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2008.03.08

スペイン総選挙が明日に迫る

 スペイン総選挙が明日に迫る。もう4年かと印象深く思い起こすのはマドリード列車同時爆破テロ事件のせいだろう。あの対応で国民党アスナールが失態を演じたことで現在の社会労働党サパテロ政権に移った。今回はその継続が問われる。どうなるだろうか。私はサパテロ政権継続ということになるのではないかとこのエントリを書き出す前に思っていた。予想ではサパテロ与党が優勢と伝えられているからだ。
 2日付け東京新聞”スペイン 左派与党リード 総選挙まで1週間 自治権拡大など争点”(参照)より。


 最新の調査では、社会労働党が支持率44%で野党第一党の中道右派・国民党の39%をリード。一週間前に2ポイント差まで詰め寄った国民党を押し戻した。三日に行われるサパテロ首相とラホイ国民党党首(52)とのテレビ討論会も選挙戦に影響を与えそうだ。
 和平路線の失敗については国民党がテロリストとの対話そのものを厳しく批判。だが、過去には国民党も交渉に失敗した経緯があり、与党側への決定的なマイナス要因にはなっていない。サパテロ首相は「完全な武装放棄がない限り交渉再開はしない」と明言し、取り締まりを強化させたことも支持率回復につながったとみられる。

 その後の7日付け日経新聞”スペイン、3月9日に総選挙 サパテロ与党優勢”(参照)ではこう。

スペインは9日、4年に一度の総選挙を実施する。景気減速や米国との関係修復など課題は山積。最近の世論調査では、サパテロ首相(47)率いる与党・社会労働党(左派)が42%強の支持率で、野党第一党の国民党(38%強)を抑えるが、投票が近づき差は縮んでいるとの見方もある。

 調査が同一ではない可能性があり単純な比較はできないのだが、微妙に社会労働党の支持が弱くなっている印象はある。
 記事を見直している途中、7日付けJANJAN記事”燃えるスペイン総選挙、2大政党党首が最後のTV討論”(参照)を見つけた。面白いといえば面白い。

9日に迫ったスペイン総選挙。与野党党首2人による、最後のTV討論が3日、行われた。前回より視聴者数は少し減ったが、それでも国民の半数が観た、という。選挙への関心は、依然として高い。番組終了直後の世論調査では、与党・社会労働党サパテロ氏の圧勝。だが、独裁者フランコ将軍の系譜を継ぐ野党支持勢力は強力で、選挙結果がどう出るかは予測できない。これがスペイン流総選挙なのだ。

 ようするにスペインは今政治に熱く、目下のところサパテロが優位。とはいえ結果はわからないという保険をかけている。ついでにJANJANの関連記事を読むと、妙に熱い。
 そうなんだろうか。私はそう思っていない。それをどう切り出していいかわからないなと感じていたのだが、今週のニューズウィーク日本版3・12”スペイン「帝国」のメッキが剥げた”で膝を叩いた。

 競売サイト「eベイ」のスペイン版に、こんな出品があった。「私の1票を買ってください。落札した人の言うとおりに投票します」。ジョークと笑い飛ばすには深刻すぎるメッセージだ。
 総選挙の投票日は3月9日だが、すでに有権者の気持ちは固まっている。どの政党もどの候補者も気に入らない。どんな結果が出ようと知るものか、選挙なんてどうにでもなれ、である。

 やけくそというのがたぶん実情に近いのだろう。同記事ではスペインの凋落ぶりをうまく描いている。

肝心のスペイン経済にブレーキがかかってきた。昨年は3・8%成長でEU(欧州連合)の優等生だったが、今年の予測値は2・4%。失業率は昨年末に上昇に転じて8・6%、インフレ率は4%に迫る。
 住宅バブルもはじけた。業界団体によると、07年には不動産業者の半数が店をたたんだ。個人経営者が多いとしても、かなり深刻な状態だ。

 記事でも触れているがそれはスペインだけの状況ではないものの、凋落の事態は事態としてある。さらに同記事ではサパテロ政権に2つのミスがあったとしている。

 一つは、カタルーニャ地方の独立を求めるカタルーニャ左翼共和党と手を結んだこと。これに対しては各方面から、スペイン国家分裂を促すのかという猛烈な批判の声が上がった。
 第二の誤算は、06年3月に分離独立派の武装組織「バスク祖国と自由」(ETA)が停戦を宣言した後、ETAとの平和交渉に踏み切ったことだ。勇気ある決断だったが、同年12月にETAがテロを再開、交渉は打ち切られた。これでサパテロの支持率は急降下、今年1月には約40%まで落ち込んだ。

 記事では、しかし国民党のラホイがそれゆえに優勢ということではなく、スペイン国民は政治自体に幻滅感をもっているとしている。
 ニューズウィークの記事では選挙結果の予想はしていない。どちらとも読めるやけくそさが漂っている。
 こうした中、7日テロが発生した。8日付け朝日新聞”スペインの総選挙運動、テロで切り上げ バスクで射殺事件”(参照)より。

 総選挙を9日に控えたスペインの北部バスク地方で7日、サパテロ首相が率いる社会労働党系の元町議が射殺された。同首相は会見し、同地方の独立を掲げる武装組織「バスク祖国と自由(ETA)」による犯行だと語った。与野党は最終日だった同日の選挙運動を途中で切り上げた。

 選挙直前のこのテロが今回の選挙に影響を及ぼすだろうか? 影響があるとすればどのような影響だろうか。社会労働党系の元町議なので同じくサパテロ政権への脅威に屈しないというふうに支援が深まるか、サパテロ政権の失政がもたらしたとスペイン国民が感じるか。
 私は冒頭、サパテロ政権継続かなと書いた。国民の大半が政治に無気力なときは政治意識の強い左派的な政権支持が強くなるものだろうと思うからだ。だが、国民が主体的に国家を意識しはじめるとすれば流れは変わる。
 エントリを書いてみて私はチップの置き場を横にずらしてみる、サパテロ政権は負けのほうに。

