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2008.03.31

ヒラリー・クリントンはユダヤ人じゃないよというお話

 先日栗本慎一郎「パンツを脱いだサル」(参照)をぱらっとめくっていて、ちょっと変な記述に目が止まった。いや、変というならこの本全体がかなり変なのだが、些細な記述ながら陰謀論的間違いという点では以下はけっこうランクが高いのではないだろうか。


その上流階級に属し、しかも親子二代の上院議員であるゴアには、ある特別のコネがあった。二〇世紀初頭のユダヤ資金資本家に繋がるアメリカ・コミュニストの人脈が、ゴア家にあったからである。ゴアが副大統領を務めたクリントン政権では大統領夫人ヒラリーはユダヤ人だし、金融界、すなわちユダヤ国際資金資本が民間、たとえば「ゴールドマンサックス」から財務長官を送ったりして協力していた。

 この手の話は私はスルーっとスルーして読んでしまうのだが、なんとなく、え? ヒラリーはユダヤ人?でひっかかった。それはあんまりなと思い、ネットを見るとその手の話がある。こりゃ季節がらかと思ってちょっと調べてみたのだが、まあネタにするにも落ちるという感じなので、妥当なあたりと思える話をこの機会にまとめておこう。
 ネタ元はいくつかあるが、Zionist Watch”Meet Hillary Clinton's Grandmother, Della Rosenberg - The Feisty Wife of a Yiddish-Speaking Jewish Immigrant”(参照)が包括的にまとまっていた。Webページの外観はありがちな陰謀論的な雰囲気だが、読んでみるとけっこう普通なジャーナリズムの手順でまとまっていて面白かった。
 ヒラリーがユダヤ人というお話がどっから降って湧いたかというと、この記事にもあるが1999年、ヒラリーがニューヨークから上院に打って出るというあたりの時代の間違った噂だろう。この時期、唐突に彼女の家系とユダヤ人のつながりがまるでリークのように流れた。ニューヨークに多いユダヤ人票を狙ったものという憶測で受け止められたのもしかたないかという感じではあった。
 最初に結論を言うと、ヒラリーはユダヤ人ではない。その母方のお婆さんの再婚相手がユダヤ人だったということで、ヒラリー自身はそのお婆さんの初婚の子どもの系統にある。
 では。
 ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton)は1947年生まれ、私より10歳年上。ウィキペディアの同項にはこうある(どうでもいいけど今英語版を見たらなんか記述が発狂しているっぽいが)。

ヒラリー・ダイアン・ローダム (Hillary Diane Rodham) は1947年、イリノイ州シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれた。一家はメソジスト教派であり、彼女は白人中産階級が多く住むイリノイ州パークリッジで成長する。父親のヒュー・ローダムは保守主義者であり、繊維業界の大物であった。母親のドロシーは専業主婦であり、ドロシーの両親はドロシーが幼い頃離婚、ドロシーは父方の両親に預けられ寂しい子供時代を過ごした。

 まあそんな理解でいいのだが、ヒラリーの母親で、魔法使いではない専業主婦ドロシー母さんの、そのまたお母さんが離婚したとさらりと書いてある。
 この母方のお婆さんが、デラ・マレー(Della Murray)さん。1902年イリノイ州オーロラに生まれた。明治35年である。
 デラの祖先だがフランス語圏のカナダ人だったらしい。ルイ・エモン(Louis Hemon)が1880~1913年なので、デラのお母さん、つまりヒラリーの曾婆さんは「白き処女地」(参照)的な世界だったのではないか。
 デラは1918年にエドウィン・ハウエル(Edwin Howell)と結婚する。16歳くらいなので白き処女地的な世界だなまだとか思うが、結婚したのはシカゴの地。駆け出しアル・カポネという時代だ。エドの旦那は運転手をしていた。留守がちだったのかもしれない。
 結婚の翌年1919年、長女ドロシー・エマ・ハウエル(Dorothy Emma Howell)が生まれる。このドロシーちゃんが、後にヒラリーのお母っさんになる。さらにその5年後にドロシーちゃんの妹のイザベルが生まれるが、1927年に離婚が確定。
 離婚騒ぎのころはデラ婆さんまだ24歳キャピキャピ(死語)なんで、宇多田ヒカルみたいなもんかもしれないが、この離婚にまつわる挿話はなかなかすさまじい。デラさんは旦那に暴力振るいまくっていたっぽい。
 ドロシーとイザベルの姉妹はどうなったか。
 8歳のドロシーと3歳のイザベルは二人でシカゴからロサンゼルスまで鉄道で3日の旅をしてエド父さんの実家に辿りついたらしい。ドロシーはその後16歳までメイドなんかして育ったとのこと。メイド先の主人が「高校くらい出ておいたら」と勧め、ドロシーは高校に進学。卒業後シカゴに行き、それが中産階級玉の輿に結びつく。ヒュー・ローダム(Hugh Rodham)君と1942年に結婚。5年後に我らがヒラリー嬢が生まれた。
 話を自由になった若き日のデラ婆さんに戻す。
 デラさんは離婚してその後どうしたか。シカゴにいたらしい。そこで1933年、デラ31歳のとき、1歳年上のユダヤ人青年マックス・ローゼンバーグ(Max Rosenberg)と結婚した。
 マックス君は1901年ロシアの生まれで、ラフマニノフとかチョムスキーのお父っつあんや先生のゼリク・ハリスなんかと似たような背景かもしれない。マックスもチョムの父っつあんのビルもイデッシュ語を最初の母語としていた。
 マックスの母親は当地のユダヤ人コミュニティの要人でもあったようだ。またマックスは不動産屋をやっていたが資産もそれなりにあったのではないかと思う。が、再婚後のデラは、元旦那の家庭に取られた娘を取り返すことは資産関連の問題でできなかったようだ。ユダヤ人差別もあったのかもしれない。
 再婚後、デラも名前を、デラ・ローゼンバーグとした。ローゼンバーグ事件ではないがべたにユダヤ人名だ。が、彼女自身はユダヤ教には改宗しなかった。
 結婚後翌年の1934年に長女、アデリン(Adeline)が生まれる。彼女は後に自身でユダヤ教に改宗した。ヒラリーからするとアデリン叔母さんになる。1998年に亡くなるまで、二人は懇意であったというし、そのつてでヒラリーはマックス爺さんとも親交があったようだ。
 ヒラリーにとってユダヤ人社会と文化はかなり身近なものであったようだし、米国ユダヤ人社会もその点は好意的に見ているようだ。

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2008.03.30

[書評]にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)

 最近になってもイザヤ・ベンダサンと山本七平の書籍復刻が続く。死後随分経つのに読み継がれるものだなと思う(反面、ネットでは強烈に嫌われていて私のような愛読者にもとばっちりがくる)。

cover
日本教徒
にっぽんの商人
イザヤ・ベンダサン
山本七平
 本書、「にっぽんの商人(イザヤ・ベンダサン)」はデータベースを見ると一度文庫本(参照)となり山本七平ライブラリーでは「日本教徒」(参照)に収録されている。最近の復刻はなさそうだが、古書を気にしなければまだそれほど入手が難しい本ではない。私が手元にもっているのは、昭和五十年のハードカバーの初版だ。愛着の深い本だ。ただ、この本は紹介するまでもないなかという思いもあった。というか、他のイザヤ・ベンダサンの本や山本七平の本についても、わかる人が大切に読めばそれでいいのではないかという感じもしている。
 書棚から取り出してぱらぱらとめくってみて今思うと、この本については、イザヤ・ベンダサンの著作というより、概ね山本七平としていいだろう。理由は後で触れるかもしれない。私は長い間、イザヤ・ベンダサンと山本七平の本を読んできたので、どのあたりにホーレンスキーなどの着想が入っているかだいたいわかる感じがするようになった。山本は尾籠なユーモアをするがホーレンスキーが色気のあるお下劣テイストがある。山本は日本人に敏感だがホーレンスキーらはある種の政治的な思想を隠し持っている。
 本書をエントリのネタにしようかと思ったのは、うんこことハナ毛こと野ぐそさんが昨日のエントリに、どっちかというとエントリに関係の薄いコメントだが、こう書かれていて、それもそうかなと少し思ったからだ。「弁当爺」は、finalvent(ファイナルベント)のベントを弁当にかけ、私が50歳なので爺としたものだろう。もう少し上品だと終風翁くらいにはなるか。

>弁当爺さん

 今の世相にあった人選品評をするのもいいけど、江戸時代あたりの商家の身の処し方を今一度掘り起こして、金と商売の伝手「だけ」持った人間が経済崩壊・低成長時代に入ったときどう生き延びたかを解説してあげれば、それはそれで今を生きる人たちの参考程度にはなるんじゃねぇーの? って感じなんですけど。少なくとも、ここの読者さんには十分参考になるでしょ。小金持ち多そうですし。


 そこで、本書「にっぽんの商人」を思い出した。ただ、野ぐそさんの意に沿うかはわからないし、そうした処世術的なものとは違うかもしれないが、私はずっとこの本の次のエピソードを胸に秘めて生きて来た。
 原文は江戸時代の庶民の文章とはいえ、古文なので読みづらいところが多いので、私がざっくり現代語にしてみようと思う。こういう話だ。

 江戸時代に商人、仁兵衛(じんべい)さんがいた。商才のある人で商売は繁盛し、いずれ店を子どもの甚之介(じんのすけ)に継がせようとして、厳しく育ていた。甘やかさず、行儀もしこみ、衣服も質素にさせ、甚之介が9歳になってからは他の雇い人と同じように商売の初歩を厳しく叩き込ませた。
 ある年の暮のこと、9歳の甚之介にお歳暮の配達をさせた。長男だから親の代わりにもなる。ただ幼いので一人だけでは難しいだろうと大人の店員を付き添わせた。
 お歳暮配達のポイントは、平成の現代でもそうだが、品物に付ける名札である。現在ではお歳暮にくっついていることもあるが、当時は、お歳暮はお歳暮、名札は名札。手渡しするときに名札を載せるということだった。そしてそれを一式、お膳のような台に載せて、お客様に渡した。
 手順はこうなる。届け先の門前で付き添いの店員がお歳暮の荷を降ろす。お歳暮をお膳のような台に載せる。そして店員がふところのポケットから名札を出してお歳暮に載せて、台ごと甚之介に手渡し、甚之介はそれを手に持って届け先の家に入る。家から出たら、甚之介と店員は門前で、その家の人から載せ台を返却してもらうのを待つ。
 事件が起きた。ある家の前で、店員がしくじって名札を載せるのを忘れたのである。甚之介もそれに気づかず持っていってしまった。店員が気が付いたときはすでに甚之介は家から出てきたところだった。
 店員は真っ青になったが、9歳の甚之介は平然としていた。「いい考えがある」と言って、載せ忘れた名札を手に取り中庭に入りぽいと落とした。
 そしてその家の人から台が返却されるときに、「おや、これは落ちた名札ではありませんか」と言って、先ほど落とした名札を指さした。
 家の人は「これは失礼しました。先ほどのお歳暮に載せておきましょう」と言い、名札をもって家に戻った。
 付き添いの店員は、さすがは主人仁兵衛の息子だけある。9歳にして大した知恵があると感激して、店に戻るや同僚に「甚之介様はすごい」と話してまわった。
 話は、父仁兵衛の耳にも届いた。

 同書では、いったん、話が中断される。


 ここまで読んで、読者は、何を感じ、また仁兵衛がその息子をどうしたか、予測できるであろうか。予測のあたった人は、徳川時代の商人――といってもこれはやや理想像に近いが――の道徳的水準に達しているわけだが、私のみるところでは、そういう人は今では少ないではないかかと思う。

 ここでこのストーリーのエンディングを少し考えてほしい。
 仁兵衛はこの9歳にして知恵者の息子、甚之介をどう扱ったか?

 ストーリーの展開からすれば、叱責したと予想は付きやすい。
 では、どう叱責し、どう処分したか。そこがこの物語のポイントだ。

 では解答。

 父親仁兵衛は、もっとも信頼のおける番頭(店員)を呼び、こう言った。
 「もはやこの息子には、店を継がせるわけにはいかない。自分の失態を、お客様の仕業にしたてるような悪知恵が働くとは許し難い。しかも、わずか9歳でこんな恐ろしい悪知恵がはたらくとは成人してからが思いやられる。大悪人になりかねない。親不孝をしでかすまえに、私の祖先の田舎に送って畑仕事でもさせ、15歳になったら勘当(親子の縁を切ること)しよう。店は娘によい婿を取って継がせるしかあるまい。」
 番頭はなんとか、甚之介を許してやってくれと頼んだが、仁兵衛は譲らなかった。

 当たりましたか?

 仁兵衛には商人の生き方があった。


彼にとって商人とは、絶対に、甚之介のような知恵を働かす職業ではなかった。この知恵は彼の目にはおそらく疑似武士道的な、また勧進帳的な悪知恵としてかうつらなかったのだろう。そういう行き方をすれば、商人には破滅しかないと彼は信じて疑わなかった。


しかし商人には「目的は手段を正当化する」という考え方はない。なぜなら、商人の目的は利潤の追求であり、それはただ社会的に正当な手段においてのみ許されること、その正当性を失えば、商人が存続しえなくなることを彼らは知っていた。商人においては「手段が正当な場合にのみ、目的が正当化される」のである。このことを江戸時代の町人は知っていた――おそらく今の日本人以上に。

 ついでながら、この「今の日本人」とは昭和40年代の日本人のことである。
 本書の著者「イザヤ・ベンダサン」は、本書の終わり近くこう問い掛ける。

 以下の言葉は、皮肉と考えないでほしい。外部から見ていると、日本とは、広い意味の商行為に従事するもの、いわば広い意味での商人だけが、国際間にあって、全くひけをとらずに大活躍しているが、他には、何も存在せず、商人以外は全く無能な人たちの国のように見えるのである。日本は軍事ではなく実は「商事」に関する限り、明治以来、不敗であったといってよい。そしてこの「商事」が敗北した如くに見えた場合も、実は、日本国内の他の要素、たとえば軍事が商事を妨害した場合に限られるのである。
 この事情は今も変わらない。日本には国際的指導力をもつ政治家がいるわけではない。また世界の世論を指導する言論機関があるわけでもない。日本の言論機関は、国内では大きな発言力をもっているように見えるが、国際的には沈黙しているに等しい。また世界的な指導力をもつ思想家がいるわけではない。外部から見ていると、日本には思想家は皆無だとしか思えない。政治において、国会は不能率というより麻痺しているように見え、外交は稚拙の一語につき、だれもこれを自国の模範にしようとは考えないであろう。


 各人が静かに自問されればよい。一体日本に何があるので、世界は日本に注目し、日本を大国として扱い日本の動向に注意を払い、日本に学ぼうとするかを。いうまでもなくそれは日本の経済発展であり、それ以外には何もないのである――この言葉を、たとえ日本人がいかに嫌悪しようと。


 そして日本の経済的発展は、原料を買い入れて、下請けに加工させて、製品としてこれを販売した徳川時代の町人の行き方を、国際的規模で行うことによって、徳川時代の町人が富裕になった同じ方法で達成されたのであった。そして日本で国際的評価に耐えうるもの、というより高く評価されるものは、これを達成した「商人」しかいないのである。

 これを言っているのは山本七平だろうか。
 山本は後年、勤勉の哲学として日本の成功をその勤勉のエートスに結実させた。「イザヤ・ベンダサン」はその思想をどう見ただろうか。
 私には、少し違いがあるように思える。
 しかし、本書には後年の山本七平につながるその人がこっそりと顔を出してもいる。近代天皇制国家に向かう明治維新の心性を町人の思想に対比させてこう語られる。

明治維新は「市民革命として不徹底であった」という考え方は、まことに不徹底な見方といわねばならない。初期の「志士」たちの考え方は、もちろん西欧の影響もなく日本の町人思想の影響もなく、むしろ彼らが考えた「朱子的秩序」を理想とする一種の「空想的疑似朱子的秩序化文化大革命」とでもいうべき、非常に特殊なものだったからである。
 西洋史の概念を、そのまま彼らの思想行動にあてはめることはできない。これは町人思想から見れば、恐るべき逆コースであり、徹底した復古反動思想であった。しかし彼らは、それに対して「思想闘争」を行おうとは全く考えなかった。諸人が口を揃えて、今の秩序は「にせものだ」「にせものだ」と言うなら、それは言わせておいて一向に差しつかえなかった。新しい舞台の幕があいて新しい『勧進帳』が演じられるなら、その興行主は、自分たち以外はないことを知っていたからである。
 確かに彼らのおもわくははずれなかった。疑似朱子的秩序の信奉者(もしくは信奉者をよそおった者)は、西郷と共に城山でその政治的権力を失ったが、彼らの亡霊はその外形を変えて主として日本の軍部とその同調者にうけつがれ、約半世紀後に、日本人全体に一種の復讐をする形となった。彼らは太平洋戦争の終結と同時に一応消えたように見える。しかしおそらくでに新しい装いで再登場しているであろう。

 イザヤ・ベンダサン名でホーレンスキーとの対話をネタに本を書いているとき、山本は著作家になろうとは思っていなかっただろう。後年、この課題を「現人神の創作者たち」(参照上参照下)に結実させたのは、ある意味で偶然であったかもしれないし、死に切れなかったがゆえの戦いが生涯続いていたからかもしれない。

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2008.03.29

日本経済の壮大な歴史実験から他国が学べること

 米国での関心としては民主党候補の熾烈な争いという文脈なのだが、ヒラリー・クリントンがぶちあげた経済政策について、ビル・エモット(Bill Emmott)元英エコノミスト誌編集長が28日付ワシントン・ポストに”Lessons From Japan's Malaise(日本沈滞からの教訓)”(参照)という興味深い反論の寄稿をしていた。クリントンは、日本の大手紙の社説の英訳でも読んだのか、「米経済は日本型停滞に陥るから財政出動あるべし」みたいなことを言ってしまったらしい。
 エモットは、「極東ブログ: [書評]日本の選択」(参照)ではどちらかというと控えめなのだが、この件については、それは違うよということ声高に言っている。
 で、その反論を読んでいると、当の日本人としては、ちょっと花見酒にはよさげなやけくそな気分になってきてしまった。というわけで、ちょっとご紹介。試訳も付けたけどご参考程度に。
 話はこう始まる。


A little knowledge can be not just dangerous but grossly misleading. That is the right conclusion to draw from the latest, surprisingly reassuring data about the U.S. economy and from the interview in yesterday's Wall Street Journal in which Sen. Hillary Clinton warned that America must avoid a "Japanese-like situation."

知識の不足は危険であるばかりではなく、大きな錯誤の道を導くことになる。米国経済についての最新の心強いデータと、昨日のウォールストリート・ジャーナルのインタビュー記事でヒラリークリントン上院議員が、米国は「日本のような事態」を避けなければならないとした警告から引き出された結論が、これに当たる。


 ようするに、エモットが言いたいのは、クリントンの日本経済観は半可通なので、そんな知識を元に米国経済を論じると、ひどいことになりますよ、ということだ。

Clinton should have researched what actually happened in Japan after its financial crash before using the bogeyman of a Japan-style malaise to support her proposal that taxpayers' money be used to bail out holders of troubled mortgages. She thinks that Japan's mistake was to rely excessively on monetary policy to rescue its economy, rather than on fiscal and other measures. The truth is the exact opposite.

クリントンは、日本式停滞のお化けをダシにしてまでして、抵当問題を抱える人の救済に納税者のお金を使うべきだとする提案を出す前に、日本の財政崩壊後に実際に起きたことを調査すべきだった。彼女は日本の間違いは、財政で他の処置を取るより経済救済のために過度に金融政策に頼ったとしている。事実はまったく逆だ。


 エモットのクリントン理解が違っているとも言えるのかもしれないが、エモットにしてみると、クリントンは「日本が金融政策で失敗したので財政政策を取れ」と理解したのだろう。
 ちょっと考えると普通の国際的な知識人ならそんな誤解ができるわけもないような気がするが、クリントンのことだからようするに政府がカネを出せばいいとか言いそうな感じもしないではない。クリントンもオバマの経済面では大丈夫だろうか。「オレは経済知らない」とかぬけぬけ言うマケインのほうがましかも。
 エモットの話は、クリントンの経済政策批判という枠組みだが、以降縷々といかに日本が失敗したかを説明していく。読んでいて泣ける泣ける。痛い痛い。
 まず失われた10年の認識から。

Japan's stock market collapse began in January 1990 and continued throughout that year. The property market followed, with a lag. Yet the Bank of Japan did not try to prevent this financial crash from damaging the real economy by cutting interest rates, as the U.S. Federal Reserve has done spectacularly during the past three months. To the contrary, Japan's central bank used its monetary policy as if to make sure that the country's asset-price bubble had truly burst: It carried on raising interest rates until September 1990 and did not make its first cut until July 1991, 17 months after the financial crisis began.

日本の株式市場崩壊は1990年1月から始まり、その年を通して続いた。少し遅れて、不動産市場が続いた。それでも日本銀行は金利を下げることで、実体経済の打撃から財政崩壊を防ごうとはしなかった。が、連邦準備制度理事会は過去3か月の間手際よく実施してきた。対照的に、日本の中央銀行は資産バブルを徹底的に潰すために金融政策を使った。1990年9月まで金利を上げ続け、財政危機の後の17か月も経った1991年7月までその初回の下げを実施しなかった。


 「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」(参照)はお笑い陰謀論だし、あのプロットの裏知恵もなんだかなだが、それにしてもあそこまで資産バブルを潰すことはなかったんでないのかなとかぼんやり眺める今日の桜は美しい。
 日本の経済政策としてはどうか。

In fact, the Bank of Japan did not begin using monetary policy as an aggressive tool to arrest the slump until deflation had set in toward the end of the 1990s. Japan did do two things: It used a massive increase in public spending, particularly on construction projects, to try to rescue indebted firms and to inject public money into the economy; and it helped banks conceal the true extent of their losses and their bad-debt burdens, in order to prevent markets from clearing at painfully low prices.

実際のところ、日本銀行は、積極的に停滞を抑制する手段としての金融政策を、1990年代の終わりになるまで実施しなかった。日本が実際にやったことは2つあった。特に建設プロジェクトの分野で、負債企業救済の試行と、経済に公共支出の注入をした。もう1つは、痛ましいほど低価格で解消されないよう市場を守るために、銀行が損失規模と不良債権負担の実態を隠蔽することを助けた。


 この時代を生きた日本人としては、事此処に至って如何ともしがたい、というか、エモットの言うとおりでしょう。
 かくしてエモットがクリントンに授ける今北産業的まとめはこう。

The best that can be said about the Japanese experience is that its vast fiscal stimulus may have averted a deep recession at the price of a long stagnation. It also greatly delayed the necessary restructuring of the country's banking system and, by providing huge cash flows to political lobbies, greatly delayed political reform -- a mistake from which the country is still suffering.

日本が経験したこからせいぜい言えることといえば、膨大な財政刺激によって深刻な不況を避けたのかもしれないということだが、長期停滞という対価を支払うことにはなった。同時に日本の銀行システム再編の必要性を遅らせ、特定政策団体に巨額のカネを流すことで、政治改革も大きく遅延させた。この失策で日本はいまだに苦しんでいる。


 仔細に読むと若干エモットはブレがあるかもしれない。「極東ブログ: [書評]「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか(リチャード・クー)」(参照)のようなモデルも成り立つかもしれない。とはいえどちらも机上の空論的歴史のIFにすぎないのだが。
 日本から学べるエモットの教訓はこう。

The real lesson from Japan is: Be careful in jumping to judgment. Of course, it could be that the data speak the truth: that there are enough supportive elements in the economy, such as rising exports and an expansionary monetary policy, to keep the recession mild. It may be that corporate America as a whole has stronger balance sheets and less debt and so isn't affected the same way as was corporate Japan.

日本から本当に学べることはこうだ。結論にジャンプするには注意深くあれ。もちろん、データは真実であるかもしれないが、経済には多様な要因がある。例えば、不況を緩和させたいなら、輸出を増加させることや通貨拡張政策を取ることができる。アメリカ全体が強いバランスシートと少ない負債を維持することもできるし、であれば日本全体のような影響は受けない。


 ちょっと曖昧に書いているけど、ジャンプとは財政出動のことだろう。財政出動より他の手を組み合わせてなんとかしたほうがいいよ、と。
 さらに、痛みは痛みとして避けないほうがいいというのが日本の教訓だよ、とも。

The other lesson from Japan is that not allowing markets to clear, or at least reach some sort of new equilibrium, risks storing up even bigger problems for the future. The biggest differences between the U.S. and Japanese economic and financial systems lie in flexibility, transparency and rapid adjustment to new realities. America at its best is a mark-to-market, take-your-punches economy, whereas Japan was and is a cover-up economy.

日本から学べるもう一つのことは、市場を曖昧にして、ある種の均衡を維持し、未来に大きな問題を積み上げるというリスクを避けることだ。経済と財政制度において、米国と日本の最大の違いは、新しい課題に対して、柔軟性、透明性、早急な対応を取る点だ。米国の良い点は、市場対市場の経済であり、痛みを自分で受け止める経済であることだ。対照的に日本は隠蔽経済になっている。


 というか、嘘を嘘で固めると反対の反対は賛成なのだ、みたいになる奇妙な論理が日本かもしれない。どうにかならないのか日本とはちょっと思う。桜がきれいだ。
 エモットの話の締めがちょっとしんみりくる。

Unlike Hillary Clinton, Bernanke at least appears to have studied what actually happened in Japan during the 1990s.

ヒラリークリントンとは違い、バーナンキは少なくとも、実際に1990年代の間に日本で起こったことを研究したようだ。


cover
ベン・バーナンキ
世界経済の新皇帝
 まあ歴史というのは人知の及ばぬところではある。バーナンキでもどうにもならないというか、過去と現在は違うかもしれない。でも、ドラム式がタイムマシンがあれば僧正を招聘してきたくもなるといった感じか。


追記: クリントンの元発言
 WSJ.com”Transcript: Clinton on Economy, Mortgage Crisis and Trade”(参照・会員のみ


WSJ: Today, Paulson didn't criticize you by name but did criticize the idea, he said "we do not need a systemwide solution to underwater problems." It didn't mention you buy name but it was pretty clear that's what it was.

