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2008.09.26

麻生首相がやって来て小泉元首相が去った、で?

 麻生首相がやって来て小泉元首相が去った、で? 私には何の感慨もない。麻生首相に期待もない。いやまったくないわけでもなく景気回復につながる政策をしてほしいと思う。だけど与謝野馨経済財政担当相に増税以外の何が期待できるだろう。中川財務相金融相兼任の「兼任」って何かの冗談か。いやいや、”日銀、8日連続の資金供給…合計16兆円以上”(参照)とか効くかもしれない。
 小泉元首相が去ったというか政界を引退した件についても何にも思わない。いやこれもしいて言えば66歳の引退は他の自民党議員に比べると若いようにも思う。が、当面無益な待望論を打ち消すにはよいか。というか、小泉元総理は長年の夢であった郵政解体以降すでに引退していたようなものだ。事実上安倍元総理がダメになるのを見越していたし、福田内閣にも関心はなかった。小池百合子にマジで期待していたとも思えない。
 で? この件で何か、いやほんと何にもない。一応世相の話題でもあるし、一応政治の話題でもあるのだけど、何にも思い浮かばない。海外紙だと、こういうときにどんな話をするのだろうか。と見ていた。が、ワシントンポスト社説では特に言及は無かったようだ。そりゃ、ないんじゃないかな。
 ニューヨークタイムズにはあった。”The Return of Taro Aso”(参照)がそれ。「麻生太郎の復帰」というけど、何が復帰、あるいは再来なのだろう。タイトルの語感がよくわからない。出だしを読むと萎える。オーニシ記者が書いたのか、みたいなクオリティ。


Japan’s new prime minister, Taro Aso, is well known --- and not fondly remembered --- by Japan’s neighbors as a pugnacious nationalist. As foreign minister from 2005 to 2007, Mr. Aso soured relations with China and South Korea and raised tensions throughout the region, praising the achievements of prewar Japanese colonialism, justifying wartime atrocities and portraying China as a dangerous military threat.
(日本の新首相は、日本の近隣諸国に有名だが、好ましくというのではない、喧嘩を好む国粋主義者として有名ということ。05年から07年の外務大臣時代、中韓の関係を悪化させ、この地域に緊張をもたらし、日本の戦前の植民地主義の達成を称賛し、戦時の虐殺を正当化し、中国を危険な軍事的脅威として描いた。)

 麻生さんを弁護する気はないが、そうだったかなと思うし、罪状あげつらったどくさに付け足した最後の"China as a dangerous military threat"(軍事的脅威としての中国)についていえば、それほど変な認識でもないのではないかというか、ニューヨークタイムズさんのお国と同じ見解のような気がするが。
 というわけで、執筆子、もしかすると麻生さんがクリスチャンというのも知らないのかもしれないなみたいな間抜けな雰囲気が漂う。

Now, the power brokers in the long-governing Liberal Democratic Party have made him Japan’s fourth prime minister in just two years and rebranded Mr. Aso as a “pragmatist.”
(今や長期の自民党政権の黒幕は彼をこの2年間の日本で4人目の首相とし、麻生氏を「現実主義者」のブランドに変えてみた。)

 というブランド変更が”The Return of Taro Aso”ということで、ようするに中韓に嫌われる国粋主義は自民党の黒幕だという感じの戯けた陰謀論のように書いてあるが、それをいうなら中韓受けのよかった福田元首相こそ黒幕の産物だった。ニューヨークタイムズは日本のこと知らないのだろう。くだらねえ社説とか思ってざっと読んでいく。

Nationalism is enjoying a disturbing political revival because many Japanese fear that their country, once Asia’s clear economic leader, is losing ground to booming neighbors. The answer for that doesn’t lie in the nostalgic fantasies about Japan’s ugly past for which Mr. Aso has become well known.
(国粋主義が不穏な復活を遂げつつあるのは、多くの日本人にとって日本国がかつてアジアの明確な経済的な盟主であったのに、今や台頭しつつある近隣国に対して地歩を失っているからだ。この解答は、麻生氏が知悉する日本の醜い過去についての郷愁的幻想にはない。)

 よく言うよだけど、その先に、おや?

Instead, Japan needs to modernize its economy by completing the market reforms begun by Junichiro Koizumi, the former prime minister.
(そうではなく、日本は経済を近代化する必要があるが、それは小泉純一郎元首相が着手した市場改革を貫徹することだ。)

 えええ、そこで小泉賛美が来るわけ? お茶吹いちゃいましたよ。これって社説じゃなくてジョークか。
 ジョークといえば、フィナンシャルタイムズはニューヨークタイムズみたいにオチに持ってくるのではなく冒頭でカマしていた。”A temp in Tokyo ”(参照)より。タイトルがまた面白いのだけど、意訳すると「日本政府の日傭い労務者」かな。

One feature of today’s Japan is the prevalence of contract workers in a once-stable labour market. Now even the prime minister holds a temporary job. Japan’s previous two premiers, Shinzo Abe and Yasuo Fukuda, lasted one year and 11 months respectively. The latest incumbent, just sworn in, will do well to beat even that poor showing.
(今日の日本の特徴の一つは、以前は安定していた労働市場における契約労務者の蔓延である。今や首相ですら日傭い労務者となれるのだ。日本の前首相二人、安倍晋三と福田康夫はそれぞれ1年または11か月職を得ることができた。就任したばかりの目下の現職は、体裁悪くても最善を尽くすんじゃなかろうか。)

 この嫌味な文章にしびれるが、さらにビリビリと。

Taro Aso, a blue-blooded aristocrat known for his slips of the tongue and penchant for teenage comics, is the latest gamble by a Liberal Democratic party desperate to retain its long hold on power.
(舌禍と青少年漫画偏愛で有名な、名門貴族出身の麻生太郎は、長期の権力維持のために焼け糞になった自民党の最近の賭けなのである。)

 うまいぞ、こら。嫌味がすべるすべる。

Like the haken shain, the dispatched workers sent by temp agencies, Mr Aso will have to please his new employees, the Japanese people, who have dismissed the last two prime ministers via lousy opinion polls. If he does not pass the test, he will be sent back to the Liberal Democrats to be replaced by yet another short-contract hopeful.
(日傭い派遣業者が送り込む労務者である"haken shain"こと派遣社員のように、麻生氏は雇い主である日本国民を喜ばせる責務がある。というのも日本国民は前二人の首相を世論支持低迷によって解雇してきた。もし彼がこの試験に落第すれば、別の希望に満ちた短期労働者と交代に自民党に送り帰されるだろう。)

 うまいぞ、こら。って、ネタがすべりすぎだよな。実際のところどうしろと? え、また小泉ですか。小泉は中国との関係をこじらせたが、として。

Mr Koizumi’s rhetoric was sometimes misleading. But he still provided a framework in which issues such as tax, spending, social welfare and Japan’s international role, could be debated.
(小泉氏の弁舌は時に間違っていた。しかし、それでも彼は、税制、歳出、社会福祉、国際的役割など検討可能な枠組みを提出した。)

That framework has been lost. Japan has been drifting. Almost no meaningful legislation has been passed since the opposition Democratic Party of Japan seized the upper house last year.
(その枠組みはすでに失われた。日本は漂流してきた。昨年参院を民主党が牛耳るようになってから有意義な法案は通らなくなった。)


 まあ、なんだかんだいっても小泉は偉かったという感じなのか、フィナンシャルタイムズ。
 では、麻生はどうすべきかというと。

Mr Aso’s chief task is to break this logjam so that Japan can regain some sense of purpose. Unfortunately, he holds few cards.
(麻生氏の主要な仕事は停滞を打ち破り、日本に目的意識を持たせることだ。残念ながら、彼にはその持ち駒はほとんどない。)

 つまり、麻生首相はダメでしょと。じゃ、どうすんの?

The best Mr Aso can hope for, then, is to provoke political realignment by enticing opposition parliamentarians into the LDP fold. Paradoxically, if he led his party to electoral defeat that might serve Japan better still. At least it would give the opposition a chance to show what it could do --- or how spectacularly it could mess things up.
(麻生氏が望みうることは、対立議員を自民党に組み入れて政界再編を喚起することだろう。おかしな話だが、彼が選挙を敗北に導けば、日本の事態はよくなるかもしれない。少なくとも、反対政党に何ができるかを明示させるチャンスになるからだ。つまり、どんだけめちゃくちゃなことになるか、わかるよ。)

 ほぉ。

Neither is likely. Japan’s premiership is likely to remain an on-the-job training scheme for some time yet.
(ってなことはでも起きないだろう。もうしばらく日本の首相の仕事は、新人研修的な状態に留まるだろう。)

 なーんだ、やっぱりネタか。
 しかしまあ、国際的に見れば、日本の目下の内政はこんな感じに見えるのだろう。

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2008.09.23

つまり、第二のプラザ合意みたいなものかな

 アメリカの金融の状況についてコラムニストのロバート・サミュエルソン(Robert J. Samuelson)がどのように言及するのか、私は期待していた。ニューズウィーク日本版に掲載された比較的最近の彼のコラムでは、米国経済の状況をそれほど深刻なものだと見ていなかった。しかし事態はすでに深刻と言っていいだろう。彼はこの状況をどう判断するのだろうか。ポールソンやバーナンキを批判するだろうか。
 私がサミュエルソンに注目するのは、ニューズウィークに転載される彼のコラムをかれこれ20年近く継続的に読み、いくつも真実を言い当ててきたと思っているからだ、というのに加えて、いわゆる経済学的な視点ではない経済コラムニストという視点がきらっと光る感じがするからだ。この事態に彼は何と言うか。22日付けのワシントンポストで”The Confidence Game”(参照)が掲載された。数度読み返した印象だが、非常にわかりづらい。どちらかというとがっかりしたという感じがする。
 出だしは事実をなぞりつつアイロニカルなトーンを浮かべている。


It's doubtful that Princeton University economist Ben Bernanke and former Goldman Sachs CEO Hank Paulson imagined what awaited them when they took charge of the Fed and the Treasury, respectively, in 2006. Since then, they have put their agencies on a wartime footing, trying to avert the financial equivalent of an army's collapse.
(日本版Newsweek訳:ベン・バーナンキはプリンストン大学のエコノミスト。ヘンリー・ポールソンはゴールドマン・サックスの前のCEO(最高責任者)。2人が06年、FRB(米連邦準備理事会)議長と米財務長官の職にそれぞれ就いたとき、こんな事態に直面するとは予想していなかっただろう。)

 バーナンキとポールソンがそれぞれの役に就いたとき、この事態を想定したとは思えないと切り出す。覚悟はなかっただろうということだ。
 私はバーナンキがFRBのヘッドになったとき、米国は恐慌になる可能性のシフトを敷いたのだろうなと思った。この天才ならすぱすぱと解決できるのかもしれないというのと、いや経済は生き物だから学問通りにはいかないだろうとも思った。その後のバーナンキの動向を見ているとやはり市場に慣れない部分があり、ポールソンなどと対話をしているようだった。その部分ではいわゆる経済学的な能力より別の実務能力が問われるのだろう。陰謀論的な意味合いではなく、バーナンキとポールソンは米国経済の中心にありその関連者も幅広い。サミュエルソンの皮肉はコラムとしては効いている。
 彼らを中心とした努力は、「信用」に関係しているとして、サミュエルソンはこう言い放つ。

It's all about confidence, stupid. Every financial system depends on trust.
(同:問題は信用の回復だ。あらゆる金融システムは、信用を頼りにしている。)

 ここが私にはよく読めなかったところだ。バーナンキとポールソンの奮迅は信用に関わることだが、それがわからないのは「stupid(ばかじゃね)」ということだろうか。追記:コメントいただきました。この表現の出所はクリントン元大統領の"It's the economy, stupid."(問題は経済だよ、このバカ)です。
 危機の構図についての説明は教科書通りに続くとも言えるのだが、サミュエルソンお得意の数字読みは考えさせられる。

As is well known, the crisis began with losses in the $1.3 trillion market for "subprime" mortgages, many of which were "securitized" -- bundled into bonds and sold to investors. With all U.S. stocks and bonds worth about $50 trillion in 2007, the losses should have been manageable.
(同:始まりは1兆3000億ドル規模のサブプライムローン市場が崩壊したこと。そうしたローンの多くは証券化され、投資家に販売されていた。07年の米株式・債券の時価総額は50兆ドルだったから、その損失は吸収できるはずだった。)

 50兆ドルの市場において、失われたサブプライムローンの規模は1.3兆ドルに過ぎない。藤巻健史もこの規模を指摘していた。目下の金融崩壊は「サブプライムローンに端を発した」とはいえるが、それ自体の問題ではなかった。が、思わぬ展開になった。どこかで押し止める歴史のイフはあっただろうかというとそこはわからない。サミュエルソンも読めていなかっただろうし、それを冒頭の"It's doubtful that"でバーナンキとポールソンにもかぶせたあたりの書き方はちょっと汚い。
 危機の根幹にはCDS(参照)があり、その部分をサミュエルソンはこう教科書通りに指摘する。

So the crisis spread because the initial losses were multiplied. AIG, the nation's largest insurer, is a case in point. Although most of its businesses -- insurance, aircraft leasing -- were profitable, it had written "credit default swaps" (CDS's) on some subprime mortgage securities. These contracts obligated AIG to cover other investors' losses. In the first half of 2008, AIG itself lost about $15 billion on its CDS contracts, and through the summer losses mounted, resulting in downgrades of the company's credit rating and a need to post more collateral. AIG didn't have the cash.
(同:こうして危機が拡大した。AIGが典型的な例だ。同社は保険業や航空機リースなどで利益を上げていた。問題は、一部のサブプライムローン関連証券の信用リスクをクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)で保証していたこと。CDSは損失を肩代わりする保険のような契約だ。AIGはこのCDSで損失が拡大したため、巨額の追加担保が必要になった。)

 単純に言えば、元手のないクレジットデリバティブで転けてしまうことがあるのは当然だろう、ということか。
 サミュエルソンはCDSに潜むかもしれない本質的な問題といった考察はしてない。コラムの字数制限かもしれない。今回の危機で私みたいな素人がよくわからないのは、このクレジットデリバティブの問題だ。ウィキペディアを参照すると(参照)。

例えばCDSは、買い手が定期的に売り手にリスクプレミアムを支払い、売り手は万一あらかじめ決められた参照企業にデフォルトが発生した場合にその損害額を保障するという契約である。このリスクプレミアムの計算には金融工学的手法が使われる。

 仮にこの単純な例で考えるのだが、今回の事態はリスクプレミアム計算の金融工学的手法の間違いなのか、そもそも、これらは複雑なネットワークになったとき、必然的なシステムリスクを持つものなのか。状況を見ていると、後者のようでもあるが、そこは学問的にはどうなのだろうか。経済学的な説明というのを見かけないのは私の視野が狭いか。
 サミュエルソンのコラムに戻る。
 経済コラムという単純な土俵に還元して言えば、この事態にバーナンキとポールソンがどのように対処しえたかという歴史のイフが問われていることになる。もっと上手はなかったか、と。
 サミュエルソンは彼らの手を三段階に見せ、一段階の金利低下は標準的だが、後の2手は斬新なものだった("By contrast, the second and third responses broke new ground.")という。だが、そこがまた読みづらい。

If banks remained reluctant to make routine short-term loans -- fearing unknown risks -- then the Fed would act aggressively as lender of last resort. Bernanke created several "lending facilities" that allowed banks and investment banks (such as Goldman Sachs) to borrow from the Fed. They received cash and safe U.S. Treasury securities in return for sending "securitized" mortgages and other bonds to the Fed. In this manner, the Fed has lent more than $300 billion.
(同:一つは銀行がリスクを恐れて短期融資を渋り続ける場合、FRBが積極的に貸し手の役割を果たすというものだ。バーナンキは、FRBが金融機関に直接融資することができる制度を新設。金融機関は証券化された住宅ローン債権などを担保に差し出し、現金や安全な米国際を受け取る。FRBはこの方法で3000億ドル以上を貸し出した。)

Next, the Fed and the Treasury prevented bankruptcies that might otherwise have occurred. With the Fed's backing, the investment bank Bear Stearns was merged into JP Morgan Chase. Fannie Mae and Freddie Mac, the mortgage giants, were taken over by the government; their subprime losses had also depleted their meager capital. And now AIG has been rescued.
(同:次にFRBと財務省は、大手機関の破綻防止策を講じた。FRBは証券大手ベアー・スターンズへの緊急融資を実施して、IPモルガン・チェースによる買収を実現。政府系住宅金融のファニーメイとフレディマックを政府の管理下に置いた。そして国会、AIGを公的資金で救済した。)


