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2008.12.30

今年の金融危機についてごく些細な印象

 今年一年を振り返ってというほど話でもないが、今年はどんな年だったかといえば、グリンスパン元FRB議長が言うように百年に一度の金融危機というあたりかもしれない。まあ、二年くらいして振り返って見ると全然違って、普通に不況でしたとか、またまた日本失われた二十年だなこりゃ、とかかもしれない。とはいえ現時点で自分が思う些細な印象でも書いておこうかなと。前もってお断りしておくと、経済音痴の私がちょっと気楽に書きたいので陰謀論臭い話になる。なので、そのあたりは陰謀論だろみたいな無粋なツッコミはなしってことで、じゃ。
 最初に結論から言えば、この金融危機は中国の崩壊を米国から率先して泥を被って痛み分けにしたものかなと思っている。当然、米国の属国である日本は痛み分けを預からないわけにはいかない。
 もうちょっと大きい歴史的な枠で見れば、渦中で書いた「極東ブログ: つまり、第二のプラザ合意みたいなものかな」(参照)でしょろっと触れたが、プラザ合意のときは日本が貯めたドルによる不均衡を一気に解消ということだったが、今回は中国が貯めたドルだった、と。なので大筋のドル安ということにはなるしつられるように日本も円高にもなった。が、今回の金融危機が中国版プラザ合意なら元が円のようになるかというと、必ずしもそうではなかった。なぜかということだが、ここでちょっと陰謀論臭い話になるが、その前に少し振り返る。
 2004年「極東ブログ: またまた米国債買いのお話」(参照)、同年「極東ブログ: 米国ドル安をもってEUと中国を撃沈」(参照)。
 2005年「極東ブログ: すごいぞ、中国国際ビジネス」(参照)、同年「極東ブログ: ヒューストン、何かおかしい(Houston, We have a problem)」(参照)。
 2006年「極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)、同年「極東ブログ: 中国の外貨準備高が日本を抜いたことへのやや妄想っぽい話」(参照)。
 2007年「極東ブログ: 米国がなぜか今時分ヘッジファンド規制に頑張っているのに」(参照)、そして「極東ブログ: また失われる10年かな」(参照
 とざっとそんな流れを振り返る。
 この流れなのだが、ざっくり言うと、中国経済がバブル崩壊の要因をしこたま抱えつつ、他方中国はドルを買いまくって米国投資をやっていた。これが米国のバブルを支えていたのだが、そして、ここからがちょっと陰謀論っぽいのだが、中国は世紀のちゃぶ台返しのように米国債の売払いをやりかねなかったのではないか。そんなことをすれば、金融不安どころか、世界の終わりになっていたのではないか。そこにたぶん、ポールソンは気が付いていた、というか……。
 私はといえば、この間、中国経済が潰れたら世界の経済もひどいことになるが、そこはそれ共産党の「大躍進」でなんとか大きな余波は中国国内で防いで、米国から世界の経済を巻き込む崩壊まではないんじゃないかな、とある程度甘く見ていた。まあ、ポールソンはそうじゃないよと見ていたわけだ、というかあれ、金人袋は、というべきか。
 そして今思うと、「極東ブログ: ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退」(参照)は、ポールソンさよならじゃなくて、元アメフトの体力と後光の禿頭でものすごいお仕事をしていたのだろう。つまりだジョー、肉を切らせて骨を断つ、じゃないや、米国も痛みを受けるから中国もそうしてくれよ、老師も言っていたはずだが、これは世界を維持できるストーリーなんだ、じゃ、詳しい説明はバーナンキさんということで……とま、バーナンキもこのストーリーを理解していただろうし、だいたいこの時期に世界恐慌の世界的研究者がFRB議長っていうのもな、せんだみつおのなはなはなはみたいな印象もある。ところで老師って誰?
 具体的にこの話が深刻になったのは、リーマン崩壊より、FF兄妹の救済だろう。たぶん、このあたりは実際には投資元の中国の救済でもあったのではないか。
 以上は、与太話。
 でも、26日付けニューヨークタイムズ「Chinese Savings Helped Inflate American Bubble」(参照)を読むとあながち与太話でもなかったかなとは思った。この記事だが国内では時事「金融規制、不十分だった=FRB議長が後悔の念」(参照)が軽く触れていた。


バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は、26日付の米紙ニューヨーク・タイムズに掲載された記事で、深刻な金融危機とリセッション(景気後退)を招いた住宅・信用バブルとその崩壊に関連し、金融機関や住宅金融業者の規制が不十分だったと後悔の念を示した。
 同記事は、中国が対米貿易黒字でためたドル資金を米国債投資などの形で還流させた結果生じた「世界的な貯蓄過剰」とその影響について解説したもので、同議長は「国際資本の流れについて早期により良い均衡を達成していれば、金融システムへのリスクを大幅に減らすことが可能だったろう」と認めた。

 朝鮮日報「米紙、「中国が米住宅バブル呼んだ」と批判」(参照)はもう少し踏み込んで紹介していた。

 過去10年間、中国は巨額の対米貿易赤字を米国の安全資産に投資した。約1兆ドル(約91兆円)を米国債と米政府が保証する住宅担保ローン証券につぎ込んだ。それにより、米国では金利低下、消費拡大、住宅市場のバブルが引き起こされた。


 米国にとってはまるで麻薬中毒だった。共和党のリンゼー・グラハム上院議員(サウスカロライナ州選出)は「誰もその薬を断とうとは思わなかった」と振り返った。
 ブッシュ政権の自由放任的、市場主義的理念も問題解決の妨げとなった。米政府は低利で借り入れた巨額な資金をイラク戦争に費やした。

 該当オリジナル記事ではこんな感じ。若干含みは違う。

But Americans did not use the lower-cost money afforded by Chinese investment to build a 21st-century equivalent of the railroads. Instead, the government engaged in a costly war in Iraq, and consumers used loose credit to buy sport utility vehicles and larger homes. Banks and investors, eagerly seeking higher interest rates in this easy-money environment, created risky new securities like collateralized debt obligations.

“Nobody wanted to get off this drug,” said Senator Lindsey Graham, the South Carolina Republican who pushed legislation to punish China by imposing stiff tariffs. “Their drug was an endless line of customers for made-in-China products. Our drug was the Chinese products and cash.”


 朝鮮日報記事ではさらに。

米政府はまた、中国の人民元切り上げを通じた貿易不均衡の緩和にも失敗した。同紙によると、米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は「もう少し早く(人民元切り上げで)国際的な資金の流れの不均衡を改善できていれば、金融システムへのリスクを大きく軽減できた。しかし、それには国際的な協力が必要だった」と述べた。

 ここでバーナンキFRB議場が登場するのだが、今回のニューヨークタイムズ記事で一番重要なのは、バーナンキの告解でもあった。

Today, with the wreckage around him, Mr. Bernanke said he regretted that more was not done to regulate financial institutions and mortgage providers, which might have prevented the flood of investment, including that from China, from being so badly used. But the Fed’s role in regulation is limited to banks. And stricter regulation by itself would not have been enough, he insisted.

“Achieving a better balance of international capital flows early on could have significantly reduced the risks to the financial system,” Mr. Bernanke said in an interview in his office overlooking the Washington Mall.


 バーナンキがFRB議長についたときはすでに遅かった。

Mr. Bernanke, after he took charge of the Fed, warned that the imbalances between the countries were growing more serious. By then, however, it was too late to do much about them. And the White House still regarded imbalances as an arcane subject best left to economists.

 このあたりの悔恨については以前のニューズウィークの記事にもあったが、彼はFRBが米国を越えた責務を担うとまで想定していなかったようだ。
 その認識を変えさせたのはポールソンだったようだ。

In late 2006, Mr. Paulson invited Mr. Bernanke to accompany him to Beijing. Mr. Bernanke used the occasion to deliver a blunt speech to the Chinese Academy of Social Sciences, in which he advised the Chinese to reorient their economy and revalue their currency.

At the last minute, however, Mr. Bernanke deleted a reference to the exchange rate being an “effective subsidy” for Chinese exports, out of fear that it could be used as a pretext for a trade lawsuit against China.


 先の私の稚拙なお話に戻ると、2006年時点でポールソンには危機の認識があったのだろう。悪口のようにいえば金人袋の存亡の危機の分岐点でもあったのだろう。陰謀論めいた話は私だけでもないようだ。

Others argued that China’s heavy lending to this country was risky because Chinese leaders could decide to withdraw money at a moment’s notice, creating a panicky run on the dollar.

 ちゃぶ台返しの危険はあった。

Chinese leaders chose to park the bulk of that in safe securities backed by the American government, including Treasury bonds and the debt of Fannie Mae and Freddie Mac, which had implicit government backing.

 FF兄妹は中国にとって重要だった。
 話をポールソンもバーナンキによる中国対話に戻すと、それはそれなりの成功というか事実上の密約はできたのだろうが、バーナンキにはびびりもあったというか、危機感は弱かったのかもしれない。
 ところで。
 このニューヨークタイムズ記事だが、バーナンキとポールソンについて多少奇妙な陰影がある。このあたりだ、老師。

In March 2005, a low-key Princeton economist who had become a Federal Reserve governor coined a novel theory to explain the growing tendency of Americans to borrow from foreigners, particularly the Chinese, to finance their heavy spending.

 "coined a novel theory"というのは、珍奇な経済学理論をこさえたということで、バーナンキを揶揄している含みはあるだろう。
 そして記事の締めでは。

“One lesson that I have clearly learned,” said Mr. Paulson, sitting beneath his Chinese watercolor. “You don’t get dramatic change, or reform, or action unless there is a crisis.”

 水彩画の下に座ってポールソン師匠はかく語りき、ということだが、この水彩画には暗喩がある。

He was not shy about his credentials. As an investment banker with Goldman Sachs, Mr. Paulson made 70 trips to China. In his office hangs a watercolor depicting the hometown of Zhu Rongji, a forceful former prime minister.

 水彩画の意味は、Zhu Rongji、つまり、朱鎔基だ。つまり、この米中痛み分けの大きな絵を描いたというかポールソンの背後で尽力したのは、朱鎔基なのではないだろうか。
 2008年3月の中国の全国人民代表大会で、通商担当では予定通りウーさんこと呉儀が引退し張徳江が着いたが、他方マクロ経済を担当する曽培炎の後任には王岐山(前北京市長)が付いた。彼は朱鎔基の人脈である。彼はそして今後設置される金融対策委員会のトップになる。

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2008.12.27

グリューワイン

 寒くなるとグリューワインを飲む。ホットワインのことだ。作り方は簡単で、ただワインをミルクパンで温めればよい。温度は好みだが、沸騰させないようにする。電子レンジで温めてもよい。ホットミルクを作る要領だ。
 砂糖を入れて甘くすると飲みやすい。蜂蜜でもよい。飲むときにレモンのスライスを浮かべてもいいし、紅茶用のシナモンスティックを入れてもよい。ドライフルーツを入れてもいいんじゃないか、飲みづらそうだけど。
 普通スパイスを入れることが多い。シナモンだけでもいいし、クローブを少し入れると引き締まる、というか、クローブの香りはクリスマスティーっぽくてこの季節を感じさせる。
 ティーパックタイプで専用のスパイスも販売されているし、チャイ用のスパイスを入れてもかまわない。黒胡椒を入れてもいい、まあお好きなら。そういえば、最近はやらなくなったけど、セージのドライを少し入れたこともあった。
 グリューワインを作るための材料のワインは普通のワインでいいし、飲み残しのワインでかまわない。普通は赤ワインを使う。すでにグリューワインとして販売されているのもある。私は最近はそういうタイプの買ってきて、温めて飲むことも多い。軽くていい感じだ。ドイツからの輸入なので1リットルとなっているのが、なんか律儀な感じがする。ワイン棚を覗くと、Bacchusfeuerというのがある。アルコールは9.5%のようだ。つまり、軽い。

