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2008.03.31

ヒラリー・クリントンはユダヤ人じゃないよというお話

 先日栗本慎一郎「パンツを脱いだサル」(参照)をぱらっとめくっていて、ちょっと変な記述に目が止まった。いや、変というならこの本全体がかなり変なのだが、些細な記述ながら陰謀論的間違いという点では以下はけっこうランクが高いのではないだろうか。


その上流階級に属し、しかも親子二代の上院議員であるゴアには、ある特別のコネがあった。二〇世紀初頭のユダヤ資金資本家に繋がるアメリカ・コミュニストの人脈が、ゴア家にあったからである。ゴアが副大統領を務めたクリントン政権では大統領夫人ヒラリーはユダヤ人だし、金融界、すなわちユダヤ国際資金資本が民間、たとえば「ゴールドマンサックス」から財務長官を送ったりして協力していた。

 この手の話は私はスルーっとスルーして読んでしまうのだが、なんとなく、え? ヒラリーはユダヤ人?でひっかかった。それはあんまりなと思い、ネットを見るとその手の話がある。こりゃ季節がらかと思ってちょっと調べてみたのだが、まあネタにするにも落ちるという感じなので、妥当なあたりと思える話をこの機会にまとめておこう。
 ネタ元はいくつかあるが、Zionist Watch”Meet Hillary Clinton's Grandmother, Della Rosenberg - The Feisty Wife of a Yiddish-Speaking Jewish Immigrant”(参照)が包括的にまとまっていた。Webページの外観はありがちな陰謀論的な雰囲気だが、読んでみるとけっこう普通なジャーナリズムの手順でまとまっていて面白かった。
 ヒラリーがユダヤ人というお話がどっから降って湧いたかというと、この記事にもあるが1999年、ヒラリーがニューヨークから上院に打って出るというあたりの時代の間違った噂だろう。この時期、唐突に彼女の家系とユダヤ人のつながりがまるでリークのように流れた。ニューヨークに多いユダヤ人票を狙ったものという憶測で受け止められたのもしかたないかという感じではあった。
 最初に結論を言うと、ヒラリーはユダヤ人ではない。その母方のお婆さんの再婚相手がユダヤ人だったということで、ヒラリー自身はそのお婆さんの初婚の子どもの系統にある。
 では。
 ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton)は1947年生まれ、私より10歳年上。ウィキペディアの同項にはこうある(どうでもいいけど今英語版を見たらなんか記述が発狂しているっぽいが)。

ヒラリー・ダイアン・ローダム (Hillary Diane Rodham) は1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。一家はメソジスト教派であり、彼女は白人中産階級が多く住むイリノイ州パークリッジで成長する。父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ドロシーの両親はドロシーが幼い頃離婚、ドロシーは父方の両親に預けられ寂しい子供時代を過ごした。

 まあそんな理解でいいのだが、ヒラリーの母親で、魔法使いではない専業主婦ドロシー母さんの、そのまたお母さんが離婚したとさらりと書いてある。
 この母方のお婆さんが、デラ・マレー(Della Murray)さん。1902年イリノイ州オーロラに生まれた。明治35年である。
 デラの祖先だがフランス語圏のカナダ人だったらしい。ルイ・エモン(Louis Hemon)が1880~1913年なので、デラのお母さん、つまりヒラリーの曾婆さんは「白き処女地」(参照)的な世界だったのではないか。
 デラは1918年にエドウィン・ハウエル(Edwin Howell)と結婚する。16歳くらいなので白き処女地的な世界だなまだとか思うが、結婚したのはシカゴの地。駆け出しアル・カポネという時代だ。エドの旦那は運転手をしていた。留守がちだったのかもしれない。
 結婚の翌年1919年、長女ドロシー・エマ・ハウエル(Dorothy Emma Howell)が生まれる。このドロシーちゃんが、後にヒラリーのお母っさんになる。さらにその5年後にドロシーちゃんの妹のイザベルが生まれるが、1927年に離婚が確定。
 離婚騒ぎのころはデラ婆さんまだ24歳キャピキャピ(死語)なんで、宇多田ヒカルみたいなもんかもしれないが、この離婚にまつわる挿話はなかなかすさまじい。デラさんは旦那に暴力振るいまくっていたっぽい。
 ドロシーとイザベルの姉妹はどうなったか。
 8歳のドロシーと3歳のイザベルは二人でシカゴからロサンゼルスまで鉄道で3日の旅をしてエド父さんの実家に辿りついたらしい。ドロシーはその後16歳までメイドなんかして育ったとのこと。メイド先の主人が「高校くらい出ておいたら」と勧め、ドロシーは高校に進学。卒業後シカゴに行き、それが中産階級玉の輿に結びつく。ヒュー・ローダム(Hugh Rodham)君と1942年に結婚。5年後に我らがヒラリー嬢が生まれた。
 話を自由になった若き日のデラ婆さんに戻す。
 デラさんは離婚してその後どうしたか。シカゴにいたらしい。そこで1933年、デラ31歳のとき、1歳年上のユダヤ人青年マックス・ローゼンバーグ(Max Rosenberg)と結婚した。
 マックス君は1901年ロシアの生まれで、ラフマニノフとかチョムスキーのお父っつあんや先生のゼリク・ハリスなんかと似たような背景かもしれない。マックスもチョムの父っつあんのビルもイデッシュ語を最初の母語としていた。
 マックスの母親は当地のユダヤ人コミュニティの要人でもあったようだ。またマックスは不動産屋をやっていたが資産もそれなりにあったのではないかと思う。が、再婚後のデラは、元旦那の家庭に取られた娘を取り返すことは資産関連の問題でできなかったようだ。ユダヤ人差別もあったのかもしれない。
 再婚後、デラも名前を、デラ・ローゼンバーグとした。ローゼンバーグ事件ではないがべたにユダヤ人名だ。が、彼女自身はユダヤ教には改宗しなかった。
 結婚後翌年の1934年に長女、アデリン(Adeline)が生まれる。彼女は後に自身でユダヤ教に改宗した。ヒラリーからするとアデリン叔母さんになる。1998年に亡くなるまで、二人は懇意であったというし、そのつてでヒラリーはマックス爺さんとも親交があったようだ。
 ヒラリーにとってユダヤ人社会と文化はかなり身近なものであったようだし、米国ユダヤ人社会もその点は好意的に見ているようだ。

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コメント

良く考えたら、名目のゼロ制約って、実質からいじろうとしても、インタゲだと明示してコミットしないといけないから、やはり期待・信頼の操作はそもそもありえないんですね。盲点だったな、これ(今まで気づかなかった)。クリントンは、良く分かってるんだな。クリントンに期待。オバマも頑張れ。マケインも。

投稿: double | 2008.03.31 19:28

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