じゅーしーめーとかぼちゃ
冬至である。というわけで、神殿にのぼりシリウスを拝む、ということは別段しない。何をするかというと、じゅーしーめーを炊いて、南瓜を煮て食う。あ、ついでにビール。
何故、じゅーしーめー。っていうか、じゅーしーめーは、あれだ、オレンジをたっぷり絞ってジューシーに……違う。ナイチの言葉で書くと「雑炊飯」。ぞうすいめし、が、うちなーふうになって、じゅーしーめー、だろう。たぶん、きっと。
ただし、雑炊というのとはちがって、べっちょべっちょしてない、でもないか、ぼろぼろじゅーしーというのがある。炊き込みご飯みたいのがくふぁじゅーしー。
作り方は簡単だ。オキハムのじゅーしいの素を買ってきて炊き込めばいい。ってか、ネットをみたらAbsolutely quattro! blog”じゅーしい”(参照)に掲載されている。そんな感じ。もうちょっと手を入れたいなら、茹でた三枚肉と分葱を刻んでまぜると、ぐー。韮刻んでもあり。うちなーんちゅによっては、刻んだチューリップをまぜる人もいる。これは、ごめんね、苦手。
翌朝はこれに汁をかけて食う。この手の汁かけご飯をなぜか、りゅうきゅう、と九州あたりでいうのではなかったか。
シリウスの都 飛鳥 |
ということだが、赤豆というのはナイチでも地方によってはそうらしい。とはいえディアスポラの信州人である私は、冬至赤豆の文化は知らない。代わりに、かぼちゃを食わされた。
懐かしく思うのだが、縁側の脇に冬至を待って干されているかぼちゃがあったものだった。冬至になると食わされた。これが旨くないのだ。干して水気を抜くとそれなりにでもあるのだが、昔のかぼちゃって旨くなかったなと思う。いつからかぼちゃが旨くなったんだろう、というか、今出回っている、今晩も食ったあれは、本当にかぼちゃなのだろうか。
冬至にかぼちゃを食う地方は多い。何故かぼちゃ? 吉野裕子がなんか書いていそうなのだが、ちょっとわからなかった。ネットを見ると、”冬至と南瓜”(参照)に。
冬至は「一陽来復」の日。
陽の気の兆しがようやく見え始めた冬至の日に、南方(陽の方向)から渡来した野菜 (名前なんかずばり「南瓜」)
夏(陽の季節)の野菜
赤(陽の色)味がかった色の野菜である南瓜は、「陽の気を助長する最高の呪物」と考えられたのでは無いかと言うものです。
これは、日本の風習を陰陽五行思想の観点から研究した吉野裕子さんの説。
とある。どの本だろう?
ただ、これ、さっきの荊楚歳時記の「共工氏の子、冬至に死にて疫鬼となり、赤を恐る」ではないかな。つまり、昔の南瓜って、赤かったんじゃないか。どうなんだろ。
そういえば、こんにゃくも食わされた。体のなかを掃除するのだと昔聞いた。「冬至、 こんにゃく煤払い」だったか。そんだけの理由だろうか。
よくわからないが、まあ、じゅーしー食って、かぼちゃ食って、ビール飲んで、まあ、それでいいやっと。
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コメント
ああ、拝読してはっと気づきました。わたしの手元にある長崎盛輝「日本の傳統色 その色名と色調」を繰るたびに、今の感覚とはずいぶん変わったんだなあと思っていました。“あか”もまた然りで、なにも南瓜の色がハロウィン仕様に変わったわけではないのだ、と(以前に確か国旗の色調について書いていらしたかと記憶しますが、それもまた他国の“あか”に依るイメージなのかもしれません。余談ですが)。同書には「稲荷信仰私見ー陰陽五行思想による稲荷の最吟味」という吉野氏著作が参照されています。南風原産などは高級品で、なかなか地元ではあたらないのですが。
投稿: 蝸牛のつの | 2008.12.21 23:19
書き忘れました。長崎氏の生まれた高知県は「りゅうきゅう」の名産地でもあり、ずいきを食すと聞きました。
投稿: 蝸牛のつの | 2008.12.21 23:38
クリスマスっていうのは、もともとは冬至祭であったのではなかろうか?と故倉前盛通先生がおっしゃってました。
大祓いは6月と12月の末日に行われますが、これも、昔は旧暦に従っていたとすると、立春前後と立秋前後だったわけで、過去の季節感というものがわかります。
新暦の元旦を新春というのは誤りで、小寒前に春のわけはなくて、立春前後に旧暦の睦月の朔(ついたち)がくるから、旧暦の元旦が新春。そのころは本当に「芽出度い」のでしょう。啓蟄までもう一月なわけだから。
