昨日の朝日新聞のクルーグマンのインタビューとか読んで
私が書くと与太話になってしまうかな。昨日の朝日新聞9面にクルーグマンのインタビュー記事があって、軽いタッチで書かれていて面白かった。たぶん、一日遅れくらいでネットに掲載されるんじゃないかな、と思っていたけど、どうなんでしょ。「グローバル化の正体@米国経済」ってやつです。まあ、ちょっとアレゲな枠がかっちり感はあるのですがね。
じゃ、たらたらと。
まず、グローバル化って何?というのが冒頭あって。
政府や自然による障壁が減り、世界の人々とさまざまな仕事や取引をしやすくなったということだ。
なんとま大雑把な。間違ってはいないけど意味のない定義とか昔のチョムスキーが言いそうな感じ。
その歴史背景はというと、まず第一段階はこう、世界経済の形成時期。
19世紀半ば、鉄道と汽船、電報で遠隔地の経済が結ばれ、例えば英国がニュージーランドからの肉輸入で食料をまかなうようになった。
なんかリカルドとかマルクスとか読んでる雰囲気。第二段階は。
これは70年代以降のコンテナ輸送とファクスの急速な普及や、関税引き下げなどによるもので、はるか遠く離れた顧客のために多くのモノやサービスを互いに生産しあうような世界になった。
クルーグマン御大だと、ほいだけ。IT技術というのはとくにどってことはなさげ。
金本位制崩壊、プラザ合意、金融テクノロジーっていうのが重要なんではないのかな、ぽりぽりっとか私なんかは思うのだけど、どうなんすかね。え、先に行け? はいはい。
つうことでグローバル化で世界はどうなったか。
経済をより効率的にした半面、所得配分を悪化させた。工業製品の生産を途上国に移転することで、値段が安くなった半面、高等教育を受けていない労働者の賃金を削減した。
え? これってマジ、クルーグマン御大? なんか冗談を読まされているような。なんか昔のアルジリ・エマニュエルでも読んでいるような感じ。ってか、違うのかもしれないけど、でもだとするとそれって労働力の可動性の問題で、で、っていうことはまさにそれがITで移動したりっていうのが現在のグローバル化の問題ではないの。違う? あ、違いますか。っていうか、クルーグマンって保護主義者だったのか?
で、あれですかい、話題の格差っていうか不平等?
米国の不平等については、他の先進国以上に政治が最大の問題だ。もちろん、技術革新や貿易などの要因もあり、その背景にグローバル化がある。
いや率直に何おっしゃてるのかわからん。引用が少ないせいもあるのだろうけど、でも全文引用してもわからんと思う。グローバル化つまりクルーグマン的には、70年代のモノ・情報の移動の高度化が背景となって技術革新や貿易がある? わからん。で、それと米国の不平等は直接は関係しない、と。
つまり、米国の社会問題は、グローバル化とは直接は関係ないってこと。ああ、それならわかるな。日本のグローバル化が格差問題に関係してないことからでも(いやこれは冗談です)。
共和党のイデオロギーは保守的か? という朝日新聞の問い掛けに。
そう。裕福な人々の税金を軽減し、社会保障のプログラムを減らすことをめざす動きで、基本的に不平等を拡大するものだ。
でもグローバルにはそれで富は拡散して、世界全体的には貧困や飢餓から抜け出せたのではないかな。っていうか、民主党のほうが保守主義っぽく見えるんだけど。
ようやくキモだけど。
米国のセーフティネットは他の先進国に比べて極端に弱いから、強化すべきだ。とりわけ重要なのは、国家的な医療保険制度を持つことだ。底辺の不平等を改善し、貧困の削減に大いに役立つ。一方、労働政策を変更し、労働者が労働組合を組織しやすいようにすることも必要だ。
つまり日本のほうがセーフティネットがしっかりしているんですよ。つまり日本のほうが医療保険制度がしっかりしているんですよ。
話が右往左往して。
世界は決してフラット(平ら)ではない。先端技術を担える人材がいるところと、そうでないところでは投資に差が出る。米国と中国の製造業の平均賃金が将来は同等になるとしても、それは何十年も先のことだ。中国の製造業の生産性は先進国の10%以下だから、中国の賃金が上がるにしても限度がある。
これは概ねそうかな。
もっと、医療従事者とか学者とか、国境を越えちゃうし、シンガポールとか呼び寄せているし、そういうのがグローバル化なんすけどはまあとりあえずおいといてもいいか。で、中国の生産性というのは、あれ、資源利用の効率とかも関係するというか、中国人これからどう働くのでしょうっていうか、南アに出稼ぎとかね、よしとけばいいのに。
金融危機については。
中国からの資金流入が金利低下を加速し、低所得者向け(サブプライム)融資ブームに油を注いだ面がある。
へぇ。っていうか、資金流入させた別の国へのご配慮、ありがとう。でも、まあそういう面もあるくらいかな。
だが、金融機関の破綻がグローバル化のせいだとは言えない。これは基本的にウォール街の取引の複雑化に由来する危機で、米国産の現象だ。
まあ、そうかな。EUの信用縮小は目をつぶると。
目下の危機には、公的資金投入で30年代の不況再来を防ごうというのだけど、それなあ、むしろ雇用の問題じゃないかな。ロバート・サミュエルソンが言っているけど、失業補償を伸ばしたほうが効果的なんじゃないか、っていうか、サミュエルソンのように本当に危機なんかいかな的気分があるのだが。
締めは日本だよ。日本。
