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2008.07.31

過去のメディアが今のメディアと競合する時代

 WTO決裂については今日の新聞各紙社説がそれなりにうまくまとめているし、こうした正論が新聞に書けている時代はまだいい、ということで、というか、たぶん今回のWTOは決裂以降が問題なわけなので注視しつつこの話題はブログではパス。で、雑談。
 先日のエントリ「極東ブログ: [書評]グーグルに勝つ広告モデル(岡本一郎)」(参照)だが、読後はよくわからなかったのだが、避暑がてらというのと、オリンピック騒ぎを逃げるために、DVDの映画とか古書とかを探しに街に出て、なるほどね、同書にあった過去コンテンツが現在のコンテンツと競合するっていうのは、けっこうアリなかと実感した。過去コンテンツがここまで膨れあがった文明っていうのはなかったわけだ。頭ではわかっていたけど、どうにも実感としてついてこれないでいたが、なんだかようやくわかってきてぞっとするものがあった。
 蔦屋に行ったら巨人の星が全巻ある。私が見たことない、いわゆる本編以外もある。私は世代的に巨人の星は雑誌もテレビも全部見ている。特に雑誌のほうは少年マガジンの連載以外に、別途総集編雑誌が発売されていた。それのオマケにしょぼい短編漫画がついていて、多分無名のまま消えたんじゃないなという作家のものだが、奇妙に、断片的だけど、鮮明に記憶にあったりする。
 巨人の星の本編では日高美奈とか青春のオブセッションでもある、とかとか思うけど、こんなもの二度と見たくもない。
 雑誌もテレビも全部見たといえば「うる星やつら」も全部ある。TVのほうの音楽はかなりグッドなんだけど、放映の途中ごろ絵がすごく汚くてあれはもう積極的に見たくない。いまBSでやっている「ルパン三世」ももういいや。映画「ルパン三世 ルパン vs 複製人間」(参照)は傑作だからいつか見直してもいいけど、「ルパン三世 カリオストロの城」はもう見ることないだろう。
 仮面ライダーなんかも過去の作品がけっこうきちんと整備されていて、なんか、こー、鬱っていうか、ケロロ軍曹とか見ていて元ネタがわかる自分に鬱っていうか、そんな感じ。娯楽なんだから、別に見なくてもいいし、考えなくてもいいんだけど。それにしても、すごい未来がやって来たものだな。蔦屋とか古書店で呆然とする。
 そういえば一昨日のエントリ、「極東ブログ: [映画]時をかける少女(細田守監督)」(参照)もそうだけど、これってある意味で過去作品の連続の上にもあるわけだし、もちろん、そういうふうに見なくて全然いいのだけ、それでも過去作品を背景している部分もあるわけで、なんだか不思議な感じがする。
 今は過去の上に成り立っているとしても、たぶん80年代あたりからか、今が過去のコピーというかメディアの上に成りっているみたいな錯視感に変わった。別の言い方をすると、60年代というのはなんでもやたらと「新しい」時代だった。そして70年代はその新しさが腐ったというか、マス化を含めて終わった時代だった。そして80年代になったら、もうリアルなものはなにもなくて、作品というか作られた映像から歴史が出来てきてた。ボードリヤールがあのころ、シミュラクルとかハイパーシミュレーションはリアリティって言ってたがよくわかったというか、吉本隆明もまだ元気でそのあたりニューアカのバイパスで格闘していたわけだけど。
 ど、というのは、個人的な印象だけど、ネットっていうか、90年代半ば、モザイクというか画像がネットに登場するようになって(正確にいうとコンピュサーブでかな)、ハイパーシミュレーションはリアリティじゃなくて、リアリティそのもの。もうなにがなんだかわけがわかんないことになった。見えるということは、そもそも創作だし再創造なんだというのが自明な世界がやってきた。
