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2008.07.29

[映画]時をかける少女(細田守監督)

 細田守監督作品「時をかける少女」(参照)は2006年7月15日の公開なので私は二年以上経って見たことになる。気になっていた。夏雲を見上げたら、見るころじゃないかなと。見た。傑作でしたよ。これはすごいなと。これは大人の映画だなと。いろいろな見方があるだろうし、いろいろと感動(あるいは罵倒)を胸に溜め込んでいる人も多そうな感じはする。まあ、私が思ったことでも少し書いておきますか、くらいな話を以下に。

cover
時をかける少女
 まいどまいど自分語りがくどくて申し訳ない。1957年生まれの私は1972年に放映されたNHK少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」をべたに見ている。べたなターゲット層だし。深町くんことケン・ソゴルもよく覚えている。ラベンダーもこの番組をきっかけで知った。1983年大林宣彦監督映画「時をかける少女」は見ていない。原田知世も角川映画も好きだったがなぜだろうか。理由はよくわからない。ユーミンの「VOYAGER」は聞いていた。
 2006年「時をかける少女(細田守監督)」は原作とはだいぶ違うらしいくらいの前知識はあったし、あまりそのテイストへのこだわりはなかった。が、もともとは少年ドラマふうな印象があったから、そのあたりが現代にどう活かされるのだろうかという関心はあった。理科室が出てくるところは原作へのオマージュかなとは思った。
cover
VOYAGER
松任谷由実
 後で知ったが、この作品は1983年大林宣彦監督映画「時をかける少女」の続編の位置づけらしい。1983年版は原作をなぞっているから芳山和子の登場でもわかる。というか、そのあたりに作品のトリックがありそうなので、途中、身構えた。
 というあたりを先に話すと(スポイラーになるとは思うが)、未来人、間宮千昭がこの時代にやってきたのは東京国立博物館のある絵を見るためということと、芳山和子の人生の時間についてのくだりに、たぶん、私からは読めない何かプロットが仕組まれている印象はあった。なんだろ?
 話に入る。冒頭、東京下町の高校二年生女子、紺野真琴が、同級生の男友だち間宮千昭と津田功介とつるんでいる。たわいないキャッチボール。こういう男女関係は、幼なじみ的な関係ではありえないわけでもない。が、イカ臭い高校二年生なんだから当然、そこに恋愛や性の感情がにじむ部分もある。実はそこがこの映画の一つのテーマになっているといってもいいだろし、そこはよく描けている。紺野真琴の胸はやたら小さいが(意図的だろうけど)。
 原作は、SFチックというか少年少女向けに書かれていることもあり、いわゆるタイムトラベルものの様相を色濃く出しているのだが、今回の映画では、それは、明確に一つの比喩として描かれている。比喩でしかない。これはすごいなと思った。
 私は50歳にもなってしまったので十分少年時代や青春時代を薄汚く述懐してもいいのかもしれない。というのは、過去というのは常に可能性に見えているものだからだ。そう過去がだ。可能性に満ちているのは、未来ではなく過去だ。あの時、あの選択をしたら、どう生きていただろうか。仮想のパラレルな過去を積み上げて今という時をごまかして生きている。時間というのは、意識によって崩壊した量子的な存在でもあり、エヴェレットの多世界解釈のように今の自分は多層な可能性に満ちた過去の幻想に覆われているものだ。
 いや冗談ですよ。実際にはこの一つの人生しかなく、そしてそれは今という時間のなかで、薄汚く汚れたものでしかない。なんでこんな惨めな老いた自分がいるのだろうということ、過去の多様な可能性は意識のなかでバランスされている。時間の意識というのはそんなものだ。
 と強引に自分の話を引っ張ったが、この作品、ある意味で、津田功介が藤谷果穂と二人乗りの自転車で踏切事故にあって死ぬのが、リアルなエンディングなのだ。人生という物語なら、そこで終わり。主人公、紺野真琴はそこに罪のような悔恨のようなけっして戻らない死を抱えて、30歳・40歳。50歳とだらだら生きることになる。人は、可能性の過去のなから最悪の線の上に細っそりと惰性で生きていくものだ、普通はね。生きているだけマシが死に損なったかなの均衡をゆっくり壊していく。
 あの二人のリアルな死で、この物語の一つのリアルな構造が終わる。その時、物語の空間が強くなり、突然、間宮千昭が未来人であると告げられる。つまり、そこからSFという比喩がようやく始まる。作為のなかで死のリアルさと、幻想の過去の可能性としてのSFは、きちんと意識的にこの物語のなかで多層化される。
 この多層性のなかで、紺野真琴は間宮千昭を恋人として選び得たかもしれない失われた過去にいる。ここでも時間が死と遭遇している。間宮千昭は、時間の秘密を犯した重罪であり、きっちりとは描かれていないがそれは死罪と見てよい。「今」という時間は、恋を選べずに罪と死だけが残されるようにできている。
 物語のこの屈曲点から、物語としての最終部に向けて、ドラマツルギーによる転換が始まる。リアルな人生の、こうした悲惨な時間という意識構造に立ち向かい始める。私たちは過去のなかで選び得たものを最上のものとすることができるのではないか、と。
 冗談エントリを書いているようだが、これはニーチェ哲学の最上命題だ。多様な希望に満ちた過去からその最悪な今につながるルサンチマンとしての自分の今のあり方を、きちんと今選びなおすこと。もう一度あの時間を生きるとしても、同じ選択をすること。今の人生に是と言うための過去を選択しなおすこと。
 物語では、紺野真琴は間宮千昭を恋人として選び直す。それは同時に過去の恋人を失うことでもある。そこで失われた恋人として、「また未来で会おう」と約束する。それは、未来としてのこの今のこの時間に、最善の選択をすることだ。そして、それが今という時間を変える。
 映画のこの、ラブシーンのように見えるトリックは、「タイム・トラベラー」の視聴者だった私にはよくわかる。ケン・ソゴルと芳山和子の約束そのものだからだ。恋人は再び別の人間として未来に現れるということ。
 人は若い日の恋愛のなかには生きてはいけないけど(そこには死があるし)、そこから組み上げた最上の未来のなかで定まった未来の恋人を選び出すことはできる。その確信のなかに生きていたことが、過去の時間のすべてを変える。それが大人の物語だ。
 アニメの映像も美しい。2006年の東京というには少し古いように見えないこともない。でも、そこに刻まれた風景はたぶん、若いときにこの映画を見た人の心のなかで、20年後、30年後、きちんと時を超えて、大人の物語として蘇る。

