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2008.12.18

[書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)

 「この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)」(参照)という本が出ると聞き、アマゾンで予約しておいたらひょっこり届いた。カバー裏に「本書は、おそらく世界一簡単な金融政策の入門書です。数式を使わず、平易に、高校生でもわかるようにしました」とあり、確かに「簡単」というのもわからないではないのだが、高校生でこれは読めるだろうかな、名目金利や実質金利の話などは、例をあげて説明を割かないとわかりづらいのではないのかなとは思った。

cover
この金融政策が
日本経済を救う
高橋洋一
 内容的には、経済学的な面では「極東ブログ: [書評]霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」(高橋洋一)」(参照)で扱った新書とだいたい同じ、文春のほうが読みやすい感じはする。ようするにリフレ論です。
 が、今回の光文社のものは、リーマンショック以降の状況を扱っているのと、かなり露骨に与謝野・白川失政を突いているので、露骨に言うと政府や日銀にすり寄っておきたいマスコミ系にとってはけっこう踏み絵的な本になってしまった。ただ、結論から言えば、高橋の主張の流れにならざるをえないのではないか。昨日のヘリコプター・ベン全開で今朝の大手紙社説があたふたしている空気を読むと、今日明日の日銀金融政策決定会合でも、それなりの結果は出てくるだろう。たぶん、0.25%じゃなくて0.2%下げみたいな愉快なオマケもつくだろうけど。
 もうちょっというと、これで与謝野・白川失政が明らかになったという流れにはならないのではないかな、そこはなんとなくうやむやにマドル・スルーしてしまうような気がする。加えていうと、今回の本では、与謝野・白川失政についで民主党への攻撃もけっこうある。このあたりは民主党は反感を持つんじゃなくて、きちんと高橋の話を聞いたほうがよいと思うが。
 ブログで展開されるリフレの議論や、海外の動向、といってもFTやOECDくらいだがざっと見ている範囲では、高橋の経済学的な議論にはそれほど違和感はない。おそらくそのあたりのブログ経済論壇、ここに(笑)と付けるべきか悩むが、を雑見している層にはとりわけ新ネタはないだろう。しいていうと酒の入った雑談的なエピソードや「なかには円高こそ日本国の繁栄の道という本を書いているエコミストもいます。誰とはいいませんが……」というところで爆笑といった面白みはある。
 とはいえ、この本は一般的には違和感をもたれるのではないかなとは思った。率直にいうとリフレ論に違和感があるという土台の部分(これはヘリコプター・ベンがスチームローラー・ベンになって日本も金融政策もただしてしまうかもだけど)に加えて、現下の経済危機への、一般的な認識とのズレは大きいと思うからだ。たとえば、「日本経済の先行き不安の原因は、サブプライム問題ではありません」というあたりだ。もちろん、ここでいうサブプライム問題は比喩で、むしろリーマンショックとでも言うべきかもしれないが、そうした世界不況より、日本の金融政策の根幹に問題があるのだという主張の理解を促すことは難しいのではないか。個別に与謝野・白川失政としてはある程度理解されても、日銀とそれを支える伏魔殿の問題は見えてこない。ちょっと踏み出していうと、日本のある年代以上のマジョリティはこの伏魔殿のステークホルダーなのではないかなとも思う。昨今、非正規雇用者が問題になっているがこれらの利害は正規雇用者側と対立する部分もあるというのに似た構図だ。ああ、つまり、デフレメリットみたいなものは、団塊世代くらいから上の層に構造化されているんじゃないか、と。ちょっと言い過ぎたかな。
 高橋の指摘したい問題をもう少し広い視野でみると、米国の不況は4年くらいで終わると踏んでいるという前提もありそうだ。1年から2年くらいで改善が見えてしまうのではないか。というか、その時点で日本の宿痾がかなりなことになっていそうだという危機認識がありそうだ。二年後くらい私がまだブログやっていたら、現在を顧みて泣いちゃってもいいですかになっていないといいのだけど(ブログシーンにいなかったりして)。
 そういう構図は理解できるとしても、現在の日本の状況を、金融政策を第一義にするかなというのは、ちょっと私としてはぶれるところだ。経済音痴の私が言ってもしかたないが、問題は銀行や企業が保有している資産ではないかな。あまり言うとなんだけど、地銀とかかなり危ないのではないか。道路作っちゃえよ感はある。そのあたり、後の千金の事、じゃない部分の対応としては、もう少し複眼的に考えないといけないようにも思う。
 今回の高橋の本と限らないし、リフレ論者の大半に感じることだが「なんで日銀ってこんなにおバカ?」というのがある。そこが、正直に言うと私には、それほど納得できない。日銀がそれほどおバカなわけないのではないか。あるいは、なんらかの合理的な作動をしているのではないか、その合理性についての議論を知りたいと思うのだが、そこがわからない。「だからぁ、日銀に合理性なんてないんてば」と諭されそうだが、政治的に考えるとやはり利害の対立のダイナミズムはあると思うし、そのあたりの、構造的な政治権力については、高橋洋一は天才すぎて問題にしてないと思う。雑談だが、天才っていうのは、劣等感とか怨嗟でgdgdになっている人っていうのがさらりとしか見えないもんだったりする。
 その意味で、今回の本に出てくる「国際金融のトリレンマ」は逆に読むべきなんじゃないかと思った。つまり、「固定相場制」「独立した金融政策」「自由な資本移動」の3つのうち、2つしか実現できずどれかが犠牲になるという話だ。普通の国は、ここで固定相場制を犠牲にするのだが、日本は擬似的にそこを死守している。そして自由な資本移動もなぜか守りたい。だからして、独立した金融政策は国是としてダメダメってことなんじゃないのか。なんか愉快な法螺を書いてみたいだけど、だから、高橋がいくら金融政策を議論しても、無駄なんじゃないか。
 というか、「固定相場制」と「自由な資本移動」を死守したいというのは、結局ウォルフレンが言っていた新重商主義ということなのではないかな。まあ、言っていて自分がこの分野でもトンデモさんなっているようが気がしてくるが。ついでに、言い忘れ。円キャリー問題についても触れているが、高橋はそんなたいしたことはないよとのこと。このあたりの真相ってどうして根幹的にわからないのだろう。ああ、なんか陰謀論の誘惑。
 くらだないブログのエントリー話なんだけど、大学生とかこの本を読んでおくといいと思う。たぶん、みなさんの未来はここに描かれたものになっていくんじゃないかな。脅しじゃなくて、若い世代を団塊世代の資産による保護でなんとかできるという枠組みはそろそろ終わりなんじゃないかと思うので。

