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2008.10.31

「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか

 このエントリを書こうか書くまいかためらっているうるに、なんとなく書かなくなりそうな感じがして、それはそれでいいかなと思うものの、まあ少し気楽に書いてみるかな。おそくらほとんどの人にとってそれほど関心のないことだろうし、そういう話題を扱うのがこのブログだしな、と。さて、結論からいうと、「我思う故に我有り」は誤訳だとは断言しづらい。また、「思う」じゃなくて「考える」だとかそいうレベルの話でもない。
 このことが気掛かりになっていたのは、先日の「極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣」(参照)で取り上げたコラムの標題"Buy American. I Am."をどう訳すかということだった。コメント欄でいろいろご示唆をいただいたけど、正直なところあまりピンと来なかった。来ない理由は、なんとなくこの英語の意味を、ちょっと変な言い方だけど、自分の英語処理脳でなんとなくわかっている部分があり、そこがどうももどかしかった。とりあえず該当エントリでは、あえてぎこちなく「アメリカ製を買え。私あり」とした。理由は、これ、「我思う故に我有り」、英語だと、"I think, therefore I am"と構文ないし語用的な関係があるのではないかと思っていたからだ。あと、もう一つ気になることがあった。それはあとで触れる予定。
 この疑問がアレと解けたように思えたのは、先日、ブログのネタにこれはいいかなとチャールズ・クラウトハマーのコラム”McCain for President”(参照)を読んで物思いにふけっていたときのことだ。クラウトハマーのコラムのネタ性は標題を見ればわかるように、「おいらはマケイン支持」ということで、この期に及んで何をフカすのかだが、まあ、内容を読むとわかるがたいしたことはない。クラウトハマーですらオバマを決定的に下すことはできないのかと落胆したのだが、その冒頭がこうだ。


Contrarian that I am, I'm voting for John McCain.

 しいて訳すと、「天の邪鬼、それが私だ、私はマケインに1票を投じる」ということか。「逆張り男、それはオイラさ」という感じだろうか。どうでもいいけど、私はこのユダヤ人爺さんが嫌いではないが。
 で、この"Contrarian that I am"という構文なのだが、ようするに、「なんとかなのが、それが私だ」というのに使う。
 そう、バフェットのあれ、"Buy American. I Am."もこれの一種なんじゃないかなと思った。"I buy American, that I Am."というか、「アメリカ製を買う、それが私だ」、と。
 厳密に文法的に見ると、クラウトハマーの言い方はOKだが、バフェットはくだけていてるかな。それで、この英文なのだが、こういう仕組みがあるはず。クラウトハマーだと。

   Contrarian that I am
       ↑
   I am that
       ↑
      that is Contrarian

 バフェットでは。

   Buy American. I Am.
       ↑
   I buy American, that I Am.
       ↑
   I am that
       ↑
      that is that I buy American

 厳密には文法議論というわけではないけど、欧米語のCopulaというのは、" A verb, such as a form of be or seem, that identifies the predicate of a sentence with the subject. Also called linking verb."つまり、the subjectに対してpredicateということになっている。
 ちょっと飛躍になるのだけど、欧米哲学の存在論、たとえばハイデガーの「存在と時間」の冒頭にソクラテスの「オン」の議論が出てくるが、あれは、オン=存在というより、Copulaとして、存在=the subjectが、predicateとして開示されるということ、つまり、存在論とは、本質がどのように開示されるかという議論、ではないのか。まあ、私はそう考えているのだけど。
 ついでに言うと、デリダの差延というのも、存在論が問われるとき、the subjectに対してpredicateが開示されるのだが、その問われ方と開示が、ズレたものとして問われるから、だからそこに差延がある、ということなんだろうと自分は理解している。だからデリダが西洋の存在論の総体への根源的な批判者ということなのではないか。まあ、違っているかもしれないが。
 で、ようやく標題の「我思う故に我有り」の話題だが。これは、"cogito, ergo sum"つまり、「コギト・エルゴ・スム」とラテン語命題にされるのだが、これってデカルト自身はラテン語で言ってなくて、ヴァルガーに"Je pense, donc je suis."としか言っていない。ほいで、これの英訳が"I think, therefore I am."なのだが、この直訳は英語的には、"I am thinking therefore I am." のように思えるし、フランス語の語感でもそうではないのか。そこはよくわからないが、この命題では、thereforeが使われていて、先のクラウトハマーやバフェットの言い方とは違う。
 が、意味としては同じなのではないか。つまり。

   I am thinking therefore I am.
       ↑
   therefore I am that
       ↑
      that is that I am thinking

 あるいはもっと単純に。

   cogito, ergo sum
          ↑
         sum 'cogito'

 そう考えると、「私は思念している、だからそれが私だ」なのではないか。

cover
方法序説
谷川多佳子訳
 もうちょっとこなれた言い方をすると、「私とは、思考している状態・機能なのだ」であり、「私という存在の本質は、考えていることだ」、ということではないか。
 くどいけど、"cogito, ergo sum"は「我思う故に我有り」というように私の存在を問うているというより、「我思う故に我は思念活動で有る」というように、「私(我)」の本質を命題としているのではないか。
 つまり、デカルトは、「私は存在するのか?」ではなくて、「私とは如何なる存在か?」を考えていたのではないか。
 このスジで原典に当たって読むと、正直に言うと微妙。ああ、私のこの解釈が正解だとはすっきりとはいかない。ただ、このスジで読むとわかりやすい部分は多い。谷川多佳子訳「方法序説」(参照)では、あらゆることを懐疑してもという文脈で。

すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。

 つまり、デカルトは、「私」は「何ものか」という、the subject-predicateで、「私」という存在を問うている。
 そして。

そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する〔ワレ惟ウ、故ニワレ在リ〕」というこの真理は、……

 と訳されるのだが、ここは私の理解で次のように前後で続けるとわかりやすいはずだ。

すなわち、このようにすべてを義と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして、「私は思念している、ゆえにそれが私だ」というこの真理は、……

 谷川の訳はチョムスキーのヘンテコなデカルト解釈まできちんと参照している労作なのだが、このあたりの訳文を読んでいると、どうもすっきりとは理解していないというか、Copulaをそのまま「存在」として訳しているか、「存在」をthe subject-predicateの構図ではうまく訳出してないような印象を受ける。
 しかしそれでも、デカルトはこう敷衍する。

わたしは一つの実体であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって……

 ここでいう実体は、the subjectであり、その存在は、「本性は考えるということだけ」というpredicateの構図に納まっている。
 同部分について三宅徳嘉・小池健男訳「方法叙説」(参照)も基本的に谷川訳と同じだが、参考までに。

何でもにせものだと私がそんなふうに考えたがっているあいだにも、どうしても、私、つまりそう考えているものは、何かでなければならない、ということです。

 やはり、「私」とは何かというthe subject-predicateで「私」という存在を問うている。
 しかし、急所の訳には谷川訳同様うまく反映されていない。

そして気がついてみると、この「私は考えている、だから私は有る」という真理はいかにもしっかりしていて……

 ここも、「私は考えている、だから私とはその考えているということだ」とするほうが文脈が通じる。
 また。

私は一つの実体であり、その本質または本性はただ考えることだけであり……

 ここも谷川訳と変わらない。ようするに、私の読みスジを裏付けている。
cover
方法叙説
三宅徳嘉・小池健男訳
 あまり大それたことは言いたくないが、どうも、「我思う故に我有り」というのは微妙に誤訳であり、ゆえに、どうもデカルトの方法序説の命題、さらにはその存在論はうまく日本人に理解されてこなかったのではないだろうか。
 しかも、この「私という存在の本質は、考えていることだ」という私の理解だと、デカルトがこの命題以降にその思念を、「私」から分離し、いわば思念のエンジンそれ自体を抜き出し、最後にそれを実質的に神に流し込むような理路もすっきする。
 以前「極東ブログ: [書評]反哲学入門 (木田元)」(参照)で触れたが、コモンセンス=良識=理性と呼ばれているのは、実はこの思念のエンジンを指している。
 つまり、デカルトが方法序説で見つけたことは、「私」というのは「思考状態」を本質とする実体であり、その「思考状態」を支える「思考エンジン」がコモンセンス=良識=理性であり、それは神に由来する、ということではないのか。
 ここで先に後で触れるとした部分に移るのだが、西洋において「神」は"I am that I am"(参照)と理解されることがある。元来は旧約聖書・出エジプト記3:14「わたしは、有って有る者」(口語訳)を、過剰に哲学的に理解していったものだが、この"I am that I am"は、一見循環的に見える。

   I am that I am
       ↑
   I am that
       ↑
      that is that I am

 the subject-predicateの構図でも循環のように見える。しかし、話は逆で、諸存在が、存在論的問われるということは、その存在の本性をthe subject-predicateの構図で開示することだから、それは、差延というより、依存の関係を持つため、諸存在のほうが常に、その本質定義において循環を形成してしまう。
 とすれば、その循環の最終的な停止位置、エンドポイントは論理的に"I am that I am"とならざるをえない。"It is that it is"でもよさそうだが、神の人格性でそうなるのだろう。だが、この構図で西洋哲学史、存在論および神学を見ていくと、結局のところ、神というのは、それ自体を本性の開示として存在する存在の基底として捉えられていたことがわかるし、デカルトも結局その同じ構図のなかにいる(たぶん、ライプニッツのモナドも似た構図なのではないか)。ただ、デカルトの「功績」はそこから思考エンジン=コモンセンス=良識=理性を取り出したことにあるだろう。
 ちょっと説明が飛躍するのだけど、デカルトによる思考エンジン=コモンセンス=良識=理性は、「私」の本性開示を支えるものとして定義されているがゆえに、「私」と「思念」が分離されている。「私」から離れた思念というものが抽出されたとき、それが近代科学の基礎になったのではないだろうか。
 通説の哲学史では、あるいはフッサール的な理解というか、デリダもその部類ではないかと思うが、デカルトによる二元論が近代科学を導いたように描かれているが、これはそうではなく、「私」と「思念」が分離から「思念」の非人格性へ、そしてそれが「真理」に連結されるという構図ではないだろうか。
 だとすれば、この構図のすべてのなかに、最終的なエンドポイントとしての「神」が存在するのであり、近代科学が神学と酷似するのは必然的なのかもしれない。むしろ、「考えること」が人格性のなかにあるとし、それをPersonal Knowingに捉え直したマイケル・ポランニのほうが、西洋哲学・科学の根底を転倒させた哲学者なのではないか。


追記
 もうちょっと補足したほうがいいかな。早速にいくつかコメントをいただき、みなさんご自由にお考えになればいいのではないかと思うのだけど、ちょっと気になったのは、自分の解釈もそう見られてしかたがない面はあるのだけど、「我思う故に我有り」を単独にお考えになる人は多いかな。「方法序説」(参照)くらいは聖書と同じく書架に置いといていいくらいの古典なので、まず文脈に当たってみて、たとえば私の珍解がどう文脈に対応しているのか参照されたらいいのではないかなとはちょっと思った。同書は重訳などがネットのリソースにあるけどざっと見た感じだが、方法序説はそう高価な書籍でもないので、どうせ読むならある程度評価の定まった定訳を求められたほうがよいだろう。
 「自分の解釈もそう見られてしかたがない面」というのは、いかにも文法的に解釈したかのようだけど、"Je pense, donc je suis."を文法的に解釈したというのではなく、欧米語に特有のCopulaというものを考察したかったということだったので、なのでわざわざ、Copulaに潜む「the subjectに対してpredicate」が欧米特有の存在論思考との関係にありそうだと展開した。というか、そこがわからないとたぶんハイデガーもデリダも読めないし、ちょっと言い過ぎかなと思うけど、デカルトがきちんと読めないとハイデガーやデリダとかある意味で、逆説的であれ、その派生の思索を読んでも仕方ないのではないか、とも思う。
 話をもとに戻して、「我思う故に我有り」だが、通解のように「私は考えている、だから私は存在する」というふうにして、誤訳だとは言い難い。たぶん、現代英米人でもそう考えるし、英語のウィキペディアを見るとそれは織り込まれている(参照)。


The simple meaning of the phrase is that if someone is wondering whether or not he exists, that is in and of itself proof that he does exist (because, at the very least, there is an "I" who is doing the thinking).[2]
(この句の単純な意味はこうだ。もし誰かが自分が存在するのかしないのかと思い惑うなら、その思いの中は思いの属性が、その人が存在しているという証明になる。なぜなら、少なくとも、「私」とはその思索行為の主語だからだ。)

 英米圏でもよって通解にして悪いわけでもない。ただ、ここで「なぜなら」以下はちょっと「主語」を補って意訳したが、このあたりも英米語のCopula特有の思考はありそうだ。
 もう少し通解に近づけて"Je pense, donc je suis."を訳せば、欧米語のCopulaを考慮して、「我思う、故に我は、(思念活動として)有り」であり、「として」という本質が問われている、と私は見ている。
 そして、方法序説は、「として」として現れる「思念」が理性というエンジンに基づくということで、有ると言明されたかのような「私」より、一種の純粋理性に起点が置かれ、そこから方法が始まっている。

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2008.10.28

フィナンシャルタイムズ曰く、かくなる上はリフレしろ、日本

 もともと円キャリー産んでいたのは実質的なリフレ政策なんじゃないか。リフレ政策っていうのは国内モデル的にはなんとなくグッドだけど、グローバル化した世界においては円キャリーになるよな。ほいで、今回の世界の失態圧力のホットマネー大杉に加担していたよなみたいな思いがあって、いま一つすっきりしないし、なんだかんだ言っても、っていうか小宮隆太郎が言うように、民主主義の手順的にはいかがなものか的な部分はあるんでねーのとも思うので、ようするに書生論でしょ、与謝野先生ぇ、みたいな思いもあったのだけど、昨日付のフィナンシャルタイムズ社説”Yen is caught in carry-trade turmoil(キャリートレード騒動に巻き込まれた円通貨)”(参照)を読んでいたら、ようするに、かくなる上はリフレしろ、日本、と言っているのだね。すこしびっくらこいた。
 手間がないので、ちょっと手抜きでさらさらと書くけど、じゃあ。
 まず出だしは、フィナンシャルタイムズ爺さんは昨年から円キャリートレードはよくねえ、って言っておったという爺にありがちな、フカシ。