 70年代というか80年代の頭くらいまでは、まだ映像がリアリティ=本当の世界、との対比で語り得たけど、80年代のあたりのどっかでリアリティっていうのはフィクションの純化というか、本質という創作になってしまった。あまり言うと不要なバッシング受けるかもしれないけど、歴史修正主義というはまあ普通に批判されてしかるべきなものだなのだが、その歴史修正主義という概念が依拠しているリアル感は実は80年代に消えたんじゃないだろうか。
 小林信彦がテレビの戦争ドラマのリアリティがおかしくなっているということを以前時折触れていたが、もう触れるのもイヤになってしまったみたいだが、映像や物語で語られる戦争のリアリティの質感がどっかで根本的に違ってしまって、ちょっと偽悪的にいうと、そこで提出されるイデオロギーのリアルな希求がリアリティに置き換わってしまった。たとえば、戦争の悲惨を理解することがリアルな映像なのだというか。でも、本当の映像というのは、たえず各種のイデオロギーというかそういう理解を裏切る雑音的な要素があるものだった。リアルなものというのは物語を否定しちゃう矛盾を持っているもので、ある微妙な「おかしみ」というのか変な日本語だけど、いや別にナショナリストでも戦争賛美でも否定でもないけど、春風宇亭柳昇のラッパの話は面白いなあみたいな部分があるものだった。
 不思議なのだが、YouTubeのおかげで60年代とかの古い映像とかも見ることができる。先日、宇宙少年ソランのチャッピーを見てなんか泣けてしまうものがあるのだけど、じゃ復刻なら当時の映像のままだから、ある種のリアルが今でも見えるのかというと、見られない。満州時代の映画とかも、たしかに歴史の資料だしそのままだけど、どこかできちんと21世紀に再生している50歳の俺が一緒にいる、みたいなカプセル化がきちんとできていて、カプセルを外すことはできない。なぜなのだろうか。
 しいていうと、古い建物のすえた臭いのなかに、本当の歴史の感覚がすると感じることはある。自分が生体として生きて来た時間の、もっとも原初的なリアリティのなかでしか戻らないものなんだろうか。
 なんかまとまりの無いようなことを書いているけど、星里もちるの「りびんぐゲーム」だったか、登場人物の女の子が1970年代生まれだ、若い!、とかで他の登場人物がずっこけているシーンがあったが、1970年代生まれの子が世の中に登場してきたよガビーンの感じはあった、俺の90年代。その先はもう80年代生まれどころじゃない。
 ただ自分が年を食ったということがいいたいわけでも懐古したいわけでもなく、自分からみると、シミュラクルとリアルの差のない、あるいは差が価値という歴史空間に生まれた人たちがもう立派な大人になっているのだし、その人たちがまた映像を作り出してしまっている。恋愛とかしているし子供を産んだり育てたりととかしている。えええ! そういう人間的な行為はメディアの外でするもんだぜ!、とか言いたくなりそうだが、そう思う自分も、実は文章のメディアとしては同じ構造の中を生きてきた。
 歴史の感触がメディアに置き換わるのは、「映像で」というのは70年代以降だが、「文章で」というか「出版のメディアで」というのなら、近代が始まったときにすでに起きているというか、なんとなくなくだが「極東ブログ: 武士というもの」(参照)で武士道が興行の産物ではないかとしたように、明治時代の後期あたりから発生している感じがする。普通に近代とは文章というメディアの空間だし、80年代あたりからそれが映像や感覚再現のメディアに置き換わったのだろうな。
 話がごちゃごちゃしてしまうが、映像メディア自体は1930年代には興隆しているし、そもそも第二次世界大戦というのが、飛躍するけど、その映像メディアの産物だとも言えないことはない気がする。「あの戦争」はどことなく映像で出来ている。そして映像というのは、リアリティを映し出すのではなく、編集ということなのだろう。
 80年代に歴史のリアリティが映像化するというのは、映像の質、端的には映画からTVということかもしれない。
 夏雲を見上げて、すっと手を伸ばしてみる。どっかに薄いメディアの幕みたいのが破れるんじゃないか、と。破れっこないのだ。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

