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2008.11.03

仮にイスラム教徒が米国大統領になったとしてそれが問題なのかとパウエルは問うた

 米国大統領選挙はオバマが勝つだろうというか退屈な話題になった。最終局面ではありがちのネガティブキャンペーンも両陣営から続出したが、そのなかで、オバマはイスラム教徒だというのがあった。これに対して、パウエル元国務長官がオバマを擁護し、オバマを大統領候補として支持した。そのときのワシントンポスト社説”What Colin Powell Also Said”(参照)をとあるきっかけで思い出した。標題は「コリン・パウエルがこうも語った」ということ。つまり、オバマを支持することに加えて重要なもう一つのことを語ったというのだ。


NATURALLY, WHAT garnered the most attention on the day after former secretary of state Colin Powell's endorsement of Sen. Barack Obama was its political significance. But we hope that another message that Mr. Powell tucked into his endorsement isn't forgotten.
(パウエル前国務長官によるオバマ上院議員の支持の翌日、自然な成り行きなのだが、注目されたのは、その政治的な重要性だった。しかし、私たちは彼がその支持に盛り込んだもう一つのメッセージを忘れないように望む。)

 もう一つのメッセージとは何か。オバマはイスラム教徒ではないとパウエルは答え、そしてもう一つこう加えた。

"But the really right answer," Mr. Powell continued on NBC's "Meet the Press," "is, 'What if he is? Is there something wrong with being a Muslim in this country?'
(NBC「ミート・ザ・プレス」でパウエル氏はこう続けた、「しかし、正しい答えは、仮に彼がそうであるとしたら、この国においてイスラム教徒であることは何か間違っているのか?」)
The answer is no, that's not America. Is there something wrong with some 7-year-old Muslim American kid believing that he or she could be president?"
(「答えはノーだ。それが間違いだというならそれはアメリカではない。7歳のイスラム教徒の米国人の子どもが、大統領になろうと信念を持つことに何か間違いでもあるのか?」)

 キリスト教からは異端ともされるモルモン教信者が大統領になってもまったく問題どころか、イスラム教の信者が米国の大統領になってもまったく差し支えない。米国の大統領の職務を全うすることと、思想信条にはなんら関係がない。
 しかし、人は問うかもしれない。穏健なイスラム教徒ならよいが、アルカイダを支持する人が大統領になるのは問題だ、と。この問いはパウエルに課せられなかったが、その回答はそう難しくなく想定できる。パウエルならこう答えただろう、「アルカイダを支持するというのはどういう意味か?」と。そして、「アルカイダの行為にもそれなりの理由がありそれは心情的に理解できる部分がある」というくらいの支持なら、パウエルなら問題にすらしないだろう。
 ワシントンポスト社説はパウエル発言のもう一つの重要性をこう称賛する。

That's why Mr. Powell, unhindered by such calculations, deserves thanks for the lesson on tolerance.
(駆け引きなく、パウエル氏がこう言明することで、寛容について学べたということは、謝意に値する理由だ。)

 「ありがとうパウエルさん、思想信条の自由には寛容が必要だと学ぶことができた」ということだ。
 なぜそれが感謝に値するのか。憲法と国家の関わりを再認識させてくれたからだ。

This is not, by its Constitution, a Christian country, or a Judeo-Christian country, or even a God-fearing country.
(この国は、キリスト教徒の国でもユダヤ・キリスト教徒の国でもないし、まして神を恐れる国でもないのは、その憲法によってそうだからだ。)

