Web2.0とモンテッソーリ教育
昨日のエントリを書くとき脳裏にはあったのだけど、話がずっこけて書くのを忘れていたのが、Web2.0とモンテッソーリ教育ということだった。
私は個人的にシュタイナー教育にはかなり関心をもってオイリュトミーやシュプラッハとか学んだりもしたというか、グルジェフィアンだと思っていた笠井叡先生が帰国後ほどなく開催した一般向けのオイリュトミー講座(中野テレプシコール)に参加していたくちで、あそこから後に有名な日本人オイリュトミストが出てくる。そういえば、ヨガなんかでも東京在外国人グループ向けにこそっとロドニー・イーが開いていたワークショップなんかも参加していたがあそこからも今著名なヨガ指導者が出ているみたいだ。野口体操の野口三千三本人のワークショップにも参加したな云々。時代かな。私も若かったし。ただ、私はどれにもそれほど傾倒しなかった。才能もなかった。しいていうとフェルデンクライスのいくつかのテーマは今でも考え続けているが。
モンテッソーリ教育についてはよく知らないのだが、が、というのは、いわゆるWeb2.0あるいは最近一部で流行のWeb2.0(笑)の動向に、この反映というか成果があるんじゃないかなとなんとなく思っていた。誰か、まとめて書いているだろうか。もしそういう視点でまとめて書かれている本があったら読んでみたい気がする。五反田先生とかの守備範囲ではなさそうかな。
真偽を確認したわけではないしホームスクールを誇張している感じもするが、よく知られているビッグネームでは、セルゲイ・ブリン(Sergey Brin)とラリー・ペイジ(Larry Page)、ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)、ジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)がモンテッソーリ・スクール出身者である。 ブログDonald Clark Plan B”Brin, Page, Bezos and Wales?”(参照)はこれをネタにしてた。
What do the founders of Google (both of them), Amazon and Wikipedia have in common?
(グーグル、アマゾン、ウィキペディアの創立者に共通なことは、なーに?)
彼らの共通点はなにか?、と。
Like Alexander Graham Bell, Thomas Edison, Henry Ford, Mahatma Gandhi, Sigmund Freud, Buckminster Fuller, Leo Tolstoy, Bertrand Russell, Jean Piaget and Hilary and Bill Clinton before them, they all had early Montessori schooling.
(彼ら以前に、グラハムベル、エジソン、ガンジー、フロイト、フューラー、トルストイ、ラッセル、ピアジェ、クリントン夫妻はみな初期のモンテッソーリ教育を受けた人々だ。
モンテッソーリ教育だ、と。まあ、このリストがそうだというのはちょっとアレっぽいが。
Sergei Brin and Larry Page both attended Montessori schools. Indeed, they both credit their Montessori education for much of their success. It was the Montessori experience, they claim, that made them self-directed, allowing them to think for themselves and pursue their real interests.
(セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジの両者はモンテッソーリ校に通った。実際、彼ら二人はモンテッソーリ教育が成功要因だと確信している。彼らによれば、モンテッソーリ教育の経験は、自己主体的になること、自身を考慮すること、本当の興味を追求することだった。)
数年前だったか、グーグルの社風をギークとか、Web2.0世代だったかな、まあ、そんなふうに話題にされたことがあったけど、私は、ああ、これって、モンテッソーリ・スクールのビジネス版じゃないかと思った。あまりそういう指摘はなかったようだったし、私自身モンテッソーリ教育がよくわからないが。
あとレゴというのも関係しているなと思う。いや関係しているようだが、その関係の歴史がいま一つわからない。余談だが私もレゴが好きでいまでも1000ブロックくらいは持っている。
現在ネットのリッチメディアで活用されるFlashの元になったFutureSplashを作成したジョサン・ゲイ(Jonathan Gay)もレゴな人で、”Macromedia - Showcase: History of Flash”(参照)で"Macromedia Flash began with a few bits of colored plastic.(Flashは色つきプラスチックブロックで始まった)"と言っている。プログラミングはレゴと同じだというふうな話もしている。そうなのかもしれない。
日本では75世代というのとその目立つ成功者が取り上げられたが、目立たないところで、レゴな人々が支えているように思う。そのあたりの歴史の真相みたいのがいずれ語られるかなとも思う。
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コメント
息子(モンテッソーリ校のプレスクール在籍)の先生によれば、self-directedといっても何でも好きにやらせるわけではなく、子どもの発達についてのかなりしっかりした理論が背景にあって、個人の興味が発達段階に合うようにうまくガイドするようです(そのため、教員も通常の教員資格に加えてモンテッソーリ教育のトレーニングを受けて資格を得る必要があるそうです)。
なので、厳密な方法論を持ったメンターが居るならともかく、業務時間のいくばくかを自分の興味のあるプロジェクトに費やしても良いということだけでは、モンテッソーリスクールのビジネス版というには弱いかと思いました。(もっとも、子供の発達支援という本来のモンテッソーリ教育の目的を離れて、成人の創造性を引き出す方法論への応用というのが考えられている可能性はありますが)。
投稿: shiro | 2008.12.12 11:20
モンテッソーリ教育っていうのは、成功哲学ですか?ナポレオン・ヒルみたいな?
