもの、というより高く評価されるものは、これを達成した「商人」しかいないのである。

 これを言っているのは山本七平だろうか。
 山本は後年、勤勉の哲学として日本の成功をその勤勉のエートスに結実させた。「イザヤ・ベンダサン」はその思想をどう見ただろうか。
 私には、少し違いがあるように思える。
 しかし、本書には後年の山本七平につながるその人がこっそりと顔を出してもいる。近代天皇制国家に向かう明治維新の心性を町人の思想に対比させてこう語られる。

明治維新は「市民革命として不徹底であった」という考え方は、まことに不徹底な見方といわねばならない。初期の「志士」たちの考え方は、もちろん西欧の影響もなく日本の町人思想の影響もなく、むしろ彼らが考えた「朱子的秩序」を理想とする一種の「空想的疑似朱子的秩序化文化大革命」とでもいうべき、非常に特殊なものだったからである。
 西洋史の概念を、そのまま彼らの思想行動にあてはめることはできない。これは町人思想から見れば、恐るべき逆コースであり、徹底した復古反動思想であった。しかし彼らは、それに対して「思想闘争」を行おうとは全く考えなかった。諸人が口を揃えて、今の秩序は「にせものだ」「にせものだ」と言うなら、それは言わせておいて一向に差しつかえなかった。新しい舞台の幕があいて新しい『勧進帳』が演じられるなら、その興行主は、自分たち以外はないことを知っていたからである。
 確かに彼らのおもわくははずれなかった。疑似朱子的秩序の信奉者(もしくは信奉者をよそおった者)は、西郷と共に城山でその政治的権力を失ったが、彼らの亡霊はその外形を変えて主として日本の軍部とその同調者にうけつがれ、約半世紀後に、日本人全体に一種の復讐をする形となった。彼らは太平洋戦争の終結と同時に一応消えたように見える。しかしおそらくでに新しい装いで再登場しているであろう。

 イザヤ・ベンダサン名でホーレンスキーとの対話をネタに本を書いているとき、山本は著作家になろうとは思っていなかっただろう。後年、この課題を「現人神の創作者たち」(参照上参照下)に結実させたのは、ある意味で偶然であったかもしれないし、死に切れなかったがゆえの戦いが生涯続いていたからかもしれない。

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