 憲法は宗教を差別しない。当たり前のことだが、我々はそれを忘れがちだ。オバマながイスラム教徒であることがネガティブキャンペーンであると思っていた人は、その人なりの「正義」があった。しかし、その「正義」は正しくない。人は他者の正義について寛容でなくてはならない。
 2006年11月の中間選挙で民主党のキース・エリソン(Keith Ellison)氏(参照)が下院選議員選出されたとき、彼は翌年の連邦議会の就任宣誓に、従来は聖書に手を置くことが慣例となっていることに反して、イスラム教徒としてコーランを使い話題になった。ある意味で話題になることがおかしいともいえる。正式な宣誓式の規定では、議員は右手を挙げて宣誓することが重要で、そこに聖書を使うことは一切義務づけられていない。1997年にはモルモン教徒のゴードン・スミス上院議員は聖書にモルモン経を加えた。セオドア・ルーズベルトはそもそも聖書を使わなかった。
 聖書といった宗教的なシンボルは、議員らの内面の思想信条に関係するのかもしれないが、国家はまるで関知しない。国家にとって重要なのは、宣誓ということだ。
 もしかすると多くの日本人には理解されていないかもしれないが、思想信条が問われるのはこの宣誓と矛盾した場合だけだ。
 逆に言えば宣誓と矛盾しない思想信条によって人が排斥されることがあれば、憲法はそれを国家の意思として保護しなければならない。
 カルト的な宗教は人の内面や本心、本音を審判しようとする。西洋ではそのために魔女狩りも行われた。カルト的な政治集団も、お前の本音はこうだろうと糾弾を重ね地獄図を描いてきた。
 ローマ帝国はそのような愚さを知っていたから、皇帝に香を捧げ宣誓することだけが問われた。現代世界には皇帝は存在しないが、宣誓によって信条を守るという智慧は、人をカルト的な世界から守るために、憲法というものの根幹に生き残っている。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

イスラム教徒のアメリカの大統領は、憲法を遵守する穏健な人ならば、問題ないと私は思いますけれど、極左やオウムの日本の首相は拒否します。

もし、チベット仏教徒の日本の首相が出現するとして、その人が中観派の三論宗にある程度肩を持つのは仕方ないとしても、天台宗や真言宗や曹洞宗の密教系の聖職者たちに後期タントラを受け入れるように政治指導に近いことをするとか、中国といらぬ政治的対立を作り出すとしたら、日本の首相としては問題があります。

でも、国情にあまりに合わない思想風土を持つ指導者というのはどうなのかなあ。プロテスタントのフランス大統領とかポーランド大統領というのは、現実問題として、可能なのでしょうか。そういうわけにはなかなか行かないと思われます。

投稿: 思想信条の自由 | 2008.11.03 12:14

今になってみると、かつての西側の自由も、東側の不自由と比較しての「自由」であったに過ぎないと思われます。色々な価値観は、西側でも型にはめられていることが非常に多かったように思われます。

私などは、1990年代前半は、仕事のために、PATOLIS、JICST、ORBITを経由してのWPATファイル、などを利用して、アナログ回線のパソコン通信のオンラインデータベースの有料ファイルを使って情報調査をしていたのですが、その当時のオンラインデータベースは、単に情報収集「能力」を与えてくれるに過ぎなかったけれども、現在の検索エンジンのグーグルは、「自由」の獲得といってよいほど意識の変化を与えてくれています。これは、以前のオンラインデータベースの有料ファイルの使用経験を持つものしかわからないだろうと思います。

この、情報の自由、というのは、かつての西側でもずいぶんお寒いものだったと思われるので、意識の自由の拡大というのも、本当にやってくるのはこれからで、現在のグーグルでさえ陳腐化したころに、意識の自由の新たな形態が明らかになるのかとも考えます。情報技術の進歩によるコミュニケーション能力の飛躍的進歩は、自由そのものではなくとも、高次の自由の重要な契機であると思われます。

政治的自由というのも、こういう方向から考えると、何か切り口が見つかるのではないのでしょうか。このエントリーに即したコメントではないかもしれませんが。

投稿: 相対的「自由」 | 2008.11.03 16:01

心の底では「いやだな」、と思ってもやせ我慢して理念に従おうとするというのは、
僕にとってのアメリカ人の大好きなところのひとつです。
理念を持たないと国を纏められないという処世術としての側面もあるのでしょうが。

というわけで、パウエルがこういうことを言うのはとても好感が持てます。
逆に、大統領選でのネガキャン(オバマのミドルネーム連呼とか、ネットでのデマの流布とか)には、
大統領選は毎回こんなものだとはいえ失望しました。

投稿: mizzouri | 2008.11.03 16:46

 田母神幕僚長の話とリンクするのかな?と思ったら最後まで出ませんでしたね。思想信条の自由というのは、心が定義しづらいためか軽く考える人が多いのでしょうか?