Sen. Clinton: Well, you know I'm pretty used to being criticized by the Bush administration. I have a very high regard for Hank Paulson. I have known him a really long time and I'm glad the administration is finally acknowledging that we've had these regulatory problems in the financial markets, but you know I'm somewhat skeptical. Count me as someone waiting to see what they'll actually do. Because when I first started talking about the problems in the subprime market back in March of last year, I was dismissed. I talked about it again in August. I talked about it again in October. I went to Wall Street in December and proposed the moratorium and the interest-rate freeze and I was again criticized by the administration. Yet now how many months later, sort of slowly and begrudgingly I see actions starting to be taken, including entertaining a moratorium approach that suggests there is a daunting recognition that this problem is not going away and there does have to be some government action to try to prevent it from really spiraling downward.

WSJ: Although the interest-rate freeze and the moratorium are still widely criticized, largely by people that say that you need to find a bottom basically … . You need to find a way in which you can get buyers into the market and that this might sort of delay that recognition and inadvertently … put us into a Japanese like situation where the problems never really get solved or take years and years.

Sen. Clinton: I obviously don't agree with that. Because I think to the contrary, we might be drifting into a Japanese like situation. It's one of the reasons I assume -- without any inside information -- that the Fed took such extraordinary action last weekend in acting to prevent a Bear Stearns bankruptcy with all of the cascading consequences that would have resulted in the economy. And I think we keep looking at only one end of the problem. What are we going to do about the financial-services industry? How are we going to do deal with them? Well, let's figure out how to back up J.P. Morgan Chase when they take the assets and liabilities of Bear Stearns … Let's try to keep dropping interest rates. I just don't believe we can work our way out, and that includes figuring out what the bottom is, unless and until we try to stabilize the housing market, and that means addressing the foreclosure crisis. We obviously see it differently. I think their record of inaction over the last several years certainly supports my position. Because they've never found a reason to act vigorously or preemptively to try to prevent some of these unfortunate developments so therefore I really don't know how much credibility they have in their critique of where we are now. And obviously the recommendations I've made about foreclosures are affordable, they would certainly restore confidence I believe, contrary to the critics who think it would somehow undermine it. I believe it would stop the bleeding and enable us to stabilize the patient.

WSJ: You were saying we might be drifting into a Japanese-like situation? ...What do you mean by that? What's your concern?

Sen. Clinton: Look where we are with monetary policy. Maybe we've had a few little spurts of positive response with the last two cuts by the Fed but I don't think we can work our way out of the problems we're in, in the broad-based economy, with monetary policy alone. I think the Japanese tried that and tried that and tried that and there was just a lot of other challenges that they did not confront until relatively recently. There are many other contributors. I don't think we'll have the strong growing economy we need until we have the strong energy policy, for example. I think that goes hand in hand with fiscal responsibility and being smart about how we move away from our dependence on foreign oil. Obviously the events of the past month or two have been deeply troubling when you look at how the price has increased with really no end in sight and the American government under President Bush doing nothing other than pleading with OPEC not to raise the price or to increase supply. I just think that the global economic verdict on the administration's management of the economy is pretty negative. If my memory is right, I recall reading an account of the last OPEC meeting after President Bush had asked them please to help us out, they said "no we won't." He said he was disappointed. And the spokesman for OPEC said something to the effect of there's enough supply in the world, the problems in America are due to their economic management. Unfortunately it hurts because I think there's some truth to it.


 ざっと見た感じでは、クリントンの日本経済理解(特に下線部)はエモットの指摘のように間違いであるように思われた。

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2008.03.28

[書評]魅せる会話(エドワード・デボノ)

 私が中学生のころ水平思考が話題になった。当時ブルーバックス読み少年でもあり、「水平思考の世界 電算機械時代の創造的思考法」(参照)も読んだ。あのブルーバックスは実家の書架にあるか整理してしまったか。アマゾンの古書を見ると一万円近いプレミアムがついている。

cover
魅せる会話
あなたのまわりに
人が集まる話し方
エドワード・デ・ボノ
 思考の技術としては、当時流行ったKJ法こと「発想法 創造性開発のために」(参照)や京大カードこと「知的生産の技術」(参照)などと同様に、一種の古典として、「水平思考の世界」も安価に復刻されるとよいかと思う。ただ、さすがに電算機の時代は終わったので、古色蒼然たるものがあるにはあるが、上手に読み返せばこうした書籍から直接啓発される部分もまだあるだろう。ついでだが、マインドマップのブザンも70年代の同じ潮流にあり、初期の「トニー・ブザン 頭がよくなる本」(参照)には類似の傾向が感じ取れる。
 本書「魅せる会話(エドワード・デボノ)」だが、オリジナルは2004年の「How to Have a Beautiful Mind」(参照)で、同年にペーパーバックが出て現在でも継続して読まれているようだ。ある意味でこの時点までのデボノ哲学の集大成になっているので、昔水平思考関連でデボノ思想に関心を持ったかたにとっては便覧的な意味合いもある。
 オリジナルタイトルを直訳すると、「美しいマインドの持ち方」となるが、意外とこのマインドの語感が難しい。ブザンのマインドマップに近い意味合いがあり、日本語でいう「心」というより、頭脳や脳機能の含みがある。日本語の語感に接近させると「エレガントな脳の使い方」となるだろう。この点は帯の説明がわかりやすい。

刺激的で心が躍る楽しい会話は「ビューティフル・マインド」の発露です。
この「美しい心」は、本書の思考技術をマスターすることで養われます。
相手に魅力的と思われる人になるためには、高いIQや学歴など必要ありませんし、人格者である必要もありません。
ただ、想像力と創造力を広げればいいのです。
本書では「会話」において、どうすればそれができるのか、その秘密とテクニックをじっくりお教えします。

 実際の内容は、邦題のように会話術が中心になっている。この会話術なのだが、なかなか日本の類書の会話術とは違っている。私は、これは一種、インタビュー術と言っていいかと思う。先月「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)など、コット関連の本で三冊エントリを書いたが、インタビューの名手コットのような話を膨らませる問い掛けや会話術の、もっとも基礎的な部分が、このデボノの書籍に書かれている。くどいけど、本書は英米雑誌で読む切れのいいインタビューアのチートシート(虎の巻)にもなっている。
 実際、本書では各章末に箇条書きで、チートシート的に要点がまとまっているので、一読された後は、このまとめを読み、理解できてない部分の本文を読み返すというふうに、絶えず便覧的に利用されるといいと思う。昨今はやりのライフハック的なネタは満載という趣もある。
 目次も簡単に紹介しておこう。各章がそれぞれ1冊の本になるくらいの深みがある。

1 同意の仕方
2 反対意見の述べ方
3 異なる意見の述べ方
4 関心をもつ方法
5 返答の仕方
6 話の聞き方
7 質問
8 パラレル・シンキング―六つの帽子
9 コンセプト
10 代替案
11 感情
12 価値
13 話題の転換と脱線
14 情報と知識
15 意見
16 話の中断
17 態度
18 会話の始め方と話題の選び方

 ただ率直に言うと、私としては本書は読みづらい本だった。というのは、簡単に読めるし理解もできるのだが、身につかないことが実感されるからだ。本書は、この「美しいマインド」を習得し、実践できるようにならないと意味がない。デボノは優しくそこに留意するようにもしている。

 本書は成功法を説いた、一時間もあれば読めるようなお手軽な自己啓発書ではありません。何度も読み返すことができるものです。はじめてテニスの試合を見た人は、そのときはテニスを「理解した」と考えるかもしれません。しかし、テニスがどういうものかを理解することと、実際にテニスをすることとは、まったく別のことです。あなたは本書で説明した技術を練習し、身につけなくてはなりません。会話をしている最中に自分や相手を観察しながら、本書で読んだことと結びつけてみてください。こうしてあなたは本書の技術を身につけ、美しい心に磨きをかけていくのです。


 これまでの思考法や会話術では、「論争」や人の間違いを証明することに自然と重点が置かれてきました。その光景はかなり醜いものに見えます。戦争は悲惨なだけですし、人を支配しようとするエゴも醜いものです。
 忘れていけない大切なことは、本書で取り上げたことは、思考の「技術」であるということです。この技術には、高い知能指数も、高い学歴も無用です。知識も必要ではありません。しかし、この技術を利用さえすれば、どんな人でも心を美しくしていくことができるのです。

 くどいけど、日本語の語感の「美しい心」は倫理的ないし宗教的な含みを持つが、デボノの場合は均整や調和の美だ。だが、そのリザルトとして日本的な美しい心が生まれてくるだろうとは思う。
 かく書きながら自分がネットの上でそれが実践できたかというと心もとない。それゆえにこそ、私はこの便覧を時たま繰り返し読み、そのたびに、ごく普通に理解していたことの深みを知ることになる。

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2008.03.27

中国人のわかりづらさという雑談

 中国人といっても実際はかなり多様なので「中国人の考えかたはこうだ」というのは単につまらない偏見だったりする。それでも日本人側から見ていると、誤解というか理解至らずの齟齬が繰り返され、「ああ、またか」と思うことはある。たいした話ではないので、これも雑談的に書くだけにしたい。
 まず例の中国毒入り餃子事件だが、李小牧が書いた、ニューズウィーク日本版3・26のコラム「日中ギョーザ紛争は歌舞伎潮流で解決せよ」が面白かった。日本人の中国人誤解の一つのパターンだと彼は見ている。日本の警察が言うように袋の外側から殺虫剤が染みこむことはないだろうとして、こう続ける。


 たとえそうだとしても、それを日本側が最初から大きな声で言ってしまっては、中国の立場がなくなるではないか。
 今回の事件には、解決できるチャンスがあった。発覚直後の2月始め、中国の調査団が来日した。わざわざ調査団を日本に送ったということは、中国当局がその段階で、自分たちの責任を認識したことの何よりの表れ。自分たちが悪いと思わないのに、よその国に説明に行くなどということを、中国人はまずしない。

 中国人の要人がどのように外国を訪問するかというのは、そこで言われている以上にシンボリックが意味があるものなので、この件では、李小牧の見方は正しいかもしれない。しいて異論をいうと、こんなことで商売のお客を逃したくない必死感もあったかもしれない。

 しかし日本側は、被害者意識から中国混入説を繰り返し、中国側を逆ギレさせてしまった。歌舞伎町滞在20年の経験から見て、日本人はケンカがうまくないと思う。交渉なんてできないと言っていい。

 この先、李小牧は「毒とつき合って広がる世界だってある」と言うのだが、率直に言うとそういう世界と付き合いたいと思う日本人は少ないだろう。が、冷静に考えるとそういう世界と付き合う以外に日本人が生きていく道はないのだから、結果李小牧のように考えるべきだったかと思う。
 ただ、最近世相のヒステリーを見て思うのだが、被害者になったらすべて正義の御旗になってしまう。たしかに被害者自身には正義はあるのだけど、直接的に関係していない被害サポーターが多過ぎる。社会構造的に見れば、加害のポジションなのに心情被害のサポートをして迎合的に加害者糾弾することで自身が正義にならないといられないような言説が多くなったように思える。
 この中国毒入り餃子事件だが、チベット報道についての背景もあるのだろうが、胡錦濤政権側はそれなりの配慮の動きをしているようだ。些細な事例でもあるのだが、毎日新聞記事”潮流:不信解く思いやりの心=中国総局長・堀信一郎”(参照)などもよい視点だろう。

 例えば、15日に北京で開かれた「日中青少年友好交流年」の開幕式だ。北京では全国人民代表大会(全人代)が開催中で、通常、全人代の期間中は海外からの要人を受け入れない。共産党トップが、全人代以外の行事に出席することはない。だが、胡錦濤主席は「新日中友好21世紀委員会」の小林陽太郎座長らと会談し、「日中の戦略的互恵関係をさらに完全なものにしたい」と述べた。

 こういう些細な人脈を中国人はけっこうくじけずに積み上げていくし、日本人もそれに応えてきたものだが、時代は少しずつ変わる。
 同記事では次のように結ぶのだが、多少迎合的な記述になり、その分、日本側で反発を買うのかもしれない。

 ギョーザ事件は真相が解明されていないが、中国公安省の幹部によると、捜査協力過程で日本の警察当局にメンツをつぶされたという。日本側も中国公安省への信頼が揺らいでいると聞く。今後も協力して捜査を進めるという点では日中両国は一致しており、決定的な対立は避けられると思う。ただ、胡主席訪日の準備を進める外務省にとっても「ギョーザ事件をきっかけに日中間の雰囲気を悪くしたのは日本ではない。中国だ」というのがホンネであり、救いようがない。こんな時は、相手を思いやり、誤解を一つ一つ解いていくしかない。

 ざっくばらんに言えば、対国家の問題というより、中国内の中央政府と地方政府の経済的な対立がある。中国人は日本人がそれとなく中国人の実利を導けば、日本人を甘いな愚かだなと思いつつも、それなりに応答は続く。応答があれば交流があり、改善がある。
 李小牧はこうした対立で中国人の面子を重視する。たしかに面子ということもあるが、面子はなんのためにあるかというと、中国人集団の中の機能だ。特に対外的な問題が絡むと外部から面子を潰されるのは、内部的には死活問題になりかねない。
 また史学者岡田英弘は「妻も敵なり」(参照・リメーク「この厄介な国、中国」・参照)の引用になるが、中国人社会ではこういう力学が働く。

 中国人というのは、あれだけ内部で抗争を繰り広げているのに、外部からの声には意外に弱い。というより、内部の声だけでは収拾が付かないので、外部の手助けを求めているというのが、実態に近いかもしれない。
 中国人の面白いのは、中国人だけの学会や会議であっても、必ず一人は外国人を出席させる。それはなぜかといえば、中国人だけで話し合っていては、みんなが自分の利害に従って勝手な主張を始めるため、会議の席順一つ決まらないからである。

 そうした外部が内部に介在するような面子を潰したら、それは必死にならざるを得ない。
 そしてこの面子なのだが、日本人というか日本的ヤクザの面子とは少し違い、やはり言葉が重要になる。
 中国毒入り餃子事件でいうなら、「中国側で毒を入れた」とは絶対に言えない。というかそれがこのゲームのルールなんで、そこを日本側はどう考えるかということから対応しないとどうにも進まない。あるいは、日本式解決、忘れたころにうやむや。もう誰も環境ホルモンとかBSE問題とか関心もってないし、韓国を含めてアジア諸国がグローバルスタンダードな牛肉輸入をしているのにそれはもうニュースでもない。
cover
この厄介な国、中国
岡田英弘
 仮に言ったらどうなるかというと、そこですべてが終わる。ここでも不思議といえば不思議なことになる。日本人の場合だって黒白曖昧にしか言わないじゃないかというのがあるかもしれないが、それは対人的な表出であって、日本人は黒か白か本心を持っている。だが、中国の場合、そういう本心が量子論的な存在になっていて観察者によって波動関数が収束するように言葉になるとその時に決まる。だから、言った言葉が本心であるとは限らない。
 こういう世界では、言わせるための虐待がまたゲームになるし、ここが面白いというと不謹慎なのだが、言わない限り何も決まらない。するとどうなるか。虐待が細分化し巧妙化し技術進歩を遂げてしまう。日本や欧米の考えでは、虐待には情報的な目的が先行し人命などはその下位になるから、つい虐殺してしまう。ところが中国の場合、言葉が出ない内に虐殺をすると「あいつはまずいことを言うやつを始末したな、なぜか」ということになり、虐殺者のポジションが落ちる。
 日本人だと虐殺的な状況に追い込まれると、心情の原理が働き、相手に対して親近感が出れば迎合してげろげろしゃべってしまうし(それで仲間が虐殺されるとも思わない)、自分の組織への一体感があれば死んでもしゃべらない。つまり、誰がその自己を既定するかという他者の問題に還元される。
 この手の中国的虐待の仕組みは、中国人ならたいていは心得ているし、チベット人も心得ているので、中国人はなんとか、語らせようとする。そして語ったら、終わりになる。逆に語らなければ、死ぬまで虐待が続くし、要人なら穏和に続く。趙紫陽はかくして天命を全うしてしまったし、残された言葉があろうものなら、大変なことになる。
 というあたりで、ぼんやり趙紫陽を思った。1989年のチベット弾圧では胡錦濤が先陣を切った。が、そもそもチベットに胡錦濤を派遣したのは趙紫陽だった。趙紫陽としては、これまで軍部の対応より、文官の胡錦濤のほうがチベットを宥和(実際には併合)させるだろうという期待があったのあろう。だがそうはならなかった。それから天安門事件が起きて、趙紫陽は表面から消えた。
 胡錦濤を見ていると、この人何を考えているのかまるで読めない。でも、些細な行動を見ていると趙紫陽のことを忘れているふうでもない。そこまでくると、中国人というのは皆目わからないなと思う。

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2008.03.26

[書評]中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす(遠藤誉)

 勧められていた「中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす」(参照)を読んだ。当初思っていたより読み応えがあった。アマゾン読者評では「意外な読後感」という声も聞かれたが、私の現代中国観・中国人観からはそれほど違和感はなかった。

cover
中国動漫新人類
日本のアニメと漫画が
中国を動かす
遠藤誉
 当初、本書はサブカルチャー的な内容で筆者も若いのではないかと想定していた。だが、そうではなく私より年配のかたの落ち着いた筆で、実際に中国で生まれ戦後史や中国生活も経験されたかただった。その点福田和也のような生活面の歴史的感覚の欠落といった齟齬はなく、安心して読めた。経歴を見ると女性の物理学者らしくなるほど理系的な筆致だ。しいて言うと多少論理の運び方に危うい点もあった。
 書籍全体の論旨は明瞭で、出版社の解説も簡素にまとまっている。併せて目次も簡単に紹介しておく。

 「たかがマンガ、たかがアニメ」が中国の若者たちを変え、民主化を促す--?
 日本製の動漫(アニメ・漫画)が中国で大流行。その影響力は中国青少年の生き方を変え、中国政府もあわてて自国動漫産業を確立しようとやっきになっているほど。もはや世界を変えるのは、政治的革命ではなく、大衆の意識や行動を生活レベルで動かすアニメや漫画のようなサブカルチャーなのだ!
 しかも、日本動漫が中国で大人気となったのは、「悪名高き」海賊版DVDやコミックのおかげ。「ただ同然」のコンテンツがあったからこそ、日本の動漫は中国の貧しい若者や子どもたちに消費してもらえ、知名度を確立できた。
 日経ビジネスオンラインでの連載中から大反響の本企画がいよいよ単行本化。
 現代中国論としても、日中関係論としても、サブカルチャー論としても、比較文化論としても、これまでにない論点を提示し、かつ、膨大な取材に基づき驚くべき事実を掘り起こした中国ノンフィクションの決定版!


第1章 中国動漫新人類―日本のアニメ・漫画が中国の若者を変えた!
第2章 海賊版がもたらした中国の日本動漫ブームと動漫文化
第3章 中国政府が動漫事業に乗り出すとき
第4章 中国の識者たちは、「動漫ブーム」をどう見ているのか
第5章 ダブルスタンダード―反日と日本動漫の感情のはざまで
第6章 愛国主義教育が反日に変わるまで
第7章 中国動漫新人類はどこに行くのか

 本書は、戦後海賊版の日本アニメのビデオやVCDが事実上無料に近い低価格で中国に大量に流れ込んだことで、その内容が成人に達した世代や若い世代の現代中国人のメンタリティーに大きな影響を与えたとしている。さらに日本のアニメは、高品質であることに加え、米国コンテンツとは異なりイデオロギー性が少なく、人類愛、友愛、民主主義といった、あっけらかんとした明るい倫理性をもっているため、ストレートに若い中国人に浸透したと見ている。共産党政府側がその影響力の強さや市場性に気が付いたときにはすでに遅く、中国のサブカルチャーに熱い親日的な傾向ができてしまったというのも頷ける。本書はそのように現代中国への日本のアニメーションの関わりを見ている。
 この視点でよいかと私も思う。ただしこの現象はアジアや中近東、欧州、南米を含め、アメリカにも見られる。現在世界の若者の大半の感性はすでに日本のサブカルチャーによって、洗脳といえば言い過ぎだが、それに近い状態にもなった。もっとも国家的な色合いで親日的傾向をもたらしているとはいえない。世界の子どもたちは日本製アニメをそれほど日本と関連づけて見ているわけではないからだ。
 そういえば以前私が沖縄で一回り年下の米兵と話したおりにわかったのだが、彼は「Speed Racer」こと「マッハGoGoGo」が日本のアニメであることを知らなかった。同アニメは日本人が見れば主人公は日本だが、米人が見ればラティーノくらいにしか見えない。また表面的には日本文化は強調されていない。とはいえ米兵の子どもたちに至ってはポケモンのギャグのセンスまで日本のアニメに浸蝕されている感じだった。
 日本製アニメーションによって、日本のサブカルチャー的な価値観の浸蝕を受けた現代中国人だが、反面現在の日本のメディアから見ると極めて反日的にも見える。その矛盾はなぜか。その考察が本書のテーマになる。
 ごく簡単に私の理解で言えば、矛盾は矛盾として「それはそれ、これはこれ」といった中国人の内部での意識の分裂がある。つまり、「日本のアニメを通して見る日本人や日本文化は評価するけど、南京大虐殺を認めない一部の日本人は困ったものだ」というふうな割り切り方だ。この分離は「日本人は基本的によい国民だけど悪い人もいる」というふうでもあったり、あるいは「同一の日本人側にそうした矛盾した面があるのだ」とそのまま理解しているということもある。著者がインタビューした中国人教授はこう説明する。

 中国人の民族感情を「A」と表記し、日本電化製品と動漫を含めての評価の感情を「B」とするなら、80年代初期はAとBが結びついていました。日本人が嫌いだから、日本製品さえ使わない、という者がたしかにいました。
 しかし今の中国では違います。AはA、BはBです。AとBの感情は何の関連性も持たず、独立し中国人の心の中に存在している。しかも両方とも強烈な存在感をもって。

 遠藤はこうした心理のありかたを現代中国人特有としているが、そうではない。中国の歴史が生んだ中国人特有のごくあたりまえの思考法である。史学者岡田英弘は「妻も敵なり」(参照・リメーク「この厄介な国、中国」・参照)で、類似の心性をこう説明している。

 台湾で研究中、私をかわいがってくれた人に、中華民国行政院内政部長をしていた林金生という人がいる。この人から聞いた話で、いまでも耳に残っていることがある。それは、次のようなことであった。
「日本人はいつでも白か黒か、イエスかノーか、右か左か、正しいか間違っているかということを決めたがりますね。ところが、中国人は違う。何事においても白とも黒とも決めない。中国の場合は、一割が白、一割が黒、あとの八割は灰色なのです」
 この言葉の意味がすぐに分かった人は、バルネラビリティの原理のオーソリティである。
 絶え間ない闘争が繰り広げられる中国人社会においては、今日は白であったものが、明日には黒になるという例はけっして珍しくない。そして、その翌日になると、ふたたび白にあっていたということだって、充分にありうる。

 岡田は中国人の矛盾した二極の価値観の併存を総じてグレーとしているが、私の実感としては、オーウェルの「1984」(参照)のダブルシンク(double think)(参照)に近い。
 もっともそう言うと中国人を貶めているかのように聞こえるかもしれないと懸念するが、思考様式の奇妙さとしては、日本人も類似で、日本人の場合は、対する他者の目の好悪を自己定義の基準にしてころころと価値観が変わるメンタリティもっている(日本人は敗北や過去叱責から精神的に逃避したいがために過剰に相手に迎合する)。要するに、歴史・文化的な思考様式にはいろいろあるということでしかない。当然、中国人にも日本人にもそこから相対的な「誠実」といった価値観はありうるし、日本人のステレオタイプな中国人観とは逆に、商慣例において中国人商人はある意味徹底的に「誠実」でもある。これは実感してみないとうまく通じない難しい点である。
 余談を戻す。本書の主張のように、日本人からすると、それでも中国人・中国政府は反日的に見える。それはなぜなのか?
 この問いの一面は簡単といえば簡単だ。現在の反日的な中国及び中国人の特質は、基本的に江沢民時代の影響に絞られるからだ。それゆえ江沢民の時代背景と彼を取り巻く政治的な配置が問われる。その時代背景については天安門事件が当然上げられるし、この点の遠藤の考察はごく妥当なものだ。
 後者、江沢民を取り巻く政治的な配置についてだが、本書の考察はやや弱い。本書にはよく噂にのぼる彼の父親の漢奸話があり、遠藤自身はそれを信じてはいないものの、反日的感情を江沢民の個人的な特性に還元している。遠藤は中国論の専門ではないため、詰めが甘いのはしかたがないだろうが、中国における政治権力の構図は本書ではごっそりと欠落している。
 同様の欠落と言ってよいと思うのだが、後半登場する、従軍慰安婦問題の提起や先日の2005年の反日暴動についても類似の構図がある。あの暴動がが中国国内起源ではなく、米国華人社会の影響だとする点について、私の考えでは半分以上は正しいと思う。確かに反日暴動については当時のニュースでも起点が米国であることはわかっていた。

 前項でも書いたが、当時、私はデモに参加したと思われる学生を取材したが、彼は私に「政府が(反日に)立ち上がらないのなら、僕らが立ち上がる。僕らの力を見せつけてやる」と、いまいましそうに吐き捨てた。この意見を聞けばわかるように、彼らはすでに政府のコントロール下から外れようとしている。ゆえに政府は彼らを警戒しているのだ。このときは政府の力を見せつけ、彼らを押さえ込んだが、政府の懸念は払拭できていない。

 遠藤にしてみると、反日暴動に中国政府は加担していない。民衆の反政府的な動向が、米国華人勢力によって誘導されたのだと見ている。
 私はこれに半分以上同意してもよいのだが、もう半分は、あの暴動は大枠ではやはり中国国内の権力闘争の一面だと考えている。あの暴動は極めて統制されており、それゆえにある意味で胡錦濤政権と日本をトラップに嵌めるための罠だっただろうと私は考えている。
 とはいえ半分以上は遠藤のいうように、中国人の反政府的なエネルギーが溢れたものでもある。そしてその背景には、日本版ニューズウィーク日本版3・19で取り上げられていた、現代中国の人口構成的な社会変動の要因が大きい。いわく「一人っ子政策の崩壊と高齢化が招く人口パニックと社会の空洞化」であり、小皇帝たちの台頭だ。日本でいえば、2ちゃんねるなどで見られる(最近は増田で見られる)学歴ルサンチマンみたいな屈曲したエリート主義の層がある。これが中国の場合、これのルサンチマンが軍部と不用意に結びつくとろくでもないことになる。
 遠藤はまた中国の反日的な特性について、「大地のトラウマ」という説明上の概念でも提示している。