The steamroller has finally arrived. In February 2007, the Financial Times warned that carry trades – borrowing in a currency offering low interest and investing in high-interest currencies – might look attractive but were also extremely risky: like having a free lunch in front of a steamroller. Even a relatively small appreciation of the loaned currency might wipe out any gains from the trade, or worse.
(地ならしローラーがついにやてきた。2007年2月に、フィナンシャルタイムズは、安い金利の通貨を借りて高い金利の通貨に投資するというキャリートレードは魅力的に見えても、同時にかなり危険だと警告した。地ならしローラーの前でただ飯食いしているようなものだ。比較的小規模の借り入れ通貨の騰貴ですら取引利益を吹き飛ばすし、さらにひどいことにもなる。)

 "having a free lunch in front of a steamroller(地ならしローラーの前でランチタイム)"というのがなんだかアスキーアートの絵になりそうだが、危険極まりない、と。それが現実になっちゃったよ、と。考えようによっては円キャリ自体が博打だよな、とも。
 出だしには、円キャリとはないが、ついで指摘はある。

As interest rates look set to be slashed around the developed world and risk-appetite slumps further, carry trades – largely involving the Japanese yen – are being unwound.
(途上国で金利が刈り込まれ、リスクに賭ける意欲が減退しているかに見えるなか、大半は日本円によるものだがキャリートレードは巻き戻されている。)

 "largely"に若干、中国元の含みもあるのかもしれないが、まあ、ないでしょ。要するに、円通貨の問題だ。
 そのあと、G7もいろいろ頑張ったし、それなりに長期的には効果はあるだろうけど、もううだうだ言ってる場合じゃねーよ、と話にもってきて、後半、こうなる。

Given the current pressure on the yen, additional measures may be needed. Japan could print yen and use them to buy foreign currencies, putting a floor under the yen and preventing deflation.
(目下のところ円通貨に圧力がかかっている以上、さらなる対応が必要になるだろう。日本は、紙幣を刷れ、そして、それでもって外貨を買え。そうすることで、円通貨の底値を下げ、デフレから免れることになる。)

 うぁ、リフレそのものじゃないの。いや、筋金入りのリフレ論はもっと書生臭がするけど、それでもよくここまで社説で言うよね。っていうか、言わなければ世界でもっとも信頼される経済紙にはなれないから、たまには本気だよな。

While this would slow a correction of global imbalances, highly disruptive jumps in currencies due to speculative flows are the greater of two evils.
(それによってグローバル経済の不均衡是正が減速するとしても、騰貴による急激な円通貨高騰のほうが、悪事としてはひどいのだ。)

 続けてフィナンシャルタイムズは円買いというのはしかたない面もあるみたいな話があって、締めはこう。

In contrast, the yen’s surge does not reflect economic realities. The G7 should be bolder and attempt to slow the steamroller through concerted action.
(対比して、円通貨高騰は実体経済を反映していない。G7は協調行動を取って、大胆に、この地ならしローラーを減速させるべきなのだ。)

 ということはですね、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダの六人衆が雁首揃えて、うりゃ日銀、札刷ってドル買えや、ってことですな。あー、ユーロ買え?

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2008.10.23

バフェットのご託宣にフィナンシャルタイムズがツッコミ

 以前沖縄で暮らしているころなんとなくポンキッキの爆チュー問題を見ていた。シイタケのキャラが嫌いではなかった。好きと言っていい、照れるが。時折爆笑問題カーボーイも聞いた。太田光はいいかみさんを持ったなと羨ましくも思ったが、ありがちに文化人左傾化してきてなんだかなぁと思っていた。たまに見かけても全然面白くねーやと。ところが最近爆笑問題のニッポンの教養を見ていて、なんか太田の目が尋常なくすっかり本気。昭和な芸人のように体臭からヤニ臭が揮発していそうな感じもあり。これはちょっとすごい芸人なんじゃないかな、死ぬなよと思うようになった。というか田中がなんとなく台湾の弥勒様みたいにボケのツッコミをするようになって、こういうところに芸の年っていうものはあるなとも思った。まあ、ボケが出たらツッコまないとというわけで、「極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣」(参照)を書いたが、がというのは、投資家のご託宣なんか、若い女医さんとか嫁にもろたやる気満々の30代投資家というなら後生拝見の妙もあるが、78歳のお年で惚けと言ってはいけないがご老人何を申されるの部類だが、ちょっと結論だけいうと、インフレが起こり貨幣価値が落ちる、つまり、ぶっちゃけドルは相対的になると宣うあたり、ご老体、本気マンマンだなと思って畏れた。
 というか、マジこくとけっこうこりゃどうなんだろ、そのあたり、ボケとツッコミじゃないがボケがツッコミしないのかな、と思っていたら、フィナンシャルタイムズがツッコミ。ああ、なんかこのギャグなセンスがたまらない。”The bull of Omaha”(参照)。タイトルもぐっとくる。"The bull of Omaha"、オマハの説明は不要でしょう。で、ブル、つまり雄牛、しかも去勢されていない、ってやつで日本語でいうと、オマハのキンタマということ。いやいや、これは"bull a market"とかの洒落なんだが。


Everyone knows that when the shoeshine boy offers you investment advice, it is time to sell. So what should you do when the Sage of Omaha does the same thing? Warren Buffett announced last week that he was buying US stocks on his personal account. “Be fearful when others are greedy, and be greedy when others are fearful,” he advised, not for the first time.
(靴磨きの少年が投資のアドバイスをしたら売り時だというのは誰もが知っている。ではオマハの聖人が同じことを言ったらどうべきか? ウォーレン・バフェットは先週米国株を個人資産で買っていると公言した。「人が貪欲なときは恐る恐る行け、人が恐る恐る行くときは貪欲に行け」とね。またかよな話だが。)

 と、落語の枕みたいな出だし。そしていきなりツッコミ。

But is he right?
(だが、彼は正しいのか?)

 いやまったく、そう。あとで知ったのだけど、このバフェット・ネタ他のブログでもちょっと見かけたが、なんつうのか投資やる人って前向きっていうか、でないと投資なんかできないのか、あるいは投資をやる人でブログを書いている人なんて以下略。
 いずれにせよ、ツッコミはねーのかなとは疑問に思った。みんな、ご老体!とか思っているはずなのに。で、フィナンシャルタイムズ少年の疑問。

Long-run price/earnings data show two things: that US stocks seem cheap by historical standards, and that there is scope for them to get much cheaper.
(長期の価格収益データが示すことは2つ。米国株は歴史的に見ると安価に見えるということ、そして歴史的に見るなら、これはさらに安価になるということ。)

While Mr Buffett’s advice is sound in principle, it is not easy to put into practice.
(バフェット氏のアドバイスは原則に沿っているかのようだが、実行は簡単にはいかない。)


 ナイスなツッコミ。
 米国の株は安いけど、過去を振り返って展望すれば、さらに落ちるんじゃねーの。
 オマハ聖人は恐慌の話をしたけど、あれもね。

Without hindsight, the low might well have appeared to be just before Hallowe’en in 1929: the Dow had just had two awful days and was down almost 40 per cent from its recent peak. Being greedy when others were fearful, contrarians poured in. The market then fell another 80 per cent. A repeat performance is unlikely. It is not impossible.
(今にして思えばという視点をはずして見れば、1929年ハロウィン前には底値が出たみたいなことがあった。ダウ指数は恐怖の2日間で頂点から40%も落ちた。人が恐る恐る行くときは貪欲に行けの流儀で逆張りが入った。が、市場は80%もさらに落ちた。またその見物ということにはならないだろうが、まったくないわけでもない。)

 つうわけで、現在のワロス曲線になっている、現実ね。聖人にしてみれば些細なワロスワロスなんだろうが。結局、でも聖人は勝ちってことではないのか。

Historically, the typical stock market investor has managed to underperform the market itself, unerringly buying high and selling low. Mr Buffett’s advice is so good precisely because few people take it.
(歴史から見るなら、凡庸な投資家というのは、きちんと高いとき買って安いときに売る。これじゃ市場にはかなわないものだ。バフェット氏のアドバイスが正鵠を射ているのは、それができる人なんていねーからだよ。)

 まあ、凡庸かつ投資家としてゴミだった私の経験でもそうかな。どうでもいいけど、人間ってどうしてこうも凡庸なものなんだろうか。そう見えることで、神様は人類愛をお示しになっているのだろうか、シスター・エマニュエルのご冥福をお祈り申し上げます。
 フィナンシャルタイムズ執筆子もそのあたりのダメダメ感が滲むのは、説明がくどいからなんだよな。

Market timing is a giant game of scissors, paper, stone. If you are confident that you can stay one step ahead – as Mr Buffett is, and with good reason – then by all means outguess the market.
(市場のタイミングというは壮大なじゃんけんだ。バフェット氏のようにそれなりの理由があって前に踏み出すなら、あらゆる手段で市場の先を読め。)
The risk is that, in trying to be too clever, investors merely outwit themselves.
(そこに危険がある。賢くなろうとして投資家は単に出し抜かれるのだ。)

 じゃ、どうしろと。そのあたりは先週だったかカンゴロンゴにも有名な例があったな。ダーツのあれ。

For most people the best advice for scissors, paper, stone is to play at random, and for much the same reason the best investment advice is to invest regularly without any effort at market timing. For those who are not as smart as Mr Buffett, humility is the best approach.
(気になったら訳して読んでおくとよいよ。)

cover
臆病者のための株入門
橘 玲
 付け加えるなら、市場が騒いでいるときは、引いておくべきだ。世の中が騒いでいるなら隠遁すべきだ。時代が狂気なら、人生は隠者で過ごすべきだ、"hermitry is the best approach"、かな。

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2008.10.22

Whoa, bloggers; this won't last.

 またR.サミュエルソンのコラムの感想みたいな話。20日付け”In Good Times and Bad”(参照)が面白かった。今日出るはずの日本版のニューズウィークに翻訳が載るだろうか。世界経済の現状認識として、自分に一番しっくりくる。まあ、そりゃそうか。
 話の切り出しは、四半世紀も前のウォールストリート・ジャーナルのコラムニスト、ジェームズ・グラントを引いて、経済というのは良いときもあれば悪いときもあるみたいなこと。読みようによっては「極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣」(参照)と似たような陳腐な話なのでそこはどうでもよいのだが、以下の部分はまず勇気をもって言い切って見せているあたりがすごい。


We Americans want instant solutions to problems. We crave a world of crisp moral certitudes, but the real world is awash with murky ambiguities. So it is now. Start with the immediate question: Has enough been done? Well, enough for what?
(私たちアメリカ人は問題に即効性のある解決策を求める。私たちは確固たるモラルの確実性をもった世界を渇望するが、現実の世界はくぐもった曖昧性に満ちている。それが現状だ。先ほどの疑問から始めよう。もう十分な対応はなされたのか? そもそも何に対して十分なのか?)

 ポールソン禅師・バーナンキ僧正の栄光の禿コンビの対応でよいのか、と。後光はもう十分なのかと。

If the goal is to prevent a calamitous collapse of bank lending, the answer is probably yes.
(もしゴールが銀行取引の悲惨な崩壊を防ぐということなら、解答はたぶん、イエスだ。)

 つまり、システミック・クライシスは過ぎ去った。
 じゃ、喜ぶべきか。

Last week, the government guaranteed most interbank loans (loans among banks) and pressured nine major banks to accept $125 billion of added capital from the Treasury. Together, these steps make it easier for banks to borrow and lend. There's less need to hoard cash.
(先週、政府は、大半の銀行間ローンを保証して、9つの主要な銀行は、財務省から追加された1250億ドル資本注入の圧力を受けた。併せて、これらの処置で銀行間の貸し借りが容易になる。持ち金の必要性も減る。)。

 で? 別のゴールは何処?

But if the goal is to inoculate us against recession and more financial turmoil, the answer is no.
(しかし、ゴールが不況と経済混乱の予防だというなら、その解答は、ノーだ。)

 つまり、不況にはなるし、経済の混乱はまだ続く。
 それはそうんじゃないか。そして、経済とはそんなものだ。先は見えない。しかし、見えるものがある。何か? 

In this fluid situation, one thing is predictable: The crisis will produce a cottage industry of academics, journalists, pundits, politicians and bloggers to assess blame.
(流動化した状況にあって一つだけ予測可能なことがある。それは、この危機が、経済学者や、ジャーナリストや、専門家とか、政治家とか、そしてブロガーといった家内工業によって、誰を罰すべきかの議論を生産することだ。)

 いやはやまったく。そしてその手のバッシングにいささかウンザリしてきたところだ。

Is former Fed chairman Alan Greenspan responsible for holding interest rates too low and for not imposing tougher regulations on mortgage lending?
(グリーンスパン前FRB議長には、過剰低金利を維持し、抵当権付き住宅ローンの規制強化をしなかったことに責任を負っているのだろうか。)
Would Clinton Treasury Secretary Robert Rubin have spotted the crisis sooner?
(クリントン大統領時代のロバート・ルービン財務長官は危機を早期に指摘しえたか?)
Did Republican free-market ideologues leave greedy Wall Street types too unregulated?
(共和党の「新自由主義者」は、ウォールストリート経済を過剰に無規制にし、貪欲なままにしておいたというのだろうか?)

 まあ、あれだな。オバマが大統領に決まったようなものだから、これ以上の共和党バッシングはなりをひそめているというか、それ以前に実質共和党自身が沈没しちゃったしな。まあ、これでもバッシング大会はお通夜みたいなものだろうし、少し目先が利く人ならこれからオバマ大統領がうんこまみれになるのもわかるし。ここは、じゃ、前列からお焼香を。

Some stories are make-believe. After leaving government, Rubin landed at Citigroup as a top executive. He failed to identify toxic mortgage securities as a big problem in the bank's own portfolio. It's implausible to think he'd have done so in Washington. As recent investigative stories in the New York Times and The Post show, the Clinton administration broadly supported the financial deregulation that Democrats are now so loudly denouncing.
(こうしたお話のいくつは嘘っこだ。ルービン財務長官も政府を辞した後、シティグループのお偉いさんになり、同社のポートフォリオにとって過剰な住宅ローン保全が大問題になると認識し損ねのだ。彼なら政府内でうまくやりおおせたとは考えがたい。ニューヨークタイムズとワシントンポストが最近明らかにした話だが、目下民主党が声高に非難している経済規制緩和を、クリントン政権は支持していたのだ。)

 んだね。民主党だったらうまく行ったというのは幻想だろう。で、彦左衛門の罪は?