追記(2008.3.10)
 結果が出た。サパテロ首相再任となった。エントリの賭けは負け。「スペイン総選挙、与党の社会労働党が勝利・サパテロ首相再任へ」(参照)より。


 内務省の午後10時過ぎの集計では、社会労働党が44%超の得票率で、改選前議席(164)を上回る議席を確保する見通し。州都バルセロナのあるカタルーニャ州、南部のアンダルシア州などで安定した得票を重ねた。
 中道右派の野党、国民党も39%の得票率で改選前議席を上積みする見通し。左右両派の二大政党がぶつかる構図が一段と強まる。

追記
 10日付けフィナンシャルタイムズ”Zapatero’s mission”(参照)が面白かった。


Spain’s ruling Socialists will not be partying for long. A second successive term in office, with an ex-panded majority, is a personal victory for Jose Luis Rodriguez Zapatero, the prime minister. But there is little else to celebrate. After an uninspiring first four years in office, Mr Zapatero now faces the daunting task of rescuing an economy that is heading for the rocks. If ever there were a general election worth losing, this was probably it.
(スペインの社会労働党政権はそう長く浮かれてもいられないだろう。二期目の任期は、多数はであるものの、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相の個人的な勝利であって、祝賀的な部分はほとんどない。任期の最初の気の抜けた4年間後、サパテロ氏は障害物に向かう気の進まない作業に直面している。負けた方がよい総選挙というのがあるなら、これはたぶんそれに相当していた。)

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2008.03.07

リヒテンシュタインについてのつまらない話

 リヒテンシュタイン関連で日本にも愉快な話題が出てきそうな感じもするし、とするとあのあたりから出てきそうかなという察しもすでにあるのかもしれないが、それはまた次の物語である。というわけで備忘を兼ねてベタなリヒテンシュタインについてのつまらない話でも。
 リヒテンシュタインといえば、アンディ・ウォーホールらとともにポップ・アートの代表的な画家だというべたなギャグかましてしまいそうになるが、ついユダヤ人名が連想される。が、リヒテンシュタイン侯国とは直接関係なさそうだ。
 リヒテンシュタイン侯国(Furstentum Liechtenstein)は、スイスとオーストリアに囲まれた小国である。人口3万4千人。領土は160km2。ちなみに八王子市の人口が56万7千人、面積が186km2なので、八王子の人口が10分の一以下に減少して独立すると同じようなものができる。たぶん。ちなみにウィキペディアには書いてないが、リヒテンシュタイン侯国の人口中40%が外国人。領土の60%以上は山岳地帯。青梅市を映画看板産業で活性化して独立したほうがよいかもしれない。もっともリヒテンシュタインの1人当たりの国民総所得は4100ドルを越え日本を上回る。
 公用語はドイツ語。方言っぽいらしい。国教はカトリックで人口の76%ほど。プロテスタントは7%。イスラム教が5%ほどいる。国歌は、「若きライン川上流に」(参照)だが、ウィキペディアにあるように「この詞を、イギリス国歌女王陛下万歳と全く同じメロディーで歌う」。ま、いんじゃないの。
 首都はファドゥーツ。非武装永世中立国を自称しているがスイスの保護国。なので、スイスのカントンの特殊な形態かというと、文化的にはオーストリア。スイス国民はリヒテンシュタインに文化圏的な共感はそれほどもってない。これには歴史的な経緯もある。
 日本的にはカリオストロの城的なイメージになるが、リヒテンシュタイン侯国というように侯の国。猴の国ではない。高校博士弾というやつだ……公侯伯子男だ。ウィキペディアによると(参照)。


 リヒテンシュタイン家の当主の称号(英・仏:prince, 独:Furst)は「公」とも「侯」とも訳される。一方、同じ称号であるにも関わらずモナコの場合には「大公」と訳されることも多い。
 この称号は、イギリスやフランスでは公(英:duke, 仏:duc, 独:Herzog)よりも上位の称号となっている(そのためしばしば「大公」と訳される)。それに対し、近代ドイツの爵位体系では一般に公の下位、伯(英:earl, count, 仏:comte, 独:Graf)の上位に置かれることが多い。ドイツには外国の侯(英・仏:marquis)に対応する爵位として辺境伯(英:margrave, 独:Markgraf)や方伯(英:landgrave, 独:Landgraf)や宮中伯(英:count palatine, 独:Pfalzgraf)があるが、いずれも「侯」とは訳さないため、公と伯の間にあるFurstを「侯」と訳すことが多いからである。なお、神聖ローマ帝国においてFurstは諸侯を意味し、称号ではなかった。例えば諸侯のうち、皇帝(ドイツ王)の選挙権を有する者は「選帝侯」(英:prince elector, 独:Kurfurst)と呼ばれる。

 日本風公侯伯子男はドイツ系の誤訳っぽい。で結局なんだなよだが、まず、「リヒテンシュタイン公国」という表記は戦後日本新聞の当て字らしい。なので侯爵様といっても日本語の語感ではよくわからない。歴史を見ていくしかない。
 で、歴史。ウィキペディアをみると、「1699年 ヨハン・アダム・アンドレアスがシェレンベルク男爵領を購入」から始まっている。そりゃな。2月25日のニューヨークタイムズ”Liechtenstein’s Friendly Bankers(リヒテンシュタインのフレンドリーな銀行家)”(参照)もこう書き出している。そりゃな。

History records that the Liechtenstein family began purchasing the lands that now make up the tiny European principality in 1699 to secure a seat on the council of the Holy Roman Empire. It was several decades before any prince of Liechtenstein actually set foot in his fiefdom. That was the first use of the Alpine hideaway as an address of convenience for powerful Europeans.
(歴史によると、リヒテンシュタイン家が神聖ローマ帝国議会に列席するために、土地を購入し始めたのは1699年のこと。その土地が、現在では欧州内のちっぽけなプリンシパリティをでっちあげている。実際に、プリンシパリティを有した君主がその領地に足を踏み入れたのはそれから数十年後のことだ。つまり、それが強権を持つ欧州人の便宜上の本籍地としてアルプスの隠れ家を最初に使った事例になる。)