 白のグリューワインもある。というか棚に入っている。Sternthaler Apfel-Zimtと書いてある。りんご果汁にシナモンで香り付けというのだが、たしかにりんごっぽい酸味があって美味しい。これは温めなくてもそれなりいける。こちらは作ったことはない。りんごジュースと白ワインを混ぜてシナモンでも入れるとできるのだろうか。
 そういえば夏場、冷やしたサングリアとコーラを割って飲むことがあるが、これも温めて飲んでもよいのではないかな。以前コーラの歴史を調べたことがあって、その過程でコーラを温めて飲むことがあるというのを知った。やってみたけど、酸味がきつくなる。もちろん、炭酸は抜ける。
 話がだんだんグリューワインからそれてくるが、そういえば以前自分の父親くらいの世代の女性で米人と結婚した人と話していて、風邪をひいたらコーラにピーナッツを入れて飲むといいのよと教えてくれた。なんのこっちゃと思ったが、その後、そういうものがこの世に存在することを知った。ググってみると、”The Minorcan Factor: Coke n Peanuts”(参照)という記事があった。そう有名なものでもないのか。なんか喉につまりそうで、日本だと、危険な飲み物だな、こりゃ。

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2008.12.25

[書評]イーゲル号航海記 2 針路東、砂漠をこえろ!(斉藤洋)

 「イーゲル号航海記 2 針路東、砂漠をこえろ!(斉藤洋)」(参照)を読んだ。この本について何か書くべきなのか別に書かなくてもいいのか、とても迷った。その迷いみたいのを書いてみたい気がした。

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イーゲル号航海記〈2〉
針路東、砂漠をこえろ!
 話は「極東ブログ: [書評]イーゲル号航海記 1 魚人の神官(斉藤洋)」(参照)に続くものので、半年前くらいには2巻目も執筆が終わっていたようだった。出版されるまで意外と時間がかかったように思えるのはコジマケンのすばらしいイラストに手間取っていたのか、作品の直しがあったのか、それとも出版の不況とかの要因もあったのだろうかと思った。もちろん、よくわからない。もともと斉藤洋の本が出るのは遅いことがあります、というだけかもしれない。
 1作目を読んだとき、これは大きな物語の助走的な作品かなと思った。2作目からは大きなしかけが入るようになるのではないかと期待した。で、どうだったか。そこがまず微妙なところだった。
 全体としては、今回の話は今回の話としてクローズしていて、その点では1作目と2作目とはフラットに別のテーマでしたとも言える。ただ、それを越えて、主人公のカール・キリシマ・キルシュの、日本人である父が男爵であることや、きな臭い政治的な役割もっていたこと、ローゼンベルク博士の技術には戦争応用への危険性があることなど、シリーズを貫く大きな物語もきちんと描き込まれている。このままシリーズが続けば当然、ナチスの時代がやってくるし、その中でドイツが進めていた原子力爆弾などの話も関わってくるだろう。潜水艦イーゲル号が探索する謎の水域もその大きな物語とも関係するのかもしれない。その歴史の背景を通して、このシリーズは何を訴えようとしているのだろうかということにも私は関心がある。
 個別の物語としては、前作がポストモダン的でポストコロニアル的な展開だったの対して、今回はエコロジーがテーマになっているとも言える。しかし、面白いのは、現代の地球のエコロジーとはまったく異なる生態のエコロジーが問われるところだ。その点ではSFといってもいいくらいで、そういう生物は地球にはないという生物のエコロジーが問われる。人間主義に毒されないエコロジーの根幹的な思考が問われるようでもある。
 読みながら、一種の謎解きをしていくのだが、なんというのだろうか、想定したこともない生物のエコロジーを考えるというのは脳に奇妙な快感というか不思議な感じがする。それは普通にSFの面白さともいえるのだろうが、SFの多くがおそらくは現実の隠喩的であるのに対して、この作品はそうとも言い切れない。
 前作もそうだったし今回もそうだったのだが、物語でありながら、一種の反物語になっている。しかもそうでありながらこれは児童文学だ。子どもたちがこれを面白いと思って読むのだろうか。もちろん、面白く読めるように最大限の工夫はされているし、文体も美しい。それにしても、物語というもの自体を裏切るような想像力の動かし方を強いる子ども向けの物語というのはなんなのだろうか。アマゾンにある出版社側の紹介は。

天才科学者ローゼンベルク博士のつくった最新式の小型潜水艇“イーゲル号”。小学生のぼくは、その乗組員としてふたたび異世界への冒険に出る。なぞの大渦にまきこまれ、たどりついたさきは無人の砂漠のように見えたが―。予測不能の展開にますます目がはなせない、海洋アドベンチャー・第2弾!小学校高学年から。

 たしかに「予測不能の展開」という感じはする。
 面白さの工夫は文体やディテールのシカケにもある。イーゲル号や今回登場するムッシェル号もメカ的に面白い。また個別のシーンでの感性の描写は前回同様きめこまやかだ。キャラクターも生き生きしている。ドイツを場所に設定しながら、日本語の戯れのような話もあり、その点では日本語というコンテキストをハズしているものでもない。
 対象は小学校高学年からということで、実際にそのくらいの年代から読めるだろうが、これを読む子どもというのが私にはうまく想像できない。私からすると反物語をそのまま物語として受容する読書の心というのはかなり高度な知性だろうと思うが、それが子どもに可能なのだろうか。それはもしかして、日本の子どもだけに可能なのかもしれないとも少し思った。
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イーゲル号航海記〈1〉
魚人の神官
 読むのであれば、まだ2巻目までしか出ていないこともあり、1巻目から読むことをお勧めしたい。単純にエンタイメント的ではないが、不思議に面白い。

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2008.12.24

finalvent's Christmas Story 3

 アドベントが近づく頃、この一年で自分が随分年を取ってしまった気がした。だから今年はKFFサンタクロース協会の依頼があってもお断りしようと決めていた。それを察してか、昨年は秋の内に連絡があったマリーからも今年は音沙汰がなかった。それはそれで少しさみしい気もしたし、自分がなにか間違っているような気もしていた。
 12月に入ってからマリーから手書きの手紙が届いた。この子にプレゼントを渡してくれるかしらと書かれていた。プレゼントの中身はこの子の手紙に書いてあります、とも。手紙のなかには、開封されたもう一通の手紙があり、「サンタクロース様、よく切れるナイフをください、リックより」と書かれていた。よく切れるナイフとはなんだろうと疑問に思った。マリーにはどう答えてよいかわからなかったが、無理に返信しなくてもいいです、でもそのときは、このプレゼントの話もキャンセルにします、と但し書きがあった。
 私は数日ぼんやりとそのことを考えていた。そして、アフリカで援助の仕事をしてたころ、ナイフでよく木を削ったり、簡単な料理を作ったことを思い出した。ナイフは便利なものだ。少年たちがそれを欲しがったことも思い出した。リックはそうしたアフリカの子どもたちとは違う。富裕な階層の子どもだ。14歳にもなるらしい。自分でナイフを買うこともできる、しかし、とそこまで考えて、マリーに電話をした。時間帯からしてその場で話ができるとは思わなかったが、すぐにつないでくれた。今年もやります、と答えた。マリーは、プレゼント用のナイフはすでに用意してありますと答えた。私の心の動きを見抜いてたということだ。
 ケネディ・エアポートで私を待っていたのはドニという黒人の青年だった。今年のプレゼントは手渡しできるほどのものなので、サポート・スタッフも一人で十分だ。ガボンの出身で現在ニューヨークの大学で遺伝子工学を勉強しているという。二人でタクシーに2時間ほど乗りながら彼の故郷のことやニューヨーク生活の話も聞いた。そしてふと、私にはこの子くらいの息子がいたかもしれないと思い出した。正確な年齢は知らない。50代半ばの失恋。別れた女性に子どもが生まれたという話を人づてで聞いた。私の子どもではないかもしれないのだが、煩悶した日々があった。マリーにきけば探してくれるかもしれないとも思ったが、組織を私的な目的のために使うべきではないだろう。タクシーが住宅地に入るころふと窓越しに夜空を見て、ほどなく私は死ぬだろう、私は私の罪をこの世に残していくのだろうと悲しい気持ちになった。
 リックの家のゲートにつき、形ばかりのサンタクロースの支度をした。開いたゲートの向こうから、父と思われる、映画スターのように立派な紳士が、ようこそサンタクロースさん、と迎えてくれた。ドニはタクシーの中で待つ手はずだったが、紳士の勘違いで一緒に家に通された。アフリカ生まれのトナカイさんは寒いのが苦手ですから、とドニは笑って付き添った。
 リックの部屋は開いていて、ソファでなごやかそうな顔をして私たちを待っていた。トナカイさんも一緒だけどいいかな、ときくと、ええ、かまいませんよ、と答えた。少年なのに上品な響きのする声だった。
 私はハッピーホリデーズと言って、ナイフの入った小箱を渡した。リックは箱からナイフを取り出した。スイス・アーミー・ナイフ。赤い外装でスイスの国旗のマークが入っている。ナイフのほかに栓抜きや鋏や鑢も畳み込まれている。私もアフリカ暮らしで使っていた。この子が使い方を問うなら、ドライバーで助かったことがあった話をしてあげよう。
 だが、リックはぼんやりとつまらなそうな表情をしていた。ドニがそのことを察して私に目配せした。しばらく間を取って「あまり、お気にめさなかったかな」ときいてみた。
 「そうでもないのです」
 「なぜ、よく切れるナイフが欲しかったか、きいてもいいかな」
 「父を殺すため」とリックはさらっと言ってのけた。まるで、食事のとき、そこの塩を取ってくださいとでも言うような感じだった。
 私はなぜかその答えに驚かなかった。そのくらいの仔細はあるだろうと思っていた。ドニも驚くふうもなく微笑んでいた。私たちはリックの次の言葉を待った。
 「実際にナイフを手にしてみると、これで父を刺すことは想像しにくいものですね」とリックは言った。
 「そういう用途に作られたナイフではないからね、がっかりさせたかな」私はきいてみた。なぜ父を殺そうと思ったのかとはきかなかった。ドニに振り向くと相変わらず微笑んでそんなことは考えてもいないようだったが、私の視線が発話を促すように思えたのか、ドニが一言言った。
 「手術(surgery)には使えますよ」
 リックは不思議そうにドニを見て、「あなたにはできるんですか」ときいた。ドニは「いえ、でも使っているのは見ていました」と答えて黙った。
 リックはドニがそこにいるのが不思議そうな目をしながら、なにか考えているようだった。
 ドニは私をちらっと見た、もう一言言いたいふうだった。私は頷いた。
 「ほかにも便利ですよ」とドニは言った。リックはその言葉がナイフのどの部分に対応するのか、ナイフを手でいじっていた。ドニは「でもまだ使えません」と言った。
 「まだ使えない? ぼくが子どもだから?」
 「子どもはワインを飲んではだめだから」ドニはそういって、ナイフのワインオープナーを手にワインの栓を抜きグラスに注ぐふりをした。そして私に向けて見えないグラスで乾杯の仕草をした。私も乾杯のまねごとをした。
 「僕に乾杯してくれるのはあと7年後ですか」とリックは笑い、「そうだ」と声を大きくした、「本当に僕に乾杯してください、トナカイさん、サンタクロースさん」
 ドニは「いいですよ」とためらいもなく言った。「でもそのとき、僕はガボンに帰国しているかもしれません」
 「ワインとこのナイフをもってアフリカに行きます。サンタクロースさんも招待します、絶対です」リックは言った。
 私たち二人はリックの家を出てタクシーに戻った。ドニはホテルまで付き添って、「お仕事、ありがとうございました」と言った。
 私は、あの約束は本当なのか、ときくことはなかった。彼らは約束を守るだろう。私が約束を守るためには、あと7年生きていなくてはならない。

