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2008.07.15

三橋一夫のこと

 三橋一夫という著作家を書店で検索すると各種の書籍が出てくるのだが、これが同姓同名の4人くらいが混ざっている。ウィキペディアを見ると同項目(参照)はその点を考慮しているが。


1. 小説家、健康体育研究家(1908年8月27日 - 1995年12月14日)
2. 音楽評論家(1928年 - )
3. 日本庭園研究会千葉支部代表(1941年 - )

 がというのは、その先の記載はない。私が関心を持っているのは、小説家、健康体育研究家の三橋一夫で、なぜかはてなキーワードの解説が詳しい(参照)。なぜかで思うこともあるがあえて書かない。

作家(1908年(明治41年)8月27日~1995年(平成7年)12月14日)
本名:三橋敏夫。
戦後の「新青年」誌に、形容不能の幻想小説「ふしぎ小説」を連続発表して話題となる。
ユーモア小説等も発表した後に、小説の筆を折り、健康法の著作等をものした。
別名として森九又、信濃夢作もある。

 同項目には”三橋一夫作品目録”(参照)へのリンクがあり、これはこれでたいしたものなのだが、「健康体育研究家」についての著作の話はない。
 ぐぐるとガラクタ風雲というサイトに「三橋一夫」(参照)の春陽文庫書籍についてのやや詳しい話がある。ここにも同姓同名のことが書かれている。

確かに、同姓同名の三橋一夫がいるのである。建築関係の本を出している三橋一夫、音楽関係の本を出している三橋一夫などなど、どういうわけか数人の三橋一夫が確かに存在しているのである。そして、本家本元の三橋一夫はというと、ひとりで複数のジャンルにわたる本を出していたのである。不思議小説を書き、明朗青春小説を書き、健康本を書いていたのである。ああもう、ややこしい。
著書の数は半端でなくたくさんあるらしいのだが、そのほとんどを持っていないので、とりあえずここでは春陽文庫にしぼりこんで三橋一夫を紹介しよう。

 「本家本元」というのは表現にもよるのだろう。が、私が関心をもつ三橋一夫は少なくとも健康体育研究家でもあった。というか、その側面を歴史の中に置き直すと、日本の近代史の奇妙な証言になっている。
 というあたりで、三橋一夫の「らくらく体操健康法 著者80年の体験」(参照)という本の話を少し書きたい。さすがに「書評」とは言い難いし、この本自体に関心があるわけではない。いや、この本は絶妙に面白い本なのだがそのことは今回は触れない。(余計なお節介でいうと、三橋の本は希少化しつつあるので今が最後の買い時かもしれない。)
 話がずれるのだが、私が結局傾倒することになった山本七平(その傾倒ゆえにとばっちりや陰湿な嫌がらせも光栄にも受けることになってしまったが)は大正10年の生まれ。1991年に亡くなっているのでもう随分経ってしまったことになる。同じく傾倒した吉本隆明は大正13年生まれ。二人の対談は一度あったが、率直に言って吉本が大人気ない対応をしていて失敗したと見ていいし、吉本はあえてそうしたかったのかもしれないが、この二人のズレは戦中派と戦後派の微妙な差異がもっとも際立ったところだ。吉本を戦後派とするのはやや異論があるかもしれないが、山本は戦地の体験があり、吉本にはない。ここでいつも自分の父を思うのだが、彼は大正15年生まれで、戦地に行く前に大病し、そして一命を取り留め、かくして私がこの世にいる。父の友人たる同窓会のリストでずらっと並んだ戦死の文字が未だに忘れられない。2歳ほど上の父の兄はインパールで戦死した。殺されたと言うほうが正確だろうが。
 そういえば2002年に亡くなった山本夏彦は大正4年の生まれで、山本七平より10歳近く年が上だ。彼は87歳まで矍鑠と生きて、最晩年には戦争真っ暗史観と彼が呼ぶものにヒューモラスな批判活動をしたが、夏彦は七平とはまた違った戦争観がある。このあたりの戦争というものの実感のグラデーションをどう見ていくか、つまり、きれいにイデオロギーで滅菌された歴史ではない内省の側から日本の近代史はどう見えるかということを知るうえで、三橋一夫のような視点は興味深い。
 三橋が生まれたのは明治41年ということで、私の祖父母が明治30年代だったので、それよりは若いが、漱石が亡くなった大正5年からすると、三橋の目から漱石などはその現代の流行作家であったろうしそういう感覚が生きている。
 話が散漫になるが、私はいつのまにか50歳になってしまったが、祖父母が明治の人であるといことは、この年になってみると恩恵とまではいえないが、いろいろと今でも学ぶことが多い。というか、この年になってみて百年の歴史を人間の体温を伴って伝えてくれるものがある。
 三橋が同書を書いたのは昭和63年、81歳のことだ。昭和63年は事実上昭和の最後になる。亡くなったのは平成7年ということで、山本夏彦のように87歳だったことになる。この本を書いてから6年後に亡くなった。そういえばと連想するのだが、佐保田鶴治は明治32年生まれ、昭和61年に亡くなった。本人は「八十八歳を生きる」(参照)としていたが、満年齢では87歳だった。彼は私の祖父母の世代になる。
 三橋は小説家でもあったが、なりたくてなったわけでもなかった。40代半ばにヨガを知ったとして。

