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2008.12.30

今年の金融危機についてごく些細な印象

 今年一年を振り返ってというほど話でもないが、今年はどんな年だったかといえば、グリンスパン元FRB議長が言うように百年に一度の金融危機というあたりかもしれない。まあ、二年くらいして振り返って見ると全然違って、普通に不況でしたとか、またまた日本失われた二十年だなこりゃ、とかかもしれない。とはいえ現時点で自分が思う些細な印象でも書いておこうかなと。前もってお断りしておくと、経済音痴の私がちょっと気楽に書きたいので陰謀論臭い話になる。なので、そのあたりは陰謀論だろみたいな無粋なツッコミはなしってことで、じゃ。
 最初に結論から言えば、この金融危機は中国の崩壊を米国から率先して泥を被って痛み分けにしたものかなと思っている。当然、米国の属国である日本は痛み分けを預からないわけにはいかない。
 もうちょっと大きい歴史的な枠で見れば、渦中で書いた「極東ブログ: つまり、第二のプラザ合意みたいなものかな」(参照)でしょろっと触れたが、プラザ合意のときは日本が貯めたドルによる不均衡を一気に解消ということだったが、今回は中国が貯めたドルだった、と。なので大筋のドル安ということにはなるしつられるように日本も円高にもなった。が、今回の金融危機が中国版プラザ合意なら元が円のようになるかというと、必ずしもそうではなかった。なぜかということだが、ここでちょっと陰謀論臭い話になるが、その前に少し振り返る。
 2004年「極東ブログ: またまた米国債買いのお話」(参照)、同年「極東ブログ: 米国ドル安をもってEUと中国を撃沈」(参照)。
 2005年「極東ブログ: すごいぞ、中国国際ビジネス」(参照)、同年「極東ブログ: ヒューストン、何かおかしい(Houston, We have a problem)」(参照)。
 2006年「極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)、同年「極東ブログ: 中国の外貨準備高が日本を抜いたことへのやや妄想っぽい話」(参照)。
 2007年「極東ブログ: 米国がなぜか今時分ヘッジファンド規制に頑張っているのに」(参照)、そして「極東ブログ: また失われる10年かな」(参照
 とざっとそんな流れを振り返る。
 この流れなのだが、ざっくり言うと、中国経済がバブル崩壊の要因をしこたま抱えつつ、他方中国はドルを買いまくって米国投資をやっていた。これが米国のバブルを支えていたのだが、そして、ここからがちょっと陰謀論っぽいのだが、中国は世紀のちゃぶ台返しのように米国債の売払いをやりかねなかったのではないか。そんなことをすれば、金融不安どころか、世界の終わりになっていたのではないか。そこにたぶん、ポールソンは気が付いていた、というか……。
 私はといえば、この間、中国経済が潰れたら世界の経済もひどいことになるが、そこはそれ共産党の「大躍進」でなんとか大きな余波は中国国内で防いで、米国から世界の経済を巻き込む崩壊まではないんじゃないかな、とある程度甘く見ていた。まあ、ポールソンはそうじゃないよと見ていたわけだ、というかあれ、金人袋は、というべきか。
 そして今思うと、「極東ブログ: ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退」(参照)は、ポールソンさよならじゃなくて、元アメフトの体力と後光の禿頭でものすごいお仕事をしていたのだろう。つまりだジョー、肉を切らせて骨を断つ、じゃないや、米国も痛みを受けるから中国もそうしてくれよ、老師も言っていたはずだが、これは世界を維持できるストーリーなんだ、じゃ、詳しい説明はバーナンキさんということで……とま、バーナンキもこのストーリーを理解していただろうし、だいたいこの時期に世界恐慌の世界的研究者がFRB議長っていうのもな、せんだみつおのなはなはなはみたいな印象もある。ところで老師って誰?
 具体的にこの話が深刻になったのは、リーマン崩壊より、FF兄妹の救済だろう。たぶん、このあたりは実際には投資元の中国の救済でもあったのではないか。
 以上は、与太話。
 でも、26日付けニューヨークタイムズ「Chinese Savings Helped Inflate American Bubble」(参照)を読むとあながち与太話でもなかったかなとは思った。この記事だが国内では時事「金融規制、不十分だった=FRB議長が後悔の念」(参照)が軽く触れていた。


バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は、26日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された記事で、深刻な金融危機とリセッション(景気後退)を招いた住宅・信用バブルとその崩壊に関連し、金融機関や住宅金融業者の規制が不十分だったと後悔の念を示した。
 同記事は、中国が対米貿易黒字でためたドル資金を米国債投資などの形で還流させた結果生じた「世界的な貯蓄過剰」とその影響について解説したもので、同議長は「国際資本の流れについて早期により良い均衡を達成していれば、金融システムへのリスクを大幅に減らすことが可能だったろう」と認めた。

 朝鮮日報「米紙、「中国が米住宅バブル呼んだ」と批判」(参照)はもう少し踏み込んで紹介していた。

 過去10年間、中国は巨額の対米貿易赤字を米国の安全資産に投資した。約1兆ドル(約91兆円)を米国債と米政府が保証する住宅担保ローン証券につぎ込んだ。それにより、米国では金利低下、消費拡大、住宅市場のバブルが引き起こされた。


 米国にとってはまるで麻薬中毒だった。共和党のリンゼー・グラハム上院議員(サウスカロライナ州選出)は「誰もその薬を断とうとは思わなかった」と振り返った。
 ブッシュ政権の自由放任的、市場主義的理念も問題解決の妨げとなった。米政府は低利で借り入れた巨額な資金をイラク戦争に費やした。

 該当オリジナル記事ではこんな感じ。若干含みは違う。

But Americans did not use the lower-cost money afforded by Chinese investment to build a 21st-century equivalent of the railroads. Instead, the government engaged in a costly war in Iraq, and consumers used loose credit to buy sport utility vehicles and larger homes. Banks and investors, eagerly seeking higher interest rates in this easy-money environment, created risky new securities like collateralized debt obligations.

“Nobody wanted to get off this drug,” said Senator Lindsey Graham, the South Carolina Republican who pushed legislation to punish China by imposing stiff tariffs. “Their drug was an endless line of customers for made-in-China products. Our drug was the Chinese products and cash.”


 朝鮮日報記事ではさらに。

米政府はまた、中国の人民元切り上げを通じた貿易不均衡の緩和にも失敗した。同紙によると、米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は「もう少し早く(人民元切り上げで)国際的な資金の流れの不均衡を改善できていれば、金融システムへのリスクを大きく軽減できた。しかし、それには国際的な協力が必要だった」と述べた。

 ここでバーナンキFRB議場が登場するのだが、今回のニューヨークタイムズ記事で一番重要なのは、バーナンキの告解でもあった。

Today, with the wreckage around him, Mr. Bernanke said he regretted that more was not done to regulate financial institutions and mortgage providers, which might have prevented the flood of investment, including that from China, from being so badly used. But the Fed’s role in regulation is limited to banks. And stricter regulation by itself would not have been enough, he insisted.

“Achieving a better balance of international capital flows early on could have significantly reduced the risks to the financial system,” Mr. Bernanke said in an interview in his office overlooking the Washington Mall.


 バーナンキがFRB議長についたときはすでに遅かった。

Mr. Bernanke, after he took charge of the Fed, warned that the imbalances between the countries were growing more serious. By then, however, it was too late to do much about them. And the White House still regarded imbalances as an arcane subject best left to economists.

 このあたりの悔恨については以前のニューズウィークの記事にもあったが、彼はFRBが米国を越えた責務を担うとまで想定していなかったようだ。
 その認識を変えさせたのはポールソンだったようだ。

In late 2006, Mr. Paulson invited Mr. Bernanke to accompany him to Beijing. Mr. Bernanke used the occasion to deliver a blunt speech to the Chinese Academy of Social Sciences, in which he advised the Chinese to reorient their economy and revalue their currency.

At the last minute, however, Mr. Bernanke deleted a reference to the exchange rate being an “effective subsidy” for Chinese exports, out of fear that it could be used as a pretext for a trade lawsuit against China.