 つまり、2手目、バーナンキによるカネの放出は下手、ということだろうか。3手目、国家による救済や国家指導の下の統合は下手、だろうか。
 サミュエルソンはこれによって、米国民はどれだけ税を担うのかと問うているようだが、私としてはこの手を打つべきではなかったとも思えない。
 結語は投げやりと言っていいだろう。

Paulson has one powerful retort: It's better than continued turmoil. But that presumes success and raises an unsettling question: If this fails, what -- if anything -- could the government do next?
(同:「混乱が続いてパニックが起きるよりはまし」と彼は考えている。その考えは対策が成功することを前提としている。もし失敗したら、果たして政府に打つ手があるのだろうか。)

 ポールソンにしてみれば金融の混乱を止めるには仕方ないとしてとしても、もうこれで政府の打つ手はないでしょう?というのがサミュエルソンの皮肉だ。
 コラムとしてはそれでいいかもしれないが、読み手の私は釈然としない。結語ではない部分に本音が隠れているのではないかと読み直すのだが、ここだろうか。RTC的な機構に関連して。

The Fed has financed its lending program by reducing its massive holdings of U.S. Treasury securities. It cannot do this indefinitely without exhausting all its present Treasuries. The Fed might then resort to old-fashioned -- and potentially inflationary -- money creation.
(同:実務的な問題もあった。FRBは一連の救済策をまかなうため、保有する米国債の一部を処分せざるをえなかった。もし手持ちの米国債がなくなれば、FRBはインフレの危険を冒してでもドル紙幣の増刷に踏み切りかねない。)

 米国財務が空っぽになるようなことをすれば、残された、ありきたりの道は、紙幣を刷りまくることだし、インフレになるだろうと。
 そういうことになるのだろうか。
 サミュエルソンのコラムとしては、ちょっと無責任な感じがするのと、それ以上は言えないコラムの限界があったかなとも思うが。
 経済コラムということを除けば、サミュエルソンの実質的な示唆は当たるのではないか。私は今回の米国の対応は、第二のプラザ合意ということなんじゃないかと思う。またまた日本がツケを払うということでもある(バブルとその崩壊の芽はプラザ合意にあった)。
 中国もツケを払うことになる。中国はそれに同意しているようだが、予想通り(参照)インフレへの舵を切ったから、一番のババ掴みは日本になるだろうか。
 関連して、今週の日本版ニューズウィークは激動に間に合わなかったが、”リーマン危機で金融恐慌の脅威(A Sour Lehman Aid)”というダニエル・グロスによるダジャレ・タイトルのコラムは示唆的だった。

 ベアーや住宅公社2社とは事情が違う、というのが財務省の主張。住宅公社の場合、両者が発行する債券は暗黙の政府保証つきとみなされ、中国人民銀行など世界の中央銀行が大量に保有していた。FRBによればその残高は、08年3月末時点で9850億ドル。アメリカ政府は、それが債務不履行に陥ることで重要な貿易相手国が大きな損失をこうむる地政学的なリスクを冒すことはできなかった。「大きくてつぶせなかったわけじゃない」と、調査会社フュージョンIQのバリー・リソルツCEOは言う「中国に借りがありすぎたんだ」

 私は米中の金融の摺り合わせは努力してもそれほどうまくはいかないだろうと思っていた。実は今でもそう思っている。しかし、ようするに今回の米国金融の混乱は、米国はそれなりに自分の肉を切っても中国に摺り合わせの努力をしているということかもしれない。中国もそれに目下応えているようだ。
 米国民がそれに同調するか、北京がどこまで同調できるかわからない。どっちかといえば、ワンテンポ遅れていやな崩壊がありそうにも思う。

追記
 日本語版ニューズウィーク日本版10・1に邦訳が掲載されたので、該当部分の訳を補っておく。ただし、比べてみるとわかるようにあまり適切な訳とは言えないかも知れない。

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2008.09.21

北京オリンピックが終わったので、プラズマテレビを買った

 3月のエントリ「極東ブログ: 北京オリンピック近づくに黄砂の他に舞うもの」(参照)でこう書いたものだった。


私はオリンピックにはほとんど関心はないが、つつがなく北京オリンピックが成功すればいいなと思っている。そしてできたら秋口に値崩れしたハイビジョン・ディスプレイでも買おうかな、とその程度の思いしかない。

 というわけで、ハイビジョン・ディスプレイっていうか、ハイビジョンテレビを買った。結論からいうと、プラズマテレビにした。「Panasonic VIERA 42V型地上・BS・110度CSデジタルフルハイビジョンプラズマテレビ TH-42PZ800」(参照参照)というやつ。
Panasonic VIERA 42V型地上・BS・110度CSデジタルフルハイビジョンプラズマテレビ TH-42PZ800
Panasonic VIERA 42V型
地上・BS・110度CS
デジタルフルハイビジョン プラズマテレビ TH-42PZ800

 この手のものを買おうかなと思ったのは昨年2月、エントリ「極東ブログ: 普通に人が知っていることで私が知らなかった三つのこと」(参照)にも書いた。この時点でまるで理解しておらず。

 とりあえず自分なりに納得したものの、またダイモンはささやく。どうもサイズが変だ。ハイビジョン・ディスプレイのサイズが、ブラウン管のそれと違うようだ。
 帰宅してネットで調べてみた。解説によると、29型ブラウン管テレビの縦のサイズは32V型のハイビジョン・ディスプレイのサイズより短いらしい。とにかく、そうらしい。なので40V型を買えとのことだ。これも普通に人が知っていることで私が知らなかったことみたいだ。

 このエントリでdrpさんから有益なコメントをいただいた。

地上デジタル放送は1920x1080(インターレース)で配信されています。これをハイビジョンと呼ぶなら、パネル画素が1366x768しかない多くの横長テレビはハイビジョンデータを低解像度で表示する「似非ハイビジョン」です。これを知っているマニアの間では、そのようなテレビに対して「ハーフHD」という屈辱的な呼称が用いられています。

ところが、電器屋の集い(JEITA)の定義上は垂直650画素を超えれば「ハイビジョン」を呼称できることになっているため、店頭の多くの似非ハイビジョンも「ハイビジョン」と表記しているわけです。で、似非ハイビジョンを「ハイビジョン」と呼んでしまったために、本来のハイビジョンに対応しているものは「フルスペックハイビジョン」などという複雑な名前で呼ばなければならないという、消費者置いてけぼりの状態となっているのが現状です。


 他にも有益なコメントをいただいて今回購入時に参考になった。ということは、実は今回購入するにあたってよくわかっていなかった。今では多少理解して、というか実際に見て納得したが、現行の地上デジタルは1440×1080iが多いようだ。NHK BS hiは1920×1080で、これを「フルハイビジョン」と呼ぶらしい。ちなみに、私は早々にBS hiは受信契約している。
 いろいろと無知だったな、なのだが、なかでも実に無知だったなと思うのは、通常のDVDの多くも4:3のSDTVだったわけだ。ディスプレイ購入後映してみて、わかったというか、なるほど世人がブルーレイっていうわけだ。というか、DVD映像汚いじゃん。
 プラズマテレビ購入に至るまでのどたばただが、当初、ソニーかシャープの液晶を考えていた。親族の家で見せていただいたおり、液晶よりプラズマがいいよとは言われていたが、プラズマというのもよくわからなかった。サイズは37型くらいでいいと思っていた。
 で、いくつか液晶テレビを家電店店頭で見たのだが、どうもキモイ。なんか表示が普通じゃないという感じがする。そのうち、微妙に船酔いみたいになる。これはいったいどういうことなんだろ、でかいディスプレイに慣れてないからか、目が悪いからか、と思ったのだが、どうも気持ち悪いな感は再現する。同じような感想を持つ人はいるんじゃないかとぐぐって知ったのだが、どうも「液晶酔い」ということらしい。へぇ、まいったな。
 最近の液晶テレビ技術だと描画速度も上がってそういうことはないという話も聞くので、また家電店で見てみるのだが、最新の機種のでも来る。だめだわ、俺、大型テレビ向いてねぇと思ったあたりで、そうでもないのを見つけた。つまり、それがプラズマ。
 じゃ、プラズマテレビで考えますかと、いうところで困ったのは、プラズマテレビって37型というのはほぼない。じゃ、42型でもいいか。液晶テレビを選択するときはあれこれ迷ったけど、42型のプラズマテレビとなると、ぐっと選択は狭くなる。で、当初パナソニックのPX80というのを考えた。ちなみにこれだと37型もある。店頭で見てみた。液晶酔いはないんだけど、なんか暗いし発色悪い、横のと比べるとジャギー、ということで、この時点で、ようやく「ハイビジョン」と「フルハイビジョン」の違いがわかった。PX80はフルハイビジョンではないのか。
 なんかセリの金額が上がっていくようだが、次にフルハイビジョンのPZ80を検討した。ま、これでいいんじゃないのと思った。そこで隣に置いてあるPZ800と見比べなかったら、そのままPZ80にしていたと思う。でも、比べたら、色が違った。まいったな、オレこんな些細な色にこだわる人間だったのかよと自嘲して、まあ、PZ80で決まりということにいったんした。買うのは後日もう一度別の家電店で比べてからにしようと思った。
 眠れない。
 というほどでもないが、どうもPZ80の発色が気に入らない。発色なら液晶のほうがええんでないのと液晶を見ると、ああ、もうだめ。しかたないなということで、この機種TH-42PZ800にした。ネットで買うと安いのだけど、この手のものは地域の家電店で買ったほうがいいだろ、そのくらいは経済学でいう「取引コスト」の部類かなと。
 私はもともとテレビ番組はほとんど見ない人というか、VDRに適当に貯めて再生するだけなんだが、実際に部屋に入れてみたら、42型でもすごい迫力っていうか、きれいなもんだな。というわけで、VDRの録画のほうもHDクオリティというのかハイビジョンにしたし、地上波デジタルなんてイラネとか思っていたけど、以降、地上波デジタルしか録画しませんよ、オレ。
 Wiiに接続したら、げ、Wii Fit島のこんなところにマリオいるじゃん、ひどいよ的ですよ。こんなに世界は広かったのか。では、広い世界でグラディウス・リバースやったら楽勝じゃんとか思ったけど、それはダメでした。
 とま、すっかりハイビジョンな私になってしまって、あれですな、気分は。

汚れっちまった悲しみに
今日もきれいな映像だ
汚れっちまった悲しみに
今日も女の皺を見る

汚れっちまった悲しみは
たとえば狸の玉裘
汚れっちまった悲しみは
小雪(参照)のかかってちぢこまる


 昨日のエントリ「極東ブログ: パパと一緒に食べたいの♪」(参照)で昔のCMソングの話を書いたが、あのなかに「うちのテレビにゃ色がない♪」というのがあったが、白黒テレビからカラーテレビ、そしてハイビジョンテレビを経験したなあ。なんだか夢の未来を生きているみたいだ。

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2008.09.20

パパと一緒に食べたいの♪

 諸君10月号「ブログ論客かく語りき これが〈格差〉の現実だ」にジャーナリストの佐々木俊尚さん、「アンカテ」主宰アルファブロガーessaさん、「天漢日乗」主宰アルファブロガー天漢さんの鼎談があって、それはそれで面白いには面白いのだけど、出だし近く、ブログ論壇というのは75世代が中心かなみたいな話があり、それはあれかな、06年8月の文藝春秋に梅田望夫さんの「グーグルを倒すのは'75世代だ」のエッセイの流れだなとか読んでいくと、その梅田さんは47歳とあり、ファイナルベントさんは50歳というのがあった。え?と思うより、ちょっと他人事のような感じがしたのは、俺っち50歳をしっくり受け止めてない部分はある。と、枕。
 でも、50歳という、自分に積み上げられた年月もだけど、それより自分が生まれた昭和32年、西暦1957年という時代の感触を思うこともある。世代論的には私は、団塊世代から新人類世代への中間の徒花のようなものでそのヤーヌス的な心性もある。というのが、標題「パパと一緒に食べたいの♪」である。
 「パパと一緒に食べたいの♪」というのを見て、頭にメロディラインが浮かんでいるのはどの年齢までだろうか。そう思ったのは、たぶん私より5歳ほど若い世代の方ではないかなと思うが、「日曜日には父がラーメンを作ってくれたものでした」といった述懐を聞きいたおり、脊髄反射で私が「パパと一緒に食べたいの♪」とツッコミすると、「それってCMですか?」と逆に問われたことがあったからだ。仮にその方が私より5歳分お若いとして昭和37年生まれ、つまり1962年生まれということになる。そう考えてみて、なるほどな、もしかすると、「パパと一緒に食べたいの♪」のメロディラインは想起されないのかもしれない。
 「パパと一緒に食べたいの♪」は明星食品のインスタントラーメンのCMである。


明星即席ラーメンのうた

雨が降ってる 日曜日
坊やドロコンコ なぜ泣くの
あそこの角で ころんだの
どうしてそんなに 急いだの
明星即席ラーメン
パパと一緒に食べたいの


 今50歳以上の人なら誰でも歌えると思う。省略した二番まで歌える人は少ないだろうが。
 これはいつの歌だったか。「60年代の食文化」(参照)というサイトの情報が正しければ、明星食品「明星即席ラーメン」(スープ別添え)は1962年の製品なので、62年ではないか。
 そう考えるといろいろ辻褄が合う。私が5歳ころで、まさに「明星即席ラーメンのうた」に出てくる「坊や」くらいの年齢だ。そして、ここが歴史の情感としてわかりづらいのだが、「パパと一緒に食べたいの」は5歳の私の心情そのものだった。「雨が降ってる 日曜日」に、パパと一緒に食べたいものはインスタントラーメンだった。
 これはその時代のパパからも言えることだろう。知人で私より数歳お若い高級官僚の娘さんというかお嬢さん(今ではもちろんおばさん)がいるが、子供のころやはり、パパとラーメンを食べていた記憶が鮮明にあると言ってた。パパは昭和一桁の世代だろうし、そのころの戦中・戦後の若いパパは子供にインスタントラーメンを作ったものだった。
 しんみりくる感じの話に無粋なメモが割り込むことになるが、「明星即席ラーメンのうた」はまさに「即席ラーメン」というキーワードが歌詞に入っているのだが、先のサイトの写真から見る商品名は「明星ラーメン」であり、英語でINSTANT RAMENとはあるものの、そこには「即席」という言葉も「インスタント」という言葉もない。明星食品の会社沿革(参照)でも1962年に「スープ別添の明星ラーメン発売」とのみある。ウィキペディアの明星食品(参照)の項目ではこうある。つまり、「明星即席ラーメン」という呼称はやはりない。

スープを粉末化して小袋包装する技術いわゆる「スープ別添方式」を開発し「明星ラーメン」を商品化する。この形が即席麺の標準型として現在まで受け継がれ、ラーメンのみならず、焼そば・和風麺が各社から商品化された。

 ところで、この粉末スープであることの意味合いは、先行するチキンラーメン(参照)が味付け麺だったことの対比にある。チキンラーメンのほうが湯を注ぐだけだったが、明星ラーメンのほうには多少なりとも調理的な手順があり、おそらくそこが「パパと一緒に食べたいの♪」という商品コンセプトでもあったのだろう。そして、にもかかわらず、それがインスタント食品であることを強調するためにCMソングでは「明星即席ラーメン」となったのではないかな。
 さらに重箱の隅をつつくようだが、現在のインスタントラーメンの「インスタント」は当時はこの歌のように「即席」だった。いつ「インスタント」が定着したのだろうか。先の「60年代の食文化」のサイトには次のように考察している。

 「インスタント」という言葉が最初に使われたのは1960に発売された森永製菓の「インスタント・コーヒー」だったと言われています。
 即席ラーメンの草分け、「チキンラーメン」は1957年ですから、インスタント以前の商品だったのです。即席ラーメンをインスタントラーメンと呼んだのは1960年代に入ってからということになりそうです。