 原文のやったらしい感じを誇張して訳してみた。現代英語ってどうしてこうも凝ったレトリックを使うのだろうか。"That was the first use of the Alpine hideaway"に絶妙な味わいがある。それはさておき、プリンシパリティというのがちょっとやっかいな概念ではあるし、ようするにそれがリヒテンシュタイン侯国という存在の本質でもあるのだろう。ということにとりあえずしておく。ついでに実際に君主が現在のリヒテンシュタインに足を踏み入れたのは1842年。9代目アーロイス侯。
 リヒテンシュタイン侯国の歴史は1699年に始まる。ちなみに、琉球国第二尚氏王朝第13代国王が1700年の生まれ。世界はそんな時代。
 ウィキペディアの「リヒテンシュタイン家」(参照)が明快といえば明快。

 リヒテンシュタイン家の名が初めて歴史上で使われたのは12世紀のことで、ウィーンの近くにある城、リヒテンシュタイン城の城主となったフーゴが、居城の名をとって家名としたのに始まっている。以来、リヒテンシュタイン家は諸侯の資格をもたない下級貴族ながらも、神聖ローマ帝国(ドイツ)の一部であったオーストリア地方北東部の領主家として継続した。
 14世紀からはオーストリアの領主となったハプスブルク家に仕えた。16世紀には3家に分家するが、長男のカールは1608年に侯爵(Furst)の称号を与えらる。そして三十年戦争中の1623年に、戦争継続のために子飼いの貴族を諸侯に叙爵する勅書を乱発していた時の神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の手により帝国諸侯(Reichsfurst)に叙任された。

 リヒテンシュタイン城はフーゴー・フォン・リヒテンシュタインが建てたわけではない。フーゴーの出自について「不思議の国リヒテンシュタイン・前編」(参照)というWebページにはこうある。

その後、ドナウヴェルトという地方の名門貴族出身であるフーゴーが城主の娘ハデリヒと結婚し、初のリヒテンシュタインを名乗る人物となりました。そしてリヒテンシュタイン家の面々はバーベンベルク家の家臣として熱心に働き、広大な土地を得ていったといいます。

 リヒテンシュタイン家は当初オーストリアのバーベンベルク家の家臣だ。オーストリアと親近感が高いのもそのせいだろう。ちなみに、フランク王国の分裂で東フランクは962年に神聖ローマ帝国となり、オーストリアは976年からバーベンベルク家の辺境伯領になった。
 ウィキペディアのリヒテンシュタイン家の説明に戻る。

 1699年、カールの孫ハンス・アダム1世は、オーストリアの西にあるシェレンベルク男爵領を購入してその領主となり、1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入、シェレンベルク男爵領にあわせて領有した。この2つの所領が現在のリヒテンシュタイン公国の前身である。

 現在のリヒテンシュタイン侯国では国会議員割り当てが10名のウンターラント(低地)と15名のオーバーラント(高地)とがあるが、それぞれシェレンベルク男爵領とファドゥーツ伯爵領に当たる。当初のシェレンベルク男爵領購入だけでは神聖ローマ帝国議会(帝国使節会議)列席はかなわなかったのが買い足しの理由だが、この時期までにリヒテンシュタイン家はすでにその後仕えたハプスブルク家からオーストリアや現在のチェコに広大な封土を得ている。
 面白いことにと言ってはなんだが、ウィキペディアにもあるように、「リヒテンシュタイン家は公国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立している。リヒテンシュタイン家が私有する財産も公国とは無関係に、ハプスブルク家の重臣として蓄積されたものであり、むしろ公国がリヒテンシュタイン家に経済的に従属している観すらある」という状態になっている。王家とその所有財産の関係というのは面白いといえば面白いテーマではあるな。
 一昨年前だったがベルギーの新聞ラーツテ・ニュースが、ベルギー国王アルベール二の個人資産は欧州王室では最低で1240万ユーロだと報じた。では最高は?というと、リヒテンシュタイン君主ハンス・アダム2世侯爵で約30億ユーロ。ちなみにエリザベス女王の資産をユーロ換算にすると18億ユーロだ。あはは。
 リヒテンシュタイン侯国の土地の来歴に目を転じると複雑だ。まずローマ帝国の支配下にあり、5世紀にアレマン人が支配したとのこと。1150年にブレゲンツ伯爵の領土だったものが、モンテフォルト伯爵家創始フーゴ一世が1180年に取得した。以降所有権はなんとか伯爵とかに転々とするのだが、最終的にリヒテンシュタイン家に転がり込むに至ったのは三十年戦争や魔女狩りによってホーエネムス伯爵家の財政の立て直しのためだった。
 いずれにせよ中世だったらリヒテンシュタイン侯国のような小国もありだろうが、なぜ現代までこんな小国が生き延びているのか。特に20世紀の二つの大戦をどうやって生き延びたのだろうか。日本人としては、かつての永世中立国スイスのようにリヒテンシュタイン侯国も中立政策をしていたがから、ナチスにも攻められずによかったんだよにっこり無防備マンみたいな幻想を抱きかねない(中立国ルクセンブルクの戦禍はなかったことにしような)。
 もちろん、そんなわけはないのだが、では具体的にどうかとなるとなかなかこれも難しい。ウィキペディアを見ると、2つ理由が挙げられている。ひとつはリヒテンシュタイン家の資産が国家と分離されていること。もうひとつは「1930年代のナチズムの台頭に対し君主大権を行使しこれを防いだこと」としている。まあ、話を聞こうじゃないか。

 ドイツでのナチスの躍進にともなって公国内でもナチス支持者が増加し、次回総選挙では多数の当選者が出ることが予測されていた。この危機に対してフランツ・ヨーゼフ2世は君主大権によって総選挙を無期延期とし、ナチスの勢力拡大を防いだ。
 この時総選挙が延期されずに実施されていたならば、リヒテンシュタイン公国はナチス・ドイツへの併合あるいは枢軸陣営での参戦などという事態となり、第二次世界大戦の惨禍をまともに受けていたと考えられている。
 リヒテンシュタイン家ではこの間の経緯について「君主大権の行使により国難を未然に回避した」と自負しているようであり、君主大権を保持し続けることの正当性を示していると考えているらしい。

