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2008.03.07

リヒテンシュタインについてのつまらない話

 リヒテンシュタイン関連で日本にも愉快な話題が出てきそうな感じもするし、とするとあのあたりから出てきそうかなという察しもすでにあるのかもしれないが、それはまた次の物語である。というわけで備忘を兼ねてベタなリヒテンシュタインについてのつまらない話でも。
 リヒテンシュタインといえば、アンディ・ウォーホールらとともにポップ・アートの代表的な画家だというべたなギャグかましてしまいそうになるが、ついユダヤ人名が連想される。が、リヒテンシュタイン侯国とは直接関係なさそうだ。
 リヒテンシュタイン侯国(Furstentum Liechtenstein)は、スイスとオーストリアに囲まれた小国である。人口3万4千人。領土は160km2。ちなみに八王子市の人口が56万7千人、面積が186km2なので、八王子の人口が10分の一以下に減少して独立すると同じようなものができる。たぶん。ちなみにウィキペディアには書いてないが、リヒテンシュタイン侯国の人口中40%が外国人。領土の60%以上は山岳地帯。青梅市を映画看板産業で活性化して独立したほうがよいかもしれない。もっともリヒテンシュタインの1人当たりの国民総所得は4100ドルを越え日本を上回る。
 公用語はドイツ語。方言っぽいらしい。国教はカトリックで人口の76%ほど。プロテスタントは7%。イスラム教が5%ほどいる。国歌は、「若きライン川上流に」(参照)だが、ウィキペディアにあるように「この詞を、イギリス国歌女王陛下万歳と全く同じメロディーで歌う」。ま、いんじゃないの。
 首都はファドゥーツ。非武装永世中立国を自称しているがスイスの保護国。なので、スイスのカントンの特殊な形態かというと、文化的にはオーストリア。スイス国民はリヒテンシュタインに文化圏的な共感はそれほどもってない。これには歴史的な経緯もある。
 日本的にはカリオストロの城的なイメージになるが、リヒテンシュタイン侯国というように侯の国。猴の国ではない。高校博士弾というやつだ……公侯伯子男だ。ウィキペディアによると(参照)。


 リヒテンシュタイン家の当主の称号(英・仏:prince, 独:Furst)は「公」とも「侯」とも訳される。一方、同じ称号であるにも関わらずモナコの場合には「大公」と訳されることも多い。
 この称号は、イギリスやフランスでは公(英:duke, 仏:duc, 独:Herzog)よりも上位の称号となっている(そのためしばしば「大公」と訳される)。それに対し、近代ドイツの爵位体系では一般に公の下位、伯(英:earl, count, 仏:comte, 独:Graf)の上位に置かれることが多い。ドイツには外国の侯(英・仏:marquis)に対応する爵位として辺境伯(英:margrave, 独:Markgraf)や方伯(英:landgrave, 独:Landgraf)や宮中伯(英:count palatine, 独:Pfalzgraf)があるが、いずれも「侯」とは訳さないため、公と伯の間にあるFurstを「侯」と訳すことが多いからである。なお、神聖ローマ帝国においてFurstは諸侯を意味し、称号ではなかった。例えば諸侯のうち、皇帝(ドイツ王)の選挙権を有する者は「選帝侯」(英:prince elector, 独:Kurfurst)と呼ばれる。

 日本風公侯伯子男はドイツ系の誤訳っぽい。で結局なんだなよだが、まず、「リヒテンシュタイン公国」という表記は戦後日本新聞の当て字らしい。なので侯爵様といっても日本語の語感ではよくわからない。歴史を見ていくしかない。
 で、歴史。ウィキペディアをみると、「1699年 ヨハン・アダム・アンドレアスがシェレンベルク男爵領を購入」から始まっている。そりゃな。2月25日のニューヨークタイムズ”Liechtenstein’s Friendly Bankers(リヒテンシュタインのフレンドリーな銀行家)”(参照)もこう書き出している。そりゃな。

History records that the Liechtenstein family began purchasing the lands that now make up the tiny European principality in 1699 to secure a seat on the council of the Holy Roman Empire. It was several decades before any prince of Liechtenstein actually set foot in his fiefdom. That was the first use of the Alpine hideaway as an address of convenience for powerful Europeans.
(歴史によると、リヒテンシュタイン家が神聖ローマ帝国議会に列席するために、土地を購入し始めたのは1699年のこと。その土地が、現在では欧州内のちっぽけなプリンシパリティをでっちあげている。実際に、プリンシパリティを有した君主がその領地に足を踏み入れたのはそれから数十年後のことだ。つまり、それが強権を持つ欧州人の便宜上の本籍地としてアルプスの隠れ家を最初に使った事例になる。)