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2008.12.23

クリスマスケーキ、クリスマスプディング、シュトレン

 私は昭和32年に生まれた。戦争が終わって12年後。日本(というかナイチだけだが)の独立は昭和27年だから、その5年後ということになる。「もはや戦後ではない」のが昭和31年だから、本当に戦争を知らない子どもたちさ♪として育ったことになるのだが、身近の風景には戦争の記憶が滲んでいた。米軍の文化がそれを彩っていた。ランドリーゲート♪的な。
 私の父母は米国的な文化に憧れた世代でもあるし、軽井沢生まれの父とその母、つまり私の祖母は外人の多い避暑地でハイカラさんよろしく自転車を乗り回して話題でもあったらしい。美人だったのかもしれない。ドイツ人病院で看護婦ではないのだろうが手伝いの仕事をしたことがあると聞いた。私が子どものころ、食事で牛乳とバターはしっかりとりなさい、と諭されたことがある。
 私が生まれて一歳のクリスマスか、ゼロ歳だったか、あるいは二、三歳だったか父はホールのクリスマスケーキを買ってきたらしい。いずれ私は赤ん坊でそんなものが食えるわけはなく、父母もこりごりしたようだが、その後も子どもの頃には毎年クリスマスツリーはあったしクリスマスケーキもあった。ツリーはちゃんと庭に専用の樅の木を植えていた。植木鉢は父が木造で作ったものだった。白くペンキで塗ってあった。

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イギリスは愉快だ
 私が子どものころ食べたケーキのクリームは、バタークリームだったと思う。重くてべっとりという感じだった。美味しかったかというと子ども心には美味しかったはずだが、少年期・青年期になってからバタークリームの洋菓子を好んだことはない。私は甘党ではないからなと言うと、私を知る人は苦笑するだろうけど。
 クリスマスケーキというものが、そういうものではないと知ったのは、青年になって欧米の文化を間近で知るようになってからだ。まあ、いろいろあるにはあるのだが、ほぉ、これがクリスマスケーキってやつですかというのを知るようになった。してそれはどんなものか。
 リンボウ先生の『イギリスは愉快だ (文春文庫:林望)』(参照)の「甘いクリスマス辛いクリスマス」に説明がある。先生は、クリスマスディナーを食べ、クリスマスプディングを食べ、ミンツパイを食べ、スコットランドのクリスマス菓子という大きなビスケットを食べ、そして。

 で、その次が、ハッハ、クリスマスケーキなのである! イギリスではクリスマスケーキとクリスマスプディングは全然別物で、並びに賞味するのが本当であるらしい。
 このクリスマスケーキというものは、これまた容赦なく甘いフルーツケーキの回りをホワイトマージパン(marzipan)というものですっかりくるみ、その上に雪に見立てた真っ白な粉砂糖が存分に振りかけてあるいう姿のものである。そして、そのホワイトマージパンというものは、白砂糖とアーモンドの粉を水飴のようなシロップでネットネトにこね上げたもので、ちょっと見ると求肥かなにかのように見える。そうして事実これは餅のように薄く延ばして、それを飾り下地並びに香り付けとしてケーキの回りに貼り付けるというものにほかならぬ。どうです、読んでるだけで胸がヒリヒリ焼けてくるでしょう。

 とま、アイシングに恐れをなしているのだが、当然だけど。
 『イギリス菓子のクラシックレシピから(長谷川恭子)』(参照)ではそこを省いたシンプルなレシピが掲載されているのだが、その由来が面白い。

 歴史的にみると「ウェディングケーキ」の名前がふさわしいフルーツケーキである。(中略)
 中世の頃、この手のフルーツケーキは特別の宴会のために焼くのが習慣だった。それは結婚式のパーティにも焼かれていてブライドケーキbridecakeとも呼ばれていた。また17世紀には、ドライフルーツが大量に入れられていたためかプラムケーキplum cakeとも称された。プラムplumは当時、ドライフルーツ全体を指す言葉だった。(中略)
 さて、この種のフルーツケーキがなぜクリスマスケーキとして紹介されるようになったのかは不明である。

 祝い事のケーキだっらしく、クリスマスケーキという名前が定着するのは1850年ごろらしい。
 ところで、クリスマスケーキとクリスマスプディングというのはまた別ものである。クリスマスプディングがどんなものかはリンボウ先生の先のエッセイに書かれているのだが、まあ、すごい代物。牛脂のスエットをたっぷり使う。
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イギリス菓子の
クラシックレシピから
長谷川恭子
 『イギリス菓子のクラシックレシピから(長谷川恭子)』にはこちらの解説もあって、読むと、へぇと思ったのだが歴史的にはジルーgiroutという肉のシチューから変形したものらしい。現在のクリスマスプディングにまとまるのは19世紀らしい。ノルマンジー公ウイリアムスくらいの歴史はありそうだが、現在の形状でケーキとセットになったのは、この200年くらいのことだろうか。砂糖が手軽に使えるというコモンウエルス的な歴史も関係しているらしい。
 ところで、私はクリスマスプディングは食べない。クリスマスケーキは、日本人らしくイブに食べるが普通のスポンジケーキベース。代わりというか、アドベント以降はシュトレンを食べる(参照)。ドレスデン起源のお菓子らしい。
 「ブランデーなどに浸けておいたドライフルーツを、たっぷりのバターと一緒に練りこんで焼いた長細いパンである。普通のパンと違ってかなり重くて日持ちがする。パンというよりはお菓子、ケーキとして食べられる。自宅で作るほか、クリスマス・マーケットで買う事も多い」とあるが、馴染みのパン屋さんにアドベントになると登場する。今年は明日がイブだというのに、食べ切っていない。どっしりしすぎてそう食べられるものでもないからね。

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2008.12.21

じゅーしーめーとかぼちゃ

 冬至である。というわけで、神殿にのぼりシリウスを拝む、ということは別段しない。何をするかというと、じゅーしーめーを炊いて、南瓜を煮て食う。あ、ついでにビール。


 何故、じゅーしーめー。っていうか、じゅーしーめーは、あれだ、オレンジをたっぷり絞ってジューシーに……違う。ナイチの言葉で書くと「雑炊飯」。ぞうすいめし、が、うちなーふうになって、じゅーしーめー、だろう。たぶん、きっと。
 ただし、雑炊というのとはちがって、べっちょべっちょしてない、でもないか、ぼろぼろじゅーしーというのがある。炊き込みご飯みたいのがくふぁじゅーしー。
 作り方は簡単だ。オキハムのじゅーしいの素を買ってきて炊き込めばいい。ってか、ネットをみたらAbsolutely quattro! blog”じゅーしい”(参照)に掲載されている。そんな感じ。もうちょっと手を入れたいなら、茹でた三枚肉と分葱を刻んでまぜると、ぐー。韮刻んでもあり。うちなーんちゅによっては、刻んだチューリップをまぜる人もいる。これは、ごめんね、苦手。
 翌朝はこれに汁をかけて食う。この手の汁かけご飯をなぜか、りゅうきゅう、と九州あたりでいうのではなかったか。
cover
シリウスの都
飛鳥
 で、何故、じゅーしーめー。理由がよくわからん。宗書に「冬至の朝賀享祀は、みな元日のごとし、また赤豆かゆを作る」とあるらしい。また、荊楚歳時記に「冬至の日、赤線をもって日の影をはかる。共工氏の子、冬至に死にて疫鬼となり、赤を恐る。故に赤豆かゆを作り、もって疫を払う」とのこと。ともに「沖縄の年中行事(比嘉朝進)」より。
 ということだが、赤豆というのはナイチでも地方によってはそうらしい。とはいえディアスポラの信州人である私は、冬至赤豆の文化は知らない。代わりに、かぼちゃを食わされた。
 懐かしく思うのだが、縁側の脇に冬至を待って干されているかぼちゃがあったものだった。冬至になると食わされた。これが旨くないのだ。干して水気を抜くとそれなりにでもあるのだが、昔のかぼちゃって旨くなかったなと思う。いつからかぼちゃが旨くなったんだろう、というか、今出回っている、今晩も食ったあれは、本当にかぼちゃなのだろうか。
 冬至にかぼちゃを食う地方は多い。何故かぼちゃ? 吉野裕子がなんか書いていそうなのだが、ちょっとわからなかった。ネットを見ると、”冬至と南瓜”(参照)に。

冬至は「一陽来復」の日。
 陽の気の兆しがようやく見え始めた冬至の日に、

  南方(陽の方向)から渡来した野菜 (名前なんかずばり「南瓜」)
  夏(陽の季節)の野菜
  赤(陽の色)味がかった色の野菜

 である南瓜は、「陽の気を助長する最高の呪物」と考えられたのでは無いかと言うものです。
 これは、日本の風習を陰陽五行思想の観点から研究した吉野裕子さんの説。


 とある。どの本だろう?
 ただ、これ、さっきの荊楚歳時記の「共工氏の子、冬至に死にて疫鬼となり、赤を恐る」ではないかな。つまり、昔の南瓜って、赤かったんじゃないか。どうなんだろ。
 そういえば、こんにゃくも食わされた。体のなかを掃除するのだと昔聞いた。「冬至、 こんにゃく煤払い」だったか。そんだけの理由だろうか。
 よくわからないが、まあ、じゅーしー食って、かぼちゃ食って、ビール飲んで、まあ、それでいいやっと。

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2008.12.20

慌てろ これは日銀孔明の罠だ

 なるほどね。そうだったのか。「極東ブログ: [書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)」(参照)で日銀金融政策決定会合について「それなりの結果は出てくるだろう。たぶん、0.25%じゃなくて0.2%下げみたいな愉快なオマケもつくだろうけど」と書いたものの、どのあたりが愉快なオマケかなと。0.1%のしょぼさなんだろうなとは思った。
 ロイター”無担保コール翌日物金利誘導目標を0.1%に引き下げ=日銀金融政策決定会合”(参照)より。


日銀は18、19日に金融政策決定会合を開き、政策金利である無担保コール翌日物金利の誘導目標を0.2%ポイント引き下げ、0.1%前後で推移するよう促すことを決めた。賛成は7人、反対は1人で、反対は野田忠男審議委員だった。

 庶民にしてみると、金利差で0%と0.1%ではあまり意味ないしね、苦笑と思っていたのだが、こ、これが孔明の罠か。韓リフ先生”事前シナリオ通りか?―日本銀行の0.2%利下げ”(参照)より。

 なぜならば高橋洋一さんの『この金融政策が日本を救う』の中にも記述がありますように、この0.1%というのは日本銀行の「罠」といえるものです。なぜならこれではまだ超過準備に付利をつけるという例の手法が生きています。

 え!
 と、「この金融政策が日本を救う」(参照)を読み返すと、エピローグに、日銀がたまにする金融緩和についてこうある。まずリークが問題になるというのだが、それはそうとして。

 このとき、日銀が超過準備に金利を付けるという話もリークされました。超過準備とは、金融機関が、法律により日銀に預け入れなければならない最低金額(「法的準備預金額」あるいは「所要準備額」といいます)を越えて日銀に預け入れている準備金額のことです。
 これは、まさに日銀の罠です。これによって、見かけ上ハイパワードマネー(ベースマネー)は増えますが、金利がつくため、銀行から日銀の積み上げが増すばかりで、かえって世の中にお金が出回らなくなります。
 また、超過準備に金利をつけると、それが下限金利になってゼロ金利政策ができなくなります。それが日銀の狙いですし、市場では、日銀はもう金融緩和をしないというメッセージとして受け取られます。当然、円高に拍車がかかります。
 いずれにしても、超過準備に金利をつけることを、日本のような金利水準下で行えば、マイナスのメッセージになってしまいます。
 これは由々しき事態ではないでしょうか。

 なるほど、そうだったのか。0.1%だからたいしたことないやと思っていたが、そこが孔明の罠、と。
 ついで。

 情けないのはメディアです。協調利下げに加わらなかったことも、利下げ幅が〇・二%だったことも、超過準備に金利をつけることも、メディアでは批判の対象になっていません。

 先の引用の「市場では、日銀はもう金融緩和をしないというメッセージとして受け取られます」とも関連して、今朝の朝日新聞社説”日銀も利下げ―資金が回るよう全力で”(参照)を読んで、なんか変な感じはした。

 日銀はこれ以上金利を下げると短期金融市場の機能を低下させ逆効果だとして、慎重だった。それが、いきなりゼロ金利にせず、0.1%ながらプラスを維持した理由だろう。今後は、企業が資金を調達する金融市場へのテコ入れ策がますます重要になる。
 そこで日銀は、企業が短期の資金繰りのために発行するコマーシャルペーパー(CP)を買い入れることにも時限的に踏み切った。企業金融にかかわるCP以外の金融商品へも対象を広げる構えだ。プラス金利を維持したまま量的緩和政策に踏み出した、ともいえる。

