[書評]回転木馬のデッド・ヒート(村上春樹)
最近なんとなく村上春樹の短編「プールサイド」と「雨やどり」を思い返すことがあり、たまたま買い物先の本屋でこれを収録する短編集の文庫「回転木馬のデッド・ヒート」(参照)を見かけ、何の気なしに買って読み直した。面白かったといえば面白かった。技巧的ではあるけど春樹さん(なぜか春樹さん)のこのころの感性は若いなというのと、その後の作品に繋がる部分もいろいろ思った。この短編集は彼の短編集のなかでは最高傑作と言えるかどうかよくわからない。が、再読して「プールサイド」と「雨やどり」は自分の人生観を結局大きく変えていたなというのを確認した。
![]() 回転木馬の デッド・ヒート |
IN・POCKET連載の順序は次のとおりだ、とこういうときウィキペディアは役立つ。
- プールサイド (1983年『IN・POCKET』10月号)
- 雨やどり (1983年『IN・POCKET』12月号)
- タクシーに乗った男 (1984年『IN・POCKET』2月号)
- 今は亡き王女のための (1984年『IN・POCKET』4月号)
- 野球場 (1984年『IN・POCKET』6月号)
- BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察 (1984年『IN・POCKET』8月号)
- 嘔吐1979 (1984年『IN・POCKET』10月号)
- ハンティング・ナイフ (1984年『IN・POCKET』12月号)
- はじめに・回転木馬のデッド・ヒート (1985年10月 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし)
- レーダーホーゼン (1985年10月 『回転木馬のデッド・ヒート』に書き下ろし)
ご覧のとおり、この短編集は「プールサイド」と「雨やどり」から始まっている。たぶんこの短編集のもっとも本質的な部分がこの2作にある。すでに短編集既読のかたもこの順序で読みなおしされると印象がかなり違うのではないだろうか。
最初の作品が発表されたのは1983年の秋で、私はその年に大きな人生の転機があった。印象深く思い出す。私が26歳。春樹さん(まだ超メジャーな作家とも言えなかった)が35歳だ。この35歳という年齢がこの作品集にとても重要な意味を持つ。「プールサイド」がまさに35歳という意味の作品でもあるからだ。26歳の私は、そのころ手ひどい失恋の後遺症にあって、それをそれから10年近く引きずりながら自分なりの35歳を迎えた。
発表時のリストと本書の収録の違いは、その掲載順序以外にすぐにわかることがある。短編集では次の配列になっている。
- はじめに・回転木馬のデッド・ヒート
- レーダーホーゼン
- タクシーに乗った男
- プールサイド
- 今は亡き王女のための
- 嘔吐1979
- 雨やどり
- 野球場
- ハンティング・ナイフ
そう、「BMWの窓ガラスの形をした純粋な意味での消耗についての考察」が抜けているのだ。この作品はある意味で変な作品で、春樹さんの存在に閉じ込められていた暴力的な部分が強く垣間見られる。長いことこの作品は書籍化されなかったが、たしか現在では作品集には収録されたはずだ。IN・POCKET(1984・8)がレア本ということではもうなくなっただろう。
再読して、「プールサイド」と「雨やどり」がやはり印象深い。この作品を十分に理解できる年齢に自分がなってしまったのだということもよくわかった。作品としては「レーダーホーゼン」がもっとも完成度が高いかもしれない。その他の作品のモチーフは中断されたような形なっていて他の短編(「トニー滝谷」とか)や長編小説などに引き継がれている。意外と「極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹)」(参照)で触れた「海辺のカフカ」に繋がる作品として読めるものがあるように思えた。
この時代の春樹さんは文体が若く、また今の自分の感性からすると稚拙に思える文章も多い。意外と言ってはいけないのだろうが、50歳以降の春樹さんの文体はいわゆる第三の新人の影響のほうが強いのではないだろうか。ネットなどでよく春樹文体のパロディがあるがああいう文体で彼はもう書いていない。
