あなたのブログのイヤなヤツ
最初に結論を言うと、「あなたのブログのイヤなヤツ」とは私のことだ。ああ、なんて自分はクソッタレなんだろと思う。
![]() あなたの職場の イヤな奴 |
ネットはどうなのだろう。昨日のニュースだが朝日新聞記事”『死ね』と書き込みされた」高1女子が自殺”(参照)より。
北九州市内に住む高校1年の女子生徒(16)が、「(インターネットの)ブログに『死ね』と書き込みされた」などとつづった遺書を残し、自殺していたことが分かった。
家族あての遺書には丁寧な字で「お世話になりました」といった記述とともに「ホームページのブログに『死ね』と書き込みされていた」などと書かれていたという。
県警は、生徒の友人らのホームページにこの生徒の悪口が書き込まれていた可能性もあるとみて、学校側に対し「学校裏サイト」の有無や、書き込み、いじめなどがなかったかなどについて調査を求めている。学校側も29日以降調べているが、遺書の内容に該当するような書き込みはまだ見つかっていない。
書き込みは見つかってないことと書き込みがなかったことは別だ。おそらく書き込みはあったのではないか。
ブログの中にいて腐りきっている私などからすると、「死ね」とか書かれても、ああまたキチガイ発生とか思う。ただ、サクっと消すかというとそうでもない。私みたいな糞に向けて言っているくらいならお子ちゃまの甘えでしょ。年取ったんだからそのくらい受け止めなくなくちゃな、私だって若い時はひどかったしなとか思う。本当に攻撃してくる人たちはちゃんとテクニックというものを持ってますよ。幸い本当に攻撃する人たちはお仕事でやっているっぽいので、そうした利害フレームワークがなくなると消える。単純に言えば、「お前みたいなやつの言説が俺たちの利害のシマを荒らすんじゃねー」ということだ。わかりやすい。私はキンタマがないので、ヤクザ的な脅しにはすぐにまいるし、そういう商談的な話はわかりやすくてよろしい。
そろそろ死期も見えるような私に「死ね」とか言うのはご愛敬だが、16歳の少女に言うのはどういう了見なんだ、このクソッタレども、と思う。おそらくブログの世界には私に近い腐ったやつらが満載なんで、これは政府やマスメディアによるネット規制の陰謀だろうみたいな話のほうが受けると思うし、勝手にやってな。なのだが、16歳のこの少女の思いというか、そんなことで死ぬなよというより、そういうふうに死に追い詰めるクソッタレが跋扈しすぎかなという思いのほうが強くなってきている。
ネットのクソッタレどもをどうしたらいいのだろう。私みたいに、えへへへオレのほうがクソッタレだぴょんみたいな老害たれ! というわけにもいかないし、もうちょっとなんとかならないのか。というか、ネットのクソッタレ撲滅ルールはあってもいいんじゃないかとか少し考えた。
考えてよくわからなったのだけどね。
先のサットン書籍にはさりげなくドラッカー(参照)が出てくるが、サットンのクソッタレ撲滅ルールの背後には、ドラッカーの思想がある。ドラッカーは、会社という組織は、全体主義(スターリニズム的社会主義とナチズムという民族社会主義)から離れ、社会を安定させる装置たりうるかとして位置づけていた。そういう基本的な枠組み、つまり、社会を構成していくというか、作為の契機のようなものはもうちょっとネットというかブログの世界から内発的にあってもいいんじゃないか。ただ、いわゆる道徳もな、違うかなとは思う。
で、そうだサットンの企業向け、クソッタレ撲滅ルール(No asshole Rule)がブログにも当てはまるんじゃないかと、今朝の仮面ライダーキバを見ていて、紅音也が憑依したかのようにふと思ったので、それってブログっぽいネタじゃんとか思い込んで書いてみる。
まずサットンによるクソッタレの定義というか基準だが、今回はロングヴァージョンで。
基準1/クソッタレと目されている人物と会話をかわしたあとで、”標的”となった人物が憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするか? とくに重要なのは、標的となった人物が卑屈な気分になるかどうかである。
基準2/クソッタレと目されている人物が悪意を向ける対象が、自分より力の弱い者であるか?
