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2008.06.22

大仏を巡る与太話

 ちょっと雑談するかな。といってまったくの雑談ではなく、歴史や歴史学についてだ。だから当然に雑談のレベルも下がる下がる。
 歴史を学んだり、歴史に関心をもっていくと、あるところで、皆目わからなくなる部分に出会う。歴史というのはある意味でこじつけの説明ともいえるのだが、説明を聞かされても、納得しないという以前に、「お前らおかしいんじゃないの、頭?」という印象が深くなることがある。しかし、実際には、頭おかしいのはそう思い出す自分のほうで、通説というのは、ある種の共同謀議じゃないけどそれなりの意味があったりする。
 皆目わからないのは、史料がないからということもある。史料を探せばわかるふうな問題だといずれ新史料から大胆な史観が生まれることもある。そうした点で史料が絶対的に欠けているのが古代史だし、しかも古代史というのは近代がもつ古代幻想、つまり国家幻想に関係しているから、変だ?という感性は実は国家観に関連してくる、というか国家観を蝕んでくる。そしてそれを強弁するように史料の補助というか客観性への希求は、近代=科学の頓馬さから考古学や周辺科学に及んでくると、すっかりと歴史学の基本的な技法である文献批判はどこかに消えてしまい、トンデモ説の花盛りになる。
 というかく言うわたしも古代史については、自分なりのトンデモ説に落ち着いてしまったし、中世も沖縄生活から似たようなものができた。若い頃、講座派(参照)と労農派(参照)についていろいろ悩んだが今となっては爺教科書読めやくらいと言われる始末だが、近世についてもなんか、自分なりのトンデモ説ができつつある。まあ、素人っていうものは救いようがないなということだが、それなりに若い頃きちんと学問はしたので文献批判とかもわかるので、そうしたのをかっとばした自分の史観はトンデモですよくらいの自覚はある。ブログや身近の与太話のネタにはするが、公的な話にはまぜないようになとは思っている。
 日本古代史のなかで、これは皆目わからんし、いわゆる通説が根幹的に間違っているだろうなと思う問題、そして卑近な大問題は、奈良の大仏だろう。なんであんなものを作ったのだろうか。もちろん、いちおう表向きの答えはあるし、東大寺というのは国分寺の総元締めなのでなんかそれなりの象徴の実体性は求められはするだろう。大仏もあの時代ユーラシア史を顧みればそれほど珍しいともいえないが、それでもあれって銅製だよ。というあたりでかなりなにか異常な感じがする。
 後に、徳川家綱時代、寛文年間だが、ようやく宋銭などから続く渡来銭を和銭である寛永通宝が結果的に駆逐するのだが、その寛文8年(1668年)、江戸亀戸で鋳造発行された寛永通宝は京都方広寺の大仏を鋳潰したとの噂から大仏銭と呼ばれた。噂に過ぎないともいえるが、注意したいのは、大仏というのは銭に転換する実体であり、その性質は古代においてもそう変わるものではないだろう。つまり、奈良の大仏というのは貨幣の固まりという潜在性を持っているのであり、国家が貨幣を掌握するファイナルな存在として奈良の大仏が存在するともいえるだろう、というあたりで、トンデモ臭が漂うのだが、しかしそう無碍に否定できないだろう。そう考えるかあ?的な問題だが、しかし否定はしづらいし、なんか歴史学に馴染まない問いなんじゃないかくらいのオチになる。
 奈良の大仏がなぜ作られたのか? まあ、作った本人に訊いてみようじゃないか的に言えば、聖武天皇ということになる。聖武天皇はなぜ大仏を作ったのか。国分寺との関連でいえば、明白に国家鎮護と言えるだろう。金光明最勝王経も国分寺に置かれたことを考えれば当然だ。現代でいうMDみたいにカネをぶち込んでおけば国防になるみたいな幻想かもしれない。いずれにせよ、本人に訊いてみようとしてもその程度の枠組みがから、あとは、ネットとかにありがちな「仏教の教えだぞよ」みたいなくだらない話が出てくるくらいだ。
 もうすこし聖武天皇という人を見ていくと、まあ神経症だったのではないかという印象は深まる。大仏も元は紫香楽宮に作るはずだった。奈良ではないのである。この頃の聖武天皇は奈良がいやでいやでというかなにか取り憑かれたように 恭仁宮、紫香楽宮、難波宮と転々とする。頭おかしいんじゃないの。
 というか彼の頭をおかしくした何かがある。おかしいといえば嫁の光明子も、変態?みたいな伝説がつきまとうしなにかとこのご夫婦はおかしい。いや、おかしいご夫婦なんていうのは世間のあたりまえで、毎晩どんなおセックスをしているのか想像するだにご夫婦の関係なんてものはわからない、ってかそんな関心もつな。アルファブロガーが第2レベルに上がったかどうかはお子様でも生まれたら祝辞のあとで若干想像すればいいくらい。

