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2008.03.30

[書評]にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)

 最近になってもイザヤ・ベンダサンと山本七平の書籍復刻が続く。死後随分経つのに読み継がれるものだなと思う(反面、ネットでは強烈に嫌われていて私のような愛読者にもとばっちりがくる)。

cover
日本教徒
にっぽんの商人
イザヤ・ベンダサン
山本七平
 本書、「にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)」はデータベースを見ると一度文庫本(参照)となり山本七平ライブラリーでは「日本教徒」(参照)に収録されている。最近の復刻はなさそうだが、古書を気にしなければまだそれほど入手が難しい本ではない。私が手元にもっているのは、昭和五十年のハードカバーの初版だ。愛着の深い本だ。ただ、この本は紹介するまでもないなかという思いもあった。というか、他のイザヤ・ベンダサンの本や山本七平の本についても、わかる人が大切に読めばそれでいいのではないかという感じもしている。
 書棚から取り出してぱらぱらとめくってみて今思うと、この本については、イザヤ・ベンダサンの著作というより、概ね山本七平としていいだろう。理由は後で触れるかもしれない。私は長い間、イザヤ・ベンダサンと山本七平の本を読んできたので、どのあたりにホーレンスキーなどの着想が入っているかだいたいわかる感じがするようになった。山本は尾籠なユーモアをするがホーレンスキーが色気のあるお下劣テイストがある。山本は日本人に敏感だがホーレンスキーらはある種の政治的な思想を隠し持っている。
 本書をエントリのネタにしようかと思ったのは、うんこことハナ毛こと野ぐそさんが昨日のエントリに、どっちかというとエントリに関係の薄いコメントだが、こう書かれていて、それもそうかなと少し思ったからだ。「弁当爺」は、finalvent(ファイナルベント)のベントを弁当にかけ、私が50歳なので爺としたものだろう。もう少し上品だと終風翁くらいにはなるか。

>弁当爺さん

 今の世相にあった人選品評をするのもいいけど、江戸時代あたりの商家の身の処し方を今一度掘り起こして、金と商売の伝手「だけ」持った人間が経済崩壊・低成長時代に入ったときどう生き延びたかを解説してあげれば、それはそれで今を生きる人たちの参考程度にはなるんじゃねぇーの? って感じなんですけど。少なくとも、ここの読者さんには十分参考になるでしょ。小金持ち多そうですし。


 そこで、本書「にっぽんの商人」を思い出した。ただ、野ぐそさんの意に沿うかはわからないし、そうした処世術的なものとは違うかもしれないが、私はずっとこの本の次のエピソードを胸に秘めて生きて来た。
 原文は江戸時代の庶民の文章とはいえ、古文なので読みづらいところが多いので、私がざっくり現代語にしてみようと思う。こういう話だ。

 江戸時代に商人、仁兵衛(じんべい)さんがいた。商才のある人で商売は繁盛し、いずれ店を子どもの甚之介(じんのすけ)に継がせようとして、厳しく育ていた。甘やかさず、行儀もしこみ、衣服も質素にさせ、甚之介が9歳になってからは他の雇い人と同じように商売の初歩を厳しく叩き込ませた。
 ある年の暮のこと、9歳の甚之介にお歳暮の配達をさせた。長男だから親の代わりにもなる。ただ幼いので一人だけでは難しいだろうと大人の店員を付き添わせた。
 お歳暮配達のポイントは、平成の現代でもそうだが、品物に付ける名札である。現在ではお歳暮にくっついていることもあるが、当時は、お歳暮はお歳暮、名札は名札。手渡しするときに名札を載せるということだった。そしてそれを一式、お膳のような台に載せて、お客様に渡した。
 手順はこうなる。届け先の門前で付き添いの店員がお歳暮の荷を降ろす。お歳暮をお膳のような台に載せる。そして店員がふところのポケットから名札を出してお歳暮に載せて、台ごと甚之介に手渡し、甚之介はそれを手に持って届け先の家に入る。家から出たら、甚之介と店員は門前で、その家の人から載せ台を返却してもらうのを待つ。
 事件が起きた。ある家の前で、店員がしくじって名札を載せるのを忘れたのである。甚之介もそれに気づかず持っていってしまった。店員が気が付いたときはすでに甚之介は家から出てきたところだった。
 店員は真っ青になったが、9歳の甚之介は平然としていた。「いい考えがある」と言って、載せ忘れた名札を手に取り中庭に入りぽいと落とした。
 そしてその家の人から台が返却されるときに、「おや、これは落ちた名札ではありませんか」と言って、先ほど落とした名札を指さした。
 家の人は「これは失礼しました。先ほどのお歳暮に載せておきましょう」と言い、名札をもって家に戻った。
 付き添いの店員は、さすがは主人仁兵衛の息子だけある。9歳にして大した知恵があると感激して、店に戻るや同僚に「甚之介様はすごい」と話してまわった。
 話は、父仁兵衛の耳にも届いた。