前回の関連エントリ(参照)では、ネットの場合は、職場と違い人間関係の上下はないんだから、ネットにはクソッタレ撲滅ルールはないだろうなみたいな話を書いたが、そしてそのときにも思ったのだが、ネットの場合は、上下はないとしても、匿名というか黒木ルール(参照・参照)における匿名は、対応上、上位としていいのではないか。その意味で、黒木ルールによる匿名は、ネットにおいて基準2にしてよいか。その点では、アルファコメンターの野ぐそさんとかハンドルはうんこ・ハナゲと変えるけどメールアドレスで一貫していて基準2からは漏れてしまう。逆に、ddcさんは、ハンドル抜いて糞コメするようになったので、そろそろ基準2じゃねーかとか。
基準1は意外と難しい。サットンの議論は実際には起業経営者向けなので、自分が標的になるという視点はやや弱い。だがブログの場合、標的は自分だ。だから、その自分が「憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするか」というのをどう評価するか。「そんなのお前が打たれ弱いからだよ、気にすんな」で済むことか。私は済むんじゃないかと思っていたし、およそブログを続けるなら、そこは少しずつ「答えはメンタルタフネス♪」(参照)かなと。ネガコメレッドと目される姉御も大愛を抱いているじゃんみたいな。修行修行、只管打坐、みたいな。
でも、違うかな。自分が強くなるのはなんか違うんじゃないかという感じがしてきた。自分が強くなるということで結果的に自分よりナイーブなブロガーの言説を自分は抑圧している側になってきているんじゃないか、という気もしてきたし、そもそも私は強い人間ではない。なんでクソッタレに言われほうだいなんだろやだなというイヤ感を率直に言ってもいいのではないか。
ということで、基準1はけっこうそのブログ主の主観に任せていいんじゃないかとか思うようになった。すると、ブログ版クソッタレ撲滅ルールはこうなる。
基準1/悪意を向けたコメントやトラバでブロガーが憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするか? とくに重要なのは、ブロガーが対応できずに卑屈な気分になるかどうか?
基準2/悪意を向けてコメントを書き散らしたりトラバを送ってくる、クソッタレと目されている人が黒木ルールにおける匿名であるか?
こんな感じでいいんじゃないかな。ってことで、今後その手のクソッタレは撲滅するか、なのだが、ちょっと悩む。意外と甘えてクソッタレている人は傷つきそうだし。
ここでもサットンのお薦めではないけど、ダヴィンチ・ルールで、うだうだせず決めたらさっさとクソッタレ撲滅しろとも言えるのだが、ああ、悩むな。まあ、この手の釣りネタエントリでどのくらいクソッタレが発生するか見て考えるかな。
ついでなんで、サットンのクソッタレ対処法をブログに適用する場合アレンジも考えてみよう。
予防法1は、ダヴィンチ・ルールだ。「最初に抵抗するほうが、あとになってから抵抗するより楽」。それは言えているけど、すこしアソビを持ってもいいか。
予防法2は、「逃げろ、無理なら近づくな」。これは逃げろは難しいか。それでもべたなアフィリエイトトラバでブログのトックバックが死んで許可制にするしかなくなったように、コメントも許可制にするというのはあるな。近づくなは、そういう匿名クソッタレに応答するなというのはある。
予防法3は、「同僚を敵とするな」だが、これはブログだとよくわからん。
予防法4は、「他人の目で自分を見てみよう」だが、これはサットンの場合、端的に企業利益にマイナス影響をクソッタレが持っているかということ。ブログだとよくわからない。ブログの価値は明確ではない。価値、ないんじゃないか。
予防法5は、「自分の過去に目を向けよう」だが、これは自分がクソッタレにならない自戒に近いか。
どうもあまりピンと来ない。むしろ、クソッタレのいる職場で生き延びる方法のほうが、クソッタレに晒されるブロガーが生き延びる方法の役にたつかもしれない。箇条書き的に、ざっくりとまとめてみるかな。
- クソッタレに関心を持つな
- クソッタレが変わると期待するな
- クソッタレに負けずブログを前進させよう
