[書評]マイクロトレンド 世の中を動かす1%の人びと(マーク・J・ペン)
「マイクロトレンド 世の中を動かす1%の人びと(マーク・J・ペン)」(参照)が翻訳されているのを知らなかったので、えっと思って中身も見ずに買ってしまった。
マイクロトレンド |
原書のほう「Microtrends: The Small Forces Behind Tomorrow's Big Changes(Mark J. Penn, E. Kinney Zalesne)」(参照)はすでに昨年に買ってちらほらと読んでいたし、これはきっと翻訳が出るだろうし出たら買うかという心づもりでいたのも、訳本の中身も見ずに買った理由。
で、びっくりした。というか、ちょっとこの厚みであの内容が入っているわけない感はあったのだけど、この訳本はだいたい中身は半分といったところ。抄訳だ。訳の質は悪くはないし、それなりに編集の手も入っているけど、これは続巻を出していいか、もし原書のほうがさらに生き延びるようなら再出版していいのではないか。
アマゾンの読者評にもあるけど。
★★☆☆☆ 納得いかない, 2008/5/11
By meta-o (奈良県) - レビューをすべて見る原書では70のマイクロトレンドが紹介されているそうだが、この訳書ではそのうち41しか載っていない(しかも、抄訳だということに初めて気づいたのは訳者あとがきだった)。監修者の解説テキストが各所に散りばめられているにもかかわらずだ。内容がとても興味深いだけに残念である。
ええと、正確に言うと、原書では「70のマイクロトレンド」ではなく、75個ある。
そして訳書を読み返してぎょっとしたのだけど、一番重要な概説が書いてある「はじめに」にかなり編集が入っていてわかりづらい。最初からこの訳書を読み進めると、オリジナルの半分の内容かそれ以下といった印象を持つだろう。またオリジナルの序文の話のかなりの部分が、訳書の「あとがき」へ編入されていて、オリジナルの結語と異なる。
Microtrends(洋書) |
たとえば、邦訳書に含まれていない"Christian Zionist"(キリスト教徒のシオニスト)っていうのは、今の大統領選挙戦にかなり死活問題。マケインもイスラエル詣でをしてたり、ヒラリーがイランの核がイスラエルに及べば戦争も辞さないみたいなことを吠える背景には、"Christian Zionist"も考えに入れたほうがいい。それとあまり言うにはばかれるけど日本のマスメディアにも奇妙な影響がある。まあ、そのあたりは私のブログのネタにでもいずれするかもしれない。
抄訳であることは、訳者も新婚でいろいろ大変だったのかもしれないなか、こっそっと「訳者あとがき」で良心的に書いてもいる。
今回、日本語版を刊行するにあたっては、人種間や宗教のトレンドなどアメリカに顕著な事情や、日本のほうが先行したり逆行していたりするものは基本的に割愛し、結果的に精選した41のマイクロトレンドに絞らせていただいた。原書で紹介されているすべてのトレンドを紹介できなかったことは残念でならないが、割愛せざるを得なかった項目に興味をお持ちの方は、ぜひ原書にチャレンジしてみていただきたい。
このあとがき、でも、よく読むと、原書の序文を折り込んでいるんですよね。それもちょっとなあという感じはするけど。
個々のマイクロトレンドについては、読めばわかるというか、普通に面白いので、なんだかんだ言っても日本語で週刊誌のように読める点でお勧めはしたい。というか、とりあえず半分さくっと読むにはお勧め。
先ほど、訳書の「はじめに」にかなり編集が入っていると書いたが、実際この「はじめに」の概論部分を細かく原文と対照作業してみたら、勝手な作文が書いてあるわけではないのだけど、オリジナルのあっちこっちから順序不同に近いかたちでパッチワークになっている。そして結果、出来た邦訳の「はじめに」はそれなりにスジが通っているからいいのかもしれないといえば、そうかもだが、私の印象ではなんか別の話になっている。
困ったことに訳書で解説をしている三浦展の「本書の読み解き方」が、私の見た感じだけど、見事に外している。三浦はオリジナルを読んでいないのではないか。別に三浦をタメで批判したわけではないけど、これはちょっと困るなという感じがするので、以下ちょっとメモしておきたい。各種の新しい動向について三浦は。