 原文のやったらしい感じを誇張して訳してみた。現代英語ってどうしてこうも凝ったレトリックを使うのだろうか。"That was the first use of the Alpine hideaway"に絶妙な味わいがある。それはさておき、プリンシパリティというのがちょっとやっかいな概念ではあるし、ようするにそれがリヒテンシュタイン侯国という存在の本質でもあるのだろう。ということにとりあえずしておく。ついでに実際に君主が現在のリヒテンシュタインに足を踏み入れたのは1842年。9代目アーロイス侯。
 リヒテンシュタイン侯国の歴史は1699年に始まる。ちなみに、琉球国第二尚氏王朝第13代国王が1700年の生まれ。世界はそんな時代。
 ウィキペディアの「リヒテンシュタイン家」(参照)が明快といえば明快。

 リヒテンシュタイン家の名が初めて歴史上で使われたのは12世紀のことで、ウィーンの近くにある城、リヒテンシュタイン城の城主となったフーゴが、居城の名をとって家名としたのに始まっている。以来、リヒテンシュタイン家は諸侯の資格をもたない下級貴族ながらも、神聖ローマ帝国(ドイツ)の一部であったオーストリア地方北東部の領主家として継続した。
 14世紀からはオーストリアの領主となったハプスブルク家に仕えた。16世紀には3家に分家するが、長男のカールは1608年に侯爵(Furst)の称号を与えらる。そして三十年戦争中の1623年に、戦争継続のために子飼いの貴族を諸侯に叙爵する勅書を乱発していた時の神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の手により帝国諸侯(Reichsfurst)に叙任された。

 リヒテンシュタイン城はフーゴー・フォン・リヒテンシュタインが建てたわけではない。フーゴーの出自について「不思議の国リヒテンシュタイン・前編」(参照)というWebページにはこうある。

その後、ドナウヴェルトという地方の名門貴族出身であるフーゴーが城主の娘ハデリヒと結婚し、初のリヒテンシュタインを名乗る人物となりました。そしてリヒテンシュタイン家の面々はバーベンベルク家の家臣として熱心に働き、広大な土地を得ていったといいます。

 リヒテンシュタイン家は当初オーストリアのバーベンベルク家の家臣だ。オーストリアと親近感が高いのもそのせいだろう。ちなみに、フランク王国の分裂で東フランクは962年に神聖ローマ帝国となり、オーストリアは976年からバーベンベルク家の辺境伯領になった。
 ウィキペディアのリヒテンシュタイン家の説明に戻る。

 1699年、カールの孫ハンス・アダム1世は、オーストリアの西にあるシェレンベルク男爵領を購入してその領主となり、1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入、シェレンベルク男爵領にあわせて領有した。この2つの所領が現在のリヒテンシュタイン公国の前身である。

 現在のリヒテンシュタイン侯国では国会議員割り当てが10名のウンターラント(低地)と15名のオーバーラント(高地)とがあるが、それぞれシェレンベルク男爵領とファドゥーツ伯爵領に当たる。当初のシェレンベルク男爵領購入だけでは神聖ローマ帝国議会(帝国使節会議)列席はかなわなかったのが買い足しの理由だが、この時期までにリヒテンシュタイン家はすでにその後仕えたハプスブルク家からオーストリアや現在のチェコに広大な封土を得ている。
 面白いことにと言ってはなんだが、ウィキペディアにもあるように、「リヒテンシュタイン家は公国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立している。リヒテンシュタイン家が私有する財産も公国とは無関係に、ハプスブルク家の重臣として蓄積されたものであり、むしろ公国がリヒテンシュタイン家に経済的に従属している観すらある」という状態になっている。王家とその所有財産の関係というのは面白いといえば面白いテーマではあるな。
 一昨年前だったがベルギーの新聞ラーツテ・ニュースが、ベルギー国王アルベール二の個人資産は欧州王室では最低で1240万ユーロだと報じた。では最高は?というと、リヒテンシュタイン君主ハンス・アダム2世侯爵で約30億ユーロ。ちなみにエリザベス女王の資産をユーロ換算にすると18億ユーロだ。あはは。
 リヒテンシュタイン侯国の土地の来歴に目を転じると複雑だ。まずローマ帝国の支配下にあり、5世紀にアレマン人が支配したとのこと。1150年にブレゲンツ伯爵の領土だったものが、モンテフォルト伯爵家創始フーゴ一世が1180年に取得した。以降所有権はなんとか伯爵とかに転々とするのだが、最終的にリヒテンシュタイン家に転がり込むに至ったのは三十年戦争や魔女狩りによってホーエネムス伯爵家の財政の立て直しのためだった。
 いずれにせよ中世だったらリヒテンシュタイン侯国のような小国もありだろうが、なぜ現代までこんな小国が生き延びているのか。特に20世紀の二つの大戦をどうやって生き延びたのだろうか。日本人としては、かつての永世中立国スイスのようにリヒテンシュタイン侯国も中立政策をしていたがから、ナチスにも攻められずによかったんだよにっこり無防備マンみたいな幻想を抱きかねない(中立国ルクセンブルクの戦禍はなかったことにしような)。
 もちろん、そんなわけはないのだが、では具体的にどうかとなるとなかなかこれも難しい。ウィキペディアを見ると、2つ理由が挙げられている。ひとつはリヒテンシュタイン家の資産が国家と分離されていること。もうひとつは「1930年代のナチズムの台頭に対し君主大権を行使しこれを防いだこと」としている。まあ、話を聞こうじゃないか。