 そうかなとも思うがはっきりしたことはわからない。インスタント・コーヒーについても、私の記憶を辿ってもはっきりとはしない。
 「パパと一緒に食べたいの♪」の明星即席ラーメンのうたに話を戻すと、該当の商品が出来た年代に加えて、なぜ私がこのCMソングを聴いていたかなのだが、つまり、62年ごろ何の番組でこのCMを聞いたのか。私の記憶では、日曜日昼時の10チャンネルの番組の一連ではなかったかと思う。だから「雨が降ってる 日曜日」なのではないか。ついでだがこの時間帯では「男は度胸、女は勘定。お手手出しても足出すな」の「がっちり買いまショウ」(参照)も懐かしい。
cover
懐かしのCMソング大全2
1959-1966
 私は懐かしむという心情がどうもうまく受け入れられない面があるのだが、最近はグラディウス・リバースも買うだけ買ったしみたいなノリというか、さすがにこのCMソングをフルで聞きてみたくなり、収録されている「懐かしのCMソング大全2: CMソング, ボニージャックス, BLACK CATS, 榎本健一, 小海智子, 牧嗣人, 楠トシエ, 中島そのみ, スリー・キャッツ, ボーカル・グループ, 東京混声合唱団」(参照)を買ってしまった。1959年から1966年ということになっているが、いくつかは70年代まで生き延びているようだ。

曲目リスト
1. まみむめもりながの歌
2. いろはのいの字の磯じまん
3. 明治JPチョコレート
4. ペンギンさん
5. バンロンの唄
6. アルペンの歌
7. 不二家ハイカップ
8. アサヒビールはあなたのビール
9. やっぱり味の素
10. くすりは山之内
11. 伊東に行くならハトヤ
12. 渡辺のジュースの素の歌
13. キャンロップの歌
14. 不二家パラソルチョコレート
15. ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー
16. サロンパス
17. ヴィックスの唄
18. テル
19. アツギのタイツで
20. アツギ・シームレスストッキング
21. パント錠の唄
22. グッと飲んだわグロンサン
23. タケダ・オープニング・テーマ
24. 長生きチョンパ
25. スカッとさわやか
26. ネスカフェ43粒スプーンに一杯
27. チキンラーメンのうた
28. 明星即席ラーメンのうた
29. 渡辺インスタントココア
30. 明治マーブルチョコレート
31. ブタブタ子ブタ
32. アスパラでやりぬこう!
33. ハウス・バーモントカレーの唄
34. 春日井シトロンソーダ
35. パンシロンの歌
36. ワンサカ娘(レナウンの唄)
37. 明治チョコレートボール
38. かっぱの唄
39. 日石灯油だもんネ
40. ヘーイ,ミスター・ダッシュ
41. ワタシニモウツセマス(フジカシングル8)
42. サクマのチャオ
43. うちのテレビにゃ色がない
44. フェザー・オソリソリ
45. 明治ポリック水虫出たぞ
46. 意見が合うのは

 懐かしい、泣けるかと思っていたが、いくつかはあまりにビビッドに記憶が蘇り、当惑というのか幻惑感があった。「ヘーイ,ミスター・ダッシュ」とか思わず、脊髄反射でエコーしてしまいましたよ。ブルースカーイ、ブルースカイ♪
 明星即席ラーメンのうたが「ロカビリー3人男」ミッキーカーチス(参照)というのは知っていたが、歌詞まで彼だったのか。
 「伊東に行くならハトヤ」が野坂昭如というのは知っていたが、「不二家パラソルチョコレート」もそうだったのか。そういえば、パラソルチョコレートって今でも不二家で売っているんだろうか。あ、あった(参照)。
 ミニマルみたいな「キャンロップの歌」も野坂か。やっぱり佐久間のキャンロップだよな。 「サクマのチャオ」の歌は天地総子。「ワタシニモウツセマス(フジカシングル8) 」の台詞は扇千景(参照)かあ。
 「ネスカフェ43粒スプーンに一杯」は弘田三枝子、う、うまいなあ。っていうか、弘田三枝子はレナウン娘だよな。
 ああ、なんかもう気分は爺。

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2008.09.19

AIG救済、雑感

 リーマンは救済されなかったが、AIG(American International Group)は救済された。リーマンを見捨てた時点では、米国家による救済はこれで終わりメッセージとも受け取れる感じはあったので、その後AIGが救済されると、後付の理屈はいろいろあるせよ、恣意的な印象は否めない。
 今朝の朝日新聞社説”ドル資金供給―市場安定に方策尽くせ”(参照)も「リーマンを見殺しにしたかと思えばAIGを救済し、市場が動揺したら世界中にドル供給網を張る。米当局の対応には泥縄の観も否めない」とぼやいてみせたが、まあわからないわけでもない。
 近く僧正の申し開きもあるだろうし、僧正が役職ついた時に書いた「極東ブログ: バーナンキ祭の後」(参照)でワシントンポストのコラム”Inflation: Man vs. Machine”(参照)に触れたが、僧正はもともと”he proposed creating a machine to crank out the central bank's interest-rate decisions.(彼は中央銀行の利率決定を量産する機械の製造を提案した。)”という考えのおかた。FRBの運営など理論どおりにメカニカルに遂行すればいいといった考えの持ち主でもあるので、FFは○、リーマンは×、AIGは○というのも機械的な説明があるのではないか。いや皮肉。目下の問題は金利ではないし。
 「極東ブログ: リーマン破綻、雑感」(参照)で触れたフィナンシャルタイムズは、AIG救済についてはなんと言うのかなと気にしていたが、17日付けの”Changing the rules of the game”(参照)がそれ。曰く「ゲームのルールは変更だ」ということ。救済基準の変更ということでもなさそうだがと読み進めていくと、ちょっとどきっとしたことが書いてあったので、エントリでも少し触れておきたい。


Just two days after allowing a large investment bank to fail as a stern statement of free market discipline, Ben Bernanke, chairman of the Federal Reserve Board, and Hank Paulson, Treasury secretary, in effect nationalised American International Group, the insurance giant. There was no alternative, but these dramatic steps show how finance will never be the same again.

 出だしはしけた感じで事後確認。他に手はなかったじゃん(There was no alternative)ということ。そのあたりは後で補足もあるだろうし、いくらでも補足はありうるのだろうが、問題は"these dramatic steps show how finance will never be the same again"ということだ。ようするにもう金融の世界は同じルールでやっていけないよということ。以前の”Kill or cure for the Wall Street malaise”(参照)の"the banking system as we know it has failed."と同じ意味に受け取っていいだろう。未来の金融の世界は今と同じではない。
 では、どうなるというのだろうか。その前に。AIGを救わざるをえないということについてフィナンシャルタイムズはこう弁解する。

But AIG was too important to go under. Default on its $441bn exposure to credit default swaps and other derivatives would have been a global financial catastrophe.

 CDS(参照)やその他のデリバティブ、都合4410億ドル(47兆円)が不履行となると世界経済の崩壊(global financial catastrophe)となるらしい。私にはよくわからないがフィナンシャルタイムズが言うのだからそうなんだろう。その先の説明には焼け糞感が漂う。

As with Freddie Mac and Fannie Mae, the nationalisation of AIG has caused problems for future policymakers, but future systemic moral hazard is of secondary importance when the system itself is at risk.

 世界経済のシステムが崩壊することに比べるなら、モラル・ハザードなんて二の次だよ(moral hazard is of secondary)、と。あれだな、吉本隆明がよく言っていたが、食うに困ったら盗みでもなんでもやれみたいな話だな。
 フィナンシャルタイムズはこの続きで、AIG救済のスキームはよく出来ているし、僧正が金利を下げずにカネを投下したのもよしとしている。それはそうではあるんだろうが。
 私がどきっとしたのは、しかし、そんなことではなく、次の指摘だ。

Of potentially greater importance, however, the reach and power of the state has been greatly extended. The Bear Stearns bail-out involved the Fed moving to cover investment banks. With the AIG takeover, it has moved into insurance.
(潜在的な一層の重要性は、しかしながら、国家の対応範囲と権力が大幅に拡大されてしまったことだ。ベア・スターンズ救済によって国家の中央銀行が投資銀行を兼ね、AIG救済では保険業務まで担うことになってしまった。)

 国家が巨大な投資銀行と保険を含み込んでしまったというわけだ。
 国家なんてものは小さければ小さいほどいいという吉本主義者の私にしてみれば、米国のこのデブデブ状態は社会主義みたいなものだし、結果論からすれば、それはないでしょ的な存在だ。

In the long run, policymakers must turn their minds to how systemically important institutions should be governed without creating over-powerful regulators, and whether any parts of the financial system might best be kept in the public sector.

 米国家は結局投資銀行と保険を運営しなくてはならないはめになったということ。
 フィナンシャルタイムズもそこを憂慮している、ということでもある。

Governments are currently rightly preoccupied with crisis management. The next challenge will be to work out how far the state should stay as more than just an umpire.
(政府が危機管理に没頭しているのは目下とのころは正しい。だが、次の課題は、国家が審判以上の役回りをいつまでこなしていくかということだ。)

 国家が投資や保険なんかやるもんじゃないよ、というのだが、はて? なんかを思い出すな。そういえばつい最近まで、国家が投資や保険をやっていた経済大国があったっけ、どこだったけ、極東のあたりに。
 洒落にならない。日本がようやく、国家規模の投資銀行である郵貯と保険屋である簡保のワンセットの郵貯民営化への糸口を見つけたのに、本家米国では投資銀行と保険屋を今から国営化ですかい。米国最新トレンドってやつか。
 っていうか、日本の郵政解体もそう簡単なことではないから、実際の展開に当たって見直しも必要なるのかもしれないというのは、わからないことではない。私は、小泉郵政選挙の際、その支持をしたために小泉マンセーに見られて、ひどい揶揄や中傷や嫌がらせを受けたが、私は小泉支持者ではなく、十五年来の小沢一郎の支持者だったし、彼も郵政の自主運営を唱えてもいた。郵政民営化は小沢がやるべきだと思っていた。あの選挙の時でも、郵貯と簡保の民営化を彼は認めていた。
 が、話がだいぶずっこけるが、それが、郵政民営化を潰す点で国民新党と一体化するという話を聞いたときは、がっかりした。郵政民営化の見直しというのはあってもいいと思う。だが、大樹をバックにした国民新党の路線を呑んでのことではないでしょ。
 今しがたニュースを見たら、民主党と国民新党の合同はお流れになったそうだ。それはよかったねと思ったが、日経記事”民主、国民新が合併断念”(参照)によると、決裂した理由は、「国民新党は対等合併と民主党の党名変更を求めていたが、民主党が応じなかった」ということらしい。戦陣訓其の二第八「名を惜しむ」、あるいは義経の弓流しの故事か。なんかもう……。

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2008.09.17

日本の備蓄米放出の話、その2

 米国経済の問題は依然混沌としているが、日本の備蓄米について、この機に少し言及しておくべきかな。話は、「極東ブログ: 日本の備蓄米放出の話」(参照)の続きになる。
 最初に関連事項だが、ニューズウィーク日本版9・17でビル・エモットが福田辞任にふれたコラム”政権交代まで日本の漂流は終わらない”のなかに気になる言及があった。


 日本は世界的な食糧危機に有効な対応を取れなかった。もしコメの備蓄を国際市場に放出したり、アジア諸国に大型の経済支援を実施していれば、中国に対抗してアジアでの発言力を高めることができたかもしれない。

 読みながら私は迂闊にもあれ?と思った。いろいろごたごたした経緯はあったもののそれなりにコメの備蓄を放出したのではなかったかと。
 ところが、そうではなかったようだ。15日付けワシントンポスト社説”Release the Rice (III)”(参照)を読んで驚いた。というか、(III)になる理由は、先に書いた「極東ブログ: 日本の備蓄米放出の話」(参照)にすでに書いた。
 さてこの(III)だが、リードは”While the hungry suffer, Japan still sits on a mountain of imported grain.(飢餓に苦しむ間、日本は依然輸入米の山の上に胡座をかいている)”というもの。

JAPAN'S RICE mountain is a monument to the irrationality of economic protectionism. Rice-growing in Japan is notoriously inefficient. But it is also the source of income for a powerful political constituency, so the country blocks consumers from eating imported rice.
(日本のコメの山は経済保護主義の非合理性の記念碑である。日本の稲作の非効率性は悪名高いばかりか、強い政治的な選挙地盤獲得の源泉でもあり、この国は輸入米を消費者が食用にしないようにしている。)

 輸入米を食わせないようにするのがポイントということ。なんかふと思い当たることがあるようなないような。

As a sop to the United States and other producers, each year Japan imports some rice, which it stores in warehouses. As of April 1, the stockpile had accumulated to 1.3 million metric tons, enough to feed more than 20 million Japanese for a year.
(米国やその他の生産者のご機嫌伺いに、日本は毎年所定のコメを輸入し、倉庫に備蓄している。4月1日には、備蓄は130万トンに達し、年間2千万人日本人を養うに十分な量にまでなった。)

 世界全体がコメ余りならそれもありかもしれないが、そうではなかった。アジア諸国にコメ高騰の危機が及び、世界中から日本のコメ政策が叩かれ、フィリピンに20万トン、アフリカに2万トンを提供することをアナウンスした。
 で、それは実施されたと私は思っていた。違った。ワシントンポストはこう嘆く。

We applauded these moves -- but we may have spoken too soon. Three months later, Japan has not released a single grain. The sale to the Philippines has not happened because the two countries are still haggling over price. Nothing more has been heard on Africa donations; a spokesman for the Japanese Embassy in Washington told us that he had no details. Meanwhile, Bloomberg News has reported that Japan is considering selling 600,000 metric tons of the rice to its own farmers for use as animal feed.
(私たちはこの動向を賞賛した。が、時期尚早だったかもしれない。3か月が経ても、日本はコメ一粒も放出していない。フィリピンへの売却が実現しないのは未だに二国間で価格交渉をしているからだ。加えてアフリカへの贈与の話も聞かない。ワシントンの日本大使館広報員が私たちに語ったところによれば、詳細情報はないとのことだ。その間、日本は60万トンの備蓄米を自国畜産業者に家畜飼料として売却を検討していると、ブルームバーグ・ニュースは伝えていた。)

 これはひどい話だなと思う。というかワシントンポストのRelease the Rice (III)を読むまで私は事態がそういう進展をしているとは知らなかった。戦後の飢えに苦しんだ日本国民なら他国の飢えも理解していると思ったが、自国の家畜用にするのか。
 幸いというべきか、ワシントンポストの社説もこの先指摘しているが、当時1100ドルのコメ価格は約735ドルにまで落ちている。ワシントンポストは日本が当時提供するアナウンスした効果があるとしている。が、私はこれは原油価格の低下のように投機が弱くなったからではないかなとも思う。いずれにせよ、価格が十分に下がったという状況ではない。

Still, poor Filipinos are paying far more for rice than they did a year ago, and they need all the help they can get. Japan should promptly close a favorable deal with Manila and expedite donations of its imported rice stockpile to hungry people elsewhere. And it must abandon its costly, wasteful protectionism -- sooner rather than later.
(未だに、貧しいフィリピン人は昨年より高価格なコメを購入しているし、得られる援助はすべて必要としている。日本は早急にフィリピン政府が望む価格で交渉を締結し、日本が輸入したコメの提供をそこここで飢えている人々に提供することを促進すべきだ。加えて、先決事項として高価で無駄の多い日本の保護主義を廃棄しなければならない。

 ちょっとひねくれた見方をすると、ワシントンポストは人道主義の立場と、自由貿易主義の立場をわざと混同させているようにも見える。今日本に求められるのは人道上からの早急のコメの提供であり、次にコメの保護主義政策の転換となるだろうが、直結する話ではない。
 さて、この話はここまでだし、ここで終わりでもいいのだけど、どうも気になる関連の話があるので、多少話が飛躍するが触れておきたい。昨今、日本で話題の輸入米の事故米についてだ。
 事故米の処分は適切に行われなくてはならないし、それは食の安全から当然のことだが、そのことと、実際に流出した事故米の安全性については、多少分けて考えることができるし、さらにアフラトキシンのようなカビ毒と、農薬の問題についても、安全性の面で分けて考えたほうがいいだろうと思う。ということで、農薬、メタミドホスについてだが、16日付け毎日新聞記事”事故米転売:農薬規制強化後3500トンが事故米に”(参照)に興味深い指摘があった。誤解もされたエントリだが「極東ブログ: 三笠フーズの事故米、雑感」(参照)の次の部分に関連する。