 「プラス金利を維持したまま量的緩和政策に踏み出した、ともいえる」というのが、まさに、なんて、効果的なメッセージなんだろ。泣ける。

 日本と米国の中央銀行はともに、考えられる政策を総動員する方向へ踏み出した。当座の危機をしのぐために避けられない選択といえる。

 というあたりに、総動員は終わった感が滲む。
 同じ話だけど毎日新聞社説”日銀利下げ 大不況回避へ官民で総力を”(参照)では。

 ただ日銀は、当面ゼロ金利にはしない姿勢である。短期金融市場が事実上崩壊するなど、過去のゼロ金利で弊害を経験したためだ。金融政策を維持するうえで最低限必要な条件を守ったといえる。

 ここは笑っていいところですよね。

 一方、日銀の政策金利は、10月末の利下げで年0・3%の低水準に下がっていたことから、さらに0・2%引き下げても、それほど大きな景気刺激効果は期待できないだろう。

 というか、それが結果になる出来レースなんだろうな。
 高橋の本に戻ると。

 メディアの多くは、日銀のいうことを鵜呑みにして、金融政策をやっても意味がないと思っています。プロローグで触れたように、政策の効果が出るまでにはタイムラグがあります。ちゃんと検証すればわかることなのに、金融政策との因果関係を考えようとしないのです。
 また、現在の低金利(一〇月末の利下げで〇・三%)では利下げの余地がないという説明についても、鵜呑みにして報道しています。

cover
この金融政策が
日本経済を救う
高橋洋一
 なんか溜息が出る。私は経済学に詳しくないが、高橋洋一の言うところが正しければ、今回の「量的緩和」では効果は出ない。出なければ、与謝野・白川失政も問われない。いい話だなぁ。

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2008.12.18

[書評]この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)

 「この金融政策が日本経済を救う(高橋洋一)」(参照)という本が出ると聞き、アマゾンで予約しておいたらひょっこり届いた。カバー裏に「本書は、おそらく世界一簡単な金融政策の入門書です。数式を使わず、平易に、高校生でもわかるようにしました」とあり、確かに「簡単」というのもわからないではないのだが、高校生でこれは読めるだろうかな、名目金利や実質金利の話などは、例をあげて説明を割かないとわかりづらいのではないのかなとは思った。

cover
この金融政策が
日本経済を救う
高橋洋一
 内容的には、経済学的な面では「極東ブログ: [書評]霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」(高橋洋一)」(参照)で扱った新書とだいたい同じ、文春のほうが読みやすい感じはする。ようするにリフレ論です。
 が、今回の光文社のものは、リーマンショック以降の状況を扱っているのと、かなり露骨に与謝野・白川失政を突いているので、露骨に言うと政府や日銀にすり寄っておきたいマスコミ系にとってはけっこう踏み絵的な本になってしまった。ただ、結論から言えば、高橋の主張の流れにならざるをえないのではないか。昨日のヘリコプター・ベン全開で今朝の大手紙社説があたふたしている空気を読むと、今日明日の日銀金融政策決定会合でも、それなりの結果は出てくるだろう。たぶん、0.25%じゃなくて0.2%下げみたいな愉快なオマケもつくだろうけど。
 もうちょっというと、これで与謝野・白川失政が明らかになったという流れにはならないのではないかな、そこはなんとなくうやむやにマドル・スルーしてしまうような気がする。加えていうと、今回の本では、与謝野・白川失政についで民主党への攻撃もけっこうある。このあたりは民主党は反感を持つんじゃなくて、きちんと高橋の話を聞いたほうがよいと思うが。
 ブログで展開されるリフレの議論や、海外の動向、といってもFTやOECDくらいだがざっと見ている範囲では、高橋の経済学的な議論にはそれほど違和感はない。おそらくそのあたりのブログ経済論壇、ここに(笑)と付けるべきか悩むが、を雑見している層にはとりわけ新ネタはないだろう。しいていうと酒の入った雑談的なエピソードや「なかには円高こそ日本国の繁栄の道という本を書いているエコミストもいます。誰とはいいませんが……」というところで爆笑といった面白みはある。
 とはいえ、この本は一般的には違和感をもたれるのではないかなとは思った。率直にいうとリフレ論に違和感があるという土台の部分(これはヘリコプター・ベンがスチームローラー・ベンになって日本も金融政策もただしてしまうかもだけど)に加えて、現下の経済危機への、一般的な認識とのズレは大きいと思うからだ。たとえば、「日本経済の先行き不安の原因は、サブプライム問題ではありません」というあたりだ。もちろん、ここでいうサブプライム問題は比喩で、むしろリーマンショックとでも言うべきかもしれないが、そうした世界不況より、日本の金融政策の根幹に問題があるのだという主張の理解を促すことは難しいのではないか。個別に与謝野・白川失政としてはある程度理解されても、日銀とそれを支える伏魔殿の問題は見えてこない。ちょっと踏み出していうと、日本のある年代以上のマジョリティはこの伏魔殿のステークホルダーなのではないかなとも思う。昨今、非正規雇用者が問題になっているがこれらの利害は正規雇用者側と対立する部分もあるというのに似た構図だ。ああ、つまり、デフレメリットみたいなものは、団塊世代くらいから上の層に構造化されているんじゃないか、と。ちょっと言い過ぎたかな。
 高橋の指摘したい問題をもう少し広い視野でみると、米国の不況は4年くらいで終わると踏んでいるという前提もありそうだ。1年から2年くらいで改善が見えてしまうのではないか。というか、その時点で日本の宿痾がかなりなことになっていそうだという危機認識がありそうだ。二年後くらい私がまだブログやっていたら、現在を顧みて泣いちゃってもいいですかになっていないといいのだけど(ブログシーンにいなかったりして)。
 そういう構図は理解できるとしても、現在の日本の状況を、金融政策を第一義にするかなというのは、ちょっと私としてはぶれるところだ。経済音痴の私が言ってもしかたないが、問題は銀行や企業が保有している資産ではないかな。あまり言うとなんだけど、地銀とかかなり危ないのではないか。道路作っちゃえよ感はある。そのあたり、後の千金の事、じゃない部分の対応としては、もう少し複眼的に考えないといけないようにも思う。
 今回の高橋の本と限らないし、リフレ論者の大半に感じることだが「なんで日銀ってこんなにおバカ?」というのがある。そこが、正直に言うと私には、それほど納得できない。日銀がそれほどおバカなわけないのではないか。あるいは、なんらかの合理的な作動をしているのではないか、その合理性についての議論を知りたいと思うのだが、そこがわからない。「だからぁ、日銀に合理性なんてないんてば」と諭されそうだが、政治的に考えるとやはり利害の対立のダイナミズムはあると思うし、そのあたりの、構造的な政治権力については、高橋洋一は天才すぎて問題にしてないと思う。雑談だが、天才っていうのは、劣等感とか怨嗟でgdgdになっている人っていうのがさらりとしか見えないもんだったりする。
 その意味で、今回の本に出てくる「国際金融のトリレンマ」は逆に読むべきなんじゃないかと思った。つまり、「固定相場制」「独立した金融政策」「自由な資本移動」の3つのうち、2つしか実現できずどれかが犠牲になるという話だ。普通の国は、ここで固定相場制を犠牲にするのだが、日本は擬似的にそこを死守している。そして自由な資本移動もなぜか守りたい。だからして、独立した金融政策は国是としてダメダメってことなんじゃないのか。なんか愉快な法螺を書いてみたいだけど、だから、高橋がいくら金融政策を議論しても、無駄なんじゃないか。
 というか、「固定相場制」と「自由な資本移動」を死守したいというのは、結局ウォルフレンが言っていた新重商主義ということなのではないかな。まあ、言っていて自分がこの分野でもトンデモさんなっているようが気がしてくるが。ついでに、言い忘れ。円キャリー問題についても触れているが、高橋はそんなたいしたことはないよとのこと。このあたりの真相ってどうして根幹的にわからないのだろう。ああ、なんか陰謀論の誘惑。
 くらだないブログのエントリー話なんだけど、大学生とかこの本を読んでおくといいと思う。たぶん、みなさんの未来はここに描かれたものになっていくんじゃないかな。脅しじゃなくて、若い世代を団塊世代の資産による保護でなんとかできるという枠組みはそろそろ終わりなんじゃないかと思うので。

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2008.12.17

社会と鬱ということでなんとなく思うこと

 まだ見てないのだが今晩のクローズアップ現代のテーマは「非正社員に広がる“うつ”」(参照)らしい。このところ、なんとなく雇用と鬱のことを考えていたこともあり、なるほどそれって世の中の今の話題でもあるんだろうなと思った。クローズアップ現代の話はこういうことらしい。


世界的な景気悪化で大規模な「派遣切り」が相次ぐ中、派遣社員や契約社員など非正社員の間に「うつ」などの心の病が広がっている。「うつ」の治療には医師の診察に加えて、十分な休養が欠かせないが、非正社員の場合、解雇を恐れて休養を取れず、症状を悪化させるケースも多い。さらに仕事ができなくなった後のセーフティーネットも脆弱だ。正社員の多くは働けなくなっても「傷病手当金」を受け取ることができるが、職場を転々と変わることの多い非正社員の場合、「健康保険料1年以上継続支払い」という条件を満たせずに、日々の生活に困窮する人も少なくない。

 正規雇用の場合、鬱と診断が下されると会社もそれなりの対応を取る。取らざるをえない。実態についてはいろいろあるのだろうが、それでも非正規社員の場合とはかなり違うものだろう。という以前に、雇用が安定しないということが鬱の原因にもなるだろう。
 話を戻して、このところセリグマンの本「オプティミストはなぜ成功するか」(参照)にあったジョージ・ブラウンの話が気になっていた。たぶん原典は”Social Origins of Depression”(参照)ではないかと思うが、出版年は1978年とあり、かなり古い本のようでもある。邦訳もなかったのではないか。で、その話なのだが、彼の調査結果では、サウス・ロンドン貧困地区の400人の主婦への面接から20%が鬱状態だったとのことだ。逆にいうと80%はそうではない。鬱な人とそうでない人の差はなにかということに関連して、彼は、鬱からその人を守る三つの要因を挙げている。この1つでも満たされると鬱にはならないということでもあるようだ。それはなにか。

   1 配偶者か愛人との親密な関係
   2 外に仕事を持っていること
   3 家で面倒を見なければならない14歳以下の子どもが3人以上いないこと

 おそらく60年代のロンドンなので、現代日本には当てはまらないのかもしれないのだが、なんとなくこの三点が気になっていた。鬱というのも個人の問題というより、社会現象的な部分が大きいのだろう。
 別の面で心にひっかかっていたのは主婦の鬱状態ということだ。私の生活環境からは、主婦の鬱状態というものが見えない。自分が世間を見回した感じでもピンとこない。しかし、いないわけはないだろうと思う。そのあたりの齟齬感は何なのだろうか。また、鬱というと、なんとなく男性、あるいは未婚女性を想定してしまうのだが、実際の日本の鬱の状況というのはどうなんだろうか。
 ブラウンによる鬱予防の要因なのだが、1と2についてはなんとなくわかる。親密な性的なパートナーがあると救われるだろうな、というのと、仕事があればなんとかなるか、と。実際には仕事が原因で鬱の人も多いだろうから、そのあたりは微妙なのかもしれないし、それを言うならパートナーが鬱の原因ですよという人もいるだろう。まあ、それはそれとして。
 気になるのは、3番目の子ども三人というあたりだ。現代日本では、三人以上の子どもをもつ家庭がそもそも少ないのではないかとも思うし、二人なら大丈夫という線引きもないだろう。が、日本の場合、主婦からすれば、夫や親という存在が14歳以下の子どもと同じような負担かもしれない。つまり、自分が支えないといけない夫と親がいてそれに子どもが一人いたら、それでアウト、ということはないんだろうか。
 ブラウンはこれに加えて、鬱病への危険要因を二つあげている。

   1 夫の死、息子の移民など大切な人を失う
   2 13歳になる前に母親を亡くしている

 1の大切な人を失うというのはわかる。2もわからないではないが、13歳前に母親を亡くした主婦という像が、妙に心にひっかかる。自分の場合思い浮かぶ人がいない。いないというより、そういう経験を抱えて生きている主婦という存在をまるで知らないでいる。
 ブラウンの調査は女性が対象だが、男の子の場合とは違うのか。どういう心の問題なのか、も気になるが、女性特有のことのような印象は受ける。
 人はいずれ親を亡くすようにできているのだが、男子と女子、そしてどの年代で、どういう意味をもつのだろうか。いや、そう問われても答えなんかなさそうでもあるのだが。
 自分の経験では、30歳を越えたら親の死はなんとか受け止められるかなと思う。40歳くらいだと、つらいにはつらいがそういうものかという自然性もあるだろう。現代は晩婚だから、人は60歳くらいまでは生きるべきなんじゃないか、子どもがあればとも思う。

cover
シャドウ・ワーク
I. イリイチ
 特にまとまらない話なのだが、鬱病というとき、当然社会的な要因というのがあるし、雇用とかも大きな要因になるだろうと思うが、主婦というような、シャドウ・ワークの部分で、鬱に関連して、日本に今何が起きているのだろう、起きつつあるのだろうかと、とりとめなく思う。ちょっと踏み出していうと、「妻は鬱です」「お母さんは鬱です」という家庭は少なくはないのだろう。

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2008.12.15

フィナンシャルタイムズ曰く、日本よ、匍匐前進!