日本の景気は回復したが、それは経済政策のおかげではなく、技術革新が進み、投資が望ましい水準に戻ったからだ。
一瞬、え゛とか言いそうになるけど、概ねのところそう言ってもいいか。
しかし、日本経済はまだデフレのがけっぷちにある。経済をさらに上向かせるには、日銀が2%今日の物価上昇率を目標に掲げるよう私は提案してきたが、今も同じだ。
それは言わないお約束。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
物価引き上げて貧乏人苛めてでも、小金持ちに「出さざるを得ない金なんだから出すべえ出すべえ」って言わしめなきゃ、デフレ不況なんか抜け出せるわけないのにね。
どっかのアホ主婦みたいに1円5円に血道を上げて生活防衛だの何だの寝言垂れてるうちは、絶対に景気良くなりませんよ。
目先の損得に狂って大局を見失う人が貧乏なのは、もうしょーがないんじゃないですかね? 向こう10年くらい、どんなに嫌われても構わんから貧乏人苛めをやった方がいいんだよ。じゃないと次の10年が、また困る。
投稿: 野ぐそ | 2008.05.13 19:12
> え? これってマジ、クルーグマン御大? なんか冗談を読まされているような。
最近論争になっているクルーグマンの主張ですね。梶ピエールさんのこの記事が参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080503/p1
あと私のこの記事も。
http://d.hatena.ne.jp/kmori58/20080105/p2
投稿: kmori58 | 2008.05.13 20:57
金持ってるヤツに金出しづらい環境作って借金してでも食い付く馬鹿相手に商売やったところで、先細るのは目に見えてるでしょうに。先細ったところで「どーなんでしょうね?」「どうしましょうかね?」なんて言われたところで、知るか馬鹿って一喝して終了じゃないですかね?
貧乏っつーのは、なぁ。なっちゃったらそこで終わりって挫ける類のモンじゃなくて、今が底だと思って日々コツコツ頑張ってれば、明日は少しでも確実に豊かだよね? って喜びながら生きるゾーンなんだよ。
(1990年のバブル崩壊から考えて)そのゾーンに10年もその上も居座ってて何の進歩も環境再構築も無い方がオカシイだろーが。国が当てにならんのなら自分で勝手にやってろって話なのに、それすらやんねーで日刊ゲンダイでも読んで溜飲下げてるような糞が、昨日の今日で急に豊かになる筈が無かろうに。
いい時代だろうと悪い時代だろうと、そこから抜けて次のゾーンに逝こうと思ったら絶対に10年掛かるんだから。今がその時って思い立ったら、そこから10年辛抱しろよ。貯めるもん貯めて、話はそれからだろ。
投稿: 野ぐそ | 2008.05.13 21:27
私みたいに田舎→都会で働いて社会勉強して勝手に自己満足するのは4,50年前のグローバル化(笑)で、緑のおっさんや弁当爺さんや海外に工場持ってる会社の人みたいに必要とあらば世界のどっかへ勝手に飛んじゃうのがここ10年20年来のグローバル化なんよね? 多分。
んじゃあ、「次」のグローバル化っちゅーのは、何のどんな状況を指して言うようになるんかな?
昔流のグローバルにも今様のグローバルにも適応できない困ったちゃんが居るんなら、さっさと次を目指せばいいじゃなーい? って感じなんですけど。
投稿: 野ぐそ | 2008.05.13 21:46
私自身、正直言うと自分でも意味がよくわからないままに安易に「グローバル」とか「グローバル化」という言葉を使ってしまうのだけれど、極端に荒っぽい表現を使えば「世界一元化」になってしまうのかなあと思っています。
しかしながら、世界中が近距離になり、情報入手が容易になり、相互依存が深まるほど、「グローバル」と対極の「ローカル」なものへの関心もより深まってくるものだと考えています。
経済的な自分自身も、社会的な自分自身も、グローバルなものにも、ローカルなものにも、ともに支えられているはずだと思うからです。
投稿: 「グローバル化」 | 2008.05.14 06:25
ニポンが多民族国家になるってことじゃね?
投稿: マッコウクジラ | 2008.05.16 09:00
「次」のグローバル化は、健全に進行できれば、おそらく、ある意味では先祖がえりになるはずです。
工業化社会になったから、商品や貨幣や富の取得と蓄積と再分配の話ばかりになり、人間様の都合の話ばかりが幅を利かせてきましたが、今後の経済と市場のグローバル化と並行して、かつての時代ように、気象や、海洋の潮汐や、天文にもっと関心を持って生きることが求められるようになりうると考えます。
狩猟採集時代や、農業中心の時代の関心が、その当時に比べてより知識が充実し、洗練されて、回復すべきであるというのが現時点の私の意見であり、そうならなければ、エコロジーはそれほど自分自身の問題として多くの人の意識に浸透しないだろうと思っています。
グローバルの次は、宇宙的という意味でユニバーサルであるべきであり、そういう時代には、理科年表の編纂作業が天文台により継続されているのであれば、多くの人が、10年に1度くらいは理科年表を入手するのが当然であるような社会になっていてくれれば、グローバル化は健全に進行できていると判断しうると思っております。
投稿: 「次」のグローバル化 | 2008.05.19 08:38