 穿った読み方になるが、メタミドホスは2003年度以前は実際にはかなりの部分が野放しだったのではないか。

 16日付け毎日新聞記事では。

 コメ卸加工会社「三笠フーズ」(大阪市北区)などの事故米転売問題で、03~07年度の5年間に政府が売却した事故米の総量7400トンのうち、半分近くにあたる3500トンは残留農薬の規制が強化されたため輸入後に事故米になったコメであることが16日、農林水産省が民主党に提出した資料で明らかになった。基準を超える殺虫剤「メタミドホス」が検出され、三笠フーズが転売した中国産餅米800トンもこれに含まれている。

 別の言い方をすれば、残留農薬の規制が変更になったので、よって、3500トンが事故米にその時変わったということだ。また、それによって事故米が増えることになった。

 農水省の資料によると、書類が残っている過去5年間に売却された事故米7400トンのうち輸入米は5285トン、国産米は2115トンだった。輸入米の事故米は05年度の29トンから06年度の2589トン、07年度の1078トンと急増したが、その背景は06年5月に導入された「ポジティブリスト制」の影響とみられる。

 どうやら、03年以前というより、05年の時点でも今日なら事故米だったものが、普通に流通していたようだ。メタミドホスによる「事故米」の登場は、どうも2年前の変化と見てよさそうだ。
 同じく毎日新聞のこちらは社説なのだが”汚染米転売 農水省の責任を厳しく問え
”(参照)では、事故米の安全性についてこのように提言している。

 これまでに確認された範囲では、ただちに人体に危険な量の殺虫剤成分などは検出されていないという。だが、汚染米の流通は相当以前から続いており、体内に蓄積した場合の健康被害の不安はぬぐい切れない。

 ここで少し整理したい。
 現在、メタミドホスの事故米について安全性の視点からかその流通経路が話題になっているが、「汚染米の流通は相当以前から続いており」ということで、現在の事故米流通だけが問題ではない。整理したいのは、「事故米」と「汚染米」の関係だ。毎日新聞社説が「汚染米」としているのは、メタミドホスの「事故米」が生まれた06年以前を含んでいるので、06年以前の通常流通米の毒性を問題にしていることになる。そしてこれに対して、こう提言している。

 国は速やかに、汚染米の流通先での使用状況を確認し、健康への影響の有無を確かめると同時に、検診などの長期的な対策を講じることが不可欠である。でなければ、国民の不信と不安を解くことはできない。

 つまり06年以前の輸入米の流通経路をすべて明らかにして、「健康への影響の有無を確かめると同時に、検診などの長期的な対策を講じることが不可欠」だというのだ。
 正論というべきなのか、私には単純によくわからない。また、そうした調査がどのように可能になるのかもよくわからない。
 耐震偽装事件のとき、ヒューザーのマンションの耐震性が問題視されたが、同程度以下の耐震性の既存建造物はそれほどは話題にならなかった。いや話題にならなかったわけではない特に小学校校舎の耐震性に関心を寄せた人もいるし、地域よっては今も問題になってもいる。というか、予算がなくてできませんという問題に変質しつつあるようだが。

追記
 18日付けNHKニュース”農水省 コメ輸入は当面行わず”(参照)より。


こうした状況のなか、関係者によりますと、農林水産省は、17日に予定されていた輸入米2万5000トンの入札を延期しました。さらに、基準を超す農薬が見つかった輸入米は生産国に送り返すとする再発防止策の具体的な手続きが十分に固まっていないとして、当分の間、コメの輸入を行わないことになりました。コメの輸入は、政府が、WTO=世界貿易機関の合意に基づいて行い、基準を超す農薬やカビが見つかった輸入米は、工業用の「のり」の原料などに使いみちを限定して、加工業者などに販売しています。

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2008.09.16

リーマン破綻、雑感

 世界経済のむずかしい話なんか私のような阿呆なブロガーにわかるはずもないのだが、ここは世界の傍観者として一言くらい。とはいえリーマンがサラになったらサラリーマンとか暢気な洒落言っている場合じゃなくて、これで人生が狂ってしまう人もいるのだろうなと思う。株とか投資は一種の博打なんで勝ちもあれば負けもある、というのをそれなりに人生のどっかの局面で覚えておくといいのだけど、初手からずんどこする人もいるだろう云々。
 私が微細に株をやってたころは安田二郎の本とかよく読んでいた。この人今どうしているのだろう。すがやみつるさんが安田の奥さんはきれいなかただったと言っていたがそれはさておき、安田は株は博打じゃない三分の一にまで落ちることはないと言っていたのを思い出す。ついでに、人の行く裏に道あり花の山というのも思い出すが、さてそんなことは今でもあるのか、いやあるんだろうけど、そこを行くのは「人」じゃあないんだなとしみじみ思う。
 さて。
 蓋を開けて見て後出しじゃんけんで言うなら、リーマンの破綻は「極東ブログ: ファニーメイとフレディマックと中国の物語」(参照)で触れた、FF兄妹の救済の必然なわけでポールソンはそこまで決めていたのだろう。では、市場関係者はその必然を読んでいたかというとそのあたりをどう読むかが傍観者の視点。私は読めてなかったし、読めてない人も多かったのではないか。15日付けエコノミストのコラム”Nightmare on Wall Street”(参照)も率直にこう書いていた。


The weekend began with hopes that a deal could be struck, with or without government backing, to save Lehman Brothers, America’s fourth-largest investment bank. Early Monday morning Lehman filed for Chapter 11 bankruptcy protection. It has more than $613 billion of debt.

 リーマンはどっかが救うんだろうという曖昧な空気だったのだろう。ベア・スターンズみたいに米政府かな違うかな("with or without government backing")、という逡巡に、FF兄妹の救済からさらに微妙な空気が加わり、だからこそそれが醸し出される前に、結果的にだけど、一気に潰したということなんだろう、毎度ながら薄目傍観だと。
 というわけで、その線引きは何?ということになる。フィナンシャルタイムズ社説”Kill or cure for the Wall Street malaise”(参照)はそこにきちんと焦点を当てていた。

Lehman is entering bankruptcy because the US Treasury refused to subsidise a rescue. That is a change of policy after Bear Stearns and a stark contrast to the nationalisation of Fannie Mae and Freddie Mac. It is emphatically a courageous call. The Bear Stearns bail-out was motivated, and probably justified, by the fear that a collapse of Bear would wreck the entire financial system, so interconnected was the bank with its peers.

 フィナンシャルタイムズは、ベア・スターンズとFF兄妹を救済してからの政策転換(a change of policy)があると指摘している。そしてそれは勇断(It is emphatically a courageous call)だとも評価している。
 FF兄妹は特例というのはわかるが、ベア・スターンズとリーマンの違いは何かは問われる。ベア・スターンズの場合は突然で連鎖を恐れたということだ、そうだ。

An important distinction between Lehman and Bear is that, while Bear failed suddenly, Lehman Brothers has been struggling for months. Those exposed to its failure have had time to hedge their risks and tidy up their transactions, so the financial system, rocky as it is, may be able to handle the unwinding of Lehman’s financial contracts in an orderly fashion. If so, the decision by Hank Paulson, the Treasury secretary, will be seen as the moment when investors and bankers had at last to take responsibility for their own risky decisions.

 違いはリーマンの場合はもう市場的には敗戦処理に入っていて、その処理というのはまさに普通に(in an orderly fashion)市場の問題でしょ、なので、潰れたのは普通に市場の原理でしょ、ということなのだろう。
 それで納得するかというのは別問題であれ、とりあえずそこで線引きしたわけで、そこから結果論的に見るとFF兄妹を救済した時点で、ポールソンの腹は決まっていたわけなのだろう。
 その視点から他はどうなるとフィナンシャルタイムズは見ているか。

The future of Goldman Sachs and Morgan Stanley, the last two independent investment banks, is now an open question. Goldman has survived not because of a fundamental difference between it and Bear, Lehman and Merrill, but because it took more successful bets. Investors may be happy to bet that the run of success will continue, but regulators may not: expect capital requirements to be tightened.

 つまり投資というのは賭けなんだから賭けに勝つか負けるかということ。政府がすべきことは金融の緩和くらいなものか。
 いやはや、日本人からするとひんやりしたものだのうという感じもするが、日本の場合は投資がどことなく日本に閉じているという印象から日本人の資産を防衛しなくてはアンヌ隊員、みたいな情感が働くからで、米国の場合はそういうものでもないだろう。
 フィナンシャルタイムズ社説の結論はその意味でだめ押しになる。

For now, the Treasury’s calculated risk looks better judged than those of a banking system intoxicated by bail-outs. Yet even well-judged gambles often fail.

 とはいえ、社説冒頭では新しい時代になるだろうとも言っていてそっちのほうが結語にふさわしい。

The world has not ended. The international economy has not yet collapsed. But one thing is now quite clear: the banking system as we know it has failed.
(世界は終わっていない。国際経済はまだ破滅していない。しかし、現時点で明確なことは、我々が銀行システムと呼ぶところのものは、もう失敗している。)

 これで問題が終わったわけではなく、なんとか今週を乗り切っても、この先のエコノミストが言うように信用問題は厳しくなりそうだ。

Even if markets can be stabilised this week, the pain is far from over?and could yet spread. Worldwide credit-related losses by financial institutions now top $500 billion, of which only $350 billion of equity has been replenished. This $150 billion gap, leveraged 14.5 times (the average gearing for the industry), translates to a $2 trillion reduction in liquidity. Hence the severe shortage of credit and predictions of worse to come.

 ひどくはなるのだろう、というか中期的にはそうかな。
 日本については、その問題、国際的な信用の喪失(Worldwide credit-related losses)もだけど、政策的には朝日新聞記事”日銀も1.5兆円の資金供給 金利は据え置きの見通し”(参照)ということ。

また、日本銀行は16日午前、金融機関の間で手元資金を融通し合う短期金融市場に対し、臨時に1兆5千億円を即日供給する公開市場操作(オペ)を実施すると発表した。短期金融市場に予防的に資金を供給するとみられる。日銀の白川方明総裁は「適切な金融市場調節の実施などを通じて、円滑な資金決済と金融市場の安定確保に努めていく」との談話を発表した。

 これで金利引き上げもないし、消費税アップの話は雲散霧消。結果的に便乗リフレってことになりそう。庶民的には、バブル期が若い人が思っているほどバブルの恩恵がなかったように、逆に今回も金融問題の波及は限定的で、当然インフレになるので経済苦しいなというのはあるけど、そこにかこつけて、しばらくすると意外に正解はリフレでしたねみたいなことになるんじゃないだろうか。楽観過ぎるかな。

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2008.09.14

[書評]やせれば美人(高橋秀実)

 私事になるが趣味の水泳の話をしていたら、面白いよと勧められた本がある。高橋秀実「はい、泳げません」(参照)だ。そこで読んだ。面白かった。ブログには感想をまだ書いていない。どう書くか微妙なところがあってためらっているうち、なんとなく感想を書くのも忘れてしまった。が、その本が面白かった記憶があり、高橋秀実の「やせれば美人」(参照)は、ためらいなく買った。これも読んで面白かった。数か所、笑い転げたところもある。ということで笑える本という売りもあるんだろうし、たしかに笑える。
 というあたりで、この本にも奇妙に微妙な心のひっかかりもあって感想を書くのにためらいそうなので、えいや、と書いてみる。

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やせれば美人
 本書は改題で、元は2005年にアスペクトから出版された「センチメンタル ダイエット」(参照)だ。私はそちらは読んだことなのが異同はないだろう。文庫版では中野翠が解説を書いているがそれほどぱっとしない。薄い本なので2時間もあれば読めるかと思う。そして、人にもよるだろうが、笑いの後に奇妙な印象を残す。「はい、泳げません」でも似た印象があったので、高橋秀実の資質なのだろう。軽いには軽いのだが内省的な視線に少し暗い感じがする。というか、そもそも、泳げないとか太った妻というテーマ設定自体、絶妙に暗い。
 紹介がてらに本の釣りを引用するのだが、がという部分の躊躇はあとで触れるかもしれない。

「目が覚めたらやせていた――」というのが理想、と妻は言った。不可解な女性心理を考察し続けた夫の3年間の記録。抱腹絶倒のダイエット・ノンフィクション。

妻が倒れた。心臓がバクバクするという。158センチ80キロ、この10年で30キロ増量、明らかに太りすぎ。ダイエットするわ、私。子供も産みたいし――病院の待合室で妻はしんみり呟いた。しかし運動は大の苦手、汗をかくのは美しくない、目が覚めたらやせていたというのが理想とのたまう。夫は、ダイエットの道を探り始めた。不可解な女性心理に寄り添った抱腹絶倒の3年間。『センチメンタル ダイエット』改題。


 短い釣り文に、「不可解な女性心理」が二度も出てくるが、本書のテーマは、まさにそれだと言っていいだろう。ある意味、女性を描くという点でとても優れた作品だ。

 もともと妻は運動が嫌いである。
 というより、汗をかくことが大嫌いで、基本的には一日中、リビングの大きなテーブルに向い、置物のようにじっとしている。
 彼女はこの位置を「定位置」と呼ぶ。そしてそこを中心に、仕事で必要な文房具や書類などを手の届く範囲に配置している。すべてが定位置なのである。

 私はこういう女性を数名知っている。太っている。一人暮らしだと猫を飼っているのではないかと思う。が、公平に言えば、「定位置」性は本居宣長を引くまでもなく痩せた男、というか、学者にありがちだが、が、やはり女性の場合はなにか独特の何かがある。単純に考えれば、定位置にいるから運動が少なくて太ると考えがちだが、たぶん、それは違う。高橋もおそらくそう考えているのだろうが、それ以上の考察はない。この本では、何か奇妙な領域の一歩手前まで行ってはしかし黙って引き下がるという感じがすることがいくつかある。
 本書の主人公ともいえる太った彼の妻君だが、昔から太っていたわけではなかった。痩せることは不可能ではないとも確信している。10代をデビュー前と呼んで。

 彼女はデビュー後の女優なのであった。
――デビューしてから、やせてもいいんじゃないですか。
「はっきり言うと、もうどうでもよくなっちゃう」
――どうでもいい?
「私は努力をしないで、やせたいのよ」
 彼女は真顔で言った。虫がよすぎると私は思った。
――なぜ?
「何もしないで、しあわせになりたいのよ」
――しかし、何事も努力というものが……。
「努力には”美”がない」
――……。
「努力して何かを得ても、当たり前でしょ。努力したんだから。それではしあわせにはなれない」
――と、いうことは?
「努力をせずに得てこそ、しあわせなのよ」
 やせることと「美」や「しあわせ」をすり替えているようにも思えたが、下手に反論すると、「しあわせ」をもたらさない私がそもそも悪いということになるので、止した。

 笑い話のような展開だし、もちろん、笑う。しかし、笑ったあとに、たぶん、ある程度女というものに手を焼いた、あるいは焼くことの意味を受容した男なら、笑ったあとに、「ちょっといけなかったかな」と首をすくめるだろう。そのあたりの機微も高橋はそれとなく描く。と同時に、「妻」という存在の奇妙な距離を描き出す。

――じゃあ、どういうダイエットなら、やってみたい?
私が起き上がってたずねると、妻が即答した。
「朝、目が覚めたらやせてた、っていうやつ」
――……。
ありえない話だった。
「この世に、ありえないことはない」
妻は断言した。

 というあたりで「妻」という言葉が夫婦の関係性のなかで奇妙な色彩をもつ。
 ここで少し下品な感想を私は書こうと思う。
 何の気無く、面白そうだから読み捨て文庫本というくらいで、ふふふんと読みながら、私はあることを考えずにはいられなかった。

 妻はデブである。
 結婚前はデブでなかったが、結婚してデブになった。
 158センチで80キロ。
 この10年で30キロも増量したのである。
 かつて彼女は当時のアイドル歌手、小泉今日子に似ていた。怒っても笑っても、その表情が顔からこぼれるキュートな顔立ちだったのだが、今はまわりに余白が増えたせいで、表情が小さい。かつての顔が今の顔の真ん中あたりに埋もれており、遠くから見ると、怒っているのか笑っているのか、わからないほどである。

 私が下品な関心をもったのはデブな妻をもつ夫の心理とは何かである。
 もう少し言えば、たぶん男というのは妻がデブになろうがあまり関心を持たない。そして、そのことがある意味で本書に如実に描かれているのが興味深い。
 高橋は妻を「デブ」と呼ぶが、本書を普通の読解力のある人が読めば、細君への愛情は読み取れるし、「デブ」に関心がないというより、それはそれで受け入れている。
 というか、その受容の部分にこそ夫婦の関係性があるのだろうとは思うし、実世間の別事例ではそこに奇妙な嫌悪の乖離もまたあるだろう。その機微の部分の秘密というか象徴の一端がおそらく、妻と限らず夫であっても「デブになる」ということなのだろう。
 本書は中頃からダイエットの取材といった趣になる。太った妻との関係が背景に引き、知識や現代社会が語られる。そのあたりは、私にはどちらかといえば退屈な話であるが、人によってはそこもまた面白いのだろう。いや、私も婦人服の号数の仕組みの話は、本書で得心した。なるほどね。