 愉快なフィナンシャルタイムズの日本提言シリーズ、その第三弾、ありゃ、四弾かな。どうでもいいけど、世界的に見て、日本は何処に進むべきや、と。”Muddling through a middling slump”(参照)が面白かった。
 まず日本低迷どんだけ、ということなんだが、大したことないよ、と。


It is a mediocre kind of recession.
(まあ、よくも悪くもないといったところか。)
Japan’s banks have not blown up, its housing sector has not collapsed, and the mood is one of glum resignation, but in its economic weakness Japan is paying the price for its reliance on growth overseas.
(日本の銀行は潰れてないし、住宅部門も崩壊していないし、気分は気の進まない諦観といったところだが、日本経済の弱みは海外の成長に依存したツケが周っているというものだ。)
There is now only one option left: Japan must boost consumption at home, or else mirror the suffering of its export markets.
(かくして今や選択肢は一つあるのみ。日本は国内消費を高めること。さもないと、輸出市場の苦難を再現することになる。)

 「mirror the suffering」のところがよくわからないが、相手国のことを考えろということか。
 いずれにせよ、世界的に見ると、日本はそう悪くもないんじゃないのということだ。が、そう言われてもな、苦笑、みたいな感じはする。そして、輸出依存だから失業問題が急速だ("output is sliding quite fast enough to bring rising unemployment")とも指摘はしている。実際そうだ。
 フィナンシャルタイムズは冒頭、国内消費でしょと結論を述べたあと、話が続かないなということか、いくつかネタを引っ張る。

The policy prescription differs little from that of other countries.
(政策的な対応はほとんど他国と変わるところはない。)
Hard as it is to advocate fiscal stimulus in Japan – a country in which politicians spent decades using deficit spending to dam any river and build roads to anywhere that voted – now is the time.
(日本の政治家は何十年も票田にダムだの道だのこさえて赤字を貯めてきたから、財政出動を提唱するのは困難だが、今やそれをやるべき時なのだ。)
In the unlikely event that Japan’s government put money in the hands of low and middle income workers, it would do much to rebalance the economy towards consumption.
(日本政府が中間所得層以下にカネをばらまくとも思えないが、それをするなら消費に向けて経済の均衡を取り戻すことができるのにな。)

 以前も言っていたけど、もうビンボ人にカネをばらまけ。それができないなら、ダムを作れ、道路を造れ、国土開発、列島開発、田名角栄再臨、っていうか、その薫陶を受けたあの政治家、カムバ~クってことか。うーむ、ノリがキモイな。
 でも、あれですよね、財政出動じゃなくて、リフレじゃね? だから、日銀じゃね? ところが。

There is little the Bank of Japan can do now.
(現下、日銀ができることはほとんどない。)
It should not be shy about a return to unconventional monetary policy, but given the poor prospects the bank could force zero per cent money on corporate bankers and then threaten them with baseball bats, but they would still struggle to lend it out.
(非常時の金融政策に戻ることにためらうべきではないのだが、日銀がゼロ金利のカネを市中銀行に押しつけて、さらには棍棒で脅しても、こうも景気が悪いと、貸し付けには困難が伴う。)
That is despite the recent rise in borrowing from Japanese banks, which reflects the closure of commercial paper markets, rather than a sudden urge to invest on the part of Japan KK.
(目下日銀からの借り出しは増加していものの、それは日本株式会社に突然投資が促進されたというより、それはコマーシャルペーパー市場からの締め出しを意味している。)

 量的緩和はやったほうがいいけど、それほど効果はないよ。需要がないんだもの、というやつですね、まいどまいどの。
 どうしましょう、善兵衛殿、あれですか、あれっすよね、日本お得意の、あれ、どかんとン兆円。

That leaves the yen, and the option of intervention to weaken it to try to boost exports.
(でもまだ円がある。輸出向上のために円安誘導というオプションがあるじゃないか。)
If the yen surges again it would be legitimate to intervene to slow the rise.
(もし再度円高になるなら、それを緩慢にするための介入は正当化されるだろう。)
Japan would also have a case if China took sustained action to weaken the renminbi.
(もし中国が人民元安を続けるなら日本もそうすることになる。)
In and of itself, however, a weak yen would add nothing to global demand, and be simply a beggar-thy-neighbour attempt to corner such demand as there is.
(それ自体としては、しかしならではあるが、弱い円が世界需要を喚起することはないわけだよ。だからして、それは単純に、近隣窮乏化政策ってやつでそこの需要を買い占めるということだ。)

 困ったときには、もっと困ったやつからふんだくれ、です。もちろん、悪い冗談というか、このフィナンシャルタイムズの英文もなかなかなもの。
 結語は冒頭と同じなので、略でもよいのだけど、よいお言葉があります。

The only option for Japan’s policymakers is to muddle through.
(日本の政治家に残された唯一の道は、なんとか切り抜けろ!だよ。)

 日本でも流行の、muddle through、ですよ。プロフェッショナル仕事の流儀ですよ。「技術者 渡辺誠一郎(2007年3月1日放送)」(参照)。

マドル・スルー(muddle through)
 シリコンバレーの流儀とも言われる、この言葉。まるで、泥の中に放り入れられたかのように、上下も左右もわからなければ、解決策も見当たらず、出口がどこにあるのかさえも見えない。その泥の中から顔を出すためには、頭で考えているだけではだめで、体を動かし、もがきながらも行動に移さなければならないと、渡辺は自身の経験を振り返って言う。起業直後に襲いかかる極めて困難な状況をマドル・スルーしながらクリアした者だけが、シリコンバレーでは生き残れる。

 泥の中をもがいて進むしかないよ、日本、匍匐前進!

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2008.12.14

漢方が疑似医療だと言われるとなぁ的な雑感

 昨日のエントリの続きというか、ごく雑談。最初にお断りしておくと、カウンターナレッジをご披露したいわけではないし、何かを熱心に訴えたいということではない。何かよくわからないけど変な感じがするよねくらいの他愛ない印象を書こうかなくらい。たかがブログだし、アルファーブロガー(笑)だし。
 「すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)で、疑似医療としてホメオパシーが批判されている。これは日本のブログなんかも見渡すとたまに同じような舌鋒で批判している文章を見かけることがある。
 え? ホメオパシーとは何か? あー、ウィキペディアにはなんて書いてあるかな、ちょっと予想する部分があるけど、と、見ると(参照)。


ホメオパシー(homeopathy)は、ホリスティック医療に分類される、代替医療の一種である。「ある症状を持つ患者に、もし健康な人間に与えたら、その症状と似た症状を起こす物質をきわめて薄くしてわずかに与える」ことによって、症状を軽減したり治したりしようとする療法のことである。たとえば、解熱を促そうとする時には、健康な人間に与えたら体温を上げるような物質を含む物質を少量患者に与える。このことによって、極めて短時間発熱が促進されるが、すぐに解熱に向かうとされている。一方、科学的根拠の欠落を指摘する識者も多い[1][2][3][4][5][6]。

 けっこうきちんとしているんじゃないかな。のっけから断定的な否定が書かれているんじゃないかと思ったけど、とりあえず[1][2][3][4][5][6]くらいなものか。ノートのほうに乱闘の跡でもあるかなと覗いたが(参照)それほどでもない。
 オモテに戻ると。

これまでにホメオパシーの有効性を立証したと主張する論文が何度か発表され、そのたびに議論になったが、いずれも対照群の設定や母集団の数、主観の入りにくい調査の実施などが不十分とされ信頼性が低いとされてきた。医学専門誌Lancetの2005年8月号に、ホメオパシーに関する臨床検討の論文110報をメタ解析した調査が報告され、これにおいてもホメオパシーの効果はプラセボと同等であると結論されている[7]。

このことを問題とする立場の者は、ホメオパシーが疑似科学であるとし、プラセボ以上の治癒効果の可能性が有る「代替医療」ではなく、そもそも全く治療効果のない「偽医療」であると主張している。


 というようにカウンターナレッジじゃないの的な部分は併記された意見として掲載されている。
 英語のほうを見ると、カウンターナレッジ云々というより、それが占める歴史的な考察の比重が重たいようだ(参照
cover
人はなぜ治るのか
 そういえばちょっと気になって、この英語の説明のなかに、アロパシー(allopathy)は出てくるかなと思ったが参考文献の標題くらいだった。それもへぇと思ったが、別項目に”Homeopathy and allopathy”(参照)があった。

Allopathy is a term coined in the early 19th century[1] by Samuel Hahnemann[2], the founder of homeopathy, as a synonym for mainstream medicine.

 それでよかったかな、ちょっとこのあたりの正確な知識は忘れたというか、資料は実家にあってちょいとはわからない。さらに見ていくと、もう一つ項目がある。”Allopathic medicine”(参照)だ。なんか項目が混乱しているようだがここにちょっと面白い話があって。

Allopathic medicine or allopathy may also refer to:

・The opposite of homeopathy, see homeopathy and allopathy.
・The opposite of complementary and alternative medicine.
・The opposite of traditional medicine, especially of Ayurveda.[7][8][9]


 3点目に、アーユルヴェーダじゃないものというのがある。たしか私の記憶では、ホメオパシーの伝統は大英帝国の名残でインドに独自の定着をしていたはずだ。っていうか、私はコルカタでホメオパシーと超能力を混ぜた治療を見たことがある。感想は特に書かない。
 で、と。先の「すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)だと、ホメオパシーもアーユルヴェーダも疑似医療ということなのだが、これにさらに漢方も含まれている。
 「漢方」という訳語がそのまま書かれている部分もあるが、一番触れているところでは「中国医学」となっている。

中国医学:伝統中国医学(TCM)の薬草療法はマッサージや鍼が、西洋医学を補完してくれるという考え方は次第に広く受け入れられつつある。だが、それを裏づける研究データはない。最新の大規模なTCMの無作為化臨床試験は、1990年に『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』に発表されたものだが、約3000件の試験のうち、盲検法によって検証されたものは15%にすぎず、サンプルサイズは小さく、効果が数字で示されている場合はほとんどなかったうえ、「大半の試験でテストされた治療法が有効だとされており、公表バイアスが一般的だったことを示唆している」。2007年までに中国製の医薬品で世界保健機関(WHO)の予算承認が得られたのは、抗マラリア生薬アルテミシニンだけだ。

