finalvent's Christmas Story 3
アドベントが近づく頃、この一年で自分が随分年を取ってしまった気がした。だから今年はKFFサンタクロース協会の依頼があってもお断りしようと決めていた。それを察してか、昨年は秋の内に連絡があったマリーからも今年は音沙汰がなかった。それはそれで少しさみしい気もしたし、自分がなにか間違っているような気もしていた。
12月に入ってからマリーから手書きの手紙が届いた。この子にプレゼントを渡してくれるかしらと書かれていた。プレゼントの中身はこの子の手紙に書いてあります、とも。手紙のなかには、開封されたもう一通の手紙があり、「サンタクロース様、よく切れるナイフをください、リックより」と書かれていた。よく切れるナイフとはなんだろうと疑問に思った。マリーにはどう答えてよいかわからなかったが、無理に返信しなくてもいいです、でもそのときは、このプレゼントの話もキャンセルにします、と但し書きがあった。
私は数日ぼんやりとそのことを考えていた。そして、アフリカで援助の仕事をしてたころ、ナイフでよく木を削ったり、簡単な料理を作ったことを思い出した。ナイフは便利なものだ。少年たちがそれを欲しがったことも思い出した。リックはそうしたアフリカの子どもたちとは違う。富裕な階層の子どもだ。14歳にもなるらしい。自分でナイフを買うこともできる、しかし、とそこまで考えて、マリーに電話をした。時間帯からしてその場で話ができるとは思わなかったが、すぐにつないでくれた。今年もやります、と答えた。マリーは、プレゼント用のナイフはすでに用意してありますと答えた。私の心の動きを見抜いてたということだ。
ケネディ・エアポートで私を待っていたのはドニという黒人の青年だった。今年のプレゼントは手渡しできるほどのものなので、サポート・スタッフも一人で十分だ。ガボンの出身で現在ニューヨークの大学で遺伝子工学を勉強しているという。二人でタクシーに2時間ほど乗りながら彼の故郷のことやニューヨーク生活の話も聞いた。そしてふと、私にはこの子くらいの息子がいたかもしれないと思い出した。正確な年齢は知らない。50代半ばの失恋。別れた女性に子どもが生まれたという話を人づてで聞いた。私の子どもではないかもしれないのだが、煩悶した日々があった。マリーにきけば探してくれるかもしれないとも思ったが、組織を私的な目的のために使うべきではないだろう。タクシーが住宅地に入るころふと窓越しに夜空を見て、ほどなく私は死ぬだろう、私は私の罪をこの世に残していくのだろうと悲しい気持ちになった。
リックの家のゲートにつき、形ばかりのサンタクロースの支度をした。開いたゲートの向こうから、父と思われる、映画スターのように立派な紳士が、ようこそサンタクロースさん、と迎えてくれた。ドニはタクシーの中で待つ手はずだったが、紳士の勘違いで一緒に家に通された。アフリカ生まれのトナカイさんは寒いのが苦手ですから、とドニは笑って付き添った。
リックの部屋は開いていて、ソファでなごやかそうな顔をして私たちを待っていた。トナカイさんも一緒だけどいいかな、ときくと、ええ、かまいませんよ、と答えた。少年なのに上品な響きのする声だった。
私はハッピーホリデーズと言って、ナイフの入った小箱を渡した。リックは箱からナイフを取り出した。スイス・アーミー・ナイフ。赤い外装でスイスの国旗のマークが入っている。ナイフのほかに栓抜きや鋏や鑢も畳み込まれている。私もアフリカ暮らしで使っていた。この子が使い方を問うなら、ドライバーで助かったことがあった話をしてあげよう。
だが、リックはぼんやりとつまらなそうな表情をしていた。ドニがそのことを察して私に目配せした。しばらく間を取って「あまり、お気にめさなかったかな」ときいてみた。
「そうでもないのです」
「なぜ、よく切れるナイフが欲しかったか、きいてもいいかな」
「父を殺すため」とリックはさらっと言ってのけた。まるで、食事のとき、そこの塩を取ってくださいとでも言うような感じだった。
私はなぜかその答えに驚かなかった。そのくらいの仔細はあるだろうと思っていた。ドニも驚くふうもなく微笑んでいた。私たちはリックの次の言葉を待った。