- クソッタレに関わる時間を減らせ
- クソッタレから逃れて安らぐ別のネットの場所をみつけろ
- クソッタレの件で相談してもあまりメリットはない
- できることなら相手をやさしく再教育
- クソッタレに復讐のすすめ
- クソッタレに我慢しすぎは危険
まとめると矛盾もありそうだが、そもそもそんなものか。
ついでに7つの教訓はそのまま引用しておこう。
- 良識のある人たちによって生み出された温かい感情の和も、たったひと握りのクソッタレのせいでブチ壊されてしまう。
- クソッタレ撲滅ルールの大切さを人に説くのもいいだろう。しかし、ほんとうに重要なのは、それを実行することである。
- ルールを生かすも殺すも、当人の意志次第である。
- クソッタレが役に立つこともある。
- クソッタレ撲滅ルールの実施は、管理職だけの仕事ではない。
- クソッタレに恥をかかせろ。
- クソッタレとは、わたしたち自身のことである。
結論は冒頭に書いたので省略、と。
![]() クソッタレバッジ by Rational Survivability |
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コメント
人には選択の自由がある。自由には責任が伴う。
責任と言う言葉、もっとかみしめて欲しかった。
投稿: 音読家みえいしのぶ | 2008.06.01 15:59
「クソッタレに負けずブログを前進させよう」
という解決策をまさに実施している実例がありますね。
ぐっちーブログの批判いっさい黙殺の更新再開を見て、「あっぱれ」と感心しました。
投稿: 匿名 | 2008.06.01 21:04
↑ぐっちーはクソッタレに近い。
投稿: 栗 | 2008.06.01 22:54
クソッタレの湧き加減で行く末定めるとのことだったんで、クソ垂れるよ。ごめんね。
>ああ、なんて自分はクソッタレなんだろと思う。
私も自分でクソッタレだと思ってます。だから何のかんので野ぐそなんでしょうね。
>ひどい言い方をすればクソッタレが目的にかなうならクソッタレ大歓迎だし、社会を見ていると、どうもそういう実態もありなのかもしれないなとも思う。
つまりは、それが結果で現実社会に対して距離を置く人たち?がネットに集うから、一面で「良識のある人たちによって生み出された温かい感情の和」だし、逆に言えば「おそらくブログの世界には私に近い腐ったやつらが満載」なんじゃないですかね? 片面のみじゃなくて両面あると思った方がいいと思いますね。だから?私も腐ってます。ごめんなさい。一般社会から見ればクソでもクソ内部ではホンワカしてるよね?ってことでしょ?それは端的に。
>書き込みは見つかってないことと書き込みがなかったことは別だ。おそらく書き込みはあったのではないか。
おそらくも何も、絶対あったでしょ。無きゃ死なない。
>私みたいな糞に向けて言っているくらいならお子ちゃまの甘えでしょ。年取ったんだからそのくらい受け止めなくなくちゃな、私だって若い時はひどかったしなとか思う。
ばぶばぶ。
>本当に攻撃してくる人たちはちゃんとテクニックというものを持ってますよ。幸い本当に攻撃する人たちはお仕事でやっているっぽいので、そうした利害フレームワークがなくなると消える。単純に言えば、「お前みたいなやつの言説が俺たちの利害のシマを荒らすんじゃねー」ということだ。わかりやすい。
…と言うことであれば、「本当に攻撃」してるわけじゃなく居付いて遊ぶだけなのに攻撃性が高い私みたいなのはカナ~リ性質悪いですね。排除しましょうそうしましょう。
>16歳の少女に言うのはどういう了見なんだ、このクソッタレども、と思う。
多分言ってる側も同級生その他子供でしょうけど、子供の方が遠慮呵責無いから素で酷いでしょ。
>16歳のこの少女の思いというか、そんなことで死ぬなよというより、そういうふうに死に追い詰めるクソッタレが跋扈しすぎかなという思いのほうが強くなってきている。
だから普通?は親が子供のうちに躾をするものかと思いますけど…親だけの躾だと、それはそれで偏ります罠。親戚でも近所の大人でもいいけど、各種多様に躾けないとトータルコーディネイトは無理じゃないですかね?
