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2008.05.25

[書評]あなたの職場のイヤな奴(ロバート・I・サットン)

 「あなたの職場のイヤな奴(ロバート・I・サットン)」(参照)を読んだ。

cover
あなたの職場の
イヤな奴
 読んだ理由を忘れたが良書だった。ある意味、ごく普通の経営書でもある。私は普通に書店で買ったのだが、献本速報の弾小飼さんあたりがすでに書評していいんじゃないのか、なぜ漏れたんだろうと疑問に思って検索したら、いや、すでに、あった(参照)。というわけで、私がなんか書くほどのことでもないかなと思ったが。弾さん指摘に首を傾げたのをきっかけに少し書いてみよう。弾さんの指摘はこう。

本書に「クソッタレから逃げろ」という対処法が出てこなかったのが不思議であったが、それは本書の欠点というにはあまりにささいなものであろう。

 というのはあれ?と思った。私の読書としてはそこはちゃんと書かれていると思ったからだ。たとえば。

逃げろ、無理なら近づくな --- 予防法2

(略)
〈ダ・ヴィンチ・ルール〉はこんなときにも役立つ。大切なのは、できるだけ早くその職場から逃げ出すことだ。
(略)
 たとえば、クソッタレが出席するミーティングにはできるだけ行かない。クソッタレから質問された場合はできるだけ返信を遅らせ、できることならあまり答えない。クソッタレとのミーティングをどうしても避けられないときには、できるだけ短く切りあげる。このようにしてクソッタレから逃げたり隠れたりすれば、機嫌の悪さをうつされる危険をぐっと減らすことができる。
 ただし、これを実践するためには、小学校で教えこまれたこと --- いわく、「よい子は自分の席から離れない」「授業がいくら退屈でも我慢する」「先生がどんなに嫌なやつでもとにかく耐える」などなど --- を忘れる必要がある。
 わたしたちの多くは、大人になってからもこうした教えを振り払えずにいる。そのため、会話中やミーティング中にクソッタレから逃げ出すのは悪いことであるかのように感じてしまう。


 というわけで、弾さんの疑問はきちんと書かれていると思うし、これってあたりまえの人にはあたりまえのことだけど、青少年期に優等生だった人には行動パターンに染みついていてなかなか抜けないし、善人オブセッションや母親オブセッションの人なんかもなかなか抜けきれないものだ。露悪的に書くけど、自分を愛してくれた人、助けてくれたという人が実はただのクソッタレであることを心理的に認めたくないという無意識があるとけっこう最悪になる。つまり、そういうことなんだよ。
 ところでクソッタレ(asshole)とはなにか。ショートバージョンではこう。

基準1/ その人物がつねに他人を貶め、やるきを喪失させる人間かどうか?
基準2/ その人物がつねに自分より力の弱い(もしくは社会的地位の低い)相手を標的にしているかどうか?

 簡単にさらにまとめると、口答えできないポジションの人なのに、合うといつもやな感じにさせられるというヤツがクソッタレということ。
 あれですよ、ネットなんかによくいる、「テラワロスw」とか書いていそうな人。他者に悪意をまき散らさずにはいられない人。
 でも、正確にはそうではない。
 どう違うかというと、ネットは職場とは違って、人間関係で明示的な上位のポジションということはないからだ。本書を読みながら、ネットに溢れるクソッタレをどうしたものかな、どうしようもないだろなと思ったのだが、ネットは職場とは違って上位ポジションはないけど、匿名でいることがややそれに近いかもしれない。その意味で、匿名でテラワロス発言をするのはクソッタレFAなんだけど、まさに特定されないのであまりそう考えても意味がない。つまり、ネットのクソッタレ問題にはあまり適用できないように思った。
 職場とネットに少し関わる部分としては、次は参考にはなる。

 もしあなたの働いている部署にクソッタレがはびこっているとしたら、メールや電話はあなたを彼らの悪意から守ってくれるどころか、問題をさらに大きくしてしまう危険がある。それを避けるには、仕事仲間と直接顔を合わせる時間をつくり、相手が直面しているプレッシャーを理解し、より大きな信頼関係を築くように努力する必要がある。