『表層批評宣言』?

投稿: jiangmin | 2008.07.31 14:45

『話がごちゃごちゃしてしまうが、映像メディア自体は1930年代には興隆しているし、そもそも第二次世界大戦というのが、飛躍するけど、その映像メディアの産物だとも言えないことはない気がする。「あの戦争」はどことなく映像で出来ている。そして映像というのは、リアリティを映し出すのではなく、編集ということなのだろう。』
と仰るのはよくわかりますね。私もfinalventさんとは同年代だから、生まれたときにはすでにテレビというメディアがあったし、当然「戦争を知らない子供たち」であったのにもかかわらず、妙に「あの戦争」に関しては映像体験がよみがえるのです。それ以前の日清、日露、第一次大戦などは教科書で「歴史」として文字情報か平面画像でしかわからない。なのに「あの戦争」だけは映像としての記憶がある。しかしそれは「編集」された映像の体験であってリアリティを映し出したものではないというのも、その通りだと思います。
80年代に見た映画「東京裁判」は、ドキュメンタリーとしてある種リアリティの再現であったかもしれないが、そのあたりの時代から現実体験と映像体験の区別があいまいになってきたのかも知れません。
自分も話がまとまらなくなってきましたが、なんとなくこのエントリーでfinalventさんが言わんとしていることに「同意」ではなく「共感」してしまったのでコメントさせていただきました。

投稿: SHU | 2008.07.31 15:32

 もち里星る先生の漫画は中期?以降ずーっと読んでる割に『夢かもしんない』以外はそこまで面白く無かったですわ。んで、『夢かもしんない』は『ゴースト(映画)』のパクリ?だったというか。その話(ネタ元)を作品後描きで読んだとき、創作性の臨界点みたいなもんを垣間見たような気がしましたね。

 あと、どうでもいいことですけど。

 パンドラの箱を開けたら中からいろんな災厄が湧いて出て世界が一挙にアレになって開けたヤツ絶望したんだけど箱の底には「希望」が転がってた、って話で。何となく世間では「希望があって良かったね」「また頑張ろうね」「希望を捨ててはいけないね」「希望を持つのが人間の本質だよね」みたいなポジティブな話の終わらせ方してるみたいですけど。

 アレ、元々箱の中に入ってたのは希望でも何でもないんじゃないの?って思います。箱の底面が心の鏡かなんかで底を見た人の気持ちが勝手に映るだけのことで。箱の中には徹頭徹尾「災厄しか」入ってないんじゃないかと。災厄以外何にもねーの。中空っぽなの。希望云々は後世付与された「娯楽」で。元々?本来的には要らんことスンナ馬鹿って教える「だけ」物語みたいな。

 んで。箱の底の心の鏡に希望が映るレベルのバカタレなら、どんな世の災厄も瞬時に娯楽化出来ちゃうよねw系のブラック笑いが根底に無いと、ああいう話は作れない気がします。元の話も、後の娯楽も。

 そのへんの要素が、日本人には中々身に付かない。ブラックさを根底から否定してる肌合いの人には、いわゆる娯楽性や面白みって、無いと思います。創り手にも、受け手にも。
 そういう類の人って、みんなで協力して(若しくは徹底的に個人主義で)頑張れるだけ頑張って出来る限りの素晴らしい作品を作り上げましょー!! 迄で、行き詰まっちゃうんじゃないですかね? 上手く逝ってる最中だけが「娯楽」で、上手く逝かなくなったらヒステリー起こして自滅するんよ。そんな感じ。

 私? そんな感じ。

投稿: ハナ毛 | 2008.07.31 15:55

僕も、一応は『りびんぐゲーム』で驚かれた世代に属するのですが…
別に世代論を振りかざそうとは思わないんだけど、なんとなし80年代生まれの子たちは違うという感覚を更新されぬままに持ってきました。

具体的には、厭世の感を持ち込んで云々と取り沙汰するほど年齢差はないのですけど(汗)、やっぱり、なーんか違う。
それは終風先生がよく持ち出されるご自身と団塊世代との差、こういってよければ「断絶」の観として把握するほどに酷くはないと思うんです。
しかし、やっぱりリアリティが―キャピタリスティックな視点で見て―違うなーと感じてしまうのです。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.07.31 17:54

