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2008.06.20

[書評]江戸の経済システム 米と貨幣の覇権争い(鈴木浩三)

 以前「極東ブログ: [書評]にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)」(参照)で、江戸時代の商人倫理に少し触れたが、同書は当時の貨幣経済について詳しくは書かれていない。それがどうしたわけか、このところ江戸時代の貨幣経済がどうなっていたのか気になっていろいろ散発的に調べてみた。面白いのだこれが。
 銭形平次が投げていた銭は寛永通宝だというのはいいが、これって円の単位が確定した昭和28年まで日本国の通貨として使えたとは知らなかった、いやそれは曖昧な情報かもしれないのだが。また寛永通宝は中国やベトナムにも輸出していたともいう。それってどういうことなのか。宋通元宝や太平通宝といった宋銭がなぜ和銭ではなく宋の銭なのかはいいとしても、それが流通していたというのは同じ経済圏だったのだろうか。永楽通宝は明が対日本向け専用に鋳造したというのだが寛永通宝では逆転したわけだ。それにはどういう歴史的な意味があるのか。

cover
江戸の経済システム
米と貨幣の覇権争い
鈴木浩三
 江戸時代に日本の銀がだいぶ流出したということや、「鎖国」というのはいわゆる通念のそれとは違うでしょ、飢饉は生産の問題より貨幣経済や流通の問題だったのでしょなど、いろいろ散発的な疑問がある飽和状態になって、こりゃ貨幣経済から江戸時代を概括した通史を読んでみたいなものだと、それっぽいのを漁ってなんとなく買って読んでみたのが、「江戸の経済システム 米と貨幣の覇権争い(鈴木浩三)」(参照)だった。かなり当たりだった。うひゃあ目から鱗が落ちまくりんぐでした。自分が無知だったなと反省した。本書は経済史、特に貨幣史的な考察が主軸にあるのだが、個人的な印象では、江戸時代の通史としてかなりすっきりしたものになっていた。
 私などは普通に日本史を学んだから、こうしたことがよくわかっていない。つまりベタなマルクス史学の骨格に奇妙に大日本史的な倫理観と時代劇テイストが加味されていた近世史くらいしか知らない。この岩波新書的山川出版教科書的な歴史はかなり実際には違うだろうなとは薄々思っていたのだが、やはり違うようだ。本書を読んでさっぱりした。
 ちょっと難しいといえば難しいが、本書は高校生でも読めると思うし、歴史に興味がある高校生なら読んでおいたがいいだろう。まげ物も楽しみが増える。ただ、受験に役立つかというと微妙かもしれないが。
 筆者は史学の専門と言えるかわからないし、本書はどちらかというと専門家の学説をエッセイふうに手際よくまとめた印象もあり、史学的にはどういう評価になるのかわからない。が、とにかくわかりやすかった。まえがきより。

本書は、歴史上の人物を通じて江戸時代を語るのではなく、専門家には常識的な事柄であっても一般的にはあまり知られていない事実も含め、さまざまな経済事象やエピソードなどを織り交ぜながら「江戸経済」の全体像を現代から描こうとするものである。

