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2008.03.01

[書評]不謹慎な経済学(田中秀臣)

 講談社BIZというブランドから、二、三時間で読める軽いタッチの執筆と編集で作成されているし、実際さらりと読めたのだが、本書「不謹慎な経済学(田中秀臣)」(参照)の読後には少し微妙な思いが残った。しいていうと、「もったいない」という感じだろうか。私が本書の編集に関わっていたら、もっとばっさり切り刻んで一時間で読める本にして、もっと裾野の広い読者へ読ませたいと夢想した。

cover
不謹慎な経済学
(講談社BIZ)
田中秀臣
 が、そうすることで田中がためらいながらしか述べることができない重要な部分(湛山の理念など)もまた切り落とされるだろう。どちらがいいのかわからないなと戸惑っていると、明快!教えてダンコーガイ!ではないが、ブログ404 Blog Not Found「不謹慎が不徹底」(参照)に通勤特快高尾行き的な書評が上がっていた。

目次を見ての通り、本書では多彩な話題が取り上げられている。いや、多彩すぎるのだ。そのおかげでどこに焦点が当たっているのかわからない。「目玉商品」が何なのかわからないのだ。

 そう読まれてしまう懸念はあるだろうと共感したが、逆に言えば、多彩な内容それぞれに値千金的な考慮がある。各章ごとに一冊分の内容があるとしてゆっくり読まれたほうがいい。あるいは、現在の日本経済政策の間違い、世界経済と日本経済の今後の方向性、昭和史の見直しから未来日本社会の構想、経済学好きのネタ話、といった見やすい複数のクラス分類があったほうがよかったかもしれない。ただ、本書のままでもよく読めば緻密な思考のスレッドは読み取れる(中国経済にもすぱっと見通しが書かれている)。
 表面的なことばかりになるが、本書で著者田中は、評論家山形浩生など幾人かの論者の意見を尊重して自己の意見を添えるという展開がやや多いのだが、そうした諸論者の意見についてはコラムなりにまとめて、本筋は自己意見だけのように通したような書き方のほうが読みやすいだろう。こう言ってはなんだが、これまでの田中の著書は同じ経済学観や、あるいは面識のある論者間の内向きに書かれた印象もある。本書の内輪的な雰囲気は誤解に過ぎないのだから、従来の理解者より批判者や新しい理解者へ切り進めた、通勤特快東京行き的な一般書であってもよかった。
 書籍的な構成は別にすれば、本書には、現在日本の経済状況および世界経済理解の虎の巻に十分使える内容が盛り込まれているし、これを薄めれば政治経済ブログを書く人のネタ帳になる。たとえば、以下の部分はいわゆるリフレ派見解だが、妥当な経済学(それが日本では不謹慎になるということなのだろうが)的見解が簡潔にまとまっている。

 ここで、日本の長期不況のメカニズムを説明しておこう。簡単に言うと、「デフレ(物価水準の平均的下落)が将来も続くと人々が予想していること」が日本の長期不況の特徴であり、またこの問題の根源でもある。
 例えば、企業が新規に事業プロジェクトを立ち上げるため、あるいは個人が住宅などを購入するために、銀行から借り入れをする場合を考えてみよう。この借り入れをする際に、借りる側が注目するのは現在の状況だけではない。つまり、借り入れ率についても、現在の額面通りの名目利子率ではなく、返済までの将来時点にどう変化するかを考える。要するに、実質利子率のことを考えているのだ。
 実質利子率は、名目利子率から予想されるインフレ率を引いたものに等しい(もちろん、実際に契約される約定利子率は、さまざまな条件の下でプレミアムがつくので、実質率からいくらか上下するかもしれない)。この実質利子率が高いと、それだけ返済にかかると費用が多くなるため、新規プロジェクトの立ち上げや住宅購入の数が低下してしまう。反対に、実質利子率が低ければ返済額が少なくてすむので、より多くのプロジェクトを立ち上げ(投資)や住宅・車の購入(消費)が可能になる。
 日本の長期的停滞の特徴であるデフレは、「ゼロ金利現象」との組み合わせで起こった。名目利子率がゼロであっても、数%のデフレが続くと人々が予想すれば、それだけ実質利子率は高くなり、景気は悪化する。日本の不況がこれほど長く続いたのは、こうした人々のデフレ期待が頑固に定着したからである。
 実質利子率が高いと、前述したように、消費や投資が停滞してしまう。消費や投資は総需要の重要な一部なので、「日本の長期停滞は総需要不足が原因だ」ということになる。

