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2008.03.19

チベット的癒しの話

 虐待されているチベットの人のことを思いながら書棚の本を手にとって少し考えた。まとまった話ではない。雑談がてらに。

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心ひとつで
人生は変えられる
 以前も少し触れたけど、ダニエル・ゴールマンが編集した「心ひとつで人生は変えられる」(参照)は、ダライ・ラマを交えた、「こころはからだを癒すのか」というテーマの討論会のまとめだ。この中で、心の傷を負ったチベット人の話が出てくる。ちょっと読むと、ダライ・ラマの意見はあっけらかんとした印象がある。

ダライ・ラマ 強制収容所に長くいたチベット難民は、収容所の体験が貴重だったとよくいいます。そこは最高の精神修行の場だったと。チベット人の場合、トラウマがこころに深い傷を残すいうことは珍しいんじゃないかな。その道の専門家にインタビューしてもらえばおわかりになると思うが、チベット難民はほかの難民とは違うと思いますね。
ダニエル・ゴールマン 彼らは悪夢に苦しまないんですか? ほかの拷問体験者みたいに?
ダライ・ラマ そりゃあ、悪夢をみる人もなかにはいるでしょう。私もそうでしたし。ラサで中国共産党員に囲まれたときなんか、もう何度も悪夢をみましたよ。三〇年たったいまでもまだときどきうなされるんですから(笑)。しかし、不安とか恐怖とかはぜんぜんない。チベットの難民は大勢います。年齢は一〇代から三〇代ぐらいまでさまざまですが、たいては強制収容所や刑務所に入れられた体験をもっている。現在、南インドの僧院大学で学んでいる僧侶たちはみな拷問の体験者ですが、PTSDの症状を呈している人はほとんどいないようですね。事実、彼らのほうがインドで育った学者より優秀ですよ。
ダニエル・ゴールマン それは、先ほどおっしゃったように、苦しみを精神修行の機会と考えるからですか。拷問されながら精神修行をするという?
ダライ・ラマ ええ、そうです。

 この部分に限らず、ダライ・ラマのレスポンスには、西洋人の考えることは不思議ですなみたいな暢気ものが多い。実態はこの会話のように、考えようによってとても悲惨なのだが。
 西洋人のもつチベット人のイメージに対する違和感のようなものも彼は率直に答えている。

ジョン・カバト=ツィン 昨日猊下はそうおっしゃいましたね。仏教では悪を無知と考えるから、仏教徒は無知にたいして慈悲心をいだくと。たとえそれで自分が被害を被ったとしても。前に、チベット人医師のとても感動的な話を読んだことがあるんです。その医師は中国人の刑務所で何年も拷問を受けたのに、拷問した人間を一度も憎んだことがないといっていました。それどこか、そんな残酷なことができる拷問者の深い無知にたいして慈悲心をいだきつづけたと。この医師を取材したアメリカ人精神科医が驚いたのは、恐ろしい体験をしたのに、西洋精神医学でいういわゆるPTSDの症状がこの医師にまったくみられなかったことです。投獄経験のあるチベット僧の大多数は、この医師と同じなのでしょうか。
ダライ・ラマ なかなか難しい質問だな。亡命してきた僧侶のなかには、中国人を激しく憎んでいる人もいますからね。
ダニエル・ゴールマン ということは、拷問者に慈悲心をいだいていないと?
ダライ・ラマ そうかもしれない(笑)
ダニエル・ゴールマン 慈悲心をいだいてなかったとすれば、どうして後遺症がみられないんでしょうね。ほかにどんな原因が考えられますか。
ダライ・ラマ カルマを信じていることかな。現在の苦しみは過去に犯した過ちのせいだと信じていますから。チベット人はみなそう信じています。
ダニエル・ゴールマン それだけですか? ほかには考えられませんか。
ダライ・ラマ 仏の加護を求めることもそうかもしれない。これはどの宗教にもいえますけどね。輪廻転生という迷いや世界の無について、つねに考えることも役立つのかもしれない。あるいは正義はかならず勝つという強い信念も。