んで、今度はトータルコーディネイトがそもそも重荷になって勝手にグレちゃうケースも。あったりしますわな。難しいところですね。
>ネットのクソッタレどもをどうしたらいいのだろう。私みたいに、えへへへオレのほうがクソッタレだぴょんみたいな老害たれ! というわけにもいかないし、もうちょっとなんとかならないのか。
老が見えてから言うと弁当翁のようになるし若の端くれが言ったら野ぐそになるから要注意だネ!!とも言いますな。もう若じゃないから今年の誕生日(35歳)を期にトーン爆下げ祈念ですけど。また言うばっかりなんだ、コレが。
>サットンのクソッタレ撲滅ルールの背後には、ドラッカーの思想がある。ドラッカーは、会社という組織は、全体主義(スターリニズム的社会主義とナチズムという民族社会主義)から離れ、社会を安定させる装置たりうるかとして位置づけていた。
でも日本の会社や地域社会は往々に全体主義だよね。未だに。貧困度が高そうな地域の人になると個人主義=悪・クソッタレとか認識して掛かってくる類の人が老若男女問わず多いから、結局そういう地域でクソッタレ認定された人はネットしか行き場が無いのかもね。んで、一般化・大衆化の名の下に無学粗暴な↑系(野ぐそ含む)が闖入してくるから問題なんでしょ?多分。
>基準1/クソッタレと目されている人物と会話をかわしたあとで、”標的”となった人物が憂鬱になったり、屈辱を感じたり、やる気を失ったりするか? とくに重要なのは、標的となった人物が卑屈な気分になるかどうかである。
>基準2/クソッタレと目されている人物が悪意を向ける対象が、自分より力の弱い者であるか?
>その点では、アルファコメンターの野ぐそさんとかハンドルはうんこ・ハナゲと変えるけどメールアドレスで一貫していて基準2からは漏れてしまう。逆に、ddcさんは、ハンドル抜いて糞コメするようになったので、そろそろ基準2じゃねーかとか。
基準1について触れて?ない?ので、私の発言が「憂鬱になり屈辱を感じやる気を失ったりする・とくに、標的となった人物が卑屈な気分になる(文面一部省略)」と、弁当翁に認識されてると見做して差し支えないんですかね?
あとハナ毛です。どっちでもいいけど。
>「そんなのお前が打たれ弱いからだよ、気にすんな」で済むことか。私は済むんじゃないかと思っていたし、およそブログを続けるなら、そこは少しずつ「答えはメンタルタフネス♪」(参照)かなと。
基本は、そうかもしれないね、と私も思いますよ。
>でも、違うかな。自分が強くなるのはなんか違うんじゃないかという感じがしてきた。自分が強くなるということで結果的に自分よりナイーブなブロガーの言説を自分は抑圧している側になってきているんじゃないか、という気もしてきたし、そもそも私は強い人間ではない。なんでクソッタレに言われほうだいなんだろやだなというイヤ感を率直に言ってもいいのではないか。
修行修行、只管打坐♪的に言えば、自分が強くあるために耐えるのは当然?でも、それを他者に強要すんなって意味で、凄い個人主義だと思いますね。有り体に言えば、自分は自分、人は人。でしょう。なので、その範疇かな?と。
自分に厳しく他人に優しくなんて言うほど簡単じゃないよね甘えんなよなーとか思ってる人、多いんじゃないんですかね? 元々、そういう人たち?が率先して初期のネットで悪さ?してたでしょ。そこへ「その属性・立ち居地」を持たない人が入ってきてるから困ったねぇって話でしょ。
>ということで、基準1はけっこうそのブログ主の主観に任せていいんじゃないかとか思うようになった。