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2008.09.13

[書評]NHKテレビ英語が伝わる!100のツボ (西蔭浩子)

 「NHKテレビ英語が伝わる!100のツボ」(参照)はNHKで放映している語学番組。レベルはそれほど高くない。今月に入ってたまたま一回見ることがあり、そのときはふーんと思った。気になって数回見て、これはとても面白いんじゃないかと思いテキストを買った。テキストはある意味でよくある英語のテキストとも言えるのだが、テキストを見てこの番組が今月で終わることを知った。4月からやっていて6か月間経った今月で終わり、再放送はなさそうだ。100のツボということで100回で終わってしまうわけか。それは残念と思いバックナンバーも注文し、こういうの好きな人もいるかもしれないなと、あわててブログのネタにという次第。

cover
テレビ英語が伝わる!
100のツボ
 なにが面白いのか。普通に語学の番組として面白いというのはある。いろいろ口語的な表現も面白い。「おせっかいはよしてよ!」は"It's none of your business."あたりは普通に学校でも学ぶし、昔から使われている言い回しだが、「さすがピエール!」が"Just like Pierre!"あたりが普通の口語の言い回しなのは知らなかった。「彼女に断られたらどうするの!」は"What if she says,“No”?"というのもへぇと思った。What should I doを私は省略しないだろうなというか、省略していいのか、など。ちなみにこうしたキモになる表現はちょっとぐぐったら”おさらいフレーズ バックナンバー”(参照)というページにまとまっていた。
 そうした表現もだけど、若い人の会話が生き生きした感じがいい。米人だけの会話だと地方や年代でかなり複雑になったりテレビの言い回しとかなんだかわからない表現が多いのだけど、この番組では、米人女性の他にフランス人男性、台湾人女性、バングラディシュ男性と、昨今流行の国際的英語になっているのでそのあたりはプレーンな感じがする。そしてこのみなさんのキャラが立っているのが面白い(参照)。
 キャラを生かすのがドラマ仕立てのシチュエーション。日の出ハウスという純和風の家のちゃぶ台がある居間のシーンが多い。「もちつもたれつ」という書が泣ける。この設定はべたに「メゾン一刻」の影響ではないかなと思うが、あるいはそれらもすべて昭和30年代的な日本のパロディなのかもしれない。
 ピカイチのキャラはPierre役のRichard Gazzo(リチャード・ガッソ)だろう。フランス人のオタクという設定。ざっと見ているかぎり、こ、これは純正なオタクじゃないオーラが出ているのだけど、演技がいい。経歴はこう。

フランス・パリ出身。4歳から13歳までプロヴァンスで育つ。ソルボンヌ大学美術映画学科で監督と芝居を学ぶと共にモデルの仕事を始める。2002年に来日、モデルや俳優として活躍中。

 ということで、がッソのホームページがこれ”Richard Gazzo Official Homepage”(参照)。え、別人だろ?と思ったが、当人だよな、これ。プロフィールを見ると、1979年生まれで、父親はスペイン系イタリア人、母親はイギリス系ベルギー人とのこと。ほぉ。CMなどにもいろいろ出ているということで有名なのか。この手の男性に萌えの日本女性は多いと思うのだが、100のツボのピエールの落差がまた萌えのツボかも。
 萌えでいうと、私は全然知らなかったのだが、優木まおみがよい。英語学習者として出てくるのだが、普通に大卒程度の英語は身に付いているようなので、どういうポジションのアイドルなんだろうか。エミージョことはしのえみ的なポジション? 年も微妙かと、この手の情報に強いウィキペディアを引いたら案の定ある(参照)。情報に「要出典」とあるのでほんとかなとは思うが、ほんとだとするとへぇな感じ。

1980年3月2日、佐賀県佐賀市に生まれる。ロシア・中国のハーフの母と中国・日本のハーフの父を持つ。[要出典]1998年佐賀県立致遠館高等学校、2003年東京学芸大学卒。同校在学中にハワイ大学に半年間の語学留学経験もある。

 お、これはワタシ的にツボだな。

第四級アマチュア無線技士と小学校教員免許の資格を持つ。アマチュア無線技士の資格は小学生の時に家族に無理やり取らされ、おつかいに行くときは無線機を持たされた。コールサインはJM6CRT。

 年は28歳とのこと。最近自分が年食いすぎて40歳以下の女性の年がわからなくなっているで、このあたりもへぇと思った。
 英語の指導と脚本は西蔭浩子による。おばちゃんふうに見えるし、演技はぎこちないのだが、どことなくセクシーな感じが漏れてるのもなんかツボという感じだ。お年はわからない。今回の番組には英語学習の理論的な背景もありそうだが、そのあたりもよくわからない。
 が、なにかと考えさせられるものがあった。そういえば、私は小学六年生のとき当時まだ筆記だった第四級アマチュア無線技士の免許を取ったのだが、父の薦めで田崎英会話のNHKテレビを見ていた。田崎清忠先生の英語指導は当時はなかなか革新的だった。田崎先生のアイデアではなかったのかもしれないが番組は早野凡平を起用していて面白かった。早野凡平の享年を見ると50歳。田崎先生はお元気かなとググってみるにあまり情報はない……と思ったら16日の講演の情報があった(参照)。お元気なご様子。

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2008.09.12

ファニーメイとフレディマックと中国の物語

 米国政府系住宅金融、連邦住宅抵当公庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)への公的資金投入が決まったことについて、経済音痴の無名ブロガーがちょっとメモを書いてみるといった趣向。読まれるかたいたら、ちょっと陰謀論臭くなるかもしれないので、その点はご注意あれ。
 私はFF兄妹救済は実際にはないんじゃないかと思っていた。日本の新聞は早々に日本の失敗から学んで公的資金投入せよと言っているのも、日本の失敗をせせら笑った米国への意趣返しではないか、と。
 G7後のころは産経記事”「公的資金注入は非現実的」 ポールソン米財務長官”(参照)のような話を私はけっこう真に受けていた。


ポールソン米財務長官は11日夜、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後に記者会見し、低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)問題に端を発した金融危機への処方箋をめぐり、公的資金の注入や大規模な政府介入は「現実的な計画として検討されているとは思わない」との認識を示し、米国として採用する考えがないことを強調した。
 ポールソン長官はまず、米経済について「長期的には堅調だが、住宅・金融市場の下振れリスクは依然残されている」との認識を示した。会議では、連邦住宅局(FHA)による融資保証の拡大など、政府の住宅ローン対策を各国に説明し、そのなかで「プログラムには公的資金や大規模な政府介入は含まれていない。有益よりも害のほうが多い」との立場を表明した。

 三十六計瞞天過海(参照)というか、ポールソンは北京オリンピック中も同じ念仏を繰り返していた。時事”公的資金注入を改めて否定=政府系住宅金融問題で - 米財務長官”(参照)より。

休暇のため中国・北京を訪問中のポールソン米財務長官は10日放映されたNBCテレビのインタビューで、米政府系住宅金融会社の連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)と連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)の赤字決算について、住宅市場の調整の大きさを考えると「驚くほどではない」と述べるとともに、「(公的)資金の投入は計画していない」と改めて強調した。収録は9日行われた。

 今にしてみると「休暇のため」が絶妙な意味があったわけだが。
 北京オリンピックも大過なく終わり、黙示録のラッパが黄土に鳴り響くかと思ったら米国からか。声東撃西。さすが紫禁城、カラフ王子の歌声を聞いて、ポールソンは、その長い修羅場のキャリアで初めて眠られぬ日々を過ごすことになった。9日のテレグラフ”Fannie Mae and Freddie Mac: After the rescue, Paulson's real work begins”(参照)より。

In the days leading up to Sunday's unprecedented rescue of Fannie Mae and Freddie Mac, Hank Paulson couldn't sleep.

"This is the first time in my career I had trouble sleeping," admitted the US Treasury secretary, who led the swarm of government agencies and regulators who surrounded the two ailing mortgage agencies and delivered their poison - in the form of an all-consuming nationalisation unlike any seen in financial history.


 テレグラフの論調は好意的ともいえるが、そうでもない意見もあるブルームバーグ寄稿コラム”ポールソン殿、「眠れぬ夜」に同情できません-Mギルバート”(参照参照)より。

 同長官の罪はほかにも数多い。まず、米住宅公社のファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)が会計規則を都合良く使って資本不足を糊塗(こと)していたことを、ウォール街のお仲間のモルガン・スタンレーが確認してくれるまで認めなかった。そんなことは、当局者も知っていたか少なくとも疑っていたに違いないし、それが当局の仕事だろう。
 何よりの罪は7月に、他人(納税者)のカネを使うことなく危機を乗り切れると議会を丸め込んだことだ。同月の「バズーカ砲」理論は、伝説的魔術師、ハリー・フーディーニも顔負けの奇術だった。ポールソン長官は2大住宅公社に無制限に投資する権限を議会に求めたとき、「水鉄砲をポケットに入れていれば使わなければならなくなる公算が大きいが、バズーカ砲ならば取り出さずに済む場合が多い」と説明した。

 好意的に見れば、ポールソンはばっくれでやっていける絵を描いていただろうし、その絵のリスクの対処もしていた。というか、そこまでだったら、快便・快眠だったのではないだろうか。
 コラムニストMギルバートはその意図をこう見ているが。

 多分、ポールソン長官は両社株を空売りしている投機筋をけん制しようとしたのだろう。しかし、根本的な住宅危機を解決する新たな取り組みなしに投資家が両社株について見方を変えるはずもない。むしろ、財務省が両社を救済する権限を確保したことで、両社株が間もなく紙くず同然になる公算は大いに高まったかもしれない。
 あるいは、長官は米政府の「暗黙の保証」がかつてないほど「明示的」になったのだから、債券投資家が両社に、より低金利で資金を出せば良いと考えたのかもしれない。しかし、実際にバズーカ砲を発射しなければ明示的に保証したことにはならないだろう。発射する必要がないと言うのは無理

 違うんじゃないだろうか。いや違うというのも違うのだが。
 北京オリンピックは瞞天過海だったのか。このあたりちょっときな臭い感じになるだが中央日報コラム、9日”【噴水台】天国と地獄”(参照)が興味深い。まず前提。

 米財務省は通貨危機に陥った外国に対しては露骨に押さえつける。そうでありながらも自国の金融危機は手を出さないのが常だ。道徳的弛緩を問う米議会の鋭い追及を恐れているからだ。それでついた別名が「ヤヌス」。その米財務省が一昨日、ファニーメイとフレディマックに2000億ドルの公的資金を注ぎ込むことにした。国有化の措置が始まったのだ。「非常に規模が大きく、このまま破産すれば金融システムの崩壊を引き起こす恐れがある」。ポールソン財務長官は世界金融市場の混乱を意識した不可避な選択として説明した。

 だがこれをコラムは否定する。

 しかし事実は違う。もともと米財務省がこだわった戦略は現状維持だった。こっそりと非常金を充てながら両社の正常化を待った。こうした努力に中国が決定打を飛ばした。中国銀行が両社の債券を売却し、手を引き始めたのだ。8月に中国銀行が売却した債券だけでも4兆ウォンを超える。このニュースが伝えられると、バフェットは「ゲームは終わった」と語った。米財務省も海外資金の脱出を防ぐには他に方法がなかった。

 この先が快調すぎて洒落っぽい。

 天国と地獄が入れ替わるのにかかった時間はわずか5年。2003年、中国では新型肺炎SARSが広がり、海外金脈が枯渇した。慌てた中国共産党は米財務省の顔色をうかがった末、改革カードを取り出した。憲法を改めて私有財産を保障した。国有資産を売却し、勇敢に金融市場も開放した。今は逆だ。一人で世界金融を料理していた米国があわれな身分だ。中国の恐るべき威力の前に周囲の視線をうかがっているところだ。「今では派生金融商品こそが大量破壊兵器」というバフェットの言葉を実感する。世界金融は断崖上の戦地と変わらない。

 この面白い過ぎるお話がどのくらい信憑性があるのか、洒落を楽しむネタなのか。
 前兆はあった。7月24日付けレコードチャイナ記事”中国銀行頭取「米住宅公社債券はコントロール可能」”(参照)より。

24日付中国証券報によると、中国の4大商業銀行の一つである中国銀行の李礼輝頭取は23日の会見で、保有する米連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)と米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)の発行債について「リスクは完全にコントロール可能だ」と述べた。同行が同債券についてコメントするのは初めて。ただ具体額は言及しなかった。

 これがけっこう重要だと思うが。がというのはさて、実際のところどのくらい中国は兄妹に入れ込んでいたか?

建設銀行でも広報担当が23日、同行のファニーメイとフレディマックの債券保有額が70億米ドルに上るとする一部報道は、根拠がなく事実と反するものだとコメントしている。

米住宅公社債券を巡っては、中国の大手6銀行の保有額が約300億米ドルに上るとの報道がある。なかでも中国銀行の保有債券は総資産の2.6%を占める200億米ドルに達するとされている。


 瞞天過海の売り飛ばしはあったのか?というネタが活きるのは、その実態がどのくらあるのかによる。
 9日のサーチナ記事”サブプライム直撃の住宅金融 中国が債券大量保有”(参照)ではこう。

米国政府が政府系住宅金融の連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)に対して公的資金投入を含む救済策を発表したことに絡み、ことし6月末現在で中国系銀行が2社の債券を計240億米ドル(約2兆5785億円)保有していることが分かった。

 微妙という感じだ。
 というか、中国系銀行に限らない中国からのカネが、7月以降、単に損失をびびってパニック売りに出たんじゃないか。
 とすると、ポールソンの「休暇」もそのあたりが目的だっただろうし、その後は統制が取れない中国に眠れぬ日がやって来たという感じもする。
 というか、この話、つまりはあの話題の変奏というか序奏なんじゃないか。あの話題というのは「極東ブログ: ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退」(参照)だ。読み返すと、アルファブロガーぐっちーさんがなかなか香ばしい感じがするが、それでもこの話が兄妹あたりから炎上するとはなんだが、三十六計打草驚蛇か。というので、ポールソン北京の休暇の話に戻ると、テレグラフのコラム”China threatens to trigger US dollar crash”(参照)がきつかった。概要はこう。

The Chinese government has begun a concerted campaign of economic threats against the United States, hinting that it may liquidate its vast holding of US Treasury bonds if Washington imposes trade sanctions to force a yuan revaluation.

 中国がドルを使って国策をやるということだ。

Two Chinese officials at leading Communist Party bodies have given interviews in recent days warning, for the first time, that Beijing may use its $1,330bn (£658bn) of foreign reserves as a political weapon to counter pressure from the US Congress. Shifts in Chinese policy are often announced through key think tanks and academies.

Described as China's "nuclear option" in the state media, such action could trigger a dollar crash at a time when the US currency is breaking down through historic support levels.


 とはいえそんなことをすれば米中共倒れではないか、ついでに日本も。なので。

Xia Bin, finance chief at China's Development Research Centre (which has cabinet rank), kicked off what appears to be government policy, with a comment last week that Beijing's foreign reserves should be used as a "bargaining chip" in talks with the US.

"Of course, China doesn't want any undesirable phenomenon in the global financial order," he said.


 マジに受け止めると、脅し程度でということだろう。が、中国を見ていると、彼らは内部の権力闘争のために外の世界にお構いなしみたいなことをやりかねないが。
 このあたりの話が、そう妄想とも言えないのは、フィナンシャルタイムズ”China's two trillion dollar question”(参照)でも指摘しているが、巨大なドルを何に使ったのかよくわからないことだ。

How do you spend $1,810bn? That is the question facing China's State Administration of Foreign Exchange. The world's largest investment fund, it has grown by $400bn this year alone. Having reserves far in excess of what it needed for insurance and currency interventions, it rightly decided to diversify and set up the China Investment Corporation, the country's $200bn sovereign wealth fund. As the Financial Times reveals today, however, Safe itself has been investing abroad. Its foreign equity positions are greater than those of CIC. This raises questions for the developed world and China.