Greenspan is a harder case. His resistance to tougher regulation of mortgage lending is legitimately criticized, but the story of his low-interest-rate policies is more complicated.
(グリーンスパンについては難しい。彼が住宅ローン規制に抵抗したことは法的に非難されているが、その低金利政策は複雑な話なのだ。)
True, the overnight Fed funds rate dropped to 1 percent in 2003 to offset the effects of the burst tech bubble and the Sept. 11 attacks. Still, the Fed started raising rates in mid-2004. Unfortunately and surprisingly, long-term interest rates on mortgages (which are set by the market) didn't follow. That undercut the Fed and is often attributed to a surge of cheap capital from China and other Asian countries.
(実際は、1日フェデラルファンド金利を2003年に1パーセントにまで落としたのは、ハイテクバブル崩壊と9・11の影響を緩和させるためだった。しかも、FRBは2004年半ばから金利を上げ始めた。しかし不運かつ驚くべきことに、市場の住宅ローンの長期金利は、利上げに追従しなかった。FRBの施策を削いだのは、しばしば中国やその他のアジア諸国からの安価な資本の大波に帰せられる。)

 ここが難しいところだ。この問題の渦中、私は背伸びして「極東ブログ: グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)」(参照)というエントリを書いた。この問題の解決についてはその後、経済学者さんらがいろいろ説明している……が、私はよくわからない。サミュエルソンは、アジアから資金だろうとしている。
 ここでもう一つ困惑する。たぶんサミュエルソンは配慮しているのだろうが、このカネはけっこう日本から注入されたものだし、以前のコラムではいわゆる円キャリーを示唆していた。私がいま一つリフレ政策に納得しづらいのは、このあたりだ。日本で金利を下げるなりしてもそれはただ海外に流出しこうした予想外の問題を起こすのではないか。少なくとも、この歴史はそれを意味していたのではないか。まあ、経済学オンチの私なので、よくわからないし、目下の日本はそんな状況でもないが。
 サミュエルソンのコラムはそのあと、共和党政権の経済政策について仕方がないのさ的な援護したように筆を進める。私はその部分はそうだろうなと思う反面、多少違う要素も思う。真相がわかる日が来るのか、多様な真相が語れるだけなのか。

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2008.10.19

[書評]おまえが若者を語るな!(後藤和智)

 ちょっと前のことになるが「おまえが若者を語るな!(後藤和智)」(参照)がネットで少し話題になっていたので読んでみた。よくわからない本だった。賛否以前に、この書籍で何が問題なのかという部分でまったく共感できなかった。というか率直に言うとつまらなかった。ただ、このつまらさは著者の論のつまらなさというより、批判対象とされる部分のつまらなさということだ。巻末に参考書がずらっとリストされているのだが、いくつかの社会学的な分析を除けば、よくここまでつまんない本をきちんと読んで論が書けるものだなという敬服感すらあった。
 なんなんだろうこの感じはと思って、あとがきに達して少し得心した。


 多くの読者は、なぜ今更宮台真司などという、ほととんど忘れ去られた論者を批判するのか、と思われるかもしれない。

 まさにその通りで、宮台真司の90年代の議論というのは忘却していいだけのものなのではないか。と、思いながらふと思い出すことがあった。本書でも文庫本のほうで引かれているが、 藤井誠二と宮台真司による1999年の「美しき少年の理由なき自殺」(参照)だ。文庫本では「この世からきれいに消えたい。―美しき少年の理由なき自殺」(参照)となっている。
 この本についてはアマゾン読者評が詳しい。

☆☆☆☆☆ 汚れちまった悲しみに, 2002/12/1
By 生真面目な戯れ - レビューをすべて見る

 宮台真司の最も悲しい本。3つの意味において。
 1宮台真司のようになろうとし、しかし宮台自身の言説によって否定され、死に行き着いた者の死という端的な事実。
 2宮台真司自身が、自殺した者に過去のおのれを見出す瞬間。死が私であったかもしれない可能性。
 3その事実を前にして分析を積み重ねていく宮台真司の悲しさ。
 とりわけ、3の点について、宮台の分析行為そのものへの批判がでていることであろう。おそらく、死を前にすると、その死を特権化することがある意味礼儀にかなった仕方であるのだろう。しかし、宮台真司は、その死を特権化することなく、分析を積み重なる。分析すると死は特権化されなくなる(分析枠組みの応用可能性)。つまり、ある意味礼儀に反している。それゆえ、この態度を批判することも当然である。
 しかし、私としては、あえてそれをやり、読者に送り出す宮台真司の倫理を感じざるを得ない。だからこそ、悲しいのである。特権化することなく、分析し送り出すという強靱な意志、それを評価せざるを得ない。

 加えて、もう1人の著者藤井誠二の役割が極めて重要である。彼がいなければ、そもそもこの本が存在したか分からないし、また彼がいたからこそ、この本を読むことが可能になる。藤井誠二の視点を借りることにより、我々は宮台真司への感情移入したときの苦しさをさけ、この本を読み通すことが可能になるのだ。


 悪い言い方をすれば宮台の言説のエピゴーネンが、それゆえの純粋さで、その思想的帰結で自死したとき、当のイデオローグである宮台はどう受け止めたかというテーマだ。ちょっと悪い比喩でいえば、イワン・カラマーゾフとスメルジャコフの問題でもある。
 私はこの本は沖縄で捨ててきた。宮台がこの問題を自身の生きる「倫理」として受け取ったときの、その真摯さにバランスする身体性と役割としての欺瞞性のなかに、私も私自身を見たので、もうそれでいいやと思った。その後、宮台が速水と離婚し、ゆえに仮想的な言説的な「父」と「夫」を終え、二十歳も若い女性と再婚し、子をなすというプロセスは、まさにその「倫理」そのものであっただろうし、自分もそうした世俗の倫理に近いところで生きているおっさんとして、彼への関心は失った。その後、社会学者としての意見を聞くことがあるが、普通に中年の、日本っぽい学者さんというくらいな印象しかない。
cover
おまえが若者を語るな!
 もうちょっと言うと、宮台のエピゴーネンというかその思想の純化が自死にいたり、当の宮台本人がそうではなかったのは、彼が経験した洗脳体験的セミナーやその後の体験的テレクラ実践における、身体性と、東大くらいするっとこなすシュルードな知性にあっただろう。思想からはそこは抜け落ちたり再構成されるが、こういう男はそのあたりの生の基盤を持つものだ、という言い方は批判めいて聞こえるかもしれないが、男の語る思想など身体性から乖離するだけ嘘になるものだし、おっさんは嘘のなかを生きているものだ。
 ただ、その生活的な「倫理」において、「おまえが若者を語るな!」では宮台と一括されている藤原和博への私の評価はまったく異なる。いずれ書評を書こうとは思うが、「つなげる力」(参照)には日本社会を根底から変える革命性に近いものがある。
 話が「おまえが若者を語るな!」から逸れたが、自分としては宮台は終わっている。香山リカには最初から関心もない。東浩紀についてもほぼ同じ。問題意識と課題設定の方法論が自分からはまったく理解不能。どのくらい違うかという例は、「極東ブログ: 秋葉原無差別殺傷事件、雑感」(参照)が相当するかと思う。
 と、宮台真司、香山リカ、東浩紀と並べて見て、そしてこれに福田和也を加えてもいいと思うのだが、私とは、拠って立つ歴史の感覚がまるで違いすぎる。東京オリンピックの前の東京の風景というものの記憶のない人々なのだろう、あの生の歴史の感覚を持たない人々なのだろう、そしてそれは戦争というものの残存の生活空間もないのではないか、という部分で、世界というものの根本的な感触が自分とは違いすぎて、これはどうにもならない。そしてそういう私からすれば「若い」世代の人々が、若者論をおこしても、やはりどういうふうな生活感触、あるいは人間の感触として受け止めてよいのか、皆目わからない。
 このあたりの、どうしようもないズレ感は、「おまえが若者を語るな!」のなかでの藤原正彦への批判からも思った。もしかすると著者は、藤原正彦が「極東ブログ: [書評]流れる星は生きている(藤原てい)」(参照)や「極東ブログ: [書評]祖国とは国語(藤原正彦)・父への恋文(藤原咲子)」(参照)といった背景を持つことを知らないのかもしれない。藤原正彦は、藤原ていが命をかけたあの幼子として日本人は見てきたものだった。そして、てい自身もほとんど発狂に近い戦後の時代も送った。藤原正彦は、福田和也とはまったく逆に、ただあの時代の生活感覚の結果として存在しているのであって、彼の右傾化に見えるようなご意見などはそう目くじら立てるほどの議論でもない。
 梅田望夫「ウェブ進化論」も叩かれているが。

 今までの歴史を振り返ればわかるとおり、「新しい」メディアが産業のあり方を根本から変える、という議論はほとんどが期待はずれであったケースが多い。おそらく梅田の説明も、(中期的に見れば)誇大妄想である可能性が高いと思われる。

 「という議論」のスパンがわからないが、新しいメディアは産業のあり方を変えてきたというのは、単純な真実ではないだろうか。印刷は世界を変えたし、電信は世界を変えた。多く人があまり気にもしてにないが、教科書というメディアは一斉教育を生み出し、近代国家と軍政と「言語」を作り出した。むしろ梅田は新しいメディアがこの一斉教育と軍政的な近代化を打ち破る新しい力の芽を見ているし、そこが見えなければ新しい世界からこぼれていくだけのことだ。梅田望夫はあれだけ語られながら、よく読まれてはいない。
 本書、「おまえが若者を語るな!」のもっとも重要な提起は、しかしそうした90年代的「若者論」の丹念な執拗な否定よりも、以下にあるはずだ。

 下手に壮大な社会論、もしくは世代論に手を出してしまうと、議論は無意味な世代間闘争に陥ってしまうだろう。現在、決してよくない状況に陥っている人たちへの救済は、本来は科学的な実態の把握に基づいて語られるべきものであり、できるだけリスクを少なくして便益を上げる政策設計によって解決しなければならない。

 私は違うと思う。
 日本には世代は存在する。戦中世代、団塊世代、ポスト団塊世代の三つだけだが。そして、団塊世代とポスト団塊世代の間には、国家ビジョンの変更から大きな制度の変更が迫れているにも関わらず、それが実現していない、どころか逆行しつつある。そこには利害対立があり、世代間闘争は利害から必然的に発生する。
 そしてそれは科学によって調停されるものではない。科学的を標榜する社会主義がみごとに失敗したようにこれらは理想論から演繹されるものではなく、政治的なプロセスによって達成されるものだ。政治的な意志という政治の前面があり、その後、官吏たちが「便益を上げる政策設計」の詳細を作るのであって、逆ではない。
 その意味でいうなら、「おまえが若者を語るな!」で批判されている「若者論」というのは、どのような政治的な集団の利益であるが分析されるべきであり、それらの利害の対立をどのような政治プロセスに改変して直面していくべきなのが問われなくてはらないものだろう。

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2008.10.18

ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣

 ウォーレン・バフェット(参照)のありがたいご託宣がニューヨークタイムズに掲載されていた。”Buy American. I Am.”(参照)。とてもありがたいのだけど、タイトルが今一つよくわからない。「アメリカ製を買え。私あり」なのか。まあ、いいや。
 いつもみたくいちいちめんどっちい英文をたらっと引用すると、そうでなくても読まれねーブログなんで、多く人に大明神のお言葉を伝えるべく、今日はライフハックみたいに責めてみたいと思います(鬱)。
 アリガッチなわかりやすい文章の書き方みたいに結論から書くと、バフェット大明神の話は、「当面、株価の動向はわからないけど、長い目で見るならアメリカは成長するんだから、アメリカの株を買えよ、アメリカ人」ということ。大明神、個人マネーは全部アメリカの未来に突っ込んだそうだ。20年先の明るい未来に輝く瞳、78歳。
 「アメリカ」のところを「日本」に置き換えるとどっかのブログにありそうな威勢のいい話になるが、それはさておき、やっぱ、ここは心に染みるお言葉で。

Be fearful when others are greedy,

and be greedy when others are fearful.



人が貪欲なときは恐る恐る行け、

人が恐る恐る行くときは貪欲に行け。

 FXで儲かったぜと人が騒いでいるときは、びくびくとガチな債券とか買って、人がガーン損こいたぁとわめいているときに株を買え、と。
 株だけじゃない。これは人気のラーメン屋のスタンドでもあてはまりそうだ。美女を落とすときにもあてはまるという人もいる。つ、使えるぜ。
 次。

if you wait for the robins,

spring will be over.



春を告げる鳥を待とうとすれば

春は過ぎ去る。

 株式市場ずんどこの冬の時代はいつ終わるのだろうと待っていると、儲けのタイミングなんか過ぎさっちゃうものね、ということ。
 これも株だけじゃない、人生の青春にも、モテ期にもいえることだ。もっとウマーな相手がみつかるんじゃないかと思っているうちに、魔法使いになれるお年になるとか。

In short, bad news is

an investor’s best friend.



手短に言えば、悪い知らせというのが

投資家の最善の友なのだ。

 株式市場がさらにひどくなると騒いでいる状態というのは、投資家にしてみれば心開いていける友情の時間。
 アンパンマンのテーゼにも通じる。愛と勇気だけが友だちさ♪ である。ジャムおじさんだってバタ子さんだってチーズだって本当は信用できない。本当に好きなのは、バイキンマン、君だけだ、ってことだよ。

The hapless ones bought stocks

only when they felt comfort in doing so

and then proceeded to sell

when the headlines made them queasy.



救いようのない奴は心地よいときにだけ株を買う

そして、新聞の見出しでゲロ吐きそうなときに

いそいそと売り払ってしまう。

 世の中絶好調とかいうとき気分で株を買っている奴は救いようがない。株価の低迷で吐きそうなゲロ抑えて、塩漬けにせよとか。

Indeed, the policies that government will follow

in its efforts to alleviate the current crisis

will probably prove inflationary

and therefore accelerate declines

in the real value of cash accounts.