 そのころ私は、もう四十代半ばになっていました。
 長い戦争のおかげで、教師にもなりそこない。進駐軍の命令で、武術を教えることも禁じられていたので、仕方なしに小説を書いて生活していました。

 彼は先祖代々の武術家の嫡男でもあった。
 世の中には文学好きの人がいるが、として。

 ところが私は、子供のころから文学は好きで、高校時代は和歌の会に、大学時代は詩と小説の会の同人になったりしていましたが「詩人になりたい」とか、「小説家になりたい」などとは、夢にも考えたことはありませんでした。
 父は「会社員になれ」というし、大学では「教師になれ」というので、どうしようかと考えている……そんなヒマもなく、満州事変で、幹部候補生になり、それから長い戦争。
 戦争が終わったら、二十代前半だった男が、もう四十歳のオッサンです。
 私は子供のときから、武術家として育てられ、体育家になっていました。
 軍服を着ようが、何を着ようが、私は武術体育家のつもりでしたが、戦後は、それでは生きてゆけない。
 そこで、仕方なしに「芸は身を助ける」式に小説家に化けました。

 小説家としては大成しなかったが、ネットなどを見ると愛好者は少なくはない。

 文学賞の候補にも三度なりましたが、三度とも次点でした。
 当選したら、お断りしようと思っていたくらいですから、そのためではないのですが、小説家としての生き方が、私にはむずかしく、性に合っていないようで、いろいろ悩んでいました。

 ということで、本書には武術家であった彼の父の姿や三橋が子供のころ、つまり、大正の始めのころの風景が何気なく描かれている。それがいろいろ面白い。
 昨今、古武術ということがいろいろ言われているが、三橋一夫はその正統伝承者でもあった。さりげなく「父は剣道とも剣術とも云わず、撃剱と言っていました」という思い出にも「撃剱」の語感がうまく生きている。
 三橋は子供のころこう思った。

 「道場の試合用の武術ではダメだ。実戦用でなくては……!!」
 父にたのんで、道場の稽古とは別に、居合抜刀術や古流ヤワラや、骨法(当身術)などもはじめました。

 ということで、彼は子供ながらに表向きの武術とは違う武術を知り、父から教わる。その父がさすがなのだが。

 中学一年のころ、日本の拳闘(ボクシング)が輸入されました。
 アメリカで修業してこられた渡辺勇次郎先生や郡山東郷先生が帰国して、それぞれボクシングの団体を結成したのです。
 父が「西洋の当身術も稽古しておけ」
 というので、さっそくボクシングもはじめました。

 このあたりの、明治の武術家の父と子の「西洋の当身術」への感覚も面白い。
 三橋の父はその後武術家ではなくなり、三橋もそうではなくなった。しかし、三橋はこっそり武術が殺人技術であることはよく知っていたし、その側面はざっと見た限り伝えることもなく歴史から消えていった。

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コメント

あらぁ、もう終わりですか。
続きをお願いします。

finalventさんのお父様と私の父は同年です。母は昭和3年生まれで、両親とも健在ですから、身近な生き証人の話として、もう少し真剣に両親の昔話をこれからは聞こうかと思います。

話は逸れますが、ヘチマの花が咲きました。多分実も生ると思います。沖縄の例のレシピお願いしますね。では。

投稿: ゴッドマー | 2008.07.15 10:47

fianlventさん、おはようございます、

都会ではない街に生きていると本当に100年の時の流れを、人の肌のあたたかさで知ることは案外容易です。くちづたえで伝わる話の数々は、ほんとうに100年の時の流れを息づかいとして感じられます。

ありがとうございます。

投稿: ひでき | 2008.07.17 08:25

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