私の母親は映画「三丁目の夕日」を毛嫌いしております。ノスタルジーなんてとんでもないと。
しかし世間一般ではセピア色の昭和30年代といいますか、嫌悪している人はかなりいるらしいのに、完全黙殺なんですよね。これもまた情報操作というか価値の編集というか。

投稿: てんてけ | 2008.07.31 23:23

ちょっと待て。

>雑誌もテレビも全部見たといえば「うる星やつら」も全部ある。

それはいいんだがな、
>夏雲を見上げて、すっと手を伸ばしてみる。どっかに薄いメディアの幕みたいのが破れるんじゃないか、と。破れっこないのだ。

ああ、ここで映画版は見逃しているな、というのがばれる。全部傑作なのだが、仮面ライダーやケロロを見るくらいならせめて2くらいは見てからにして欲しい。趣味じゃないかもしれないし、高橋留美子を激怒させるほどうる星の世界観からは外れているかもしれないが、それでも日本の映像コンテンツを語るなら外せない。

投稿: F.Nakajima | 2008.07.31 23:38

 そういや私、最近は野ぐそでしたね。なんで今さらハナ毛?みたいな。しばらく離れると物忘れが激しくなって素敵だなって思いました。昨今暑苦しいし西日本一帯は極度の高温少雨ですけど関東圏は大丈夫ですか? 夏気に殺られてボケたりしないよう、お気をつけくださいな。ほなさいぬら。

投稿: 野ぐそ | 2008.08.01 10:53

 留美橋高子先生はさっさと『犬夜叉』終わらせてとっとと出家すればいいのにね、とか昔の隔離所で言ったことあるけど、何やら最近個展とか開いちゃって違った意味で出家しちゃったな!? って感じで微笑ましいです。
 リアル錯乱坊@ご尊顔拝しちゃった最近の若い人は、どー思うんですかね? 私は別にどっちでもいいです。老齢化の波に負けず頑張って欲しいです。そむだけ。

投稿: 野ぐそ | 2008.08.01 19:00

>野ぐちゃん
元気そーで何より

投稿: | 2008.08.01 20:49

もう30年近く前の話になりますが、おおの藻梨以先生の「ストレンジ・オレンジ」という作品に妙に感心して、その後のおおの藻梨以先生に注目していたのですが、おおの藻梨以先生は、予想通り鬼才で、少女マンガの場面の中に麻雀の雀卓や日本酒の一升瓶を描きこむ革命的表現を持ち込まれました。藻梨以先生の後に続く人たちの中に、藻梨以先生が開拓された道を歩んでくれている人がどうもいないらしいことが残念です。
田中雅子先生の「虹色のトレース」は絵画的描写が派手で、こだわりのあるマンガ読者には田中雅子先生の支持者がずいぶんいたみたいですが、田中先生もメジャー作家とはいえない方でした。
イケスミチエコ先生の「無花果(いちじく)」という作品を読んだとき、文学的にはなんとも思わなかった作品だったけれども、ストーリーの展開と場面の展開の対応関係にすごく感心しました。もし、イケスミチエコ先生が文学的創作を断念されて絵画表現に専念され、優れた原作者とコンビを組まれていれば、「釣りバカ日誌」、「北斗の拳」、「ハイティーン・ブギ」、「キャンディ・キャンディ」のようなハイパーヒットを世に送り出したメガ作家のひとりとなられていたかもしれないと思っています。エルトン・ジョンがバーニー・トービンと出会えなかったようなものなのだろうなあと思っております。
しらいしあい先生には、「チョコの銀紙」なんていって読者と紙上対談をしたり、めずらしいカエルの生息分布についての薀蓄を披露したりしていないで、カゲキな創作に徹して頂きたかったと思っています。しらいしあい先生がもっとがんばっていて下さっていれば、いがらしみきお先生や相原コージ先生に比肩する「少女マンガ界のセンデロ・ルミノソ」(笑)としてその作風が伝説的地位を確立されていたことと思っております。
現在のコンテンツライターでは、最も好きなマンガ家さんは、業田良家先生とみなもと太郎先生です。
奇才きららてんこ先生にはすぐに筆を折らないで、時流と戦い続けて創作してほしかったと思っております。
西側の労働者の若者たちを本当に疎外から救っていたのは、共産党員や労働組合ではなく、おそらくミック・ジャガーやロジャー・ダルトリー(ザ・フーのリード・ヴォーカリスト)だったと思っています。
ここで名前を挙げさせていただいたコンテンツライターの方々も、当時、そう、30年前から20年前くらいのころには、多くの初等、中等、高等教育を受けていた学生たちを疎外から救っていたはずなのです。