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コメント

最近、円高や派遣社員解雇のニュースばかりで、これからの経済状況は確かに心配になるんですね。

投稿: fx-円高ばかり | 2008.12.18 15:13

>二年後くらい私がまだブログやっていたら、現在を顧みて泣いちゃってもいいですかになっていないといいのだけど(ブログシーンにいなかったりして)。

 居なくなるんだったら教えてね。僕も消えるから。
 まぁ正直、2年も続くのかな!? とは思いますが、続けば御の字続かにゃ当然くらいの気持ちで、ゆるゆる頑張るのがいいんじゃないですかね?

 「遊び」が面白いんで遊びじゃなくなったら面白くない派の私としては、遊べない空間は要らないなーって感じです。

投稿: 野ぐそ | 2008.12.18 16:40

日銀の問題は自主性がないことでしょう。
外国の理論がああだ
外国人がこう言った、とか

投稿: | 2008.12.18 16:45

>ブログシーン

笑いました。

投稿: | 2008.12.18 16:52

私も注文していて読んだところです。

分からないかもですけど、今の高校生だって読んでみたら良いかなと思いました。で、二年後にブログシーンで自分が存在していたらというニュアンスも、今の世の中の流れを感じて、そう書いておきたいというのも分かるような気がします。この本で、我々世代が今何かができるというものでもないような。

投稿: ゴッドマー | 2008.12.18 18:53

リフレならリフレでまた叩きまくってドボン。
っていうのが目に見えているから正直なにもしたくないんだよねー。

投稿: 日銀 | 2008.12.18 23:14

>日銀金融政策決定会合でも、それなりの結果は出てくるだろう。たぶん、2.5%じゃなくて2%下げみたいな愉快なオマケもつくだろうけど。

意味不明。単位間違えてません? 

投稿: 佐藤秀 | 2008.12.19 11:48

日銀の合理性というのは、旧日本軍の合理性に似たようなものがあるのかもしれませんね。
個別の政策のレベルでは確かに合理性はあるんだけど、全体の行動は非合理的なものになってしまうという点で。

投稿: Baatarism | 2008.12.19 14:17

 現今の社会情勢って、ゲーム的に解釈すると「将棋とオセロの融合形」みたいなもんなんですな。途中まで将棋でやってたのが途中から行き成りオセロに変わっちゃうとか。将棋そのものにオセロのルールが内包されているというか。どんどん攻めていけば歩でも成金になるし飛車角なら龍になるんだけど、成った瞬間くるっとひっくり返って敵方の駒になっちゃう。

 最後まで使わない端っこの歩とか香車とか戦略上必要としない場合の桂馬なら「オセロ内包型ルール」でも将棋と同じように使えるけど(っていうか使わないから関係ないけど)、中筋の歩や金銀や飛車角みたいに戦略上攻めに使って当たり前の駒が「敵陣に入ると敵駒になる」みたいな変則ルールになっちゃうと、打つ手が無いわけでね。

 全部が全部「敵陣に入ったら寝返る」んじゃなくて、対局前にどっかの誰かが駒の裏に印でも付けてて、寝返り率30%みたいに、中途半端な状態にしておく。したらば「恐れてても仕方ないから攻めるしかない」わけで、攻めれば攻めたで「30%くらいの確率で誰かが寝返る」から、そこで戦局がひっくり返ったら、もうどうしょうもなくなる。

 アナログに「どっかの誰かが駒の裏に印付ける」じゃなくて、駒も盤もデジタル化してて「どの駒の裏に印が付くか毎度の勝負ごとにランダムに決定されます」とか「審判員の独断で勝手に付いてます。対局者は実際にプレイするまで分かりません」みたいになっちゃったら、こらもう地雷原を承知で踏み歩くくらいの豪胆さと足の1本や2本は千切れても問題ない程度の生命力が要求されるわけで。

 まぁ普通に、尋常の人間がそんな領域にまっさらで踏み込んだら絶対死ぬから、「最初っから降りて傍観する」か「事前に情報を仕込んで地雷踏む確率を極限まで下げる」か「地雷なんか関係なしで堂々と突き進むヤツの後をこっそりつけてく」か、それら諸形態の融合形を駆使するか。そういった感じで対応するんだと思います。出来なきゃ、死ぬ。そらもうしょうがない。

 最初っから「将棋」「オセロ」「囲碁」「麻雀」…みたいな個別ルールの究極者であったとしても、それら諸ルールの複雑融合形になったら手も足も出んわけで。そんな感じかな? って思いました。

投稿: 野ぐそ | 2008.12.20 09:01

佐藤秀さん、ご指摘ありがとうございます。訂正しました。

投稿: finalvent | 2008.12.20 12:19

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