 これはそうじて漢方を含むと読んでいいと思う。
 たぶん、著者は漢方と中医の違いは知らないと思うし、WHOとの関わりの意味、たとえばエッセンシャル・ドラッグのような考え方も知らないのではないかなという印象も受ける。まあ、ごく印象というか偏見かもねだけど。ついでにいうと、BMJのその公表は1990年というのはちょっと古すぎる気もしないではない。
 でも、ようするに、著者にしてみると、漢方は疑似医療だし、カウンターナレッジで、しかも、医療に関係しているだけ悪質ということになる。
 このあたり、そう言われるとなぁ感はある。特に反対もしなけいけど、「著者の意見に賛成です、漢方を世の中から撲滅しましょう」と言われたら、ちょっと引く。
 ちなみに日本では漢方薬は特に毒性などの再検査もなく、伝統的に使っていたからということで、すんなり大衆薬として認可されているはず。もっとも、コンビニとかで販売してはいけない。といいながら、あれ、ユンケルとか漢方薬なんだけどなとも思う。
 ちょっと個別のことになるけど、麻黄附子細辛湯というのがあって、この附子というのは狂言でも有名なように毒というか、トリカブトです。ほかにも桂枝加苓朮附湯とか附子を含むものがある。ウィキペディアを見ると、そのあたりの配慮があって(参照)。

漢方ではトリカブト属の塊根を附子(ぶし)と称して薬用にする。本来は、塊根の子根(しこん)を附子と言い、「親」の部分は烏頭(うず)、また、子根の付かない単体の塊根を天雄(てんゆう)と言って、それぞれ運用法が違う。強心作用、鎮痛作用がある。 毒性が強い為、修治と呼ばれる弱毒処理が行われる。炮附子は苦汁につけ込んだ後、加熱処理したもの。加工附子はオートクレーブを用いて加圧加熱処理をしたもの。危険なので素人はトリカブトを見つけても、絶対に自分で使ってみようなどと思ってはいけない。

 へぇなるほどそれなら大丈夫じゃんと思うだろうか。「毒性が強い為、修治と呼ばれる弱毒処理が行われる」というあたりをどう受け止めるか。まあ修治については附子だけの問題ではないんだけど。
 たしか、FDAでは附子配合の漢方薬の市販を禁止していたかと記憶している。ちょっと曖昧だけど。
 漢方は疑似医療なのか、そいで、その危険性ってどう科学的に考えていいのか、というのは、よくわからない問題だなと思う。
cover
漢方
日本人の誤解を解く
劉大器
 個人的には葛根湯証が出ると私は葛根湯を飲む。うーむ、だからって疑似医療の推進派だろとか非難されるとちょっとなと思う。

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2008.12.13

[書評]すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)

 先日サイプロダクションを辞めたという大槻義彦早稲田大学名誉教授が解説を書かれているので、「ムペンバ効果」は非科学的とかいう、その手のあっさりした内容の本かなとも思ったけど、「ネットに潜むカウンターナレッジ」というあたりが面白いかな、著者は宗教社会学者でもあるらしいからこの手の話の単調さはないかもしれないなと、ちょっと期待して、「すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)読んだのだけど、低く見積もった期待以上に、存外に面白かった。

cover
すすんでダマされる人たち
ネットに潜む
カウンターナレッジの危険な罠
ダミアン・トンプソン
 日本のネットやマスメディアの状況からズレた部分がそれなりに描かれていて、ああ、海外だとそうなんだよね、日本だとそのあたりあまり通じないんだけどね、と思った部分がいくつかあった。というか、偽科学とかいう文脈で読まなくても普通に面白い本ですよ。オリジナルは"Counterknowledge: How We Surrendered to Conspiracy Theories, Quack Medicine, Bogus Science and Fake History"(参照)ということで、いわゆる偽科学話より広義の陰謀論から偽歴史学などが含まれている。ネットという限定は標題からは見られないけど、内容的にはたしかにそうかなと思える。つまり、現在のネットの世界を論じるのにも有益な一冊だ。
 ダンコーガイ風紹介みたいになるけど、目次はこんな感じ。

1 知識と反知識――世界を席巻するデマ情報
2 新しい創造論とイスラム圏――進化を続けるアンチ進化論
3 『ダ・ヴィンチ・コード』と『1421』――息を吹き返した疑似歴史学
4 サプリ、デトックス、ホメオパシー――危険な代替医療の落とし穴
5 巨大デマ産業の登場――『ザ・シークレット』のインチキ起業家たち
6 デマと生きていくには――決してなくならない反知識

 釣りはこう。

◎9.11は米国政府が仕組んだ陰謀だ。
 その狙いは中東で戦争を起こすことにある。
◎エイズ・ウイルスはアフリカ人を根絶やしにするために
 CIAの研究所で開発された。
◎サプリメントをたっぷり摂取すればガンを予防できるし、
 エイズ治療薬より効果がある。
◎キリストは生き延びて結婚し子孫がメロヴィング朝を興したが
 教会はこれをひた隠しにしている。

 こんな話、どうしてみんな信じているのだろう?
 デマに引っかかるのは間抜けな人だけと思いがちだ。でも今では、きちんと教育を受けてまともな仕事に就いている人が、大学の学者が、政府の閣僚が、こういったガセネタを信じ、広めている。
 なぜか?
 インターネットの普及は、危険な「カウンターナレッジ」(=ニセ情報)の蔓延をもたらした。カウンターナレッジを信じ、数百万の国民の命を危険にさらす大統領。カウンターナレッジで数億ドルを荒稼ぎするインチキ起業家。
 我々は脅威に対抗する術(すべ)を学ばなければならない。
 イギリスで発売後、一大センセーションを巻き起こしたダミアン・トンプソンの新刊本、ついに登場。


 釣りを読んだだけでなんかお腹いっぱい感が出てしまうかもしれないけど、この釣りはうますぎ。というか日本人になんとか伝えたいという工夫が出過ぎたかな。本書の面白みは、真なる知識対カウンターナレッジということより、結果的に、欧米型知識と非欧米型知識の対立の現状がわかるところにあると思う。
 読みながら、日本でもけっこう多数の人がセプテンバーイレブンは米国の陰謀だとか言う人がいて、あるいはペンタゴンへの墜落は違うとか、ちょっと唖然としたことがあったなと思い出した。この人は経済にはかなり詳しいのにどうしてこんな陰謀論を信じてしまうのだろうと疑問に思って、さらと言ったら逆に悪意に取られてまいったこともある。それどころか私のほうが陰謀論ばっかだろとか。田中宇さんのような、この陰謀論をベタに採用する論者と同一レベルに扱ってくださる人もいた。なんかなぁ、私のほうがよほど陰謀論者みたいに思われているのか。どうしたらいいものだろかと思ったことを思い出した。最近は、仕方ないやと思うことにしているけど。私を陰謀論者だという人が、副島先生の信奉者だったりするとこれは私が手に負えるレベルではないね。
 ID(インテリジェントデザイン)論については、当然というべきか、それなりの説明が割かれている。ああ、これはよい指摘だなと思ったのは、ここだ。

 それから20年たった現在、IDは知識階級にも多くの転向者を獲得している。進化論者も認めるように、IDはもはやキリスト教根本主義のプロパガンダとしてかたづけられなくなってきたのである。その代表格が、ペンシルバニア州にあるリハイ大学の生化学者、マイケル・ベーハ、そしてアメリカの優秀な数学者、ウイリアム・デンブスキだろう。ID信者の多くは、非キリスト教徒だ。

 ID論=創造論、だから、キリスト教徒ということは全然ない。フンダメだとも言い難い。なんかそう言うだけで、お前の本心はID論だろか陰口を言われる。そして、統一教会に結びつけられる。私が統一教会をどう見ているかは過去ログを読むとわかると思うのだけど、なんかそのあたりで、ありゃ、もしかしてなんかその糾弾のほうが陰謀論臭いんですけど感が出てくる。
 で、それなりの説明がある割には(私の読み落としがあるかもしれないけど)、現下の議論、たとえばウィキペディアの”Expelled:No Intelligence Allowed”(参照)には触れていなかった。この騒動において私はどちらかの意見に加担するわけではないけど、出版時期に間に合わなかったのかもしれないが、それなりの萌芽はあったようなのだから、なにがかくも問題なのかというのの言及はあってもよかったのではないかと思った。
 本書のよい点は、ID論がイスラム世界に広がっている点をきちんと指摘していることだ。他に、"1421 the year china discovered America"(参照)に言及してこの阿呆な歴史異論が中国にけっこう広く受け容られ、あろうか胡錦濤までクチしているという状況も描いていた。さらに、「極東ブログ: [書評]嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)」(参照)で少し触れたマーティン・バナールの「黒いアテネ」についても、カウンターナレッジとして言及されている。
 このあたりの話はあまり日本では見かけないように思う。どこかしら、日本には反欧米型知識への反発の底流があり、イスラム、中国、アフリカという世界の知については、うっすらと、なんかそれって変だよなということでもそれほど反発はされない。
 私もスピリチュアル系と見られることもあるが、「ザ・シークレット(ロンダ・バーン)」(参照)は全然読んでいないし、ほとんど関心ない。というか、山川紘矢・亜希子ご夫妻の関係本は、本人に偶然お会いしたときの印象がきつくて以来、近寄るもんじゃないなと偏見をもっていたりする。「夢をかなえるゾウ」(参照)の作者水野敬也が「彼は持っている服を全部浜辺で燃やして全裸で海に浸かりながら「リボーン」と叫ぶ」(参照)人なんだ話を聞くと、へぇと思う反面、この本は読まなくてもいいかなと偏見をもったりする。でも、どっちもただの偏見かな。
 で、本書では「ザ・シークレット(ロンダ・バーン)]の作成経緯があって興味深かった。DVDが先に出来たわけで、つまりメディアミックスというか。出版社としては、売れないと話にならないものねというのはあるか。著者は「疑似学術書を堂々と上梓する大手出版社も厳しく追及すべきだろう」とはいうけど。
 本書でのカウンターナレッジの見分け方は意外に簡単だ。

 大多数の科学者が、ある実証的な主張を認めているときには、それを信じるに足る理由がある。(中略)だから、慎重な研究者が圧倒的に認めた場合、その主張はきわめて高い確率で正しいと言える。

 ということ。ただ、これが通用するのは、欧米型の世界だけという難問に世界はぶつかることになった。
 また、科学者の主張がわかりづらいこともある。たとえば、「水道水にまつわる怪しい人々―夢の浄水器が教えてくれた生命のこと(湯坐博子)」(参照)については私は私の見解を持っているけど、言うのはためらう。方向性は逆だけど、「虫歯の敵は幾万ありとても―世界の常識、水道水フッ素化が遅れたわけとその解決策」(参照)についても私は私の見解を持っているけど、言うのはためらう。
 このあたりの躊躇の感覚は他にもある。著者はこう言う。

 モルモン教はスミソニアン博物館群のひとつであるアメリカ国立自然史博物館から、主たる教義を公式に偽りと宣言された唯一の宗教である。そして、ほぼ完全なデマ情報に基づいた唯一の世界宗教でもある(ちなみに、世界中にモルモン教徒は1300万人いるが、急増中だ)。

 このあたりも、私はクチをつぐんでしまう。
 著者はこうしたカウンターナレッジへの対抗はネットゲリラが効果的だという。そうだなと思う。私もカウンターナレッジの人だと思われて攻撃を受けるのでその効果がよくわかる。わかるからこそ、舌鋒激しい人たちのグループがいたら、できるだけ黙って敬遠することにしていたいなと思うようになった。

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2008.12.12

Web2.0とモンテッソーリ教育

 昨日のエントリを書くとき脳裏にはあったのだけど、話がずっこけて書くのを忘れていたのが、Web2.0とモンテッソーリ教育ということだった。
 私は個人的にシュタイナー教育にはかなり関心をもってオイリュトミーやシュプラッハとか学んだりもしたというか、グルジェフィアンだと思っていた笠井叡先生が帰国後ほどなく開催した一般向けのオイリュトミー講座(中野テレプシコール)に参加していたくちで、あそこから後に有名な日本人オイリュトミストが出てくる。そういえば、ヨガなんかでも東京在外国人グループ向けにこそっとロドニー・イーが開いていたワークショップなんかも参加していたがあそこからも今著名なヨガ指導者が出ているみたいだ。野口体操の野口三千三本人のワークショップにも参加したな云々。時代かな。私も若かったし。ただ、私はどれにもそれほど傾倒しなかった。才能もなかった。しいていうとフェルデンクライスのいくつかのテーマは今でも考え続けているが。
 モンテッソーリ教育についてはよく知らないのだが、が、というのは、いわゆるWeb2.0あるいは最近一部で流行のWeb2.0(笑)の動向に、この反映というか成果があるんじゃないかなとなんとなく思っていた。誰か、まとめて書いているだろうか。もしそういう視点でまとめて書かれている本があったら読んでみたい気がする。五反田先生とかの守備範囲ではなさそうかな。
 真偽を確認したわけではないしホームスクールを誇張している感じもするが、よく知られているビッグネームでは、セルゲイ・ブリン(Sergey Brin)とラリー・ペイジ(Larry Page)、ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)、ジミー・ウェールズ(Jimmy Wales)がモンテッソーリ・スクール出身者である。 ブログDonald Clark Plan B”Brin, Page, Bezos and Wales?”(参照)はこれをネタにしてた。


What do the founders of Google (both of them), Amazon and Wikipedia have in common?
(グーグル、アマゾン、ウィキペディアの創立者に共通なことは、なーに?)