節分ももともとは、立春、立夏、立秋、立冬、すべての前日に鬼やらいをしていたそうなのだけれど、立春前だけになったのは、それが「新春」だからだと思います。
立春のころを1年の初めとするのは、夏(か)王朝の暦で、孔子も論語でこの暦を使用することを推奨しており、この点は道教も神道も現在は孔子の権威に服従しているのだと思います。なお、孟子の時代の中国では、年初は冬至の日であったそうです。
今申し上げたような話の伝承を、琉球のかたがたは本土の私たちより正しく継承していると思っているのですが、明治以降の西洋の上っ面の模倣は琉球の伝統文化もずいぶん毒しているかもしれません。
冬至には、かぼちゃも食べたし、ゆず湯にもつかりました。
クリスマスには、きっと今年も、小さなケーキも食べるし、鶏の骨付きもも肉も食べると思います。
投稿: 冬至祭 | 2008.12.22 07:41
わたしは、冬至に、ささげとかぼちゃを一緒に煮た煮物を食べさせてもらった経験があります。
東北地方にはそうする風習のあるところが多いはずだと思います。
投稿: ささげとかぼちゃ | 2008.12.22 07:49
うちの父(戦後すぐの生まれ、栃木県芳賀郡)にきいたところ、そちらでは昔「冬至はかわぴたりだから雑炊」を食べていたそうで、かわぴたりは「川浸り」ではないか、なにか水の事故に関する風習じゃないかと言っておりました。
沖縄との関係はないとおもいますが、栃木ではそうした風習はもう消えてしまいそうだということでした。
投稿: mori-tahyoue | 2008.12.22 09:42
「じゅーしーめー」とは「ぞうすい」のことでしたか。確かに、何回も声に出してくりかえしていると、似ているような気がしないこともないですね。
確かに、カボチャは、おいしくなったような気がしますね。最近のものは、ほくほくして、糖度が高いですね。
余談ですが、甘いスイカをつくるには、カボチャに接ぎ木したり、カボチャの花粉を受精させたりすればよいと聞いたことあります。(真偽の程は定かではありませんが)
投稿: 風竜胆@文理両道 | 2008.12.22 20:49
西洋占星術の年初は春分の日。でも、本来は、冬至を年初とすべきなのだそうです。冬至より春分の方が観測が容易だから春分を年初としたのだそうです。月の暦は新月の日が「ついたち」、太陽暦も本来は冬至から始まりにすべきなのだそうです。
一方、孔子はどこまでも立春を年初とすることにこだわったみたいです。これは農事に便利だからということです。(論語:衛霊公第十五「顔淵、邦を為(おさ)めんことを問う。子の曰く、夏(か)の時を行い・・・」)
ただ、孔子の権威が東洋で守られたのは、立春を年初にして、正節を月初めにしたほうが物事の分別に理路が立つという、運命学者としての孔子の説が強く受け入れられたからかもしれません。立春の観測は春分や立冬の観測より困難なはずなので、普通なら、こんな暦法が有力になるのは稀有なのです。なお、東洋の暦でも、十二支の始まりの子(ね)の月は冬至を真ん中にした大雪から小寒までの月で、年初の立春から始まる月は、寅の月という扱いになっています。
大胆なことをいえば、12星座占いも、立春から出発した1年の十二支占いに改めたほうが、より蓋然性の精度を高められるのかもしれません。もしかしたら。
ただし、いまさら円周率のπの数値を半分や4分の1に改められないように、今となっては、12星座(黄道12宮)の分割も、どうにもならないことです。
投稿: 冬至祭 | 2009.01.19 09:57
暦を調べたら、二十四節気の中で最も期間が短いのは、立春から雨水の間です。
この時期は、地球が近日点にあって、地球の公転速度がもっとも高速なころです。すなわち、惑星としての地球の運動エネルギーが最も大きいころなのです。
この、天体としての地球の運動エネルギーが最も大きいころを年初にしろ、というのが孔子の考えだったのかもしれません。もちろん、孔子は天動説に基づいていたはずですが。
今となっては、孔子に直接真偽を問うて確認できませんが、不可能ではない仮説かと思います。
孔子は、北極星に言及したり、新月の日に羊をいけにえにする告朔の礼を問題にしたり、天文事象に明るく、またうるさい人でした。立春を年初にすることを強く主張するということについても、現代的な科学的観点からも根拠を担保できる何事かがあるだろうと考えてもそれほどでたらめな推論ではないと思います。