 日本の第二次世界大戦後の平和は平和憲法によると日本人が思い込んだっていいじゃないかいいじゃないか笹もってこいみたいなものとしてとりあえず理解はできる。
 ついでにこのエントリを書くにあたって書架から「ミニ国家 リヒテンシュタイン侯国」(参照)という本を取り出して参考にしているのだが、ここには次の3つの推理が書かれている。まずスイスの中立を議論してからこう続ける。

その第一は「スイスとの関係の読めない部分」ではなかっただろうか。第一次大戦の折にオーストリアと同体とみなされかかったリヒテンシュタインだが、第二次世界戦では、すでにスイスと確たる同盟関係にあり、スイスと同体とみなされ、言わばスイスの安全の傘の下に入っていたとも考えら得る。

 というわけで、第一はスイスと同じだぴょんということ。これについてはあとで触れる。で第二はこうだ。

 第二にリヒテンシュタインの地理的・経済的条件がここでも小国に有利に働いたことが上げられるだろう。当時はまだ農業国であり、とりたてて言うような資源の産出もないこの小国に戦争に利用するような戦略的な価値がなかったのも幸いした。

 こじつけみたいな理由だが地形的にイタリアと接していたとかだと安穏ではすまされなかっただろうから、理由としてはありだろう。
 では第三の理由はどうか。

 それと同時に一九三九年、侯爵がヒトラーを訪問したことも私はリヒテンシュタインを無キズのままにしておくには大きな効果があったと推測している。私は先代の侯爵、現在のハンス・アダームⅡ世侯ともに会ってお話しを聞く機会があったが、侯爵の人柄というものは筆では書けないものがあり、自然と「畏敬」の念が生じるものである。自分の好き勝手にしたヒトラーも、フランツ・ヨーゼフⅢ世侯と対面した時、自分の力ではかなわない何かを感じ、悔しさ半分で、
 「あの国は、小さくて役に立ちそうにもないから、ほっとけばいい」
などと側近に言ったのではないかというのが私の大胆な推理である。

 大胆過ぎ。マッカーサー伝説かよといった趣だが、いやまてよ、ヒトラーの個人的な理由がなんか関係しているというふうに読めむべきか。ということで前段に来るべきスイスはなぜ中立を保てたかを聞いてみよう。

 ではなぜスイスが中立を保てたか。俗論のひとつには、「ヒトラーが、スイスの銀行に預金していたから」
 などというのもがあるが、本人はともかく側近が預金していたことはあるらしい。いずれにせよ戦争をするとなると戦時物資を購入したりするために外国と支払い決済をする必要があり、ドイツもスイスの銀行に利用価値を認めていたことも理由のひとつだろう。

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ミニ国家
リヒテンシュタイン侯国
 似たようなことがリヒテンシュタイン侯国にもあったかというと、なかったんじゃないか。リヒテンシュタイン侯国が昨今のような騒ぎをもたらす金融テクノロジーを築き上げたのは戦後のことだろうと思うからだ。ただ、そういうベタなカネの問題じゃない富の部分になんかありそうな感じもするけど、あまり大胆過ぎることを言うのもなんだかな、と。

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2008.03.05

米国大統領はオバマでもいいんじゃないの

 今年の米国大統領選挙については誰が勝つのか皆目見当が付かないといえば付かないのだが、結論から言うとオバマかな。
 自分が思いつくことを率直に語ってみると、民主党からはヒラリーが出るかなとなんとなく思っていた。過去エントリ的には「極東ブログ: 米国次期大統領選挙運動、雑感」(参照)。近況、米国時間で4日付けのテキサス、オハイオ、ロードアイランド、バーモントの4州の予備選だが、代議員数の多いテキサスとオハイオでヒラリーが勝ったとのこと。おばはんにもまだ勝ち目があるかもしれないのだが。
 民主党がヒラリーを出せば共和党にも目が出るな。とするとジュリアーニかな、となんとなく思っていたら、マケインかよ。だめだこりゃ感があり、エントリ冒頭に戻る。
 ただし、もう4年前のエントリだけど「極東ブログ: オクトーバー・サプライズ(October surprise)」(参照)みたいな話がこれからなんかありそうにも思う。といっても、それが共和党の目になるとも思えないし、やっぱオバマかな。
 オバマってどうよ? なのだが、悪くないんじゃないかと思いつつある。頭はかなりいいんじゃないか。問題は米国のイスタブリッシュメントが彼を支持するだろうか。というか、一人頭がよくても大統領はな、という感じが不安。そんなことを思いつつ今日のニューズウィーク日本版3・12のロバート・サミュエルソンのコラム「国民を惑わすオバマの催眠術」を読んだのだが、そうだよなと共感した。サミュエルソンは私が尊敬するコラムニストだが、百発百中とまではいかない。それでもクリントンのエロ疑惑のとき彼がけっこう初期段階でクリントンは嘘つきだと喝破したのは忘れられない。今回のコラムだが、サミュエルソンは当初オバマに好意的だったそうだ。だが。


 何千万もの有権者が私と同じ印象をもったからこそ、オバマは大統領選の民主党指名候補争いでトップに立った。しかし私は今、それはまちがいだと思っている。

 なにが間違いなのか。サミュエルソンに言わせれば、オバマの「人心をつかむその演説と彼の実際の考え方との間に大きなギャップがあること」らしい。さらに、独創性もないし、自らが課した倫理基準も満たしていないと批判する。もっともサミュエルソンもわかっているように、それは現状のオバマ人気というかオバマ空気を背景にすればという特定の条件下でのことであり、他の米大統領候補との比較という文脈ではない。
 本当の問題は、サミュエルソンのお得意領域でもあるのだが、経済だ。オバマの公約はただのバラマキ政策だとする。

 たとえば、定年を迎えつつあるベビーブーム世代には率直にこう言うべきだろう。
「退職者向けの支出がすでに国家予算の半分近くを占めている。社会保障の給付年齢を上げて支払いを下げなければ、われわれの子供の世代は増税につぶされてしまう」と。