 わかるようなわからないような話ではあるが、いわゆる宗教に凝り固まった人ではないダライ・ラマの素朴な人柄が伺える。
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心の治癒力
チベット仏教の叡智
トゥルク・トンドゥップ
 チベット難民の心の問題といえば、ダライ・ラマより4歳下で、少年時代僧院で育った、チベット仏教関連の著作家トゥルク・トゥンドゥップは、「心の治癒力 チベット仏教の叡智」(参照)でこう語っている。

 十八歳のとき、チベットの政治的な動乱によって、私は二人の師と八人の友人たちといっしょに、チベットを横断し、インドへ逃亡した。何ヶ月もかかって、何千キロもの道を歩いた。その途中、人里離れた谷の聖なる洞窟で、師であり、五歳のときからまるで親のごとくわたしを育ててくれたキャラ・ケンポが息を引き取った。それは、灰色の高山に四方を囲まれた場所だった。そのとき突然、わたしは、じぶんが孤児であり、逃亡者であり、家を失った難民であることを自覚した。
 長い旅の果てに、わたしたちは、豊かな智慧と文明の国、インドにたどりついた。何ヶ月ぶりに、わたしは、木陰の涼しさと、庇護されていることの温かさと安らぎを、感じとることができた。インドへのチベット難民は約十万人を数えたが、その多くが食物、水、気候、高度の変化のために死んでいった。生き残った者たちにも、チベットに残した愛する者たちの苦しい生活が、日夜ちらつく毎日だった。
 そういう暗い日々にあって、わたしを導き、慰めとなったのは、心の中にはぐくんだ仏教の叡智の光だった。

 彼は僧侶にはならず(なれなかったのかもしれないが)、アメリカに渡り、チベット仏教についての著作・翻訳を行う人になった。

 平和な心というろうそくの明かりを、人生の戦いの嵐から守る。そして、開かれた肯定的な態度の光を、ほかの人々に向けて送る。この二つが、困難なときに、それを乗りこえることを可能にさせてくれた。人生の大いなる悲劇は、さまざまな意味において、祝福であるということを、わたしは悟った。そういう悲劇的な出来事は、あやまった安定をつつむ毛布をひきはがすことによって、人生は幻である、という仏教の教えをはっきりとしめしてくれる。我執のこぶしを開くことがもっている治癒力については、もちろんのことだ。
 一九八〇年、わたしは、自由と繁栄の国、アメリカ合衆国に移住した。普通の場合、静かな心をたもちつつ、感覚的な喜びや、物質的な誘惑の攻撃を生きのびることは、苦痛や苦しみの中でそうするよりむずかしい。

 現代文明の生きづらさと、チベットの苦しみとの対比は、現代文明の国の側からするとそういうものかなという違和感もある。だが、先進諸国の日常でも、拷問のような心の苦しみはある。
 同種の話としては、今手元になかったが、チョギャム・トゥルンパ「チベットに生まれて―或る活仏の苦難の半生」(参照)に迫力がある。ちなみに、チョギャム・トゥルンパは実質世俗者となり、結婚もし飲酒もした。飲酒運転で半身不随となり、たしか最後は自殺したはずだった(追記 私の伝聞による間違いかもしれない。ウィキペディアでは死因は心不全とあった)。チベット仏教の叡智をもってして、自身を救えなかったのかと私は彼の邦訳本をかたっぱしから読み考えたことがあった。
 トゥルク・トゥンドゥップに話を戻す。一九八四年、彼は二十七年ぶりにチベットを訪れた。

 僧侶たちの大半は、じぶんの不幸な体験を、他人のせいにすることなく受け入れ、そのことによって癒されていた。じぶんの不幸を他人のせいにすれば、たしかに一時的には良い気分を味わうことができる。だが、結局のところ、苦しみと混乱は大きくなるばかりだろう。他人のせいにせず、状況を受け入れることこそ、真実の癒しの始まる転回点である。そのときはじめて、心の治癒力が始動する。だからこそ、シャンティデーヴァはこう書いている。