運命学者としての孔子と天文との関係というのも、研究テーマになりうるかと思われます。孔子以後の、道教や、中国密教でも、天体への関心は小さくないものがあるからです。
投稿: 冬至祭 | 2009.01.24 13:33
孔子については、「孟子」巻第三公孫丑章句上の中で、孟子が孔子の直弟子の有若のことばを引用しています。それを紹介します。現代訳は小林勝人先生(岩波文庫)です。
有若に至っては「およそ同類の中でも、また特に抜きん出たものがあるのは、ただひとり人間の世界ばかりではない。走る獣のなかでの麒麟、飛ぶ鳥のなかでの鳳凰、小さい丘や蟻塚のなかでの泰山、水溜りのなかでの黄河や大海。これらは大変な相違こそあるが、やはり同類ではあるのだ。それと同じこと、聖人とてもやはり同じ人間ではあるが、その同類から抜きんでて特別にすぐれている方なのだ。さらにそれら聖人のあつまりのなかで、また特に傑出しているのがわが孔先生である。この世に人類はじまって以来、まだ孔先生より徳の盛んな偉大な聖人はいないのである」といって、さらにいっそう激賞しているのだ。
ちょうど、今日は立春です。古代中国における「徳」の含意の解釈に役立つ話であれば喜びとするところです。
投稿: enneagram(冬至祭) | 2009.02.04 14:18
1年を立春を出発点にして12分割して十二支占いをしたい人のためのガイドブックをいくつか紹介します。
まず、マダム玉玲著「自分の一生がわかる最新四柱推命」(日本文芸社)。この本は、簡単ですが、生まれ月の月支(毎月の十二支)による占いの目安が書いてあります。また、日柱(毎日の干支)については、六十干支全部の占いの目安が記載されています。
次に、山田耕筰著 鏡リュウジ解説「生まれ月の神秘」(実業之日本社)。鏡先生は、西洋占星術の星座占いの文脈で解説されていますが、日数の重複を考えれば、二十四節気の正節ごとの十二支占いのタネ本にすべきと思われます。おそらくこれが虎の巻。
つぎに、三須啓仙監修 東洋運勢学会編「十二支相性占い」も、各年の十二支に加えて、その年の2月から翌年1月までの各月生まれの十二支占いが記載されています。毎年、寅の月にはじまり、丑の月に終わることを頭においておけば、これも利用できる教科書です。
これはついでなのだけれど、セオドラ・ラウ著 ヘンリー・ドレナン訳「[決定版]幸せを呼ぶ中国干支占い」。毎年の十二支を太陰暦で区分していて、その十二支ごとに、24時間を12分割した、子の刻から亥の刻までの誕生時間の占いの記載があります。
まあ、私も、西洋占星術をアラン・レオが簡略化して作った星座占いをまねて、四柱推命を簡略化した生まれ月の十二支と出生時刻の十二支の十二支占いを編み出して、そのうち商売したいものだと思っています。お客さんがつくかどうかはわかりませんが。
なお、最近知ることができたのですが、古代の中国では、春分の日を実測で求めて、それから、春分の日の45日前を立春、45日後を立夏としていたのだそうです。現在みたいに、黄経をきちっと24分割して立春を求めていたのではないそうです。それでも、古代の中国でも、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星の毎日の位置は、天文官が実測していたはずなので、古代の中国人も、いつごろが太陽の黄経の移動速度がもっとも高速かは知っていたはずです。そんなわけで、立春の日の求め方そのものは、立春の日をもって新年とすることの根拠の推測の大きな障害にはならないと思われます。とりあえずこの点も書き添えておきます。
投稿: enneagram | 2009.02.22 11:33
大祓いが以前はいつ行われていたかということですが、以前は、夏至と冬至に行われていたという記載が、ある書物にありました。
現在は、新暦の6月末日と12月末日ですが、以前はいつなのか、はっきりとしたことは知りません。
ただ、どうも、旧暦の6月末日と12月末日ではなかったみたいです。いつか、この件をしっかり調べたいと思っています。
投稿: enneagram | 2009.11.23 16:41
すいません、Wikipediaでしらべたら、大祓いは、新暦も旧暦も6月末日と12月末日でよいとのことでした。紛らわしいことを言ってすみませんでした。
投稿: enneagram | 2009.11.23 16:44