 耳が痛い。のは、それって日本のことじゃないのかとつい思ってしまったからだ。大丈夫、日本じゃない。米国こと。他所の国のことじゃないか。

 だが、オバマは「現在の受給者に対してだけでなく、将来的にも社会保障の給付水準を維持すると言っている。これは「変化」ではない。現状の聖域化だ。

 耳が痛い。それって日本のことじゃないのかとつい思ってしまった。はっ、大丈夫大丈夫、日本じゃない。米国こと、他所の国のことだ……いやはやベタなギャグ。

「変化というあいまいな約束を掲げるオバマだが、移民問題にしろ経済や地球温暖化にしろ、根本的な原因に切り込もうとせずに紋切り型の「解決策」を並べるばかりだ。

 紋切り型が問題というより、根本的な問題の解決が一向に見えないのに浮かれている米国民の姿がなんだかなというところだが、がというのは、一息ついて再考するとそうでもないのかもしれない。
 ヒラリー・クリントン上院議員は60歳。まさに問題の根幹であるベイビーブーマーであるのに対して、オバマ上院議員は46歳。彼自身はミレニアル世代(Millennial Generation:80年代90年代生まれ)ではないものの、現在のオバマ現象はその世代によるものだし、その世代の利益主張でもあるのだろう。とすればオバマが勝てばサミュエルソンが危惧しているベイビーブーマーへの締め付けはそう難しくはないのかもしれない。少なくともヒラリーよりはよいだろうし、共和党よりもよいだろう。
 日本の同種の問題はというと、日本のミレニアル世代の声は、いろいろ言われているし各所に兆候も見えるのだが政治的な流れにはなっていない。
 ならないのではないだろうか。というのは、日本は米国よりもっともっと老人国家だ。若い世代が弱い国家なのだ。というか、俺もその老人の一人になるのか。

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2008.03.04

北京オリンピック近づくに黄砂の他に舞うもの

 最初にお断り。エントリは中国バッシングを意図したものではない。私はオリンピックにはほとんど関心はないが、つつがなく北京オリンピックが成功すればいいなと思っている。そしてできたら秋口に値崩れしたハイビジョン・ディスプレイでも買おうかな、とその程度の思いしかない。以下、内容は、メディアをブラウズしてそういうもんかいなと印象をもったので、ブログにログっておくという程度のもの。
 日本版ニューズウィーク3・5のPERISCOPEに「人権問題書部は中国が不戦勝」というべた記事があった。内容は表題どおりで、「中国は人権問題で貴重な勝利をあげたようだ」ということだが、問題のポイントは中国ではない。


 最近になってニュージーランドやベルギー、イギリスが自国の代表選手に、法輪功やチベットを擁護する発言をすることや、ダルフール問題に抗議するバンドを着用することを禁止した。違反すれば大会から追放されるおそれもある。

 ちなみに、日本ではホワイトバンドが流行ったけど、「ダルフール問題に抗議するバンド」というものがある。緑のバンドだ(参照)。
 問題のポイントは中国ではないというのは、ご覧のとおり、ニュージーランド、ベルギー、イギリスといった国の問題だから。
 さらにメディアも。

 中国の影響力には、メディア王のルバート・マードックさえ屈するほど。マードックは中国での商機をを得るため、傘下の出版社の中国批判本を発行中止にしたうえ、中国政府の「道徳的価値観」を称賛した。スポーツ選手をはじめ誰も、中国を怒らせたら後が怖いと思っている。

 そういうものでしょ。まったく、マードックのような外国メディアは商機だけで考えるということなのでしょ。
 ワシントンポストは幸いマードックの息はかかっていないのかもしれない。2月29日付け”Olympic Speech”(参照)にはこんな社説が載っていた。

RUN, HIGH-JUMP, hurdle or kayak -- but whatever you do, don't speak. That's the message some countries are sending to their athletes ahead of the Beijing Olympics.
(走れ、ハイジャンプ、ハードルにカヤック。でもなんであれ、しゃべっちゃダメだ。北京オリンピックを前に、そう自国の選手に告げる国がある。)

Last month, the Belgian Olympic Committee announced that it will not permit its athletes to make political statements, verbally or sartorially, in Olympic venues. The British Olympic Association similarly muzzled its athletes, who will be expelled from the team if they talk about political issues anywhere at all. The New Zealand Olympic Committee has also waffled about exactly how much freedom of expression its athletes will enjoy.
(先月、ベルギー・オリンピック委員会は、オリンピックの檜舞台では、口頭であれ衣服に書いたメッセージであれ、政治的な発言は断じてならぬとアナウンスした。英国オリンピック協会も同様に、非難対象がなんであれ政治的発言をしたらチームから追放するとして選手の口封じを行った。ニュージーランド・オリンピック協会も選手の言論の自由について言葉を濁した。)


 どうでもいけど、waffleというのは、ネットのワッフル・ワッフルという意味じゃなくて、言葉を濁すということ。

The decisions must please China, which has been condemning human rights groups for "politicizing" the Games. The Belgian, British and New Zealand committees argue that the gag orders are just meant to uphold the Olympic charter, which declares that "no kind of demonstration or political, religious or racial propaganda is permitted" at the Games.
(この決定は中国を喜ばすに違いない。というのもこれまで人権団体がオリンピックを政治問題化するとして非難してきたのだから。ベルギー、英国、ニュージーランドの各協会では、箝口令は、競技において「示威活動または政治・宗教・人種のプロパガンダや許されない」としているオリンピック憲章に則ったものだとしている。)

 なるほど。
 なのにワシントンポストはこう続ける。

In making its Olympic bid, China repeatedly argued that placing the Games in Beijing would "help the development of human rights." Yet China's human rights record has in many ways worsened (as in the appalling arrest of dissident Hu Jia recently), and China has continued to abet repression in Burma and Sudan. Belgium's and Britain's orders to athletes not to comment on China's poor behavior may actually embolden Beijing.
(オリンピック招致で、中国は繰り返し、北京大会が人権拡張に役立つと力説してきた。なのに、中国の人権報告はさまざまに悪化している(最近の見せしめ胡佳逮捕のように)。加えて中国は、ミャンマーやスーダンでの弾圧を幇助しつづけている。ベルギーや英国の選手に対する箝口令は中国の貧弱な対応でよいのだとして北京政府をつけあがらせることになりかねない。)