「プールサイド」と「雨やどり」について少し触れておきたい。「プールサイド」は35歳になったある男の独白だ。人生は好調に過ごしているのに、自分が人生の折り返し点と決めた35歳になって、わけもなく泣いたという話だ。話の表面には「老い」というものの抗しがたい力が暗示されるのだが、そこは別の系列の問題意識のようでもある。むしろ、妻もいながら33歳で24歳の女性とした不倫の述懐に本質がある。
彼はその情事を通じてあるひとつの事実を学ぶことになった。驚いたことに、彼はすでに性的に成熟していたのである。彼は33歳にして、24歳の女が求めているものを過不足なくきちんと与えることができるようになっていたのである。これは彼にとって新しい発見だった。彼にはそれを与えることができるのだ。どれだけ贅肉を落としたところで、彼はもう二度と若者には戻れないのだ。
男という存在は、童貞の喪失から、おそらくその九割は、十年近くは女というものに結果的にぎこちなく戦い続けてしまうものではないだろうか(女にも別の戦いはあるだろうが)。そしてふとこの35歳の男のような述懐を持つ。童貞時代あるいは女とぎこちなく性行為を重ねた時代の若さが懐かしいというのではない。「もう二度と若者には戻れない」というのもその喪失を嘆くというのとは少し違う。とても言葉にしがたい何かだし、その時期が過ぎ去ってしまえば、この男のようにもう二度と泣くこともない何かだ。
「雨やどり」は仕事に破れ、不倫の男とも別れた28歳の女がなんとなく売春をする話だ。お金が欲しいわけではなく、自分の性的な存在に対価を男につきつけてみることでひとときの生(ライフ)の充足を得たという話だ。作品は作者の男の視点が強く混じる。
個人的な話をすると、僕も金を払っては女と性交しない。したこともないし、この先とくにしようとも思わない。しかしこれは信念の問題ではなく、いわば趣味の問題である。だから金を払って女と寝る人間をまっとうじゃないとは僕には断言できないような気がする。たまたまそういう巡りあわせになっているだけのことなのである。
単純に言えばそれはかなり嘘だ。趣味の問題ではない。この作品は、山火事のようにセックスがただだった時代があるといったうそぶいたエンディングがあるが、それもまた違う。対価をもって性と関わるようなそういう存在のある種の救済の物語だ。もちろん、それは私たちの表向きの社会とは違う。にも関わらず、春樹さんや私のように金で性を買わない市民的な市民ですらその内奥には同じ文学的な存在が潜んでいる。
最初に買われた、いや売ったときの女の述懐はやや男の視点に濁っているが何かを言い表そうとしている。
男がペニスを抜きとってシャワーを浴びに行ったあと、彼女はしばらくベッドの上に横になり、じっと目を閉じていた。そしてこの何日間かずっと彼女の中でわだかまっていた名状しがたい苛立ちがもうすっかり消え失せていることに気が付いた。
森有正ならその「名状しがたい苛立ち」をアンゴワッス(angoisse:懊悩)と呼ぶのではないだろうか。英語ならanguishだ。森は西洋的な個人の性の内奥にあるものをそう呼び、それを喉が締め付けられるような情感として捉えた。西洋人の存在喪失のような迫力をもつ性欲はしばしば「乾き」ととらえられるが(ちなみにこれはイエスの受難の含みがある)、たぶん、thirstyという感覚はanguishに近い「狭隘」といった感覚を伴うものなのだろう。
こうした感覚はたぶん東洋人にはない。日本人にもあまりない。しかし、個人がその存在の輪郭を深めるとき性の圧倒的な衝動として訪れる。と同時にそれはどかしら、カトリック的な救済の陰影を持つ。
短編には救済というには滑稽にも思えるエピソードがある。
「ねえ」と僕は言った。「もしさ、僕がお金を払って君と寝たいと言ったとするね。もしだよ」
「ええ」と彼女は言った。
「君はいくらって言う?」
彼女は唇を少し開いて吸いこみ、三秒ばかり考えた。それからもう一度にっこりと笑って「二万円」と言った。
僕はズボンのポケットから財布を出して、中に幾ら入っているか勘定してみた。全部で三万八千入っていた。
「二万円プラス、ホテル代プラス、ここの払い、そして帰りの電車賃、そんなもんじゃないかしら?」
実にそのとおりだった。
どこかしら告解のようでありながら、その存在の限界が性の対価として告げられる。そのようにしてしか存在しえないような人の関わりとういものがあり、それが実現しないせによ、私たちの生活の根の部分に、おそらく救済に近い形で潜んでいる。