 ただ、その対応法もどちらかというと経営者の力量に拠るだろう。現実には、経営者がクソッタレだったり、ぼんくらだったりして、クソッタレ被害にあった人間を包み込もうとする人間関係の基盤がない職場のほうが多い。
 それと本書は、実は、べたな経営論であって、職場や会社のなかのクソッタレをどう管理するかということがテーマで、あからさまに言えば、本書は管理者向けの本だ。毎日クソッタレに向き合わされて困っている人にはそれほどには役に立たない。逆に、有能な管理者は本書を読まなくてもクソッタレの被害を算定できる。ちょっと横道にそれるが、基本は人事だろうし、人事以外では、経営がきちんと開かれていると自然にクソッタレの生息は減少するものなので、そうではない閨閥的な企業や閨閥的な官僚なんかのほうがクソッタレ満載になる。
 本書は管理者向けの本だから、日々クソッタレに向き合わされて困っている人にはあまり役に立たないのではないかと書いたが、でも先の予防法などはそれなりに役に立つ(ただ、その予防法も、実は、経営の立場と、クソッタレに苦しめられている立場が多少混同されてはいるようだが)。
 先に紹介した予防2には、〈ダ・ヴィンチ・ルール〉が出てきたが、これはこういうこと。

かのレオナルド・ダヴィンチも言っているとおり、「最初に抵抗するほうが、あとになってから抵抗するよりも楽」なのである。

 実際にはそれは微妙かな。浅薄に書くとよくある釣りっぽい話になってしまう。でも以下はけっこう言えている。

自分が足を踏み入れようとしている職場がどんなところかしっかり見きわめ、もしクソッタレの巣窟だとわかったら、たとえどんなに待遇が魅力的でもその仕事につくべきではない。

 この部分あたりは本書の白眉とも言えるので、気になる人は立ち読みでもするか買って読む価値はあると思う。
 本書はいろいろ啓発されるところが多いが、個人的には、以下の話が奇妙に心にひっかかった。クソッタレというのは先天的なものなのではないかという疑いだ。著者サットンはかなり控え目に提起し単純に肯定はしていないが。

 子供時代にいじめっ子だった人間が職場でもいじめをする傾向が強いかどうか、はっきりとした調査結果が出ていない。しかし、オルヴェウスの調査は、子供のころの卑劣さが大人になるまで尾を引くことを示している。

 クソッタレの根にある卑劣さというのは、私の人生観察でもかなり先天的なものではないかと思う。ただ、卑劣さがそのまま先天的というより、卑劣さになりうるなにかが先天的なのであって、その何かは集団においてある種のメリットを持っているのだろう。たぶん、支配についての経済学的なものだろう。
 サットンは、クソッタレの存在意義・メリットについても触れている。クソッタレは、撲滅してしまうのではなく、ある程度の閾値以下にしておくほうが、経済学的にメリットが出そうだ。そのあたりに、クソッタレという表現形を持つなんらかの先天的傾向が関係するのかもしれない。
 そういえば、本書では、スティーブ・ジョブズを、単純に排除してはいけないクソッタレの例としてあげている。彼を長年ウォッチした人ならその評価に異論はないだろうが、彼は閾値で管理すべき凡庸なクソッタレとは違う。そのあたりの有能なクソッタレの問題は、実は、さらに大きな問題が潜んでいるかもしれないし、イノヴェーターは多分にクソッタレであるものだ。
cover
The No Asshole Rule:
Building a Civilized Workplace
and Surviving One That Isn't:
Robert I. Sutton
 とはいえ、全体として、ある種の会社はクソッタレを排除するシステムを円滑化することでかなりの利益に貢献できるはずで、私たちの身近な接客サービスのインタフェースでは実はかなり、このクソッタレ排除ルール、No Asshole Ruleが、すでに、実装済みになっているようだ。

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コメント

こんにちは。

逃げるんだ、マッチョ!を標榜する(ようになった)ダンコ氏が、逃げるんだ!部分を見過ごしていたのは驚きですね。ま、あんまり面白そうな本ではないようなので、私は読まないと思いますけれどね。