 そのあたり、「専門家には常識的な事柄」がどの程度なのかがいまひとつ自分にはわからないが、おそらく本書の江戸時代像が史学的な概括としてはもっともわかりやすいのだろうし、そのことの意味合いは、明治維新というのは、こう言うのも言いすぎかもしれないのだが、それほど大した事件でもないなという印象を深くした。
 現代日本というのは、きちんと江戸時代の上にのっかており、明治維新も太平洋戦争敗戦も大きな変化ではあるものの、変化しなかった分というか、あえて日本人が忘却しようとしたような日本の部分の連続性はかなりある。それは山本七平が「現人神の創作者たち」(参照上参照下)で言うように、明治時代というのが江戸時代を意図的に忘却する時期であったように、また戦前戦後で言えば山本夏彦が「誰か「戦前」を知らないか 夏彦迷惑問答」(参照)と滑稽に嘆くように。
 話を本書に戻すと、武家のサラリーが石高によっている、つまりコメに依存している、コメ本位制度だということは、市民経済の発展とは本質的に矛盾してくるし、市民経済は貨幣経済になるのだから、江戸幕府という政府の本質的な矛盾というのが江戸時代の根幹的なダイナミズムだったというのは、考えてみればバカみたいに明白なことなのに、どうして私たちは生産性だの生産様式だのという頓珍漢な歴史を教えこまれたのだろうか。権力の圧政から民衆の解放みたいなマンガみたいな歴史をどうして科学的だなどと思い込まされたのか。ちょっと悔しい。
 本書がすごいのは、こうした貨幣経済のダイナミックスが市民社会の組織力と関連して社会システムとして論じていくところだ。が、正直にいうとその手つきはやや危うい印象もある。その分、かなりすっきりと日本社会の歴史的な構造が理解できる。
 自分がかなり無知だったなと思ったのは、江戸の貨幣についてなのだが、私はなんとく小判というか金貨は象徴的なもので現実的には流通していないに等しいと思っていた。また銀貨は銅貨などと同一の体系にあると思っていた。違っていた、金・銀・銅の貨幣はそれぞれのレートが存在していたし、貨幣の銀含有構成を変えるとレートが変わりすらした。まさに現在の為替差益のように利益が得られていた。へぇそうだったのか。
 コメ本位制度ということから、必然的に投機もあった。それは知っていたのだが、どうもかなり広範囲だったらしい。「鎖国」についても嘘だろうなと思っていたが、かなり詳細な密輸のシステム話がある。ただ、幕府管轄以外の貿易の全貌は本書からはよくわからない。銀の流出については絹の輸入が意味を持っているらしいことはわかった。
 火消しが同時に火付けというのもやや驚いた。しかし、これは勝海舟のエピソードからもなんとなくそうではないかとは私も思っていた。が、さらにそれが経済システム化していたらしいとは。
 エピソード的な部分で、思わず、げっと声が出てしまったのは、本願寺が江戸時代を通じて宗号も認められず、寺院扱いもされなかったことだ。浄土宗からの妨害にもよるが、最大の理由は親鸞の僧籍らしい。たしかにそれはそうだ。さらにうなったのは、よって、親鸞上人といった号や見真大師号も公的に禁止されていたことだ。つまり、親鸞上人が成立するのは明治時代だ。しかも浄土真宗が反幕府であったために、逆に明治政府から親近であり、廃仏毀釈時にも優遇されたようだ。そ、そうなのか。
 史観として、げげっとうなったのは次の認識だ。松平定信の寛政改革の反動性について。

 大石教授が、寛政「改革」は「明治維新を百年遅らせた」とされるのもこの点を指しているといえよう。歴史に「もしも」がないと断ったうえでも、経済の流れからみれば、田沼の経済策の延長線上には諸大名の没落と幕府の強大化、一層の市場経済の発達があったことが容易に想像できるし、その過程は西欧の絶対主義国家が成立するに至った条件と非常に似ていることが指摘できる。

 まさにそうだ。大名は廃藩置県などなくてもそのまま財政破綻し自滅しただろうし、武家=コメ本位制度の反動がなければ、山城国の小領主にすぎない天皇家が国家の中枢に持ち出されることもなく、ファナティックな擬古神話も形成されず、市民=ブルジョアワは成熟したのではないか。いやそれは夢想に過ぎないかもしれないが。
cover
資本主義は
江戸で生まれた
鈴木浩三
 それにしても、江戸時代のこの貨幣経済とある種の市民社会のシステムというのは、明らかにといっていいがアジア諸国には類例がないのではないか。日本はすばらしいといったバカみたいなことが言いたいのではない。しかし、江戸時代の貨幣経済の高度化とそれに伴う社会システムの高度化こそが近代だろう。
 筆者の結語に近い認識にも深く共感した。明治維新の意味について。

 しかも、今までみたきたように社会システム全体を意志決定の方法あるいは経済法則という視点からみると、「近世」ないしは「封建時代」とされている江戸時代と、明治時代以降の「近代」との間には世の中で信じられているほどの決定的な差異はない。むしろ天皇制という名の官僚独裁制ないしは専政性の事実を「近代」だとする時代は、逆に「近代」どころか「古代」的ですらあった。

 私たちは長い長い江戸時代を生きてきたといってもそう間違いではないかもしれない。そして、もしかすると、それが今終わろうとしてるのかもしれない。

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コメント

>むしろ天皇制という名の官僚独裁制ないしは専政性の事実を「近代」だとする時代は、逆に「近代」どころか「古代」的ですらあった。(「ろ」が抜けてたんで足しといたよ)