 同書では、いったん、話が中断される。


 ここまで読んで、読者は、何を感じ、また仁兵衛がその息子をどうしたか、予測できるであろうか。予測のあたった人は、徳川時代の商人――といってもこれはやや理想像に近いが――の道徳的水準に達しているわけだが、私のみるところでは、そういう人は今では少ないではないかかと思う。

 ここでこのストーリーのエンディングを少し考えてほしい。
 仁兵衛はこの9歳にして知恵者の息子、甚之介をどう扱ったか?

 ストーリーの展開からすれば、叱責したと予想は付きやすい。
 では、どう叱責し、どう処分したか。そこがこの物語のポイントだ。

 では解答。

 父親仁兵衛は、もっとも信頼のおける番頭(店員)を呼び、こう言った。
 「もはやこの息子には、店を継がせるわけにはいかない。自分の失態を、お客様の仕業にしたてるような悪知恵が働くとは許し難い。しかも、わずか9歳でこんな恐ろしい悪知恵がはたらくとは成人してからが思いやられる。大悪人になりかねない。親不孝をしでかすまえに、私の祖先の田舎に送って畑仕事でもさせ、15歳になったら勘当(親子の縁を切ること)しよう。店は娘によい婿を取って継がせるしかあるまい。」
 番頭はなんとか、甚之介を許してやってくれと頼んだが、仁兵衛は譲らなかった。

 当たりましたか?

 仁兵衛には商人の生き方があった。


彼にとって商人とは、絶対に、甚之介のような知恵を働かす職業ではなかった。この知恵は彼の目にはおそらく疑似武士道的な、また勧進帳的な悪知恵としてかうつらなかったのだろう。そういう行き方をすれば、商人には破滅しかないと彼は信じて疑わなかった。


しかし商人には「目的は手段を正当化する」という考え方はない。なぜなら、商人の目的は利潤の追求であり、それはただ社会的に正当な手段においてのみ許されること、その正当性を失えば、商人が存続しえなくなることを彼らは知っていた。商人においては「手段が正当な場合にのみ、目的が正当化される」のである。このことを江戸時代の町人は知っていた――おそらく今の日本人以上に。

 ついでながら、この「今の日本人」とは昭和40年代の日本人のことである。
 本書の著者「イザヤ・ベンダサン」は、本書の終わり近くこう問い掛ける。

 以下の言葉は、皮肉と考えないでほしい。外部から見ていると、日本とは、広い意味の商行為に従事するもの、いわば広い意味での商人だけが、国際間にあって、全くひけをとらずに大活躍しているが、他には、何も存在せず、商人以外は全く無能な人たちの国のように見えるのである。日本は軍事ではなく実は「商事」に関する限り、明治以来、不敗であったといってよい。そしてこの「商事」が敗北した如くに見えた場合も、実は、日本国内の他の要素、たとえば軍事が商事を妨害した場合に限られるのである。
 この事情は今も変わらない。日本には国際的指導力をもつ政治家がいるわけではない。また世界の世論を指導する言論機関があるわけでもない。日本の言論機関は、国内では大きな発言力をもっているように見えるが、国際的には沈黙しているに等しい。また世界的な指導力をもつ思想家がいるわけではない。外部から見ていると、日本には思想家は皆無だとしか思えない。政治において、国会は不能率というより麻痺しているように見え、外交は稚拙の一語につき、だれもこれを自国の模範にしようとは考えないであろう。


 各人が静かに自問されればよい。一体日本に何があるので、世界は日本に注目し、日本を大国として扱い日本の動向に注意を払い、日本に学ぼうとするかを。いうまでもなくそれは日本の経済発展であり、それ以外には何もないのである――この言葉を、たとえ日本人がいかに嫌悪しようと。


 そして日本の経済的発展は、原料を買い入れて、下請けに加工させて、製品としてこれを販売した徳川時代の町人の行き方を、国際的規模で行うことによって、徳川時代の町人が富裕になった同じ方法で達成されたのであった。そして日本で国際的評価に耐えうるもの、というより高く評価されるものは、これを達成した「商人」しかいないのである。

 これを言っているのは山本七平だろうか。
 山本は後年、勤勉の哲学として日本の成功をその勤勉のエートスに結実させた。「イザヤ・ベンダサン」はその思想をどう見ただろうか。
 私には、少し違いがあるように思える。
 しかし、本書には後年の山本七平につながるその人がこっそりと顔を出してもいる。近代天皇制国家に向かう明治維新の心性を町人の思想に対比させてこう語られる。