投稿: けろやん。 | 2008.05.25 22:02

何といったらいいのか、(贅沢を言えば、良い印象と含みがバランスされた)上下関係を貫く本音用語法ってないものかと、使う側として悩んだりすることがありますが、
試行して、十中八九井戸端バイアスには敵わないと思い知るので……
労働内容の単純化に腐心したり。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.05.26 16:58

 つまり弁当爺さん的には、クソッタレ御礼であるところの野ぐそに対して

>たとえば、クソッタレが出席するミーティングにはできるだけ行かない。クソッタレから質問された場合はできるだけ返信を遅らせ、できることならあまり答えない。クソッタレとのミーティングをどうしても避けられないときには、できるだけ短く切りあげる。このようにしてクソッタレから逃げたり隠れたりすれば、機嫌の悪さをうつされる危険をぐっと減らすことができる。

↑こちらを実践?なさってるわけですね? なるほど。

>ただし、これを実践するためには、小学校で教えこまれたこと --- いわく、「よい子は自分の席から離れない」「授業がいくら退屈でも我慢する」「先生がどんなに嫌なやつでもとにかく耐える」などなど --- を忘れる必要がある。
>わたしたちの多くは、大人になってからもこうした教えを振り払えずにいる。そのため、会話中やミーティング中にクソッタレから逃げ出すのは悪いことであるかのように感じてしまう。

 でも弁当爺さんは上記述べるようないい人スキルが高い?から野ぐそが消えなくて困ってるんですか?

 その場合、別に弁当爺さんの生き様を曲げさせてまで野ぐそ却下の号令を頂こうとは思ってませんから、言いたそうな・言っても別にいいよと思ってくださる人…例えばけろやん。さん?とかのお口で何か言っても、同様に扱いますよ?

 なので、そこんとこ宜しくお願いします。

投稿: 野ぐそ | 2008.05.26 20:13

 あとねー。これは単純に私が思い上がってるだけなんでどーでもいいんですけど、私のクソコメント→弁当爺さんの優秀エントリー、みたいな感じで話の流れが被ったり続いたりしてるっぽくないか? …と感じることが時たまあるんですけど。そこんとこを「イノヴェーターは多分にクソッタレであるものだ。」とか理解しちゃったら私は心の底から救いようの無いクソッタレになるから全力回避なんだけど。そうと私に思われないようなエントリーを上げて貰えると、一読者兼クソッタレとしては嬉しいんですけど。ご飯作る話でもダルフール危機について熱く語るでも、ご自身ならではの持ちネタってもんが、あるでしょ。自転車危ねぇ話でも走る話でも泳ぐ話でもいいじゃない。
 そういう芳香性から世間を見る的なポジションが最近薄れてるように感じるから、「私のクソコメント→弁当爺さんの優秀エントリー、みたいな感じで話の流れが被ったり続いたりしてるっぽくないか? …と感じる」程度に思い上がっちゃうんですが。

 それは、弁当爺さんの将来のためにも、遺憾ことだと思います。思っただけですが。

投稿: 野ぐそ | 2008.05.26 20:23

>クソッタレの根にある卑劣さというのは、私の人生観察でもかなり先天的なものではないかと思う。ただ、卑劣さがそのまま先天的というより、卑劣さになりうるなにかが先天的なのであって、その何かは集団においてある種のメリットを持っているのだろう。たぶん、支配についての経済学的なものだろう。

 ここに関して卑近に感じることですけど、同和の人や商売人の人やすんげー山奥在住の貧困常在な人たちの生き様や思考回路に、クソッタレ度の高さを感じることがヒジョーにありますね。私なんかはそういった方々と友達だったり知り合いだったりして「朱に染まれば赤くなる」を地で逝ってる現役クソッタレなんですけどね。

 姉が商売人の家に嫁いでるんですけど、そこでの育児法が私(農家)の常識とはえらい違っておりまして。いい意味合いで解釈すれば「いつも前向きで負けず嫌いな精神を養う意味で有用な教育法」なんですけど…。