 彼らの共通点はなにか?、と。

Like Alexander Graham Bell, Thomas Edison, Henry Ford, Mahatma Gandhi, Sigmund Freud, Buckminster Fuller, Leo Tolstoy, Bertrand Russell, Jean Piaget and Hilary and Bill Clinton before them, they all had early Montessori schooling.
(彼ら以前に、グラハムベル、エジソン、ガンジー、フロイト、フューラー、トルストイ、ラッセル、ピアジェ、クリントン夫妻はみな初期のモンテッソーリ教育を受けた人々だ。

 モンテッソーリ教育だ、と。まあ、このリストがそうだというのはちょっとアレっぽいが。

Sergei Brin and Larry Page both attended Montessori schools. Indeed, they both credit their Montessori education for much of their success. It was the Montessori experience, they claim, that made them self-directed, allowing them to think for themselves and pursue their real interests.
(セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジの両者はモンテッソーリ校に通った。実際、彼ら二人はモンテッソーリ教育が成功要因だと確信している。彼らによれば、モンテッソーリ教育の経験は、自己主体的になること、自身を考慮すること、本当の興味を追求することだった。)

 数年前だったか、グーグルの社風をギークとか、Web2.0世代だったかな、まあ、そんなふうに話題にされたことがあったけど、私は、ああ、これって、モンテッソーリ・スクールのビジネス版じゃないかと思った。あまりそういう指摘はなかったようだったし、私自身モンテッソーリ教育がよくわからないが。
 あとレゴというのも関係しているなと思う。いや関係しているようだが、その関係の歴史がいま一つわからない。余談だが私もレゴが好きでいまでも1000ブロックくらいは持っている。
 現在ネットのリッチメディアで活用されるFlashの元になったFutureSplashを作成したジョサン・ゲイ(Jonathan Gay)もレゴな人で、”Macromedia - Showcase: History of Flash”(参照)で"Macromedia Flash began with a few bits of colored plastic.(Flashは色つきプラスチックブロックで始まった)"と言っている。プログラミングはレゴと同じだというふうな話もしている。そうなのかもしれない。
 日本では75世代というのとその目立つ成功者が取り上げられたが、目立たないところで、レゴな人々が支えているように思う。そのあたりの歴史の真相みたいのがいずれ語られるかなとも思う。

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2008.12.11

教育について

 国際学力比較について一昨日から昨日、少し話題になっていた。国際教育到達度評価学会が各国の小学4年と中学2年を対象に昨年実施した、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表され、低かったとされる03年の同調査に比べ、やや上回る結果となり、学力低下には歯止めがかかったいうことだった。しかし、他の調査では落ちているとか、学習意欲が低下しているなど、新聞などメディアでは話題になっていた。
 私はまったく関心ない。一つには、日本は国際的に高い教育水準にあるのに何が問題なのだろうかと不思議に思うくらい。今回の調査では、日本は小学4年の算数・理科は36か国中4位、中学2年は48か国中、数学5位、理科3位。そのくらいでいいのではないか。
 また私は、公教育は最低限であとは私学にすべきだし、なにより教育に国家が介入するのはやめてくれと思う人だからだ。なので文科省なんて不要だと思っている。
 で、なぜですか? どういう教育が理想的ですか、と問われた。前者については、人はできるだけ国家に関わらずに生きていくほうがよいという主義だから、くらいだが、後者については、さて理想の教育とは何だと自分は思っているのか少し考えた。率直にいうと、あまり考えたこともないな。まとまった意見もない。ただ、ちょっと雑談は書いてみたい気がした。
 思想家吉本隆明は小学生は遊んでいたらそれでよいと各諸で言っていた。私も今はどちらかというとそれに近い。最低限、読み書き算盤的なものができたらよいのではないか。さらにいうと、私は初等教育は地域の人が先生になるとよいと思っている。警察官に学ぶ、魚屋さんに学ぶ、コンビニのバイトにお姉さんに学ぶ、と。子どもはやがて地域の人になるのだから、そういう人になるという目的がはっきり見えるとよいと思う。科学教育や言語能力の向上などは、そういう生きた地域の人々がそれをどう活かしているかという応用のなかで見ていくとよいのではないか。
 中学生については、もう少し学問的な部分はあるかなとは思う。基本的には日本の場合、高校が義務教育化しているので、SATのような達成水準を大学組織で提示して、それを段階的に習得させる学習体系があればよいのではないか。
 それと中学については、公民というか、市民教育をもっと徹底させるべきかなと思う。特に、民事訴訟はどのように行うかということは一教科にしたらよい。もう一つやって欲しいのは、「お父さんお母さんの税金」という科目を作ることだ。市民がどのように公僕を養っているかという仕組みは中学生くらいでしっかり知っていてもらいたい。
 まあ、そのくらいだろうか。
 個人的には、自然の教育を増やすとよいと思う。学校に集まらないで、いろいろな地域に集団で移動したらもっとよい。というか、晴れた日は、公園に集まって授業にしたらよいのではないか。私は大学生のとき、芝生の上でなんどか講義を受けたことがあるが、よいものですよ。
 以前に書いたが、私は若いころちょっとしたきっかけで障害児の教育に関わっていた。そのとき、指導の先生が、子どもたちにはできるだけ実物を見せて、触らせてくださいとよく説いていた。モンテッソーリの影響かもしれない。ある時、先生はふと思い出したように、集まった父母を前に「みなさん、茄子の花を見たことがありますか?」ときいていた。私より10歳くらい年上の父母だから、団塊世代だろうか、それにはいと答える人はほとんどいなかったように思う。先生は、茄子の花の話を少しした。
 私は茄子の花をよく知っている。茄子を育てたことがあるからだ。キュウリもスイカも南瓜もある。トマトもある、トウモロコシもある。大豆もあるエンドウ豆もある。その花はすべて知っている。大豆の根っこを顕微鏡で観察したこともある。小学生の時のことだ。
 モンシロチョウは青虫から飼ってなんどもチョウに育てた。「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉に止まれ♪」である。尖った黄色い小さな卵を見つけて育てる。アゲハチョウも育てた。後年津島祐子の「歓びの島」(参照)の感覚には共感したものだ。蚕とはなんども一緒に眠ったことがある。
 月の満ち欠けの日記を書いていたこともある。太陽黒点の観測を続けたこともあった。試験管、フラスコ、シャーレ一式もっていた。今思うと弱いが塩素なんか発生させたりしたこともあったな。あぶねえ。
 父親にならってゲルマニウムラジオも作った。コイルはエナメル線を手で巻いた。エナメル線は蛍光灯を分解して手に入れる……。3球のラジオ、5球のラジオも作った。後者はスーパーヘテロダインだ。なんか言葉の響きが面白い。
 で、そういう自分がどうなったかというと、まあ、ブログでよくバカにされるくだらない人間になった。教育成果はなしということだ。どうも人に勧められるものでもないな。ただ個人的には、生命や宇宙というものに、ある実感をもった。この世界に、この生命と共存して生きているという。

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2008.12.05

フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せ

 先日NHKラジオ深夜便でフランスからの話を聞いていて、へえと思った。フランス人は65歳から70歳が人生で一番幸せだというのだ。年を取るとあまり幸せなことってないなと自分は思っていたので、意外でもあった。
 話は個人的な感想といったものではなく、国立統計経済研究所の発表によるものらしい。同研究所はINSEEというので、ネットでオリジナル情報を探してみたが、サイトはわかったが該当情報はわからなかった。インターネットはフランス語の情報になるとてきめん不便になるような気がするが私がフランス語ができないせいものあるだろう。
 統計は、1975年から長期にわたっての分析とのことで、特定の世代や景気の要素は排除されているらしい。つまり、フランス人にしてみると、概ね、65歳を過ぎると人生最高の幸せの時期となるとのことだ。いや、単純になぜなんだろ、うらやましいな、なにか秘訣でもあるのかとしばし思いを巡らした。
 ラジオの話では、その年代になると、夢と現実の落差が少なくなり、人生の経験と知恵を活かして幸福になるとのことだ。足を知るとも言っていた。65歳を過ぎるとようやく日々を大切に生きるようになる、ということなのだろうか。そういえば、アテネからデルフィのバスで隣にそんな感じのフランス爺さんがいて、幸せそうだったな。

<br />
cover
孤独な散歩者の夢想
 そういえばついでに、ルソーに「孤独な散歩者の夢想」(参照)も思い出した。晩年のルソーの思いが綴られているのだが、そこにある種の恍惚ともいえる幸せの描写があった。自分もそうなるだろうか。
 フランス国立統計経済研究所の話に戻ると、では他の年代はどうかというと、20代から45歳へ向けて幸福度は下降するのだそうだ。ということは、ティーンエージはそれなりに幸福度は高いのだろうか、ヴァンカは泣いているだろうか(参照)よくわからんが、そういえば、それほど幸せそうでもないティーンエージを過ごしたサガンも70歳まで生きたな。ふと彼女が「愛と同じくらい孤独」(参照)を書いたのはそう晩年でもないと思い出し、さらに「私自身のための優しい回想」(参照)を読み忘れていたことを思い出す。
 フランス人にとって人生のズンドコ期は、40代らしい。ラジオの話では、子どもとか大変ですしねとかの雑談が混じっていた。自分も顧みて40代は大変だった。というか、このブログ始めたは45歳じゃなかったかな。げげげ。
 フランス人の40代は一番収入は高いらしい。しかし、幸せでもない。幸せと収入が一番乖離している時期らしい。幸福感は収入とは比例しない。という40代かあという思いになぜかサルコジの顔が浮かぶが、この年代あたり、おフランスな家庭は色恋の第二期かもしれないな。65歳の幸せというと老夫婦のイメージがわくが、このあたりの中年の色恋の嵐の時期を過ぎたカップルが幸せに至るのだろうか。違うかな。
 人生のズンドコの40代が過ぎると50代に向けて、幸せ度が上がるらしい。そういえば、50歳になった私は、40代より幸せなような気がする。30代よりも幸せかもしれないなとも思う。もう死にたいくらいな20代や10代や、存在すること自体が苦だったそれ以前に比べると、ああ、俺も随分幸せって言えそうな気がする、ということは、あ、俺、今が一番幸せじゃないかな。フランス人か俺。
 そして50代から60代へ向けて幸せ度が上昇し、65歳から70歳がピークになるらしい。残念ながらその後は落ちるようだ。それはしかたないか。そういえばドゥルーズが自殺したのは70歳だったな。知り合いが、なぜか熱心にドゥルーズの奥さんの話をしていたことを思い出すが、ま、どうでもいいが。
 おフランス的な私はこれからもっと幸せになっていくのだろうか。幸せは収入とは関係なさそうだし、案外そうなるのかな。幸福な老人の私か。ふと古波蔵保好を思い出す。彼の晩年近い本に「骨の髄までうまい話」(参照)があるが、あの本で、翁はフランス人の老人が若い美人とレストランで二人で会食するのはなぜかと問うていた。私も、あれはなぜだろうとなんとなく疑問に思っていたが、なんとなくだが、40代あたりでドンパチした返却値みたいな妾さんの娘なんじゃないかなとこのごろ思うようになった。70歳くらいで20代半ばの美女と会食っていうのはそんな感じかなと。
 こればっかしは妾もその子もない私には無理無理なんだが、なんとなくファンタジーとしては、70歳になって20代半ばの美女とジビエでも食っていそうな日が来そうな気がする。予感ってやつ。っていうかこういうノーテンキな予感が持てるということは、私もおフランスな老齢幸福期に向かっているのかもしれない。あはは。