 話がちょっと粗くなってきたが、要するに。

  1. 兄妹救済は中国とは関係ないよ。
  2. 中国に関係ありだけど、中国政府は米国になんとか協力したかったんだよ。
  3. 中国に関係ありで、パニックが始まったんだよ。

 さてどの筋書きか。
 3番目じゃないかな。そうかどうかは、ここから中国がどう米国を支える行動に出るかということからわかるはずだ。
 この図柄のなかで日本はというと、日本はFF兄妹にはあまり関わってないっぽいから、ドル資金防衛の問題かもしれない。

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2008.09.10

三笠フーズの事故米、雑感

 大阪市のコメ卸売加工「三笠フーズ」による事故米の偽装転売問題について、問題は問題なのだがここまで世間の話題になるとは思わなかった。仔細を追ってないのだけど、ここまで世間の話題になるようなら、世間のログのブログとして無名のブロガーの印象なども記しておいてもいいかもしれない。というくらいのメモ書き。
 この問題だが、それほど話題にはならないんじゃないかと当初思っていたのは、毒性という点ではそれほど問題ではないことを農水省がアナウンスしていたからだ。5日付け朝日新聞記事”工業用の米、食用と偽り転売 農薬・カビ含有”(参照)より。


 事故米は菓子や焼酎の原料として加工されたとみられるが、農水省は、アフラトキシンについて「三笠フーズがカビの塊を取り除き、米粒を洗浄するなどして出荷しており、健康被害の心配はない」、メタミドホスについても「検出されたのは残留基準(0.01ppm)の5倍の量で、この程度なら体重50キロの大人が1日600グラム食べ続けても国際基準の許容摂取量を超えることはない」としている。

 アナウンスの効果なのか、7日付け読売新聞社説”汚染米転売 流通経路を総点検せよ”(参照)では、少しピントがずれているように思えた。

 大阪市のコメ卸売加工業者「三笠フーズ」が、有害な農薬やカビが残留している工業用米を食用と偽って転売していたことが明るみに出た。
 農薬は、中国製冷凍ギョーザ事件でも問題になった有機リン系の「メタミドホス」だ。少なくとも約300トンの汚染米が焼酎などに加工され、すでに流通している可能性が高いという。
 食の安全への信頼を裏切る行為だ。農林水産省は、健康被害の有無にかかわらず、どこに、どれだけ転売されたのか早急に解明し、回収を急がねばならない。
 汚染米は、世界貿易機関(WTO)協定に基づき、国が中国やベトナムから輸入したコメの一部だ。基準を超える農薬が検出されたり、カビが生えたりしたため、のりなどの工業用に使うという条件で農水省が民間に売却した。
 三笠フーズはこのコメを2003年度から計1779トン仕入れ、一部を焼酎メーカーや米菓メーカーなどに転売したという。

 読売新聞社説にはこれ以降の部分にもアフラトキシンの名前は出てこない。「カビが生えた」というのと「カビ毒」とは安全の次元が違うのだが、社説の執筆者はアフラトキシンの知識が十分ではないか、あるいはあまり世間をヒステリックにしないという配慮だったか。どっちかなと思った。メタミドホスに着目しているようなので前者かなという印象はあった。さらに。

 「転売前に洗浄、検査したので食用にしても問題ない」という会社の説明にもあきれる。

 と、「あきれる」としているが、なぜ「あきれる」のかは私にはよくわからなかった。むしろ私は別のことを思った。それは後で触れる。
 同日の毎日新聞社説”汚染米転売 業者も農水省も無責任だ”(参照)は読売に比べて煽りぎみではあったが、こちらは単純に知識面で稚拙な印象を受けた。

 この米は中国製の「毒ギョーザ事件」で検出された殺虫剤「メタミドホス」や発がん性の強いカビ「アフラトキシンB1」に汚染されていた。それだけでおぞましさが募る。
 三笠フーズ側は「外部での検査やカビの除去で安全を確認した」と弁明している。だが、とても消費者が安心できる説明にはなっていない。

 稚拙というのは、「それだけでおぞましさが募る」や「とても消費者が安心できる説明にはなっていない」というあたりだ。たぶん、それほどおぞましい問題でもないし、不安に駆られるような問題ではないだろうに。
 同日の産経新聞社説”汚染米の転売 農水は事後監視の徹底を”(参照)はそのあたりについての言及があって好ましい。

 転売された汚染米については、事前に洗浄やカビの除去作業が行われていたとして、農水省は「ただちに健康被害につながる恐れはない」と消費者に冷静な対応を呼びかけている。

 アフラトキシンについて日本人もきちんとした知識を持つべきだが、当初の農水省のアナウンスのように、今回の事件ではそれほど危険性を煽るべきではないだろう。
 むしろ以前「あるある大辞典」でピーナッツの甘皮にはレスベラトロールが含まれているから積極的に食べようという番組があって、私はのけぞったことがあった。国内に流通しているピーナッツは安全だとはいえ、それでもアフラトキシンの危険が発生しそうな部位を積極的に食わせるというのはどんだけと思ったものだった。
 また2005年12月米国サウスカロライナ州ガストンの工場で製造されたドッグフードとキャットフードにアフラトキシンが検出され、全米でペットを死なせる事件があったが、このときもアフラトキシンについてはそれほど国内の話題にはならなかった。幸い同工場の製品は日本には輸入されていないとのことだが(参照)、このあたりから危険性は迫っているなと思ったものだった。
 今回の事故米のメタミドホスについてだが、農水省のアナウンスに加え、次の指摘が興味深かった。朝日新聞記事”事故米1年保管後に出荷 毒性薄める目的、計画的な転用”(参照)より。

 大阪市の米販売会社「三笠フーズ」が工業用に限定された事故米を「食用」に転用していた問題で、同社が有機リン系の農薬成分・メタミドホスが検出された事故米について、約1年~1年半にわたって倉庫で保管した後に出荷していたことが8日、わかった。農薬成分が分解するのを待ち、毒性を薄める目的だったとみられる。


 本山直樹・東京農業大客員教授(農薬毒性学)は、「メタミドホスは時間がたてば分解され、毒素が弱まる性質をもつ。ルール違反で売ったのは問題だが、1年も置けば人体への影響はまったくないだろう」と話している。

 おそらく三笠フーズは、メタミドホスの問題を熟知していて、だからこそ安全性の対処を行っていたのではないだろうか。
 関連して気になるのは、先ほどの朝日新聞記事”工業用の米、食用と偽り転売 農薬・カビ含有”に言及があるのだが、ポジティブリストの関連だ。

 メタミドホスが検出されたのは、もち米で、ウルグアイ・ラウンド合意に基づき03年度に政府が中国から輸入した。その後、導入された残留農薬を厳しく規制する「ポジティブリスト制度」によるサンプル検査で、基準値を超える量が検出された。

 穿った読み方になるが、メタミドホスは2003年度以前は実際にはかなりの部分が野放しだったのではないか。
 以上を薄目で眺めてみると、三笠フーズは、明白に違法であるとは知りつつ、メタミドホスもアフラトキシンの問題もわかった上でそれなりの食の安全性の対処をしていたように見える。故意に毒を混入するということでもないし、利益のためには毒に目をつぶったというのとも多少違うようにも見える。
 話が少し複雑になるが、私は今回の事件で、なぜ米のアフラトキシンかなとは奇妙に思った。タイ米を輸入せざるを得ないからその混入はありうるとはわかるのだが。というあたりで、三笠フーズが、アフラトキシン米をどう流通させたかと簡単にニュースから追ってみた。
 朝日新聞記事”工業用の米、食用と偽り転売 農薬・カビ含有”では次のように言及されている。

 三笠フーズは、アフラトキシンが検出され事故米となったベトナム、米国、中国産の米計約9トンも仕入れていた。このうち、少なくとも鹿児島、熊本両県の焼酎会社3社にベトナム産が計3トン弱、福岡県の肥料会社には米国産が390キロ売られていた。

 私が気になったのはアフラトキシンが検出された事故米は焼酎の原料か肥料になったのか、というあたりだった。同記事には解説の図があるのだが、アフラトキシンとメタミドホスがごっちゃになって奇妙なほどわかりづらい。
 読売新聞記事”汚染米転売は10年前から、三笠フーズ顧問認める”(参照)にはもう少し詳しい解説図がある(参照)。これを見ると、焼酎と肥料以外に、米穀店(大阪)から仲介業者(鹿児島)を経て仲介業者(大阪)に流れたルートが不明になっている。これは何に使ったのだろうか?
 というのは、「アフラトキシンに汚染されたうるち米9トン(4万円)」の大半は焼酎の原料と肥料に流れており、肥料もだし、これは焼酎の製造過程から見みても、毒性はそれほどは問題にならないだろう。というか焼酎に長米を使っているのかとしみじみ私は思ったが。いずれにせよその不明ルートは問題といえば問題ではある。
 うるち米の事故米については先の朝日新聞記事”事故米1年保管後に出荷 毒性薄める目的、計画的な転用”の次の部分にも関連している。

 同社が購入した事故米は、もち米のほか、劣化が早いとされる「うるち米」もあったが、同社関係者は「うるち米はカビを除去する手間と人件費などがかかるが、もち米は農薬成分が自然に消滅するのを待つだけだった。費用は、サンプル検査代や袋代くらいで、うるち米よりコストは安かった」などと話した。

 少し話の向きを変えて、今回の不正だが、読売新聞記事”汚染米転売は10年前から、三笠フーズ顧問認める”にもあるように、10年前からやっていたことのようだ。

 米穀加工販売会社「三笠フーズ」(本社・大阪市北区)が、発がん性のあるカビ毒や基準値を超える残留農薬が検出された工業用の「事故米」を食用と偽って転売していた問題で、同社の非常勤顧問(76)が6日、福岡市内で読売新聞の取材に応じ、約10年前、冬木三男社長からカビの生えたコメの販売について相談されて不正転売を勧め、自ら主導して始めたことを認めた。
 そのうえで「事故米の転売は他の複数の業者も行っていた」と話した。業界で不正が横行していた証言が出たことで、農林水産省のチェック体制のあり方も問われそうだ。
 この顧問は、冬木社長が同日の記者会見で、不正転売を提案した一人と指摘していた。不正転売が始まった時期について、冬木社長は「5~6年前から」としており、顧問の説明と食い違っている。

 業界的な噂もあったようだ。読売新聞記事”汚染米、全国から高値で買いあさり…三笠フーズ”(参照)より。

 「事故米がある所なら全国どこにでも顔を出す」「なぜ普通の米卸業者がわざわざ買い占めるのか」。業界では突出ぶりを不審がる声が以前から上がっていたという。
 他の16業者は、自社で工業用のりや飼料などを製造する業者がほとんどで、食用米を扱う三笠フーズは異色の存在。このため、「何年も前から食用転売がうわさされていた」と、中部地方のある業者は証言する。
 事故米は販売時期や量が予想できないため、各業者は「まとまった量が売り出されれば、たまに買う程度。運送費がかかるので遠方であれば買いにくい」と口をそろえる。
 少量の時は、買い手がつかず、各農政事務所の職員が「買ってほしい」と業者に電話をかけることも。そんな時、三笠フーズは「関東でも九州でも取りに来てくれる、ありがたい存在。各事務所とも事故米が出ると必ず声をかけていたようだ」と、農水省担当者は明かす。
 事故米を扱うある業者は「うわさになっているのに、農水省が不正に気付かなかったというのは不自然」と首をかしげ、こう推測する。「三笠フーズと持ちつ持たれつの関係だったのでは」

 こうした読みは穿ち過ぎなのかもしれないが、今までわからなかったというのも不自然だ。農水省としても、最低でも三笠フーズへの信頼感のようなものはあったのではないか。というか、農水省も三笠フーズもこれをそれほど食の安全性の問題とは認識してなかったのではないか。実際、この事件に限定すればそれほど安全性という点で被害は出そうになさそうだ。
 さて。私は、ニュースの報道をほとんどテレビで見ない。というか映像では見ないというべきか。音声だけ聞くことが多い。それでも、この事件で三笠フーズの社長冬木三男社長(73)の会見をたまたま見た。人生を擦り切らしたような老人が違法性をあっさりと認めていた。その後の経緯を見ていると会社も畳むようだ。ごく印象に過ぎないのだが、冬木社長はこの一山で会社も人生も終わりにしようと覚悟していたのではないか。この事件にはもうちょっと深い部分がありそうにも思えた。

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2008.09.08

バグダッドでも話題のメロドラマ「ヌーア(Noor)」

 「そういえば今、イラクはどうなっているのか?」に答えるのは簡単ではない。平和な状態は回復されたのかといえば、概ねそうだとも言えるが、テロは継続もしている。ので、どこに平和があるのか、とも言える。こんな戦争を引き起こした米軍が悪いのだという声もいろいろ聞かれるが、現実問題としてはその米軍で小康を持っているのも現実の一面だろう。まあ、そういったむずかしい話をこのエントリでしたいわけではない。

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 今イラクで一番の話題は何か、といえば、ソープオペラ(メロドラマ)の「ヌーア(Noor)」だろう。イラク全土でというわけにはいかないかもしれない。バグダッドなどが中心だろうか。もっとも私自身がそのようすを見ているわけではなく、ラジオやネットで聞いた話を総合して、そう認識しているだけだ。ということで、ソープオペラの「ヌーア(Noor)」について、ある意味でこれはとても興味深い文化的かつ社会的現象でもあるので、エントリにメモしておこう。
 ざっと見たところあまり日本語での情報はあまりないようだが、「J-WAVE GOOD MORNING TOKYO」の7月28日エントリ”ロサンゼルス・オリンピックが開幕した日”(参照)が言及していた。

【World Tips from Saudi Arabia】
日本で大旋風を巻き起こした、韓国のドラマ「冬のソナタ」。
多くの日本人女性がヨン様ゆかりの地を一目みようと韓国へ駆けつけましたがどうも似たような現象がアラブ諸国で起きているようなんです。

アラブ諸国の女性たちの間で人気急上昇中なのはトルコのテレビシリーズ「Noor(ヌーア)」。
このドラマの中で、妻ヌーアのファッションデザイナーとしてのキャリアを支える理解ある夫、ムハンナド役を演じる金髪に青い目のトルコ人スター、キバンク・タリトゥの甘いマスクにアラブ人女性たちの目は釘付けの様子。自国トルコで放映された時にはさほどのヒットは飛ばさなかったようですが、お近くのサウジアラビアで放映が始まると、女性たちのハートをわしづかみ。なんと、サウジアラビアからトルコへの観光客が2倍以上に増えたそう

また、伝統的価値観にしばられた結婚生活を送ることが多いサウジアラビア人女性たちの間ではこのドラマがきっかけで夫に離婚を切り出すケースが増えているんだとか。


 ドラマの概要としてはそんな感じ。「アラブ諸国の」とあるが、これがイラクにも及んでいる。
 アラビア語版と英語版のウィキペディアにはNoorで簡単な解説項目がある(参照)。

Noor is the Arabic title of the Turkish soap opera Gümüş, launched in 2008, dubbed in Syrian Arabic. The title of the show means 'light' in English. The original Turkish-language version is called Gümüş and was broadcasted in Turkey from 2005 to 2007.

 出だしからちょっと記述の混乱があるようだが、タイトルはトルコ語"Gümüş"ということで、これで別途ウィキペディアの項目もある(参照)。「Noor(ヌーア)」はシリア・アラビア語の訳で主人公の名前。日本語なら「ヒカル」だろうか。キティちゃん好きのヒカルは……といった感じか。元もとはトルコの番組だがシリア・アラビア語で吹き替えになり、衛星放送でアラブ圏一帯に広まっている。特にイラクの場合、フセイン政権下では衛星放送が禁止されていたが、戦後解禁となりその広がりを得たようだ。
 旦那の名前ムハンナド(Mohannad)というが語感がよくわからない。Mohammadだと姓になるのだろうか。ウィキペディアによれば、このソープオペラのおかげで、ヌーアとムハンナドという名前の赤ちゃんが増えたとのこと。
 当然と言うべきか、アラブ諸国に問題も引き起こしている。

The television show about Noor and her romantic, idealized husband Mohannad is both controversial and wildly popular, especially with teenage girls and young women. The most conservative of Muslim religionists argue the show is un-Islamic, even though some scenes are toned down for consumption in Arab countries.