 「反日を声高に叫ばないと売国奴と罵られるかもしれない」という心理状態は、大地に染みついた病理に近い現象だ。ネットに見られた若者たちの悲痛な叫びだけではなく、実は国家指導者たちも恐れおののいている「大地のトラウマ」なのだ。反日は、叫んだ者が勇者となり勝者となり英雄となる。それを阻んだ者は売国奴として社会的な「死刑」を受けるに等しいような攻撃を受ける。これが大地の鉄則だ。共産中国が自ら作り上げてしまった怪物なのである。特に江沢民以降はこの傾向が強まっている。

 この説明も微妙で、遠藤の考えはやはり半分は正しいと私も思う。あるいはこうした中国人の特質は、中国史・中国文化を見てきた人間なら別にごく普通に理解できるものだ。先の岡田英弘の書籍にも詳しく書かれているが、ごく簡単に言えば、日本人のように白黒決めつける本心を持たない人間の集団(中国人社会)において恐怖に結びつく権力が発生する場合、その統制には、シュプレヒコールのような言葉の看板を使わざるをえない。毛沢東語録といった、およそ対外的に翻訳した失笑しか買わないような貧弱な内容の小冊子を文革時の中国人が皆で持ち歩いたのも同じ原理だ。
 まただからこそ中国人同士で謀略があるなら、この原理が応用される。たとえば為政者が政治的にある施策を巧妙に行いとき、その反対勢力は言葉で陥れる状況を作るべく謀略を仕掛ける。今回のチベット暴動についてはその言葉は「祖国分裂」と決まっていた。この手の中国人謀略のパズルは慣れるとそれほど難しいものでもないし、近代史の各種の謎もすんなり解けるのだが、いろいろわけあって現状では解明されていない。さらに余談になるが、ユン・チアンの「マオ 誰も知らなかった毛沢東」(参照上参照下)などもそうした観点からみると、目から鱗が落ちるといった類の本なのだが、日本では史学的にトンデモ本として実質葬りさってしまった。あるいは反中勢力の視点から恣意的に読まれるだけだ。そもそも「マオ」は、「ワイルド・スワン」(参照上参照中参照下)の続編としての意味があり、その文脈で見直せばユン・チアンの意図が見える。それでも「マオ」ついてはそれをサポートする欧米での学術研究がまだまだ十分に出て来ていないので、これ以上の言及は難しい。
 著者遠藤誉について私は少し意地悪なことを言ったかも知れないし、糞ブロガーの分際で噴飯・夜郎自大なことを言ったのかもしれない。だが私は、本書を読みながら筆者遠藤の歴史感性を実は深く受け止めてもいた。
 例えば、先の説明でなぜ「大地のトラウマ」という造語になったのか。そこはすんなりわかった。本書だけ読めば、これが中国の「農民革命」に結びついているのだが。

 一つは中国人の群集心理『日本動漫』の著者である白暁煌氏も指摘していたが、中国人は一群の誰かが何を叫び出すと自分も同様に叫ばないとまずいという群集心理が働きやすい傾向がある、と彼自身が認めている。


 実は、この心理ほど、中国を分析するのに重要なファクターは他にない。そう言っても過言ではないほど、見逃してはならない心理状態だ。これこそが中国を読み解くキーポイントなので、注意していただきたい。
 かつてのソ連のように都市労働者を中心としたプロレタリアート革命と違い、中国は農民を中心として展開された「農民革命」によって誕生した国だ。家もなく結婚もできない農奴たちを一つにまとめ、「誰が飯を食べさせてくれるか」を選別の基準として蒋介石と区別し、毛沢東は革命の炎を中国全土に燃え上がらせた。だからこそ成功したのだ。人口の90%が農民だったからである。
 このとき、地主に反逆し、地主を祭り上げるのは、農民にとって自分の命と引き換えの行為。失敗すれば今度は自分の命が消える。

 つまりこの考えかたが、遠藤の「大地のトラウマ」という造語の背景にある。
 だが端的に言うと、遠藤の脳裏にはパールバックの「大地」(参照)があり、このキーワードは戦中世代の進歩的日本人のごく当たり前の中国観だった。
 しかも彼女の場合、社会革命の背景理論にも精通していないし、同世代の知的日本人が暗黙に同様なのだが、雰囲気的に親ソ連的な傾向にあり、スターリンが農民を虐殺したことについてはあまり本質的に考察していない(同様に遠藤は毛沢東による中国民衆の虐殺の歴史についても礼節上、沈黙している)。
 それでも遠藤は日中の戦後史の生活空間を良心的な日本人インテリとして生きたことで、その歴史的な感性が本書に深みを加えているし、遠藤の年代から全共闘世代に至るまでの日本人知識人の中国への共感も本書によく表現されている。
 そのある意味健全な生活歴史の観点から、共産党中国がどのように国民党中国と拮抗したのかも、実感的に理解されていることは、次のような懐疑からも伝わってくる。

 たとえばアヘン戦争時代に侵略国と戦ったのは、現在の共産党ではなかった。英国と戦ったのはあくまで清朝政府であり、しかも漢民族の政府ではなく、満州族の政府だった。だからアヘン戦争は「中華人民共和国」という国家の礎として位置づけられず、現在の中国政府の国家構築の礎となったのはあくまで「抗日戦争」、と中国も中国人も考えている――そうとらえることもできる。
 無論、このロジックには矛盾がある。
 そもそも「抗日戦争」に勝利して主権を回復したのは、国家主権という観点でいうならば「中華民国」である。現在の「中華人民共和国」ではない。もちろん、「中華民国」というくくりの中にに、「中国共産党」もあり「国民党」もあった。すべての中国民族が犠牲になり戦った。その中でも内部対立があり、国民党は一時期、日本に対して融和的に迎合し、中国共産党に対して激しい攻撃を加え続けたこともある。それは事実だ。しかし、国際的視点でいうならば現在の中国、すなわち「中華人民共和国」が新しく建国されたのは、日本との戦いに勝ったからではなく、もちろん、その前提はあったとしても、「国民党との内戦にである国共内戦に勝利したから」だ。
 このロジックをきちんと用いるなら、国家建設の礎は、「抗日戦争」ではなく、「国共内戦」ということになりはしないのか。

 仔細に読むといろいろツッコミ所があるのが、ざっくりとして見ればそういうことであり、これは全共闘世代の前の世代の日本人にとってはごく当たり前の観点だった。毛沢東・周恩来ともごく共通に理解できる土台でもあった。今の若い人は意外に思うかもしれないが、毛沢東ですら親日的であったし、日中戦争を抗日戦争としてのみでは捉えていなかった。
 このあたりの、少し古い日本人なら普通にわかる縦糸たる歴史観が本書には自然ににじみ出ていて安堵感を覚える。歴史学プロパーではない物理学者という普通のインテリだからこそ、歴史的な制約はあるにせよ、普通に日中の歴史を見ることができるし、そういうふうに見ることが日本人に可能であることをごく普通に知らせる良書となっている。

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2008.03.24

日銀関連で最近思っていること

 日銀関連の話なのだがもわっとしていてどう切り出していいかわからない。気になるのだから書いておこうくらいの話。いうまでもなく経済音痴の話なのだからたいした内容はないのでそこんところ、よろしく。
 話のきっかけみたいのが三つくらいあるのだが、自分としてはまずこのあたりだろうか。今週の日本版ニューズウィーク日本版3・26に”日銀プリンスの支配は続く(The Princes Never Die)”という日銀関連の記事だ。翻訳ものなので読みづらいのだが(原文はネットに公開されていなさそう)、読み進めてから、「あれ?これってヴェルナーじゃないの」と気がついた。2001年に出版された「円の支配者 - 誰が日本経済を崩壊させたのか」(参照)のリチャード・ヴェルナー(Richard A. Werner)である。
 同書が出版されてもうけっこう時間が経つし、内容も陰謀論みたいでありよくわかんないなと思い、それっきりだったので、ヴェルナーというのはもう過去の人かと思っていた。それがニューズウィークにひょっこり出てくるのはなんでだろうか。欧米では日本経済の識者と見なされているのだろうかと、英書を調べてみると、同オリジナルのペーパーバック”Princes of the Yen: Japan's Central Bankers and the Transformation of the Economy”(参照)が2003年、また2003年「虚構の終焉 マクロ経済「新パラダイム」の幕開け」(参照)のオリジナルのペーパーバックが2005年”New Paradigm in Macroeconomics: Solving the Riddle of Japanese Macroeconomic Performance”(参照)に出ている。比較的最近まで読まれているとみていいというか、欧米では意外にヴェルナーの視点というのはそれなり評価されているのかもしれないと思い、気になりだした。余談だが、この「プリンス」もまた「侯」ではないか、よくわからないが。
 ニューズウィーク記事に戻る。日本の沈没は福井日銀総裁が原因だとヴェルナーは言うのだが、それがけっこう執拗な印象を与える。まず80年代福井が営業局長だった時代から責める。


 福井は営業局のトップとして日銀の悪名高い「窓口指導」を駆使して信用調整を行った。そして86~89年、投機的でハイリスクの貸し出しを劇的に増加させる。この過剰な貸し出しの副作用は90年代に不良債権問題として表面化する。日銀はこの不良債権問題もデフレ的な政策で悪化させる。

 この部分の評価は私にはよくわからない。プラザ合意後の円高のバランスとしてしかたなかったのではないかと思う。ただ、問題は日銀の「デフレ的な政策」のほうだろう。
 90年代に移る。

 90年代の金融引き締めでも福井は再度、決定的な役割を果たす。当時大蔵省(現財務省)出身の総裁の下で福総裁を務め、日銀生え抜きとして最高の地位にあった福井は、経済の全体のお金を増やす信用創造の蛇口を閉めて資金供給量を減らし、内需を潰した張本人だ。
 それが90年代の大不況を招き、世界最長のデフレという不名誉な記録を日本にもたらした。
 この信じがたい大失策のせいで日本は何兆円もの資源を無断にし、失業率も経済苦による自殺者数も戦後最悪を記録。世界経済のお荷物にもなった。

 福井と日銀だけがその責めを負うべきか私はわからない。ただ、ヴェルナーと限らずニューズウィークの経済記事を何年も私は読んでいるのだが、ほとんどの海外の識者は90年代の日本は経済面で大失策をした点では一致しており、すでに歴史評価が定まっている感はある。
 この先は毎度のヴェルナー節になる。

 その責任者であるにもかかわらず、福井が既定路線どおり総裁職に推挙されたのは、古参プリンスたちが30年前に行った選択が間違いでなかったことを示すためだ。戦後一貫して日銀とその政策を牛耳ってきたプリンスたちの小集団が持つ権力の証しでもある。

 さすがにこのトーンにはついていけないのだが、がというのは、昨今の日銀総裁騒ぎを傍観していると、ヴェルナーの言っていることが存外に正しいのかもしれないという幻惑感がある。
 日銀ってそんなもの?
 よくわからないし、そこまで独自の権力維持の内向性はないのではないかと思ってもいたのだが、昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)」(参照)でふれた高橋洋一の回顧録を見ていると、なんだかヴェルナーの日銀観と同じとは言えないまでも閉鎖した権力集団っぽい印象は深まってくる。
 日銀の、いわば積極的デフレ政策の意図は何なのだろうか。よくネットのリフレ派が嘲笑的に批判するが、率直に言うと、嘲笑的な批判を読むたびに、日銀だって専門家だしそのレベルの問題ではないんじゃないのと、なんとなく思っていた。
 が、さすがに日銀巨艦をあっという間に撃沈させた高橋洋一が言うと、ちょっとぐらついてくる。この話は2000年のころのことだ。

 では、日銀は確信を持って、デフレ政策を行っているのかといえば、どうも疑わしい。先に指摘した日銀のメンタリティにが底にはある。たとえば、私が金利リスクのときに寺村信行さんに説明したように、日銀には、上の政策の過ちを指摘する若手もいないのだろう。
 自分たちの誤った政策を認めるかわりに日銀が何をやっているか。海外の非難には日銀の人間は誰も反論しない。それどこか、過ちをごまかすために、海外では自分たちの政策については、曖昧にしか語らない。
 アメリカにいる間に、現地でシンポジウムがあり、日銀の人が出席していたが、国内で展開している主張にはまるで触れず、うやむやな態度に終始していた。また、ニューヨーク駐在の日銀の人も、アメリカの学者とはまともな議論を避けているように見えた。
 日銀のなかには、わかっている人もいるのだろうが、みな組織の一員なので、日銀の失敗を認めるわけにはいかないということなのだろう。こういう姿を見せられると、日頃、日銀が日本でいっていることは、国内向けアナウンスだと考える他はなかった。

 2000年ころの問題の評価は私にはよくわからない。
 だが、こうした問題は今現在も続いている。日本経済は好調とされながらデフレは変わらない。高橋洋一の言葉をまた借りる。話は現在になる。

 現在、一部の物価は上昇の動きを見せているが、いまだにデフレ基調から日本が脱却できないのはなぜか。日銀が依然として供給するお金(ハイパワード・マネー)を絞っているからだ。日銀プロパーの福井俊彦さんが総裁になってから、日銀のハイパワード・マネーは年率四%減なのだ。資金が供給されないのだから、デフレ脱却などはできるはずがない。

 そうなのか、この話はもういちど後で触れる。高橋の話を続ける。

 なぜデフレでも日銀はお金を増やさないのか。突き詰めれば、それは日銀に染みついたDNAに起因する。ハイパワード・マネーを増やすには日銀が国債を購入しなくてはならない。国債の購入は、日銀にとっては大蔵省への屈服、敗北を意味する。日銀の強烈なエリートの矜持が、それを許さないのだ。
 根は深い。戦前、軍備拡張路線を受けて日銀は国債を際限なく引き受けて、そのつけで終戦後、ハイパー・インフレになった。いわば羮に懲りて膾を吹くあまり、経済合理性とは関係なく、組織のDNAとして国債は買わない。国債引き受けは、日銀の屈辱の歴史なのだ。
 いってみれば、日銀のつまらない面子のせいで日本はいつまでもデフレから抜け出せないのである。

 率直に言うと、高橋が言うのだから、そうなのではないかと思う反面、私のこの薄らトンカチな頭で十分納得するかというと「経済音痴にはとんとわかりません」に近い。いやくだらない修辞を別にすれば、私は、たしかにデフレは貨幣現象であると理解しても、その背景には需要の低下が大きな原因なのではないか。つまり、臭いお便所に消臭剤を撒いても元が絶たれてないのではないかと、いやくだらない修辞がまた入ったが。
 そこで三点目。これは今月の文藝春秋に掲載された竹中平蔵の「福井総裁が日本経済を悪くした」の記事だ。表題からわかるように、福井元日銀総裁バッシングなのだが、ヴェルナーとは違うし、仔細に読めば日銀だけを責めているのではなく、経済財政諮問会議への批判も大きい。
 話を自分の頭向けに少し整理すると、竹中は日銀を過去からずっと批判しているのではない。2003年時点の対応は評価している。これは経済財政諮問会議批判と同じく、竹中のポジションから自動的にそうなる部分も大きいだろう。だが、私も、そのあたりはそうかなという印象はある。
 もう一つの整理点は、なぜデフレが続いているかだ。高橋洋一のようにさらっと答えだけ言うのではなく、竹中はこう説く。

 経済学の常識では、デフレを誘発する要因としては、次の三つが考えられる。すなわち、受給要因、コスト要因、金融要因である。

 この前提で違うなると話にもならないが、これはこれで正しいのではないか。

 それぞれを日本のケースに沿って考察してみる。
 まず受給要因とは、需要が不足し、供給が多すぎることによる価格の低下をさす。
 しかし、日本では多くの推計から、受給ギャップはほぼゼロか、あってもわずかなレベルでしかない。この面からのデフレ圧力はほとんどない。

 率直に言うと、私は、現在日本経済の問題は需要不足ではないかと見ていた。ただ、竹中が言うことにだから反論ということではない。むしろ、竹中の話が経済学的には妥当なのかと少し頭を整理した感じだ。ちなみに、私が需要不足と考えるのは、日本人いつまでもうさぎ小屋で自足してんじゃねーよ、と発想を変えるべき図からの比較にすぎない。つまり私の考えのほうが、非経済学的だ。

 二つめのコスト要因であるが、技術進歩によるデジタル製品の価格低下や、中国などから安価な製品が購入されることが価格押し下げの一つの要因になっているのは間違いないが、しかし、これは全世界的な傾向である。ほかの国がインフレ傾向にあるのに、日本だけがデフレに振れる決定的な理由にはならない。

 この点については、「極東ブログ: [書評]人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか(水野和夫)」(参照)読んだときも思った。水野和夫の議論は日本経済を論じているのか現代世界全体を論じているのか、資本主義批判をいいことにパースペクティブがほいほい狂う印象があった。
 ただ、水野の議論は別として、私は、この点でも竹中の考えに実はそれほど同意してない。日本経済で一番足を引っ張っているのは、流通だと私は思っていたからで、この部分の贅肉はイスタンブールのドネルケバブ売りのようにいくらでも削れる感じがするからだ。日本人が価格と思っているのは実際には官僚による間接的な業界規制を含む流通コストが大半ではないかと思っていた。また、技術革新はハードディスクのコストパフォーマンスを見てもとんでもない事態にまで進化した。
 とはいえ、近年の諸物価の海外比較を見ると日本が不当に高いとも思えない水準になっている。さすがにドネルケバブも芯が見えるし、実際に削っているのは、ホラー趣味ではないが人肉みたいに、労働ピンハネになってきているようだ。
 なので、この二点めも竹中の概括でいいのだろうと思う。

 では、残る金融要因、つまり通貨の供給量はどうか。
 政府が目標とする名目二パーセントの成長のためには、一般に通貨供給量が四パーセントほど伸びている必要があると考えられる。しかし、ここ数年を振り返ると、日本の通貨供給量の伸び率は、一パーセントを下回る低水準だ。これでは、物価上昇はみこめず、経済成長を望むべくはない。

 ということで、私はこのあたりで、なるほど、証明終わりか、と降参の白旗を掲げました。通貨供給量を増やさないことには、もう全然ダメなんだ、と。

 重要なのは、日銀総裁に「誰がなるか」ではなく、日銀総裁に「何を求めるか」なのだ。
 次期総裁に何より求められるのは、まず通貨の供給量を増やしてデフレを脱却することである。そのうえで、経済をデフレにもインフレにもしなこと――この一言に尽きる。

 だが現実はそこに尽きていないだろう。玉を囲っているのは、飛車たる日銀の他に角の財務省がある。経済成長それ自体が実際には敵視される。高橋洋一の先の書籍から引用する。

 誰でも成長率が上昇すれば、税収も増えると考える。ところが、財務省の幹部たちはそう考えない。成長率が上がると、それに伴い金利も上昇する。そのため、利払いがかさんで財政再建が遠のく。これが彼らの論理である。
 なぜ、財務省内では、このような奇妙な論理がまかり通っているのだろうか。そこにあるのは、彼らのあまりにも近視眼的な思考である。財務省では、せいぜい向こう数年間という短期的な視野でしか経済を考えない。
 二、三年のスパンで見れば、彼らのいう現象が確かに起こる可能性がある。経済成長が税収につながるまでには、しばしの時を要する。その間に、金利は先行して上昇する。したがって、一時的には苦しい状況に追い込まれることはありうる。
 しかし、たとえ一時そうなったとしても、やがて金利の上昇は頭打ちになり、税収の自然増がジワジワと始まる。経済成長こそが、財政再建の近道であるという事実は疑いようもない。


 「反インフレ至上主義」の日銀、「財政原理主義」の財務省、この二つのエスタブリッシュメントのメンタリティは非常に似通っている。

 仮に、飛車と角を論理的に切り崩しても私は日本社会はまだダメだろうと思う。まだ敵に取られて成った龍が残っているからだ。
 高橋のいう、二、三年の苦しい時期にマスメディアという龍は確実に暴れだし、国民をまたヒステリーに追い込み、奈落に突き落とすのだろう。
 そこが日本の限界ならしかたない。

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2008.03.23

[書評]さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)

 書名にはありがちなブログのエントリみたいな煽りが入っているが、「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋洋一)」(参照)は、後代の歴史家が現代の日本を振り返ったとき真っ先に参照される一級の史料となるだろう。そのくらいに貴重な証言資料でもある。

cover
さらば財務省!
官僚すべてを敵にした
男の告白
高橋洋一
 およそ読書人なら必読と思われるのだが、知識人にはいわゆる反小泉の人も多く、まさに小泉政治の懐中にあった高橋洋一の独白には関心をもたないかもしれない。私はいちブロガーとして思うのだが、本書を一番読み込んでおそらく溜息に沈むであろうなと心中を察するのは、Baatarismさん(参照)だ。彼はきっとこの本に対して私より優れた書評を書いてくれるに違いなと念願を込めて、プッシュプッシュプッシュ。
 本書は一般書としてよく編集されているせいか軽くも読める。それでいて、要所要所に「財投改革の経済学」(参照)の裏打ちがある。別の言い方をすれば本書はそうした重たい話の要点が簡単に読めるチートシート的な意味合いもある。大学生はこれを読んでおけば10年後、20年後にいろいろ思うことは出てくるだろう。プッシュプッシュプッシュ。
 一般向けに読みやすく編集され、しかもテクニカルな点はコンサイスにまとまっているのだが、反面、消化不良とまでいわないが書籍としての詰めの甘さのような部分はある。高橋洋一本人が言いづらい部分や、渦中の人としてもう一度文脈に戻して語らせるようなところが抜けている。天才というのは娑婆に疎いなという部分もある(安倍ボクちゃんに期待したんだろうなとか)。そういう点を補うように、インタビューアー的な視点があれば本書の威力はさらに増しただろう。残念なことにその部分の本質は本書の編集からはごそっと抜けていて、同じく講談社「さらば外務省! 私は小泉首相と売国官僚を許さない」(参照)の趣向になってしまった。
 私が高橋洋一に共感を覚えたのは、その明晰な快刀乱麻性もだけど、こんな糞ブログですら郵政選挙のおりは、なんでだよ?っていうくらいバッシングくらったからだ。未だにその余波で私のようなちんけな糞ブロガーまでわけのわかんない攻撃を受けるのだから、高橋洋一の心中察するに余りありすぎ。しかし、彼は明晰にものを見ていたし、特に理系的な人なので解答は出てるじゃん、なぜ?みたく突き抜けていったのだろう。

 人格攻撃もされた。あらぬ誹謗中傷も受けた。だが、恨むまい。すべては新旧の価値観の衝突でしかなかったのだから。

 それはそうだろうが、その価値観の衝突は、糞ブロガーの視野では、「若者を見殺しにする国」(参照)といった不思議な歪みに変形しているようにも思われる。それに関連したかに思える部分も高橋はさらっと見ている。

 もうひとつ加えるならば、マスコミの反体制、反権力のポーズがある。マスコミは人には進歩的知識人と称したがる、左翼主義的な思想を持つ人が多い。体制批判は、現政権に欲求不満を感じる大衆にも受けがいい。そこをうまく役所はついて、自分たちに都合のよい記事を書かせるのである。
 その結果、偏った情報が流され、正常な世論が形成されない。私はこういう状況に置かれている国民は不幸だと思う。

 その不幸がどこまで行き着くのか。ある意味で高橋は楽観視もしている。

私が関わった改革のなかにも、逆戻りするものがあっても不思議ではない。
 しかし、たとえそうなり、抵抗勢力の復権がなかったとしても、今度は日本が沈む。どっちみち、待っているのは改革の続行か、国際的な日本の地位の低下で、抵抗勢力が喜ぶような事態にはならない。

 日本がもう少し沈んで目を覚ますまで無理なんだろう。

 しかし、国民が構造改革などしなくていい、われわれのプランは要らないというなら、それが民主主義というものなので、自分がやってきたことが無駄になっても、それは仕方がないことだと思っている。

 まさに、民主主義というのはそういうものだ。
 話を郵政問題に戻すと、本書でいろいろそれなりの裏がわかって面白かった。あえて書かれていないなと思われることもあった。
 特段に意外ではないのだが、へえと思ったのは、高橋には郵政民営化はごく当たり前のことにとらえれていた点だった。橋本内閣時の財投改革からそれは必然の含みがあると彼は理解していた。

 普通なら受け入れられない、預託の放棄などという案が理解を得たベースには、危機感があった。大蔵省が生き残れるのか、権限を残すのか、どちらを取るかという究極の選択になれば、誰だって前者を取ろうとなる。
 私は上の人たちから「財投債を受け入れれば、大蔵省は、それで本当に生きていけるのか」と何度も念を押された。「ええ生きていけますよ。ただ、今のままでは、金利リスク・シミュレーションをしてみると財投は潰れるのです」――私が諄々と説明すると、最終的には反対できないようだった。
 結果、財投債導入に面と向かって異議を唱える人はいなくなり、財投改革に幹部のあらかたが合意した。今もって、あのとき権限を放棄したのは許せないと私を恨んでいる財務官僚もいるのだろうが、大蔵省は生き残る道として自ら財投改革を選択したのだった。

 これに郵政が賛同した。郵政にしてみると自分たちが集めたカネを大蔵省に持って行かれるくびきから解放されたと思ったのだった。放棄された預託の自主運営は郵貯百年の悲願だった。郵貯の会合で高橋はヒーローとなる。

「この高橋さんが、郵貯百年の悲願を達成してくれた方です!」
 その途端、会場には拍手が沸き起こり、冷や汗をかく思いだった。私は郵貯の悲願を叶えるために、財投債を考え出したわけではない。たんに大蔵省が生き延びる手立てとして選択したに過ぎないのだ。
 しかも、郵政省にとっては郵貯は茨の道への一里塚で、その先に待っているのは、彼らが思い描くようなバラ色の未来ではなかった。自主運用に切り替われば、郵政は民営化せざるを得なくなるからだ。それは、なぜか?

