クリスマスケーキ、クリスマスプディング、シュトレン
私は昭和32年に生まれた。戦争が終わって12年後。日本(というかナイチだけだが)の独立は昭和27年だから、その5年後ということになる。「もはや戦後ではない」のが昭和31年だから、本当に戦争を知らない子どもたちさ♪として育ったことになるのだが、身近の風景には戦争の記憶が滲んでいた。米軍の文化がそれを彩っていた。ランドリーゲート♪的な。
私の父母は米国的な文化に憧れた世代でもあるし、軽井沢生まれの父とその母、つまり私の祖母は外人の多い避暑地でハイカラさんよろしく自転車を乗り回して話題でもあったらしい。美人だったのかもしれない。ドイツ人病院で看護婦ではないのだろうが手伝いの仕事をしたことがあると聞いた。私が子どものころ、食事で牛乳とバターはしっかりとりなさい、と諭されたことがある。
私が生まれて一歳のクリスマスか、ゼロ歳だったか、あるいは二、三歳だったか父はホールのクリスマスケーキを買ってきたらしい。いずれ私は赤ん坊でそんなものが食えるわけはなく、父母もこりごりしたようだが、その後も子どもの頃には毎年クリスマスツリーはあったしクリスマスケーキもあった。ツリーはちゃんと庭に専用の樅の木を植えていた。植木鉢は父が木造で作ったものだった。白くペンキで塗ってあった。
イギリスは愉快だ |
クリスマスケーキというものが、そういうものではないと知ったのは、青年になって欧米の文化を間近で知るようになってからだ。まあ、いろいろあるにはあるのだが、ほぉ、これがクリスマスケーキってやつですかというのを知るようになった。してそれはどんなものか。
リンボウ先生の『イギリスは愉快だ (文春文庫:林望)』(参照)の「甘いクリスマス辛いクリスマス」に説明がある。先生は、クリスマスディナーを食べ、クリスマスプディングを食べ、ミンツパイを食べ、スコットランドのクリスマス菓子という大きなビスケットを食べ、そして。
で、その次が、ハッハ、クリスマスケーキなのである! イギリスではクリスマスケーキとクリスマスプディングは全然別物で、並びに賞味するのが本当であるらしい。
このクリスマスケーキというものは、これまた容赦なく甘いフルーツケーキの回りをホワイトマージパン(marzipan)というものですっかりくるみ、その上に雪に見立てた真っ白な粉砂糖が存分に振りかけてあるいう姿のものである。そして、そのホワイトマージパンというものは、白砂糖とアーモンドの粉を水飴のようなシロップでネットネトにこね上げたもので、ちょっと見ると求肥かなにかのように見える。そうして事実これは餅のように薄く延ばして、それを飾り下地並びに香り付けとしてケーキの回りに貼り付けるというものにほかならぬ。どうです、読んでるだけで胸がヒリヒリ焼けてくるでしょう。
とま、アイシングに恐れをなしているのだが、当然だけど。
『イギリス菓子のクラシックレシピから(長谷川恭子)』(参照)ではそこを省いたシンプルなレシピが掲載されているのだが、その由来が面白い。
歴史的にみると「ウェディングケーキ」の名前がふさわしいフルーツケーキである。(中略)
中世の頃、この手のフルーツケーキは特別の宴会のために焼くのが習慣だった。それは結婚式のパーティにも焼かれていてブライドケーキbridecakeとも呼ばれていた。また17世紀には、ドライフルーツが大量に入れられていたためかプラムケーキplum cakeとも称された。プラムplumは当時、ドライフルーツ全体を指す言葉だった。(中略)
さて、この種のフルーツケーキがなぜクリスマスケーキとして紹介されるようになったのかは不明である。
祝い事のケーキだっらしく、クリスマスケーキという名前が定着するのは1850年ごろらしい。
ところで、クリスマスケーキとクリスマスプディングというのはまた別ものである。クリスマスプディングがどんなものかはリンボウ先生の先のエッセイに書かれているのだが、まあ、すごい代物。牛脂のスエットをたっぷり使う。
イギリス菓子の クラシックレシピから 長谷川恭子 |