ぶっちゃけ、目下の危機の緩和に政府がやっていることは、

インフレということになる。

だから、現金の価値は加速度的に低下していく。

 おお、どっかのブログでこそっとつぶやいていたようなことも大明神がつぶやいている。大丈夫か? 大丈夫なのか。

Equities will almost certainly outperform cash

over the next decade,

probably by a substantial degree.



ガチな話だが、株の価値はむこう10年で

かなり現金を上回ることになる。

 カネを溜め込んでいる奴は向こう10年ですってんてんになるよということだ。そうかもしれない。それを国という単位で考えるとろくな絵が浮かばないので、おしまい。

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2008.10.17

「サブプライム問題に端を発する」のか?

 あらかたシステミックな金融危機は峠を越したようだ。英金融サービス機構(FSA)ターナー長官のアナウンスメント(参照)やフィナンシャルタイムズの”Panic passes but the causes remain”(参照)などからはそんな印象を受ける。そして、以前なんとなく予想していたように原油も下がってみると、株価の乱高下もありがちなマネーゲームのようにも見えるし、普通に不況になっていくということではないか。とりあえず。と、いうのはまだまだ闇があるからみたいに曖昧なことを言いたいのではなく、チャイナリスクは消えたわけでもないだろうなという思いが残る部分があるからだ。もっともことさらに騒ぎ立てるような話でもない。では今日のお題はというと。
 世界経済の沈没や米国金融問題を騒ぎ立てる話の枕詞に、「サブプライム問題に端を発する」というのがある。変な表現だなと思うのだが、サブプライム問題が要因ではなくて引き金だったとか、たまたまそこから問題が吹き出た、とかいう曖昧な思いを込めているのだろうが、曖昧なわりに、どうしてかくもこの枕詞が定着しているのか、というのにこの間変な感じがしていたいので、ちょっとこれもメモ程度の話。
 「サブプライム問題」というのもいろいろ解説されるのだが、ようするにプライムじゃない人へのクレジットの問題というふうになる。あからさまに言えば、貧乏人にカネを貸すときの信用問題で、最初から貧乏人に貸しているんだから貸し倒れすんだろ、われ、みたいな含みがある。
 が、そうなんだろうか? と気になっていたのだが、今週の日本版ニューズウィーク10・22、ダニエル・グロスのコラム”「諸悪の根源」は大誤解”が興味深かった。オリジナルは”Subprime Suspects”(参照)で無料で読める。
 話は、FF兄妹の経営もだが、CRA(Community Reinvestment Act:地域再投資法)が諸悪の根源ではないという主張だ。同法は、地域の金融機関に対して、その地域への融資を積極的に行うことを義務づけるものだ。日本でも共産党が望んでいるようだ(参照)。


アメリカの「地域再投資法(CRA)」(一九七七年)は、低所得者層などが多く住む地域への金融機関の融資差別をなくすためにつくられた法律で、地域の活性化に効果を発揮しています。

 全文六条からなり、銀行など預金を扱う金融機関に対し、低所得者や中小企業を含め、営業地域の資金需要に適切にこたえる責任があることを明らかにし、監督官庁は、CRAの評価基準にそって銀行の合併や支店の開設などの可否を判断します。


 米国で作成されたのはカーター民主党政権でクリントン時代も推進された。今後のオバマ政権でどういう扱いになるのかわからないが、ネットをざっと見ると、グロスのコラム以外にニューヨークタイムズも似たようなことを書いている(参照)ので、ありがちな政局ネタだったのかもしれない。話としては、CRAがサブプライムを産んだのだろうという右派からのバッシングに、左派が抗弁するという図のようでもある。
 グロスのコラムに戻ると、CRAが問題ではない理由が三つあげられている。三番目からがわかりやすい。いわく「貧困層やマイノリティへの融資は本質的にリスクが低い」。日本のサブプライム問題解説の多くの前提とは逆のように思える。が、実態はリスクは低いのではないか、悪い言い方だが、所詮は貧乏人である。大損こけるほど貸してもらえるわけがない。
 二番目は不動産大手の破綻の多くはサブプライムローンと関係がない。これもそのようだ。
 そして私にとってはわかりづらいのが一番目の理由だ。CRAの規制は預託銀行を対象としていたが、住宅ローン会社や投資銀行には適用されず、こいつらがローンを証券化して損を出した、ということだ。
 そのあたりは、なんとなく日本で語られるサブプライムローン問題の説明にもあるのだが、あまりすっきりしない。というのは例えば。

 6日の公聴会で、ファニーメイとフレディマックの経営危機が、リーマン破綻にどの程度影響したか聞かれて、フルドは答えた。「微々たるものだ」

 フルドはリーマンのCEOである。
 「サブプライム問題に端を発する」といってもサブプライムローンそれ自体は、証券化のネタというくらいの意味合いであって、今回の金融危機は一般的な証券化とそのレバレッジの仕組みのドジということなのではないか。
 だとすると、こういうときに「サブプライム問題に端を発する」という枕詞にどれほどの意味があるのか、って、枕詞なんだから意味はないのだよといえばそうかもだが。

追記
 この分野でご活躍中の切込隊長さんによるコメントをいただいた(ありがとう)。

 「切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog: 池田信夫氏はいったい何を言っているのだろう」(参照


 これに関連して、最終爺老師が疑問に思っている部分は「ほんとにサブプライムが引き金なんすか」という話であるが、クライシスという点では、まあ実際そのサブプライムが引き金なので間違いではない。

 とのこと。

本件記事におけるリスクが低く見えている理由は、家(不動産)を担保に入れて、焦げたら家を剥がして転売する、その転売することでデフォルトリスクの金利の一部を相殺できるほど不動産市況が上がっていた(地域もある)からで、貧乏人に対する与信自体はあまり問題にならず、貧乏人が買う家など担保物件の相場が上がり続けていたから過去のリスク評価は低く見積もれるというだけだ。

 したがって「不動産バブルが崩壊しました」といった瞬間に、不動産に依拠しない貧乏人のナマのリスクをまとめて引き受けていたのがFMだのFMcだのだったし、それらの決済や信用補完で裏書してた金融に波及して、というのは致し方のないお話。


 つまり、不動産バブルが崩壊するまではOKだったけど、不動産バブルが崩壊してしまうとそうでもないよとのこと。
 なるほどねと思う反面、ちょっと腑に落ちない感は残るというのが正直な印象。

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2008.10.16

中期的な展望というか幻想というか

 少し上がったかに見えた株価がまたがくんと下がった。ワロス曲線のように上げたり下げたりで利鞘稼ぎの人にはまたとない好機だろうが、普通の人にはちょっと近づけない相場だろう。しばらくはこんな調子で、しかしじり貧に下がって、そしてなんとなく長期不況ということになるのか。世界的な信用縮小が急激に発生しなければ、そういうことなんじゃないか。
 御手洗冨士夫日本経団連会長もこう言っていた。


御手洗会長は「米国のサブプライムローン(信用度の低い借り手向け住宅ローン)の問題に端を発して、米国の株価が下落した。それに加え、急激な円高が進行したことが要因で株価が下げた」と分析したうえで「短期的な調整で、このことが世界全体の信用を縮小させることにはならない」との見方を示した。ただ、このところ国際商品市況や新興国の株価が上昇していたことを挙げ「これをきっかけに調整に入り、この調整はしばらく続く。従って、注意深い対応が必要だ」と述べた。

 サブプライム問題が米景気失速につながる懸念については「米景気は底堅い。サブプライム問題が米国の金融業界や景気に長期的なダメージを与えるとは思わないし、ファンダメンタルズを壊すとは思わない」と述べた。


 おっとぉ、7月27日の記事だった(参照)。
 しかし、案外そう大局観が違っているわけでもないのかもしれない。
 10月16日ではどうか。7月末の時点ですらなんも見えなかったが、この先もまるで見えない。それでもなんとなくこんな感じかなという線はある。14日付けのフィナンシャルタイムズ社説”Stimulating Asia”(参照)が参考になるのではないか。アジアについて触れたものだが。
 結論を先にいうと日本についてあまり触れてないが、こんな感じ。

China’s stock market bubble and Japan’s miniature real estate boom have both imploded with little effect on their domestic financial systems so far, but neither can escape the effects of the international crisis on their trade.
(中国の株式市場バブルと日本の不動産ミニブームは両方とも破裂したが、彼らの国内経済システムにはそれ以上大きな影響を与えなかった。にも関わらず、どちらも貿易面では国際危機の影響を逃れるべくはない。)

 日本については概ね問題なしということ。中国の不動産バブルも気になるが、しいていうと中国同様、これからは外需牽引では成長できないというのはガチだろう。

There is debate about how much of China’s growth relies on net exports, but little doubt that, for the region as a whole, the expansion of the US trade deficit towards $1,000bn a year has been an important source of demand. It has now gone into reverse.
(中国の成長が外需の純輸出高に依存している度合いについては諸議論があるが、この地域全体として見れば、1兆ドルに迫る年間対米貿易赤字拡大が重要な需要の源泉であったことに疑念はほとんどない。状況は終焉し逆転した。)

 世界経済構造としては日本もひっくるめての中国という含みがありそうだが、今後はそうした外需頼みは無理だから、内需を考えろということ。そりゃそうだくらいか。
 いや、中国が内需の構造を見つければ日本はまたそっちの汁を吸うということか。このあたりは微妙に中日友好ってことになるのか。
 日中にアジアとしてひっくるめられているのは、台湾とシンガポールも同じ。
 そうではないのは、韓国とインドネシア。

Many Asian countries had some kind of domestic financial bubble but few are vulnerable to the crisis itself. South Korea, which had a domestic debt boom, and Indonesia, where leveraged investors were playing the stock market, are two exceptions.
(多くのアジア諸国がある程度国内経済バブルに浴していたが、危機に弱い例外が、国内借金ブームだった韓国と、株式市場でレバレッジ投資しまくったインドネシアだ。)
In both cases there is some risk of flight by foreign investors, but unlike in their 1997 crises South Korea and Indonesia have the foreign exchange reserves to fight back. Policymakers must show that they know how to use them and ensure that no solvent institution fails because it cannot borrow dollars.
(どちらの事例も外国資本のキャピタルフライトのリスクがあるが、1997年危機とは異なり両国には対応できるだけの外貨準備がある。為政者は、その使い方を知っていることや、ドル借入れ不能で返済できなくなる機関がないことを明示する必要がある。)

 韓国とインドネシアには危機の懸念はあるにせよ、それほど重篤なことにはならないだろうということだ。
 言い方を変えると、ダラダラと衰退していくということではないかな。
 オイルマネーとはどうかというと、対中国への示唆だが。

With oil prices also falling, to depend on Middle Eastern or Russian markets would be false hope, as would be to wait for the US and Europe to stimulate consumption and suck up exports.
(石油価格の降下が進行しているのだから、中東やロシア市場に依存することは、米国や欧州が消費刺激をし、輸出から吸い上げようとするのを待つの同じくらい、期待の方向が間違っている。)

 石油が下がるから、オイルマネーも大したことないよというのは、そうかもしれない。
 世界の風景は、けっこう変わる。索漠としてくるかな。あるいは、フィナンシャルタイムズの夢のように、中国で消費経済が活性化するとか。真っ赤だなぁ真っ赤だぁ沈む夕陽に照らされて♪みたいな夢とか。

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2008.10.15

ポール・クルーグマン、ノーベル財団による経済学賞受賞ってことで

 クルーグマンがノーベル財団による経済学賞を受賞と聞いてそれほど驚いた気もしなかった。一つはそう言われてきたし、率直に言ってもう米国大統領選挙は終わっているからだ。これが接戦とかだと、えげつないことするなと思うが、いやまあ、受賞者が一人っていうことからして、実態はそうなんだろうが、時期がよかったねということか。そのあたり微妙な部分があるなと思っていた。
 彼のコラムの拠点ニューヨークタイムズが万歳っていうのもわかるがワシントンポストや、それにウォールストリートジャーナルあたりはどうかとざっくり見たが、プレーンにええんでないのという感じだった。フィナンシャルタイムズもそうかなと言えば言えるし、フォーブスはちょっとくぐもっていた(参照)。というあたりで、もう一度フィナンシャルタイムズに戻ると、なかなか微妙な感じに気が付いたので、ちょっくらネタに拝借。”Why Mr Krugman deserves his Nobel”(参照)。


The usual response to the announcement of the Nobel memorial prize winner is "who?". Not yesterday. Paul Krugman, a columnist for The New York Times, is (along with the late Milton Friedman) the most recognisable man ever to receive the honour.
(例年のノーベル賞経済学受賞者への反応は、「誰、その人?」というものだが、昨日は違った。ニューヨークタイムズ・コラムニストのポール・クルーグマンは(故ミルトン・フリードマン同様)栄誉を得た人としてはもっとも知名人であった。)

 そりゃね。「嘘つき大統領のデタラメ経済」(参照)だものね。

He was awarded his prize "for his analysis of trade patterns and location of economic activity"; he could with equal justice have been awarded it for reminding the world that rigorous economic ideas matter.
(受賞は「経済活動における貿易類型と拠点分析」だが、同様に称賛されるべきは、現実世界に対して経済学の学問的思考法を想起させてきたことだ。)

cover
クルーグマン教授の
経済入門
ポール クルーグマン
山形浩生訳
 あれです、「 経済学を知らないエコノミストたち(野口旭)」(参照)みたいな感じだ。余談だが、このところ英文記事を読んでいるとバーナンキ僧正なんかもエコノミストと呼ばれているわけで、日本語のそれとは語感がだいぶ違っていそう。
 フィナンシャルタイムズの出だしに若干皮肉っぽいトーンがあるがと読み進めると、そこにきちんと応えているともいえる。

The timing is provocative, three weeks before the US presidential election, because Mr Krugman has been a trenchant and influential critic both of the Bush administration and of John McCain.
(米国大統領選があと三週間というタイミングは挑発的だ。というのは、クルーグマン氏は辛辣かつ影響力をもつブッシュ政権及びジョン・マケインへに批判者だったからだ。)

 それはお約束なだけなんだけど。

Then there is the Nobel committee's decision not to split the prize - as is common - with economists whose work is related. Men such as Avinash Dixit made Mr Krugman's research possible.
(通常なら他に関連の経済学業績者がある場合は受賞者を分割するのに、今回のノーベル財団の決定はそうではなかった。たとえば、アビナッシュ・ディキシット教授はクルーグマン氏の研究を可能にしていたのに。)