投稿: かつてのサブカルコンテンツ | 2008.08.05 09:18

今になってみれば、ミッチー・サッチー騒動でマスメディアが大騒ぎしていたころから、放送業界も出版業界も行き着いていたのかなあと思っています。そして、ミッチー・サッチー騒動を研究したほうが、ヨン様ブームを研究するより得られるものは大きいかもしれません。
そして、ミッチー・サッチー騒動が、山本モナちゃんの不倫報道に連なっているのであろうと推測しています。

投稿: 今振り返ると | 2008.08.05 11:21

そのうちにカラヤンの評価も変わるかもしれません。
カラヤンが実力で大芸術家だったというわけではなく、彼は、彼の時代に、西側の人間としてうまく立ち回ったドイツの音楽家であったから政治的に彼が大芸術家であるということにしてもらえたということで、音楽家としての力量は、通常をある程度超えている程度というところだけれど、政治家、役者、商売人としてのカラヤンが優れていたから、西側の政治家たちが彼を大芸術家であるとする宣伝を打ってくれた、また、カラヤンもそれに見事に答えた、そういうところだったのかもしれません。
まあ、あと20年もすればカラヤンについてもいろいろなことが明らかになると思っています。

投稿: そのうちに | 2008.08.05 14:32

昔、イナズマンをテレビで見ていて、サナギマンの存在理由って何なのかとよく考えました。あの当時は、コンテンツ産業には、コスト=パフォーマンスという考えは希薄でもよかったのかもしれません。また、イナズマンとサナギマンのコスチュームの製作費より、有名芸能人の15分間の出演のほうが出費が大きかったのでしょう。今だからできる野暮な話題。

「宇宙刑事ギャバン、シャリバン、シャイダー」を見ていたひとたちが大学の仲間には多かったのですけれど、「ギャバン」、「シャリバン」、「シャイダー」をもじって、「宇宙判事サイバン」、「宇宙証券バンバン」っていったら、ひどく受けました。

「不思議法廷発生、不思議法廷が発生すると、6000人の弁護士が弁護団を結成する中、被告は4倍雄弁になる。」
「不思議市況発生、不思議市況が発生すると、6000件の買い注文が殺到する中、株価は4倍に暴騰する。」
という、フレーズを作ったら、周囲の人たちが大爆笑しました。いまから20年以上昔の話。

いま、「ギャバン」、「シャリバン」、「シャイダー」の話をしても、きっとほとんど盛り上がれないだろうな。

投稿: イナズマンの記憶 | 2008.10.07 09:04

上野の国立西洋美術館で開催されていた、もう終わってしまったデンマークの画家のヴィルヘルム・ハンマースホイ展を見て、「作品がこれほど鑑賞者に不快感を与えない創作家というのも稀有だ。これも貴重な才能だな。」と思ってひどく感心していました。そして、「こういう才能の持ち主が確か日本にもいたはずだったな」と思ったのだけれど、ずっと、誰だったか思いつきませんでした。

近日、「ああ、そういえば、少女マンガ家のせがわ真子先生もそういう個性の持ち主のクリエーターだったな。若いころは正直、少々物足りなさを感じたけれど。」と思い起こしました。

ほとんどの人がそうだと思うけれど、発酵したニンニクとアミの強烈なにおいのするえらく辛いキムチのほうが、セリやナズナのおひたしに天つゆ(そばつゆ)とかつおぶしとすりごまをかけておかずにするよりも食が進むものです。