 こういうときよく例に出されるディズレーリですが、ユダヤ人であるが故に心ない中傷も多かったのになんべんも首相に任命されているのですよね。ふだん「身分制度のある美しい国」を標榜するくせに国難に際してはコロッと実力主義になるイギリスに、イギリスが嫌いなわけではないですが、イラッときつつ、微苦笑します(複雑)。

 以上。失礼しました。

投稿: mori-tahyoue | 2008.11.03 17:27

>心の底では「いやだな」、と思ってもやせ我慢して理念に従おうとするというのは、

 まとも?な武士が存在していたとされる頃の幻想的日本にも同じような風潮が一部あったかと思いますけど、結局それじゃあ世の中回らないことになったから、形の上だけでも身分制度の廃止になったんでしょうね。もう150年前ですか。

 戦争を仕掛けて国威発揚したり国民の意思を纏めたりする方向性で突き進むアメリカさんは、そういう意味で日本の鎌倉時代~江戸時代初期あたりの、武士の国と大差無いような気がしますね。

 武士ほど利益や生存性に執着する集団も無いんで、そういう意味では、利益を追求する意思意欲が「強すぎるからこそ」「心の底では「いやだな」、と思ってもやせ我慢して理念に従おうとする」ことで帳尻合わせてるだけなんじゃないか? とも思いますが。

投稿: 野ぐそ | 2008.11.03 19:56

日本はキリスト教徒が首相になるのは気にしないが、イスラム教徒だと気にするかな?

投稿: K | 2008.11.03 21:07

sunネタで伊藤博文がそうだったといってみる。

投稿: 匿名希望 | 2008.11.04 17:24

これは、チャベス大統領のエントリーで入れてもよいコメントなのですけれど、ヒラリー・クリントン国務長官が日本訪問の後、インドネシアを訪問してもあまりよい反響は得られませんでした。

フィリピンまでなら力で強引にアメリカに服従させることができても、イスラム圏のインドネシアやマレーシアとの対話と和解は困難なようです。

アメリカのこれまでがこれまでだから、オバマ大統領がイスラム世界との対話と和解を希望しても、イスラム世界側がアメリカを信じられないのだと思います。

日本も、イスラム世界との関係を悪化させないためには、福田ドクトリンについては、何べんも復唱する必要があるのかもしれません。日本が、インドネシア、マレーシア、バングラディシュなどの諸国に対する覇権にはまったく関心がないことを常に表明し続けることが、イスラム世界の信用を獲得し続けるのに重要であるのかもしれません。

投稿: enneagram | 2009.02.19 13:47

>ローマ帝国はそのような愚さを知っていたから


修辞とはいえ、ローマ帝国の皇帝崇拝強制を美化するのはいかがかと思いますが。

投稿: abduluzza | 2009.08.28 11:26

一連の事件、世界の天皇ハゼ丼、愛知博覧会にダイアナ妃を迎える魂胆を六千億円想いで支払います。掛け合った娼婦坂井泉水、ダイアナ妃丼値段を会話を行うが王女様と娼婦との身分の違いを知らないずべたはダイアナ妃にわきまえのない身分ない人間だと言われたらしい、戦いが東京都23区で始まる中、暗殺を企てた下な自動車運転手、メモ帳に殺と書いた物を明け渡す後、数分後に激突してこの世を去った、実際に想いの六千億円は空想で夢経済と日本社会に存在している。宮内庁を引き入れて馬鹿騒ぎまで行う世界の天皇ハゼ丼、君らは王族だと思うのか?

投稿: 匿名 | 2010.12.19 00:30

戦後から新しい帝へ変わる天皇家相続が各地で戦われている。取るか取られるか懸命な作戦が展開している。

投稿: 匿名 | 2010.12.20 08:40

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