 高橋はこう説明する。ある意味でごくあたりまえのことだ。経済頓馬な私ですら理解できる。あるいは私が理解できるレベルだから違うのかもしれないが。

 郵政公社は、公的性格ゆえに原則として国債しか運用できない決まりになっていた。国債は金融商品の中では、最も金利が低い。したがって、国債以外の運用手段を与え、リスクを多少とらせるようにしないと、経営が成り立たない。
 にもかかわらず、経営ができたのは、財投が郵貯から預託を受けるときに、通常より割高金利を払って「ミルク補給」をしてきたからだ。
 といっても、大蔵省が身銭を切っていたわけではなく、注ぎ込まれていたのは特殊法人から吸い上げたカネである。
 特殊法人は財投を借り入れて、高い金利を支払い、財投は特殊法人から吸い上げたカネを郵貯に補給するという仕組みだった。しかし、特殊法人には多額の税金が投入されるので、結果的には、税金が補填に使われていたことになる。
 したがって、預託で結ばれていた郵貯と大蔵省資金運用部では、それぞれの破綻は相手の破綻に直結する。こうして大蔵省が決断したのが財投改革だった。

 そこまでは橋本行革の時代。その構図が壊れるなら、郵貯は市場に出て国債以外の金融商品を運用しなくてはならなくなる。重要なのはそこの必然的に伴うリスクがあることであり、リスクには経営責任が問われる。だから、民営化が必然になるというロジックだ。
 このロジックだが、郵政騒ぎのことを回顧すると、いろいろ異論もあるのだろうな。
 この他、高橋が提起した問題を理詰めで考えていくと日本の未来は暗澹たるものになるが、民主主義の問題は最終的には国民が決断して選べばいいことだ。そのとき、高橋洋一がまた仕事をしてくれるといいなと私は思う。
 本書では各種興味深い話や、今後日本を襲うだろう問題の指摘もある。エントリを書くとき、あのエピソード、このエピソードとマークしておいたが、エントリはこのあたりでやめておこう。やはりこれはみなさんが読まれるべき本だろう。

追記
 Baatarismさん、ありがとう。「書評:さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白(高橋 洋一 著) - Baatarismの溜息通信」(参照)。
 大きなくくりで、私より批評精神が光っていると思いました。

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2008.03.22

中国のネオコム(Neocomms)という視点

 一昨日書いたエントリ「極東ブログ: チベット暴動で気になること」(参照)では、不確実な情報から気になる部分に推測を加えたので陰謀論のように聞こえるかもしれないと思い、その旨、明瞭に注意を促したが、それでも「陰謀論」にすぎないではないかというべたな批判もいただいた。だが、今回のチベット暴動に中国側の扇動がなかったと言い切るのも同様なのではないか。
 事件に報道についてその後の経緯を見ると扇動は妥当な推定に近づいてくる。さらに、今回の暴動が全人代との関連で考察されるというのは、私の独創ではなく日本経済新聞の社説にあったように、中国ワッチャーならごく普通の水準の発想に過ぎない。
 すると、「中国側の扇動」と「全人代」をどう結ぶかはおよそこのテーマを扱うなら避けがたい課題に思えるが、単に陰謀論としたい人がいるのもしかたがないかもしれない。
 同エントリでは次のようなコメントを早々にいただいた。


田中宇が米国を語るのに似てる。
「ネオコン」の代わりに軍部と上海閥か。

投稿 touhou_huhai | 2008.03.20 16:26


 私は田中氏とは異なり、陰謀論的な推論部分にはマーキングしているので、田中氏の語りに似ていると言われるのは困惑する。なので、その旨簡単にコメントを書いたものの、通じないだろうと思ってすぐに削除した。その過程を閲覧されたかたのコメントが以下なのだろう。

あれ?
コメント消えてるのかな
二番目にfinalvent氏のコメントがあった気がするが、

投稿 773 | 2008.03.21 01:44


 消去したコメント内容は先の通りなのだが、その後、最初にいただいたコメントのポイントは、田中氏的な陰謀論よりも、「「ネオコン」の代わりに軍部と上海閥か」としている発想だったのかもしれないと考えなおした。
 この点、つまり、軍部や上海閥をネオコン代わりに見るという視点について、これもまた私の独創ではないが、関連して少し触れておいてもよいかもしれないと思うことがあるのでこのエントリで簡単に書いておきたい。ここでも留意を促しておきたいのだが、私自身は中国にネオコン的なグループがいると確信しているわけではなく、そのように見えることもあるかもしれないという仮説の紹介に留めているにすぎない。
cover
What Does China Think?
Mark Leonard
 話のベースは、シンクタンク「欧州外交評議会(the European Council on Foreign Relations )」事務局長マーク・レナード(Mark Leonard)による、ニューズウィーク日本版3・19掲載「中国ネオコンの台頭が始まった」による。英語のオリジナルはインターネットで無料で閲覧できる。”World View: The Rise of China’s Neocons”(参照)である。なお、マーク・レナードのこの考察の全貌は近刊の” What Does China Think?”(参照)になるだろう。
 ニューズウィークの寄稿はこう始まる。

 最近の中国というと、オリンピックと経済の話題ばかりで、外交政策の深層で起き始めていた変化は見逃されがちだ。
 概して国力を吹聴しない指導者たちの当たり障りのない発言の裏で、中国は外国に対してどのような姿勢を取るべきかという問題をめぐり、国営シンクタンクや大学を舞台に激しい議論が戦わされている。

 レナードは比較的新しい傾向と見ている。私も中国をワッチしていて思うのだが、期間の取り方にもよるが、変化は一、二年といったスパンではないだろう。レナードはそれを次のように表現する。

そこではリベラルな国際主義者と、ネオコン(新保守主義)勢力が対立するという構図が広がっている。後者は中国の思い描くイメージに合わせて、国際秩序全体を改造することをめざす。

The argument, waged in government-run think tanks and universities, pits liberal internationalists against China's neocons - who aim for nothing short of remaking the entire international order in China's image.


 これをレナードはネオコン(neocons)をもじってネオコム(neocomms)としている。共産主義者(communist)のネオコンという洒落だろう。現状このタームはレナードの書籍が出版前なのでそれほど広がっていない。
 では、中国内のリベラル派とネオコム派はどのような配置になっているのか。まず、リベラル派についてだ。

 今のところ、リベラル派が優勢だ。たとえば胡錦濤国家主席が共産党中央党校の校長だった時期の副校長、鄭必堅は中国の「平和的台頭」という言葉を考案した。鄭のような考え方をする者たちは、国際社会の伝統的なルールを尊重し、争いを避け、中国は脅威ではないという概念を売り込もうと主張する。

For now the liberal internationalists have the upper hand. They include thinkers like Zheng Bijian, a former deputy to President Hu Jintao at the Communist Party's Central School and the man who coined the term "China's peaceful rise." They maintain that China should respect the traditional rules of the international system, avoid conflict and sell others on the idea that China is not a threat.


 では胡錦濤自身はリベラル派なのか。レナードはこの寄稿で断じてはいないが、文脈からはそのようにしか読めない。

 政府の文書から「平和的台頭」の文字は消えたが、胡主席はその言葉のままに世界各国を訪れ友好を表明し、欲しがる相手には必ず援助を提供している。国際的に微妙なダルフール、イラン、北朝鮮といった問題については、姿勢を和らげて西側との緊張を緩和している。

Although the term has been discarded, China's peaceful rise now defines the foreign policy of President Hu, who is crisscrossing the world offering Chinese friendship and aid to all takers, and easing tensions with the West by softening Beijing's stand on touchy international issues like Darfur, Iran and North Korea.


 今回のチベット暴動では、中国対チベットという構図で、しかも過去中国が延々とチベットを虐待したこともあり、中国に非難が集まるのは当然で、そこで非難される中国の筆頭にはこれも胡錦濤があげられることになる。実際胡錦濤は過去のチベット弾圧の遂行責任者でありその点は擁護の余地はないが、今回の暴動に至るまでの全体的な構図のなかでは、むしろ彼は国際的リベラル派と見なせる。
 むしろ、そのことが対立する中国ネオコン、つまりネオコムにとって当面の敵になるというスキームがレナードのフレームワークから伺える。
 ネオコムとは何か?

 その一方でネオコン――共産主義の中国では「ネオコム」と呼ぶべきなのだが――は、欧米の覇権主義に抵抗した毛沢東時代の政策に、ひとひねり加えた主張をする。その一人、学者の閻学通は中国国家安全部とパイプを餅、人民解放軍の俊英、楊毅海軍少将と親しい間柄にある。

By contrast, the neocons -- or "neocomms," as they should be known, since they represent a new twist on the Mao-era policy of challenging Western hegemony?are men like Yan Xuetong, an academic with close links to the Ministry of State Security, and Rear Adm. Yang Yi, one of the brightest thinkers in the Chinese military.


 ネオコムはどのように世界を捉えているのか? レナードは二点取り上げている。一つは自国・同盟国の国益優先である。

 ネオコム勢力によれば、中国は米政府をなだめることに気を使うより、中国政府自身の優先課題に取り組むべきだ。これには、外国の内政干渉から中国および同盟国を保護するため、外国における民主主義の推進や人道介入に抵抗することも含まれる。

The neocomms argue that China should be less focused on appeasing Washington and more concerned with Beijing's own priorities. These include resisting democracy promotion and humanitarian intervention abroad, in order to protect China and its allies from external interference.


 日本を例外とする西側諸国から非難される中国外交の結果からは確かにそのように見えるため、そのような国策があるかのようにも思える。
 もう一点は、米国を排除するための多国主義だ。これは欧米で言われる多国主義とは異なる。

 彼らは多国間協調主義を採用する。ふつう欧米で多国間協調主義といえば、EU(欧州連合)やWTO(世界貿易機関)のように、加盟諸国が超国家的な機関のルールに拘束されることに合意して、国家の主権を希釈するという意味になる。しかし、閻のような勢力は発想を転換し、アメリカを排除しながらアジア諸国との関係を発展させ、中国の独立を強化するという国力強化の道具に変える。

The neocomms have taken up the idea of multilateralism -- associated in the West with the dilution of national sovereignty by member states agreeing to be bound by the rules of supranational institutions (like the European Union or the World Trade Organization). Thinkers like Yan have transformed the concept into a tool of power projection that would reinforce China's independence while helping it develop links with other Asian countries, in arrangements that would exclude China's great rival, the United States.


 この二点目だが、ネオコムの思想では、東アジア共同体(East Asian Community)のような枠組みが道具化できるものとされている、とレナードは見ている。その目的は、日本を排除することであるとも。

 閻に言わせると、そういう共同体は中国が国力を強化し、日本を脇に追いやる手段として役立つ。アジアにおいてアメリカの最も強力な同盟国である日本は、そのような構想に不承不承ながら参加する羽目に陥るからだ。このような枠組みの下、中国はヨーロッパでいうフランスやドイツのように中心的な役割を演じ、日本はEUにおけるイギリスのような部外者になるだろう。

Yan argues that such a community would be an effective means of promoting Chinese power and sidelining Japan, since Tokyo, as America's most powerful Asian ally, would likely be a reluctant partner in any such project. In this new scheme, China would play a central role like that of France or Germany in Europe, while Japan would be the outsider, like Britain in the EU context.


 日本訳の引用には英語のオリジナルを添えておいた。気になるかたは、英語のオリジナルをすべて参照していただきたい。
 レナードのこのネオコム観もまた陰謀論だろうか。私は、そこまで「陰謀論」というタグを拡張することも無意味だろうと思える。
 中国外交・軍事の実態の背後になんらかの思想のダイナミズム・モデルを想定するというのは、ごく科学的な思考法の一例である。問題はどのようなモデルを立てるかによる。
 現在日本の中国観は、どちらかというとレナードの見るリベラル派とネオコム派の二派に分かれているのが実態であり、それらを二つのダイナミズムの要因として捉えるのはかなり有効な視点だろう。もっとも、ネオコムというレッテルを使うことが妥当ではないだろうと私は思うし、このフレームワークは日本を米国の軍事下に組み込むための装置の疑念も捨てきれない。

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2008.03.21

台湾総統選、予想

 台湾の総統選が明日に迫った。のっけから余談だが、「総統」の英語はPresidentであることからもわかるように、本来なら「大統領」とすべきだが、日本のジャーナリズムでは、台湾は国家ではなく中国の一地方としている建前から訳語を分けている。追記 ちなみにシンガポールでも「総統」(新加坡总统)だけどこちらは日本では「大統領」と訳している。
 今回の総統選だが、私は4年前の台湾総統選で「極東ブログ: 陳水扁が勝つと信じる」(参照)というエントリを書いた。私は比較的他国の内政権力への好悪というのはないのだが、台湾についてはかなり例外で民進党支持者の思いに近い。現地で2・28事件の生き残りの老人たちから直にその悲惨も伺ったせいもある。今回も民進党に勝ってもらいたい。つまり京都大学卒業の謝長廷(61)が勝ってくれたらいいなと願っている。
 だが私の今回の予想は、国民党の馬英九(57)の勝利である。終盤戦にきて、謝長廷が伸ばしているとはいえ、すでに大差の流れを覆すほどでにはいかないだろう。毎度のことながら中国様がチベット弾圧までして最高級の民進党支援を発表してくれたけど、さすがに力及ばずと見える。
 この間の民進党政権は、台湾を国民国家にする点で最大級の意味があったし、台湾の子どもたちが学校で台湾語を学べるだけでも、昔を知る人間にしてみると奇跡のようだ。だが、それでも大衆は背に腹は代えられないものである。日本見ても米国を見ても、あるいはEUを見てもそうだが、中国というパイを食わないで生きていくことなんかできない。それだけでも馬英九が持ち上げられるだろう。そうした結果、台湾のなかで富める者と富める者に従う者という格差が開き、よりつらいことになっていくのではないかとも懸念するが、キンタマ(日本精神)を落としてしまった日本人に言えることではない。
 少し世界に目を転じる。というか、米国側の動きを見る。
 米国の動きだがすでに最悪の事態に備えている。共同によるロイターの孫引き報道”米空母2隻、台湾近海に 総統選に合わせ警戒態勢”(参照)より。


 ロイター通信によると、米国防総省当局者は19日、米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)を事実上の母港とするキティホークを含む米空母2隻が、22日の台湾総統選に合わせ台湾近海で警戒に当たることを明らかにした。
 空母は台湾海峡には入らず、台湾の東沖で訓練を行う見通し。中国から「挑発的な行動」があった場合には対応できる距離にいるという。

 横須賀からキティちゃんは動いている。中国側からの挑発行為を避けるためだ。つまり、米国としては中国側の挑発の可能性を視野に入れている。なぜ?
 実は総統選挙はそれほどは問題ではない。問題は国連加盟住民投票だ。20日付け産経”米、台湾近海に空母2隻を派遣 住民投票に強い反対表明”(参照)より。

一方、米政府は総統選と同時に実施される国連加盟問題での住民投票に重ねて「反対」の方針を示し、「台湾海峡の緊張を高める可能性がある」(ケーシー国務省副報道官)と、台湾当局にも警告した。

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台湾
四百年の歴史と展望
伊藤潔
 国連加盟問題での住民投票の、さらに重要点は何かというと、国連加盟が「台湾」名義になる点だ。従来の「中華民国」が否定される。このあたり2・28事件などを含めた基本的な解説がないと知らない人にはわかりづらいが、台湾の国民党もノーを明確にしたい。主に馬英九支援の外省人勢力は必死になっているようだ。経緯としては13日付け毎日新聞”台湾総統選:3・22投票 国連加盟の住民投票、成立も 国民党「中華民国」なら支持”(参照)が参考になる。

【台北・庄司哲也】台湾の国連加盟の賛否を問う住民投票について、党内で対応が割れていた最大野党の国民党は12日、中央常務委員会を開き、同党総統候補の馬英九氏(57)が主張する「中華民国」名での国連「復帰」の住民投票実施を支持することを決定。台湾で初めて、国連への参加に関する住民投票が成立する可能性が出てきた。与党・民進党が推進する「『台湾』名での国連『加盟』」の住民投票については不成立を目指す。

 コソボ独立を支持した米国側はこの問題をどう考えているのか?
 今日付の人民網”米国、台湾当局の「国連加盟住民投票」に改めて反対”(参照)が日本国内のマスメディアと正反対なくらいべたにわかりやすい。

 ケーシー米国務省副報道官は19日の記者会見で、台湾当局が推し進める「国連加盟住民投票」問題について、「米国の立場はライス国務長官が昨年12月と今年2月に詳しく説明しており、現在に至るまでこの立場に変更はない。米国は台湾による『国連加盟住民投票』の実施に反対する」と表明した。新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。
 ケーシー副報道官は「国連加盟住民投票」の実施について、「その必要がなく、また有益でもない」と指摘。さらに「台湾海峡の緊張を高める可能性がある」とつけ加えた。また、両岸の対話を望む姿勢を示した。

 中国様の必死度は北京週報”一部の国 「国連加盟を問う住民投票」に反対表明”(参照)にも表現されて、どことなくコソボ問題の香りがするのが微妙だ。

 ロシア、キプロス、ラトビア、モルディブなどの国はここ数日、一つの中国の政策を堅持し、台湾当局が推し進める「国連加盟を問う住民投票」に反対を表明している。
 ロシア外務省のジェニソフ次官は19日、「台湾当局のこの住民投票推進は冒険行為であり、この地区の平和と発展を脅かしている。ロシア政府は、台湾は中国領土の切り離すことのできない一部分であり、中華人民共和国は全中国を代表する唯一の合法的政府であるという認識を保ちつつけている。ロシアは、台湾当局による如何なる形式の"台湾独立"活動に反対し、国家の主権と領土の保全を守る中国の努力を支持する」と述べた。

 軍事的な同盟の色合いもある上海協力機構もプンスカプン状態。18日付け人民網”上海協力機構、「国連加盟問う住民投票」に反対 ”(参照)。

 上海協力機構は17日声明を発表し、台湾当局の「国連加盟問う住民投票」の実施に反対を表明しました。
 この声明は、「上海協力機構の各メンバーは陳水扁当局が2008年3月22日に実施を企む『国連加盟問う住民投票』に反対を表明する。この投票の実施は国連憲章の関連規定に違反し、台湾海峡地区の緊張情勢をもたらし、この地区の安定と人々の福祉や安全を脅かす」と指摘しています。

 軍事的な意味合いのある上海協力機構が公式にプンスカ言うのであれば、キティちゃんが出ざるを得ないという掛け合い漫才にしては物騒な世界でもあるが、日本は暢気に桜の開花を待っている。
 冷静に見れば台湾の国連加盟はほぼありえない。むしろ、ありえなことを米国がわかりやすく示すためにキティちゃんを出していると見てもいいだろう。
 台湾の国連加盟はないとしても、世界保健機関(WHO)については人道的に早急な対応が必要だろう。このまま台湾をWHOから外した状態でよいわけがない。近未来でこの地域からパンデミックが発生する可能性は高いのだから。

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2008.03.20

チベット暴動で気になること

 今回のチベット暴動で中国が責められるのはあらためて言うまでもないところだろうし、その部分は多く語られてもいると思う。以下は、中国側に立って中国を擁護したい意図ではない。また意図的に陰謀論的な話の展開をしたい趣味もない。だが、事態が十分に報道されていないこともあり、気になっているといえば気になっていることがあるので、基本的には備忘として手短に書いておきたい。
 まず今回の暴動のタイミングについてだが、この3月10日はチベット民族蜂起49周年にあたる。インターネットを検索すれば誰でもわかることだが、この記念日には毎年世界各地で平和行進が行われ、ダライ・ラマによる声明が発表される。チベット現地におけるその活動は不明だが、この日が重要な意味を持つことは当然予想されるし、暴発があっても不測の事態とは言えない。1989年のラサ暴動の記憶も当局側で消えるはずもないので、中国当局はなんらかの暴動は予想していたはずだ。今年は五十周年記念の前年で節目にならないとはいえ、オリンピックに対する国際的な注目度を考慮に入れれば十分配慮されてしかるべきだった。なのになぜ目立った暴動が起きたのか、そのほうが不思議なほどだ。
 今回の暴動のタイミングとしてむしろ重要なのは、中国の国会に一応相当するとされれている全国人民代表大会こと全人代が5日から開催されていたことだ。中国をワッチしてきた人なら中国政治における指桑罵槐的な活動がまず前提事項として疑われるものだし、中国の対外的な騒ぎではまず中国国内の権力闘争につながる臭いを嗅ぐものだ。その点で、16日の日経新聞社説”天安門事件を連想させるチベット情勢”(参照)の次の指摘はごく自然なものだった。


 北京では5日から全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開かれている。今年の全人代は胡錦濤国家主席(共産党総書記)の後継者候補である習近平氏を国家副主席に起用する節目の大会で、胡政権の揺さぶりをねらった可能性も大きい。

 さらに日経社説では胡錦濤の経歴とチベットの関係をごく自然に指摘している。

 実は89年の「動乱」では、当時チベット自治区のトップだった胡錦濤氏が自ら制圧を指揮した経緯がある。再び流血を防げなかったのは、胡政権にとって打撃だ。

 やや陰謀論めくので、以下の考察に関心を持つ人は疑念の留保を維持してほしい。私は自分の意見に誘導したい意図はない。
 まず、今回の暴動の指桑罵槐的な政治上の意味は胡錦濤バッシングであるとは言えるだろう。ただ、それが全人代でかつ習近平を国家副主席に起用するところで発生したのはなぜか? 単純に考えれば、二つのプロットがある。一つは胡錦濤と一緒に習近平を追い落とすことだ。もう一つは、胡錦濤を追い落として習近平を持ち上げることだ。
 この背景の図式には「極東ブログ: 中国共産党大会人事の不安」(参照)でも触れたが、一つの重要なファクターとして李克強の存在があるにはある。が、図式的に、北京=胡耀邦系=胡錦濤=李克強のラインに対する、上海閥(バブルで死にそうだ)=江沢民=習近平、と分かれるほどには単純ではないだろう。習近平は太子党ではあるがこの一年の経緯を見ていると江沢民的なわかりやすい上海閥とは言い難い。
 さらにもう一つのファクターというかプレーヤーに米国がある(もう一つのプレーヤーは人民解放軍という私兵による軍部)。この点では、「極東ブログ: ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退」(参照)で触れたように、米国側から見て中国の主要な権力者の不在が大きな問題になっている。しいていえば、米国は習近平なら習近平でよしとしたいのだろう。余談めくが同じ問題は米国側でも言えて、こちらも現状権力者が不在になっている。日銀総裁不在といったほのぼのとした話ではない。さらに米国経済の先行きが注視されているが、このランドスライドを引き起こすのは中国における権力の不在となる可能性もある。
 胡錦濤後の中国は、現状では、習近平対李克強の図式にも見えるが、そこにはそれほどの対立はなく、そこに対立を見たい権力・経済力の背景のほうが大きいかもしれない。であるとして、この二者を台風の目と見るのはある程度妥当だろう。今回の全人代で、習近平は事実上胡錦濤継承の位置についたかに見えるが、話はそう単純ではない。朝日新聞”習近平氏、軍事委副主席に選ばれず 中国全人代”(参照)でわかるように軍部の掌握はできなかった。

北京で開かれている中国の第11期全国人民代表大会(全人代)は16日、温家宝(ウェン・チアパオ)首相(65)を再選した。賛成2926票、反対21票、棄権12だった。また、国家中央軍事委員会の副主席に郭伯雄(65)、徐才厚(64)両氏を再び選んだが、習近平(シー・チンピン)・国家副主席(54)は選ばれなかった。


将来に備えて今回の全人代で軍事委副主席にも選ばれるのではという観測が流れていたが、「時期尚早」との意見が大勢を占めたようだ。

 軍部としては、習近平に留保している。もともと、上海閥=江沢民派も軍部の掌握ができず日本バッシングによるナショナリズム高揚や、B級映画「フランケンシュタイ何故か人民服を着るの巻」までして権力維持に努めた。同じ道化を習近平に求めたいのかもしれない。類似のことは胡錦濤側にも言えて、ひな壇には乗せられたものの長い間形式的なものに見られていた。
 おそらく人民解放軍という私兵軍団の権力意志は、全人代人事やチベット暴動に大きな影響を落としていると見ていいだろう。
 以上は、中枢権力側の意味というかマクロ的なビューだが、ミクロ的なビューでも気になることがあった。
 冒頭で触れたように、今回の暴動は、どれほどの規模なのかについて異論はあるにせよ、小規模な暴動くらいは政府・軍部側に織り込みずだったはずだ。ではなぜ天安門事件再来のように軍部による多数の人民虐殺の事態という規模にまで発展したのか。
 このエントリを起こそうと思ったきっかけでもあるのだが、ニューズウィーク日本版3・26に掲載された同誌北京支局長メリンダ・リウによる”チベット弾圧は五輪失敗の始まり 89年のラサ暴動のときよりも国際社会の監視の目は厳しさを増している”では、奇妙な指摘をしている。

 59年3月10日のチベット民族蜂起を記念した抗議デモがきっかけで暴動が起きたとき点も89年と同じだ。不気味なことに、治安当局が3月14日のある時点で戒厳を緩めてデモ参加者をあおったとみられるところも似ている。

 リウの指摘はミスリードかもしれない点に警戒が必要だが、先に触れたように想定できた枠組みでこれほどまでの暴動に発展したのは、リウの指摘が正しいように思われる。つまり、治安側でなんらかの誘導ないし扇動があったのではないか。
 リウの記事はこう続く。

 米議会の資金で運営されるラジオ曲「自由アジア放送」によると、ラモチェ寺の僧侶が暴動に加わり、群衆は中国とかかわりのある建物を破壊・放火した。チベット人が経営する人気レストラン「タシ・デレク」も親中的とみなされ、標的に。治安部隊は催眠ガスと実弾で反撃し、銃声がラサに鳴り響いた。

 今回の暴動では、かなり妥当に見て中国軍部が民衆を虐殺したので国際的に中国を擁護することはまるでできないのだが、当初の見かけの惨状の光景としては、チベット人による漢民族への暴力行使の図となっている。その意味だけで(もしかして誰か扇動分子がいたのではないかということを抜きで)見れば、チベット人が暴動の引き金を引いたように見えるし、当初はそのような絵が想定されたはずだ。この絵がうまく描けたのなら、NHK時論公論「チベット暴動の衝撃」(参照)で一つの推測として描かれる暢気な説明に釣られることもあったかもしれない。

今回の暴動で襲撃を受けた対象が、ホテルや商店など、特に商業活動を行うところが目立っている点を見ても、その暴動の背景に、長年にわたる政治思想面の対立だけではなく、市場経済がもたらした新たな経済格差という問題も、根深く存在したのではないかと考えられます。