 経済学オンチの私が言ってもしかたがないが、おそらく日本の失われた十年からくりはここに尽きている。だが一般読書人にとって、「実質利子率」の理解はそう簡単ではない。岩田規久男の「日本経済にいま何が起きているのか」(参照)でくどいほど図解して説明されているのもその配慮からだ。
 そしてブログ世界禁断であるリフレ派批判にとられるかもしれないが、「実質利子率もわからない経済学のバカはしょうがないな」というふうに、経済学の理解に問題性を求め、いわば知の塔に篭もってしまえば、日本社会が抱える問題にはまったく解決にならない。さらに悪循環なのは、「総需要の低下が原点だ」という経済学的な説明も可能といえば可能だし、そうした空中戦には普通の読書人は取り残されてしまう。著者田中秀臣はそうした経済学の学的な悪循環に気が付いてはいるし、やさしく表現もされているのだが、それでもまだ十分な説得力はないだろう。
 同じことの繰り返しでくどいが、例えば「流動性の罠」という経済学の考え方がある。これについて本書では、経済学者クルーグマンの「子守協同組合クーポン券」の比喩で簡素に説明している。読書人ならこれで「流動性の罠」は理解できる。だから、「クルーグマン教授の経済入門」(参照)で縷説されているIS-LMをきちんと理解してないバカは困るな、とかいう問題ではない。なにも数式を用いない経済学解説書がよいとか悪いとかそういう問題ではなく、日本社会の構成員がどのように国家の経済政策を了解するか、その道具はどうあるべきかが問題なのだ。
 ただ、日本の市民が「実質金利」の経済学的に理解したとしても、その問題の構造の根幹にある日銀の在り方をどう見詰めていくかという問題には直接はつながらないだろうし、つなげようとしても無理はある。
 本書の内容は多彩で個別に興味深い論点がいくつもあったが、金融政策関連では、著者田中が元財務官溝口善兵衛を高く評価している点には、随分割り切ったものだなという印象ももった。
 この話題の経緯については、結果的に極東ブログでもフォローすることになり私もいろいろ考えたが、結論から言えば私も「昔は高橋是清、いまはテイラー、溝口」という田中の評価に等しい。が、ここで私と田中との微妙な立ち位置の差異がある。逆に言うと本書を読みながら、個々の問題では田中と私の考えはとても近いと思うことのほうが多かったのだが。

 実は90年代後半から、「非不胎化介入によって長期停滞からの脱出が可能である」という意見が、日本の経済論壇でも強く主張されていた。例えば、浜田宏一(イエール大学教授)はその急先鋒として知られる。しかし、これに対して、”日銀派”と目されるエコノミストたちや、それ以外にも小宮隆太郎(東京大学名誉教授)などから非不胎化介入政策の効果に疑問が提起された。彼らは、日本の長期停滞の原因は構造的なものであり、金融政策で片がつく代物ではないと主張した。また、非不胎化介入を「IMF条項違反」だとして黙殺するエコノミストもいた。
 だが、テイラーの回顧録を読めば、経済学の通常の主張が正しいことがわかるはずだ。日本経済の「失われた10年」の真の原因は金融的な要因であり、それは積極的な金融緩和政策によってのみ解決可能なものであった、ということを。

 「経済学の通常の主張」が「不謹慎な経済学」になる矛盾を明快に述べている。だが、私は昨年正月「極東ブログ: 経済談義、五年前を振り返る」(参照)でも触れたが、「金融政策論議の争点 日銀批判とその反論」(参照)における小宮隆太郎の立ち位置はもっと民主主義制度上の手続き的なことであるように思えたし、私はその点で小宮の立場を理解した。偽悪的に言うなら、いくら正しい解決策があっても、現行の制度のなかで民主主義的な理念から実施できないなら諦めるしかないだろうということだ。民主主義は衆愚政治とも批判されるし、それゆえにか金融政策はそうした民主主義の制度から若干独立した権力の構造に基礎を置いている。金融政策が経済学的に間違っていても、どのようにそれに市民の理念が介入すべきかは簡単にはわからない。
 話が馬脚を露わすの趣になってきたが、先のテイラーおよび溝口評価の、非不胎化介入によるいわゆるリフレ効果以外の基礎である「円高シンドローム」に関連するが、私は、必ずしも「円高シンドローム」論を採るわけではないが、と言いつつ「極東ブログ: [書評]ウォルフレン教授のやさしい日本経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)で触れたウォルフレンのように、円安誘導をする日本の戦時的経済構造とそれに附帯する権力構造が、結局は現行の金融政策を支えていると考えている。
 だから、日本の市民社会はまず戦時的経済構造を脱するべく、市民の側の労働と消費の意識の呪縛が解けなくてどうしもようないのではないかと思う。そして、その呪縛を解くということは、具体的には老後を迎える団塊世代が「子守協同組合クーポン券」を放出していくようなライフスタイルの価値観の構築ではないかと考えている。
 別の言い方をすれば、私たち市民は産業マシンや効率のよい投資マシンの生き方から脱するべきなのに、それを強化しかねない円安誘導的な施策は、たとえリフレ政策的な効果を持っていても、よくないのではないだろうか……いや、書いていて愚問だろうなとは思うよ。
 というのも田中は、実際にはいわゆるリフレ派政策より「円」という貨幣の呪縛性を問題の根幹に据え、その呪縛を解くための社会を構築していく模索へ考察を進めているように見えるからだ。その一歩として、経済学者の高説を越えていく位置に、この軽快なそしてある意味で難読でもある本書があるのだろう。

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コメント

お金は名目ベースで動いていて、インフレ、デフレ分で実質が潜在的に動く。期待かリスクか、特権的なポジションがないから、振り回されるんだよなぁ。ただ飯はない。インタゲは偽科学って言うのも。悪夢が続く。

投稿: itf | 2008.03.05 13:50

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受信: 2008.03.02 20:17

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