 なかなかワシントンポストは手厳しいですな。というか、問題を中国バッシングというより、現状について、自分たちの政治的な価値の問題として引き受けるというキンタマがあるからなのだろう。

These gag orders call into question the West's belief in freedom of speech, a value that democracies should be promoting, not discounting, in China.
(この手の箝口令は、西側諸国において言論の自由、つまり民主主義を推進する価値であり、中国だから値引きしていいものじゃないということに疑念を呼び起こしている。)

 箝口令なんか言明するから問題なので、ニュージーランドがこの問題をワッフルするよりも、日本のメディアみたいにもっと原点から問題にしなければよいというキンタマレスなソリューションもあるかもしれない。あるいは問題は餃子だよ餃子。

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2008.03.03

[書評]売れるもマーケ 当たるもマーケ マーケティング22の法則 (アル ライズ/ジャック トラウト)

 洒落で書いた昨日のエントリ「極東ブログ: [書評] 「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること」(アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)だが、そういえばアル・ライズとジャック・トラウトのコンビの著作といえば、むしろこっち、「売れるもマーケ 当たるもマーケ マーケティング22の法則 (アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)を紹介しておくべきかなと思い、昨晩はレモン・ワインを飲みながらパラパラと再読した。

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売れるもマーケ
当たるもマーケ
マーケティング22の法則
アル ライズ
ジャック トラウト
 アル・ライズとジャック・トラウトには同趣向の本もあるので、必ずしも本書がというわけではないと言えばそうなのだけど、端的に言えば、本書はマーケティングのバイブルですよ。その筋の人でこれ読んでなければモグリです。ただ、その筋の人はこれを普通の人には読ませたくないだろう。
 では、その筋でない人が読むとしたらどういうメリットがあるかというと、大蟻コンコンチキというか、たとえばブログで有名になろうとかするなら、本書を適用すればいい。ま、実際に適用するかどうかはブロガーのもつ理念によるわけで、読後マジこれやるかよというのはそれから思案してもいいのだが、既存の有名ブログが有名ブログである理由は本書でさらりと解けますよ。
 ブログだけではないどっかの社員とかで自分自身をマーケティングしたいと思ったらこれを適用すればいい。ええいついでに言っちゃうとモテたいと思ったら同じようにこれを応用すればかなりいけるだろう。
 本書を素人さんが読むもう一つのメリットは、世の中の仕組みがよくわかるようになるというか、マーケティングがどう動いているかという原理がよくわかるようになる。つまり、消費資本主義のかなりコアな部分に納得がいくようになる。で、納得してどういうメリットがあるかというと、単純に言うと、自由になれる。
 毎度ながら本書の背景を簡単に説明すると、オリジナルは”The 22 Immutable Laws of Marketing: Violate Them at Your Own Risk”(参照)。オリジナルタイトルは単純に「マーケティングにおいる22の普遍法則」ということ。サブタイトルは「この法則を破るならそれなりにリスクを取れ」だ。
 出版年は1993年と古い。昨日紹介した「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること」(アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)が1990年なので、洒落の後に教科書にしてみますか的なノリでできたような雰囲気がまだ漂っている。たぶん、現在の一線のマーケッターは本書の22の法則を、「あ、あれですか、古典的ですね、あれはもう古いですよ。たとえば……」といなすだろうと思う。たしかに法則が明確化された以上、「兵は詭道」なりということはある。しかし、そこまでできるマーケッターはそうはいないのでぶいぶいいうお兄さんには適当に騙されちゃいなというのも大人の態度かもしれない(ちなみに、凡庸なマーケッターと賢いマーケッターを困惑させるのは「リサーチ」の限界を本書が鋭く指摘している点が大きい)。
 けど、私の見る限り本書の法則はまさに法則で今でも生きているというか、マーケッティングの失敗事例はだいたい本書で説明できる。この間、大きく変わったのはマネーの問題だろう。今はジャブジャブ余っているのであたかも本書のシビアな世界とは違うように見える。見えるっていうだけなんだけど。
 で、当の22の法則は以下のとおり。梅田望夫著「ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!」(参照)ではないけど、英文も添えておく、というか、英語がとてもきれいなんで覚えられる人は覚えておくといい。