 その要因は皆無ではないだろうし、ダライ・ラマとその支持者の世代交代間に横たわる憤懣の分離という要因もあるだろう。だが、このチベット人を加害とする図は、あまりに中国側に美味しすぎるし、実際中国内の報道では民族独立を許さないナショナリズムの高揚として、反抗分子の暴虐の映像として流れるようだ。事実上の扇動側(現状仮定だが)の目的はそのあたりにもあったのかもしれない。
 いずれにせよ中国側は国際的反応の想定について甘かった結果になった。もっとも陳腐な言い方になるが、中国人は自分より強いと見なす外国人以外は眼中になく現状では米国人だけがその対象になっている。小日本(シャオリーベン:ちなみこれは侮蔑の言葉)など眼中にはないことになっている(もっとも権力層はそうは思っていないが)。世界をこのところ甘く見ていたことではあるだろうし、「極東ブログ: 北京オリンピック近づくに黄砂の他に舞うもの」(参照)でふれたようにその理由もある。
 仮説として構図を抜き出すと、胡錦濤追い落としとナショナリズム高揚にチベット人を暴動に軍側が誘発してみたということになる。もちろん、かなり陰謀論的な図柄でありこれが正しいと主張したいわけではない。
 ただその上に立つと、今回の暴動の本質、つまり惨状の深化の仕組みも解けるかもしれない。
 先の陰謀論的な図柄はいくら陰謀論とはいえ、それほどの惨状はプロットに組み込まれていかったのでないだろうか。私はここで晩年天安門事件を生涯の汚点として泣いた鄧小平という神話を少し信じていることを思い出す。天安門事件の悲劇は、ある意味では暴発だったのではないか。同様に、今回の暴動の惨状への深化については、偶発的だったようにも思われる。
 窮地に立たされた胡錦濤の立場に立ってみたい。どうするか。
 中国人政治家は仮に謀略だわかったとしてもその謀略の内部にはまってしまったときは、そこで弱み(ヴァルネラビリティ)を出すことができず、あたかも謀略を吹っ切ったかのようにその延長にさらに強行な手に出て、優越を誇示しなくてならなくなる。
 胡錦濤としては弾圧に合意する以外の道はなく、それは今回の事態を悪化させる偶発性を越えた部分としての影響力を持っていただろう。
 以上でエントリを終えるつもりだったが、率直に自分の考えも書いておこうと思う。この陰謀論的な話にはそれほどは依拠しないことでもあるし。
 チベット弾圧は許されないし、今回の事態では国際機関の調査を求めたいと思う。だが、胡錦濤政権を過度に追い込めれば、軍部や上海閥の台頭を許すだけの結果になる。率直にいって彼らには複雑化しグローバル化する中国を統治する能力などないのだから、壮大な惨事を引き起こしかねない。日本国としては、穏便に北京政府を支援していくのは妥当だろうと思う。

追記
 ダライ・ラマ自身も暴動は中国側が仕掛けた可能性を示唆していた。
 ”「兵士が僧侶変装」ダライ・ラマ、中国関与の可能性示唆 - 国際”(参照)より。


チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は29日、ニューデリーで記者会見し、チベット騒乱について「数百人の中国人兵士が僧侶の格好をしていたと聞いた」と発言。「僧侶が暴動を始めた」とする中国側の主張を念頭に、騒乱のきっかけを中国側が仕掛けた可能性を示唆した。PTI通信が伝えた。

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2008.03.19

チベット的癒しの話

 虐待されているチベットの人のことを思いながら書棚の本を手にとって少し考えた。まとまった話ではない。雑談がてらに。

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心ひとつで
人生は変えられる
 以前も少し触れたけど、ダニエル・ゴールマンが編集した「心ひとつで人生は変えられる」(参照)は、ダライ・ラマを交えた、「こころはからだを癒すのか」というテーマの討論会のまとめだ。この中で、心の傷を負ったチベット人の話が出てくる。ちょっと読むと、ダライ・ラマの意見はあっけらかんとした印象がある。

ダライ・ラマ 強制収容所に長くいたチベット難民は、収容所の体験が貴重だったとよくいいます。そこは最高の精神修行の場だったと。チベット人の場合、トラウマがこころに深い傷を残すいうことは珍しいんじゃないかな。その道の専門家にインタビューしてもらえばおわかりになると思うが、チベット難民はほかの難民とは違うと思いますね。
ダニエル・ゴールマン 彼らは悪夢に苦しまないんですか? ほかの拷問体験者みたいに?
ダライ・ラマ そりゃあ、悪夢をみる人もなかにはいるでしょう。私もそうでしたし。ラサで中国共産党員に囲まれたときなんか、もう何度も悪夢をみましたよ。三〇年たったいまでもまだときどきうなされるんですから(笑)。しかし、不安とか恐怖とかはぜんぜんない。チベットの難民は大勢います。年齢は一〇代から三〇代ぐらいまでさまざまですが、たいては強制収容所や刑務所に入れられた体験をもっている。現在、南インドの僧院大学で学んでいる僧侶たちはみな拷問の体験者ですが、PTSDの症状を呈している人はほとんどいないようですね。事実、彼らのほうがインドで育った学者より優秀ですよ。
ダニエル・ゴールマン それは、先ほどおっしゃったように、苦しみを精神修行の機会と考えるからですか。拷問されながら精神修行をするという?
ダライ・ラマ ええ、そうです。

 この部分に限らず、ダライ・ラマのレスポンスには、西洋人の考えることは不思議ですなみたいな暢気ものが多い。実態はこの会話のように、考えようによってとても悲惨なのだが。
 西洋人のもつチベット人のイメージに対する違和感のようなものも彼は率直に答えている。

ジョン・カバト=ツィン 昨日猊下はそうおっしゃいましたね。仏教では悪を無知と考えるから、仏教徒は無知にたいして慈悲心をいだくと。たとえそれで自分が被害を被ったとしても。前に、チベット人医師のとても感動的な話を読んだことがあるんです。その医師は中国人の刑務所で何年も拷問を受けたのに、拷問した人間を一度も憎んだことがないといっていました。それどこか、そんな残酷なことができる拷問者の深い無知にたいして慈悲心をいだきつづけたと。この医師を取材したアメリカ人精神科医が驚いたのは、恐ろしい体験をしたのに、西洋精神医学でいういわゆるPTSDの症状がこの医師にまったくみられなかったことです。投獄経験のあるチベット僧の大多数は、この医師と同じなのでしょうか。
ダライ・ラマ なかなか難しい質問だな。亡命してきた僧侶のなかには、中国人を激しく憎んでいる人もいますからね。
ダニエル・ゴールマン ということは、拷問者に慈悲心をいだいていないと?
ダライ・ラマ そうかもしれない(笑)
ダニエル・ゴールマン 慈悲心をいだいてなかったとすれば、どうして後遺症がみられないんでしょうね。ほかにどんな原因が考えられますか。
ダライ・ラマ カルマを信じていることかな。現在の苦しみは過去に犯した過ちのせいだと信じていますから。チベット人はみなそう信じています。
ダニエル・ゴールマン それだけですか? ほかには考えられませんか。
ダライ・ラマ 仏の加護を求めることもそうかもしれない。これはどの宗教にもいえますけどね。輪廻転生という迷いや世界の無について、つねに考えることも役立つのかもしれない。あるいは正義はかならず勝つという強い信念も。

 わかるようなわからないような話ではあるが、いわゆる宗教に凝り固まった人ではないダライ・ラマの素朴な人柄が伺える。
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心の治癒力
チベット仏教の叡智
トゥルク・トンドゥップ
 チベット難民の心の問題といえば、ダライ・ラマより4歳下で、少年時代僧院で育った、チベット仏教関連の著作家トゥルク・トゥンドゥップは、「心の治癒力 チベット仏教の叡智」(参照)でこう語っている。

 十八歳のとき、チベットの政治的な動乱によって、私は二人の師と八人の友人たちといっしょに、チベットを横断し、インドへ逃亡した。何ヶ月もかかって、何千キロもの道を歩いた。その途中、人里離れた谷の聖なる洞窟で、師であり、五歳のときからまるで親のごとくわたしを育ててくれたキャラ・ケンポが息を引き取った。それは、灰色の高山に四方を囲まれた場所だった。そのとき突然、わたしは、じぶんが孤児であり、逃亡者であり、家を失った難民であることを自覚した。
 長い旅の果てに、わたしたちは、豊かな智慧と文明の国、インドにたどりついた。何ヶ月ぶりに、わたしは、木陰の涼しさと、庇護されていることの温かさと安らぎを、感じとることができた。インドへのチベット難民は約十万人を数えたが、その多くが食物、水、気候、高度の変化のために死んでいった。生き残った者たちにも、チベットに残した愛する者たちの苦しい生活が、日夜ちらつく毎日だった。
 そういう暗い日々にあって、わたしを導き、慰めとなったのは、心の中にはぐくんだ仏教の叡智の光だった。

 彼は僧侶にはならず(なれなかったのかもしれないが)、アメリカに渡り、チベット仏教についての著作・翻訳を行う人になった。

 平和な心というろうそくの明かりを、人生の戦いの嵐から守る。そして、開かれた肯定的な態度の光を、ほかの人々に向けて送る。この二つが、困難なときに、それを乗りこえることを可能にさせてくれた。人生の大いなる悲劇は、さまざまな意味において、祝福であるということを、わたしは悟った。そういう悲劇的な出来事は、あやまった安定をつつむ毛布をひきはがすことによって、人生は幻である、という仏教の教えをはっきりとしめしてくれる。我執のこぶしを開くことがもっている治癒力については、もちろんのことだ。
 一九八〇年、わたしは、自由と繁栄の国、アメリカ合衆国に移住した。普通の場合、静かな心をたもちつつ、感覚的な喜びや、物質的な誘惑の攻撃を生きのびることは、苦痛や苦しみの中でそうするよりむずかしい。

 現代文明の生きづらさと、チベットの苦しみとの対比は、現代文明の国の側からするとそういうものかなという違和感もある。だが、先進諸国の日常でも、拷問のような心の苦しみはある。
 同種の話としては、今手元になかったが、チョギャム・トゥルンパ「チベットに生まれて―或る活仏の苦難の半生」(参照)に迫力がある。ちなみに、チョギャム・トゥルンパは実質世俗者となり、結婚もし飲酒もした。飲酒運転で半身不随となり、たしか最後は自殺したはずだった(追記 私の伝聞による間違いかもしれない。ウィキペディアでは死因は心不全とあった)。チベット仏教の叡智をもってして、自身を救えなかったのかと私は彼の邦訳本をかたっぱしから読み考えたことがあった。
 トゥルク・トゥンドゥップに話を戻す。一九八四年、彼は二十七年ぶりにチベットを訪れた。

 僧侶たちの大半は、じぶんの不幸な体験を、他人のせいにすることなく受け入れ、そのことによって癒されていた。じぶんの不幸を他人のせいにすれば、たしかに一時的には良い気分を味わうことができる。だが、結局のところ、苦しみと混乱は大きくなるばかりだろう。他人のせいにせず、状況を受け入れることこそ、真実の癒しの始まる転回点である。そのときはじめて、心の治癒力が始動する。だからこそ、シャンティデーヴァはこう書いている。

「じぶんを傷つけずにいられなかった者たちに、
 たとえ、慈悲の心をおこすことはできなかったとしても、
 怒りをおこしてはいけない。
 それは(無知と怒りの)煩悩によるものなのだから」


 トゥルク・トゥンドゥップによる本書は、チベット仏教ではニンマ派の教えになり、ゲルク派のダライ・ラマとは異なる。教えに違いがあるかについては、私はよくわからない。私からすればその違いは理解できないものかもしれない。
 それ以前に、虐待・拷問の苦しみを心に残さず生きていけるとしても、こうしたチベット仏教の教えを信じられるかというところもよくわからない。私は、できるだけ、現世の、チベット人の虐待が少なくなることを単純に願う。

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2008.03.18

短編小説 2008年のダライ・ラマ6世

短編小説 2008年のダライ・ラマ6世

 きのうマックでリナと話していて、「ねえ、アリサ。チベット弾圧ってひどいよね」と言われた。わたし、世界史は好きだけど、そういうことはよくわかんないと答えた。リナはいろいろネットで仕入れた話をしてくれた。そのせいで夢にダライ・ラマが出てきたんだと思う。
 彼、瀬戸康史みたいな感じでけっこう美形だった。だれ?きみ?ってきいて、「いちおう、ダライ・ラマなんだけど」って彼が答えたときはびっくりした。まさかね。服装はそれっぽいけど髪長いし。
 「ダライ・ラマってさ、十条駅前とかにいそうなオッサンっぽい人じゃないの? それとも若いときはこんな感じ?」
 「いまのダライ・ラマは14世で、ぼくは6世」
 「ひいお爺さんのそのまたひいお爺さんくらい?」
 「ダライ・ラマって結婚しないし、子どももいないんだ」
 「童貞はガチ」
 「ぼくの場合ちょっと違うんだけど、輪廻転生って知っているよね」
 「生まれ変わり。ダライ・ラマって生まれ変わるってリナも言ってた」
 「そこがわかってもらえると話が早い」
 「でも変。あのオッサンのダライ・ラマに生まれ変わっているなら、ここにいるきみって矛盾してない?」
 「ぼくはちょっと例外」
 「輪廻転生の例外?」
 「そう。ダライ・ラマは確かに転生したんだけど、ぼく的な部分が残ってしまったんだ。ワインのオリみたいな感じ」
 「ワインのオリ? オリにワインが入っている?」
 「そうじゃないけど。未成年はお酒飲まないか」
 「ダライ・ラマのオリがどうして、わたしの夢に出てくるわけ?」
 「ちょっと気になって。チベットの人のこととか、きみのこととか」
 「チベットの人が気になるのはわかるけど、どうして、わたし?」
 「よく似てるんだよね、恋人に。なんど恋愛しても似た人好きなるっていうじゃない」
 「あのさ、チベットはけっこう悲惨なのに、すごい不謹慎な話してない?」
 「そうかもしれない。ごめん。ぼくってだめなんだよね」
 「マジ反省されても困るんだけど。ところでなんでダライ・ラマのきみは現代までいるの」
 「いろいろ気になって。この世に心を残していると成仏はしないんだよ」
 「チベットの人のことも気になるわけよね」
 「もちろん。平和であってほしい」
 「きみは霊界に何年いるの?」
 「殺されたのは1706年だから、302年前かな」
 「殺された?」
 「暗殺」
 「誰に?」
 「中国人かな」
 「中国人ってひどい?」
 「そう単純な話ではないよ」
 「ところでこれって夢の中のこと? なんだかわたし眠れてないって感じがするんだけど」
 「厳密には夢とは違うかもしれない。フォーカス18くらい」
 「フォーカスって?」
 「悪い冗談。ちょっと実体化していい」
 「いいよ。寝れない感じだし。きみ、生理中に襲ってきそうなタイプじゃないし。あったかいミルクでも一緒に飲む」彼はうなづく。「それから話を聞こうじゃない。むずかしい話って眠くなりそうでいいし」

cover
ダライ・ラマ六世
恋愛彷徨詩集
 わたしはパパの寝室から聞こえるイビキを確認しながらキッチンでミルクを2つのマグに注ぎ、レンジで温めてもってきた。ダライ・ラマ6世君は仏像みたいに私のベットの横に座っている。ミルクを勧めるとごくごくと飲んで、ちょっと薄いねと言って、話を始めた。
 「モンゴルにハルハ部族が暮らすハルハという地域があって、ぼくが転生してくる前だけど、財産のこととかでもめていた。そこで仲裁役に、当時中国を清朝として征服していた満洲族の王様、愛新覚羅玄燁(アイシンカクラ・ゲンヨウ)王が頼まれた。なぜって彼は昔モンゴルを支配していたチンギスハーンの王朝を継いでいるからね」
 「中国の王様が仲裁に頼まれたわけね」
 「漢民族の王様じゃなくて満州族の王様なんだけどね。仲介役を頼まれたゲンヨウ王は、じゃあ話し合いで解決しましょうということで、ハルハ部族が信仰している宗教、チベット仏教の会議を開くことにした。そこでぼくのひとつ前の転生のダライ・ラマ5世も当然そこに呼ばれた」
 「それで」
 「話し合いはうまく行かなかった。派閥問題が起きた」
 「派閥問題?」
 「チベット仏教に対立するグループがあったんだ。ダライ・ラマのゲルク派というのとサキャ派というのと」
 「ダライ・ラマが一番偉いんじゃないの?」
 「そう言ってくれると、ぼくはうれしいんだけど」
 「でも、きみは例外」
 「この会議で、ダライ・ラマの信者だったオイラト族の王様ガルダンが怒った。ダライ・ラマが尊敬されていないと思ったし、彼の弟が暗殺されたりもした。ガルガン王は戦争を起こしてハルハを制服してしまった。逃げた人たちは満州族のゲンヨウ王に泣きついた。それで今度はゲンヨウ王とガルダン王の戦争になった。なんとなく中国対チベットの戦争みたいに見えるんだけど」
 「どっちが勝ったの?」
 「ゲンヨウ王。壮絶な戦いだった。それでゲンヨウ王はチベットを恐れるようになった。そのころぼくはもう転生していた。ガルダン王が戦死する前に実はこっそりダライ・ラマ5世は死んでいた。ぼくがダライ・ラマの生まれ代わりって知らされたのは14歳」
 「中二病の最中」
 「恋愛とかしたし、ワインも好きだった。でもそういう話は中国人がぼくを堕落した人に見せかけるために作った伝説だという人もいる」
 「ほんとうはどうなの?」
 「人の見方によるんじゃないかな。ぼく自身は人の噂とかけっこうどうでもよかったりして」
 「そういうもん?」
 「慣れたし、もっとひどいこともあった」
 「暗殺されたんだっけ。誰に? なぜ?」
 「具体的な相手はわかんないけどね。ぼくのダライ・ラマとしての自覚が足りなかったからいけないのかもしれないけど、チベットのごたごたにつけこまれて、オイラト族の別の王様、ラサン王が攻めてきた。ぼくを捕まえて北京に送るというんだ。そうしたらチベットの人たちが集まってぼくを奪回してくれた。でもぼくは、そこからも逃げた。そして暗殺された。24歳のまま」
 「なぜ逃げたの?」
 「ぼくのためにチベットの人が争って傷ついてほしくなかったんだよ。っていうか、そのとき、ぼくはダライ・ラマなのだから自分のいのちより人々の平和を願おうと思った」
 「偉いんだね」
 「ぼくの死後、ラサン王は別の人をダライ・ラマ6世としたんだけど、チベットの人たちは認めなかった。ぼくが暗殺されたのも信じなかった。それからラサン王も別の戦争で死んで、こんどはゲンヨウ王がダライ・ラマ7世を立ててチベットに送った。その後、チベットは清朝に保護されるようになった」
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皇帝たちの中国
岡田英弘
 「それで、チベットは中国の一部だということなわけね」
 「違うよ。それに清朝は満州族の王朝で、漢民族の王朝じゃない」
 「でも、今の中国はそういう言ってチベットを征服したんでしょ?」
 「それが正しいなら、満州族の王朝はモンゴルの王朝を引いているから、今の中国はモンゴルの一部になるよ」
 「そういうもん? 違う気がするけど」
 「みんなが自分の文化を大切にして生きて行ければ、そんなことはどうでもいいんだけどね」

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2008.03.17

[書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート) その2

 昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)の補足。同書を読み返しながら、ここは解説したほうがいいのではないかと思われる重要点が2点あるので、それに触れておこう。解説といってもできるだけ恣意的な解釈はさけて、原典にそって翻訳書ではわかりづらい点を扱うことにしたい。

 一点目は「共謀の図式」について。
 本書では、「平和な心」ではない「敵対心」がどのように現実の悪循環を引き起こすかということを、「共謀」という概念で、さらに図式化して説明しているのだが、訳書では図が少ないのと図があまり適切ではないように思われるので、ここの理解は難しいのではないだろうか。もっともよく読めば理解できないわけではないので、お節介な感じもしないではないが、その点は自分自身の復習もかねて書いているということでお目こぼしを。
 まず、「共謀」という言葉だが、「共謀罪」というときの共謀ではない。つまり、Conspiracyではない。英語では、Collusionなので「談合」に近いし、その訳語を当てることもある。ただ、ここではもっと辞書的な意味合いが濃い。Merriam-Websterより(参照)。


secret agreement or cooperation especially for an illegal or deceitful purpose

 「不法的・欺瞞的な行為の密約」といったふうに理解できるだろう。本書でCollusionは、そうした協議のニュアンスはなく、双方が知らず知らずに共同して悪循環をもたらしているという含みがある。共依存(codependence)という概念に近いかもしれない。
 オリジナルでは、このCollusionを4段階にわけて説明しているのだが、邦訳書では2枚だけで実質以下の1枚に凝縮されている。

 

共謀の図式
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 見方としては右下の1番から時計回りに4番まで巡るのだが、邦訳書の図では独立の4項目に分かれているが、これは3と2がアヴィ、4と1がハンナというまず大枠では二者を意味する二項として見るほうがよい。
 また、中央に箱に入った人物図があるが、これは編集サイドがおそらく箱を理解していないためで、箱はつねに個人にあり二者を囲む箱はない。箱に入った二者の関係は二つの箱の関係になる。おそらく、邦題の「箱」に引かれてしまったのだろうが、間違いだろう。
 ややわかりづらいのは、「私の行動」「私の見方」「彼女の行動」「彼女の見方」というところで、これらは、DOとSEEに対応している。働きかけとそれが相手にどう見えるかということだ。
 一番わかりづらいのはSEEにおける「一つのもの」だが、この「一つのもの」とは、つまりここで「我-物」の関係になっているということだ。
 まとめる。
 まずハンナの行動の1からだが、「尋ね・不満をもらし、しつこく頼んで私(つまりアヴィという他者という物)が行うことを強く要求する」というDOがあると、これを、2アヴィのSEEではそれを「物」として見てしまう、ということ。
 物として見ると、物としての理解として「要求がきつい、理不尽、小うるさい、じゃまもの」となる。そしてそこから、アヴィのDOである3、「抗議する、彼女に教える、傲慢な態度で応じる」となる。
 このアヴィのDOが、ハンナのSEEにおいて、また「物」として見える。だから、相手という物が「自己中心的、思いやりがない、未熟」という理解になり、そこから1のDOが惹起され、悪循環に陥る。
 つまり、この悪循環作成と敵対関係の増強に貢献しているのは、二者そのものであり、だから、共謀(Collusion)なのだということ。
 昨日のエントリでアリッグ教授が若い日のユースフに言った言葉はこの「共謀」を意味している。


『虐げられた人たちが反撃しているんですね』私はさり気なく言いました。
『そうです、双方とも』彼は光景から目を離さないまま、答えました。
『双方とも?』
『ええ』
『どうして? 催涙ガスを使っているのは一方だけじゃないですか』
『よく見て。どちらの側も催涙ガスを欲しがっているのがわかる』

 アリッグ教授は、暴動を理念的に断じるのではなく、そこで「共謀」が発生している事態を詳しく観察していたのだ。
 そして、この共謀の原点にあるのは、「敵対する心」であり「平和な心ではない状態」だ。だから、その心的状態にあるユースフに対してアリッグ教授は哀れんだ。

私もまた乱闘のほうに目をやった。『彼らの気持ちがわかりますよ』暴徒と化した黒人たちをあごで示した。
『それはお気の毒だ(Then I pity you)』
私は面くらいました。
『私が気の毒? なぜですか?(Pity me? Why?)』
『あなたは、自分自身の敵になっている(Because you have become your own enemy)』彼は静かに、しかし、きっぱりと答えた。

 「共謀の図式」の中に捕らわれた人は、自分自身を自分の敵にしている。
 ここで少し話がずれるのだが、「自分自身を敵にする」ということは、迫害・抑圧者になるという意味ではないかと思う。すると。

『でもあるグループの人々が別のグループを虐げているとしたら?』私は尋ねました。
『その場合、虐げられているグループは、自分たちが虐げる側にならないように気をつけなければいけない。それは陥りやすい罠だよ。過去の虐待という正当化の手段が手元にあるわけだからね(Then the second group must be careful not to become oppressors themselves. A trap that is all too easy to fall into,’ he added, ‘when the justification of past abuse is readily at hand.)』

 "to become oppressors themselves"は、関係性にあっては、自身を他者との関係で迫害・抑圧者に変質させるというのが一義であるとして、内奥においては、自身に対する迫害・抑圧者となることを意味している、と理解すると本書の各部での主張が整合するように私には思える。たとえば、蔑まれるより蔑むほうがつらいのだといったことなど。

 二点目に移る。
 「虐待された女性が虐待者を憎むのは間違いだと言う?」(邦訳書p135)という問題だ。
 パレスチナ人ユースフは父をユダヤ人(正しくはイスラエル国家)に殺され、そのことでユダヤ人であるモルデカイという老人に接する難しさが生じたということで、ユースフはこう言う。


モルデカイを人として見ていたから苦難にこだわっていなかったんです。苦難にこだわる必要があったのは、モルデカイに無情な仕打ちをしたことを正当化する必要があったから。苦難は言い訳だったんです。言い訳する必要がなかったら、私は苦難のことは考えもしなかったでしょう」
「じゃあ、虐待された女性が虐待者を憎むのは間違いだと言うの? 申し訳ないけど、ついていけないわ」グウィンはあざ笑った。
 ユースフはすぐには答えず、深い息をした。「私にもわからなかったんですよ、グウィン。一つ話を聞いてもらえますか?

 そして、性暴力にあった女性の手紙を読み、彼女が暴力を振るう夫を「人」として見たときどうなったかについて話が進む。ここはこの書籍を購入して読むべき部分なので割愛するとして、こう続く。

 ユースフは手紙から目を上げると、咳払いをして言った。「もし誰かひどい目にあっている人がいたら、私は心をいためます。なんとむごい重荷を負わなければならないことかと。その人の心の中が荒れ狂っていたら、私は意外に思うでしょうか? もちろん、思いません。そうした状況で、そうならない人がいるでしょうか。
 しかし、いまのような話に、大きな希望を感じます。再び平和を見いだすことができるということを示唆しているからです。私の人生の大部分は戦争地帯での生活だったのですが、それでもそう思いますね。

 そして、ここから私が解説が必要なのではないかという部分に続く。

 現在何もできないということで、過去のひどい扱いが消え去るかもしれないけれど、現在のふるまい方によって、その記憶を持ち続けるかどうかが決まります。

 端的に言って、この意味が通じるだろうか?
 この言葉こう続く。

人を物として見れば、自分を正当化するために自分が被った不公正にこだわるようになる。ひどい扱いと苦しみをよみがえらせて。反対に、人を人として見れば、正当化する必要がなくなります。すると、自分が被った最悪のことにこだわらなくなり、最悪のことは忘れ、他人の中に悪いところだけではなく、よいところを見ることができます。
 しかし、私の心が敵対的だったら、それは不可能です。敵対的な心は、それを正当化するために敵を必要とする。平和よりも敵と虐待を必要とするのです。

 この部分はそれほどわかりにくいものではない。
 だが、それと、前段のこの言明の関係がわからない。

 現在何もできないということで、過去のひどい扱いが消え去るかもしれないけれど、現在のふるまい方によって、その記憶を持ち続けるかどうかが決まります。

 この意味はなんだろうか?
 現在なにもできないでいると過去のひどい扱いが消えるか消えないか不明だが、現在の振る舞いかたを変えると、記憶の維持が変わる。つまり、人を人としてみると、過去の記憶の最悪のことを忘れる、ということだろうか?
 英文は次のようになっている。

Although nothing I can do in the present can take away the mistreatment of the past, the way I carry myself in the present determines how I carry forward the memories of those mistreatments.