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2008.12.02

タイ空港占拠問題、雑感

 タイで起きている空港占拠問題というか、タイ国内混乱というべきか、事件の名称がよくわからないが、反政府勢力によって空港機能が麻痺している状態は日本でも連日報道された。以前、「極東ブログ: スワンナプーム空港」(参照)を書いたこともあり、その点でも事件の動向はそれなりに見ていた。
 事件としては、現状反政府団体となるPAD(民主主義のための市民同盟)による大規模デモと空港占拠だが、報道からは、「ピープルズパワー」に見えなくもない。フィナンシャルタイムズ社説”Destructive PAD”(参照)でもまずそこから切り出していた。


People's power normally elicits at least a frisson of sympathy. But the antics of the People's Alliance for Democracy - which neither represents the people nor seeks democracy - has failed to provoke anything but disdain.
(ピープルズパワーというと、わずかでも心情に迫る共感を誘うものだ。しかし、「民主主義のための市民同盟」のおふざけは、国民の代表でもなければ民主主義を求めるものでもなく、軽蔑以外のものを喚起するのに失敗した。)

 手厳しい。さらに同社説は手厳しい論調になる。

If the government of Somchai Wongsawat cannot persuade the protesters to leave, it should resort to the legal and restrained use of force, avoiding bloodshed at all costs.
(もしソムチャイ政権が反抗者に退去を説得できなければ、流血は避けるとしても、合法かつ限定的に実力行使に及ぶべきだ。)

 また、フィナンシャルタイムズ社説は、PADに対して、代議員を立て合法な政治参加を呼びかけてはいる。
 とはいえ、タイの政治をある程度知る者にとってみると、そこが微妙なところだ。その微妙さは、日本の大手紙社説のほうがよく表現されていた。が、ある意味一番そこが表現されたとして気になるのは、先月後半以降、朝日新聞社説がこの問題に言及していないことかもしれない。私の見落としだっただろうか。
 他、各紙社説ともそれなりの苦慮がある。
 日経社説”タイの混乱は国益損なう”(参照)は先のフィナンシャルタイムズの後に書かれたが、似た視点にある。

 タイの警察当局は断固とした措置を控えている。新たな流血事件が起きれば事態が悪化しかねないうえ、世論の反発を受ける可能性もあるとみているようだ。しかし「法の支配」を無視した暴挙は許されない。
 ソムチャイ政権は27日夜、閉鎖に追い込まれた2空港に非常事態を宣言した。流血を避ける配慮は当然としても、違法行為は早く終わらせるべきだ。

 産経社説”タイ空港占拠 微笑みの国らしい和解を”(参照)は、文脈からは国王の登場を望んでいるようにも読めた。

 これほど長く反政府運動が持続しているのは、それが単なる「政治の腐敗撲滅」という理由だけではない。それは、タイの伝統的な政治を取り戻そうとする一種の回帰運動でもあるからだ。
 伝統的なタイ政治は、中央の中間階層や地域の指導層が仕切ってきた。政権が独走したり、腐敗がはびこったりすると、プミポン国王が介入したり、あるいは軍部の無血クーデターが起きて、元の安定軌道に引き戻される。
 そうした権力の抑制均衡は、大規模流血事件に発展することも、国家の分裂を招くこともない。タイという国に根付く独特の民主主義を機能させてきたといえる。

 毎日社説”タイの空港占拠 民主主義と国益への配慮を”(参照)は背景説明は鋭いが、展望は描けなかったようだ。

 この騒乱の本質はタイ国内の権力闘争である。
 新興財閥のオーナーであるタクシン元首相が総選挙勝利で政権を握った01年以降、それまで経済を支配していた旧貴族ら既得権層との確執が続く。
 タクシン氏自身は06年の無血クーデターで失脚し、今は中国や中東地域で事実上の亡命生活を送っているという。だが、昨年末の総選挙では同氏派の政党が勝利し政権を奪還した。すると今度は背後に旧支配層がいるとされる市民連合が反政府運動を展開し、8月末からは3カ月も首相府を占拠し続けている。
 さらに「最後の戦い」と銘打ってデモ隊を大量動員し、国会封鎖や空港占拠に出た結果が今の姿だ。目標は、タクシン氏の義弟であるソムチャイ首相を退陣させ、タクシン派勢力をつぶすことである。


 この国には「タイ式民主主義」という概念がある。国民の崇敬を集める王室の権威と民主主義が共存し、政治危機の際には国王が動いて対立を収めてくれるという認識だ。軍事クーデターも、国王の追認がなければ正当化されない。

 私もこの毎日社説に近い感想を持っており、どうにもならないか、これはとなんとなく思っていた。
 結果的にもっとも優れた社説は読売社説”タイ空港占拠 国のイメージが低下した”(参照)だった。

 憲法裁判所の判断がカギになるのでは、との見方もある。
 昨年12月の民政移管に向けた下院選での与党「国民の力党」の選挙違反事件に絡み、党の解体を求めた最高検察庁の訴えが先月、憲法裁に受理されたからだ。
 ソムチャイ首相の前任のサマック氏が首相資格を停止されたのも憲法裁の判決だった。
 下院選違反は党ぐるみと認定する判断が出る可能性は、高いと見られている。そうなれば、党幹部は政治活動禁止処分となり、ソムチャイ政権は崩壊する。司法による事態打開のシナリオである。
 憲法裁の審議は、証人調べなどは行わずに書面だけで済ませ、年内にも結審し、判決が出るとの情報もある。

 そこはどうだろうかと私は疑問に思っていたが、この読みが当たった。CNN”タイ裁判所、最大与党に解党命令”(参照)より。

タイの憲法裁判所は2日、昨年12月に行われた総選挙の選挙違反をめぐる裁判で、最大与党「国民の力党」(PPP)の解党を指示し、ソムチャイ首相ら党幹部の公民権を5年停止した。

判事9人はPPPが票の買収を行っていたとして、同党の解散を命令することを全会一致で決めた。これでソムチャイ政権は崩壊し、内閣は総辞職に追い込まれた。ソムチャイ首相は判決を受け入れる姿勢を表明した。


 これで混乱が納まるかだが、表向き勢力がありそうに見えるPADも、タイ国民全体から支持されているわけでもなく、毎日新聞社説が述べていたように、旧支配層と見てよい。今回の裁判所の決定がそうした流れにあるとまで考えるのは行きすぎだが、国内の安定を求めるなら、旧支配層による安定もある程度国内外に是認される、となるだろうか、そこがよくわからないが、現下の世界経済の停滞は旧支配層に利するとは思える(タクシンがその逆であったから)。
 

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2008.12.01

ムンバイ襲撃事件、雑感

 気が付くと12月になっていたという感じもしないでもないが、アドベントでクリスマスツリーの飾り付けをして、以前に書いたエントリ「極東ブログ: アドベント(待降節)になった」(参照)や「極東ブログ: 私のお気に入りのクリスマスソングCD」(参照)を思い出した。そういえば、ブログを書いてなかったな。
 時代を記録するなら書き落とすわけにはいかないという事件は、ムンバイ襲撃事件(Mumbai attacks)だろう。国内の報道を見ていると、ムンバイ同時テロと呼ばれているようだが、十数カ所で展開されたからという理由はあるのだろうが、その日本語の語感は私にはいまひとつなじめない。セプテンバー・イレブン(September 11 attacks)が同時多発テロと呼ばれることと連想付けたいのだろうか。
 事件を最初に聞いたときは、私は、多発しているインド国内のテロ事件の一つくらいにしか思っていなかった。日本ではあまり報道されていないがインドではテロは多発している。今回は規模も大きいが、問題は規模ということだろうかというくらいに思った。規模でいうなら一昨年の鉄道テロのほうが大きかった。なぜ今回日本で連日話題になっているのかとニュースを聞くと邦人も巻き込まれていたらしい。亡くなったかたに哀悼したい。
 最近のニュースを見ると、テロリスト残党はなお逃走中とのことだが、概ね事件は終わったかのような印象を受ける。背景についてはまだわかっていないようだが、インドで拘留されているイスラム活動家の釈放を要求している、武装グループのメンバーはパキスタン出身ともされている、といった情報が確かなら、パキスタン側の勢力の関与は強く疑われるし、印パ問題が関連しているという見方もあるだろう。しかし、現状は両政府とも冷静に対応しているし、率直にいって、こうした政府が関与しているとは想定しがたいテロで印パ関係が直接不安定になることはないように思える。
 と、書いてから、次のニュースを見た。日経「インド同時テロ、パキスタン過激派の犯行 地元警察が断定」(参照)より。


インド西部の商都ムンバイを襲った同時テロで地元警察の首脳は30日夜、事件はパキスタンが地盤のイスラム過激派組織「ラシュカレトイバ」の犯行であることを断定したと発表した。拘束された唯一の実行犯が同組織のメンバーであることを供述したという。これを受け、インド政府は同組織の取り締まりを求めてパキスタン政府に圧力をかけるとみられ、印パ関係が悪化する可能性もある。


 ムンバイ警察の発表に対し、パキスタンのザルダリ大統領の報道官は「パキスタンの組織が関与したことを裏付ける証拠は示されていない」と反発した。

 印パ関係への影響は弱いと見るのはむずかしいか。
 私がやや意外に思ったのは、このテロは最初からムンバイ在留の外国人を狙うことが目的だったのではないかという点だ。つまり、インドのドメスティックな文脈や印パ問題の文脈というより、当初から世界に向けてテロ、それ自体をアピールする意図があったのかもしれないという点だ。とりあえず特徴的な部分はそのくらいしか思いつかない。
 しかし、セプテンバー・イレブンと同様、犯行側の明示的な声明は出ていない。アルカイダとの関連を疑うというのも、もちろん疑いとしては否定はできないが、現状ではそうした線が濃いと強く想定できるものでもない。
 あるいは、ムンバイに象徴されるインドのグローバル化への反発という線も考えられる。このスジで読むなら、イスラムだからパキスタンというより、インド内に存在する一億五千万人以上のイスラム教徒のありかたとの関連を見ないといけないことになる。これはやや無理スジか、そこまでイスラム教徒というくくりで見るよりも、特定のイスラム勢力と考えたほうがよいだろうし、であれば、この読みスジは基本的にインドのドメスティックな文脈に返ることになる。
 時期的には、米国にオバマ政権が誕生する前夜ともいえるため、その線での読みというのも可能は可能だろうが、これも読みのスジとしては弱いように思える。
 あまり報道を見ていないのだが、私が今回の事件で重視したいのは、そうした事件そのものの背景より、これがインドの内政に与える影響力のほうだ。現在インドでは、6つの州で地方選挙が行われ、来年5月までには総選挙が行われることになる。来年はインドの政治が大きく転換する年になる。
 選挙の構図で問題になるのは、まいどながら、国民会議派とBJP(インド人民党)の対立だ。現状、国民会議派が主導の与党に対して、インド人民党が最大野党となっている。が、総選挙後、この構図が崩れ、98年から04年のようにBJPが与党になる可能性が出てきている。問題は、以前のBJP政権がどちらかといえば穏健であったのに対して、目下の状況では、ヒンドゥー教団体で最大規模のRSS(民族義勇団)を取り込む形で、かなりヒンズー教的なナショナリズムの傾向を見せていることだ。
 こうした構図のなかで、今回のテロがどのような影響を持つかが、結果的にインドを見るうえでもっとも重要な視点になるように思える。が、すでに述べたように、今回の事件は、直接的にはこの構図には関与していないかにも見える。
 こうした動向は、襲撃事件がもたらす直接的な脅威の感情がほぐれたあたりで再考してもよいかと思う。

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