短編小説 2008年のダライ・ラマ6世
短編小説 2008年のダライ・ラマ6世
きのうマックでリナと話していて、「ねえ、アリサ。チベット弾圧ってひどいよね」と言われた。わたし、世界史は好きだけど、そういうことはよくわかんないと答えた。リナはいろいろネットで仕入れた話をしてくれた。そのせいで夢にダライ・ラマが出てきたんだと思う。
彼、瀬戸康史みたいな感じでけっこう美形だった。だれ?きみ?ってきいて、「いちおう、ダライ・ラマなんだけど」って彼が答えたときはびっくりした。まさかね。服装はそれっぽいけど髪長いし。
「ダライ・ラマってさ、十条駅前とかにいそうなオッサンっぽい人じゃないの? それとも若いときはこんな感じ?」
「いまのダライ・ラマは14世で、ぼくは6世」
「ひいお爺さんのそのまたひいお爺さんくらい?」
「ダライ・ラマって結婚しないし、子どももいないんだ」
「童貞はガチ」
「ぼくの場合ちょっと違うんだけど、輪廻転生って知っているよね」
「生まれ変わり。ダライ・ラマって生まれ変わるってリナも言ってた」
「そこがわかってもらえると話が早い」
「でも変。あのオッサンのダライ・ラマに生まれ変わっているなら、ここにいるきみって矛盾してない?」
「ぼくはちょっと例外」
「輪廻転生の例外?」
「そう。ダライ・ラマは確かに転生したんだけど、ぼく的な部分が残ってしまったんだ。ワインのオリみたいな感じ」
「ワインのオリ? オリにワインが入っている?」
「そうじゃないけど。未成年はお酒飲まないか」
「ダライ・ラマのオリがどうして、わたしの夢に出てくるわけ?」
「ちょっと気になって。チベットの人のこととか、きみのこととか」
「チベットの人が気になるのはわかるけど、どうして、わたし?」
「よく似てるんだよね、恋人に。なんど恋愛しても似た人好きなるっていうじゃない」
「あのさ、チベットはけっこう悲惨なのに、すごい不謹慎な話してない?」
「そうかもしれない。ごめん。ぼくってだめなんだよね」
「マジ反省されても困るんだけど。ところでなんでダライ・ラマのきみは現代までいるの」
「いろいろ気になって。この世に心を残していると成仏はしないんだよ」
「チベットの人のことも気になるわけよね」
「もちろん。平和であってほしい」
「きみは霊界に何年いるの?」
「殺されたのは1706年だから、302年前かな」
「殺された?」
「暗殺」
「誰に?」
「中国人かな」
「中国人ってひどい?」
「そう単純な話ではないよ」
「ところでこれって夢の中のこと? なんだかわたし眠れてないって感じがするんだけど」
「厳密には夢とは違うかもしれない。フォーカス18くらい」
「フォーカスって?」
「悪い冗談。ちょっと実体化していい」
「いいよ。寝れない感じだし。きみ、生理中に襲ってきそうなタイプじゃないし。あったかいミルクでも一緒に飲む」彼はうなづく。「それから話を聞こうじゃない。むずかしい話って眠くなりそうでいいし」
![]() ダライ・ラマ六世 恋愛彷徨詩集 |
「モンゴルにハルハ部族が暮らすハルハという地域があって、ぼくが転生してくる前だけど、財産のこととかでもめていた。そこで仲裁役に、当時中国を清朝として征服していた満洲族の王様、愛新覚羅玄燁(アイシンカクラ・ゲンヨウ)王が頼まれた。なぜって彼は昔モンゴルを支配していたチンギスハーンの王朝を継いでいるからね」
「中国の王様が仲裁に頼まれたわけね」
「漢民族の王様じゃなくて満州族の王様なんだけどね。仲介役を頼まれたゲンヨウ王は、じゃあ話し合いで解決しましょうということで、ハルハ部族が信仰している宗教、チベット仏教の会議を開くことにした。そこでぼくのひとつ前の転生のダライ・ラマ5世も当然そこに呼ばれた」