 最初の英文の文法構造は次のようになっている。

nothing can take away the mistreatment of the past

 ここだけ訳すと。

 どのようにしても過去の不当な扱いを取り消すことはできない。

 となる。
 修飾構造を戻すと。

nothing I can do in the present can take away the mistreatment of the past,

 訳すと。

私が現在できるどのようなことでも過去の不当な扱いを取り消すことはできない。

 となるはずだ。すると。

Although nothing I can do in the present can take away the mistreatment of the past, the way I carry myself in the present determines how I carry forward the memories of those mistreatments.

(finalvent訳)
私が現在できるどのようなことでも過去の不当な扱いを取り消すことはできないとしても、私自身の現在の処し方が、これらの不当な扱いの記憶を持ち越すかどうかを決めています。

(現訳)
現在何もできないということで、過去のひどい扱いが消え去るかもしれないけれど、現在のふるまい方によって、その記憶を持ち続けるかどうかが決まります。


 どうだろうか。
 この部分の全体を訳しなおしてみよう。

Although nothing I can do in the present can take away the mistreatment of the past, the way I carry myself in the present determines how I carry forward the memories of those mistreatments. When I see others as objects, I dwell on the injustices I have suffered in order to justify myself, keeping my mistreatments and suffering alive within me. When I see others as people, on the other hand, then I free myself from the need for justification. I therefore free myself from the need to focus unduly on the worst that has been done to me as well. I am free to leave the worst behind me, and to see not only the bad but the mixed and good in others as well.

私が現在できるどのようなことでも過去の不当な扱いを取り消すことはできないとしても、私自身の現在の処し方が、これらの不当な扱いの記憶を持ち越すかどうかを決めています。私が人を物として見るとき、私自身を正当化するために、私が苦しんできた不正に安住し、その不正を保持し、私の内面で苦しみつづけます。逆に、私が他者を人間としてみるとき、私は自己正当化から自分を自由にすることができます。すると同様に、自分に降りかかった最悪の事態に過度に注意する必要性から自分自身が解放されます。私は自分の後ろに最悪の事態を捨て置き自由になり、悪だけを見るのではなく、良い面もあり悪い面もある他者をも見るようになります。


 再び、この意味はどういうことなのだろうか?
 こう言い換えてもいいだろう。過去のことは現在どうすることもできない。だが、(民族間の歴史の憎悪や加害者へ憎悪を越えて)人を人として見るなら、自分が正しいのだと主張するために憎悪の記憶を維持して自分を苦しめることはなくなる。
 そうなのだろうか。それは各人が本書の思想をどう受け取るかにかかっているし、それは自由だ。私は受け入れたいと思う。
 この考えは、くどいけど「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)でふれたローレンス・クシュナーの考えに近い。

たとえば、虐待されてきた人がすべてを忘れるためには、何が必要なのかも考え合わせなければなりません。なぜなら、覚え続けていると、それがその人を虐待し続けるからです。残念なことに、今日多くのユダヤ人の中にその傾向が見られます。私個人は、ワシントンのホロコースト博物館への特別招待を何度もお断りしました。思い出したくないからです。また、私のことを犠牲者として思い出すなんて、世間の人にとっては時間の無駄だと思います。私がその恐ろしさを覚えておきたいのは、あのようなことが私にも、他の誰にも、二度と起こらないようにするためだけです。


以前所属していた教会で、「大量虐殺に反対するユダヤ人」をスローガンに掲げるグループを作るのに私は手を貸しましたが、そのグループの名前は「われわれでなければ、誰が?」でした。そのようなやり方で、私はホロコーストの記憶に応えようと思います。私はガス室の写真を見たいとは思いません。ですが、大量虐殺が現在行われているルワンダやその他の地域の写真は、関心をもって見ています。私はそのことをひとりのユダヤ人としては心の底から知っています。ですから、そのことが私なりの社会的責任を負わせているのです。そのことは忘れたくありません。

 民族の虐待の記憶を忘れないとして、その苦しみを特定の民族のメンバーとして個人が意識し続けることはその人の内面を虐待し続けてしまうとクシュナーはいう。つまり、民族の虐待の歴史を忘れないということは、特定の民族の虐待の歴史を顧みて民族意識を高揚させることより、現在世界で進行している虐待を止めようと努力することだとしていることになる。
 私は、それも正しいと思うようになった。

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2008.03.16

[書評]2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)

 本書「2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)は昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)で扱った書籍の続編にあたる。

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2日で人生が変わる
「箱」の法則
 ストーリーの展開としては、「自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)の20年ほど前の話になるので、スターウォーズのシリーズのような趣もあるが、内容的な展開からすれば、出版された順序で、つまり、現代に近い「自分の小さな「箱」から脱出する方法」を先に読み、それから「2日で人生が変わる「箱」の法則」を読んだほうがよいだろう。こちらの本だけ単独で読むこともできるし、ある程度の読書人が普通に読めばわかるように本書のテーマは、9・11事件とその後の世界をどう捉えるかという壮大なテーマが仕組まれていることで、読後のかなり重みを受けるだろう。
 こう言うのは少し大げさなのかもしれないが、本書は前書の十倍近いインパクトがあった。私は打ちのめされたと言ってもいい、辛うじてそうでもないとすれば、本書の思想に対して私は、「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)のローレンス・クシュナーの思想からかなり接近していたので、受容できる素地があった。あるいは、クシュナーの思想をある程度受け入れようとしていたから、本書のインパクトを受け入れられたのかもしれない。
 邦訳書はその表題や装丁、イラストなどからして、前書「自分の小さな「箱」から脱出する方法」の柳の下のドジョウ的な売れを狙ったか、日本のアービンジャー・インスティチュート・ジャパンのセミナー活動のパンフレット的な思惑で出版されたのだろうと推測する。つまり、できるだけ前書のビジネス・ハウツー的なノリで読めるようにマーケット的に配慮したのだろう。
 だが、本書はビジネス書としても読まれうるが、どうも作者はそう読まれないようにある程度ゴツゴツとした知的な障害物を意図的に配置しているように思える。冒頭十字軍の歴史を配してあるあたりは、軽薄な日本のビジネス・ハウツー本ならさくっと削除するだろう。だが、この挿話は本書の本質に関わっている。著者は現代という時代を、ある意味で十字軍問題の延長として見ているし、教官に初老のパレスチナ人ユースフと中年のユダヤ人アヴィを配置していることからもわかる。
 前書で一度だけ触れたマルチン・ブーバーについては比較的記述が増えている。ブーバー哲学やその人生に触れた人間なら、読者がブーバーの後年の活動を著者が意識していることは明確にわかるだろう。
 9・11が隠されたテーマであることは、米国現代史の流れで見れば、ベトナム戦争を初老に至る世代がどう受容するかという問題にも関わっている。この関わりが未だに米国の現代的な問題であることはマケインの存在からも比喩されるだろう。この点は、本書では、主人公のルー(海兵隊)とペティス・マリ(空軍)を配置していることからわかる。なお、彼らのことをこの訳書では「ベテラン」というカタカナを当てているが、veteranは退役軍人の意味があるのでやや誤訳に近い。他、随所、こなれていない訳がある。
 さらに現代の比喩でいえばオバマが示しているような黒人問題も本書には反映されている。この部分にはトリックがあるので深くは触れないものの、あとで少しスポイラーとなるかもしれない核心には触れたい。
 読後に気が付いたのだが、本書は女性問題の書籍でもある。そこは意図的ではなく表面からは隠されているのだが、ルーの妻キャロル、英国人エリザベスに反映されている。ある意味で本書の主人公はルーではなくキャロルであるかもしれない。日本人でもある程度人生というものが見えてきた中年の女性なら、本書を読みながら愕然と泣き出してしまうかもしれない。
 いずれにせよ、このように本書は、あたかも読みにくくする障害のように、登場人物にかなりの作り込みをしていてるし、その部分についてある程度腰を据えて読まないとわからないようにできている。速読はできないし、要点をまとめてリストにするような書籍ではない。私の思い入れが強いすぎるのだが、本書は、その登場人物一人一人を大切に思いつつ読むことが強いられる。というまさにその意味で、人を人として見る=箱から出る、ということをメタ的に構造化してある驚愕すべき仕組みがある。私はカラマーゾフの兄弟でも読むように、人物関係を図にしたしおりを作って読んだ。ついでなので掲載しておく。

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主要登場人物図

 本書の主要な課題は、「箱」とはいいがたい。実際、オリジナル・タイトルもそこは意図されていない。オリジナルは「The Anatomy of Peace: Resolving the Heart of Conflict」(参照)であり、直訳すれば「平和の解剖学:心的葛藤を解く」というものだ。人々の心の葛藤が敵対心を生み出すそのプロセスを平和=平安の視点から解剖学的に見ていく、というのが本書の哲学的な枠組みである。「2日で人生が変わる「箱」の法則」という表題は、やや失礼な言い方にもなるが、本書をよく読まれてない人がマーケットやセミナー戦略に媚びてつけた失敗だろう。

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The Anatomy of Peace:
Resolving the Heart of Conflict
 余談だが、本書は昨年出版されたものの安価なペーパーバックはこのエントリー執筆時点ではまだ出版されていない。日本の出版界はいろいろ批判されるべき点も多いのだが、結果として安価に良書を幅広く提供するという点では、医療システムのように国際的にも優れている点がある。
 アービンジャー・インスティチュートのこの2冊の思想的な起源はどこにあるのか? 隠されたモルモン教なのか。その点はわからなかった。書籍のフィクションの内側としては、ルーに起源をもつのだが、ルーの転機は、パレスチナ難民ユースフに由来する。では、ユースフはどのようにその思想を得たか。それはイエール大学で哲学を教えている、黒人の哲学者ベンジャミン・アリッグだとしている。私はアリッグが現実の哲学・思想史で誰を指しているのか、不覚にもわからない。ブーバーではないだろう。ご存じのかたがいたら教えていただきたい。この思想をもう少し深めたいと思うからだ。連想としては、シェルビー・スティール(Shelby Steele)の「黒い憂鬱 90年代アメリカの新しい人種関係(翻訳:李隆)」(参照)がふと浮かぶが、「A Bound Man」(参照)のようなオバマ評価をもつ思想とはまったく異なる。あるいはキング牧師のような系統かともふと思うがまったく違うだろう。
 物語のなかでユースフは1976年6月5日を回想して、こう自分を語る。彼はパレスチナ難民としてファタハに所属していた。

 ファタハのネットワークは、新しい現実を踏まえて、急いで基盤を立て直そうとしましたが、われわれは自信を失い、同時に希望の光も勢いを失っていた。どんな戦いが行く手にあろうと、期待したよりはるかに長引くだろうと思われました。とにかく、私はこれからもそうした戦闘で主導的役割を努めることはなさそうだったので、私は他の戦闘を探しはじめました。一民族としてのわれわれの失敗を、日々、思い出させるものからも、そしてまた、自らの権威を失墜させ、われわれの大きなチャンスを無駄にしてしまった自分自身に対する自己嫌悪からも、私を解き放ってくれる戦闘を」

 ユースフは米国にやってきた。ベトナム空軍歴のあるペティスはユースフに問う。

「それで、いったいなぜ合衆国に来ることになったのですか?」ペティスが聞いた。
「暗殺です」
「暗殺?」ペティスはたじろいだ。

 ユースフの転機はベンジャミン・アリッグ教授との出会いだった。ユースフは催涙弾を使った黒人暴動を傍観しているとき、その傍観群衆のなかのある黒人に気が付く(一部原文を補う)。

 ちょうどそのとき、同じように引きつけられているらしい黒人――そう、彼がベン教授でした――に気がつきました。彼はほとんど白人ばかりの見物人の中にいて、私は好奇心をそそられ、彼を見つめました。その場に引き込まれそうな危険な状況にもかかわらず、彼は抗議に加わることも、恐怖で逃げることもなく、落ち着いた様子で静かに立っていました。ただ、心配そうな深刻な表情ではありましたが。
 その黒人がこの闘争をどう思っているのか知りたくて、私は彼ににじり寄っていった。虐げられたパレスチナのアラブ人として、彼の考えを理解できる気がしたのです。いま、ここで戦っているのは、ファタハの同胞たちと同じような人々なのだ。その群れの中に知っている顔があったら、私は身を挺して催涙ガスを妨害しようとしただろう。例の黒人に近づきながら、私は同情を示すつもりでした。
『虐げられた人たちが反撃しているんですね』私はさり気なく言いました。
『そうです、双方とも』彼は光景から目を離さないまま、答えました。
『双方とも?』
『ええ』
『どうして? 催涙ガスを使っているのは一方だけじゃないですか』
『よく見て。どちらの側も催涙ガスを欲しがっているのがわかる』
私は、怒りに荒れ狂う暴徒を再び見て、この男の真意は何なのか、たとえ彼の言葉が本当だとしても、それに気が付く人がいるだろうかと考えていました。
『どちらのご出身ですか?』彼は騒ぎを見つめたまま、聞いていました。
『エルサレムです、パレスチナの』
彼は何も言いません。
私もまた乱闘のほうに目をやった。『彼らの気持ちがわかりますよ』暴徒と化した黒人たちをあごで示した。
『それはお気の毒だ(Then I pity you)』
私は面くらいました。
『私が気の毒? なぜですか?(Pity me? Why?)』
『あなたは、自分自身の敵になっている(Because you have become your own enemy)』彼は静かに、しかし、きっぱりと答えた。
『私が反撃したがっているからですか? 私と同胞がこうむった不正を正したいと思っているからですか?』
彼は黙っていました。
『私が催涙ガスを欲しがるのも当然の状況なら、どうですか?(What if circumstances are such that I'm justified in desiring tear gas?)』(I retorted, returning to his earlier comment.)
『まさしく(Exactly,)』
『まさしく? どういうことですか?(Exactly?’ I repeated in confusion. ‘What is that supposed to mean?’)』
『あなたはあなた自身の敵になっている(You have become your own enemy)』
――こうして、私はベン・アリッグ教授に師事することになったのです」

 それから3年間、ユースフはアリッグ教授のもとで学び、人種偏見を解いていくことになった。ただ、この部分については思想的には、先のスティールの議論ではないが異論はあるだろうと私は思う。
 アリッグの思想は若いユースフとの対話でこう簡素に語られている。ある意味で簡素過ぎるのだが。なお、この部分は微妙なので、関心のある人はできたら原文も留意していただきたい。

『他者を人として見るようになると、人種、民族、宗教などに関わる問題もそれまでと違って見えたり、感じられたりするようになる。つまり、希望や夢や恐れを抱いている人々、それにきみ自身と同じように自己正当化している人々も見えてくるはずだ。(When you begin to see others as people,’ Ben told me, ‘issues related to race, ethnicity, religion, and so on, begin to look and feel different. You end up seeing people who have hopes, dreams, fears, and even justifications that resemble your own)』
『でもあるグループの人々が別のグループを虐げているとしたら?』私は尋ねました。
『その場合、虐げられているグループは、自分たちが虐げる側にならないように気をつけなければいけない。それは陥りやすい罠だよ。過去の虐待という正当化の手段が手元にあるわけだからね(Then the second group must be careful not to become oppressors themselves. A trap that is all too easy to fall into,’ he added, ‘when the justification of past abuse is readily at hand.)』
『彼らが単に不正をなくそうとしているだけだとしたら、どうして彼らが迫害者になるのですか?(How would they become oppressors themselves if they simply try to put an end to injustice?’ I asked.)』
『不正をなくそうとしている人々の大半は、自分がこうむった思っている不正のことしか考えないからね。つまり、彼らが本当に関心があるのは不正ではなく、彼ら自身のことだよ。自己中心の考え方を、表向きの大義の陰に隠しているのだ(Because most who are trying to put an end to injustice only think of the injustices they believe they themselves have suffered. Which means that they are concerned not really with injustice but with themselves. They hide their focus on themselves behind the righteousness of their outward cause.)』そうベンは答えました。

 本書でアリッグ教授が語る思想はそれだけだが、私はこれだけで圧倒され、考え続けた。
 ユースフとは誰だろうか? アリッグとは誰なのだろうか? 
 物語では、アリッグ教授はこうした平和の思想を持ち、実践しながら、最後は飲酒運転者によって死に至ったとしている。つまり、その死にはなんら意味はなかった。人生の思想と行動は死の結実を表面的には得ないし、私たちはそれに向き合っているとしている。
 そう語るのは誰か。
 私はアービンジャー・インスティチュートに身を隠し、匿名化した(参照)テリー・ウォーナーその人だろうと思う。テリー・ウォーナーにはユースフとの符帳が隠されている(参照

Warner holds a Ph.D. from Yale University and is a professor of philosophy at Brigham Young University.[1] In 1967 he joined the faculty at Brigham Young University, where he has served as chair of the Philosophy Department, director of the Honors Program, and dean of the College of General Studies.[2] He was a visiting senior member of Linacre College, Oxford University.

 テリー・ウォーナーはユースフと同じように、イエール大学で哲学を学んだ。物語でアリッグ教授がいたとされる大学である。それから、ウォーナー教授はモルモン教コミュニティーと関連の深いブリガムヤング大学の教授となる。普通に考えれば、ウォーナー自身もモルモン教徒ではないかと思われて不思議ではない。
 ブリガムヤング大学の教授陣の紹介では、Specialtiesとして"Education In Zion Exhibit"が上げられている。シオニズム関連の専門ということだろうか。確かに本書はその背景知識が生かされているし、ブーバー哲学との接点もそこにあるのではないかと思われる。
 ウォーナーの思想は、最大限好意的に見てブーバーがそうであったようなシオニズムの一種なのだろうか。あるいは、ユースフがファタハであることを思想的に解体したように、モルモン教徒であることの積極的な解体として彼の思想・活動の展開があるのだろうか。
 わからないと言えばわからない。だが私は、本書で語られているアリッグ教授の思想を正しいと思うし、この思想に馴化していくだろう、私自身が私の敵にならないために。

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2008.03.15

[書評]自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)

 当初勘違いで、別の小冊子、日本のアービンジャー・インスティチュート・ジャパン監修の編集書「実践 自分の小さな「箱」から脱出する方法」(参照)を購入した。ついでなのでこのパンフレットみたいな書籍に目を通したのだが皆目わけがわからず、結局編集元になる本書、「自分の小さな「箱」から脱出する方法(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)を読んだ。2006年に出版された邦訳である。こちらはわかりやすかった。小説仕立てになっていて、よく読むと微妙な心理の動きや伏線などもある。

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自分の小さな「箱」から
脱出する方法
 結論から言うと、当初かなり違和感があった(そのために勘違いした)が、本書は良書であると思った。人によってはかなりインパクトを受けるだろう。私も率直なところかなりインパクトを受けた。
 最初に、ネガティブな批判に聞こえるかもしれなが、同書についての違和感をまとめておきたい。
 オリジナルは2002年に出版されたベストセラー「Leadership and Self-Deception: Getting Out of the Box」(参照)で、表題からもわかるように「リーダシップと自己欺瞞」、つまり企業や団体のリーダシップ論が結果的に主要テーマになっている。
 副題は「ボックスから抜け出すこと」ということで、邦訳ではリーダーシップ論よりも、こちらの個人的な人間関係を強調している。また邦訳の「小さい箱」といった「小さい」のニュアンスはオリジナルには含まれていない。日本語の言い回しである「自分の殻」とか「井の中の蛙」といった連想から、日本のマーケットに向けて「小さな箱」という表現が考案されたのだろう。翻訳の質については、ストーリーにあまり関連の秘書の名前などが無断で省略されているものの、それほど強い意訳ではないようだ。
 邦訳書としては別途、2001年に文春ネスコから「箱 Getting Out Of The Box(ジ・アービンガー・インスティチュート)」(参照)が出版されている。英語のオリジナルが2002年の出版ようなので経緯によくわからない点があるが、訳者は同じなのでネスコから大和書房に翻訳権が譲渡され、復刻されたのだろう。
 復刻の由来について、日本のアービンジャー・インスティチュート・ジャパンが関わっているようすが、まぐまぐ”箱「成功してきた私の問題点」たったひとつの問題解決法”(参照)から伺える。

読者の皆さんこんにちは! ご登録いただきホントにありがとうございます。筆者の陶山浩徳と申します。
 【自分の小さな「箱」から脱出する方法】の著者アービンジャー・インスティチュートの日本代表を務めています。
 この本は2001年に「箱」というタイトルで文春ネスコより出版されていましたがその後、絶版状態で手に入らなくなりました。出版前にはアマゾンの中古本価格で1万円を超えて販売されていた希少本です。
 その本が、監修はビジネスプロデューサーの金森重樹さん、イラストは「大人たばこ養成講座」(JTの広告)を手がけた寄藤文平さん、そして「ユダヤ人大富豪の教え」の著者本田健さんまでも編集に関わっていただき
【自分の小さな「箱」から脱出する方法】と生まれ変わって大和書房さんより10月に発売になりました。

 陶山代表については、”ノビテク やれる気の達人たち アービンジャー・インスティチュート・ジャパン株式会社 代表取締役 陶山浩徳 氏”(参照)に自己紹介がある。

Q.今までの経歴を教えてください
工業系の大学を最低の成績で卒業後、大手自動車メーカーの販売店に就職しました。整備士として2年ほど働きましたが、もっと世間を知る事ができる仕事がしたくて上司に相談したところ、営業を薦められ、営業に異動したのです。高級車を売ることで、企業の社長と接する機会ができました。2年間営業をし、そこそこの成績を収めることができたことで調子に乗った私は、その後独立して仲間4人で魚や新鮮野菜を販売する商売を始めました。しかし、仲間割れの大失敗です。その後、生活のため仕方なく再就職した先は、農協関連の食品メーカーで農協の婦人部の方へ漬物の漬け方の講習会をして商品を買ってもらう仕事でした。その後、独立を考えているならと義理の父が経営する会社に誘われて勤めることになりました。(後略)


何のために仕事をしているのか、誰のために仕事をしているのか、自暴自棄に陥って行きました。いやでした。全てが。そんな時に、ある知人から「箱」の本を紹介してもらったのです。出版社に問い合わせたところ絶版になっていたのですが、インターネットの中古本販売でなんとか購入できました。現在販売している緑色の本「自分の小さな箱から脱出する方法」の前身です。早速読んでみると、まさに目からウロコの連続でした。人の気持ち、自分の気持ちが手に取るようにわかりました。そこにはまさに自分のことが書かれていたのです。

 陶山氏は本書との出会いが人生の転機となったということで、その出会いを準備する人生経験もされていたということなのだろう。
 私が本書になぜ違和感をもっていたかだが、以下の米アマゾン読者評(参照)のような関連事実をあらかじめ知っていたからだった。

Mormon connection (almost) ruined it for me, May 27, 2002
By A Customer

My boss bought a number of copies of this book to distribute among management, and I found the ideas it espoused quite helpful, although the sixth-grade reading level it's written at can be a bit trying at times. The idea that perceiving those you deal with in your daily life as people rather than objects can help you to be more effective is very valid.
(私の上司が本書を経営陣に配布するために多数もってきた。小学生でも読めることになっているが多少読みづらかったものの、私は同書の考え方は役立つと支持した。日常生活の関わる対象を物として捉えるのではなく人々として捉えることでより自分がより効率的になるという考え方は確かだ。)

Dr. C. Terry Warner, founder of the Arbinger Institute, as well as the Institute itself, are closely linked with BYU and the Mormon community, and when I discovered this after reading the book, it put something of a bad taste in my mouth; I wondered if this was a bonafide business book or simply soft-sell PR for the LDS groups. Simply substitute "in the box" and "out of the box" for "saved" and "sinner" and you have an entirely different book.
(アービンジャー研究所を創立したテリー・ウォーナー博士と、その研究所も同様に、ブリガムヤング大学とモルモン教徒コミュニティに強いつながりももっている。私が本書を読み終えてからそれを知ったとき、口のなかに何か嫌な後味のようなものが残った。この本は、善良な書籍といえるのか、それとも単に末日聖徒イエス・キリスト教会用の口当たりよい広告なのか疑問に思った。「箱の中にいる」や「箱から出る」というのは、「救済」や「キリスト教的罪意識の人」と単純に置き換えてみると、この本はまったく別のものになる。)

Since the book espouses approaches that aren't tied to any specific religion, and since the points it makes are very valid, I'd recommend taking a peek despite the BYU / LDS link.
(この本は特定宗教と結びつかない手法を支持している。そしてこの本の指摘が確実なものなのだから、ブリガムヤング大学やモルモン教徒コミュニティを別にして覗き見しておくことをお勧めしたい。)