  1. 一番手の法則(The Law of Leadership)一番手になることは、ベターであることに優る(It is better to be first than it is to be better.)
  2. カテゴリーの法則(The Law of the Category)あるカテゴリーで一番手になれない場合は、一番手になれるあたらしいカテゴリーを作れ(If you can't be first in a category, set up a new category you can be first in.)
  3. 心の法則(The Law of the Mind)市場に最初に参入するより、顧客の心に最初に入るほうがベターである(It is better to be first in the mind than to be first in the marketplace.)
  4. 知覚の法則(The Law of Perception)マーケティングとは商品の戦いではなく、知覚の戦いである(Marketing is not a battle of products, it's a battle of perceptions.)
  5. 集中の法則(The Law of Focus)マーケティングにおける最も強力なコンセプトは見込客の心の中にただ一つの言葉を植えつけることである。(The most powerful concept in marketing is owning a word in the prospect's mind.)
  6. 独占の法則(The Law of Exclusivity)二つの会社が顧客の心の中に同じ言葉を植えつけることはできない(Two companies cannot own the same word in the prospect's mind.)
  7. 梯子の法則(The Law of the Ladder)採用すべき戦略は、あなたが梯子のどの段にいるかによって決まる(The strategy to use depends on which rung you occupy on the ladder.)
  8. 二極分化の法則(The Law of Duality)長期的に見れば、あらゆる市場は二頭の馬の競走になる(In the long run, every market becomes a two horse race.)
  9. 対立の法則(The Law of the Opposite)ナンバーツーの座を狙っている時の戦略はナンバーワンの在り方によってきまる(If you are shooting for second place, your strategy is determined by the leader.)
  10. 分割の法則(The Law of Division)時の経過とともに、一つのカテゴリーは分割し、二つ以上のカテゴリーに分かれていく(Over time, a category will divide and become two or more categories.)
  11. 遠近関係の法則(The Law of Perspective)マーケティングの効果は、長い時間を得てから現われる(Marketing effects take place over an extended period of time.)
  12. 製品ライン拡張の法則(The Law of Line Extension)ブランドの権威を広げたいという抗しがたい圧力が存在する(There is an irresistible pressure to extend the equity of the brand.)
  13. 犠牲の法則(The Law of Sacrifice)何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない(You have to give up something to get something.)
  14. 属性の法則(The Law of Attributes)あらゆる属性には、それとは正反対の、優れた属性があるものだ(For every attribute, there is an opposite, effective attribute.)
  15. 正直の法則(The Law of Candor)あなたが自分のネガティブな面を認めたら、顧客はあなたにポジティブな評価を与えてくれるだろう(When you admit a negative, the prospect will give you a positive.)
  16. 一撃の法則(The Law of SIngularity)それぞれの状況においては、ただ一つの動きな重大な結果を生むのである(In each situation, only one move will produce substantial results.)
  17. 予測不能の法則(The Law of Unpredictability)自分で競合相手のプランを作成したのでない限り、あなたが将来を予測することはできない(Unless you write your competitor's plans, you can't predict the future.)
  18. 成功の法則(The Law of Success)成功はしばしば傲慢につながり、傲慢は失敗につながる(Success often leads to arrogance, and arrogance to failure.)
  19. 失敗の法則(The Law of Failure)失敗は予期することもできるし、また受け入れることもできる(Failure is to be expected and accepted.)
  20. パブリシティの法則 The Law of Hype)実態は、マスコミに現れる姿とは逆である場合が多い(The situation is often the opposite of the way it appears in the press.)
  21. 成長促進の法則(The Law of Acceleration)成功するマーケティング計画は、一時的流行現象(ファッド)の上にきずかれるのではない。トレンドの上に築かれるのだ。(Successful programs are not built on fads, they're built on trends.)
  22. 財源の法則(The Law of Resources)しかるべき資金がなければ、せっかくのアイデアも宝の持ち腐れとなる(Without adequate funding, an idea won't get off the ground.)

 察しのいい人なら、法則とその簡単な解説で、ああそうかと思うだろうし、若干この世界に関わって痛い思いをした人は、そうだよなこれは法則だとわかるだろう。
 話はそのくらいでもいいかなと思うのだが、なんとなく私らしい書籍の紹介のしかたでもないので、少し蛇足でも書いて置こう。
 22の法則は独立しているのだろうか?
 そんなことはない。本書をよく読むとわかるが、基本的な法則は、たぶん3つだろう。ただし、世間の法則というのは本書には明示的には書かれていない。

  1. 知覚(認知)の法則
  2. 心(マインド)の法則
  3. 世間の法則

 意外と難しいのは、知覚の法則(The Law of Perception)というときの、Perceptionの意味合いだ。これは現代日本語的にいえば「幻想」と言っていいだろう。「マーケティングとはPerceptionをめぐる戦いであって、商品をめぐる戦いではない」ということにある意味で尽きているのだが、ようは市場にどのような催眠をかけるのかと言っていいだろうし、そしてその催眠が次に、どうマインドという機械(マシン)で機能するかが問題なのだ。そう、心というのは市場を支える心のように見えるがこれは一種の心理力学の機械なのだ。だから、そこにはその機械の動作原理があり、それが各種の法則に展開されている。そしてそのマインドの経済学的な動きが、ようするに世間の法則だ。
 浮世離れした日本の知識人はこの手のジャンルを嘲笑的に見るのだろうが、著者たちは意外なほど哲学的にもクレバーであり、しかも米人特有の本気を剥き出しにしている。その本気度は、財源の法則(The Law of Resources)と本書適用に際しての注意書きに現れている。端的に言えば、本書は、マーケットを通して見た経営哲学でもあるのだ。

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2008.03.02

[書評] 「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること」(アル ライズ/ジャック トラウト)

 誰のブログだったかどのエントリだったか忘れてしまったが、反語の通じない世の中になったという嘆きが書かれていた。そうかな。それどころじゃないや。洒落も通じなくなってしまった。常識も通じないかもしれない。まあ、どうでもいいや。というわけで、「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること(アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)の紹介エントリでも書いてみよう。誰か書いていた? 

cover
勝ち馬に乗る!
 何の本かって? 表題でわかんない? わかんないわけね、あー、そう。おっと、そこで教えて!ダンコーガイ!とか言うなよな。分裂君まで召喚しちゃうぜ。ファンガイヤよりキバが人類の敵になるかもしれないのに。いやその、俺も善人のなり損ねだしな。というわけで、本書は、本当の成功術だ。成功したい? じゃ、この本を読むべきなんだよ。これが本当っていうこと。
 オリジナルタイトルは"Horse Sense: The Key to Success Is Finding a Horse to Ride"(参照)。サブタイトルはわかりやすい「成功の鍵は、乗るべき馬を見つけること」。なので邦題、「勝ち馬に乗る」はそれでいいかもしれない。邦題のサブタイトルはどうでもいい。問題は書題"Horse Sense"だが、サブタイトルからすると、馬のセンスということで、馬を見分ける感性という感じがするが、これは「常識」ということ。デカルトの良識とはぜんぜん違って、日本語の「常識」に近い。が、バカでもわかるんじゃねーのそんなことというニュアンスがあると思う。オリジナルが出版されたのは1990年。古い。本書は一応ビジネス書でかつ「成功願望者向け書籍」なので成功者の事例がこてこて出てくるのだが、あれから何年経ったでしょみたいに年月が経つとタイムマシンで結末を見るように見るわけで、クルル曹長の笑みのように巧まざる失笑が楽しめるというオツなところがある、ま、どうでもいいですが。成功本っていうのはあれだね、個別事例を書くと十年もすると痛いもんだな、と。
 でも本書がいくら失笑で楽しめても、お楽しみはそこにあるのではない。どこにあるのかは読めよなんだが、ありげにハンガリー狂詩曲的に紹介してみよう。
 まず基本だ。

