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2008.04.03

マケドニアのこと

 もう15年以上も前になるが北部ギリシアを旅行し、サロニカ(テサロニキ)から40キロほどのペラ遺跡を見に行ったことがある。
 ペラはマケドニア王国の首都でアレキサンダー大王の故地だ。サロニカを拠点とした小旅行では、カナダ人4人と私とガイドの矍鑠としたギリシア人のインテリお婆さんの6人だった。私は彼女から戦前の話も伺えて面白かったし、交渉力の強い彼女のおかげで発掘中の遺跡なども間近で見ることができた。
 ギリシア内の古代マケドニア遺跡をいろいろ見て回り、私は、なるほどこの文化はアテネなどの古典ギリシア的な世界とは随分違うものだと思ったし、墓制が異なるというのはそもそも文化が違うのだろう、いわゆるヘレニズムというのは西洋の誤解かもしれないと思ったものだった。
 ちなみに、ヘレニズムのヘレはギリシアを意味する。というか、英語でGreeceというのは俗称で、正式にはHellenic Republicという。つまり、ヘレニックというのはギリシアということだ。
 遺跡見学の途中、観光目当ての小さなカフェテラスでまいどながらのギリシア・コーヒーを飲んだ。ギリシア人は「ミドル・スイート?」と聞くので、「ノーノー、ベリーベリースイート」と答える。甘くなくちゃね。ぺっぺっしながらギリシアコーヒーを飲みつつ土産物を見ると、「マケドニア 3000年」というティーシャツがあった。ほぉと思って買って、日本に帰ってから着ていた。アテネで着るのはちょっとためらわれた。
 あの地域ではマケドニアはどういう含みがあるのか、以来いろいろ気になっていたが、最近、なるほどねというニュースを聞く。
 国内報道では毎日新聞記事”マケドニア:「ギリシャの一地方」 国名論争再び過熱”(参照)が比較的わかりやすい。


 【ベルリン小谷守彦】「マケドニア共和国」の国名をめぐり、同国と隣国ギリシャとの90年代以来の論争が再び過熱している。「本来のマケドニアはギリシャの一地方」と主張するギリシャは、北大西洋条約機構(NATO)や欧州連合(EU)へのマケドニアの新規加盟阻止をちらつかせつつ、国名の変更などを要求。国連と米国が仲裁に入り、解決策を模索している。

 この問題だが国際的には、3月30日付けニューヨークタイムズ”The Republic Formerly Known As ... ”(参照)のように、どちらかといえばなんとかなる類に見られていた。

Tiny Macedonia poses no threat whatsoever to Greece under any name; on the contrary, its economy is highly dependent on substantial Greek investments. Bringing it into the NATO fold is good for Europe, good for the Balkans, good for Macedonia and good for Greece. The name is something Athens and Skopje can work out on the side.
(ちっぽけなマケドニアがどのような名前を持とうとギリシアの脅威にはならない。逆に、経済面では実質ギリシアの投資に依存する。NATOに含めることは西欧にも、バルカン半島にも、マケドニアにも、ギリシアにも利点がある。国名の問題は両政府が本題から外して解決が可能だ。)

 残念ながらそういかない。
 なぜこの問題が紛糾しているのか、先の毎日新聞記事は近代史的な背景をこう説明する。

 バルカン戦争(1912~13)までオスマン・トルコ支配下にあったマケドニア地域は戦後、ギリシャとブルガリア、旧セルビアに分割され、セルビア側の領土だけが91年に独立。米国やロシア、中国などは「マケドニア共和国」として国家承認した。
 これに対しギリシャは、「マケドニア」の復活による領土要求を懸念。93年のマケドニアの国連加盟時には、両国は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の暫定名称を使うことで妥協していた。

 さらに根深い背景がある。
 冒頭たらっと書いたが、ようするにアレキサンダー大王の歴史を両国民が自国史のように見なしているので、その古代の栄誉の名前を譲りたくはないというのと、ギリシア側にはある種の恐れの感覚がある。
 毎日新聞の記事の書き方が悪いわけではないが「オスマン・トルコ支配下にあったマケドニア地域」とあると、その地域とギリシアとの関係がわかりづらいが、サロニカもオスマン帝国の一部であり、トルコ建国の父(アタチュルク)ことケマール・パシャも、サロニカの生まれだったし、当時そこはマケドニア州でもあった。
 国際問題としては、「マケドニア」という名前だけのこだわりだけで、ギリシアが拒否権(veto)を行使しようとしているようにも見えるが、BBC”Greece to veto Macedonia Nato bid”(参照)などを読むと、ややこしい背景がもう少し見える。

Territorial claims
Greece's foreign minister, Dora Bakoyannis, says the dispute is not just over a name.

She says the government in Skopje regards the Greek province of Macedonia as occupied territory and has refused to remove such claims from textbooks speeches, maps and national documents.
(領土の主張:ギリシア外相ドーラ・パコヤニスは、国名だけの問題ではないと言う。マケドニア政府はギリシアのマケドニア州を占領地と見ているし、教科書や地図、国家文書にそのような主張があるのを拒絶していると、彼女は言う。)


 つまり旧「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」が国家として「マケドニア」を名乗ることで、現ギリシア共和国内地域への領土的拡大を回復の名目でもくろむのではないかとギリシアは懸念している。
 面白いといってはいけないかもしれないが、アレキサンダー大王時代の古代史意識がやはり関係している。まるで白山伝説を南韓の人までが民族起源伝説と思いたがるように国家は起源伝説に捕らわれる傾向はあるのだろう。

The Americans say a dispute over who are the descendants of Macedonia's legendary king Alexander the Great cannot be allowed to derail Nato's expansion.
(米国にすれば、誰が伝説のアレキサンダー大王の子孫という議論でNATO拡張を頓挫させるわけにはいかない。)

 そういえば当時、ギリシアの北部国境近くの川沿いを走っていると、ところどころにテントがあり、ギリシア人のお婆さんはロマの旧称を叫んでいた。この地域には民族問題も潜んでいるのだろう。

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コメント

 そんなときは自転車乗って高尾山まで出掛けながら「ア~ウシュビッツ、ア~ウシュビッツ、ヤッホーイヤッホーイ♪」とか言ってりゃ気分爽快ですよ。多分。

 世界は大変ですね。

投稿: 野ぐそ | 2008.04.03 22:07

ホント“野ぐそ”な。
ヤスジもびっくりだわ。

投稿: ヤスジ | 2008.04.04 10:59

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» マケドニア問題 [Mozuの雨ニモマケズ]
この旗がどこの国旗なのかご存知の方はそれほど多くはないと推測しますが、みなさまい [続きを読む]

受信: 2008.04.06 16:50

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