 先の私の稚拙なお話に戻ると、2006年時点でポールソンには危機の認識があったのだろう。悪口のようにいえば金人袋の存亡の危機の分岐点でもあったのだろう。陰謀論めいた話は私だけでもないようだ。

Others argued that China’s heavy lending to this country was risky because Chinese leaders could decide to withdraw money at a moment’s notice, creating a panicky run on the dollar.

 ちゃぶ台返しの危険はあった。

Chinese leaders chose to park the bulk of that in safe securities backed by the American government, including Treasury bonds and the debt of Fannie Mae and Freddie Mac, which had implicit government backing.

 FF兄妹は中国にとって重要だった。
 話をポールソンもバーナンキによる中国対話に戻すと、それはそれなりの成功というか事実上の密約はできたのだろうが、バーナンキにはびびりもあったというか、危機感は弱かったのかもしれない。
 ところで。
 このニューヨークタイムズ記事だが、バーナンキとポールソンについて多少奇妙な陰影がある。このあたりだ、老師。

In March 2005, a low-key Princeton economist who had become a Federal Reserve governor coined a novel theory to explain the growing tendency of Americans to borrow from foreigners, particularly the Chinese, to finance their heavy spending.

 "coined a novel theory"というのは、珍奇な経済学理論をこさえたということで、バーナンキを揶揄している含みはあるだろう。
 そして記事の締めでは。

“One lesson that I have clearly learned,” said Mr. Paulson, sitting beneath his Chinese watercolor. “You don’t get dramatic change, or reform, or action unless there is a crisis.”

 水彩画の下に座ってポールソン師匠はかく語りき、ということだが、この水彩画には暗喩がある。

He was not shy about his credentials. As an investment banker with Goldman Sachs, Mr. Paulson made 70 trips to China. In his office hangs a watercolor depicting the hometown of Zhu Rongji, a forceful former prime minister.

 水彩画の意味は、Zhu Rongji、つまり、朱鎔基だ。つまり、この米中痛み分けの大きな絵を描いたというかポールソンの背後で尽力したのは、朱鎔基なのではないだろうか。
 2008年3月の中国の全国人民代表大会で、通商担当では予定通りウーさんこと呉儀が引退し張徳江が着いたが、他方マクロ経済を担当する曽培炎の後任には王岐山(前北京市長)が付いた。彼は朱鎔基の人脈である。彼はそして今後設置される金融対策委員会のトップになる。

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コメント

本当なら、北京オリンピック直後に起こるはずだった中国経済の崩壊を、今までアメリカが必死に食い止めていた、というこころですか?

そういう話なら、ひどく説得力のある話として受け入れられると思います。

投稿: 予定説ですか? | 2008.12.30 18:56

なんか、アメリカの来年の財政赤字が100兆円を超えるらしいけれど、そんな金どこから持ってこれるんだろう。

このエントリー見ると中国は面倒を見る側ではなくて見られる側みたいだから、アメリカ国内で誰かが泣かないといけないのだろうけれど。

もう、アメリカの貧乏人からは取れるものはないから、やっと、アメリカの金持ちが泣く順番になったのか。甘いかな?

投稿: 財政出動 | 2009.01.10 14:54

日本も痛みをこらえるとなれば、もう1つの大属国であるグレートブリテンも相当に痛い思いをするんですか。

グレートブリテンがこれ以上痛い思いに耐えられるのか?フランスやドイツは、そしてたぶんイタリアも米国の属国をやめてますね、きっと。そうすると、痛い思いをするときはグレートブリテンなんてもんじゃなく痛いのでしょう。ロシアなんか半殺しでしょうね。

グレートブリテンに西ヨーロッパの見張りさせる要領で日本も東アジアで同じような役割してくれると思っているのかもしれないけれど、アメリカが日本とすぐに共同歩調取らせるようにできるはずの候補国は韓国と(非承認だけど)台湾とフィリピンくらいのはず。でも、東アジアのアメリカの他の与国は日本と力の差がありすぎます。

そのうち、スリランカやマダガスカルもアメリカの属国にされるのかなあ。でも、そういう戦略ばかりとっていると、アメリカの世界戦略そのものが成立しなくなるだろうと思います。えらく金がかかるから。海軍力中心にするほかないですからね。

投稿: 属国日本 | 2009.01.19 14:04

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