[書評]もういちど二人で走りたい(浅井えり子)
読もうと思って過ごしてしまった本がいくつかある。そして時代が変わってしまって、世の中がその本のことを、まったく忘れたわけでもないのだろうけど(人の心に深く残るのだから)、あまり読み返されない本はある。絶版となり復刻されない(そのまま復刻すればただ誤解されるだけだろうし)。文庫にもならない。それはそれでよいのかもしれない。世の中とはそういうものだし、そういうふうに世の中が進むのにはそれなりの意味もあるのだろうから。ただ、私はあまりそうではない。
もういちど 二人で走りたい 浅井えり子 |
先日、「極東ブログ: [書評]ランニングとかで参考にした本」(参照)で浅井えり子に触れたおり思い出して読んでみた。
年齢差はどのくらいだっただろうか。佐々木功(参照)は1943年2月2日生まれ。95年3月13日に死んだ。一週間後にサリン事件なるのでその話題でその死の話題は多少霞んでいたように思う。浅井えり子(参照)は1959年10月20日生まれ。私より2歳年下だが、だいたい同年齢代と見ていい。本書を読みながら、同時代を生きた歴史の感覚はある。佐々木との年齢差は15歳。娘ほど違うというほどではない。
浅井が日本電気ホームエレクトロニクスで佐々木の指導下に入ったは22歳のころ。佐々木は37歳か。まだ30代だった。厄年の前でもありいろいろな焦りはあっただろうと思う(小学生くらいのお子さんがいたのではないか)。37歳の男にとって22歳の女はたぶんよほど幼く見えたのではないか。
佐々木は岩手県立美術工芸高校(現岩手県立盛岡工業高等学校)卒業後いったん職についてから22歳で東洋大学に入学し箱根駅伝などで働いた。その後、リッカーを2年で退社し、東洋大学陸上部の監督となる。28歳であろう。監督時代に結婚したらしい。30歳過ぎくらいだろうか。そして奥さんは学生のランナーだっただろうか。なんとなくだが、8つくらい年下の女性を思う。お子さんは二人いる。
佐々木と浅井がコーチと選手ということで意識し出すのは、本書では82年のペナンマラソンとのこと。その頃浅井は鉄欠乏性貧血になり、食事に注意をしない彼女に佐々木が激怒し、指導を強めるのだが。
一年間も指導を受けて、まともな食事ひとつできなかった私の、口だけの報告では信用できないらしく、夕食をのぞきにアパートを訪れるようになる。練習が終わると、夕食のチェックのために私のアパートに来て、そのままビールを飲みながら、二人で陸上の話をする。そして十時になると帰っていく。それは、しだいに、日課になっていった。
単純に言えば非常識きわまりないのだが、佐々木という人は、真性の陸上馬鹿であったし、すべてをそこにつぎ込んでしまう人でもあった。が、私はそれを否定しないまでも、少し残余を思う。
この関係の描写は、本書が出て15年してみると、ある種時代に取り残された、薄気味悪い印象もある。だが、この関係性の風景はそう昔の風景ではない。
「俺は、悪いことをしているわけではないのだから、コソコソする必要はない。本気でおまえを強くしてやりたいんだ」
と言って臆することがなかった。
”本気の思い”というのは、時として”怖い”。
「俺がこれだけ真剣なのに、おまえには、その気持ちがわからないのか!」
口ごたえして殴られたことは数え切れない。私自身、思ったことを我慢できない性格なので、ついついよけいなことを言ってしまい、怒られた。監督の殴り方はハンパじゃないの。唇が切れたり、顔が腫れて、会社を休まざるをえなかったこともある。
ただ一方的な関係ではなかった。
何度も傷つけられた復讐というわけではけっしてないのだが、実をいうと、私も監督を何度となく”痛い目”にあわせている。ビールは好きだが、すぐ酔っぱらってしまう私は、酔うと始末が悪い。あるとき、陸上部の飲み会の帰り、歩けなくなった私がいきなり「おぶって」と、酔っている監督の後ろから抱きついて、アスファルトの上にモロに顔面から倒してしまい、監督の額にダラダラ血が流れるほどのスリ傷をつくってしまった。またあるときは、酔った私に突き飛ばされ、そのはずみで、店のビールケースで胸を打った監督は、肋骨にヒビが入り、しばらく痛みに苦しんだ。
こういう関係がある意味で普通に見える時代があった。
浅井は84年名古屋女子マラソンで4位、84年東京国際女子マラソンでは2位となりトップランナーの名声を得る。そのころは、二人とも田町勤務となり毎朝笹塚で落ち合って走りながらの通勤となった。浅井24歳、佐々木41歳。「ゆっくり走れば速くなる マラソン・マル秘トレーニング (佐々木功)」(参照)の出た年だ。ある意味で、二人の絶頂期だったかもしれない。
浅井は30代に入り、長いスランプのような状態に陥る。同棲ということはなく佐々木は十時には自分の家に帰るということではあったが、すでに彼らは事実上の内縁関係にあったと見てよさそうだ。佐々木はこう言う。
「いま、ここで逃げ出してしまったら、すべてが中途半端に終わってしまい、何も残らなくなるんだぞ。それじゃ世間から、不倫のレッテルを張られたままで終わってしまう。何でもう少し、がんばれないのだ」
男として最低の言葉だなと私は思う。結局、佐々木という人間は浅井を自分の理論のための実験として見ていただけなのだろうかとすら思う。ある意味不快な気持ちにもなるが、彼らの人生はそこで終わらないからこの言葉が女から漏れた。
浅井は復活した。しかも30代半ばで。94年名古屋国際女子マラソンで優勝する。
浅井の意地だろうし結局は愛というものだろうと思うと同時に、そこでしばし、いやそれは佐々木の愛かもしれないと思い直し、「愛」というキーワードにある困惑を覚える。
その年に、佐々木は倒れた。がんが彼を蝕んでいた。
なんなのだろうと私は思う。人生は物語ではない。しかし、物語のようにしか見えない人生というものがある。
厚労省は単なる慢性病、しかも遺伝的影響の強い慢性病を「生活習慣病」と言い換えて健康を自己責任化に見せつつ、国民の身体管理を始める時代になった。が、病というのは、人生の物語に仕組まれているものではない。ある程度生きてみると、致死の病というのは、天災のように不運でもあり、そしてどことなく物語のようでもある。精神科医頼藤和寛は世間の悩みを飄々と聞きつつ、自らを蝕む癌も知らずに「人みな骨になるならば―虚無から始める人生論」(参照)を書いていた。彼は53歳で死んだ。
理性的に考えれば、佐々木の52歳というにはなんら物語的な理由はない。ただ、時代から残されてしまえば物語のように見えるし、物語であることで、「愛」という言葉に再定義を迫る、人の経験というものを残す。
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コメント
この書評を待っていましたと言わんばかりのタイミングです。まだ読んでいませんけど、読まなくてもテーマが重たいのではないかと想像はしていました。単に浅井さんの「もう一度二人で走りたい」の書評だけでなく、最後に頼藤和寛さんの「人みな骨になるならば―虚無から始める人生論」を抱き合わせのように書かれているので、ここで思考の焦点がグッと生き方(人生論)の方向へ定まってきました。如何せん重たいテーマなので軽くは読めそうもないですね。finalventさんは、深い読み方をされるのだなと思います。
お陰さまで、引っ張られるままに読書に時間を費やすようになりました。良いことですけど、没頭してしまうので要注意です!
投稿: godmother | 2008.05.25 10:49