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2008.06.29

[書評]江戸時代(大石慎三郎)

 先日のエントリ「極東ブログ: [書評]江戸の経済システム 米と貨幣の覇権争い(鈴木浩三)」(参照)を書いた後、江戸時代の経済史をもう少し概説的に考えてみたいなと思い、同書に参照されている「江戸時代(大石慎三郎)」(参照)を読んでみた。

cover
江戸時代
中公新書 (476)
大石慎三郎
 1977年初版でかなり古いが、逆に自分が高校生だったころの時代なので自分なんかには馴染みやすい歴史観の部分も多いかというのと、この本はある意味ですでに古典となっているふうでもあるので、読んでおくべきだろうなと思った。
 面白かったかというと面白かった。率直なところ当初予想していた、江戸時代の経済史の大枠のような部分は自分ではそれほどよくわからなかった。銀の流出もそれが生糸のためであり、女性の華美な着物にあてられたという説明も間違いではないのだろうが、関連する考察はやや皮相というか全体像が見えづらい。総じて各種のエピソードは面白く、そのエピソードが暗示する部分に全体象のイメージはあるのだが、もどかしい感じはした。個人的には個別のケーススタディとして言及されている、信州佐久について、そこが自分の祖先に関連する部分があるので興味深かった。
 江戸における女性の人口などいくつかこの話は知っているなというのがあって、自分がなぜ知っているのか思い出し、そして杉浦日向子のことを思い出し(参照)、少し悲しい気持ちになった。
 本書の中心的な課題ではないのだろうが、「はじめに」の次の指摘は、いろいろ考えさせられた。なぜ江戸時代を自由に問うのかとして。

 その第一は、江戸時代(または近世)とは、本当の意味で庶民の歴史がはじまった時代である、ということである。天皇制の古さを強調するために故意に無視されてきたきらいがあるが、わが国における庶民の歴史は、普通漠然と信じられているほど古くはないのである。というのはつぎのような意味からである。

 ここで、日本史を問うとき、邪馬台国がどうたらという国家の始まりが近代の人々の関心になるのだが、というくだりがある。大石は、しかし、そうした国家起源に歴史は、実際の日本人の祖先という意味での歴史像には結びつかないとしている。

 天皇家だとか藤原家といったごく特殊な例を除いて、今日の日本社会を構成している一般市民の家は、九九パーセント以上の確率で歴史的に自分の祖先をたどってさかのぼりうるのは江戸時代初頭まで、もう少し無理をしても戦国時代末までなのである。

 これは自分の祖先を以前調べたときもそうだった。私は武家、そして曾祖父は近衛兵でもあり、それなりに家系図があるのだが、戦国時代末あたりでどうもぼやけて、その先は源平の伝説に融合している。逆にいうと、源平の伝説というのは、中世日本のかなり重要な部分だろうとは思うが。

「Ⅲ 構築された社会、2 近世城下町の成立事情」の蜂須賀小六のところで述べたように、そのなかから近世大名および武士階級を生み出した室町末期の在地小領主層でも、その素姓は正確にはわからないのである。ましてその在地小領主のもとで、半ば奴隷的な状態で支配されていたわれわれ庶民大衆の祖先のことがわかろうはずはないのである。

 これは実感してそう思う。そして仔細に家系を見ると、家の名を継いでいるものの、血統はさらにわからない。ただ、うっすら血統のシステムが存在していることはわかるので、なんらかの血統の連続性のようなものはあるのだろう。
 さらに私事になるが私は三〇代半ばから四〇代半ば沖縄で暮らし、この、民族と言ってもとりあえずもいいだろう、琉球の人々の庶民史を考えたが、私の印象では室町時代の庶民がここで連続している印象を持った。
 明治時代の民俗学は日本民族起源に沖縄を想定することが多いが、実際の沖縄の歴史は日本の室町時代、特に、和冦や浄土教や習合した神道と海洋民に関連している。いわゆる中国的な琉球王国は、華僑が交易のために、でっちあげというのはなんだが、虚構化したというか、東アジアにありがちな華僑文化の一環にも見える。もちろん、こうした私の印象はごく私見であり、通説からはトンデモの部類だろう。ただ、琉球史を見ることで、日本史というものが、室町的な原形の連続(琉球)と、非連続(本土)という文化があるように思えた。そして、奈良時代以前のいわゆる古代というのは、こうしたその後の庶民史的な日本のコアからするとむしろトリビアルな位置づけになるのではないか、とも思った。
 本書を読みながらまたいろいろ思ったのだが、さらに私の家系が武家といっても、それは父系の一部であり、実際の私に至る各種の人々の生きた歴史ではないし、特に、女たちがどのように生きていたのかというイメージはわからない。
 本書の次の指摘は当たり前といえばそうなのだが、自分の史観には痛烈な批判にはなった。