 率直なところ、本書を読みながらモルモンの教義のようなものが潜んでいるか、コミュニティ勧誘的な要素が含まれているかについて、警戒しつつかなり構えて読むことになった。読後、そうした懸念はどうかなのだが、完全にクリアとはいかないまでも、この本はこの本で閉じて良書であると思うし、自分自身人生観に修正すべき点を得た。
 内容に立ち入ると、邦題で強調されている「箱」とは何かということがまずポイントになる。これは、おそらく日本語でいう「自分の殻に篭もって」の連想を受けやすいだろうが、箱に入った状態とはそういうことではなく、他者を物として見ている状態を指す。そして箱から出た状態は他者を人として見る状態を指す。もちろん、そうとだけ言ってしまえばそんなことはわかりきったことのようにも思われるが、本書は小説仕立ててで、その微妙な部分を執拗に描いている。
 私は読みながら、これはマルチン・ブーバーの哲学の亜流ではないかと想像が付いた。実際、本書の後半でブーバーの言及は出てくるし、本書の続刊「2日で人生が変わる「箱」の法則(アービンジャー・インスティチュート)」(参照)ではブーバーについての議論はある程度踏み込んで書かれている。
 簡単に言えば、ブーバーが「我と汝」(参照)で言う存在の根源語「我-汝」のありかたが箱から出た状態であり、「我-それ」が箱に入った状態なのだが、この問題については、あるいは森有正が説いたように、日本人は、「我と汝」や「他者を人とみる」ということを、「二人称的おまえのおまえは私」として理解しやすい。あるいは、イザヤ・ベンダサンが日本教という概念で説いたように、「人間」という「自然」という概念に吸着させやすい。おそらく本書は、日本の文化的な背景ではある基本的な誤解に至りやすいと思われるが、私がそれは誤解だと言えるほどのものでもなく、少し困惑している。
 ブーバー哲学の大衆化が本書の本質かというと、そうではなく、最も重要なコンセプトは、オリジナルタイトルにあるように「自己欺瞞(Self-deception)」である。本書では、自己欺瞞というものを、「良心や本心が告げるものに対する裏切り」として捉えている。たとえば、若い夫婦が寝ているとき赤ちゃんが泣き出す。夫か妻が起きて相手をしなければならない。そうした状況で、夫が先に目を覚ましたのに、嘘眠りしてしまう。そんな状況を本書では上げている。
 単純に言えば、自身の良心に反したことをしたときに、人は箱に入る、というのが本書の箱に入るという説明だ。箱からどう出るかについての議論は、ここに書くべきではないので、関心のある人が読まれるとよいだろう。
 私のように懐疑的な人間なら、良心ということを他者から告げられたとき、ある種の宗教的な強制の臭いを嗅ぐ。良心はまさに自分だけの問題であるから、そもそもが箱の内部であるし、そこにかかわる部分で自己欺瞞がどのように起きるかは、自己撞着的なアポリアになる。加えていえば、自我そのものが自己防衛のメカニズムとして発生しているという点で、「私」という意識は自己欺瞞の装置そのものでもあるはずだ。
 宗教が恐ろしいのは、本来自分の内在であるべき良心を、外在的に議論できるかのような装いをする点にあり、本書のようなスキームで言うなら、良心に偽ったというとき、それはもしかすると宗教の教義への偽りによる恐怖に過ぎないのかもしれない。
 この問題、つまり、それが良心なのか、それとも教義なのか、その点は、続刊の「2日で人生が変わる「箱」の法則」に多少ヒントがあるものの、率直にいえば十分にクリアになっていない。もう少しいえば、ブーバー哲学のなかにそのヒントがあるべきなのに、本書の哲学はある異質なものが混入している印象がある。
 以上のように懐疑的に本書を見つつも、私自身は、本書が指摘するように、「箱のなかにいる」という自覚を十分にもったし、そのことでもたらすありがちな諸問題について、かなり示唆深い教訓を得た。本書を人に勧めるかといえば、勧めたい。かなり人生観に衝撃を受ける人がいることは確かだろうと思う。その衝撃は100%良いものではないかもしれないが、人生にありがちな諸問題を解決する可能性が高い。
 結局、私は本書をどう捉えたらよいのか。その問題は、続刊の「2日で人生が変わる「箱」の法則」の読後の問題に移った。こちらの書籍については、新しくエントリを起こしたい。

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2008.03.13

支出の倫理

 アマゾンの「ほしい物リスト」で本人の名前が表示されるという話が昨日突然話題になり、12日付け朝日新聞記事”アマゾン「ほしい物リスト」、他人に丸見え 本名も表示”(参照)にまで取り上げられた。


ネット通販大手「Amazon」(アマゾン)のサイトで、欲しい商品を登録したユーザーの個人名やリストが、検索すると他のユーザーから見えてしまうことが、ネット上で問題にされている。表示されないように設定もできるが、大半のユーザーは検索されることを知らずに使っている可能性がある。

 この仕様は以前のウィッシュリスト時代からあるのだが、目立つところに配置されていて今月に入り「ほしい物リスト」と名称が変わったをのがきっかけで話題になったのだろう。
 別段それが公開されて何が話題なのかというと、一つには「ほしい物」がプライバシーに関連する部分があるということだ。

 中には、特定の病気について書かれた本が並ぶリストや、アダルトグッズなどが並ぶリストもあり、そのユーザーが「自分の名前とともに公開される」ことを意識しているとは考えにくいものも多い。

 もう一つは、匿名ブロガーの名前がばれたということ。

 「2ちゃんねる」には「単なるお気に入りだと思っていた」「覚えのないリストが(自分の名前で)表示された」などクレームに交じって、「有名ブロガーのアドレスを入れたら、本名が出てきた」という書き込みもされている。

 私は「有名ブロガー」のうちには入らないと思うが、この件で探した人もいるのかもしれない。私はこの機能を使っていないのでそこからは情報は探れないだろうし、匿名に隠れてなにか書いているという意図はないので公的な必要性があれば公開します。
 匿名ということの余談になるが、マルタのカトリック的な風俗を調べているときKKKのような装束を見つけて驚いたことがある。理由を探ったのだが、善行は匿名でするということが起源で、異様に見える装束も逆の起源があったようだ。つまり、匿名とは善行を隠すためのもの、というのが西洋史的には原義に近い。アルファブロガーというのもがありうるとしたら、有名であるよりマスメディアから独立した匿名の良心の一つの形態であるべきなのかもしれない。
 アマゾンの問題に戻ると、同記事ではアマゾン側の態度をこう伝えている。

サイトを運営するアマゾンジャパンの広報担当者は「公開になるという説明は、必ず目につくような場所につけている。設定の変更もできるようになっている」と説明。「そもそも、ほしい物リストは、アメリカの文化で、友人や家族にプレゼントして欲しいものをあらかじめリスト化する習慣に合わせてできた機能。公開して使うことが前提になっている」としている。

 文化的な背景もあるのかもしれないが、私は、米国的な「ウィッシュ」(ここではサンタさんにプレゼントもらえないかなというような願望だろう)と、「ほしい物」(これ今は買わないけどほしいなという願望)の違いかもしれないと思った。
cover
静かなる細き声
山本七平
 今回のネット的な騒ぎで、「支出の倫理」も思い出した。山本七平「静かなる細き声」(参照参照)にその章題の興味深い話がある。

 中学何年のときか忘れたが、ヘニガーさんという宣教師(?)の講演会があった。確か、全校生徒が聞いたのではないかと思う。
 もう相当な年の方で、真っ白な頭髪と上手な日本語が印象的だった。


 ただ強く印象に残ったのが、ヘニガー先生の「支出の倫理」という考え方であり、これが私には、今まで耳にしたことのない、全く新しい考え方に思えたからである。先生は確か、次のように話されたと思う。

 山本の記憶に残る「支出の倫理」とは次のようなものだ。

 日本人は、取得もしくは収入の手段方法については、高度の強い倫理観をもっている。これが中国(当時の)の上海などに行くと、「盗む」ことが必ずしも罪悪視されず、盗品市場などが堂々と存在し、盗まれた物はそこに行けば買いもどせるという奇妙な状態である。また盗みの現場を見つかれば返せばよいのであって、それ以上追求すると「返したのだから文句を言うな」と逆襲される。こういう点、日本人とは倫理観が違う。
 ところが、立派な「取得の倫理」をもっていながら、「支出の倫理」となると、日本人はこれが皆無である。
 そしてこの点を指摘すると、必ず返ってくる反論が「盗んだものでも、ひろったのでもない。オレがかせいだカネだ。オレがかせいだカネを、好きなように使って何が悪い。女郎を買おうが、酒を飲もうが、バクチをしようがオレの勝手だ」といった反論である。
 この際、支出とは他にとっては収入であるから、非倫理的な支出が非倫理的収入をもたらすとは考えない。
 そのため、非倫理的収入を得た者が社会的に非難され軽蔑され差別されることはあっても、この収入の原因となった非倫理的支出をしたものは非難されないという奇妙な現象を呈しながら、だれもこれを奇妙とは思わない。

 山本七平のこのエッセイはもう三〇年も前のもので、私は当時これを連載していた「信徒の友」を購読して読んでいたのだが、現代日本ではもう違った部分はあるかもしれない。
 引用が多くなるが興味深いので続ける。

 だが私には、支出は、だれにも拘束されない個人の行為だという点と、拘束されない自由な行為であり、他の収入となる点で他に干与しつつしかも責任を負わないですむ行為であり、いわば「応答の義務のない行為」であるがゆえに、支出は神に対して倫理的な責任を負うという考え方が、非常に興味深かった。

 山本はこうも述懐する。

 支出とは不思議なものである。ふところにカネがあるということは、その範囲内で、それを自由に使いうるということであり、その点、支出は不知不識のうちにその人の本心をさらけ出してしまう。
 こう考えてみると、支出とは、近代人が神と人の前で自覚せずに行っている一種の懺悔であり、偽ることのできぬ自己表現である。

 この山本の印象は、マックス・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)で重視されるプロテスタンティズムの特徴と響き合う点がある。

 これらのさまざまな方向へピュウリタニズムがおよぼした影響をここで詳論することはできないが、次の点だけははっきりさせておきたい。すなわち、純粋に芸術や遊技のための文化財の悦楽にはいずれにせよ、つねに一つの特徴的な許容の限界があった。つまり、そのためには何も支出をしてはならない、ということだ。人間は神の恩恵によって与えられた財貨の管理者にすぎず、聖書の譬話にある僕(しもべ)のように、一デナリにいたるまで委託された貨幣の報告をしなければならず、その一部を、神の栄光のためでなく、自分の享楽のために支出するなどといったことは、少なくとも危険なことがらなのだ。目の見える人々には今日でもなお、こうした思想の持ち主が見あたるのではなかろうか。人間は委託された財産に対して義務を負っており、管理する僕、いや、まさしく「営利機械」として財産に奉仕する者とならねばならぬという思想は、生活の上に冷やかな圧力をもってのしかかっている。

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プロテスタンティズムの
倫理と資本主義の精神
 この思想の根には、聖書時代の貨幣=タラントが才能=タレントとなる構図とも関連し、才能や貨幣は神から貸し付けられた責務を伴う貸与という側面もある。
 山本は日本人には支出の倫理はないというが、物に対するある種のケチの倫理はある。使えるまで使い倒して新製品を買わないというか。私は「物の性を尽くす」という「中庸」(参照)の倫理で教わったように思う。このケチの考えは西洋人もあるが、西洋人の場合は、支出の倫理に関係しているのだろう・日本人の場合は、物に宿る仏性みたいなものとつながっていたのではないかと思う。

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2008.03.12

日銀総裁人事問題雑感

 読売新聞を除いて今朝の新聞各紙は日銀総裁人事問題で、どちらかといえば民主党の対応を批判しているように思えた(読売新聞は8日付け「日銀総裁人事 「財金分離」は理由にならない」で触れている)。例えば、朝日新聞社説”日銀総裁人事 腑に落ちぬ不同意の理由”(参照)では、次のように民主党を批判している。


 注目の日本銀行総裁人事で、民主党は政府が提案した武藤敏郎副総裁の昇格に同意しないことを決めた。
 他の野党も不同意の方針なので、きょうの参院本会議で人事案は否決される見通しだ。福井俊彦総裁の任期切れが19日に迫っている。なのに政府は後任を決められない。なんとも異例の事態を迎えることになる。
 私たちは民主党に対し、大局的な見地からこの人事を慎重に検討するよう求めた。きのう武藤氏らが国会で所信を述べてから時を置かず、不同意を決めたのは残念というよりない。

 一応次のように民主党への配慮はあるものの、朝日新聞は民主党の今回の対応に説得性がないとしている。

 野党とはいえ、目指す政策がある以上、それにそぐわない人事に反対するのは理のないことではない。
 だが、ことは日本の金融政策の司令塔をだれにするかという問題だ。民主党の反対理由を聞いても、政府が最終的に任命責任を負う重い人事を覆すほどの説得力があるとは思えない。

 さらに民主党には政局絡みの思惑があるのではないかとまで批判を展開しているが、穿ち過ぎだろう。
 朝日新聞は民主党の反対理由に説得力がないとしているが、現在の政府案を民主党に飲ませるという朝日新聞の意見にもそれほど説得力はないだろう。そもそも朝日新聞が政府と意見を同じくする理由について十分には語られていないうえ、この人事案は任期切れギリギリで、民主党にとっては「同意困難な無理なボールを投げつけてきた」ように出されたという点には触れていない。
 今回の問題は、朝日新聞の理解とは異なり、基本的に制度の問題である。その点、毎日新聞社説”日銀総裁人事 「採決棄権」も民主の選択肢だ”(参照)は今回の騒動の本質を次のようにきちんと指摘している。

そもそも同意人事の賛否が衆参で分かれた際どうするか、他の法案などと違い明確なルールを作ってこなかったのが混乱の要因でもある。

 具体的には日銀法に関係する。朝日新聞の記事”日銀人事、参院「武藤総裁」を否決 白川副総裁のみ同意”(参照)では、この点を踏まえている。

日銀人事が国会同意人事になった98年の改正日銀法施行後、不同意は初めて。一方、日銀出身の白川方明・京大大学院教授(58)を副総裁とする案は民主党も賛成に回り、賛成多数で同意された。
 日銀法が定める衆参両院の同意が不可能になったことで、政府は19日の福井俊彦総裁(72)の任期切れを控え、今後、同じ人事案を再提出するか、別の人事案に差し替えるかの選択を迫られる。

 他、産経新聞・日経新聞の社説も、どちらかといえば民主党が翻意して丸くおさめることを求めている。なお、毎日新聞社説の後段では「邪道」の自覚の上で民主党は棄権せよと説き、ユーモアと呼ぶには苦笑に近い提言もしているが。
 現実問題としては、政府側としては「同じ人事案を再提出するか、別の人事案にに差し替えるか」ということになる。
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経済政策形成の研究
既得観念と経済学の相克
野口 旭他
 差し替えとなり「白川方明・京大大学院教授」となるならば、これはこれで手順通りすんなりと丸く収まる。そうなれば、今朝の大手紙社説は、「経済政策形成の研究 既得観念と経済学の相克」(参照)が改訂されおりに追記されるべきエピソードとなるかもしれない。
 同じ人事案が再提出された場合はどうか。その場合でも、それほど問題があるとは思えない。FujiSankei Business i.”金融・証券/総裁空席に現実味 武藤氏、低姿勢も通じず 民主、白川総裁代行を視野”(参照)に民主党のシナリオが記載されているが、当面は代行を立てておけばいいだけのことだ。

 民主党としては12日に参院で人事案を否決し、早々にボールを政府側に投げ返す戦略だ。さらに空席の責任を回避するため、総裁代行を準備しておくという策も打ち出した。金融政策の理論・実務両面に精通する白川氏なら当面の政策運営に支障はないと判断したようだ。

 日銀総裁空席が国際的に問題だと騒ぐ向きがあるが、それほどまでに日銀総裁が国際的に重視されていたとは思えない。民主主義とは手順の遂行でもある。当面白川氏を代行にして、その間、議論を尽くせばよいのではないか。
 率直に言うのだが、その間、政府も民主党も大手紙も含め、幅広い層からの意見を聞き、早々に政府及び民主党から切り捨てられた伊藤隆敏東大教授採用の線も再度検討したほうがよいだろう。

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2008.03.11

元米国国防省政策次官ダグラス・ファイスの言い分

 最初に一言。私はファイスの言い分が正しいとは思っていない。ただ、ファイスが本を書いたんだな、でも多分日本では翻訳されないだろうな、と思うので、備忘にブログにログっておくという程度のことだ。イラク戦争も次第に歴史になっていく。
 邦文で読める関連ニュースにはAFP”米国防総省の元高官が暴露本、パウエル元国務長官を糾弾”(参照)がある。


【3月10日 AFP】イラク戦争開戦時に米国防総省の政策担当次官を務めたダグラス・フェイス(Douglas Feith)氏が、最新著書のなかでコリン・パウエル(Colin Powell)国務長官(当時)や米中央情報局(CIA)について、イラク戦争を台無しにしたとして非難していることが明らかになった。同氏の新著『War and Decision(戦争と決断)』の原稿を入手した米ワシントン・ポスト(Washington Post)紙が9日、報じた。

 AFPのニュースはご覧の通りワシントンポストの孫引きに過ぎない。元になるのは、9日付けワシントンポスト”Ex-Defense Official Assails Colleagues Over Run-Up to War”(参照)だ。AFP記事はワシントン孫引きなのでやや引用を多くする。パウエルの批判が続く。

 2005年まで国防総省の政策担当次官を務め、米国の対イラク戦争政策で中心的役割を担ったフェイス氏は著書の中で、パウエル氏が当時のイラク政府の脅威の程度と緊迫性を「軽視」したこと、にもかかわらずイラク戦争に対する反対の意思を公に示さなかったことを指摘。イラク戦争への支持を仏独から取り付け損なったことや、イラク攻撃にあたってトルコ政府から同国領内の米軍基地の使用許可を得られなかったことについて、「パウエル氏の努力と熱意が欠けていたため」と強く非難した。

 ファイス側から見ればパウエル元米国国務長官の位置づけはそんな感じなのだろう。さらっと読むとここで描かれているパウエルはこれまで流布されているイメージとそれほど違いはない。だが少し留意しておきたいのは、ファイスがパウエルについて、フセイン政府の脅威の程度と緊迫性を軽視したことを間違いとしている点だ。
 AFP記事はパウエルに続いて非難の矛先が向くようなトーンで伝えている。

 さらに、トミー・フランクス(Tommy Franks)元中央軍司令官についても、侵攻後の占領計画に意欲を示なかったとして、また当時、国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めていたコンドリーザ・ライス(Condoleezza Rice)国務長官については対イラク戦争政策をまとめることができていなかったとして、それぞれ非難している。

 以上がAFPの伝えるところだが、ワシントンポストのオリジナルはややトーンが違う。

In the first insider account of Pentagon decision-making on Iraq, one of the key architects of the war blasts former secretary of state Colin Powell, the CIA, retired Gen. Tommy R. Franks and former Iraq occupation chief L. Paul Bremer for mishandling the run-up to the invasion and the subsequent occupation of the country.

 パウエル批判がメインではなく、最初から、トミー・フランス、ポール・ブレマーが対象に上がっている。特にAFPではブレマーに言及がないが、ファイスはブレマーをかなり非難している。

The idea to which Feith appears most attached, and to which he repeatedly returns in the book, is the formation of an Iraqi Interim Authority. Feith's office drew up a plan for the body -- to be made up of U.S.-appointed Iraqis who would share some decision-making with U.S. occupation forces -- in the months before the invasion. But while he says that Bush approved it, he charges that Bremer refused to implement it.

 ファイスはイラクの戦後体制を計画し、ブッシュに進言したがブレマーが潰したと主張している。この点ワシントンポストは、ファイスの書籍紹介に留まらず、ブレマーに抗弁させているのが興味深い。

In an interview yesterday, Bremer disputed Feith's narrative, saying he believes that Bush gave up on the idea of a quick transition shortly after Baghdad fell and widespread looting broke out in April 2003.

"By the time I sat down with the president on May 3, it was clear that he wasn't thinking about a short occupation," Bremer said. After consulting his records, Bremer also said that at a White House meeting on May 8, Vice President Cheney said, "We are not yet at the point where people we want to emerge can yet emerge." He said that Feith omits that comment. On May 22, he added, the president wrote to him, saying that he knew "our work will take time."


 ファイスとブレマーの間の、時間経過を含めた認識の違いは、歴史としてのイラク戦争について後代の歴史家の関心を呼ぶだろう。
 話をイラク開戦の秘話的な部分に移す。

Among the disclosures made by Feith in "War and Decision," scheduled for release next month by HarperCollins, is Bush's declaration, at a Dec. 18, 2002, National Security Council meeting, that "war is inevitable." The statement came weeks before U.N. weapons inspectors reported their initial findings on Iraq and months before Bush delivered an ultimatum to Iraqi leader Saddam Hussein. Feith, who says he took notes at the meeting, registered it as a "momentous comment."

 「極東ブログ: [書評]石油の隠された貌(エリック・ローラン)」(参照)でも触れたが、イラク戦争開戦が大量破壊兵器の有無以前に既定の事項だったことはかなり確かなことではないだろうか。つまり、ブッシュ、というより、チェイニー副大統領が中心だが、彼らの錯誤というより、別の政策の当然の帰結だったとして見たほうが理解しやすい側面がある。
 ファイスのこの認識はファイスのイラク戦争観でもある。そこまで言うものかと少し嘆息するのは次のような点だ。

In his book, Feith defends the intelligence activities on grounds that the CIA was "politicizing" intelligence by ignoring evidence in its own reports of ties between Hussein and international terrorists.

 ファイスとしてはもともと大量破壊兵器の有無などは問題ではなし、であればそれで国策を誘導することもたいしたことではなかったのだろう。次のようなワシントンポストのまとめかたは、意味の取り方が微妙になる。

In summarizing his view of what went wrong in Iraq, Feith writes that it was a mistake for the administration to rely so heavily on intelligence reports of Hussein's alleged stockpiles of biological and chemical weapons and a nuclear weapons program, not only because they turned out to be wrong but also because secret information was not necessary to understand the threat Hussein posed.

Hussein's history of aggression and disregard of U.N. resolutions, his past use of weapons of mass destruction and the fact that he was "a bloodthirsty megalomaniac" were enough, Feith maintains.


 私の理解が偏向しているかもしれないが、ファイスにしてみれば、大量破壊兵器についての報告に米政府が拘泥しまったのがそもそもの間違いだということなのだろう。つまり、ファイスにしてみると、報告書のインチキ具合はフセインの危険性認識とは関係ないという認識なのだろう。
 ファイスの議論にワシントンポストが注目しているのは、その真偽なり、あるいは一方の言い分も聞いているみるという以上に、ファイス自身のこの問題への関わりについてさらに探求したいという意図があるからだろう。単純にいえば、ファイスの胡散臭さだ。

Feith left the administration in mid-2005 and is now on the Georgetown University faculty. He was the subject of an investigation early last year by the Pentagon's inspector general for his office's secret prewar intelligence assessments outlining strong ties between Iraq and al-Qaeda. His reports, deemed "inconsistent" with those of the intelligence community, were judged "inappropriate" but not illegal.

 ごく単純にいえば、イスラエル・ロビーといったものが想定されるのかもしれない。
 ここで少し私の感想を述べると、先のエリック・ローランの書籍でチェイニーがサウジとの関係で懸念をもっている点を指摘していたように、チェイニーやブッシュ王国は、イラク対イスラエルというより、イラク対サウジの構図に懸念していた。雑駁にいえば、イスラエルとサウジの共通の敵として米国を動かしたというスジもうかばないではない。が、そんな単純なことでもないように私は思う。
 この問題は、「極東ブログ: イラク混乱中の国連事務所爆破テロ」(参照)でログした国連への反感を含めて、いろいろ錯綜した問題が眠っているようにも思える。

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2008.03.09

スティーブン・ジョブズとかウイリアム・ゲイツとか名前についての些細な話

 先日メモ書きの日記に「スティーブンジョブス」と書いたら、こんなコメントをもらった。


スティーブンジョブスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 wが連続しているのは2ちゃんねる語なんかの連想だと嘲笑ということかなと思うので、ありがちなネガティブ・コメントというか私を罵倒しているのかもしれない。が、さて思い至らない。中点を抜いたのと「ズ」にすべきかということかもしれない。「スティーブン・ジョブズ」ならよかったのだろうか。
 別のかたから「本名はスティーブンStevenと綴ると記憶してますが」というコメントもいただいて、もしかすると、先のかたのw連続のコメントは、私が「スティーブ」を「スティーブン」だと思い違いしているか、よくある入力ミスだと思ったのだろうか。
 私はスティーブン・ジョブズをApple IIが出たころから知っていて、ずっと「スティーブン・ジョブズ」と呼んでいる。たぶん彼の名前を知った最初がそうだったのではないだろうか。というか、いつから「スティーブ・ジョブズ」なんだろうかと逆に思い返してみたが、昔の雑誌などは捨ててしまっていてよくわからない。最初から「スティーブ・ジョブズ」だったのかもしれないが、私は彼の正式名を知っているし、英語の過去記事を見るとニューヨークタイムズとかでも、Steven Jobsという表記がある。たとえば、”Steven Jobs Making Move Back to Apple - New York Times”(参照)。
cover
Steven Jobs & Stephen Wozniak
 言うまでもなく彼の正式名は、Steven Paul Jobsなので、ミドルネームを入れると、「スティーブン.P.ジョブズ」とすべきかとも思うが、そういう表記は見たことない。バラック・オバマの正式名は、(Barack Hussein Obama, Jr.だが、通常、「バラック・オバマ」というわけで、「スティーブン・ジョブズ」式になっている。
 ちなみに、ビル・ゲイツは、キバット三世のように、William Henry Gates III、だが。こちらは最初からビル・ゲイツと呼ばれていたような気がする。ついでに、カート・ヴォネガットは、Kurt Vonnegut, Jr. だが、父が亡くなってから、Jrを落とした。というか、本名は自分で決めていいようだ。
 ウィキペディアを見ていたら「名前の短縮型」(参照)という項目があり、いろいろ書いてある。

 注意しなければならないのは、短縮型も正式名と同様に本名として扱われることがあるものであって、通称や愛称 (あだ名) とは性質が異なるものである、ということである。
 よく引き合いに出される例が、第39代アメリカ大統領のジミー・カーター (Jimmy Carter) と第42代大統領のビル・クリントン (Bill Clinton) である。この二人の正式名は、それぞれジェームズ・アール・カーター・ジュニア (James Earl Carter, Jr.) と ウィリアム・ジェファソン・クリントン (William Jefferson Clinton) だが、二人とも幼少の頃からから ジミー (Jimmy)、ビル (Bill) と呼ばれており、成人してからも、州知事時代から大統領時代にいたるまで、すべての公式文書に一貫して “Jimmy Carter”、“Bill Clinton” と署名している。これはとりもなおさず、この二人がこれらの短縮型を「本名」としているからである。

 ホワイトハウスのサイトにも同じようなことが書いてあるのでこれでいいのだろう(参照)。ただ、私はカーター時代のことをよく覚えいるのだが、確か当選したころ、Jimmyが正式なんだと言っていた。英語のウィキペディアを見るとこうある(参照)。

James Earl "Jimmy" Carter, Jr. (born October 1, 1924) was the 39th President of the United States from 1977 - 1981, and recipient of the Nobel Peace Prize in 2002. Prior to becoming president, Carter served two terms in the Georgia Senate, and was the 76th Governor of Georgia from 1971 - 1975.[1]

 英語のウィキペディアには「James Earl "Jimmy" Carter, Jr.」とある。ただこれが本名または正式名というわけでもなくウィキペディアの記載上の決めごとかもしれない。が、米人で名前のところにダブルクオートでこういうふうに呼称を入れる人はいて、ミドルネームとか言うのだが、違うだろと思ったことがある。
 話を戻して、「名前の短縮型」の項目には、Stephen/Stevenも載っている。どっちも短縮形ではSteveになるようだ。「Stephen Robert Irwin → Steve Irwin」という例もある。でも、スティーヴン・キング(Stephen Edwin King)は、Stephen King で、Steve Kingにはならない。本人がそう決めているのでしょう。
 話のついでに、あれ、ハイフン付き名というのはなんだろというのも調べてみた。例えば、「ティム・バーナーズ=リー」ってやつだ。このイコール記号なんだろ? というと、本名でハイフネートしているとこうなるっぽい。この例だと、Sir Timothy John Berners-Lee、なので空白を中点、ハイフンを=にしているのだろうが、このあたりの日本語の表記もちとなんだかなという感じはしないでもない。たしか、文部省時代は中点を認めず全部イコールだったような気がするが。とぐぐると「外国人の「姓」と「名」の間に入る「・」と「=」はどう違う?」(参照)という記事をめっけ。結論、よくわからない。
 話がずるずると流れていくが、Sir Timothy John Berners-Leeは、略すとどうなるか。ネットを見ていると”TLF: For Shame!”(参照)、ちょっと笑える話が。

How idiotic is the suggestion that Timothy B. Lee is part of an attempt to confuse readers into thinking that he is Tim Berners-Lee? Let us count the ways.