「それで」
「話し合いはうまく行かなかった。派閥問題が起きた」
「派閥問題?」
「チベット仏教に対立するグループがあったんだ。ダライ・ラマのゲルク派というのとサキャ派というのと」
「ダライ・ラマが一番偉いんじゃないの?」
「そう言ってくれると、ぼくはうれしいんだけど」
「でも、きみは例外」
「この会議で、ダライ・ラマの信者だったオイラト族の王様ガルダンが怒った。ダライ・ラマが尊敬されていないと思ったし、彼の弟が暗殺されたりもした。ガルガン王は戦争を起こしてハルハを制服してしまった。逃げた人たちは満州族のゲンヨウ王に泣きついた。それで今度はゲンヨウ王とガルダン王の戦争になった。なんとなく中国対チベットの戦争みたいに見えるんだけど」
「どっちが勝ったの?」
「ゲンヨウ王。壮絶な戦いだった。それでゲンヨウ王はチベットを恐れるようになった。そのころぼくはもう転生していた。ガルダン王が戦死する前に実はこっそりダライ・ラマ5世は死んでいた。ぼくがダライ・ラマの生まれ代わりって知らされたのは14歳」
「中二病の最中」
「恋愛とかしたし、ワインも好きだった。でもそういう話は中国人がぼくを堕落した人に見せかけるために作った伝説だという人もいる」
「ほんとうはどうなの?」
「人の見方によるんじゃないかな。ぼく自身は人の噂とかけっこうどうでもよかったりして」
「そういうもん?」
「慣れたし、もっとひどいこともあった」
「暗殺されたんだっけ。誰に? なぜ?」
「具体的な相手はわかんないけどね。ぼくのダライ・ラマとしての自覚が足りなかったからいけないのかもしれないけど、チベットのごたごたにつけこまれて、オイラト族の別の王様、ラサン王が攻めてきた。ぼくを捕まえて北京に送るというんだ。そうしたらチベットの人たちが集まってぼくを奪回してくれた。でもぼくは、そこからも逃げた。そして暗殺された。24歳のまま」
「なぜ逃げたの?」
「ぼくのためにチベットの人が争って傷ついてほしくなかったんだよ。っていうか、そのとき、ぼくはダライ・ラマなのだから自分のいのちより人々の平和を願おうと思った」
「偉いんだね」
「ぼくの死後、ラサン王は別の人をダライ・ラマ6世としたんだけど、チベットの人たちは認めなかった。ぼくが暗殺されたのも信じなかった。それからラサン王も別の戦争で死んで、こんどはゲンヨウ王がダライ・ラマ7世を立ててチベットに送った。その後、チベットは清朝に保護されるようになった」
![]() 皇帝たちの中国 岡田英弘 |
「違うよ。それに清朝は満州族の王朝で、漢民族の王朝じゃない」
「でも、今の中国はそういう言ってチベットを征服したんでしょ?」
「それが正しいなら、満州族の王朝はモンゴルの王朝を引いているから、今の中国はモンゴルの一部になるよ」
「そういうもん? 違う気がするけど」
「みんなが自分の文化を大切にして生きて行ければ、そんなことはどうでもいいんだけどね」
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コメント
「今日の私はアリサちゃん@弁当」
「お友達はリナとダラリマラ、でも此処は日本」
王が居ようと居まいと人は争いますな。
でもホットポイント無く、のんべんだらりと衆愚で何時までも争うよりは、旗の下に落ち着きある人を集めて今日と未来を作って欲しいですね。
人集団は過去から自由には成れませんから、チベットもチベットの歴史・文化の上にしか未来はないと思うんですが。
漢人は力技でどないかする気なんでしょうかね?
投稿: ト | 2008.03.18 23:47