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コメント
>>弁当翁
はてな村民になる気が無いからこっち汚して御免なさいなんだけど、
>短期的には、分裂君が正しい。短期のスパンは10年くらいだろうか。
>20年のスパンを超えると、「そうでもない」が出てくる。
基本的に分裂さんの意見も弁当翁の意見も良いと思うんですけど、そもそも10年20年スパンでどーにかこーにかなるレベルの話って、BC系企業向けじゃないですかね? BB系企業や旧家農家(←笑)の類だと25~30年、5,60年スパンになったりして、文字通り「世」が支配する感覚になるというか。違いますか。そうですか。
そういう世界観の中に身を置くと、自分自身の存在意義や価値を極限まで下げることが転じて最大利益を生んだりする可能性があるから、意外に侮れませんよ。
私、今まさにそういう路線で生きてるんで凄く実感してますよ。翁はどんな感じですか。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.09 22:08
個人的には、1年でどーにかなることと2年で「そうでもない」と感じること…10年20年で…100年200年で…1世(30年)2世(60年)で…ナントカ時代(江戸時代や明治時代のような、大まかなもの)の変遷について…って、皆同じように感じるんですね。粗雑で無能な脳みそを持つ人ですから。
そんな簡単に人間は進歩しないって前提の視点が自分の中で揺らいでないんで。だから変わんねーって感じです。粗雑で無能で済みませんでした。ほなさいなら。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.09 22:26
↑文体から滲むと言うか、勝手に咀嚼して申し訳ないんですけど
地方の後「開拓者=事業拡張者」世代ってつくづく
>そういう世界観の中に身を置くと、自分自身の存在意義や価値を極限まで下げることが転じて最大利益を生んだりする可能性があるから、意外に侮れませんよ。
こういう感覚に陥りますよね。
だから、機会があったら見ちゃうんだ……金田一とか、村社会系のフィクション。
あっ、本文とあまり関係にない内容ですいませんでした終風先生。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.04.10 17:46
↑拙者馬鹿なんで読解力不足なんで
>地方の後「開拓者=事業拡張者」世代ってつくづく
ここの意味? っていうか「後」って何? の部分がよく分からないので解説キボンヌします。
本文と全然関係ない内容のまま余裕で突っ走っちゃうんですけど、私みたいな無能者がつらつら思うに、自分一代で何かやらかそうなんて無茶を思わなくても「爺ちゃんが土台こさえて父ちゃんがうわモノこさえて俺が舞台でただ踊る」みたいに三代スパンくらい(←ウチは爺・親・子の年齢差が各40年なんで100年単位)に気永く考えてると…自分自身の価値を最大限高めて社会の皆様に役立って銭ゲットだぜウハハ~とか芸人みたいなこと思わなくても、最低限犯罪者や大悪人にさえならなきゃそれでいいよとか財はあるんだ無茶に減らさなきゃ勝手に増えるんだ、てな感覚が支配的になるんですわ。
端的に言えば、どーせ持ち家だし、とか。父ちゃんの年金入ってくるし、とか。父ちゃん母ちゃん俺でコツコツ働いてりゃ各15万前後の収入でも足せば45万逝くし、とか。俺が無茶な欲出さなきゃ勝手に貯蓄増えるし、とか。これで働き者の嫁さんでも来れば少なくとも財政面は今以上に健全になるし、とか。姉ちゃんの婚家や親戚との交流をキチンとやってれば何らかの形で助け合いするから(古着やおもちゃの使い回し的なレベルからコツコツ倹約やってれば)余計な出費は一切ないし、とか。結果的にある程度の財力が身に付いたところでガキに出来物でも出ればソイツに集中投資して頑張って貰えばいいし、そうじゃなければ一旦欲を抑えて家族全員でコツコツやりくりやってればそのうち海路の日和が来るでしょう? くらいの按配。
欲を抑えるか無くすかして平々凡々やってるだけで、元気に生きれば生きただけどんどん地力が付くような状態に我が家の状態を保ってるんで、欲の無い現状こそが即ち最強(但し我が家レベルで)って感じなんですね。