「じぶんを傷つけずにいられなかった者たちに、
 たとえ、慈悲の心をおこすことはできなかったとしても、
 怒りをおこしてはいけない。
 それは(無知と怒りの)煩悩によるものなのだから」


 トゥルク・トゥンドゥップによる本書は、チベット仏教ではニンマ派の教えになり、ゲルク派のダライ・ラマとは異なる。教えに違いがあるかについては、私はよくわからない。私からすればその違いは理解できないものかもしれない。
 それ以前に、虐待・拷問の苦しみを心に残さず生きていけるとしても、こうしたチベット仏教の教えを信じられるかというところもよくわからない。私は、できるだけ、現世の、チベット人の虐待が少なくなることを単純に願う。

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コメント

チベット仏教の深い智慧には恐れ入ります。
が、非仏教徒の俗物としては「まずは今起こってる現実の虐殺をとめてから」って感じです。
こんな人たちを苦しませちゃ~ならんですね。

投稿: | 2008.03.19 19:02

チョギャム・トゥルンパが自殺だったというのは初耳なんですが、本当ですか?自殺同然の不摂生(飲酒)が原因で死んだという意味ならわかるのですが。

投稿: buffrub | 2008.03.19 22:24

buffrubさん、ご指摘ありがとうございます。伝聞をもとにした記憶でした。英語のウィキペディアでは心不全とあるので追記しました。

投稿: finalvent | 2008.03.19 22:43

チベット仏教の思想は尊敬に値する。
しかし、「自分の所行による不幸すら全部他人のせいにする中国人」がすぐ隣にいる場合、この思想だけでは絶滅の道しか残らないのでは・・

投稿: 00 | 2008.03.20 09:16

ダライラマが許すとしても、すべてのチベット人がそこまで強靭でマッチョな精神力と仮定するには無理があるし、だからこそ中国政府には強い抗議意思を伝えていかなければならない(ブログ主が事態を憂慮していないと言っている訳ではない為念)。

投稿: 慈悲 | 2008.03.20 18:09

チベット事件のまとめガイドラインwiki
http://www8.atwiki.jp/zali/
現在進行中で起きているチベットの事件
(一方からの見方ではチベット虐殺、
もう一方から見ればチベット暴動)の
ニュースソース、関連スレ、ガイドライン、
関連画像、リンク、ネタなど等を収集するwikiです
できるだけ中立の意見で記事をまとめてあります
関係ありそうなところに転載してください

投稿: zali | 2008.03.20 19:34

チベット問題については、ペマ・ギャルポ先生のブログもご覧いただけると、うれしく思います。


http://pemagyal.cocolog-nifty.com/blog/

投稿: ふゆ | 2008.03.30 13:24

近日、ツォンカパ著法尊訳「密宗道次第広論」(新文豊出版公司)を入手できました。中国語のこの著書を私は当分読解できないと思いますが、入手の機会を作ってくださった方に深甚の感謝をいたしております。
Recently,I could get the book,「密宗道次第広論」(新文豊出版公司).Thank you very much,the person who sold the book.Now I cannot understand the full meaning of the book.But,I think I will be able to let the book be very valuable near future.From now on,I study Tibetan Buddhism(西蔵佛教) more.

投稿: 謝意 | 2008.06.10 07:14

「音声教材入手」のコメントで、
the Prajnaparamita-hridaya-sutra を
(commonly known by the Heart Sutra)としましたが、
(commonly known as the Heart Sutra)とするほうがよかろうと思います。
Please select the phrase,"commonly known as the Heart Sutra" about the 「音声教材入手」comment.I made mistake about English expression.

投稿: 少し訂正 | 2008.06.13 06:25

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