だから、ハンマースホイよりサルバドール・ダリのほうが情念に訴えるものがあるし、せがわ真子先生の支持者は探し当てにくくて、貧乏人とにわか金持ちの卑しさいやらしさをとことん誇張する青木雄二先生の「ナニワ金融道」は常に読者を獲得し続けるのです。

それでも、少子高齢化社会ですし、少子高齢化社会というのは間違いなく少し胃弱気味の社会ですから、キムチよりセリのおひたしが好きな人も増えると思います。そんなわけで、ヴィルヘルム・ハンマースホイやせがわ真子先生に対する捉え方や評価の仕方もだんだん変化して行きそうな気がするのです。

投稿: 毒がない | 2009.01.16 12:59

「六祖壇経」は文庫本があります。出版社の方すみません。六祖慧能、五祖弘忍について知りたい方は手に入れて読んでください。

本日、2009年4月25日、東京都美術館の「日本の美術館名品展」を見てまいりました。

なんといっても、日本の近現代の美術創作家たちのコレクションがすばらしい。

日本には、江戸時代から、平賀源内、司馬江漢らの西洋美術移入の歴史があるのですが、明治以降の日本人創作家たちの西洋美術の咀嚼力と消化力には目を見張るものがあります。

ロシア美術やアメリカ美術にそんなに詳しいわけでもないのだけれど、自分の知る限りでは、エルミタージュ美術館やメトロポリタン美術館が存在するそれらの国の近現代の美術創作家たちが、それほど画期的な仕事を量産するのに成功しているとはとても思えません。

それなのに、日本には、ルーブル美術館もプラド美術館も大英博物館もテート・ギャラリーもウフィッツィ美術館もないのに日本人創作家たちが達成した水準は、世界を瞠目させるものがあるといっても過言ではありません。

この企画は、ぜひ第2弾、第3弾が続くのを待ちたいものと思います。21世紀以降に所蔵された日本人作家の作品だけに展示を集中させてもよろしいかと思います。

IT時代、情報化時代、知識社会の時代というのは、芸術創作力が民族や文化圏の力と富の指標として重要になると思います。一方で、国家というのは行政単位化して政治的意思決定の単位としての性格は弱まり、経済単位としては事実上成立不能になると思っています。もちろんこれは私の考えですが。

日本の未来に関する悲観的予測を覆す材料がまたひとつ見つかった、と思っています。

投稿: enneagram | 2009.04.25 12:48

書き落としたことを付け加えさせていただきます。

これからの時代の民族や文化圏の力と富の重要な指標は芸術創作力である、ということになると、アフリカとラテンアメリカの諸民族、諸地方にも面目を回復する機会が今後幾たびもやってくると思います。

ただ、そのためには、政治の安定、経済水準の向上、迷信を起源とする忌まわしい風習の根絶、衛生思想の普及などが欠かせないと思われます。

そして、私たちも、アフリカやラテンアメリカは立ち遅れているという偏見を排除する必要に迫られることになるのです。

投稿: enneagram | 2009.04.25 14:03

この話題については、もう一言。

日本の美術館の所蔵品の一覧展覧会、日本の近現代美術創作家たちの最優秀作の徹底紹介が今ごろなされるというのも、考えてみれば、遅すぎたような感じがします。

でも、今になってこういう試みが開始されるというのも、ある意味で時代の要請なのかもしれないと思っています。

近未来に、韓国の美術館に所蔵されている韓国の近現代陶芸家たちの佳作秀作の展覧会が、東京で開催される日が来ることを期待しております。

投稿: enneagram | 2009.04.25 14:58

「宇宙判事サイバン」、「宇宙証券バンバン」よりもっと受けたネタを思い出しました。披露します。


「宇宙職安タイコバン」!

(「不思議景況発生」、不思議景況が発生すると、6000人の人事部長が求人の意思決定をする中、就職希望者の採用率は4倍になる。)

投稿: 失業者起業家 | 2010.01.10 14:57

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