cover
美貌の女帝
永井路子
 聖武天皇がおかしいんじゃないの的になるのは、その擁立の背景を考えればそれなりに納得してくる。彼は文武天皇の第一皇子で、母親は藤原不比等の娘宮子だが、このご夫婦がまた変。このあたりのファミリーヒストリーはある意味で悲惨に尽きるのだが、文武天皇の父は皇位にもつかなかった草壁皇子。同時代に権勢を持っていた高市皇子が死んで文武天皇となる軽皇子は立太子したのだが、この時代は天皇は女帝につぐ女帝というかまあいろいろあったんでしょ的な状況になっている。ぶっちゃけ、唐の支配だったんじゃないかと私はトンデモ的に思っているのだが、そこまでトンデモになるのは、このどたばたの時代の強弁としてできたのが日本書紀であって、日本の歴史の根幹の文書の成立時代が、まず変。少しでも関心をもてば内心、トンデモになるよなと思うのだが、碩学吉野裕子先生も、まだ80代のお若いころこっそりと遺言のように、草壁皇子は母の持統天皇が殺したのですございますわよおーほほほほっと述べていた。いやそのトンデモレベルに私の先生への敬意は高まったのだが、でもトンデモはトンデモ。
 いずれにせよ聖武・光明子夫婦の筋金入りの変さというのは、娘の孝謙天皇(称徳天皇)にもつがれて、ここで古代史最強の女帝、つうか女王が誕生する。その最大の事件はいわゆる道鏡事件だが、これがまたトンデモにはたまらないネタだ。北九州の宇佐神宮が天皇の位を道鏡に譲れとの神託したというのだ。それってなんだ?
 つまり天皇位というのは、血統に関係なく委譲できるし、かつそれを支配できるのは八幡神であるということが露出してしまった事件だ。
 あまり指摘されないことだが、三種の神器が存在することも実は天皇というのは、血統をベースとしながらも血統の内部の原理で決定されないというためのシステムとして存在していることを示すのであり、原理的には天皇というのは、血統はかなり薄くてもどってことない。これはこの薄さは、スラップスティックな奈良時代を終了させた桓武天皇の擁立ではっきりするが。今で言ったら朝鮮系日本人かな。今上もそこをよく留意されているが。
 孝謙女王とあえて呼びたいのだが、彼女は天皇というものをさらに押し詰めて、自分が勝手に決めていいんだと考えていた。その根拠はパパがそう言ったんだものである。父聖武天皇は娘に、「王を奴と成すとも、奴を王と云ふとも、汝の為むままに」と言い残した。娘よ、王様がいやになったら、そこいらの奴隷でも美少年でも、おまえの好きな子を王様にしちゃっていいんだよ、である。愛娘よ、おまえは王様以上の存在なのだよ。ああ、トンデモ史観にはたまりませんな。
 天皇はワシが作った、の、八幡神が日本史的にはなんだかよくわかっていない。一応神道はそれじゃ困るので理屈はついているのだが、このヤハタ神はクイーン孝謙以前に、キング聖武の時代、奈良の大仏にも深く関わっている。ぶっちゃけ、奈良の大仏の守護神がヤハタ神であったと見てよさそうだ。ということで、仏教や盧舎那仏のガワにはなっているが、奈良の大仏というのはヤハタ神の顕現であり、それはどうやら物神化としての貨幣の宗教的な実体化だったのではないか。
 いやここまでは話の枕だったが、トンデモパワーでだらだら書いてしまった。少し話を端折る。
 大仏銭は大仏を鋳潰したのは噂だが、なぜ当時の庶民はそう考えたか。そもそも、方広寺大仏とは何か? そのあたりも、通説の歴史がなんとなくおかしい。大仏が出てくると日本史の記述は変になるといった印象だ。
 方広寺大仏は豊臣秀吉が文禄4年(1595年)に作ったもので、奈良の大仏よりでかい。このデカイというのがとても重要で、単純にいえば、過去の天皇家的な仏教的な宗教権力よりもデカイんだよということだ。そして、実際にはこれが銭化したわけではないが、銭化しうるものとして江戸時代の人は普通に考えていた。
 方広寺は慶長元年(1596年)に地震で倒壊。後に結果的にヌルハチに野望を託したヒデヨシの甥の豊臣秀頼が再建。大仏は江戸時代に日本三大大仏に数えられたものだったが、寛政10年(1798年)、落雷で焼失。で、人々は銭になったんだと思った。ちなみに、三大大仏の名前は現代では石切に名残を留めているという話は以前「極東ブログ: 大阪のこと」(参照)で書いた。
 三大大仏といえば、二つ目が抜けていた。二つ目は鎌倉の大仏である。これが皆目わからない。表向きは大異山高徳院清浄泉寺阿弥陀如来なのだが、なんでこんなデカイ銭の固まりがここにあるのか。
 「吾妻鏡」には建長4年(1252年)に銅造の大仏が造られとあり、それが正しければ、5代執権北条時頼の時代だ。歴史背景を考えると、宮騒動(参照)の関連がありそうだが、話がたるくなったので私見トンデモでいえば、これは実朝の鎮魂だろう。奈良の大仏が長屋王の鎮魂が隠された意図であるように(実朝も長屋も実は日本国王であった)。そして鎮魂とは実際には疫病しずめであっただろうと思うが。
 さて、こんな雑談をしたのは、昨日、朝日新聞で”鎌倉の大仏様「素材は中国銭」 別府大グループが解明”(参照)という記事を見て、びっくりしたからだ。

