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2008.06.15

1978年宮城県沖地震のこと

 私自身は1978年宮城県沖地震について強い思い出はない。ちょうど30年前になる。
 この地震は、1978年6月12日の夕方5時14分に、宮城県沖を震源に起きた。全壊家屋1183戸。マグニチュード7・4、震度5。被害は宮城県に集中し、死者は28人に及んだ。この地域では今年も同日に防災訓練が行われた。13日付け河北新報”わが町内自分で守る 独自訓練で防災力向上”(参照)はこう伝えている。


 わが町の防災は住民の力で―。1978年の宮城県沖地震から30年がたった12日、地域の防災力アップに腐心してきた仙台市宮城野区の福住町町内会の菅原康雄会長(60)は、新たな気持ちで防災訓練に臨んだ。


 切迫感が強まったのは03年7月。宮城県連続地震で被災した東松島市の住民が近所同士で支え合って生活している姿を報道で見て、災害に備えた町内会活動の必要性を痛感した。


 30年前の記憶の風化が気掛かり。「時の流れとともに油断が生じている。30代半ばまでの若い世代は、あの地震を知らない」

 その二日後、今回の岩手・宮城内陸地震が起きた。マグニチュード7・2、震度6強。地震の速報を聞いたとき、私は即座に宮城県沖が震源かと思ったが、内陸であった。
 河北新報にある「03年7月」の地震は同年26日の宮城県連続地震(北部地震)である。死者はでなかったが、全壊家屋489戸に及んだ。
 私が今回の地震で当初宮城県沖かと思ったのは、12日の朝、NHKラジオ「時の話題」で「切迫する宮城県沖地震」を聞いた記憶があったからだ。同地域は2つのプレートがぶつかる部位(震源域は両側に2つ)でしばしば地震が発生する(周期は過去平均37・1年)。
 1978年の地震では死者が28人に及んだが、うち18人がブロック塀や門柱の下敷きになった。このことから以降ブロック塀の耐震性が強く問われるようになった。
 また、水田だった地域に作られた新興団地被害が際立った。新聞に掲載されたその写真の記憶は私にも鮮明にある。仙台郊外の丘陵地も盛り土が崩れたことも被害を拡大させた。
 それに比較すれば仙台市中心部の被害は少なかった。当時は人口50万人以上の都市が初めて経験した都市型地震の典型(参照)とも言われたが、むしろ日本の高度成長求めた地域での、人災的な要素の強い地震災害だったとも言えるだろう。
 14日の、今回の地震で、ある意味で特徴的なのは、全半壊家屋が少ないことだ。14日付け読売新聞記事”短い揺れ周期、雪に強い構造…地震の建物被害目立たず”(参照)より。

 岩手・宮城内陸地震は、阪神大震災に匹敵する揺れの強さにもかかわらず、14日午後10時現在、判明している建物の全半壊は13棟にとどまり、昨年7月の新潟県中越沖地震(6940棟)などに比べはるかに少ない。
 専門家らは、建物被害につながりにくい地震波の特徴や、地震に強い東北地方の住宅構造を指摘している。


震源に近い岩手県奥州市も65%だったが、壁のひびやブロック塀の倒壊など軽微な被害が中心だった。

 全半壊家屋が少なかったことは、キラーパルスが少なかったせいもあるだろう。
 関連して2005年8月16日の宮城県沖地震(ただし政府想定の地震ではなかった)では震源より遠い地域での被害を伝えている。2005年8月29日読売新聞記事”福島の住宅被害 宮城の1.7倍”(参照)より。

 今回の地震による住宅被害は4県計889件(全壊1件・一部損壊888件)で、このうち福島県が554件で6割を占め、震源に近い宮城県(326件)に比べて1・7倍となった。
 福島県の被害は、震度5強を記録した相馬市や新地町に集中し、計419件。このうち9割に当たる398件が瓦の落下・破損だった。

 私がこうした側面に関心をもつようになったのは、「コウアン先生の人を殺さない住宅―阪神大震災「169勝1敗」の棟梁に学べ」(参照)を読んでからだ。同書の紹介より。

21世紀を迎えようという時代に、なぜ6300人もの死者を出す大惨事が起こったのか――著者の1年間にわたる綿密な被災地踏査からは、信じられないような事実が次々と浮かび上がってきました。倒壊、圧壊しても当然といえるほど悪辣な手抜き工事のあまりの多さと、それを助長する法律の不備。そして呆れるばかりの建築業界のモラル低下、行政サイドの怠慢。その結果、死者の約8割は建物の下敷きになり圧死していったのです。しかし、その一方で活断層のすぐ横に建てられていた木造住宅やマンションがほとんど無傷の状態で残されたケースや、激震の中心地にありながらわずかな補強をしただけで難を逃れた古い民家もありました。いったいどこで生と死は別れたのか。
 現地調査中に著者はひとりの元・大工棟梁と知り合いました。彼は引退するまでに被災地を中心に170棟の家屋を普請しましたが、今回の震災で大きな被害を受けたものは、わずか1棟で、他はほとんど無傷で残りました。
 本書は、被災地の手抜き、欠陥工事の実態と元・棟梁が建てた無事だった家屋の検証を通して、安全で人にやさしい住宅の建て方、買い方、補強のし方を、図解、写真を駆使して、わかり易く解説しています。(マンションについても、同様) 絶対に失敗しないために、マイホーム購入前には必ず読んでもらいたい「安全住宅造りのバイブル」です。

 内容だが、必ずしも伝統工法の耐震性が高いということの主張ではなく、むしろ、大工さんのメンテナンスが重要だとしていた。
cover
コウアン先生の
人を殺さない住宅
阪神大震災「169勝1敗」の
棟梁に学べ
中村幸安
 本書をどう評価するべきかは、私は専門ではないのでよくわからないが、私は実家を昔気質の棟梁に建ててもらったこともあり、頷けることは多かった。

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コメント

 うちは建っただけなら50年、メンテ頑張りゃ150年逝けるんで、頑張りたいと思います。メンテ重要です。

投稿: 野ぐそ | 2008.06.16 19:35

突然のあっぷで失礼します
1978年6月の宮城県沖地震についてですが
その年の4月にも宮城県で震度4程度の地震があったのを
記憶してます。

しかし周りの人は、あれは1978年2月だったと言う人がほとんどですが
たしか1978年4月だったと思います。

この宮城県沖地震前の、震度4程度の地震の発生日時の知ってる方(ホームページでもいいです)お知らせ願いたいです。

投稿: まさむね | 2009.03.20 09:18

気象庁の地震データベースによると、1978.2.20に震度4の地震が宮城沖を震源として地震がありました。<1978年2月20日13:36:57.2 38゜45.0'N 142゜12.0'E 50kmM:6.7 宮城県沖> 皆さんの話でも2月にあったといっています。なお4月はデータ上大きい地震はありませんでした。

投稿: | 2010.01.19 12:05

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