明治維新は「市民革命として不徹底であった」という考え方は、まことに不徹底な見方といわねばならない。初期の「志士」たちの考え方は、もちろん西欧の影響もなく日本の町人思想の影響もなく、むしろ彼らが考えた「朱子的秩序」を理想とする一種の「空想的疑似朱子的秩序化文化大革命」とでもいうべき、非常に特殊なものだったからである。
 西洋史の概念を、そのまま彼らの思想行動にあてはめることはできない。これは町人思想から見れば、恐るべき逆コースであり、徹底した復古反動思想であった。しかし彼らは、それに対して「思想闘争」を行おうとは全く考えなかった。諸人が口を揃えて、今の秩序は「にせものだ」「にせものだ」と言うなら、それは言わせておいて一向に差しつかえなかった。新しい舞台の幕があいて新しい『勧進帳』が演じられるなら、その興行主は、自分たち以外はないことを知っていたからである。
 確かに彼らのおもわくははずれなかった。疑似朱子的秩序の信奉者(もしくは信奉者をよそおった者)は、西郷と共に城山でその政治的権力を失ったが、彼らの亡霊はその外形を変えて主として日本の軍部とその同調者にうけつがれ、約半世紀後に、日本人全体に一種の復讐をする形となった。彼らは太平洋戦争の終結と同時に一応消えたように見える。しかしおそらくでに新しい装いで再登場しているであろう。

 イザヤ・ベンダサン名でホーレンスキーとの対話をネタに本を書いているとき、山本は著作家になろうとは思っていなかっただろう。後年、この課題を「現人神の創作者たち」(参照上参照下)に結実させたのは、ある意味で偶然であったかもしれないし、死に切れなかったがゆえの戦いが生涯続いていたからかもしれない。

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コメント

>弁当爺

 いかなる事情があっても「野ぐそ」ごときを本文中に潜り込ませる事罷りならんことです。弁当屋が客に出すのは「食材」であって「野ぐそ」では断じて無いからです。手を洗わずに握る寿司屋は死ねと。そんな感じ。

>野ぐそさんの意に沿うかはわからないし、そうした処世術的なものとは違うかもしれないが、私はずっとこの本の次のエピソードを胸に秘めて生きて来た。

 引用したエピソードは当にその通りなのでピタリ賞で激賞。良かったね。クソ野郎。

投稿: 野ぐそ | 2008.03.30 20:18

 理想像と現実は何かと食い違うものだから、仁兵衛さんのようにキチンと「話」になるケースもまた少ないんだろうけど…。そこで現実に流されるか理想を追い求めるかで人間の生きる意味や価値って決まると思うのね。

 価値の高い人間は、どんな処でどんな仕事をやってても、偉いんよ。馬鹿でもクソでも偉いものは偉い。溝を浚ってようがゴミを漁ってようが爺婆のクソを摘まんでようが、偉いものは偉い。偉いヤツが出世するのは当たり前。そんだけのこと。

 昨今で言うと彫り衛門とか村上世影とかネット発面白書籍&ドラマ(電車男とか恋空とかきっこ日記とか鬼嫁日記とか)やp2pや金玉ウイルスやニコニコ動画あたりの流行り逝く行く末を見てると…世の中ほどよい加減で腐ってますなぁって思うのよ。それもまた人の常かと思うんだけど。

 あーゆった行為は禁じ手に属する行為だから、儲かると解ってても絶対やらないのが「常識」ってもんだと思うんです。安っぽいクイズ番組様がおっしゃる「常識」とは意味が違う。(たとえば)人間見た目じゃないんだよ? って言われて直ぐに外見基準で因縁付ける、そういう意味での「見た目」じゃないんだよ? ってことが解ってないかはぐらかされてる日本人、随分多いような気がしますね。

 多分、今のご時世仁兵衛さんの末裔は「解ってないかはぐらかされてる日本人」に成り下がってるんじゃないですかね? 何となく。

 純情すぎても、駄目なんだ。多分。

投稿: 野ぐそ | 2008.03.30 21:29

ルールの枠内で勝負するのが良い。これは絶対守るべき。ルールがおかしい場合は、あくまでも手続きを踏むべき。それができないと権力は扱えない。すぐに暴走して自滅します。

投稿: double | 2008.03.30 22:06

>商人の目的は利潤の追求であり、それはただ社会的に正当な手段においてのみ許されること、

利潤が許されているのは、他者の利潤からなのでは?正当な手段というものは処世術的なもの?と考えてしまいます。

もう少しご説明頂ければ。信じたくあるんですけどね。

投稿: cli | 2008.03.31 01:32

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