 「美男におはす」とうたわれた鎌倉の大仏様は、中国からもたらされた銭(銅貨)で造られたらしいことが別府大(大分県別府市)のグループの研究で明らかになった。平安時代末の12世紀半ば、中国銭は貨幣ではなく、銅製品の原料として輸入されるようになったというのだ。

 つまり鎌倉大仏は最初から銭のかたまりだった。

 この時期、多量の銭が輸入されたことがわかっている。まとまった量の銅が手に入る方法はほかに見あたらない。経筒の原料は中国銭の可能性が強まったが、銭には「簡単にはつぶさないだろう」との先入観もあり、飯沼さんらは銭の流通状況をたどった。国産銭の発行が止まってから2世紀以上をへて、日本では12世紀末~13世紀初めに中国銭の流通が急に本格化する。銭の輸入が始まってから数十年たった後だった。
 「輸入当初、日本で銭は流通していなかった。銭はもともと銅製品の原料として輸入され、余った分がしだいに通貨として使われるようになった」との結論を導いた。

 ということで、当時は中国銭は銭というより銅輸入のためだったというニュアンスがあるし、それを否定はしないが、それなりに銭の固まりを意識して鎌倉大仏もできたとみてもよいのではないか。

 「日本の交易船は銭ばかりほしがる」との中国の記録を見つけた。中国でも銅は不足し、インゴット(金属の塊)を輸入するのは銭以上に難しいこともわかった。大仏が造られた13世紀半ばには、銭は普及し一般の人々からも集めやすくなっていたこともわかってきた。

 つまり、銭はそれなりに普及していた時代に銭を集めて、固めて大仏を作ったというわけだ。

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コメント

 世間から見てトンデモでも、こういう異見こそ面白いもんなんよ。それを可能にするだけの見識がないと、そもそも出来んじゃろ。出来る人生に先ず感謝。で、頑張ってね。

投稿: 野ぐそ | 2008.06.22 09:29

あ、ところで銅銭は元々、金属資源として輸入したとかいうのは、あくまで説の一つであって、新聞がこうした学術研究のつまみ食いでよくやるように断定調で書いても、話半分に聞かなきゃいけないところがある、というのは言わずもがなですよね。

じゃぁ日本に銅山がいっぱいあったわりに採掘や精錬の技術がなかったのかとか、中世末期から急に日本の輸出品として銅が出てくるのは何なんだ、とか、よく分からない話はたくさんあります。

採掘が途絶えたとか、色々原資料における採銅記録の”欠落”をもとに憶測はされてますが…っていう話は私が学校で教育を受けた頃の話だし、当時はダサい文献史学ばっかりでしたから、最近はナウな考古学研究が進んで色々明らかになってるかもしれませんけど。

鋳物の大仏については、中国や朝鮮での流行と切っても切り離せない面がありましょう。王侯の行事としてそんなに不自然でもなかった時代の空気みたいのを想像してます。

ああ割と良書が多そうなジャンルですね。学生のころは、こういう雑学を知るのを楽しんだものですけど…。

投稿: 東方不敗 | 2008.06.22 23:14

 与太話繋がりで話をコロッと変えるんですけど。『三国志演義』や『水滸伝』なんかは学があるけど出世の叶わなかった賢い人が物語の原型を作って、それを何度も巷間に流布して世間様の反応見ながら逐次修正して…今に至るって感じだと思うんですけど。それ言い出したら太平記史観だって戦国絵巻だって似たようなもんでしょうけど。

 んで。中華の場合は著作者の意向よりも民衆の「ウケ」の方が重視されて劉備様々史観(何じゃそれ?)に繋がったかと思うんですけど、日本の場合はあくまで著作者の意向が重視されるから、門外不出の書になってみたりしますわいな。

 んで、書き手がそもそも遠慮しちゃって肝心なところを書いてないとか都合のいいように書き換えるとか。豊臣秀吉の右手には親指が2本(計6本指)あったとか、そういった部分にそもそも「触れない」のが日本流って言うか。最近になってマンガ本でそのへん触れてるヤツがあって面白いなぁって思うんですけど。主流では、無いですよね。