思うようになる?前からずーっと言ってますけど、私を排除するなら、それで別にいいですよ。むしろ決断お待ち申し上げてるくらいですから、スパッと逝った方がいいと思います。んで、私の場合、自分が事前の通告なり何なりする性格ですんでそこが甘えになって他者にもそう望む部分があったんですけど、以前緑色の隔離所を何の断りも無しに突然閉鎖させられたことがありますから。闇討ちみたいなもんで、私そーゆーの大ッ嫌いですけど、一度やられて免疫付いたから、以後どちら様のどのような対応でもそーゆーもんだと思って掛かります。別にいいです。
>ってことで、今後その手のクソッタレは撲滅するか、なのだが、ちょっと悩む。意外と甘えてクソッタレている人は傷つきそうだし。
傷付いたとしても自業自得でしょう。別にいいんじゃないですか?やることやってんだし。
>うだうだせず決めたらさっさとクソッタレ撲滅しろとも言えるのだが、ああ、悩むな。まあ、この手の釣りネタエントリでどのくらいクソッタレが発生するか見て考えるかな。
いい人と優柔不断の合いの子みたいな感じですね。
>予防法1は、ダヴィンチ・ルールだ。「最初に抵抗するほうが、あとになってから抵抗するより楽」。それは言えているけど、すこしアソビを持ってもいいか。
優柔不断だわ。
>予防法2は、「逃げろ、無理なら近づくな」。これは逃げろは難しいか。それでもべたなアフィリエイトトラバでブログのトックバックが死んで許可制にするしかなくなったように、コメントも許可制にするというのはあるな。近づくなは、そういう匿名クソッタレに応答するなというのはある。
逃げろは無理でしょう。言う者強し追う者強しがブログの(というよりネットの)一面なわけで。
>予防法4は、「他人の目で自分を見てみよう」だが、これはサットンの場合、端的に企業利益にマイナス影響をクソッタレが持っているかということ。ブログだとよくわからない。ブログの価値は明確ではない。価値、ないんじゃないか。
ブログ言説そのものが社会に与える影響云々を基準に考えたら「無い」でFAかと思いますけど、「良識のある人たちによって生み出された温かい感情の和」を基準に考えるなら、例えば私が書き込むことで他の方々が書かなくなったことは、明らかにマイナス要因じゃないですかね? そこを「価値、ないんじゃないか。」と言い切ってしまうのは、弁当翁の傲慢か怠慢だと思いますよ。
>1.クソッタレに関心を持つな
弁当翁さん守って無いじゃん。私を徹頭徹尾無視しないと間尺に合わんでしょ。
>2.クソッタレが変わると期待するな
期待に基づく変革なら、無理でしょうね。たしかに。
>3.クソッタレに負けずブログを前進させよう
今まさにやってますよね。ご苦労様です。
>4.クソッタレに関わる時間を減らせ
やってないよね。はてな日記でも愚痴垂れてるじゃないですか。「減らせ」はゼロじゃないから、別にいいんですかね?
>5.クソッタレから逃れて安らぐ別のネットの場所をみつけろ
ツィッターですか?
>6.クソッタレの件で相談してもあまりメリットはない
よく分かりません。多分、無いでしょうね。
>7.できることなら相手をやさしく再教育
これが一番無理。ちなみに「商売のネタにしてしまえ」も同類項かと思いますけど、これもいい加減破綻しかけてるから無理でしょう。
>8.クソッタレに復讐のすすめ
耐性が付いたら強力になるだけだから、お勧めできません。やるなら個人の自由と責任において。復讐?されたクソッタレが別の界隈で凶暴化したら初手の復讐者が逆に悪く言われて損では? 私は←あまり気にしないから別にいいですけど、ナイーブな人って、そこのところを一番に気にするんじゃないかな?