 これってようするに褒め殺しのレトリックってやつかな。読みようによっては今回の受賞の異様さを物語ったディテールでもある。アビナッシュ・ディキシット教授ってとアマゾンを見ると「経済政策の政治経済学―取引費用政治学」(参照)がある。

Yet while Paul Krugman's talents as a theorist are shared by a handful of his peers, his gifts as a communicator are not. It seems that the Nobel committee felt that Mr Krugman's role as a public intellectual was a stepping stone to the prize, not a stumbling block.
(理論家としてのポール・グルーグマンの才能なら四、五名くらいは共有しているものだから、彼の才能は伝達者かどうかということだ。ノーベル財団としては、公的な知性としてのクルーグマン氏の役割は、受賞の足がかりであって、障害ではなかった。)

 さらっと読むと褒めているみたいだけど、これって、高度なレトリックによる反語表現っていうことジャマイカ。
 そして"That is no bad thing."と、そんなひどい話じゃなよ、彼はアジア危機も当てたし、ドットコム狂乱や住宅バブルに警戒したと続く。当たったというのだけどね、まあ、時期のずれを別にすれば。まあ、その論法だと以下略。

Few economists will deny that Mr Krugman's research deserves this prize, but some regret the fact that he is now far more likely to demolish a Republican campaign tactic than to build an insightful economic model.
(クルーグマン氏の研究が受賞に値しないと否定する経済学者はほぼいないが、現状の彼が、洞察に溢れた経済学モデルの構築よりも、共和党戦略粉砕にはるかに傾倒していることに嘆く経済学者はいるだろう。)

 いやさすがなレトリック。さすがにここまでこの社説を読んでくると、嫌味というのが実に高度なレトリックを要することがわかって勉強になります的だな。
 そしてここが要点。

There is truth in that. While his criticisms of the Bush administration's woeful policies have tended to ring all too true, his rage can diminish the persuasiveness of his argument.
(その嘆きに真実もある。ブッシュ政権の政策が悲惨だとする彼の批判はどれも正しいとはいえ度を超えていたから、彼の怒りはその議論の説得力を削いでしまったようだ。)

 それは私も感じたな。れいの本とかで。

In any case, many journalists can shoot the fish in that particular barrel, but only one economist can pen a whimsical "theory of interstellar trade". Even when the polemicist is at the top of his game, the witty populariser of economic logic is occasionally missed.
(多くの場合、ジャーナリストが集まって限定された領域にいるお目当ての獲物を狙うものだが、一人の経済学者ができるのは、気まぐれな「恒星間の取引の理論」を書くくらいだ。彼のゲームの頂点に立つ論客としていても、気を利かせた経済理論の大衆化はしばしば的をはずす。)

 このところの英文がよくわからない。まあ、雰囲気だけはわかる。私がコラムニストのサミュエルソンを好むのそこだ。プロパーな経済学者さんや、それに連なる書生さんの議論にはちょっとついてけないなとよく思う。
 このあと、フィナンシャルタイムズは、オバマ政権に早速クルーグマンを引き出させ、仕事をさせろというふうに結ぶ。
 それはどうなんだろうか。エンロンの顧問を終えてエンロンバッシングをしているという批判とか読むと(参照)、チョムスキーがタックスヘブンを使って利殖をしていた(参照)ような興醒め感はあるんだけど。

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2008.10.14

デレバレッジを急ぐのはよくないぞというご意見とか

 エジプトからの旅団が遠くバビロンを眺めるとあたかも風にたなびくこともなく天から一本の細い糸が垂れているようにその塔を思うように、物事は遠目で、薄目で見ていると、簡単な図だけが浮かび上がることがあるし、人が死んでみてその人生という短い期間に想起できることといえばごく僅かな単純なできごとでしかない。2008年米国で突然投資銀行が消えた。
 つまりはそういうことなのだが、それは目に見える一つの結果であってその時代に生きていた人がその塔の頂上に望んだこととは違うように、別の結果に翻弄されるものだ。株が、落ちたとか。いや随分落ちたね。こんなに落ちたのは、八〇年くらい前のことだなと言えるのは日野原重明先生くらいか。
 なぜ投信銀行が消えたのか。なんとなくわかっている気がするが、そのわかった気分の中心にある感覚は、バカじゃねーの下手な博打を打ちやがって、くらいなものではないか。そしてそこから貪欲なカネの亡者は消えて当然とか、あるいはそれでも消えたら銀行が不安になるとか通常の銀行と投資銀行の差なくふかすポジション発言などが出てくる。ただ、それは構図が違うのではないか。
 例によってロバート・サミュエルソンのコラム”The Engine of Mayhem”(参照)を読みながら、経済学に無知でよくわからないなと思う部分もあるが、そうだよねと思うことも多い。


It's easy to explain the continuing financial chaos -- and the failure of governments to control it -- as the triumph of psychology. Fear reigns, and panic follows.
(継続している経済混乱と政府による制御の失敗を説明するのはたやすい。心理学の勝利ということだ。恐怖が君臨し、パニックが続いた。)
Everyone dumps stocks because everyone believes that everyone else will sell. Only rapidly falling prices attract sufficient buyers. All this is true. But it ignores the real engine of mayhem: "deleveraging." That's economic shorthand for purging the financial system of too much debt.
(みんなが売りに走ると信じたことでみんなが株を手放した。急速降下する価格だけが十分な買い手を魅了する。こんなことが起きているのだ。しかし、本当の騒乱の動力をもたらしたのは「デレバレッジ」だ。つまり、負債を過剰に手放そうとする拙速な経済行為である。)

 試訳がちょっと恣意的だけど、そういう語感か。つまり、現在の株価の乱高下は心理的な問題だし、それを引き起こしたのは、「デレバレッジ」だというのだ。
 「デレバレッジ」というのが私にはよくわからない。掴んだババを早急に手放そうとするというふうにサミュエルソンの説明は読めるが、他のソースInvestopedia(参照)とか見ると。

A company's attempt to decrease its financial leverage. The best way for a company to delever is to immediately pay off any existing debt on its balance sheet. If it is unable to do this, the company will be in significant risk of defaulting.
(経営上レバレッジを会社が減らそうとすること。会社がデレバレッジする最善の方法は、既存の負債をバランスシートから早急に償却することだ。それができないと、会社は債務不履行の深刻な危機になる。)

 どうということが書かれているわけでもないように思うが、要点は、"immediately"(急速に)ということかもしれないと、サミュエルソンのエッセイを読んで思ったのだが。
 同ソースではこうコメントが続く。

Companies will often take on excessive amounts of debt to initiate growth. However, using leverage substantially increases the riskiness of the firm. If leverage does not further growth as planned, the risk can become too much for the company to bear. In these situations, all the firm can do is delever by paying off debt.
(会社は初期成長に過大な負債を追うことがある。しかし、レバレッジを使うことで会社のリスクを実質的に増大させる。予定通りにレバレッジが成長しないなら、会社は負担に耐えられなくなるだろう。こうした状況で、会社というものは負債解消にデレバレッジを行いうる。)
Any sign of deleverage shown by a company is a red flag to investors who require growth in their companies.
(デレバレッジをする会社というのは、会社の成長を求める投資家にとって危険信号が点ったことになる。)

 これもどうということではないが、やはり、要は期間ということなのだろう。サミュエルソンのコラムの副題が”There Are Dangers in Deleveraging Too Fast”(デレバレッジが急速過ぎることの危険性)ともあるし。
 サミュエルソンのコラムに戻ると、まず彼はサブプライムローン自体の問題性を再考する、というかまいどのサミュエルソン節だが。

Alone, American subprime mortgages should not have triggered a global crisis.
(アメリカのサブプライムローン自体では全世界的な危機を引き起こすはずはなかった。)

 このあと、それに結びつけられた資産価値が問題だという話になる。ま、それも要するにありきたりのバブルということだけのように私には思える。
 サミュエルソンとしてはこの問題には十分対応できたのではないかと筆を進めるのだが、その先でいったい何が起きたのかと疑問を再提出する。

What we've discovered is that the real problem is bigger. Large parts of the financial system are too thinly capitalized and too dependent on unreliable short-term debt.
(私たちが発見したことは本当の問題は大きいということだ。経済システムの大半において、資本の支えは薄く、信用しがたい短期負債への依存が大きすぎる。)

 現況の認識しやすとしては、これもごく普通のことだし、日本人にはさらにそうだ。

Deleveraging -- a shift from excessive debt toward more capital -- is inevitable and desirable in the long run. The trouble is that, in the short run, it could destabilize the economy if it proceeds too rapidly.
(過剰な負債から資本を求める変化であるデレバレッジは、避けがたく長期経営にも好ましい。問題は、短期で見た場合だ。それがあまりに急速に進行すると経済を不安定にしてしまう。)

 サミュエルソンはその説明を続けるのだが、そのあたりにはなるほどと思う。そう見ると遠目で見たようなわかりやすさはあるし、昨今語られている危機の説明のいかがわしさにも示唆的ではある。反面、それもまたトンデモ経済学かなという疑念もないわけではない。
 マスメディアの騒ぎを見ていると早急な解決が叫ばれているが、むしろ状況はずるずるとした不況に流れ込んだほうが、中期的な経済安定にいたるのかもしれない。というか、公的資金投入が解決だと騒ぐ日本のマスメディアは結果として、これからだらだらと世界不況続くことにコミットしているんじゃないか。結果的にそれでよいのだとしても。

追記
 サミュエルソンの今回のコラムで実は一番重要なのは以下の部分。重要なのであえてそこはリンク先の原文を読んでいただきたいと思ったが、やはり日本にとっても重要なので追記。


Consider stocks. Their plunge has been driven in part by hedge fund selling. Hedge funds often buy stocks by borrowing from their "prime dealers" -- firms such as Goldman Sachs and Morgan Stanley, which in turn borrow from commercial banks. If banks "deleverage" by reducing loans to prime dealers, then prime dealers tighten up on hedge funds, which react by selling stocks. "It's a big piece of why the stock market is down," says Michael Decker, former chief economist for the Securities Industry and Financial Markets Association and now co-head of the Regional Bond Dealers Association.

All around the world, we see variants of this cycle. Countries could face crippling capital outflows. The yen "carry trade" -- borrowing at low interest rates in Japan and lending at higher rates in other countries -- is reportedly contracting. Iceland's main banks have been nationalized because they couldn't renew their short-term borrowings. But if credit is withdrawn too abruptly, the prices of stocks, bonds and other assets that it propped up -- and also the real economy of production and jobs -- will fall. And the effects feed on themselves. Hedge funds, for example, have been hit with high redemptions from investors: about 5 percent in September, 2 1/2 times normal, says Charles Gradante of the Hennessee Group. These compound selling pressures.


 ちょっと強引な敷衍になるかもしれないけど、いわゆる「円キャリー」によって世界経済において日本が実質的な投資銀行の旦那の役割をしていたとサミュエルソンは見ているに等しい。この見解はそう簡単に諾とできるものではないが、広義にはそうだし、日本政府がまさにその旦那だったと見ることもできるだろう。で、そうだとすれば、目下の危機において重要なことは、円キャリーが継続できるように、日本は円安を誘導することが重要になるはずだ。ただこれはむやみにやればいいわけはないだけど。

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2008.10.12

こんにゃくゼリー、メモ

 先月30日国民生活センターは、兵庫県の1歳9か月の男児がこんにゃく入りゼリーをのどに詰まらせ窒息したことをアナウンスした。事件自体は、7月29日、男児の祖母が凍らせたこんにゃく入りゼリーを食べさせようとして、喉に詰まらせたものだ。死亡は9月20日に死亡とのこと。この事件をきっかけにこんにゃくゼリーの危険性がまた社会問題化した。
 報道を見ると、1995年以降窒息死は17件目とのことだ。気になってそれ以前の事例はないか少し調べてみたのだがわからない。ただ、95年以降は継続的に事件は発生し、その問題が裁判にもなっている。
 11日付け産経新聞記事”形は国が決める? こんにゃくゼリー 自民、議員立法へ 消費者行政迷走”(参照)によると、規制は形状がポイントのようだ。


こんにゃく入りゼリーを食べた子供が窒息死した事件を受けて、自民党内で10日、ゼリーの形状などを規制する新法制定を検討する動きが出てきた。消費者庁設立のきっかけともなったゼリー被害の防止に焦点を絞った新法だが、窒息による死亡事故が多いモチの規制との兼ね合いなど課題は山積する。新法制定の背景には、政府が消費者の安全をはかるため国会に提出した「消費者安全法案」でも根本的解決にはならないとされる事情があり、ゼリー規制の議論は政府・与党肝いりの消費者庁構想にも影を落としそうだ。

 こんにゃくゼリーが「消費者庁設立のきっかけともなった」という経緯は私は知らなかった。今後どのような法的な規制になるのかは、よくわからない。
 国会では怒号がわいていたそうだ。

 国外では、EU(欧州連合)が独特の硬度を生み出すこんにゃく成分を添加物とし、ゼリーへの使用を禁止しているのに対し、日本国内では食品衛生法の対象は食中毒などに限られる。
 このため、今回のような死亡事故を防止する取り組みが「生産者重視から消費者の安全を重視する行政への転換の象徴」(中堅)と位置づけられている。
 そのためか、この日の会合では厚生労働省側が「製造中止や回収させる法制度はなく、強制力のない指導が限界」と説明しても、議員の怒号は消えなかった。

 私はこのあたりの経緯で少し気になることがあるのでエントリを書いてみようかなと思った。
 世間的には、餅との関連が話題になっているようだ。

 だが、新法でゼリーの形状などを規制するには「法の下の平等」という点で大きな壁が立ちはだかる。こんにゃく入りゼリーはだめで、モチは規制しなくてもいいのか-という問題だ。
 実際、10日の調査会でも谷公一衆院議員が「モチは昔から死亡事故が多い」と指摘した。一方、野田聖子消費者行政担当相は10日の会見で「モチはのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している」と強調したが、「ゼリーだけを規制し、モチやアメを規制しない合理的な根拠は見つかりにくい」(厚労省)というのが実態だ。
 厚労省の調査では、平成18年中に食品を原因とする窒息で救命救急センターなどに搬送された事例は、把握できた計803例のうち、モチの168例が最多で、「カップ入りゼリー」は11例だった。