「実際にナイフを手にしてみると、これで父を刺すことは想像しにくいものですね」とリックは言った。
「そういう用途に作られたナイフではないからね、がっかりさせたかな」私はきいてみた。なぜ父を殺そうと思ったのかとはきかなかった。ドニに振り向くと相変わらず微笑んでそんなことは考えてもいないようだったが、私の視線が発話を促すように思えたのか、ドニが一言言った。
「手術(surgery)には使えますよ」
リックは不思議そうにドニを見て、「あなたにはできるんですか」ときいた。ドニは「いえ、でも使っているのは見ていました」と答えて黙った。
リックはドニがそこにいるのが不思議そうな目をしながら、なにか考えているようだった。
ドニは私をちらっと見た、もう一言言いたいふうだった。私は頷いた。
「ほかにも便利ですよ」とドニは言った。リックはその言葉がナイフのどの部分に対応するのか、ナイフを手でいじっていた。ドニは「でもまだ使えません」と言った。
「まだ使えない? ぼくが子どもだから?」
「子どもはワインを飲んではだめだから」ドニはそういって、ナイフのワインオープナーを手にワインの栓を抜きグラスに注ぐふりをした。そして私に向けて見えないグラスで乾杯の仕草をした。私も乾杯のまねごとをした。
「僕に乾杯してくれるのはあと7年後ですか」とリックは笑い、「そうだ」と声を大きくした、「本当に僕に乾杯してください、トナカイさん、サンタクロースさん」
ドニは「いいですよ」とためらいもなく言った。「でもそのとき、僕はガボンに帰国しているかもしれません」
「ワインとこのナイフをもってアフリカに行きます。サンタクロースさんも招待します、絶対です」リックは言った。
私たち二人はリックの家を出てタクシーに戻った。ドニはホテルまで付き添って、「お仕事、ありがとうございました」と言った。
私は、あの約束は本当なのか、ときくことはなかった。彼らは約束を守るだろう。私が約束を守るためには、あと7年生きていなくてはならない。
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コメント
>自分がなにか間違っているような気もしていた。
今までの人生の全てが一片の狂いもなく全て間違ってるからそーなるんだと思いますよ。その瞬間の間違いのために全てが綿密細緻に峻厳に狙い澄ましたよーに作動する的な。
ハイ、人生残念~。
投稿: 野ぐそ | 2008.12.24 07:46
2004年年末のインド洋大津波のときに、タイの専門家医師だけでは、津波の被害者のDNA鑑定の人員が足りない、と報道されましたが、その当時はむしろ、タイに何十人かのDNA鑑定の専門家が養成されてたことに驚きました。
ガボン出身のドニがニューヨークで遺伝子工学を専攻していることが今では疑問なく受け入れられます。
エクアドルのドニたちは、エクアドルの豊富な遺伝資源をいくつも発見して、エクアドルを富裕な国にしていけるのか。
タイのドニたちの未来も、ガボンのドニの未来も、エクアドルのドニたちの未来も、テクノロジーだけの問題ではないのでしょう。
投稿: タイのドニ、エクアドルのドニ | 2008.12.24 08:29
そんなこと言ってる間に、飯島愛さん(36・元タレント)がお亡くなりになられました。死亡日はそれなりに前日のことでしょうけど、なんでまた今日という日に発見・報道されますか的な。良くも悪くも今年一年を象徴する出来事ではなかったかな? と思いました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: 野ぐそ | 2008.12.24 21:23
今年もこのエントリーを読めたことを嬉しく思います。
ありがとうございました。
投稿: ニィト | 2008.12.26 13:55
ピート・ハミルのニューヨーク・スケッチブックか、
レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウものか・・・
いや、もう少しソフトですかw
投稿: アシュラ王 | 2008.12.27 18:57