>9.クソッタレに我慢しすぎは危険
ですから、排除要件を満たす?私なんかは早目のパブロンで宜しくお願いします。
>1.良識のある人たちによって生み出された温かい感情の和も、たったひと握りのクソッタレのせいでブチ壊されてしまう。
私は基本的に(自身の経験上)反やくざ反宗教反仲間内でコソコソですんで、「良識のある人たちによって生み出された温かい感情の和」を疑問視してる面が強いんですよね。全否定まではしませんけど。初手からやること決まりきってる人たちの「和」ほど無関係の人間に対する脅威は無いよ? ってのが私自身の信念でもありますんで。だから?野ぐそでもクソッタレでも空気の読めないキチガイFAでも別にいいよ?って割り切ってる面もありますね。そういう意味での個人主義です。
>2.クソッタレ撲滅ルールの大切さを人に説くのもいいだろう。しかし、ほんとうに重要なのは、それを実行することである。
実行、宜しくお待ち申し上げております。
>3.ルールを生かすも殺すも、当人の意志次第である。
同上。
>4.クソッタレが役に立つこともある。
そこは損得差し引き勘定(感情?)じゃないですかね? 何気に「織田信長はなぜ殺されたか」に近いもんがあるかもしれませんね。
>5.クソッタレ撲滅ルールの実施は、管理職だけの仕事ではない。
お待ちしております。
>6.クソッタレに恥をかかせろ。
恥をかくのが当たり前と初手から観念してる人には無意味ですよ。私みたいなのは、とくに。
>7.クソッタレとは、わたしたち自身のことである。
少なくとも私はそうと割り切ってますけど、諸氏諸兄に同断を求めるのは酷かと思います。自分は(若しくは予め申告する特定個人は)クソッタレ認定で別にいいと思いますけど。…嗚呼、私も優柔不断ですね。駄目だ。
何気に世間は
若さは武器にならない?モテないと悩む女子高生 (16歳・女性)
http://msn1.sunmarie.com/consult/index_915.html
↑こんなもんだと思います。どうでもいいけど最近秋刀魚理恵のお悩み相談コーナーが非常に真面目でまともで常識的に成ってるんで、大変良いことだと思います。悩める子女に打って付けです。オススメ。
あと先生蓮香が何時の間にやら場末のバーのやさぐれママになってるんで、精進が足りんと思います。時系列的に「うんこ隔離所でボロクソ言った→隔離所が消滅した→キャラが変わった」…なんで、誰か見てんじゃねーの? とか勘違いしちゃうんですけどね。
その勘違いを基準に考えるなら、
>ブログの価値は明確ではない。価値、ないんじゃないか。
多分、幾許かはあると思いますよ。
そもそも「だ・か・ら」クソッタレ撲滅なんじゃないですか?って話?ちゃうん?
投稿: 野ぐそ | 2008.06.02 00:11
あと何気に思うんですけど、どっかの緑公園のコメント欄で、最近妙に「↑(矢印)」が出るようになってんですよね。別に↑自体は昔からあるし誰でも使う(使える)から別にいいんじゃないかと思いますけど、これまた私主観の時系列的に、私が頻繁?に使い始めてから公園内でも↑増えてるんですけど。ありゃ何なの?って感じ。
それと、これまた私的時系列上思うんですけど、緑公園のコメント欄にて「甚平鮫」を名乗る仁が出て「小判鮫(多分野ぐそのこと)は最近来ないけど居ないなら別にいい」ってのたまってたんで、隔離所(現在消滅中)にて「じゃあ書くな」って書いたら(直接コンタクトを取ったわけでは無い)、以後出なくなったんですね。甚平鮫さんは。こりゃまた何なの?って感じ。
そういったささやかなレベルにおいて、「価値」は無いにせよある一定の影響性ってもんがあるのかなぁ…?と感じることもありますね。件の自殺女子高生さん的には、公的な意味合いからの「価値」を基準に考えるんじゃなくて(その観念が初手からあるなら電気の染みを見たくらいで命まで絶たんでしょ)、私的な意味合いからの「影響力」の方を重視しちゃって(言い方悪いけど女子供老人田舎者貧乏人チンピラさんの類は普通にソッチ重視でしょ)そのまま突っ走っちゃったのが、悲劇に繋がったのでわ?と思いますね。
(個人的な出来不出来は兎も角)ある程度社会人としての錬度が上がってくると、公的な部分から見てあーでわこーでわ?ってセンスがどーやっても自身を掣肘するから良くも悪くもそこで耐えられる(逆に言えば成長が止まる)んでしょうけど、その段階に無い人々(そして困ったことに女子供老人田舎者貧乏人チンピラさんの類は生涯そこで止まるケースが散見される)は…ある一定の枠の中に留め置くしか無いんですよね。国内で突き抜けても、いいこと無い。どうせ突き抜けるならいっそ海外に逃げて日本に帰らないのが望ましくなっちゃう。
ブログ(若しくはそれによって自身の何事かを表現する人)は、その「場」に居続けることが果たして幸せなのかどうなのか…って部分が問われてるんでしょうね。世間から。
で。
死ねって書いたヤツも多分そこまで悪気無いし、結果が重大だからどうやってもクソッタレ跋扈なんだけど、跋扈してるとかクソ投げ付けて殺してやるとか、多分そこまで思っちゃ無いですよ。アレは。もしかしたら、弁当翁さんがのたまうところの
※クソッタレに関心を持たずクソッタレが変わると期待せずクソッタレに負けず自分のやること?を前進させクソッタレに関わる時間を減らしクソッタレから逃れて安らぐ別のネットの場所をみつけるんじゃなくてクソッタレを排除して今の場所を安息化させたいしクソッタレの件で相談してもあまりメリット無いのは承知で出来ることなら相手をやさしく再教育する件とクソッタレに復讐の件が混ぜこぜになりつつクソッタレに我慢しすぎは危険だと思ったから
(1~9まで全部足して一部改変補足)
死 ね !!