 少し余談になるが、たしか韓国でもこんにゃくゼリーは禁止に相当する扱いになっているはずだが、韓国でも喉に詰まりそうな伝統的なトックという餅がある。あれはどういう状態になっているのだろうか。うるち米なので問題ないのだろうか。
 日本の現状では、餅とこんにゃくゼリーの線引きということになるのだろう。実際のところ、餅は規制できないが、こんにゃくゼリーは規制できるかという問題設定になりそうだ。
 国内報道を見ていると、EUでは規制しているという話がよく引かれている。この報道でも「EU(欧州連合)が独特の硬度を生み出すこんにゃく成分を添加物とし、ゼリーへの使用を禁止している」とある。間違いではない。2003年2月12日付けFoodNavigater.com記事”EU votes for permanent E425 ban in jelly confectionery ”(参照)より。

The European Parliament yesterday voted with an overwhelming majority for a permanent ban on the use of the food additive E425, otherwise known as konjac, in jelly confectionery.
(欧州議会は昨日、ゼリー菓子に含まれる、こんにゃく呼ばれる食品添加物E425の禁止を圧倒的多数で可決した。)

 つまり危険な添加物問題としてEUは処理している。
 さらに関連して。

Regulatory bodies from Australia to the United States have banned mini-cup jelly products, traditionally manufactured in South-East Asia, that contain konjac. The legislative steps were taken after the fruit gel sweets were linked to several deaths around the world. But the regulatory bodies have not banned konjac.
(オーストラリアから米国まで規制機関は、こんにゃくを含む伝統的製法のミニカップ入りゼリー製品を規制してきた。法規制への階梯は、この甘味フルーツゼリーが世界中で死をもたらした後に取られた。しかし、規制期間はこんにゃくは禁止してこなかった。)

 含みがよくわからないが、こんにゃく自体は規制できなかったが、すでに死者をもたらしているのに今回の規制は遅きに失したという印象はある。まあ、それを言われると諸外国から日本がどう見られているかは多少想像は付く。
 いずれにせよ、EU式に考えるなら、E425という食品添加物を規制してしまえばよいということになるが、そのあたりは日本での窒息被害の実態とどう関係しているか、いまひとつはっきりしない。というのは、今回、9月の事件の製品のせいか、槍玉に上がっているマンナンライフの製品以外にも窒息は発生しており、それらの製品はE425の問題というより他のローカストビーンガムやカラギーナンによるようにも見えるからだ。あまりこれは騒ぎ立ててはいけないが、カラギーナンには発癌物質(プロモーター)の疑念やクローン病との関連も疑われている。EUでは使用量に規制がある。
 日本の報道ではEU側が着目されるが、米国では輸入品として窒息被害を出したため、米国食品医薬品局(FDA)がかなりしつこく実質の市場規制を行っており、2002年でこの問題は実質終了しているようだ。先の2003年のEU規制の含みは、米国より1年も遅れているではないかもっときちんと食品の安全性を考慮せよという含みもありそうだ。かくして、実質欧米諸国ではこんにゃくゼリー問題はすでに消え、過去のこととなっている。
 米国食品医薬品局のアナウンスだが、”Konjac Candy Recalls”(参照)にまとめられている。興味深いのは、最初のアナウンスメントが英語の他に日本語と中国語でなされていることだ。
 2001年時点で米国に輸入されたこんにゃくゼリーの消費者として日本人・日系人と華僑が考慮されていたのだろう。恐らく輸入ルートとの関係ではないだろうか。
 以下が2001年8月17日時点での米国食品医薬品局による警告である(参照)。

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 繰り返すが米国ではすでにこの問題はほぼ終了している。

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2008.10.10

どんどこしょ

 10月10日と言えば……、言えば? まあ、いろいろある。体育の日ではない。いつから体育の日がフロートするようになったか私は忘れた。が、体育の日の由来は知っている。1964年の東京オリンピックがこの日に始まったからだ。あの日のこともよく覚えているが、ご安心あれ、その話を書くわけではない。また10月10日は双十節でもある。つまり国慶節。違うんじゃないのと思う人もいるかもしれないが、その話も書かない。

cover
改訂 文学入門
(講談社文芸文庫)
伊藤整
 とか言ってウィキペディアのこの日を見ていくと、へぇな話は多い。「1954年 - 光文社が新書判の「カッパブックス」の刊行を開始、第一冊は伊藤整『文学入門』」というのもある。57年生まれの私なのにこの本を知っている。ロングセラーだったのだろう。そういえば高校の時の先生がふと伊藤整の「変容」(参照)を読んでおけと言ったのを思い出した。あのころの先生は今の私より若い。彼はその後大学の先生になり偉くなったようだ。
 他に? 「1969年 - 巨人の金田正一が史上初の400勝を達成」もなんとなく記憶にある。私は父と野球は見ていた。カネやんは巨人の星にも出てきた。大リーグボール三号はカネやんの指導だ(だったかな)。あの時代、子供ながらに世間の空気を感じたかぎり、それほど韓国人差別もなかったように思う。調べるとカネやんは「帰化」とある。
cover
「絆」
王貞治の勝因とルーツ
 そういえば王貞治の国籍は依然中華民国だったと思う。それゆえに台湾系のように理解されているが……この話も書かないが、中国人(台湾人)に初の国民栄誉賞を与えたのは1977年の福田内閣のことだ。お父っあんのほう。80年代まではそんな日本だった。私も大学生だった。今の日本っていったいいつから始まったのだろうかと変な気持ちになる。世界と同じく5分前だろうか(参照)。
 今の日本の始まりは天宇受売命御開帳の如きに思われているバブル景気あたりだろうか。ウィキペディアを覗くと「1986年12月から1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説」とある。そうかな。私が二十代の終わりだ。85年にプラザ合意があった。86年9月13日に東証は暴落した。それでも86年12月からバブルの時代。
 87年10月19日月曜日はブラックマンデーだった。下落率は22.6%。今回のブラディーマンデーはじわっときてそれを超えてしまった。文字通り世界恐慌以来ということになりそうだ。
 あの日の日経平均株価は3,836円安、下落率は15%。それでも2万円を割っていなかったし、翌日40%戻した。その後もしばらく日本のバブルは続いたことになる。1989年の大納会のバベルの塔は4万円の天を見上げたが、翌年正月にはその怒りを買ったのか株は転げ落ちていった。
 当時の新聞を見ていたらふと面白い記事があった。”ブラックマンデー一年 識者に聞く(上)経済評論家・松本和男氏”(読売1988.10.18)。ブラックマンデーを乗り越えたとして。

 --長期的にもこの傾向が続くだろうか。
 「長期波動(約五十年周期)でみて、二〇二〇年、つまり団塊の世代が定年を迎え本格的な老人社会に突入するまで大丈夫だ。今年は“明治百二十一年”だが、日本は一八六八年、明治維新で資本主義国になり、五十年後一九一八年の第一次大戦前後に農業国から工業国に躍進、さらに一九七〇年のイザナギ景気の最中に工業国のピークを迎えた。
 それから五十年後の二〇二〇年には日本は高度情報化社会の頂点に立ち、アジア・太平洋地域、中国などに資本、情報、技術を提供するセンターになっていく。米ソのデタント(緊張緩和)、社会主義国の開放政策、地域紛争国の戦後復興などで、社会資本整備の需要は無限に近い。実質六%の中成長は可能で株価も長期的に上昇しよう」

 過去に語られた未来というのは、その未来の側に生きている人間から見ると面白いものだ。いや、長期波動がやってくる2020年まであと12年ある。私はこの世にいるだろうか。
 今日の東証はひどかった。終値で8276円。あっさり9000円も割った。5年4か月ぶり。下げ幅は一時1000円に近づいた。明日は7000円台か。底抜け感はある。どんどこしょだな。
 でも、またいつかバブルがやってくる。日本版ニューズウィーク10・15掲載、ラーナ・フォルーハーによる”金融危機後の新時代が来る”ではこう結論を書いていた。ちなみにオリジナルは4日付け”A New Age Of Global Capitalism Starts Now”(参照)で無料で読める。ちょっと調べたら日本語版も無料で読める(参照)。

 いくら救済策を打ち出し、新たな法律を作っても、バブルは必ず繰り返される。次のバブルが来るときには、08年の世界的危機など誰も思い出しはしないだろう。

 歴史を見るとそんな感じはする。いや、これで投資ビジネスは懲りるのではないか。前段にはそうではないとしていた。

 もっとも、最近とくに高いレバレッジをかけて取引をしたのは、ウォール街の大手金融機関ではなく、複数のドイツの銀行だった。政府の監視を強化するだけで万事うまくいくとはかぎらない。入念に練り上げられた規制をきちんと実行し、かつ、ある程度柔軟でなければならない。
 たとえばジョージ・ソロスは、レバレッジ率に一定の基準を設けるのではなく、市場の状況に応じて基準を上下させる裁量をFRBに与えるべきだと主張している。
 もっとも、資本主義を縛ることは本当に可能なのか。それとも投機的な面はしばらく鳴りを潜めても、そのうち復活するのだろうか。

 復活する。
 それよりも、またバブルを起こすならそのカネはどこに? というより、そのカネがあるなら、今の惨状は救えるのか?

 最近の損失で痛手を受けたヘッジファンドは、クレジットデリバティブ市場から逃げ出そうとしているのかもしれない(この数週間でマネー・マーケット・ファンドに約1000億ドルの資金を移している)。だが今のところ、ヘッジファンドに対する規制はとくに提案されていない。ヘッジファンドはいずれ舞い戻り、姿を消した投資銀行に代わって信用リスクを取引するだろう。
 同様に、政府系ファンドや新興市場にはカネがあふれている。アジア各国の中央銀行だけで外貨準備高は4兆ドルを超える。今回の救済案で必要とされる7000億ドルの何倍もの額だ。
 潤沢な資金がある以上、たとえ新たな規制が生まれても、人々はそれを回避しようと策をめぐらす。投資家(とその関係者)は規制をかいくぐるため、これまで以上に独創的な方法を模索するはずだ。
 こうした新たな資金のうち、かなりの部分がまちがいなく欧米市場に流れ込む。その結果、新興国の影響力が増し、世界の多極化が加速するのは確かだ。だが、だからといって自由市場体制が総崩れになるわけではない。

 ふんふんと読んでしまうのだが、カネの在処は、政府系ファンドや新興市場だ。そして、「アジア各国の中央銀行だけで外貨準備高は4兆ドルを超える。今回の救済案で必要とされる7000億ドルの何倍もの額だ」なのだが、ここ、原文はこうだ。

Likewise, sovereign wealth funds and new emerging markets powers are flush with cash --- Asian central banks alone have reserves of more than $4 trillion dollars, enough to fund several Paulson plans.
(同様に、政府系投資ファンドと新興市場勢力にはキャッシュがだぶだぶになっている。アジアの中央銀行だけでも外貨準備高は4兆ドル以上のドルがあるし、これはポールソン案みたいなのをなんどか作れるくらいの基金になりうる。)

 世界にカネは余っているのだ。どこに余っているかというと、まずアジアの中央銀行だ。アジアといっても、リアリズムでいうのだけど、ベトナムでもカンボジアでもないし、いくらノーベル経済学賞ベッカー教授のギャグが冴えても韓国ではないしその北のほうに隣接する地域でもないし、もうちょっと北の帝国でもない。ずばり、中国と日本でしょ。なんだか陰謀論みたくなってしまうけど、日本と中国の外貨準備高を基金にすれば、ポールソン砲なんかいくつも作れるというのだ。なんか血まみれになった原田甲斐のように「これで世界は御安泰」とか言いそう。そして、おじさまラブラブは残った。ああ、なんて冴えないギャグなんだ。
 フォルーハーの記事ではこう続く。

 投資よりも貯蓄をする人が再び増える。節約の美徳が再び語られるようになり、短期的には金融引き締めが続く。それでも、資金はいずれ再び動きだす。新たなバブルが生まれる。エネルギー、エコ技術、宇宙--どの分野かはまだわからない。

 どの分野かわからないという人は、むこう20年は貧乏。わかった人でもそうかもしれない。15年前、私はホリエモンみたいな人たちが栄光の階段を駆け上がるのを、隠れて見ていた。ああやればいんだろうけどな、と。隠れていた理由は、自分はそんな器でもないし、自分の人生とか病で忙しくなかったからだ。人間、生きるのに忙しいときはカネに関わるもんじゃない。墓場に詰めるカネは六連銭だけ。30円くらいかな。
 いや、どの分野かわかって、しかもその破局まで見えてしまったらどうするか。見えてしまったときに考えようか。

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2008.10.09

ベッカー教授のきっついギャグをどう考えるか

 一万円は割るかもしれないけどもう昨日あたりで株の低迷も底になるかなと思ったら今日も結局下げていた。45円の下げというと微妙だが、現下9157円と聞くとすごいな。ふと昔長谷川慶太郎が株はいずれ5万円になるとか言っていたのを思い出した。ははは。どうでもいいけど長谷川慶太郎ってご健在? ウィキペディアを見るにご健在のようすってか、「大局を読む 2009年―長谷川慶太郎の (2009)」(参照)っていう本もあった。2009年って、私の理解だと来年なんだが。
 それにしてもなんで日本の株がこんなに下がるのだろうか。とか考えるまでもなくプレイヤーの多くが外人なんでお家の自己資本強化のためにキャッシュが必要になったということか。でもそうだとすると円を売る? そのあたりの動向はよくわからない。でも円は上がっている。各国協調して利下げをしても日本は下げないからなのか。日銀の深慮遠謀というのは白川ゼミを聞いていてもわからないものだな。それとも全世界流動性の罠状態だとこれで正解なんだろうか。
 株は日本だけが下げているわけではなく全体として下がっているし、この下げようはものすごいな。先月29日、ニューヨーク株式市場が777ドル過去最高に下げたといっても下落率でみると6.9%なんでそうたいしたことないんじゃないのと思っていたし、それからちょぼちょぼしていたが、が、下がる下がる。こりゃやっぱ大恐慌ってやつかな。ロバート・サミュエルソンはなんて言うだろうかと6日のコラムを見ると”Is It 1929 Again?”(参照)とあり、まあそういうテーマでコラムを書かざるをえないだろうな、さて、と読むと毎度ながらの楽観論的な空気に戻っていた。つまり、これって、大恐慌じゃなくて、普通の不況でしょ、と。このコラムは昨日の日本版ニューズウィーク2008.10.15でも「大恐慌とはここが違う」とタイトルで訳されていた。ので訳を引くと。