村社会系? とは、また一線画してる気もするんですよ。我が家で言えば、親戚付き合い姉弟付き合い以外の…いわゆる「村社会的な付き合い」は面倒くさいだけで一切利が無いから、逆に可能な限り断ってるくらいですし。よそんちでも断りまくりで我関せず系の家は結構多いですよ。最近とくに。世相なんでしょうけど。
田畑とか山林とか最低限の領地を持ってある程度現金収入の途を確保してれば、もうその時点で太ることはあっても痩せることが無いって感じです。そういう境遇にあると、欲は身を滅ぼす素でしかないんですな。そこいらへんが、都会で銭と欲にまみれる生き方とは根底から違う。じゃなかったら、客観的にワーキングプアな私の年収(貧乏派遣社員で200万ちょい←死ねよ貧乏人www)で1000万貯蓄(←爆笑)とか出来まへん。家族全体だと、もうちょっとあるかな。どっちでもいいや。知らんし。
人付き合い云々なんてのは根本的に関係ないんですわ。むしろあるほうが先々の障害要因が増えるだけ損。です。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.10 20:22
我が家の現状において唯一最大の問題点は…寡欲で働き者の嫁が来ないってことですかね? タダの嫁候補なら幾らでも居るんですけど、寡欲で働き者ってことになると…途端になり手が居ないと言うか。容姿不問にハードル下げても中々居ない。昨今女性の自立と社会進出が目覚しいですから。我勝ちに突っ走りまくって思い通りにならないことは全部駆け引きでひっくり返しちゃおうって根性のワガママさんが増えて困ってるんですね。お顔もスタイルも申し分無いんだけど我欲我執に汚さ過ぎてアウトだわ~、って感じ。向こうが望んでるんだけど俺がアウトってケースが多くてね。逆に、私が望んでも向こうがアウト、とか。←それは私に魅力と甲斐性が無いだけなんですけどwww
我が家の生活スタイル・システムにただ乗っかりさえすれば、真面目に働いた分だけ確実(?)に豊かになるんだよ? って部分と。先方がどれだけの豊かさを欲しているのか、の部分にギャップ有り過ぎって感じですかね?
消費者になるな生産者たれ、って考え方自体が通用しなさそうな、そういう手合いが昨今増えてると感じます。昨今女が強いと言うよりは、単に欲に狂ってるだけのような感じですか。違いますかそうですか。ほなさいなら。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.10 20:44
ええっとですね、まあ「家業手広くするって言ったって、もう爺ちゃん父ちゃんの代でやりつくされた感があるし、反発があって土地替えって言っても元手のレートがよろしくないし(これは僻みかな)、変に自立心を強くしても仰るような芸人の顛末っぽいし、勤め人も冗談みたいな負担に何が見合うんだか……と、例え落ち目になってもそれなりの家業があると実際どうも計算が働くようになって何も始められない」
――そんな感覚ですよ。外内どっちを見ても斜に構えちゃう性分なら「“ただ”働いて、余計なことは何も始めなきゃいい」んですけどね、
ほら村社会人って中々若者に無茶苦茶な期待をするじゃないですか?
「えっ、張り合ってる?」みたいな。自分達の代の断念を贖う為にどっか不思議ワールドから遣わされた才能ある人かのように、それなりの肩書きを子らが持たなかったら不安で仕方がないっていう。理解はするけど……
村に限った話ではないでしょうが、地方は板ばさみ効果が酷いなあと。当人の「そんなもんだ」の了解が周囲との合意に至るまで長い長い。
スイマセン、途中から完全に僕の話……ボヤキですね(汗)
そうだ、この上説明を重ねてもクドイと思うので、(覚えてらっしゃるか分かりませんが)思い切って言っちゃいましょう。
僕、切隊さんとこのlemoonです。
概ね噛み付いてたアノ頃の頭のままですから、思うところありましたら気兼ねなくドウゾ。
あっ……またやってしまった。終風先生ゴメンナサイ。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.04.10 21:22
↑基本的に誰でもいいです。とか言っちゃったら人格権蹂躙ですか? 蹂躙してたらご臨終ならぬご蹂躙ですか。駄目ですか。どっちでもいいです。すいません。思い切って言っても言わなくても多分(少なくとも)私の受け止め方は変わらないんですいません。
>――そんな感覚ですよ。
概ね、私もそんな感覚ですよ。
>ほら村社会人って中々若者に無茶苦茶な期待をするじゃないですか?