って言っちゃったんでしょ?とも言えます。まぁ少なくとも、裁判?か示談?みたいな雲行きになったら間違いなくそう言いますよ。俺は悪くない悪いのは死んだ方だ、ってね。当人が言わなくても人権屋が言わせますて。
それ?に対して私たち部外者は「結果が出てからじゃないとモノが言えない」というジレンマを持ちますから。だから、その間隙でスルッと人が死ぬんだろう的な。私は「そこ」を嫌うんですけどね。和は人を追い詰めるし殺すんですよ。悪気があるなら駄目なのは当然だけど、悪気が無く?ても?駄目になるんです。和を重視する人は、そこに圧倒的に気付かないケースが多い。昨今とくに多すぎる。だから「和」が嫌いなんですね。
何はともあれ、お亡くなりになった女子高生さんのご冥福をお祈りします。
投稿: 野ぐそ | 2008.06.02 01:15
あー、あと何気にメールアドレス変えないから毎度のようにスパムメールがてんこ盛り(1日30件平均)なんですけど、私が放言した内容に準じてるんじゃないの? みたいな件名のメールがよく届きますよ。今だと「欲を掻かずに我慢しましょう」とか「弁当翁さん排除するなら宜しくね?」とか「事前の連絡あると吉」とか言ってますけど、そしたら?スパムの件名が「たまには連絡あってもいいじゃない?」とか「地元のおばさんと遊びませんか?レベルは低いけど確実です」とか「お願いだから捨てるって言わないで」とか。何か、ね。何年も通してずーっと見てると、たかがスパムでも流行り廃りとか地味な対応とかいろいろあって、頑張ってるんかな?って思わせちゃったりするから不思議なモンです。
後、今日のように無駄に長文かましたときは50~60通くらいスパムが来ます。なぜか増量してます。誰がどんな思惑で寄越すんだか知りませんけど、ずーっと見てるとそこに特定の意図のようなものを感じることも、ままあるんですね。不思議なモンです。だから何だと言われても、何でもありません。
投稿: 野ぐそ | 2008.06.02 02:14
第3者から見てクソッタレがクソッタレにちゃんと見える操作というのは出来そうです。
投稿: cyberbob:-) | 2008.06.02 08:53
野ぐそさんってブログもってますか?こんな長いコメントは自身のブログに書かれた方がいいような・・・
投稿: 小野 | 2008.06.02 12:12
若い女性が命を絶ったという報は(最近多いですね)、たしかに縁もゆかりもないですが、僕の男性の部分を酷く落ち込ませます。
せめて、どうか安らかにと祈りたいですね。
>基準2/悪意を向けてコメントを書き散らしたりトラバを送ってくる、クソッタレと目されている人が黒木ルールにおける匿名であるか?