 そのへんは国情の差と言ってしまえば、それまでかもしれませんね。

 んでまた話を強引に戻すんですけど。

>じゃぁ日本に銅山がいっぱいあったわりに採掘や精錬の技術がなかったのかとか、中世末期から急に日本の輸出品として銅が出てくるのは何なんだ、とか、よく分からない話はたくさんあります。

 ここに関して言うと、元々?の日本人気質?として「単に(コスト計算やったら割に合わないので)面倒くさいことをやりたくなかったからやらないだけ」で国内資源を使わず輸入資源に頼って、国内経済がある程度アレなことになったから「しょーがねぇーな」で自前開発に切り替えました的な。

 今の時代で言うところの林野資源と似たような筋合いで考えると、何となく話の筋が通って面白い?かもしれませんね。自前の木が唸るほどあるのに海外木材浪費しまくり的な。コスト問題っていうか。
 石油資源が足りなくなって代替資源発掘&開発する? とか言ってたら自前で採れちゃって「よっしゃ使おう」的な尖閣諸島系の。

 日本人気質の根本の部分って、今も昔もそこまで変わってないと思ってます。

投稿: 野ぐそ | 2008.06.23 22:00

 トラックバック先のナカジマさんの話が面白かったんで、まぁ話の筋合い的にはアッチが正論だろうなって思うんですけど。私がよくやる?自分中心主観(愚笑)で見る限りだと、案外弁当翁&野ぐそコメントの流れでも筋通る?感じがして不思議かも。まぁ、初手の初手から「当然に雑談のレベルも下がる下がる」っておっしゃってるくらいだから、別にそれでいいんですけど。

 私みたいな馬鹿な庶民が「つい乗っかる」話って案外そんなもんかもしれませんね。今でも類似するような「当然に雑談のレベルも下がる下がる」類の話が、堂々と政治の場から発せられたりして。んで乗っかったりして。

 最初から全部完璧に仕組んだって訳じゃないだろうけど、途中で何事かあってもいいようにそこかしこに布石しといて、途中で話が逸れたらヒョイヒョイ拾って最後無理矢理?繋げてまとめちゃう的な。そういう意味合いで狙ってやってんでしょ?って感じかも。

 流れ作りの達人(若しくはそういうスキーム)って、どこにでも居る・在るもんですよ。北朝鮮がそうであるように。オツムのレベルが低い人(ってゆーかベクトルが違う人)ってのは、そーやって生き延びる。なんつて。

投稿: 野ぐそ | 2008.06.23 22:24

へーこいたらおーさかまでにおう
ユーモアはシンプルな方がききまっせ、大将。
緊張は先に破れたほうが負け。グローバル?

投稿: おひさ | 2008.06.24 00:38

奈良の大仏のある東大寺は華厳宗のお寺ですけれど、すこし華厳思想の展望みたいな話をさせていただきます。

ドラッカー選書10 [新訳]新しい現実(2004年1月8日第1刷発行)の新版への序文にこういうことが書いてあるのです。

「情報は全体との関連においてのみ意味をもつ。これがIT革命における情報の根源的かつ恒久的な特質だった。」
「この転換の意味を説くことは時期尚早である。私にはできない。」

もちろん、ピーター・ドラッカー先生の概念規定や問題提起が本当に正しいのかどうかはわからないのだけれど、IT革命の時代の情報の概念や理念みたいなことについて、類似したことを徹底的に考え抜いて、体系性のあるまとまった結論を出している東洋思想というと、私の知る範囲では、どうも、仏教の華厳思想のようなのです。

そういうこともあって、賢首大師の「華厳五教章」を読み始めています。でも、私が探し出したい解答を賢首大師が与えてくださるかどうかはわかりません。賢首大師だって、未来に情報化社会がやってくることなど想定してらっしゃらないはずだから。


立花大敬先生のことを悪くばかり言ってしまっているけれど、彼は、参禅の経験のある方だから、オーソドックスな宗教的理解という意味では、私より、法華も華厳も詳しいはずです。でも、私みたいな問題意識は持っていないはずです。彼を悪く言うのもある程度は、私が自分のレトリックとロジックを組み立てる必要からそうさせてもらっているのだけれど、それでも、立花大敬先生の本や、本田健さんの本を読むのはあまり勧めません。

もちろん、言葉遊びしているうちに物事が何でもよい方向に向かうに決まっていると思いたい方々や、幸せな小金持ちになって、Q永漢先生や船井幸雄先生と仲良く相場の話や疑似科学の話をして暇つぶしをして暮らせるようになりたい方々は、立花先生や本田さんの著書を読んで喜ばれたら、それはそれでよろしいと思っておりますけれど。

投稿: 華厳思想の現代性? | 2008.11.01 09:10

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