それらは最初は小さな動きなので見逃しがちだが、実はその根底に社会の大きな構造変動があるのだというのが本書の著者マーク J・ペンの主張であると言えるだろう。
「であると言えるであろう」というあたりに率直に「読んでないのでわかりません」を聞き取るべきかもしれない。
確かに現代社会に大きな構造変動があると言えないこともないのだが、ペンの主張は、構造変動よりマス(大衆)がインターネットなどで結合し巨大化したために、全体から見ればわずかな人々の結合でも社会影響力を持つようになったということで、構造変動というより特定分野で可視になる全体の量的拡大のスレショルドが超えたことで、マイクロトレンドのような相対的少数者を介しても構造変動をもたらしうるということだ。
むしろペンは、「大きな構造変動」といったいわばメガトレンドようなものを否定している。その意味で、三浦の理解は本書の基本コンセプトとまったく逆になっている。繰り返すが、大きな変動を社会に見いだそうとすれば相矛盾した重要なトレンドを相殺してしまい社会考察として意味が失われてしまうということが重要だ。この点はマーケットの世界ではごく常識化してはいるだろうが(だからトレンドウォッチからマーケティングができない)。
ここも違う。
考えてみれば、最もマイクロなマイクロトレンドとは、まさに自分という個人の中のトレンドであろう。だとしたら、まず自分の日常生活における意識や行動の小さな変化に対して自覚的であることが、マイクロトレンドを発見するいちばんの早道であるに違いない。
ここは、しいて言えばと留保はするけど、2点間違っている。ペンがマイクロトレンドを提示したのは、マイノリティグループというべたな意味ではないけど少数の人々が、身近な他者であるとして、見えづらい小さな連携のなかでアイデンティティを見つける傾向を通して、市民社会の内在にある、従来の手法では定義しがたい他者という存在を理解するための方法論、つまり多様な市民を理解する一助にしたいということがある。三浦のように日本人にありがちな自己探し的な枠組みの発想ではなく、ペンはむしろなるほど民主党の参謀らしいリベラルなコミュニティ志向があるのだ。
2つめの三浦の間違いは(というと言葉もきつくてごめんなさいな)、それが自覚可能だとしている点だ。本書は、訳の都合もあるのだけど、重要なキーワード、"counterintuitive"が文脈に開かれているので、キーワードとして意識しづらい。そこも問題なのかもしれないが、ペンはマイクロトレンドは"counterintuitive"(反直感的)であるということを基軸に置いている。三浦はこれを常識の逆転と理解しているのだが、そうではない。ペンは、社会の常識や直感的な理解からマイクロトレンドは見えないですよと主張しているのだ。だからこそ、統計など方法論を重視している。
この"counterintuitive"は、先の他者理解とも関連していて、三浦のように自分の身の回りの繊細な観察・理解といったものが自己に閉鎖してしまう点に対する、対抗的な方法論として描かれている。他者理解というものの本質的な難しさがペンの手法に組み込まれているのが本書の重要性だ。
そもそも、ペンがなぜマイクロトレンドを書いたのかというのは、クリントン大統領時代からの民主党の参謀として、人々を細かく、方法論を介して見ていたからで、そうした政治の関連がある。
ところがペンと政治の関連について、オリジナルの序文から翻訳書では削除され、訳書の「あとがき」に編集して移されている。
逆に言えば、本書は、選挙ための書籍だともいえる。自民党でも民社党でもすこし頭の切れる人がいるなら、本書から学び得るところは大きいはずだ。もっともそんなことすでに知っているという返答も来そうだが、いちおう識者とされている三浦展の理解からするとそうでもないように思える。
オリジナルの内容についての話は、このブログでも別途するかもしれないが、"counterintuitive"であるという他者性は、しかし、その個人がマイクロトレンドにいるときはむしろ自明な自覚になることが、自分でも興味深い。具体的には、個人的にはだが、「はてな村」とかTwitterにいると、自分がまさに各種の未知なるマイクロトレンドにすでに浸されている実感はある。
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