 イケメン男性に夢中になる若い女性はどこの国でも同じようなものだろうが、イスラム教国では問題にもなるだろうというか、イラクでも問題になっているようだ。という以前に、チャドもベールもなくすっぴんの女性が出てくるわけだから、問題にならないわけもない。
 以上を見ている限りでは文化現象といってもサブカルチャー的にも見えないこともないし、アラブ圏の問題にクローズしているようでもあるのだが、が、というのは、この話題、8月29日のフィナンシャルタイムズにも注目すべきコラム”Viewers fall for soap’s Turkish delight”(参照)として掲載されていた。出だしの紹介はごく普通。

Millions of viewers will be glued to their television screens on Saturday night for the double episode finale of a soap opera that promises to be the highest rated drama on Arab television.

Its actors speak Syrian Arabic, and look like Arabs from the Levant, but Noor is a Turkish import, part of a genre of dubbed series that has become all the rage in many parts of the Middle East this year.


 そしてこれがアラブ圏に問題を起こしているという指摘もある。

More significantly, the craze has been seen as a socio-cultural phenomenon, exposing the frustrations of Arabs living in conservative societies, especially women, many of whom are desperate for more openness, and romance.

 問題については、ウィキペディアより記載が深い。

A passionate romance that depicts the hero as a doting husband to his professional wife, albeit through an arranged marriage, Noor mixes family values that are familiar to the Arab world with taboos, including sex before marriage and abortion.

 つまり、ヌーアは職業婦人であり、親たちが決めた結婚を排して自由に恋愛をする。しかも、ドラマでは婚前交渉や中絶も出てくる、と、書いて用語が昭和の香りだな。
 もっともアラブ圏にこれまでソープオペラがなかったわけではない。が、それまではメキシコのドラマといった別の文化圏のドラマという枠組みがあった。

Mazen Hayek, director of marketing at MBC group, says Turkish series are the first to be dubbed into colloquial Syrian, contributing to their success and making them more accessible than soaps from other origins, such as the Mexican dramas popular a few years ago but dubbed into classical Arabic.

 ヌーアが話題になったのは、ソープオペラがアラブの文化と言語によって文脈化されたためだ。
 元もとトルコはアラブ諸国では世俗化が先んじているし、イラクもバグダッド地域は世俗化が進む地域でもあった。トルコは大衆に根付いた形のイスラム原理主義的な傾向を見せつつ、こうしたソープオペラを産出する。そしてそれらをアラブ圏の女性たちが消費していく。こういう動向は結局のところ留めることはできないのだろう。


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2008.09.04

ウォールストリートジャーナル曰く、政権交代は日本の災厄

 昨日のエントリ「フィナンシャルタイムズ曰く、変化が必要なら政権交代しろよ、日本」(参照)でフィナンシャルタイムズの福田首相辞任の社説に触れた。なかなか英国風味の微妙な味わいがあったが、ついでにあまり味わいのないウォールストリートジャーナルの社説についても触れておこうかな。言うまでもなく、ウォールストリートジャーナルなんでタカ派なわけで、結論はある程度決まっていて、標題のように、「政権交代は日本の災厄」というオチになる。つまんないといえばそうだけど、ブログなんてつまんないもんじゃね。ってことでひとつ。
 その前に。このウォールストリートジャーナルの社説については、2日付けの日経新聞”「さらばミスター福田」 首相辞任、海外各紙が社説で非難 ”(参照)でこう言及されていた。


 海外各紙は2日、相次ぎ社説で福田康夫首相の辞任を取り上げた。米ウォールストリート・ジャーナルは「さらばミスター・フクダ」と題する社説を掲載。首相が経済改革に果敢に取り組まなかったことを最大の失敗と指摘した。ただ、民主党も経済改革に慎重だと論じ、同党が次の総選挙で過半数を獲得すれば「自民党主導の内閣よりひどいことになるかもしれない」とした。

 間違っているわけではないが、仔細に見ていくと、若干微妙な陰影がないわけでもない。ということで、オリジナルは”Farewell, Mr. Fukuda”(参照)である。

Japanese Prime Minister Yasuo Fukuda resigned yesterday, leaving Japan and the ruling Liberal Democratic Party adrift as the world's second-largest economy sinks toward recession. Mr. Fukuda cited parliamentary deadlock and sagging popularity as reasons for his resignation. His real mistake, however, was to show no courage on economic reform.
(世界で第二位の経済が景気後退で沈没していくなか、日本と与党自民を迷走させて、日本の福田康夫首相が昨日辞任した。福田氏は、議会の硬直状態と人気低迷を辞任理由に挙げたが、彼の真の間違いは、経済改革に英断を示さなかったことだ。)

 ネットの寒村で流行る「要は、勇気がないんでしょ?」メソッドとも言えるが、ウォールストリートジャーナルとしては腰抜けだからあかんのだよというのが基調だ。

Yet instead of learning from Mr. Abe's mistakes, Mr. Fukuda repeated them. His government was hawkish on fiscal policy but didn't propose a single significant tax cut or regulatory reform. Meanwhile, inflation spiked, growth slowed and business confidence plummeted. On Friday, Mr. Fukuda's government announced a 11.7 trillion yen ($106 billion) "stimulus" package that consisted mostly of loan guarantees and handouts to core voting constituencies. The prime minister's ratings sank further.
(安倍氏の失敗から学ぶ代わりに、福田氏も失敗を繰り返した。彼の内閣は財政政策ではタカ派だったが、減税も調整改革の一つだに提案しなかった。その間、インフレが起こり、成長は鈍化し、景況感は急落した。金曜日に福田内閣は、11兆7000億円(1060億ドル)の刺激策を発表したが、その内実の大半は債務保証と選挙区基礎票へのバラマキだった。首相の評価はさらに低下した。)

 このあたりの発想、つまり減税と改革志向が、米国保守派の基調なんだな、っていうか、脊髄反射? (アンゴル=モア風)
 後半のバラマキについてだがこれは公明党から強いられてもので、ウォールストリートジャーナル風に責めるのは酷ってものかとは思うが、それでも「要は、勇気がないんでしょ?」メソッドに内包はされるか。
 このあとウォールストリートジャーナル社説は、福田首相の外交には一定の評価を締めているのだが、このあたりも米国タカ派的には、米国様を差し置いて東アジアでもめるんじゃねえということでもあるだろう。
 さて、福田後をウォールストリートジャーナルがどう見ているかだが、これは単純、オラに元気を分けてくれぇ!となるのは理の当然。

Given that Tokyo is about to kick off a new session of parliament, Mr. Fukuda is leaving at a sensitive time. His successor -- likely LDP Secretary General Taro Aso -- needs to place economic reform back at the center of the agenda, regardless of whether or not this wins him friends among the LDP's various factions. As Japan's last economically reform-minded leader, Junichiro Koizumi, learned, it's better to take decisive measures and sell them to a skeptical public than try to knit together consensus within the LDP. Japan's next leader could start by slashing Japan's corporate tax rates, which are among the highest in the world.
(新国会開催が迫りつつあるのに、福田氏は微妙な時期で辞任した。彼の後任者は、おそらく麻生太郎自民党幹事長だろうが、自民党派閥間の友好関係の得失に関わらず、政策綱領の中心を支えるものとして経済改革を位置づけなくてはならない。経済改革志向の日本の指導者、小泉純一郎が学んだように、自民党内の合意を取り纏めるよりも、断固たる処置を取り、懐疑的な市民に説得すべきだ。日本の次期指導者は、世界でもっとも高額な日本の法人税削減を皮切りにすべきだろう。)

 米国のタカ派って、小泉マンセーなんだなとしみじみ思うが、つまり、麻生さんに小泉たれというわけだ。いやはや、できるわけないでしょ。
 そして日経新聞記事にあったオチになる、と。

The LDP must call elections next year. That doesn't leave Mr. Fukuda's successor much time to turn around the party's fortunes. If he does not, the opposition Democratic Party of Japan -- no friend of economic reform -- may gain a parliamentary majority. That may be an even bigger disaster than an LDP-led Japan.
(自民党は来年に選挙をしなければならない。福田氏の後継者は自民党の命運を切り開くための猶予はない。もし選挙に打って出ないなら、経済改革を支持しない野党民主党が国会の多数を占めかねない。それは、自民党下の日本より、さらに大きな災厄となる可能性がある。)

 来年の選挙というのは年頭を意味するのかよくわからんが、ぐだぐだしていると野党に負けるというのだが、はて、と首を傾げるのは、民主党のほうが早期の選挙を求めているのではなかったか。いやまあたいしたツッコミにもならないが。
 というわけで、ご覧のとおりウォールストリートジャーナル社説だけど、単純に言えば、日本の政治を知らないヤッツケで書かれただけなので、あまり日本人には示唆を受けるとこがない。むしろ、米国保守が日本に求めているのはこーゆーものなんだろうなというのがわかる。
 だとすれば、米国選挙後共和党政権が維持できたら、このあたりの話を思い出すというのでいいんじゃないかといえば、そこがマケインって共和党でもクセ玉だし、経済については自身もまったく素人と公言するような人だからどうなんだろ。というか、オバマのほうが、意外とこのウォールストリートジャーナルの視点を持ち出すんじゃないかな。
 ブッシュの時代は日本の知識人はブッシュや共和党をただ叩いていればよかったけど、なかなか微妙な世界になるんじゃないのか。

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2008.09.03

フィナンシャルタイムズ曰く、変化が必要なら政権交代しろよ、日本

 タイトルをこうすべきか悩んだのは、あとで紹介するけど、若干微妙に書いてあるし、なんかタイトルで釣るというタイプのブログはあまり好きじゃないんだよね、なのだけど、まあ、概ねそういうこと。では、福田首相辞任についてのフィナンシャルタイムズのご託宣のほどは、と。
 その前にこの社説、翻訳出ているんじゃないかなと、gooニュースのフィナンシャル・タイムズ(参照)を覗くと、デビッド・ピリング東京支局長のコラム”やはり「その場しのぎ」首相だった 福田氏辞任”(参照)のほうの翻訳は掲載されていた。原文はこれね、”Stop-gap leader proves critics right”(参照)。他にも、デビッド・ピリングとミチヨ・ナカモトによる”Fukuda quits as Japanese PM”(参照)と”Fukuda gives up the unequal struggle”(参照)がある。こっちは欧米記事にありがちな趣味の悪い出だしなんでちょっとだけ紹介すると。


Hara-kiri is back in fashion in Japan. Less than a year after Shinzo Abe, the aristocratic nationalist prime minister, quit on the grounds of ill health, Yasuo Fukuda has become the second premier in year to commit political suicide.
(腹切りの流行回復が日本にある。貴族的なナショナリストの首相である安倍晋三が健康を理由に辞職して一年足らず、継いだ福田康夫首相も一年で政治的に自殺した。)

 ミチヨ・ナカモトさんは日本人かな。日本人ってこういう英文もの書くかなとはちょっとだけ疑問に思った。まあ、でも、ありがちかな。
 さて、社説”Japan changes to more of the same”(参照)も同日に出たのだが、なんとなく翻訳はなさそうな感じがするので、じゃあ、と。

The resignation on Monday of Yasuo Fukuda, prime minister of Japan, was dramatic --- but the outcomes will not be. Mr Fukuda came to power only last year, after the resignation of Shinzo Abe, and his resignation will, eventually, lead to the appointment of a new prime minister. But the government is, in truth, taking drastic steps to change as little as possible.
(月曜日の福田康夫首相辞任はドラマチックだったが、その結果はそうならないだろう。安倍晋三辞職後に福田氏が実権を持ったのは一年前にすぎないが、彼の辞職は、結局のところ、新首相選出を導くものの、政府は、実際は、大きな変化への道のりをできるだけ些細なものしている。)

 こった言い回しなんで何言っているのかよくわからないが、今後政府は大きな変化を遂げるはずなのに、見た目は大したことないでしょ、ということかな。
 ところで、私の昨日のエントリ”福田首相辞任は驚いたし、詰めもよくわからない”(参照)のケツで、私はこう書いた。

国際社会としても日本への様々な期待はあるのだろうが、政治の中枢が潰れてもさしたる国際的な話題にならない日本というのは、サバイバルのシステムとしては、それなりに強いということなんだろう。

 そんなものかなと思ったが、フィナンシャルタイムズもそんなものとして見ていた。

Japanese politics is a stable game. Mr Fukuda’s Liberal Democratic party is the dominant force in political life. Backed by a once-formidable coalition of farmers, civil servants and businesspeople , it has been out of power for only 11 months since 1955. Debates occur within the LDP rather than between parties. The government’s policy options are also curtailed by the civil service, which is a powerful --- and conservative --- interest.
(日本の政治は変化のないゲームだ。福田氏の自民党は政界の支配力である。農民と官僚と実業界の人々からなる以前の強固な同盟に支援され、1955年以降権力からはずされたのはたった11か月だけだった。論戦は政党間よりも自民党内部で起こった。政策のオプションもまた強力で保守的な勢力である官僚によって刈り込まれた。)

 日本では政党政治というのが端から機能せずして幾星霜。官僚様のおかげで政策なんて意味ないものねという時代。いや別にそれが悪いわけじゃないし、フィナンシャルタイムズも悪いなんて言ってない。

This is not necessarily bad. Japan is an admirably well run country. Politicians elsewhere would kill for Japan’s public services, infrastructure and crime rates. It is, admittedly, slow to make necessary structural changes, but the Japanese do occasionally allow stronger leaders to take charge when disaster strikes, as they did when Junichiro Koizumi built formidable public support for big economic reforms.
(それが必ずしも悪いと決まってわけじゃない。日本という国の運営は賞賛されるほどだ。そこいらの政治家なら日本の公共事業や、インフラ、犯罪率のためになんだってするだろう。つまり、認めざるを得ないが、必要な構造改革はゆっくりと進むものだとしても、日本国民はまれに、小泉純一郎が並はずれて国民の支援を受けて経済大改革をしたように、天災の時など強い指導者たちをその任に当てる。)

 お前ら、小泉好きだろ、みたいな感じだが。勝海舟とか思ってもそうかな。

Mr Koizumi’s reforms, in fact, seeded Mr Fukuda’s current problems by alienating a large segment of the LDP’s core support. The LDP, which lost the upper house of parliament last year, has given up on reform. Its weakness, indeed, means it has been unable to pass any significant legislation.
(小泉氏の改革は、しかしながら、自民党の中核的支持層の大部分を排除したため、福田氏の現在の諸問題のタネを撒くことになった。昨年参議院を失した自民党は、改革を断念してしまった。その弱さは、実際のところは、重要法案の通過不能を意味している。)

 フィナンシャルタイムズの言い分をまとめると、自民党というのは、農村、官僚、経済界の同盟で成り立っていたが、日本人の大半が日本の危機だと認識して、強いリーダーによってそれ(同盟)を駆逐したため、当の自民党は弱体化し、支援を失って政治能力も失った、ということなのだろう。
 そうかな。まあ、そうかも、とりあえず、そういうことで先を読む。
 これに続く福田辞任の理解についてはgooに邦訳されたコラムと似ていて、どっちかといえば福田に同情的だ。自民党のヘマを背負わされたからなというか。
 さて、今後はどうなるとフィナンシャルタイムズは見ているか。

The prime minister, however, was explicit that the LDP’s domestic programme will not change. It is hard to believe he is wrong. The main differences between Mr Fukuda and his likely successor, Taro Aso, are on foreign policy, where Mr Aso is more hawkish than the prime minister.
(福田首相によって、しかしながら、自民党の内政には金輪際変化ないということが明白なった。彼が間違っていたと確信を持つことはできない。福田氏と、その後継に目される麻生太郎の主要な違いは外交であり、麻生氏は福田氏よりタカ派である。)

 自民党という党の論理から見れば、福田首相の辞任の決断はしかたがないものだったし、自民党ってこんなものじゃないのということだ。麻生になっても外交でタカ派色が付くくらいで、日本国民の政治に変化はないでしょう、と。自民党なんだからね、と。いや、私が言うんじゃなくて、フィナンシャルタイムズの言い分を敷衍するに、だ。

Mr Fukuda’s decision is probably the right one; if the LDP is to have a chance at the next election, it needs a more charismatic leader. A change in leader, however, will not mean a new manifesto. It will be more of the same.
(自民党が次期選挙で好機を得るには、もう少しカリスマ性のある指導者が必要だという点で、福田氏の決断はたぶん正しいだろう。しかし、指導者を変えても、新しい政策の宣言にはならない。大半は同一のままだろう。