 在地小領主が戦国大名にまで成長した段階でだした領内統治のための法である分国法には、多くの場合子供の配分のルールを決めた項目がある。それは主人の違う男女のあいだに生まれた子供の配分であるが、たとえば、「塵芥集」では男の子は男親の主人が、女の子は女親の主人が取ることを決めている。また「結城家法度」ではそれが原則ではあるが、一〇歳、一五歳まで育てた場合には、男女とわず育てたほうの親の主人がその子供を取るべきだと既定している。

 こうしたことを知っていたか知らなかったかといえば、うっすら知っているのだが、うまく子供や、その男女のイメージに結びつかない。いずれにせよ、子供は労働力や、端的にいえば商品としての価値があり、それを育てる環境が存在するのだが、その多様性がよく見えない。主流は、女の家だろうとは思う。あるいは女集団なのだろう。その歴史的なイメージが自分にはまだ大きく欠落している。
 本書、大石はそうした私の考えとはやや違う方向でこう問う。

 このことはまだ庶民大衆の祖先たちは、この段階では夫婦をなして子供まであっても、夫は甲という在地小領主の隷従者であり、妻は乙の隷従者であるというように、夫婦が家族とともに一つの家で生活するという家族の形態をとっていないことの反映である。つまりわれわれ庶民大衆が家族をなし親子ともども生活するようになったのはこの時期以降、具体的には江戸時代初頭からのことである。

 その推定に間違いはないだろうが、むしろ家族より、家族ではない子供の所有・育成のシステムが重要だろうし、実質、江戸時代でもそれは機能していたのだろう。
 このあたり、江戸時代以前の日本人、江戸時代以降の都市・非都市の日本人が、どのように子供から生育し、また男女がどのように子供をなしていたのか、いくつか基本的なモデルが自分には見えてこない。たぶん、民話などに反映しているのだろう。恐らく、近代が作り直したものではない民話というのを、総体的に探るイメージの研究は重要になるのだろう。

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コメント

東北地方の場合、逆に庶民の方が権力者層よりも古く遡ることが出来ます。
特に安倍氏、金氏の系統の方は平安時代末期まで確実に遡れます。
系図上は蝦夷の昔まで遡れますが、さすがにそこまでは自分らも信じていません。
しかし、系図に拘らず、在地勢力がそのまま日本人化したわけですから、私らは古代の和人ではなく蝦夷の方に連続性を意識しています。

投稿: 岩手県民 | 2008.06.29 12:24

岩手県民さん、こんにちは。ご指摘の点はよくわかる気がします。私も養子もとの系譜に「白鳥」があり、たぶん安倍に繋がっています。ただ、この「安倍氏」も広義に源平伝説かなという印象もありますね。

投稿: finalvent | 2008.06.29 14:00

江戸時代は、金銀と藩札の三貨制の貨幣経済です
藩札は、現代の各国管理通貨と同じで、金銀が基軸通貨に当たるものです。藩札の対外的な支払能力を担保するために専売制が発達しました。
日本人が明治維新で世界経済に比較的スムーズに結合できたのも、国内経済が非常に現代的だったからです。
江戸時代は、スペインからオランダを経てイギリスへの世界覇権が移行する外圧無風の時代に相当します。織田信長はおそらく傀儡に近く、スペイン無しに全国統一は不可能だったでしょう。家康は、それを承知でイギリスに近づき島原で宗教戦争を仕掛けました。

投稿: PK | 2008.06.30 21:18

邪馬台国=大和国だって、中国人の学者が行っていたけどね。日本の学者もそれでほぼ決着がついている。

卑弥呼=媛命(ひめみこ)で、崇神天皇の父方の大叔母のヤマトトトヒモモソヒメのこと。

卑弥呼が死の直前に戦った狗奴国王の卑弥弓呼とは、

狗奴国=許乃国(このこく)=山城国宇治にあたり
卑弥弓呼=彦命(ひこみこ)=武埴安彦命(崇神天皇の父方の伯父)
狗奴国の官・拘右智卑狗(こうちひこ)=河内彦
武埴安彦命の母方が河内の豪族の出身。