しますねえ。私の場合は5歳の時から「将来は公務員になって綺麗な嫁さんを貰って一刻も早く初孫の顔を早く見せてくれ」でしたね。 無 理 だ っ ち ゅ ー の !! 身 の 程 弁 え ろ っ ち ゅ ー の !!
親譲りの身の程知らずが見事開花して、今日も元気に人様の庭先汚してます。おもむろに死ねって感じ? 残飯爺ちゃんゴメンね? 誰だよそれって感じ?
>地方は板ばさみ効果が酷いなあと。当人の「そんなもんだ」の了解が周囲との合意に至るまで長い長い。
ある程度の辛苦を舐めて財産を築いた家の子ってのは、何処逝っても似たようなもんかと思いますね。親の気が強けりゃ尚のこと。都会田舎に縁らんというか。知力体力(とくに体力)に恵まれてないと、親の期待感そのものが子を押し潰す結果になるんですな。人と張り合う前に親と張り合わなきゃならん。そこから自分なりの途を見つけて頑張るのは、中々大変なことだと思いますよ。多分。
私んちに限って言えば、何だかんだで推定500年くらい続いた旧家で本家で惣領家で元大地主の大嫡男様(←冷笑)で100年くらい前に4代前の当主がアホで家潰して後家の曾祖母と祖父と祖母とで必死こいて働いて旧領復帰して父母の代で旧領幾分回復してさぁ私(野ぐそ)の代だってことで、多分…通常一般のご家庭の数層倍くらい期待感大きかったですから。女ばっかり3人続いて10年遅れで嫡男生誕ですし。そら喜ぶわ。そんで子供の頃無駄に賢くてプチ神童扱いだったりしたもんだから…今となっては最低最悪の運の悪さとしか言いようが無いんですけど。なんてこった。
逆に言うと、そういう経験体験があるからこそ、プレッシャーに押し潰されない(?)強靭な精神性(笑)が身に付いた、とも言えますね。ある意味親に感謝です。ホントに結果論ですけど、だからこそ今みたいな苦難の時代(笑)に見事適応できて、ある意味最先端っちゅーか。
>外内どっちを見ても斜に構えちゃう性分なら「“ただ”働いて、余計なことは何も始めなきゃいい」んですけどね、
そういうスタイルに慣れちゃいさえすれば、実は最強ってことです。世の金持ち連中が「金持ってるくせにケチ」ってのは、根底にそーゆーセンスが横たわってるからだと思いますよ。それなりの苦労を積んでるんですよ。きっと。
世間一般では、そういうのを「井の中の蛙」とか「夜郎自大」とか「扱いにくい難物」とか「偏屈者」とか「負け犬の癖に図々しい」とか言うんでしょうけどね。多分。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.10 22:12
今どき5億10億ただ積んだからって何が出来るわけでも無い程度に世の中進んじゃってますから、一家総出でコツコツ頑張って高々数千万程度の資産こさえましたなんて、心の底からどーでもいいことですよ。木っ端か虫ケラみたいなもんですわ。
銭や出世や仕事の出来不出来なんてのは、どーでもいいことなんですわ。(実際のところ無茶苦茶心配な人間であっても)俺が居るから心配するなって言い張れる人間で有りさえすれば、それだけで一族郎党皆幸せなんですよ。私自身は、そういう役割に徹してさえすれば、それでいいんです。後は知らんです。
明日から次姉(45)が孫(4月2日出産)連れて帰ってくるんで、また忙しくなりそうですな。姉ちゃん心配すな、わし等がキッチリ面倒見ちゃる、って胸叩くのが我が家の仕事ですわい。私は我が家の管理人。そんだけでしょ。
ただただ前向きに生きることだけが、我が家に遺された最後の遺産って感じですかね?