 そして結語はこうだ。

Change will need a rare event to take place: a change in ruling party.
(変化を起こしたいならもっと稀な事態が必要になる。政権交代という事態がね。)

 日本国民の内政に変化必要だというなら、指導者の据え替えではなく、だめだめになってしまった支配性政党そのものを、別の政党に入れ替えろということだ。
 さて、どんなものかな。具体的には、民主党にしろということだ。
 ここでもう一度フィナンシャルタイムズの論旨を追うなら、日本というのは農村、官僚、経済界の同盟で自民党という政治権力を作り、さらにその政策の実態を官僚に担わせていた。しかし、それではダメになったとき、強力なリーダーとして小泉を選びだしたが、その事によって自民党の中核が壊れたから、この政党はもうダメだというのだ。
 ちょっと話が論理的ではないなと私が思うのは、小泉が排除した勢力が農村、官僚、経済界の同盟であったなら、自民党に残ったものはそうでないものであるべきだった。しかし、実際に今の自民党に残っているのは、農村、官僚、経済界の同盟だし、ぶっちゃけて言えば民主党の政治勢力も農村、官僚、経済界の同盟と言っていいだろう。小泉に追い出されたものが、代替の政党に押しやられたならそれで政権交代しても、意味、ないんじゃね、と。
 ただ、フィナンシャルタイムズとしては、ポスト小泉の弱気がこの曖昧な状況を生んでしまったということかもしれない。
 とはいえ、そこまでの強気を維持できるわけでもなかったし、冷静に見るなら、小泉元総理は世界経済の好況(実は偽物だったけど)に支えられた幸運もあった。
 じゃあ、どうすべきかね、日本人は、ということ。
 それはまた明日考えようかな。でも、明日は明日で別のこと考えたりして。

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2008.09.02

福田首相辞任は驚いたし、詰めもよくわからない

 昨晩福田首相が辞任した。私はこの事態を予想もしていなかったので驚いたが、リアルタイムで会見を聞いていたら、それなりに彼の心情のようなものは伝わってきた。とはいえ、それからいろいろ考えてみても、どうしてこういう結論にしたのかという最後の詰めの部分はよくわからなかった。もっとがんばってもよかったのではないか。
 組閣して一か月ほどなので、辞任までたいした間もない。ということは組閣時点ではそれで福田さんもやる気だったのだろうから、辞任の決意はこの一か月内の状況認識の変化だろうし、その状況認識というのは、すでにネタになりつつあるが「私は自分自身は客観的に見られるんです、あなたとは違うんです」ということだ。つまり、客観的に見て、そして奥さんにも内緒で孤独に決めたものだろう。毎度の森さんは動いてなかった、のかな。
 そのあたりから突っ込む。産経新聞の飛ばし記事のようだが”【福田退陣】企画「政権崩壊」 公明離反で孤立感”(参照)を読むと、なるほどそうかもね感はある。


 8月20日夜、神奈川・箱根で開かれた自民党町村派の研修会が終わると、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三の首相経験者3人と元幹事長、中川秀直ら町村派幹部が山梨県の河口湖畔の別荘に結集した。
 「福田さんは自分で解散する考えはないな」
 小泉がこう切り出すと出席者の一人が「それはそうだ。任期満了までじっくりやればいい」と言ったが、小泉は首を横に振った。
 「そこまで持たないだろう…」
 一同が黙っていると森はこう言った。
 「総裁選になれば、麻生も小池(百合子元防衛相)もみんな出ればいいんだ」

 そして昨晩。

 福田が後見人の元首相、森に電話で辞意を伝えたのは1日午後7時半すぎ。森は沈痛な面持ちで電話を切ると、側にいた中川にこうつぶやいた。
 「とにかく様子をみよう。安倍、福田と2代続けて迷惑をかけたのだからしばらくは謹慎だな…」(敬称略)

 ほんとかどうかわからないが、本当のような印象がある。森さんの沈痛な面持ちというのは絵が浮かぶ。迷惑をかけた張本人はまさに森喜朗だろうし、福田康夫と一歳違いという同年代の、もう万策尽きたな感はあったかもしれない。
 そう見るなら、そのスジの裏は無かったかもしれないし、すでに高まる麻生人気も、意外とスカになるかも。なるんじゃないかという気もする。古賀誠もそのまますっこんでるとも思えないし。
 だとするとこれからどうなるか。同記事にあるようにお祭りが始まるのか。

 早くも与党内の関心は総裁選に移っている。焦点は候補者だが、麻生が出馬の意向を固めているほか、小池や町村、元政調会長、石原伸晃、国土交通相、谷垣禎一、消費者行政担当相の野田聖子の名前も浮上しており、乱立する可能性も出てきた。

 中川さんの名前がないのが香ばしいが小池で含みなのだろう。マジでこの乱立祭りが起きたら、そもそも一か月前の党内結束組閣ってなんだったのだろうという感じがする。
 話を戻して、なぜこの一か月に福田さんが突如消沈したかといえば、公明党の要因だろう。今朝の産経新聞”福田首相辞意 空白抑え強力な政権を 党利党略超えた政治に戻せ”(参照)がうまく書いている。

 首相は公明党との間で厳しい意見調整を強いられた。首相が議長を務めた主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の後、内閣改造や臨時国会の召集時期などだ。
 ≪無責任な政権投げ出し≫
 その理由は、インド洋での海上自衛隊による給油支援を延長する新テロ対策特別措置法改正案の取り扱いについて、公明党が衆院再議決を前提として臨時国会で成立させることに強く反対したことにあった。
 さらに、公明党が首相の意向を受け入れない底流には、年末・年始に衆院解散・総選挙を行いたいという党の都合を優先したことがあったといえる。「現体制で総選挙を戦えるのか」と首相を突き放すような言動も散見された。
 8月末にまとめた総合経済対策に、選挙対策の狙いが露骨で、財政規律の緩みを象徴するような定額減税の年度内実施が盛り込まれた。これも公明党の強硬な主張に屈したものといえる。

 公明党の大活躍で、福田内閣としての仕事もできないし、そもそも自民党としてのあり方も薄れてきた。冒頭、福田さんの心情は伝わったとしたが、それは「なんのためにオレは首相やってんの?」ということだし、会見で溢れた、梶芽衣子ばりの恨み節が公明党というより小沢に向かってしまうのも、しかたがなかったのだろう。
 恨み節を少し解くには、公明党が国政をどう考えて自民党と対話していたかを理解する必要があるが、そこが私にはさっぱり見えない。公明党には公明党なりの戦後の平和日本国家の理念のようなものはあるだろうが、今回の一連では、どちらかというと党利というか党内部の問題を外にずるっと剥き出しにしてしまっただけのように見える。福田さんとしても、公明党には通じないなという感じだったのではないか。
 そのあたりを福田さんなりに客観的に見て、そして国の行く末も考えてみたら、臨時国会途中で解散に追い込まれるのが必至になったという認識なのだろう。あれま、チェックメートだった、と。だから本人としては、安倍元総理のように「ぶっち切れ」ということでもないと言いたかったのだろうが、さてそれは本当に客観的に必至だったのか。
 自民党の誰がやってもこんなものでしょという状況なのだから、福田さんも最後まで泥を被ってのたうち回るほうがよかったように私は思うが、おとっつあんと同じ北風小僧の上州人だしな。
 「福田総理が」という個別の文脈から離れて、この全体構造として薄目で見ると、前回の安倍元総理の辞任も同じで、要するに「インド洋での海上自衛隊による給油支援を延長する新テロ対策特別措置法改正案」でつぶれたということだ。それをもって米国様のご意向と見るのは慌てすぎだが、いずれにせよこの難関は誰かがまたとりあえず年末までに始末を付けることになるのだろう。
 誰がまた泥かぶりをするのか。しかし、もう泥を被って済むことでもない。公明党が切れてしまえば衆院三分の二という伝家の宝刀は使えない。じゃあ、すっぱりと国政をめちゃくちゃにしやれという流れになりそうな感じがする。いやその前に、あるいはもっと露骨な国際社会からのメッセージがあったらやだけど。
 この件、もう弥縫策は通じないのだろうから、やるだけやって国民が少し政治の主体感を持つまで待つかな、となんだか、森喜朗さんのような心境になってきた。
 当面、国際社会から日本の政局はそれほど関係なさげに進んでいくだろう。まだ明日が見えない状態だからそういう進めかたもある。国際社会としても日本への様々な期待はあるのだろうが、政治の中枢が潰れてもさしたる国際的な話題にならない日本というのは、サバイバルのシステムとしては、それなりに強いということなんだろう。これで円安になって日本経済がひと息つくのだったら苦笑ということろか。

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2008.09.01

罪深いという感じについて

 米国大統領選挙の副大統領候補が民主・共和ともに決まった。それはそれなりに思うことはあるのだが、なんとなく私は「ジョン・エドワーズ元上院議員(54)」のことが気になっているというか、このところ、罪深いという感じについてぼんやり思うことがあるので、そんな雑談。
 エドワーズ元上院議員は今年の1月までは大統領選挙での民主党候補指名争いで三番手に残っていた。前回の大統領選挙のケリー候補のときでも副大統領指名になっていたから、今回も副大統領に指名されるのではないかという話もあった、が、がっちょーんと崩れたのは8月8日に不倫を認めたことだった。日本でどのくらい話題になっていたか知らないが米国では話題っていうかすごい話題だった。日本で報道が無かったわけではないので、クリップ。AFP”エドワーズ元上院議員、不倫認める”(参照)より。


米大統領選に2度の出馬経験があるジョン・エドワーズ(John Edward)元上院議員(54)は8日、不治のがんを患っているエリザベス(Elizabeth)夫人以外の女性と不倫関係にあったことを認めた。一方、女性が出産した女児の父親であることは否定した。

 それまで不倫は否定していたのだが、ばっくれ切れなくなった仔細については私は知らない。昨年10月にはゴシップは出ていた。本人弁では。

 エドワーズ氏はこれまで繰り返し不倫を否定してきたが、同日発表した声明では、選挙戦中に次第に「自己中心的でナルシシスト」になってしまったと認め、何度も謝罪した。

 そういうものかねというしみじみとした味わいがある。私なんかも「自己中心的でナルシシスト」かなと思うけど、なんかそういう立派なばっくれやったことないし、そもそも不倫みたいな恋愛のど派手なことやったことないな、というあたりで、面のいいやつは、う、うらやましいぞ感がないわけでもないが、話を先に進める。
 不倫なのでお相手がある。

 不倫相手は映画監督のRielle Hunter(42)氏と報じられている。不倫関係にあったのは、2度目の民主党候補指名争いに立候補する前の、2006年の短い期間だったと明らかにした。

 2年前ということで、リエル・ハンター女史40歳大台の時か30代のどん詰まりの時。エドワーズは52歳か51歳。うーん、今の俺の年じゃないか、う、うらやましいぞ感がないわけでもないが、またも話を先に進める。
 しかし50歳のオッサンが40歳のオバサンと仕事の付き合いでちょっこと不倫しててもそれほど面白い話でもないのだが、エドワーズは愛妻家だった。どうでもいいけど、愛妻家をぐぐるとろくでもない結果しか出てこないのは何故。

 エドワーズ氏の妻、エリザベス夫人は、不治のがんと懸命に闘う姿から人気が高い。4人の子どもをもうけたが、1人は交通事故で死亡している。

 このあたりの話はウィキペディアを覗いたら、書かれていた(参照)。お好きな人がいるんだろうか。

学生時代に出会ったエリザベス・アナニアと1977年に結婚。ウェイドとケイトという二人の子供をもうけるが、息子のウェイドが16歳のときに交通事故で死去。夫婦は再び子供を持つことを決め、エリザベスが49歳のときにエマ・クレアを、51歳の時にジョンをもうけた。

 結婚は24歳くらいか。「エリザベスが49歳」とあるので、ベス母さんの生年が気になるが調べてみると1949年生まれ。ということは4歳上のカミさん女房ということになる。ざっくり加算してみると、「49歳のときにエマ・クレア」が1998年、「51歳の時にジョン」を2000年ということになる。乳癌であることを公表したのが2004年。その時歴史が動いた、夫エドワーズが不倫するまであと2年、というところだろうか。ベス母さんの履歴を見ていると、子供の頃日本にいたらしい。日本での交友も広いのではないだろうか。
 エドワーズの不倫だが、隠し子疑惑もある。ロイター”米大統領選撤退のエドワーズ元上院議員、不倫関係を認める”(参照)では。

ただ、エドワーズ上院議員は、8日遅くに放映予定のABCの番組「ナイトライン」で、ハンターさんのことは愛していなかったと語っているという。また、ハンターさんの子どもについては、検査をしたわけではないが、自分が父親ではないとしている。

 ということだが先のAFPでは。

 エドワーズ陣営の元顧問が女児の父親だと認めている。

 とのことで、それなりに男の甲斐性ってものなのかもしれない。
 最初に罪なきものが石を投げろというなら、この手の話題に関係ない俺なんか最初に石投げてやりそうな感じがしないでもないが、「罪」というのをもっと広義に捉えていくと、多少微妙かなという感じはする。それと、年食って思ったけど、もてない男というのはそれなりに幸せな人生の部分というのはあるにはある。
 それにしても、ジョン・エドワーズ……なんなのだろう、というのと、こういう事件ってなんのだろうと思う。という違和感は、今回の告白には奥さんが一緒ではなかったが、それでもエドワーズはまた奥さんと並んで公的な場所に立つわけだ。というか、妻は許してくれた的に。
 というところで、それを言うならクリントン元大統領だ。彼の不倫ももう昔のことになってしまったのかもしれないが、スキャンダルが湧いたころ、私は、まさかぁ、それはないでしょと思ったし、お相手のお写真を見たとき、絶対にそれはないと確信すらしたのだが、尊敬するコラムニスト、サミュエルソンが、クリントンは嘘をついていると断言して、え?と思った。以降、気になってこの事件は追った。クリントンのばっくれ映像なども見た。ああ人間の醜態ってこういうものかな、というか、男の真実ってこんなものか、俺なんかこういう状況に墜ちたら早々に土下座しちゃうじゃないかと思ったが、クリントンはばっくれ。そして私はあれですよ、スター報告書も英文で読んじゃった。読まなければよかったと今では後悔している。
 その後クリントンは罪を悔いて、カミさんと娘と公的な場に出てくるし、今回の大統領選挙では微妙に大活躍もしてくれているというか、まだ活躍しているっぽい。なんなんだろ、このエロ爺と思うのだが、最近の尊影を見ると、クリントンさん、本当に爺面になってきた。しかも、昔はエロ男だったのじゃて風の風格もある。山城新伍はどうしているだろう。いや、男の末路ってこんなものなんだろうか。林秀彦先生もどうされているのかと思ったら、その後すごい本を出されていたし、なんだかなあ。
 もう一人、これも罪深いっていう感じかなと思ったのは、エリオット・スピッツァー、ニューヨーク州元知事。今年3月12日読売新聞記事”州知事が買春認める 司法長官時代は売春組織摘発で評価”より。

米紙ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)は10日、ニューヨーク州のエリオット・スピッツァー知事(48)による買春疑惑が表面化したと伝えた。疑惑は、連邦捜査当局による高級売春組織摘発の中で浮かび上がったもので、同紙によると、同知事は先月中旬、訪問先のワシントンのホテルにニューヨークから高級売春婦を呼んだ。売春組織への電話が当局に盗聴され、同知事と特定された、という。
 同知事は、シルダ夫人とともに記者会見し、「家族を裏切った。家族と州民に謝罪する」と事実上、疑惑を認めたが、進退については言及しなかった。

 記事にもあるように、この時、カミさんと並んでいた。売春男がカミさんと並んでいる絵というのに、ああ、またかと思うと同時に、ある種の感動もした。どのあたりが感動のツボなのかわからないが、
 ちなみにこの三人は民主党のお偉いさんだが、別に民主党だからそういうスキャンダルがあるというものでもないだろう。
 日本だと、TBSの井上弘社長(68)やみずほコーポレート銀行の斎藤宏頭取(64)の不倫疑惑だと、罪深いという印象はあまりない。爺さんよくやるなあくらいの感じだろうか。カミさんのほうも、特に出てくることもないが、こちらは政治の世界ではないからなのだろう。
 話にさしたるオチもないのだが、米人のこの、罪深いっていう印象はなんなのだろうかと、変な感じがする。罪深いという状況に萌え萌えっていうのがあるんじゃないかすら思うが、よくわからん。

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