 いま思い出すべきなのは、景気低迷が国家的な惨事につながることはほとんどないということだ。アメリカでは40年代後半から、景気後退は10回起きている。持続期間は10カ月で、月間失業率の最高値の平均は7.6%、今の米経済は、ほぼ確実に景気後退に陥っている。ただし、9月の失業率は6.1%に達したものの、第二次世界大戦後の最悪レベルまでに上昇することはないだろう。

 ちょっと楽観が過ぎるかな。
 さらに6日のコラムということもあるが株価も楽観視していた。

 今の株式市場の状況も、それほど悪くない。戦後、スタンダード&プアーズ(S&P)500社株価指数が20%以上下落した下げ相場は10回起きている。下落率の平均は31.5%で、73~74年と00~02年には50%近くに達した。現在の下落率は10月3日の時点で、07年10月のピークから30%のダウンになっている。

 まあ、さらに下がったし、まだじわっと下がるかもだけど。

 29年10月の株式市場の暴落から始まった大恐慌は、戦後のこうした景気低迷とは別物だ。32年7月には、株価はピーク時から90%近く下落。企業や一般市民は10年にわたって苦境にあえいだ。40年になっても失業率は約15%だった。

 たしかに大恐慌と比べるとそうなのだが。がというのは、そのあたりの歴史はちょっと別の見方もあるかもしれない。
 R.サミュエルソンにしてみると、景気後退はガチだが、賢く対応していけば、「単なる景気後退で終わるかもしれない」としている。が、ここでも欧州のようすまで含めるとまだまだ微妙な問題もありそうだ。
cover
ベッカー教授の経済学では
こう考える
教育・結婚から
税金・通貨問題まで
 なかなか楽観な人はいないものなかと見ていたら、ベッカー教授(参照)がウォールストリート・ジャーナルに面白いものを書いていた。”We're Not Headed for a Depression”(参照)だ。標題からもわかるように、「我々は恐慌に向かっているわけじゃない」ということだ。副題も面白い”No, this isn't the crisis that kills global capitalism”。「ちがうってば、目下の危機でグローバル資本主義が死んでしまうわけはないよ」と。で、でも、どうして?

In order to promote a much smoother functioning of the financial system, it is paramount to distinguish between the immediate steps needed to cope with the present crisis and the long-run reforms needed to reduce the likelihood of future crises. Let's start with the short-run fixes.

 現状の危機と長期を見据えた未来の対応をわけて考えなさいと。さすが、ノーベル賞経済学者さんだ。で大恐慌はどうだったかという話から切り出されるのだが、そこはサミュエルソンと同じ。飛ばす、と。
 ポールソンのバズーカ砲についてだが。

The main thrust of the new banking law allows the Treasury secretary to purchase bank assets up to $700 billion in order to increase the liquidity of the banking system. These assets are of uncertain worth since there is essentially no market for many of them, and hence they have no market price. The government hopes to create this market partly through using auctions, where banks would offer their assets at particular prices, and the government would decide whether to buy them. I would have preferred starting with a smaller dollar value of purchases, and up the amount if the situation deteriorates further.

 不良資産を買い取ったはいいけど市場がないよと言われているわけで、そこはあちこちで議論される。でも、ベッカー教授は安く売り払ってしまえと言っているようだ。そうなのか。だとして理由がよくわからない。

Partly because many consumers are repelled by the intention to bail out companies and their executives who made decisions that got the companies into trouble, the new law includes income and severance pay limits for executives whose firms seek government help. Even though one cannot think much of executives who led their banks into such a mess, that is a bad precedent since it involves too much micromanagement of bank operations. Moreover, such salary controls can be evaded by very generous fringe benefits.

 米庶民は今回の救済策で税金でウォール街の金持ちを救いやがってと怒っているのだが、ベッカー教授は細かいこと言わないほうがお得だよというのだ。ここもよくわからない。
 その先読んでへぇと思ったのは、ベッカー教授は、ベアー・スターンズは救済するんじゃなかったなとある("Still, the bank bill with its huge bailout does suggest that the $29 billion bailout of the bondholders of Bear Stearns in March was a mistake. ")
 強気なのはわかるが理由がよくわからない。またバズーカ砲に戻って。

Although the media has made much of this possibility through headlines like "$700 Billion Bailout," such large losses are highly unlikely except in the low probability event that the economy falls into a sustained major depression. Indeed, with efficient auctions, the government may well make money on its actions, just as the Resolution Trust Corporation that took over many savings-and-loan banks during the 1980s crisis did not lose much, if any, money.

 そんな大金は要らないし、不況が長引くわけでもない。うまく立ち回れば儲けも出るという感じだ。ほんとか。
 そのあと、資本主義を規制すればより未来に危機を招く。デリバティブOK、空売りOKという話になる。
 それってノーベル賞経済学者ならではのネタってやつなのかとちらと脳裏をよぎる。
 さて締めに向かっていくのだが。ここでロケット団みたいに見栄を張る。

Is this a final "Crisis of Global Capitalism" -- to borrow the title of a book by George Soros written shortly after the Asian financial crisis of 1997-98?
(ジョージ・ソロスがアジア経済危機の直後に書いた本のタイトルを借りると、現況は「グローバル資本主義の危機」なのか?)
The crisis that kills capitalism has been said to happen during every major recession and financial crisis ever since Karl Marx prophesized the collapse of capitalism in the middle of the 19th century.
(資本主義を終焉させる危機というのは大きな景気後退のために言われてきたものだし、19世紀半ばにカール・マルクスが資本主義の崩壊を予言してからも経済危機は言われてきたものだ。)
Although I admit to having greatly underestimated the severity of the current crisis, I am confident that sizable world economic growth will resume before very long under a mainly capitalist world economy.
(私は現在の危機の深刻さを軽視していることは認めるとしても、主に資本主義世界のもとでそう遅くなく巨大な世界経済成長が再開すると確信している。)

 考えようによっては"a mainly capitalist world economy"に絶妙な含みがあるが。
 で、結語へ。

Consider, for example, that in the decade after various predictions of the collapse of global capitalism following the Asian crisis, both world GDP and world trade experienced unprecedented growth thanks to the power of market competition on a global scale.
(たとえば、アジア危機に続く各種のグローバル資本主義崩壊予言後の10年後を考えてごらんなさいな。世界GDPと世界貿易はグローバル・スケールの市場貫徹のおかげで未曾有の成長を経験したもだった。)

 んだ、んだ。で?

The South Korean economy, for example, was pummeled during that crisis, but has had significant economic growth since. World economic growth will recover once we are over the present severe financial difficulties.
(韓国経済を例にすれば、あの危機で沈んだものの、それから目覚ましい経済成長を遂げた。世界経済は、一度現在の厳しい経済困難を乗り越えれば、成長するだろう。)

cover
ベッカー教授、ポズナー判事の
ブログで学ぶ経済学
 って、ネタですか。ベッカー教授のギャグをどう考えるのか悩むところ。
 ベッカー先生、現在の韓国の姿をご存じないのか、知っていて、このきっついギャグをかましているのか。

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2008.10.05

あー、ご出席のかたで、ライボーに詳しい人は手を挙げてみて(Well, can anyone -- raise your hand if you're familiar with the Libor rate)

 韓リフ先生こと田中秀臣さんのブログのエントリ”10代、20代は経済に関心がない?”(参照)を読んで、まあそうかなと思う反面、異論とも違うのだがちょっと心にひっかかる感じがあった。もやっと考え、気になっていたことをネットで見て回った。そんな関連の雑談でも。
 きっかけとなった韓リフ先生の話はこう。


 某社編集の人と話していて、「10,20代にぜんぜん経済関係の本が売れない」ということを聞いた*1。
 
 まあ、僕の周囲のサンプルだと確実にそれを支持できるわけだが、やはりサンプルバイアスがききまくるのでよくわからないw
 
 確かにあらゆる編集者が軒並み、経済問題に関心のあるのは中高年以上しかも還暦以上wが主流と口にしている。

 10代、20代には経済関係の本というのは基本的に難しいのではないかと思うというか、なぜそれを面白いと思う人がいるのかなかなか理解しづらいだろう。かく言う私も、難しいなと思う。
 ちなみに50歳にもなる私は、時代でもあるけど高校時代にマル経を読み、大学では枕代わりになるサミュエルソンのEconomicsのペーパーバックを教科書とした。ケインズはなんとなくわかるし、フリードマンとかその後関心ももったが、ブログ時代になってリフレ派という人たちがワシワシやっていて不思議な感じがした。それはさておき、ブログをやりつつ目下の経済状況について結果的に自分なり勉強することになった。こうした傾向は案外「中高年以上しかも還暦以上」なのかもしれない。
 それで経済がわかるようになったかというと、よくわからない。わかっているふうの人の話を読んでも、実はあまりピンとこない。ダメじゃんオレ、でもいいのだが、韓リフ先生のエントリでリファーされているスティグリッツ博士の話(参照)もピンと来ない。というかピントがずれているような感じがする。スティグリッツ博士の御本は他もそうなので、これに限ったことではないけど。
 経済がよくわからないというのは、今回の米国金融安定化法案否決から可決でも気になっていたことがあったからだ。というか、米国時間29日の否決の意味について、というか、なぜポールソン禅師がこんなに慌てふためいていたのか。もちろん、リーマンが潰れ、AIGが救われみたいな流れでわからないわけでもないが、より背景には金融システムの目前に迫ったクラッシュ認識があり、株価の低下よりも深刻だった。
 このあたりに関連した話はブルームバーグ記事”Libor Mystifies Americans as Mayor Reads `Doomsday' ”(参照)が面白い。

Anisha Gupta, returning clothes to a Hugo Boss store on Rodeo Drive in Beverly Hills, shrugged when asked about Libor. She had heard the term. She wasn't sure she could define it.
(アニシャ・グプタが、ビバリーヒルズのロディオドライブに面したヒューゴボスの店に服を戻すとき、ライボについて問われると肩をすくめた。その名前は聞いたことがあるが、なんだかよくわからなかった。)

``I thought it was a pill,'' said Gupta, an unemployed 27- year-old who lives in downtown Los Angeles.
(錠剤の名前じゃないかなと、ロサンゼルス下町に住む非雇用27歳のグプタは言った。



Asked about Libor in Houston, Mike Heider, a 28-year-old drilling engineer, took a long drag on his cigarette, closed his eyes and after 10 seconds said he wasn't exactly sure.
(ヒューストンでライボーについて聞かれた、28歳のドリル工員のマイク・ハイダはタバコを吹かし10秒ほど瞑目して、詳しくはわからないと答えた。)

 20代ではわからないのかもしれない、ということではないようだった。

White House spokesman Tony Fratto said at a press briefing this week that officials closely watch Libor, then paused.
(ホワイトハウスの報道官、トニー・フラットがプレスが今週の記者会見で、担当者はライボーを注視していると言うや、口をつぐんだ。)

``Raise your hand if you're familiar with the Libor rate,'' he said to two dozen reporters. Only one did, drawing nervous chuckles.
(「ライボーに詳しい人は手を挙げてみて」と彼は24人ほどの記者に言った。挙手したのはただ一人で、神経質に含み笑いをした。)


 ジャーナリストたちもわかっていない。
 オリジナルはホワイトハウスの”Press Briefing by Tony Fratto ”(参照)だ。

Yes, Peter.
(ピーターさん、ご質問どうぞ)

Q You talk a lot about the issue of how to explain it to make sure people really understand the consequences and the nature of the plan.
(本案の帰結と本質につい人々に理解させるための説明について、あなたは多くを語っています。)
How much do you think this has been an issue of explaining and selling and convincing, as opposed just the substance of it, that maybe people do understand it and they just don't like it?
(人々は理解したのか、それを単に嫌ったのか、その要点が反対されたことで、事態についてどのくらい、説明、推薦、説得といった問題があったのでしょうか?)

MR. FRATTO: Well, I don't know. I'm not -- I don't think I'm going to do analysis on -- I don't think I can do analysis on that.
(フラット氏:あー、私はわらないです。調べてみようとも思っていません。というか調べることが可能かもわかりません。
Look, it is a very, very complicated issue. You know, I could tell you something -- something we pay attention to here, in terms of how the markets are faring.
(いいですか。これはとてもとても複雑な問題なのです。ご存じのとおり、市場の現況について私は申し上げること、注視すべきことがここにはあります。)
You hear us talk about credit markets, right? Well, something we look at is the Libor rate.
(みなさんは私たちが信用市場について語ったことを聞いてますね。いいですよね? ええと、わたしたちが見ているのはライボー率です。)
Well, can anyone -- raise your hand if you're familiar with the Libor rate.
(あー、ご出席のかたで、ライボーに詳しい人は手を挙げてみて)


photo

 と、実質的な説明に入ろうとして、ふとフラット報道官は、記者たちがライボーのことを知っているかきいてみたわけだ。知っている人はほとんどいなかった。


The London Interbank -- Bloomberg would know. All right, the London Interbank Overnight Rate.* It's banks lending to banks. That is a critical number.
(ロンドンインターバング、ブルームバーグは知っているでしょう。つまり、ロンドン銀行間出し手金利ですよ。銀行間貸し出しです。これが危機的な数値になった。
Well, it reached -- that spread reached an all-time high last night.
(あー、これが昨晩ずっと跳ね上がりぱなしになった。)

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LIBOR


Okay? I mean, that is our communications challenge, is to explain why the Libor rate is at all relevant to an American's ability to get an auto loan, or a small business' ability to maintain their payroll account at a financial institution.
(いいですか。私がいいたいのは、これが私たちに課せられたコミュニケーション上の挑戦です。なぜライボー率が、経済機構上、アメリカ人の自動車ローンや小企業の雇用維持に関係するのかを説明することなのです。)
There are a lot of steps between the Libor rate and the homes of Americans. So we obviously have a challenge.
(ライボー率からアメリカ人家庭までには多くの段階があります。だから、私たちにとっては明白に挑戦なのです。)