ところで、私はクリスマスプディングは食べない。クリスマスケーキは、日本人らしくイブに食べるが普通のスポンジケーキベース。代わりというか、アドベント以降はシュトレンを食べる(参照)。ドレスデン起源のお菓子らしい。
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コメント
こういうコメントを入れるときは、本当なら実名にすべきだと思うのですが、現時点では不適切と思いますので、いつものようにふざけたハンドルネームを使わせていただきます。
finalvent先生には、ドイツ系の血が流れているんですか。文面からはそう拝察されます。
私なんかが西尾幹二先生を攻撃するときには、「西尾幹二自身が保守陣営にいて保守言論人なのは一向かまわないが、ニーチェまで保守思想家にするようなうそをつくな」という考えの延長上でぐちゃぐちゃやっているのですが、ドイツ人を肉親に持つ方であれば、彼の言行に対しては侮辱的なあしらいをしたくなる気持ちはよくわかります。
私も女性の思想家や著作者をあしざまに扱うのは好きではありませんし、女性の著作家を攻撃するときには、原則、その人がよほどの社会的強者でない限りは極力回避するよう努めているつもりです。
私が極東ブログにお邪魔するようになってからは、川口マーン恵美さんが極東ブログ上で攻撃されているのを見たことはありませんが、先生の肉親がドイツ人であるのなら、川口さんに対しても反論したい真実事実をたくさん抱えてらっしゃることと思います。でも、そうなさらない。
西尾先生に限らず、日本の人文科学者にはなぜこういう人が多いのかと、フランス文学の専門家の竹本忠雄先生の本をめくってもそうおもいます。ほんとうに、現在の竹本先生は、ただの基地外にしか思えません。
わたしなんかは、現時点ではどうにもならないから、南北朝鮮の問題をあまり深刻に考えすぎずに、朝鮮半島をより正しく理解するためにも日本人も韓国語を学習するように努力すべきだ、と第三者的な意見を吐いてしまうのだけれど、ドイツ系の人だと、もっと核心に迫る考えをもてるのかもしれません。
わたしは、ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」で、老いたシッダールタが川によって救われたのは、その川がサラスヴァティー(弁才天)で、芸術の女神に救われたのはヘッセ自身であり、ヘッセ自身が仏陀ではなく、芸術神のサラスヴァティーに救いを求めていたのだと解釈しているのですが、ドイツ系の方であれば、ヘッセとシッダールタの川には別の意味があることを看取できるのかもしれません。
ドイツ系の方でないのにそう勘違いしていたらすみません。
投稿: 例のみどりです | 2008.12.23 13:39
血・で・痔・! 血・で・痔・!!
投稿: 野ぐそ | 2008.12.23 20:52
個人的にはリンボウ先生×イギリスというと、林檎とキッパーとフィッシュ&チップスかな!
未だに『イギリスはおいしい』の真偽を確かめる機会には恵まれていませんが(苦笑)。
そういえば、シュトレンは食べたことありますよ。厚さ3㎜くらいに分けても、仰るように、なんか摘むというには当らない重さがありますね。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.12.23 23:29
クリスマスプディングか。あれは、貧乏でも比較的簡単に作れるんですよね。私の母が、よく母方の祖母がイブにプディングを焼いて、そこに硬貨を入れて、家族の誰に当たるか切り分けたものだ、と言ってました。祖母は、東京の下町で、みなし子同然に育って、下町の教会の、カナダ人の宣教師の方が母親代わりだっと。・・・それで、60年代にその人にどうしても再会したくて、当時のアメリカ旅行をしたそうです。で、子供の私に、ディズニーランドのパンフレットをお土産に見せてくれまして。まだ、アイスクリームとか、日本では貴重な頃だったので、てんこ盛りのパフェが羨ましかったですね。・・・今は、原宿辺りでどこでもありそうなものだけど。
投稿: ジュリア | 2009.12.07 16:37