ずいぶん、社会的成功者の典型みたいな人たちの名前が並ぶではないですか?
一方、シュタイナー教育というと、芸術家以外はまったく成功者の出ようのない仙人養成教育みたいなものなのかな?
成功哲学であれ、芸術教育であれ、とにかく、社会に対して責任感のある人間を養成することが大切です。なんにせよ、エリート教育をしたいのならば。
投稿: 権力志向? | 2008.12.12 12:35
「モンテッソーリ教育が、単なる自己啓発的成功哲学の幼児教育版なら」
あーそれは全く無いのでご安心を。関心の置き所が全く違います。
私の書き込みが誤解を助長したのならまずいので一言追加させて頂きました。
投稿: shiro | 2008.12.12 19:27
finalventさん、こんばんは、
モンテッソーリと言われてなんかぴんとこなかったのですが、そういえば米国で子どもがお世話になっていたのを思い出しました。トラックバック記事な方も書いていらしているように「本物を体験させる」という方針があったのを覚えています。たしか紙を使って教材を作るとかパートナーから話を聞きました。学校の近くの公園で子どもが遊んでいたのを覚えていますが、特別なことをやっていた感じはしませんでした。
親ばかかもしれませんが、当時子どもは2歳だったのですが、「ヒデキより、英語の発音がいいな」とか言われていました。レンガ張りの古い建物に住んでいた友人のところにパーティーにいったら「ヨーロッパ見たい」とか発言したりして、確かに教育というのはすごいなと当時感心しました。
惜しむらくは、3歳になるころに帰国してからすっかり米国滞在の記憶をなくしてしまったことです。文化の再突入というか、子どもなりに大変な体験であったのだろうと想像します。私も忙しくフォローできなかったことが残念です。
いま「モンテッソーリでなにか覚えているか?」と聞いてみましたが、「なにも...イースターはすこしおぼえているかも」ということでした。
投稿: ひでき | 2008.12.13 17:33
モンテッソーリは,子供の自発的な関心を大事にする教育だと理解しています。
保育園などではお仕事と呼ばれる子供一人一人が自分の関心に集中できる時間を取り,それを援助する方法論を保育士は学んでいるようです。
いやいやの強い(幸福否定?)二女は,とても真摯に作業に取り組めた後は,とても落ち着いて,素直な感情表出を見せます。
自発性がキーでしょうか。
投稿: mama | 2008.12.18 17:20
道具主義というのがどれくらい普遍性があるのかはわかりませんが、きっと、教育というのも、道具としてどれだけ成果と効果があるかで計測される種類の社会事象なのだろうと思います。
モンテッソーリ教育が社会的生産性の高い教育方法なら、速やかに世界中に普及しているはずです。そうならないっていうのは、モンテッソーリもシュタイナーも七田の右脳も百ます計算も、そこそこのものなのだろうと思います。
画期的で、目の見張るイノベーションなら、WindowsやGoogleみたいに世界中にまたまくまに進出して世界を席巻します。
私なんて、仏教の話をよくしますが、別に、仏教なり、特定の仏教の宗派が、キリスト教やイスラームや儒教道教やヒンドゥー教や神道やそれ以外の諸宗教より優れていると思うからから仏教を取り上げるのではなく、たんに、自分が禅宗の檀家で、仏教の素材が自分にとって一番扱いやすいからそうしているだけで、別の素材のほうがはるかに優れていて、かつ取り扱いやすければそういう素材を取り扱います。大体、繰り返し、中国仏教日本仏教は、インド仏教から見れば道教の変形みたいなものだということを言ってもいるし。
ある意味では特殊な方法論を使うより、ひどい偏食がなく、素直で、きちんとした挨拶や返事のできる子供を育てられれば、それで、教育の第一段階は合格なのではないでしょうか。この次元の話で躓いてばかりいるのが現在の教育論議ではないかと思われます。
投稿: enneagram | 2009.05.06 13:23