 子供を叱っても、絶対に「ごめんなさい」言わないんですね。言わせない。言ったとしても、鼻に親指突っ込んで手をひらひらさせながら「ごめんなさい、もうしませ~ん」とか笑いながら言うんですな。甥っ子の分際で。私も両親も物凄い不愉快で姉と甥っ子相手に「そんな謝り方があるかぁ!!」とかマジギレしちゃったんですな。いい年こいて大人気ない話ですが。
 姉から話を聞くに、どうやら父親が、そのように仕込んでいるとのこと。姉は面白いから笑ってるだけなんだそうで。な、もんで。
「そんなんで世間一般に通る思うとるんかぁ!!」「そんな馬鹿な真似しよったら行く末ヤクザじゃあ!!」「ヤクザにでも成れりゃあ越したことはないかもしれんけどチンピラ止まりじゃったら世間が大迷惑じゃあ!!」「それ以前に学校で苛められるに決まっとろうがぁ!!」…等等、説教食らわせまくりでした。姉、涙目。甥っ子、「ごめんなさい、もうしませ~ん」手ェひらひら。
 じゃあ私んちが世間に優れて凄いかってーと、そんなことは無いんですけどね。むしろ劣ってるだろう的な。

 私は、斯様な教育環境?を、そもそもクソッタレだと思ってるんですけど。そのへんのところ、どーなんですかね? 私んちの方が、よっぽどクソッタレFAですね。どーもすいませんでした。

投稿: 野ぐそ | 2008.05.26 20:41

 クソッタレな育ち方をしてる人って、ツンデレさんに成り易いですよ。私の職場に最近入って来た29歳男子さんとか俗に言うチンピラ上がりで若い頃にヤクザもんの使いッ走りで年収1000万円級に稼ぐ住宅系営業マンやってたらしいですけど、29歳にもなって言動がモロ・チンピラさん。私も最初のうちは普通にお喋りしてたんですけど、会話の内容が色々アレで、これはもぅいい加減ヤバいかな? って思ったんで「作業中に手が遅れても遺憾から、喋らんようにするね?」と言って喋らなくしたんですな。
 そしたら、3日としない内に不機嫌になって、1週間としない内に呼び方が「野ぐそさん→テメー」になって、2週間としない内に「前々からずーっと思ってたんだけどお前の態度が気に入らねぇんだよ!!」になって、今では私がよそ向いてるときにボソッと「テメー、アホか!?」とか、聞こえるように言ってきますね。面倒くさいから放っといてるんですけど。

 んで、単純に比較して29歳男子さんの方が私より作業がテキパキしてるし夢が大きい系の人なんで、29歳男子さんが私に対してトロいだの何だの不平不満を垂れても会社の人は「29歳さんが正論」とか言っちゃってるんで。29歳つけ上がりまくりです。私、ここ1週間ばかり1日4,5回くらい「バーカ」とか「テメー」とか言われまくりですよ。完全無視ですが。

 私は一応、態度を改めるにしても何にしても、相手に一旦予定なり方針なりを話してから行動に移るんですね。連絡無しで行き成り行動は良くないと思ってますから。
 んでも、29歳ツンデレ・チンピラさん的にはそーゆー思考回路は無いようでして。何の前触れもなしに行き成り怒鳴り付けてきたりしますよ。冷たくされた?から意趣返し的にやっちゃってる? にしては、随分幼稚な対応かと思っちゃいますね。

 お父さんがイケイケ型で早死にしてお母さんが依存心強すぎで人間的に駄目なタイプで兄貴が精神病で入院してるんだ、迄は話に聞きました。あとリハビリセンター通いの父ちゃん(75)に聞く限りだと「その人と同じ姓の人が来てるけど凄い態度が横柄で嫌われてる」んだそうな。

 血筋ですかね?

投稿: 野ぐそ | 2008.05.26 21:04

本文中「自然にクソッタレの生息は現象する」は、誤字かと思います。

投稿: nanoshi | 2008.06.12 02:44

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