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コメント

NHKのジュブナイルSF物で、幕末にタイムスリップした中学生だか高校生の話しってありませんでしたっけ?
日本史辞典を持っていたら幕府派にとられてしまって、維新の立役者が集中的に暗殺され、明治維新は起こらなかったって話し。
辞典を盗まれた子が責任取ろうと死にに行って、もう一人の子だけが現代に帰ってきていました。
そういう国家とか歴史の責任を負わされた話し(そういう番組が作られたという時代)もあったのに、現代では恋愛でしか時間のSF化が出来ないのでしょうか。

投稿: てんてけ | 2008.07.29 22:27

僕は昨年―旧作レンタルになったのと合わせて(ゴメンよ、レンタルショップ…)―過去の細田監督作品から続けて見たのですが、
なんとなしオルフェスの神話のような感覚を覚えたのでした。
当時、リルケ詩集から『オルフェスのソネット』抜粋部分を読んでいた影響かも分からなかったので、イカンイカン深呼吸としつつ―どう纏めようこの感覚? と、釈然としなかった記憶があります。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.07.29 22:27

>てんてけさん。

横レス失礼します。
「NHKジュブナイルSF物幕末」でグーグル検索したら、
amazonに『NHK少年ドラマシリーズ幕末未来人』というのがありましたよ。
以下、【収録内容】等より。

第1回~第5回 / 1977年放送作品
高校生の和田と伊藤は横須賀に戦艦三笠を観に行く。だが、その三笠にはタイムトラベルの入り口があった。彼らは昭和から幕末の動乱の中へ…。眉村卓の作品をもとにタイムトラベルで突如幕末に迷い込んだ現代の高校生の数奇な体験を描く少年ドラマシリーズ後期の傑作。

原作はSFジュブナイルの巨匠、眉村卓の『名残の雪』。第1巻では第1回から第5回を収録。幕末の横須賀にタイムスリップしてしまった2人の男子高校生。受験用の日本史年表を持っていたことから幕府側からも勤皇派からも追われることとなってしまう。そして歴史は徐々に変化し、別の歴史が形作られていく。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.07.29 23:47

横レスですが>てんてけさん
お話の作品は少年ドラマシリーズの「幕末未来人」だったと思います。原作は眉村卓の「名残の雪」(『思いあがりの夏』角川文庫、所収)です。
原作とはほとんど別物の少年向け活劇だと感じましたが、あれもまた時代(時間)に翻弄される小さな個人の話ではあったように思います。原作は恥ずかしくなるようなリリカルさもあって、とても好きです。

投稿: uumin3 | 2008.07.30 05:15

この映画みなきゃ(内容次第で子供にみせなきゃ)と思っていたのですが、その後の転勤で日本をはなれそれきっりです。レンタルも旧作扱いになったようですし、今度 日本に帰ったら見ることにします。

投稿: richmond | 2008.07.30 09:39

>「幕末未来人」
小学生の頃みた『幕末高校生』ってフジテレビのドラマにあらすじが酷似しているなと思ったんですが、『幕末高校生』のリメイク元が「幕末未来人」なんですね。
ふ~みんが高校教師の役を演じてました( ´ー`)

投稿: tricksterchaos | 2008.07.30 12:21

>多様な希望に満ちた過去からその最悪な今につながるルサンチマンとしての自分の今のあり方を、きちんと今選びなおすこと。もう一度あの時間を生きるとしても、同じ選択をすること。今の人生に是と言うための過去を選択しなおすこと。

中学のときの担任を刺しても現在はリセットできない。

2006年の芳山和子さんを世代論やフェミで説明する人があったけど、(Mの世代?)「よしてくれ」だった。それこそルサンチマンと自己欺瞞どっぷりの世界。
finalventさんの批評はスッキリしてて、とてもいい。

ドリカムでも中村さんは幸福な結婚したし、美和ちゃんも(不幸なことがあったけど)大人の歌手になっている。

投稿: haineko2003 | 2008.07.31 09:33

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