投稿: 野ぐそ | 2008.04.10 22:31
>基本的に誰でもいいです。とか言っちゃったら人格権蹂躙ですか? 蹂躙してたらご臨終ならぬご蹂躙ですか。駄目ですか。どっちでもいいです。すいません。思い切って言っても言わなくても多分(少なくとも)私の受け止め方は変わらないんですいません。
そうでしたね、そういう人でしたね。貴方は(笑) 蹂躙云々は、どうせ仮名(かめい)なのでお気になさらずに。というか、人の庭で勝手をする自分に人格権なんて仰々しく主張するものはないですからね。
さて以下について
>世の金持ち連中が「金持ってるくせにケチ」ってのは、根底にそーゆーセンスが横たわってるからだと思いますよ。それなりの苦労を積んでるんですよ。きっと。
世間一般では、そういうのを「井の中の蛙」とか「夜郎自大」とか「扱いにくい難物」とか「偏屈者」とか「負け犬の癖に図々しい」とか言うんでしょうけどね。多分。
「ソレしかないんだろう……」と多少なりとも共感の生まれないのが不思議です。空気読んでるのかもしれないけど、ソコは声に出して弁護してやれよと。難しいことですが。「冒険者たち」って有名映画の(原作者が監督した)姉妹作の邦題に「生き残った者の掟」という素晴らしいのがありますけど、正にそういう感じですよ、例えば地主の息子の顛末なんて。結構見てきた経験から言えば、本当に掟のように締め上げるんだ。握り拳で打ち付けたくなるものはイコール好いてて好かれたいものでもあるから、堪らないんだ。アレは。
勤め人にない心境とは思いませんがね。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.04.10 22:56
んで、そこらへんの「掟」の部分だけが特化極化すると…ザ・ヤクザになっちゃったりするからアラ不思議って感じですかね。ヤクザな渡世の方々と我が家のセンスってバッチリ咬み合っちゃうんですね。途中まで。うちはどー見てもどー考えても単に気のいい零細貧乏農家なんだけどね。
葬式・法事の出席が何より大事とか(だりー)。身内の世話は一家の主(俺? …ヤダよ~)が最後まで責任持つとか。祝儀の類は奮発しろとか(勿体ねー)。馬鹿でもクソでも親(親分)の意見は絶対とか(めんどくせー)。見込んだ相手は絶対見捨てるなとか(ヤダよ死ねよ馬鹿~)。
普通にいいことばっかり言うんだけど、それを全部達成するとなると…ヤクザになるしかネーだろそれじゃあ!? って感じ。適度に掟破りの方が、よっぽど真っ当ですよね。
>ソコは声に出して弁護してやれよと。
やだよ。事実を糊塗して何になるんだか。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.10 23:42
↑イヤ、「イケヤセン、おやっさん」は大前提ですよ。
叩く前に、って話で。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.04.11 00:10
や だ 。
投稿: 野ぐそ | 2008.04.11 01:21
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投稿: | 2008.04.12 02:20
投稿: けろやん。 | 2008.04.12 06:58
こちらには久しぶりにコメします。
ある時から村上春樹が苦手になったのはなんでだろうと思っていたのですが、もしかしたら「カトリックの告解」的ななにかを感じるからなのかもしれなく、そして男の持つその性のそういう部分がやはり他者的なことゆえなのかもしれないなと気づかされました。
読んでいて煩わしくなってきたんですよね。
まぁ読者であることをやめたのは個人的な体験もあったからなんですが、今となってはもう一度復帰したいとあまり思わぬ村上春樹は、もしかしたら殿方にしか判らないものかもしれなく、どこかで知ってはいけない、あるいはそっとしておいてあげたい世界なのかもと思わなくもないです。告解とはそういう性質のものだったりしますし。。。
ただ、国境の南・・とかいう作品を最後に読んでいないので最近のはわかりません。
投稿: あんとに庵 | 2008.04.12 15:49