 ドイツでのナチスの躍進にともなって公国内でもナチス支持者が増加し、次回総選挙では多数の当選者が出ることが予測されていた。この危機に対してフランツ・ヨーゼフ2世は君主大権によって総選挙を無期延期とし、ナチスの勢力拡大を防いだ。
 この時総選挙が延期されずに実施されていたならば、リヒテンシュタイン公国はナチス・ドイツへの併合あるいは枢軸陣営での参戦などという事態となり、第二次世界大戦の惨禍をまともに受けていたと考えられている。
 リヒテンシュタイン家ではこの間の経緯について「君主大権の行使により国難を未然に回避した」と自負しているようであり、君主大権を保持し続けることの正当性を示していると考えているらしい。

 日本の第二次世界大戦後の平和は平和憲法によると日本人が思い込んだっていいじゃないかいいじゃないか笹もってこいみたいなものとしてとりあえず理解はできる。
 ついでにこのエントリを書くにあたって書架から「ミニ国家 リヒテンシュタイン侯国」(参照)という本を取り出して参考にしているのだが、ここには次の3つの推理が書かれている。まずスイスの中立を議論してからこう続ける。

その第一は「スイスとの関係の読めない部分」ではなかっただろうか。第一次大戦の折にオーストリアと同体とみなされかかったリヒテンシュタインだが、第二次世界戦では、すでにスイスと確たる同盟関係にあり、スイスと同体とみなされ、言わばスイスの安全の傘の下に入っていたとも考えら得る。

 というわけで、第一はスイスと同じだぴょんということ。これについてはあとで触れる。で第二はこうだ。

 第二にリヒテンシュタインの地理的・経済的条件がここでも小国に有利に働いたことが上げられるだろう。当時はまだ農業国であり、とりたてて言うような資源の産出もないこの小国に戦争に利用するような戦略的な価値がなかったのも幸いした。

 こじつけみたいな理由だが地形的にイタリアと接していたとかだと安穏ではすまされなかっただろうから、理由としてはありだろう。
 では第三の理由はどうか。

 それと同時に一九三九年、侯爵がヒトラーを訪問したことも私はリヒテンシュタインを無キズのままにしておくには大きな効果があったと推測している。私は先代の侯爵、現在のハンス・アダームⅡ世侯ともに会ってお話しを聞く機会があったが、侯爵の人柄というものは筆では書けないものがあり、自然と「畏敬」の念が生じるものである。自分の好き勝手にしたヒトラーも、フランツ・ヨーゼフⅢ世侯と対面した時、自分の力ではかなわない何かを感じ、悔しさ半分で、
 「あの国は、小さくて役に立ちそうにもないから、ほっとけばいい」
などと側近に言ったのではないかというのが私の大胆な推理である。

 大胆過ぎ。マッカーサー伝説かよといった趣だが、いやまてよ、ヒトラーの個人的な理由がなんか関係しているというふうに読めむべきか。ということで前段に来るべきスイスはなぜ中立を保てたかを聞いてみよう。

 ではなぜスイスが中立を保てたか。俗論のひとつには、「ヒトラーが、スイスの銀行に預金していたから」
 などというのもがあるが、本人はともかく側近が預金していたことはあるらしい。いずれにせよ戦争をするとなると戦時物資を購入したりするために外国と支払い決済をする必要があり、ドイツもスイスの銀行に利用価値を認めていたことも理由のひとつだろう。

cover
ミニ国家
リヒテンシュタイン侯国
 似たようなことがリヒテンシュタイン侯国にもあったかというと、なかったんじゃないか。リヒテンシュタイン侯国が昨今のような騒ぎをもたらす金融テクノロジーを築き上げたのは戦後のことだろうと思うからだ。ただ、そういうベタなカネの問題じゃない富の部分になんかありそうな感じもするけど、あまり大胆過ぎることを言うのもなんだかな、と。

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コメント

八王子市の人口が1桁ほど小さいです
3月1日現在で543881人だそうで
 http://www.city.hachioji.tokyo.jp/

投稿: | 2008.03.07 17:43

ご指摘ありがとうございます。ギャグが滑りました。修正しました。

投稿: finalvent | 2008.03.07 19:49

のちのアザディスタン王国である。

投稿: cyberbob:-) | 2008.03.08 07:20

パラダイス鎖国サイトが開国したらしいので、はてブ出島経由で箸休め情報をば。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//www.nicovideo.jp/watch/sm1151165

投稿: 有芝まはる(ry | 2008.03.08 10:46

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