 成功と自信の関係は、鶏と卵の関係のようなものだ。二通りの考え方ができる。
 自分に自信があるから成功したのか。成功したから自信がもてるのか。
 われわれが見るところ、両方とも正しい。だが、ふたつのアプローチには大きな違いがある。自分に自信をつけるのは、とんでもなく難しい。むなしい努力と言ってもいいかもしれない。自信たっぷりの人たちは、そう生まれついたと思うしかない。(中略)
 逆に、自分に自信のない人は、生まれつきそうか、子供の頃に自信をなくしたかどちらかだ。
 IQ(知能指数)だけでなく、CQ(自信指数)も生まれつき決まっているものだ。努力して大幅にアップできるものではない。


 だが、己を信じることが成功の秘訣なのだろうか。われわれはそう思わない。人生で本当に成功する秘訣は、自分以外の何かを信じることだと考える。競馬でいえば、賭けるべき馬を見つけるのだ。

 かくして賭けるべき馬を眺めてみようということで、本書は穴馬、対抗馬、本命が列挙される。
 穴馬とは何か。

 まずは、馬のハンデについて「穴馬」から見ていこう。なぜ穴馬からはじめるのか。いちばん人気があるかだ。
 いちばん難しく、勝ち目がない馬でもある(初心者が最初に思い知ることだが、穴馬に賭けると大金をするのはあっという間だ)。
 この本でいう倍率は配当のことではない。大勝するチャンス、あなたが目指す「成功」へのチャンスのことだ。残念ながら穴馬は、本命よりも勝ち目が少ない。どんな馬よりも勝つのが難しい。

 では、穴馬のリスト。

  • 勤勉な馬 …… 100倍
  • IQの馬 …… 75倍
  • 学歴の馬 …… 60倍
  • 会社の馬 …… 50倍

 意味わかる? 詳しい話は本書にこてこて書いてあるけど、ようするに勤勉というのが一番勝ち目が薄いということ。地頭がいいのを当てにするのも、まあ、負けになるよ、と。学歴なんかたいしたことないぜ。いい会社を選ぶことも、たいしたことないよ、今の日本となっては本書の米国と同じだし。
 次は、対抗馬。

 対抗馬と穴馬の違いは何だろう。
 穴馬は、自分自身の何かに賭ける。対抗馬も、自分自身の何かに賭けるのはおなじだが、違いがある。自分自身の何かを、ほかの何かと結びつけなくてはいけないのだ。

 では、対抗馬のリスト。

  • 才能の馬 …… 25倍
  • 趣味の馬 …… 20倍
  • 地の利の馬 …… 15倍
  • 宣伝の馬 …… 10倍

 才能というのはつまり誰かに認められることだ。誰も認めてくれない才能についてはまあどうぞご勝手に。それにしても頭がよいから成功したとかいう自慢話っていうのはよく読むとわかるけど誰かがその才能を認めてくれたという話なのな。趣味の馬というのは、好きでやっているということ。仕事が趣味だみたいなやつ。いるだろ。地の利の馬は簡単に言えばTPOっていうか高校前のパン屋みたいなもの。宣伝の馬というのは自分をアピールする能力だ。コミュニケーション力とかもそう。つまり学歴よりはマシな馬だけどくらいなもの。
 さて、本命だ。

 本命と対抗馬の違いは何だろうか。
 対抗馬では、自分自身にも賭けるし、他人にも賭ける。一方、自分以外の人やモノに全面的に賭けて、成功を目指す――これが本命だ。
 自分自身を賭けから外すと、勝ち目はぐっと高くなる。

 では、本命のリスト。

  • 商品の馬 ……  5倍
  • アイデアの馬…… 4倍
  • 他人という馬…… 3倍
  • パートナーの馬… 2.5倍
  • 配偶者の馬……  2倍
  • 家族の馬 …… 1.5倍

 商品の馬というのは、「これは売れる」というやつだ。本場の餃子とか。アイデアの馬というのはあれだスニーカーにバネをつけてぴょんぴょんするとかだ。他人という馬はようするに上司だ。あるいは教授とか。パートナーの馬を知りたければビルゲイツの代わりによく出てくる海坊主を想起せよ。配偶者の馬は、嫁の選び方。家族の馬というのは、親の選び方だ。
 つまりだ、成功したければ、一番の近道はよい家系にいること。でも、残念でした。たいていはそうではない。というわけで、配偶者とかそれを介して嫁の父のファミリーにつながるっていか、閨閥。日本社会の正当な成功者っていうのはそういうもの。
 というわけで、この本は、はてなブックーマークなんかを釣っている穴馬とか対抗馬のくだらない話は早々に見切りが付けられ、穴馬についてそれぞれ一章をあてて説明していくわけだが。
 がというのは、こんな本、マジ読むのは某アルファブロガーくらいかもしれないので、最終章の「勝ち馬を見つけるために、心に刻んでおきたい7項目」というのもリストだけしておこう。

  1. 知性より性格が重要
  2. 純粋な民主主義社会では、機会は平等ではない
  3. 夢を手放す ―― チャンスは巡ってきた時につかまえる
  4. キャリア・プランは意味のない練習である
  5. 早すぎることもなければ、遅すぎることもない
  6. 沈黙は金
  7. 前線の馬を探す

 「前線の馬を探す」はこう説明されている。

 自分自身は忘れることだ。未来のフロンティアは何だろうか。それが問うべき質問だ。誰も未来はわからないが、新しいアイデアやコンセプトがつくられた時、つねにその場に居合わせるようにすることはできる。つねに行動が起きる場にいる。つねに乗るべき馬を探す。

 アイロニーを抜きにしてその提言には考えさせられることはある。いやざっくばらんに言えば、成功者というのは、二世であるとか、カネのついた嫁をもらったとか、いい友人がいたとか、運がよくてマッチョな自信をブログで語っているとか、そういうことだ。他人事だ。いや世間様がそういうふうにその人に仕事をさせているということだ。

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