(ご存じないかも分かりませんが、)夢枕獏『餓狼伝』における藤巻の「これで、五分だ」みたいなものですかね。
そういえば、僕もとんとメールアドレスを入れなくなっていた。以前「(ネットに)本当の匿名なんてものはない。文体で分かる」という終風先生の文章を見たときに生まれた「甘え」だったのかもしれません。そんな擬装するような技巧も知識もないものですから…。
コレはコレで困ったハナシですが(汗)…まぁ、それはさて置き、
先日のkagamiさんのトコロ(「ロリコンファル」です)の事件を見てからは、やはり参加するなら逐一「急所(宛先)は曝さないといけないな」という思いを…新たにしました。
流石に僕は元ハナ毛さんほど肝が据わっていませんから、彼ほど批判性の高いコメントは(何より、できないだろうから)してこなかったつもりですが、
何度か…酷く調子に乗ってしまったことがありましたからね…。
ここ数日の見聞で、蠅にも仁義と領分があるものと、改めて学んだように思います。
ああっ、蠅と言うのは僕一人を指すことなので、他の客人はお気に為さらぬように。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.06.02 16:07
↑肝が据わってる据わってないというより、単に自身の経験に基づいて「世間舐めてるだけ」とも言いますよ。私の場合は時代が良かったんでしょうけど、「50万部越え」「20万部越え」くらいの雑誌の中で働いてる人がどんなもんか実際見てるし、そういった「大きなところ」が凋落して「50→20→キッツキツ」「20→8→廃刊」みたいになった行く末も見てる。優秀な社員さんが2年とせんうちに鬱になって寝込んだとか、いい歳こいたオッサンたちが自分らで雑誌手掛けて2年くらい踏ん張ったけど毎度赤字で首括ったとか、バイトの子が苛められて首括ったとか、それなり大きな?出版社の下請け孫請けみたいな格好で趣味の企業同人誌作ったときも、広報向けに「10万部越え→今どき景気いいですねえ→いやいやそれほどでも」とか言っておきながら実際は3万部刷りで都内限定販売で65%売りで赤字経営だったとか。記事書いてるときもゲームの攻略本手掛けたときも、なぜだか知らんけど「君の書いた記事はよく読まれる・悪評も多いけど評判も良い・重版掛かった」とはよく言われてたんで。その時分の方法論・感性のまま、時世の流れを無視して今佇んでるだけなんですけどね。もうそろそろ時分に合わなくなってきたんだろな…と思うこと多いから、うんこで野ぐそでも、まぁ所詮はそんなもんだろって思うだけなんよ。
著名?ブログでの人の集まり方やコメント欄に見るユーザーのセンスなんかを総合して考えると、(ホビーやゲームみたいな)趣味の雑誌ノリであれば10万部程度、社会性や一般性を高めて部数的にそれ以上を志向する場合は(いろんな意味で)新聞のように成らないと無理で、臨界点が大体30強~50万部くらい。そこ越えたら一気にブログの品質もユーザーの質も下がって雪崩現象が起きる。…と見るんですけどね。今のところその見方で外してるとは思ってないんで、その環境に見合った喋り方をしてるだけ、なんよ。
投稿: 野ぐそ | 2008.06.02 19:34
都合の良さそうな夢みたいなこと書いて後で現実が厳しくて「騙された」と思われるより、無駄に厳しそうなこと書いて実際やってみたらそれ程でもなくて「騙された」と思われた方が遥かにマシでしょ。前者の方が、口が上手で気を逸らさない人の方がマシだっちゅーなら、そんなもん私じゃなくても上手は一杯居るし実際それでカネ取る馬鹿なんかナンボでも居るんだから、そっち付けばいいじゃない? としか思わんのよ。私ゃ別に只の野ぐそであって詐欺師じゃ無いから。私みたいな性分の人間が詐欺師なんだったら、実際にネーム欄に「詐欺師」って書くでしょうよ。
投稿: 野ぐそ | 2008.06.02 19:46
自分の経験からいうと、「クソッタレ」って自分がクソッタレであるってことをなかなか認めてくれないですね。で、そう思わなくていい人が「自分はクソッタレかも...」とか勝手に思っちゃう。ゆえにクソッタレ撲滅活動は他罰的な行動が要請されがち。
中島義道さんの著作にもそれが顕われている、ような気がする。
投稿: かしわ | 2008.06.03 11:47