 そんなん歴史の教科書様もわざわざ「王政復古」言うとるやん。そっからだけ考えても、当たり前の結論だと思うけどね。

>私たちは長い長い江戸時代を生きてきたといってもそう間違いではないかもしれない。そして、もしかすると、それが今終わろうとしてるのかもしれない。

 今終わるかどうかは知らんけど、いずれ終わるよ。終わって当然。それが世の流れってヤツ。
 終わらせるのは、多分力を持った市民階層(旧来的に言うところの穢多非人でもいいけど)だけど、その人たちが旧弊的な「勘違い」「思慮の一歩足りなさ」から脱却したその時が、終わりの始まりなんよ。今んとこ、あと一歩が足りんのんよ。みんな一歩手前で愚図愚図しよる。それじゃ逝けんのんじゃけどね。

 皆が渡り切るその時が来るまでじーっと待つのが、野ぐそのお約束。

 勝負事ゆーのはねぇ。一番最初に抜けたヤツと一番最後まで居残ったヤツが勝つんよ。そんだけなんよ。

投稿: 野ぐそ | 2008.06.20 21:53

>つまりベタなマルクス史学の骨格に奇妙に大日本史的な倫理観と時代劇テイストが加味されていた近世史くらいしか知らない。この岩波新書的山川出版教科書的な歴史はかなり実際には違うだろうなとは薄々思っていたのだが、やはり違うようだ。

爺は最近の山川出版の日本史Bの教科書を買って読んで見るといいと思う。
手元にある1993年に検定された山川の詳説日本史(ちょっと古い)だと、東日本が金遣いで西日本が銀遣いっていうのはわざわざ太字にして本文中にかかれるくらい基本的な知識。慶長14年時点の「貨幣の換算率」なる表まで参考に載ってる。これが前提にないと両替商が何の両替してるのかわからない。南鐐二朱銀が注に太字で出てくる意味もわからない。

>ちょっと難しいといえば難しいが、本書は高校生でも読めると思うし、歴史に興味がある高校生なら読んでおいたがいいだろう。まげ物も楽しみが増える。ただ、受験に役立つかというと微妙かもしれないが。

日本史に興味のある高校生なら、金貨銀貨の海外流出と聞けば「おう、新井白石の長崎新例な」とか「金銀比価があんだけ違えばそりゃ裁定取引するよな」とか言うに違いなく、またそれくらいのことを言うには教科書の知識だけで十分だったりする。
近世経済史はテーマ史重視な昨今では頻出の分野だし。近代史とのつながりも普通に意識されるところではあるし。ど真ん中ストレートなテーマを扱った本が受験に役立つかどうかは微妙と言われたら、言われた高校生のほうが微妙な気持ちになるんじゃないだろうか。

投稿: Listlessness | 2008.06.21 00:24

岩波新書批判教科書批判から日教組批判につなげていくセントラルドグマにかみついても。

とはいえ、教科書も確かに進化してます。一度子供(お孫さん?)のものを借りて眺めてみるのも一興。

投稿: マル経 | 2008.06.21 01:23

マンガ=荒唐無稽な事的意味合いで使うかどうかによって、精神的世代を見分ける指標にしてる。
林信吾さんとは、同学年なんだが、同様の表現を著書で見かけて、ああこの人は上の世代に属する人なんだと思った。

投稿: KAZ | 2008.06.21 08:42

本願寺については、日下公人さんが何かの本で、江戸幕府は浄土真宗の牙を抜くために本願寺を東本願寺と西本願寺に分裂させ、浄土真宗同士で内部対立するように仕向けた、といった記述をされていたことを覚えています。
浄土真宗は、現在でも最も多くの信者さんの所属する宗門なので、江戸幕府は、浄土真宗をひどく恐れていたのではないかと思います。法主と御連枝による強力な政治組織を備えているのも浄土真宗ですし。
浄土真宗の次に信徒が多い宗派が曹洞宗ですが、曹洞宗も、将軍臨済土民曹洞などといわれた時期があるらしく、禅宗の中では格下に扱われていた時代があったようですが、曹洞宗も、江戸に寛永寺(天台宗)や増上寺(浄土宗)のような大伽藍を作ってもらえなかったのは、徳川家や皇室の帰依の問題だけではなく、信者が多くて政治性が強いことも原因だったのだろうと推察しています。これは根拠の貧弱な推論ですが。
それと、浄土真宗の妙好人も危険性はなくても信仰にはファナティックな部分がありますし、曹洞宗も、総持寺の系列のお寺さんは、看板は禅宗だけれど、内容は密教のようなものなので、幕府から遠ざけられる原因は宗門自体が作っていたのではないかと考えます。
もちろん私の推論はすべて間違っているかもしれません。

投稿: あやふやな記憶 | 2008.06.23 08:11

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