つまり、狗奴国の乱とは、大和王朝内部の戦であり、皇族出身の武埴安彦命が外戚の河内彦にけしかけられて、甥のイニエ(崇神天皇・三巻入彦)や伯母のヤマトトトヒモモソヒメに戦を挑んだ内戦。

投稿: | 2008.07.01 15:17

月刊現代の8月号で出久根達郎さんが「竜馬がゆく」名言集と言う記事を書いている新聞広告を見たのですけれど、以下の文章に吹き出してしまいました。
「女は言葉に出していってくださらなければわからないのです。いってくだされば、そのお言葉を一生の宝にします。」
これは、男性作家の文章です。こういう女性がいるのではなく、男性作家が女性にこうあって欲しいのです。上のせりふを少し言い換えますね。
「女は子種をつけていってくださらなければわからないのです。そうしてくだされば、生まれた子供を一生の宝にします。」
男にとっては、言葉に出すと、子種をつけるのへだたりは小さいけれど、女の人にとっては大違いです。手前勝手で身勝手な話なのです。
「竜馬がゆく」とか「坂の上の雲」は、教養らしきものを与えてくれるから、小利口な人たちに好まれるのでしょう。もう少しレベルが高い人たちは、小さな仲間内で、「麻雀放浪記」のはなしや、林家三平師匠の落語のはなしをして内輪受けしていたのだろうと思います。
「麻雀放浪記」や三平師匠の落語は、それなりにわかるためには審美的な鑑賞能力が求められるはずです。
三平師匠の落語については、すこしえらそうな話をしたいと思います。当然私見です。
セルバンテスの「ドン・キホーテ」は普遍性のある滑稽さを構築したために難解です。そして長編小説です。三平師匠の落語は、その時代に、老人でも子供でも説明抜きにわかるようにするために時代的なものです。しかも、短時間のテレビ演芸です。でも、どちらも、生真面目さというのはひどくこっけいなものだけれど、心の温かさがあれば、それは人の心に訴えるものがあるということを教えてくれます。
映画の「男はつらいよ」も同じモチーフなのだろうけれど、「男はつらいよ」は女優さんたちが立派過ぎるし、柴又が美化されすぎているし、寅さんが自分の言葉でえらそうな説教をするから、いつも腰の低かった三平師匠のほうが高級な内容を提供されていたように思われます。
このことは本来は言及すべきではないのだろうけれど、三平師匠の話をいま持ち出すからといって、小朝師匠を悪者にして泰葉さんの肩を持つつもりは全くありません。
わたしに小朝師匠の人格や芸について批評する見識など全く無いことを自覚してますし、小朝師匠と泰葉さんのあいだのことは、お二人しか知らないことやお二人にしかわからないことがたくさんあると思うからです。この言及さえご迷惑だろうと思われます。
あくまでも、歴史小説はいわゆる「教養」を提供してくれるもので、「麻雀放浪記」や林家三平師匠の落語は、肩のこらない芸術であると、そういう話を持ち出したかっただけです。
「江戸時代」だから、「竜馬がゆく」も落語もカテゴリーには収まるはずです。

投稿: 「竜馬がゆく」 | 2008.07.05 14:46

司馬遼太郎作品、吉川英治作品というのは、英雄譚で、たいていは、いわば、「成長産業のマネジメント」のための教養のようなものだと思っています。

一方、成熟産業、衰退産業にも適切なマネジメントというものはあるし、当然必要不可欠なわけで、そのための基礎となる教養を提供してくれるのは、藤沢周平作品だと思っています。

「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」が好きな人には、ぜひ、それらとあわせて「三屋清左衛門残日録」も読んでいただくことをお勧めしたい。司馬作品ではわからない歴史の見方(と現代の見方)を藤沢先生に教えてもらえるはずです。

ところでなぜ「麻雀放浪記」が芸術といえるのか。

想像力のある方は、牌譜を微分方程式に置き換え、場面を戦後の東京から現在のニューヨークやワシントンD.C.に置き換えて下さい。

そうすると、戦後のバイニンたちの内面性が、現代のヘッジファンド(ほとんどは金融業者の振りをした山賊、海賊の類みたいなもの)の頭目たちの内面性をうまく類推できるように描写されていることに気づけるはずです。きっと、ヘッジファンドのやつらのほうが粗野です。

そういうわけで、「麻雀放浪記」は芸術。

投稿: 異なる視点 | 2008.10.15 08:35

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