 問題は、ライボーをどう米国民に説明するかということ。ジャーナリストたちですらわかっていないのに。
 ライボーについて差し迫る問題としては、解決されたというわけでもないだろうし、その後のニュースでも、ライボーという言葉は出ることもあり出ないこともあるが、今朝のNHKの経済羅針盤でも銀行間直接取引については説明されていたし、ライボーのグラフも掲載されていた。
 今後こうした危機が世界に及ぶのかわからないが、基本的な金融の仕組みについて、この関連でいえば金利がどう決まるかについては、10代、20代で知っておくべきなのだろう。こういうのを学ぶのによさげな参考書ってあるでしょうかね。

追記
 韓リフ先生からお勧めの本のご紹介をいただきました。ありがとう。
 ⇒飯田教養三部作がおススメ : 2008-10-06 - Economics Lovers Live

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2008.10.04

最後の行楽地、ラストリゾート、あー、そうじゃないんだってば

 昨晩エントリを書いたあと寝ることにした。数時間起きていたら結果、そう、米国下院に差し戻された金融安定化法案の結果を知ることになる。この期に及んで馬鹿なことにはなるまいと安心して寝た、わけではない。私は人生とこの世界の端役も端役。Blog Action Dayってなんですかぁ?ってなゴミブロガーである。それでも不安で寝れない、ってなこともなく寝坊すらしてしまった。が、いつもようにラジオを付けるよりBSのスイッチを入れた。可決、と即座に出ていた。まあ、よかったんじゃないか。すくなくともそうでないよりは。
 英語でsecond thoughtという言い方があるが、あ、日本語でも「再考」っていいますね、ま、でも日本語のそれは評価を変えるくらいだけど、second thoughtだと"A reconsideration of a decision or opinion previously made."と字引にあるようにちょっと意味合いが強いかもしれない(躊躇といった語感もあるな)。あるいは、scond chance、こちらは字引にはないな。しかし、1日付けワシントンポスト社説”America's Second Chance”(参照)は、それに期待をかけていた。リードは、"The House has one more shot at making financial order out of chaos." つまり、「混乱から家計を立て直すに家はもうワンショットがある(機械翻訳風)」というわけだ。ワンショット? 50円だしね。


AMERICA is the land of second chances, so it is fitting that the House of Representatives should get an opportunity to redeem itself for its reckless rejection of the financial rescue package on Monday.
(アメリカは二度目のチャンスの場だ。だから、だから下院は、月曜日に無謀にも否決した金融救済案をやり直す好機を得るべきだ。)

 余談だがもしこのブログを高校生が読んでいるなら(なわけねーよな)、米国議会の下院というのは日本の衆議院に相当するというのを覚えておくといい。民主国家で一番の権力を持つのは国会であり、そしてさらに下院が決定的な力をもつ。だから、日本も衆議院と言わず下院でいいようにも思うし英語では下院と訳される。というか、"the House of Representatives"は代議員の集会所なので衆議院に近い。なんで下院かって? Lower Houseとも言われるからだ。なぜ下なの? まあ、高校で勉強しておくとよいよ。ついで上院とか、貴族院とかも。
 話戻して。かくしてチャンスを活かすことになったのだが、これで最悪がくっきり想定されるということはないにせよ、めでたしめでたし、それから二人はたくさんの子供を産みましたとはいかない。悪い話は同社説にまとめてあるが。

Make no mistake: This rescue will probably cost the government, i.e., the taxpayers, money -- a lot of money.
(間違いないこと:この救済案はたぶん政府に負担をかける。つまり納税者に負担がかかる。カネの負担が。どっさりと。)
At least initially, the government will overpay for the assets it buys, if only in the sense that there is no market at all for them at present.
(しょっぱなは、通常の意味で現状売り出しされた全資産の市場がなければ、政府がそれらを割高で買い取ることことになる。)
The government will face politically difficult conflicts of interest.
(政府は利害衝突に政治的に直面するだろう。)
Its accumulation of mortgage-backed assets, on top of the de facto nationalization of Fannie Mae and Freddie Mac, means it will be in a position to modify many thousands of loans, but the better the deal Uncle Sam cuts distressed homeowners, the greater the hit to the taxpayer.
(ファニーメイとフレディマックを事実上国有化したことで、住宅ローン資産の累積は、数万もの貸し付け緩和ということになるが、困窮した家主をサム叔父さんが調子よく削減するほど、納税者に打撃を与えることになる。)
And, of course, the government will pay for TARP with borrowed money, adding to this country's already worrisome national debt.
(もちろん、政府は金融安定化法案を借金で払うわけで、すでに憂慮すべき財政赤字の上乗せになる。)
When you strip away all the rhetoric, pro and con, TARP amounts to a deliberate but as-yet-unquantifiable reduction in our future wealth -- for the sake of our present stability.
(賛否両論はぶっちゃけ、現在の安定のために、金融安定化法案は、熟慮したとはいえ、国の未来の富に対して目下のところ数値化しづらい額を削ることになる。)

 そうこと。資産というのはローン証券ということだが。
 金融安定化法案反対はただのバカばっかとも言えない面はあるし、オバマ時代には、"strip away all the rhetoric, pro and con"ということになる。
 でも、ロバート・サミュエルソンも孫引きしていたが、うまく行っちゃう可能性だってある。

Though TARP seeks $700 billion in ultimate authority to buy assets, the likelihood is that the Treasury will pay less than that,
(金融安定化法案は資産買い取りに上限7000億ドルを求めているが、それより定額で済むかもしれない。)
because (a) its purchases might jump-start a private market and (b) the government might be able to resell securities for more than it paid.
(理由は:(a)買い取りによって民間市場が活性化する、(b)政府は買い取り価格より高く証券を売ることもできる。)

 まあ、うまく行くかもよだ。でもちょっと待て、うまく行くには誰かが、高値で買い取る必要あるんだよな。誰が米国を買うのかって、旦那ぁ、極東地域の旦那ぁ、以下略。
 それはそれとして、これから米国はラティーノをがんがん入れて増やして4億人の帝国っていうか国家を作り上げるのだから、住宅とか先行投資しておくと思えばわっはっはってなことになりかねない。そんな光景を私は見るんだろうか。見るとしてもそのとき足下だけは見るなよかもな。
 未来はわからんと言えばわかる、わかる部分もある。なんでこんな事態になったのか、バーナンキ僧正ですらわかってなかった、というのがあっけない真相かもしれない。先月29日のロバート・サミュエルソンのコラム”Bankrupt Economics”(参照)のこれは示唆深い。

Of course, economists recognized that the Federal Reserve should act as a "lender of last resort" and that permitting two-fifths of banks to fail in the 1930s aggravated the Depression.
(もちろん経済関係者は連邦準備銀行が「最後の貸し手(lender of last resort)」となるべきことや、1930年代に猛威を振るった大恐慌で五分の二の銀行を倒産させたことを知っている。)
But the creation in 1933 of deposit insurance (now up to $100,000) was thought to prevent most bank runs, and the "lender of last resort" role never anticipated a worldwide financial system that mediated credit not just through banks but also through hedge funds, private equity funds, investment banks and many other channels.
(1933年の保証金(せいぜい10万ドル)で大半の銀行倒産を防ぐと見なされていたし、現代では国際経済システムは信用を銀行を通じて仲介するだけではなくヘッジファンド、プライベートファンド、投信銀行、その他の経路に及んでいるが、当時は「最後の貸し手」の役割がそこまで及ぶわけではなかった。)
In congressional testimony last week, Bernanke admitted the Fed has been "shocked" at how elastic the "lender of last resort" role has become.
(先週の議会証言でバーナンキは、米国連邦準備銀行がそこまで拡大した「最後の貸し手」を担わされていたことにショックを受けたと、認めた。)

 バーナンキ、がーん、涙目、ってやつですか。大恐慌の国際的研究者でもあるバーナンキも昔と今の違いがわかんなかったんだよぉ、ですか。
 いや、おちゃらかしじゃなくて、そういうことなんだと思うし、マジでいうなら、「最後の貸し手」に米国民以外に同盟国も乗っかることになるしかないでしょ。ヤダって言う?
 それにしても「最後の貸し手(lender of last resort)」か。
 "A last resort"、最後の行楽地、ラストリゾート、あー、そうじゃないんだってば。

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2008.10.03

大恐慌に軍靴の音を聞く……考え過ぎだけどね

 一週間ブログに穴を開けてしまった。気が付くともう10月。この一週間に世界はとんでもないことになったと言ってもいいかと思う。
 今年の年頭、私は北京オリンピックの馬鹿騒ぎが終わったあと、中国経済にめだった失速が始まり、それが不穏な空気を生むのではないかと思っていた。その兆候がなかったわけでもないし、率直なところその兆候は今でもあると思うが、それより先に米国が潰れた。住宅バブルが崩壊して世界経済にろくでもない時代がくることはわかっていたが、ここまでひどい事態を見ることになるとは思っていなかった。
 というか、自分の人生で世界大恐慌というのを見ることになるのかもしれないなと怯えた。よくマスコミでは日の丸だの靖国神社だのという私がさっぱり関心のない話題に軍靴の音が聞こえると表現するが、私は世界大恐慌の可能性にその音を聞く。第二次世界大戦は大恐慌が生んだのではないかと私は思っているからだ。ただ、その見方は歴史学的には正しくはないのかもしれない。まあ、考え過ぎだけどね。
 9月30日、朝いつものようにラジオを付けて目を覚ますのだが、どうも尋常ではない。米国下院を辛うじて通過すると思われていた金融安定化法案が否決されていた。否決? ありえない。呆然とした。25日のロバート・サミュエルソンのコラム”What's the True Cost?”(参照)の不吉な選択がまさか実現するとは。


But the biggest unknown lies elsewhere. What happens if Congress doesn't approve the plan, or something like it?
(最大の未知数は他にある。もし議会がこのプランを認めないとか、それに類することになったら、何が起きるだろうか。)
Zandi, a supporter, argues that the economy will get much weaker, that many more banks and financial institutions will fail, and that the rise of joblessness will be greater, as will the fall in tax revenue and the increase in unemployment insurance and other government payments.
(プラン支持者ザンディは、経済は弱体化し、銀行や金融機関は破綻し、失業の増加しする。同時に歳入の減少と失業保険と政府支出は増大すると論じている。)
Is this scare talk or a realistic threat? The true cost of Paulson's plan hangs on the answer, and if the danger is real and imminent, then the cost of doing nothing would be far greater.
(これは脅しなのか現実の脅威なのか。その答えに、ポールソン案の真価が掛かっている。もし危険が真実で切迫しているなら、なにもしないことの損失はさらに大きくなる。)

 30日の朝、米国株価は落ちていた。BSニュースを付けてニュースを聞いてみると、欧州側の金融不安ですでに下げているところでだめ押しになった感じはある。ブラックマンデーかとマスコミは騒いでいた。
 が、下げ幅は絶対量として見れば大きいが、比率として見ればそれほどの下げでもなく、翌々日にはもち返したかに見えたが、現状そうとも言えないダメダメ領域に突っ込みつつある。というか、雇用も悪くなり実体経済への影響はあるだろう。
 米国下院はバカか、バナナ共和国かといった悪態もあるだろうが、米国民というのはああいうものなのではないか。それもまた民主主義のプロセスでもあるのだろう。
 30日ワシントンポストのコラムニスト、スティーブン・パールスタインが"They Jus Don't Get it"(参照)で嘆くのもよくわかった。

The basic problem here is that too many people don't understand the seriousness of the situation.
(ここでの基本問題は、状況の深刻さを理解でない人が多すぎることだ。)

Americans fail to understand that they are facing the real prospect of a decade of little or no economic growth because of the bursting of a credit bubble that they helped create and that now threatens to bring down the global financial system.
(グローバル金融システム創造をかつて助けいまや脅かしている信用バブルの崩壊によって、向こう10年は経済間経済成長がなくなるという間近に迫った予測を、アメリカ人が理解するのに失敗している。)


 10年に及ぶ期間、国の経済成長が止まるなんて慣れっこさとか言いたいところだが、その国が今度は米国となると話は少し違ってくる。
 メディアはなんとなくブッシュ政権または共和党批判の基調トーンがあるので、その失策を責めるような感じを受けたが、反対228に賛成205という否決の内訳で、たしかに共和党の反対票は133と大きかったが、民主党の反対票も95もあり、私としては率直に言えば次期政権が民主党になるのを読んだ民主党の悪い駆け引きなのではないかと思った。もう少し踏み込んでいえば、メディアはブッシュのレームダック化や共和党のまとまりのなさを責めていたが、オバマが抱えた民主党の亀裂も大きいではないかと。
 法案は上院を経てまた下院に回される。この間の手間取りにユダヤ教の新年をはさみ、金融界のユダヤ人は動けなかった。バーナンキものんびり休んだかな。
 この問題、下院でまた否決される可能性がないわけでもないし、そこはもうわけがわからないという感じはする。まあ、わからないな。軍靴の音にならなければいいと思うが。
 先のサミュエルソンのコラムを読み直すと、いつものサミュエルソンらしく楽観的なトーンもある。実際の損失はポールソンがいうほどじゃなくて、その三分の一くらいで収まるかもしれないと。案外そういう結末になるのかもしれない。
 なんか過剰に深刻に構えてしまうのは、今回の事態で、ポールソンは早々にバズカー砲を用意したこともあると思う。スゲー、使わないつもりだからバズカー砲だと思っていた。が、使った。なので、びっくりした面もある。
 これは考えようによっては、ゴールドマン・サックス出のポールソンだっから算段しえたことで、そこには金融界の論理と、たぶんまだ歴史に明るみに出されない事実のようなものがあるのだろう。それでも、どちらかといえば、金融界の論理だったかもしれないとは思う。ああいう感覚はわからないし、サミュエルソンも率直に今回の対応に経験的には理解しづらい印象をにじませている。
 とはいえ、問題はすでに実体経済にシフトしつつある。サミュエルソンの連発のコラム”Bankrupt Economics”(参照)も29日の時点で雇用の悪化を想定していた。
 話はずっこけるのだが、日本の愚かな戦争は軍部の暴発を止めることができなかったからだという話もあるが、あのころの日本にも議会があり、議会が軍の予算を承認しなければ、軍を止めることはできた。財布の紐を締めるというのは議会の最後の力になる。今回の米下院にはあきれたが。

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