(1) Google it! By my count, 42 of the first 50 results refer to *this* Timothy B. Lee, not Tim Berners-Lee. Guess what? None of the other eight refers to Berners-Lee either.

(2) Anyone who knows enough to know who Tim Berners-Lee is knows he doesn't work for the Show-Me Institute.

(3) Tim Berners-Lee's name isn't -- and *couldn't* be -- abbreviated as Timothy B. Lee. Berners is not his middle name. Berners-Lee is a hyphenated last name. His middle name is John (per Wikipedia entry above). So the closest you could get is Tim J. Berners-Lee. How confusing!

(4) *This* Tim Lee isn't a knight!

I'll predict right now that the Times won't run any kind of clarification because absolutely none is necessary. His actual name and affiliation were enough to identify him accurately.

Speaking of Tim's picture, he does appear to have white skin ... just like Tim Berners-Lee. What's he trying to pull? Oh, Timmy, where will the deception end?!

Posted by: Kevin B. O'Reilly on August 3, 2006 3:50 PM


 まあ、英語国民でも間違いやすいには違いないのだろう。
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人名の世界地図
 というところで、ふと「極東ブログ: Deed Poll(ディード・ポール)」(参照)を思い出した。ティムの両親は二人とも数学者で、もしかして、両方のファミリーをハイフンで結合したかな、と。違った。父親もBerners-Lee姓をもっている(参照)。と、調べていくと、祖父は、Cecil Burford Berners Leeとあり、ハイフネーションはない。ティムの父親の代で付けたのだろう。なぜかよくわからないが。そういえば、サルトルは名前のほうにハイフネーションがあった。Jean-Paul Sartre、正式には、Jean-Paul Charles Aymard Sartre。
 名前は難しいな。どうでもいいけど、「佐藤寛子」って聞いて、佐藤栄作の奥さんを思い出す私は、wwwwwwってことなんでしょうね。

追記
 「ティム・バーナーズ=リー」といった表記の「=」を、エントリではイコールとしたが、出版界ではこれはイコールではなく「ダブルハイフン」(参照)としているとのご指摘を受けた。なるほど。


ダブルハイフン(?)は、2本のハイフンである。二重ハイフン(にじゅう - )とも呼ばれる。ハイフンの長さは半角幅である。しばしば数学記号の等号 ( = ) や下駄記号 ( 〓 ) で代用される。縦書文書内で表記する時には90度回転した字形となる。


・複数語からなる外国人名をカタカナで記述するときに、各語の区切りとして使用される。(例:チンギス=ハン、レオナルド=ダ=ビンチ)。
・日本語以外の単語を片仮名で記述するときにハイフンの置き換えとして使用される。(例:ウォルドルフ=アストリア)
・日本語以外の熟語を片仮名で一語として記述するときに単語間の区切りとして使用される。

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2008.03.08

スペイン総選挙が明日に迫る

 スペイン総選挙が明日に迫る。もう4年かと印象深く思い起こすのはマドリード列車同時爆破テロ事件のせいだろう。あの対応で国民党アスナールが失態を演じたことで現在の社会労働党サパテロ政権に移った。今回はその継続が問われる。どうなるだろうか。私はサパテロ政権継続ということになるのではないかとこのエントリを書き出す前に思っていた。予想ではサパテロ与党が優勢と伝えられているからだ。
 2日付け東京新聞”スペイン 左派与党リード 総選挙まで1週間 自治権拡大など争点”(参照)より。


 最新の調査では、社会労働党が支持率44%で野党第一党の中道右派・国民党の39%をリード。一週間前に2ポイント差まで詰め寄った国民党を押し戻した。三日に行われるサパテロ首相とラホイ国民党党首(52)とのテレビ討論会も選挙戦に影響を与えそうだ。
 和平路線の失敗については国民党がテロリストとの対話そのものを厳しく批判。だが、過去には国民党も交渉に失敗した経緯があり、与党側への決定的なマイナス要因にはなっていない。サパテロ首相は「完全な武装放棄がない限り交渉再開はしない」と明言し、取り締まりを強化させたことも支持率回復につながったとみられる。

 その後の7日付け日経新聞”スペイン、3月9日に総選挙 サパテロ与党優勢”(参照)ではこう。

スペインは9日、4年に一度の総選挙を実施する。景気減速や米国との関係修復など課題は山積。最近の世論調査では、サパテロ首相(47)率いる与党・社会労働党(左派)が42%強の支持率で、野党第一党の国民党(38%強)を抑えるが、投票が近づき差は縮んでいるとの見方もある。

 調査が同一ではない可能性があり単純な比較はできないのだが、微妙に社会労働党の支持が弱くなっている印象はある。
 記事を見直している途中、7日付けJANJAN記事”燃えるスペイン総選挙、2大政党党首が最後のTV討論”(参照)を見つけた。面白いといえば面白い。

9日に迫ったスペイン総選挙。与野党党首2人による、最後のTV討論が3日、行われた。前回より視聴者数は少し減ったが、それでも国民の半数が観た、という。選挙への関心は、依然として高い。番組終了直後の世論調査では、与党・社会労働党サパテロ氏の圧勝。だが、独裁者フランコ将軍の系譜を継ぐ野党支持勢力は強力で、選挙結果がどう出るかは予測できない。これがスペイン流総選挙なのだ。

 ようするにスペインは今政治に熱く、目下のところサパテロが優位。とはいえ結果はわからないという保険をかけている。ついでにJANJANの関連記事を読むと、妙に熱い。
 そうなんだろうか。私はそう思っていない。それをどう切り出していいかわからないなと感じていたのだが、今週のニューズウィーク日本版3・12”スペイン「帝国」のメッキが剥げた”で膝を叩いた。

 競売サイト「eベイ」のスペイン版に、こんな出品があった。「私の1票を買ってください。落札した人の言うとおりに投票します」。ジョークと笑い飛ばすには深刻すぎるメッセージだ。
 総選挙の投票日は3月9日だが、すでに有権者の気持ちは固まっている。どの政党もどの候補者も気に入らない。どんな結果が出ようと知るものか、選挙なんてどうにでもなれ、である。

 やけくそというのがたぶん実情に近いのだろう。同記事ではスペインの凋落ぶりをうまく描いている。

肝心のスペイン経済にブレーキがかかってきた。昨年は3・8%成長でEU(欧州連合)の優等生だったが、今年の予測値は2・4%。失業率は昨年末に上昇に転じて8・6%、インフレ率は4%に迫る。
 住宅バブルもはじけた。業界団体によると、07年には不動産業者の半数が店をたたんだ。個人経営者が多いとしても、かなり深刻な状態だ。

 記事でも触れているがそれはスペインだけの状況ではないものの、凋落の事態は事態としてある。さらに同記事ではサパテロ政権に2つのミスがあったとしている。

 一つは、カタルーニャ地方の独立を求めるカタルーニャ左翼共和党と手を結んだこと。これに対しては各方面から、スペイン国家分裂を促すのかという猛烈な批判の声が上がった。
 第二の誤算は、06年3月に分離独立派の武装組織「バスク祖国と自由」(ETA)が停戦を宣言した後、ETAとの平和交渉に踏み切ったことだ。勇気ある決断だったが、同年12月にETAがテロを再開、交渉は打ち切られた。これでサパテロの支持率は急降下、今年1月には約40%まで落ち込んだ。

 記事では、しかし国民党のラホイがそれゆえに優勢ということではなく、スペイン国民は政治自体に幻滅感をもっているとしている。
 ニューズウィークの記事では選挙結果の予想はしていない。どちらとも読めるやけくそさが漂っている。
 こうした中、7日テロが発生した。8日付け朝日新聞”スペインの総選挙運動、テロで切り上げ バスクで射殺事件”(参照)より。

 総選挙を9日に控えたスペインの北部バスク地方で7日、サパテロ首相が率いる社会労働党系の元町議が射殺された。同首相は会見し、同地方の独立を掲げる武装組織「バスク祖国と自由(ETA)」による犯行だと語った。与野党は最終日だった同日の選挙運動を途中で切り上げた。

 選挙直前のこのテロが今回の選挙に影響を及ぼすだろうか? 影響があるとすればどのような影響だろうか。社会労働党系の元町議なので同じくサパテロ政権への脅威に屈しないというふうに支援が深まるか、サパテロ政権の失政がもたらしたとスペイン国民が感じるか。
 私は冒頭、サパテロ政権継続かなと書いた。国民の大半が政治に無気力なときは政治意識の強い左派的な政権支持が強くなるものだろうと思うからだ。だが、国民が主体的に国家を意識しはじめるとすれば流れは変わる。
 エントリを書いてみて私はチップの置き場を横にずらしてみる、サパテロ政権は負けのほうに。

追記(2008.3.10)
 結果が出た。サパテロ首相再任となった。エントリの賭けは負け。「スペイン総選挙、与党の社会労働党が勝利・サパテロ首相再任へ」(参照)より。


 内務省の午後10時過ぎの集計では、社会労働党が44%超の得票率で、改選前議席(164)を上回る議席を確保する見通し。州都バルセロナのあるカタルーニャ州、南部のアンダルシア州などで安定した得票を重ねた。
 中道右派の野党、国民党も39%の得票率で改選前議席を上積みする見通し。左右両派の二大政党がぶつかる構図が一段と強まる。

追記
 10日付けフィナンシャルタイムズ”Zapatero’s mission”(参照)が面白かった。


Spain’s ruling Socialists will not be partying for long. A second successive term in office, with an ex-panded majority, is a personal victory for Jose Luis Rodriguez Zapatero, the prime minister. But there is little else to celebrate. After an uninspiring first four years in office, Mr Zapatero now faces the daunting task of rescuing an economy that is heading for the rocks. If ever there were a general election worth losing, this was probably it.
(スペインの社会労働党政権はそう長く浮かれてもいられないだろう。二期目の任期は、多数はであるものの、ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相の個人的な勝利であって、祝賀的な部分はほとんどない。任期の最初の気の抜けた4年間後、サパテロ氏は障害物に向かう気の進まない作業に直面している。負けた方がよい総選挙というのがあるなら、これはたぶんそれに相当していた。)

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2008.03.07

リヒテンシュタインについてのつまらない話

 リヒテンシュタイン関連で日本にも愉快な話題が出てきそうな感じもするし、とするとあのあたりから出てきそうかなという察しもすでにあるのかもしれないが、それはまた次の物語である。というわけで備忘を兼ねてベタなリヒテンシュタインについてのつまらない話でも。
 リヒテンシュタインといえば、アンディ・ウォーホールらとともにポップ・アートの代表的な画家だというべたなギャグかましてしまいそうになるが、ついユダヤ人名が連想される。が、リヒテンシュタイン侯国とは直接関係なさそうだ。
 リヒテンシュタイン侯国(Furstentum Liechtenstein)は、スイスとオーストリアに囲まれた小国である。人口3万4千人。領土は160km2。ちなみに八王子市の人口が56万7千人、面積が186km2なので、八王子の人口が10分の一以下に減少して独立すると同じようなものができる。たぶん。ちなみにウィキペディアには書いてないが、リヒテンシュタイン侯国の人口中40%が外国人。領土の60%以上は山岳地帯。青梅市を映画看板産業で活性化して独立したほうがよいかもしれない。もっともリヒテンシュタインの1人当たりの国民総所得は4100ドルを越え日本を上回る。
 公用語はドイツ語。方言っぽいらしい。国教はカトリックで人口の76%ほど。プロテスタントは7%。イスラム教が5%ほどいる。国歌は、「若きライン川上流に」(参照)だが、ウィキペディアにあるように「この詞を、イギリス国歌女王陛下万歳と全く同じメロディーで歌う」。ま、いんじゃないの。
 首都はファドゥーツ。非武装永世中立国を自称しているがスイスの保護国。なので、スイスのカントンの特殊な形態かというと、文化的にはオーストリア。スイス国民はリヒテンシュタインに文化圏的な共感はそれほどもってない。これには歴史的な経緯もある。
 日本的にはカリオストロの城的なイメージになるが、リヒテンシュタイン侯国というように侯の国。猴の国ではない。高校博士弾というやつだ……公侯伯子男だ。ウィキペディアによると(参照)。


 リヒテンシュタイン家の当主の称号(英・仏:prince, 独:Furst)は「公」とも「侯」とも訳される。一方、同じ称号であるにも関わらずモナコの場合には「大公」と訳されることも多い。
 この称号は、イギリスやフランスでは公(英:duke, 仏:duc, 独:Herzog)よりも上位の称号となっている(そのためしばしば「大公」と訳される)。それに対し、近代ドイツの爵位体系では一般に公の下位、伯(英:earl, count, 仏:comte, 独:Graf)の上位に置かれることが多い。ドイツには外国の侯(英・仏:marquis)に対応する爵位として辺境伯(英:margrave, 独:Markgraf)や方伯(英:landgrave, 独:Landgraf)や宮中伯(英:count palatine, 独:Pfalzgraf)があるが、いずれも「侯」とは訳さないため、公と伯の間にあるFurstを「侯」と訳すことが多いからである。なお、神聖ローマ帝国においてFurstは諸侯を意味し、称号ではなかった。例えば諸侯のうち、皇帝(ドイツ王)の選挙権を有する者は「選帝侯」(英:prince elector, 独:Kurfurst)と呼ばれる。

 日本風公侯伯子男はドイツ系の誤訳っぽい。で結局なんだなよだが、まず、「リヒテンシュタイン公国」という表記は戦後日本新聞の当て字らしい。なので侯爵様といっても日本語の語感ではよくわからない。歴史を見ていくしかない。
 で、歴史。ウィキペディアをみると、「1699年 ヨハン・アダム・アンドレアスがシェレンベルク男爵領を購入」から始まっている。そりゃな。2月25日のニューヨークタイムズ”Liechtenstein’s Friendly Bankers(リヒテンシュタインのフレンドリーな銀行家)”(参照)もこう書き出している。そりゃな。

History records that the Liechtenstein family began purchasing the lands that now make up the tiny European principality in 1699 to secure a seat on the council of the Holy Roman Empire. It was several decades before any prince of Liechtenstein actually set foot in his fiefdom. That was the first use of the Alpine hideaway as an address of convenience for powerful Europeans.
(歴史によると、リヒテンシュタイン家が神聖ローマ帝国議会に列席するために、土地を購入し始めたのは1699年のこと。その土地が、現在では欧州内のちっぽけなプリンシパリティをでっちあげている。実際に、プリンシパリティを有した君主がその領地に足を踏み入れたのはそれから数十年後のことだ。つまり、それが強権を持つ欧州人の便宜上の本籍地としてアルプスの隠れ家を最初に使った事例になる。)

 原文のやったらしい感じを誇張して訳してみた。現代英語ってどうしてこうも凝ったレトリックを使うのだろうか。"That was the first use of the Alpine hideaway"に絶妙な味わいがある。それはさておき、プリンシパリティというのがちょっとやっかいな概念ではあるし、ようするにそれがリヒテンシュタイン侯国という存在の本質でもあるのだろう。ということにとりあえずしておく。ついでに実際に君主が現在のリヒテンシュタインに足を踏み入れたのは1842年。9代目アーロイス侯。
 リヒテンシュタイン侯国の歴史は1699年に始まる。ちなみに、琉球国第二尚氏王朝第13代国王が1700年の生まれ。世界はそんな時代。
 ウィキペディアの「リヒテンシュタイン家」(参照)が明快といえば明快。

 リヒテンシュタイン家の名が初めて歴史上で使われたのは12世紀のことで、ウィーンの近くにある城、リヒテンシュタイン城の城主となったフーゴが、居城の名をとって家名としたのに始まっている。以来、リヒテンシュタイン家は諸侯の資格をもたない下級貴族ながらも、神聖ローマ帝国(ドイツ)の一部であったオーストリア地方北東部の領主家として継続した。
 14世紀からはオーストリアの領主となったハプスブルク家に仕えた。16世紀には3家に分家するが、長男のカールは1608年に侯爵(Furst)の称号を与えらる。そして三十年戦争中の1623年に、戦争継続のために子飼いの貴族を諸侯に叙爵する勅書を乱発していた時の神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の手により帝国諸侯(Reichsfurst)に叙任された。

 リヒテンシュタイン城はフーゴー・フォン・リヒテンシュタインが建てたわけではない。フーゴーの出自について「不思議の国リヒテンシュタイン・前編」(参照)というWebページにはこうある。

その後、ドナウヴェルトという地方の名門貴族出身であるフーゴーが城主の娘ハデリヒと結婚し、初のリヒテンシュタインを名乗る人物となりました。そしてリヒテンシュタイン家の面々はバーベンベルク家の家臣として熱心に働き、広大な土地を得ていったといいます。

 リヒテンシュタイン家は当初オーストリアのバーベンベルク家の家臣だ。オーストリアと親近感が高いのもそのせいだろう。ちなみに、フランク王国の分裂で東フランクは962年に神聖ローマ帝国となり、オーストリアは976年からバーベンベルク家の辺境伯領になった。
 ウィキペディアのリヒテンシュタイン家の説明に戻る。

 1699年、カールの孫ハンス・アダム1世は、オーストリアの西にあるシェレンベルク男爵領を購入してその領主となり、1712年には隣接するファドゥーツ伯領を購入、シェレンベルク男爵領にあわせて領有した。この2つの所領が現在のリヒテンシュタイン公国の前身である。

 現在のリヒテンシュタイン侯国では国会議員割り当てが10名のウンターラント(低地)と15名のオーバーラント(高地)とがあるが、それぞれシェレンベルク男爵領とファドゥーツ伯爵領に当たる。当初のシェレンベルク男爵領購入だけでは神聖ローマ帝国議会(帝国使節会議)列席はかなわなかったのが買い足しの理由だが、この時期までにリヒテンシュタイン家はすでにその後仕えたハプスブルク家からオーストリアや現在のチェコに広大な封土を得ている。
 面白いことにと言ってはなんだが、ウィキペディアにもあるように、「リヒテンシュタイン家は公国から歳費を支給されておらず、経済的に完全に自立している。リヒテンシュタイン家が私有する財産も公国とは無関係に、ハプスブルク家の重臣として蓄積されたものであり、むしろ公国がリヒテンシュタイン家に経済的に従属している観すらある」という状態になっている。王家とその所有財産の関係というのは面白いといえば面白いテーマではあるな。
 一昨年前だったがベルギーの新聞ラーツテ・ニュースが、ベルギー国王アルベール二の個人資産は欧州王室では最低で1240万ユーロだと報じた。では最高は?というと、リヒテンシュタイン君主ハンス・アダム2世侯爵で約30億ユーロ。ちなみにエリザベス女王の資産をユーロ換算にすると18億ユーロだ。あはは。
 リヒテンシュタイン侯国の土地の来歴に目を転じると複雑だ。まずローマ帝国の支配下にあり、5世紀にアレマン人が支配したとのこと。1150年にブレゲンツ伯爵の領土だったものが、モンテフォルト伯爵家創始フーゴ一世が1180年に取得した。以降所有権はなんとか伯爵とかに転々とするのだが、最終的にリヒテンシュタイン家に転がり込むに至ったのは三十年戦争や魔女狩りによってホーエネムス伯爵家の財政の立て直しのためだった。
 いずれにせよ中世だったらリヒテンシュタイン侯国のような小国もありだろうが、なぜ現代までこんな小国が生き延びているのか。特に20世紀の二つの大戦をどうやって生き延びたのだろうか。日本人としては、かつての永世中立国スイスのようにリヒテンシュタイン侯国も中立政策をしていたがから、ナチスにも攻められずによかったんだよにっこり無防備マンみたいな幻想を抱きかねない(中立国ルクセンブルクの戦禍はなかったことにしような)。
 もちろん、そんなわけはないのだが、では具体的にどうかとなるとなかなかこれも難しい。ウィキペディアを見ると、2つ理由が挙げられている。ひとつはリヒテンシュタイン家の資産が国家と分離されていること。もうひとつは「1930年代のナチズムの台頭に対し君主大権を行使しこれを防いだこと」としている。まあ、話を聞こうじゃないか。

 ドイツでのナチスの躍進にともなって公国内でもナチス支持者が増加し、次回総選挙では多数の当選者が出ることが予測されていた。この危機に対してフランツ・ヨーゼフ2世は君主大権によって総選挙を無期延期とし、ナチスの勢力拡大を防いだ。
 この時総選挙が延期されずに実施されていたならば、リヒテンシュタイン公国はナチス・ドイツへの併合あるいは枢軸陣営での参戦などという事態となり、第二次世界大戦の惨禍をまともに受けていたと考えられている。
 リヒテンシュタイン家ではこの間の経緯について「君主大権の行使により国難を未然に回避した」と自負しているようであり、君主大権を保持し続けることの正当性を示していると考えているらしい。

 日本の第二次世界大戦後の平和は平和憲法によると日本人が思い込んだっていいじゃないかいいじゃないか笹もってこいみたいなものとしてとりあえず理解はできる。
 ついでにこのエントリを書くにあたって書架から「ミニ国家 リヒテンシュタイン侯国」(参照)という本を取り出して参考にしているのだが、ここには次の3つの推理が書かれている。まずスイスの中立を議論してからこう続ける。

その第一は「スイスとの関係の読めない部分」ではなかっただろうか。第一次大戦の折にオーストリアと同体とみなされかかったリヒテンシュタインだが、第二次世界戦では、すでにスイスと確たる同盟関係にあり、スイスと同体とみなされ、言わばスイスの安全の傘の下に入っていたとも考えら得る。

 というわけで、第一はスイスと同じだぴょんということ。これについてはあとで触れる。で第二はこうだ。

 第二にリヒテンシュタインの地理的・経済的条件がここでも小国に有利に働いたことが上げられるだろう。当時はまだ農業国であり、とりたてて言うような資源の産出もないこの小国に戦争に利用するような戦略的な価値がなかったのも幸いした。

 こじつけみたいな理由だが地形的にイタリアと接していたとかだと安穏ではすまされなかっただろうから、理由としてはありだろう。
 では第三の理由はどうか。

 それと同時に一九三九年、侯爵がヒトラーを訪問したことも私はリヒテンシュタインを無キズのままにしておくには大きな効果があったと推測している。私は先代の侯爵、現在のハンス・アダームⅡ世侯ともに会ってお話しを聞く機会があったが、侯爵の人柄というものは筆では書けないものがあり、自然と「畏敬」の念が生じるものである。自分の好き勝手にしたヒトラーも、フランツ・ヨーゼフⅢ世侯と対面した時、自分の力ではかなわない何かを感じ、悔しさ半分で、
 「あの国は、小さくて役に立ちそうにもないから、ほっとけばいい」
などと側近に言ったのではないかというのが私の大胆な推理である。

 大胆過ぎ。マッカーサー伝説かよといった趣だが、いやまてよ、ヒトラーの個人的な理由がなんか関係しているというふうに読めむべきか。ということで前段に来るべきスイスはなぜ中立を保てたかを聞いてみよう。

 ではなぜスイスが中立を保てたか。俗論のひとつには、「ヒトラーが、スイスの銀行に預金していたから」
 などというのもがあるが、本人はともかく側近が預金していたことはあるらしい。いずれにせよ戦争をするとなると戦時物資を購入したりするために外国と支払い決済をする必要があり、ドイツもスイスの銀行に利用価値を認めていたことも理由のひとつだろう。

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ミニ国家
リヒテンシュタイン侯国
 似たようなことがリヒテンシュタイン侯国にもあったかというと、なかったんじゃないか。リヒテンシュタイン侯国が昨今のような騒ぎをもたらす金融テクノロジーを築き上げたのは戦後のことだろうと思うからだ。ただ、そういうベタなカネの問題じゃない富の部分になんかありそうな感じもするけど、あまり大胆過ぎることを言うのもなんだかな、と。

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2008.03.05

米国大統領はオバマでもいいんじゃないの

 今年の米国大統領選挙については誰が勝つのか皆目見当が付かないといえば付かないのだが、結論から言うとオバマかな。
 自分が思いつくことを率直に語ってみると、民主党からはヒラリーが出るかなとなんとなく思っていた。過去エントリ的には「極東ブログ: 米国次期大統領選挙運動、雑感」(参照)。近況、米国時間で4日付けのテキサス、オハイオ、ロードアイランド、バーモントの4州の予備選だが、代議員数の多いテキサスとオハイオでヒラリーが勝ったとのこと。おばはんにもまだ勝ち目があるかもしれないのだが。
 民主党がヒラリーを出せば共和党にも目が出るな。とするとジュリアーニかな、となんとなく思っていたら、マケインかよ。だめだこりゃ感があり、エントリ冒頭に戻る。
 ただし、もう4年前のエントリだけど「極東ブログ: オクトーバー・サプライズ(October surprise)」(参照)みたいな話がこれからなんかありそうにも思う。といっても、それが共和党の目になるとも思えないし、やっぱオバマかな。
 オバマってどうよ? なのだが、悪くないんじゃないかと思いつつある。頭はかなりいいんじゃないか。問題は米国のイスタブリッシュメントが彼を支持するだろうか。というか、一人頭がよくても大統領はな、という感じが不安。そんなことを思いつつ今日のニューズウィーク日本版3・12のロバート・サミュエルソンのコラム「国民を惑わすオバマの催眠術」を読んだのだが、そうだよなと共感した。サミュエルソンは私が尊敬するコラムニストだが、百発百中とまではいかない。それでもクリントンのエロ疑惑のとき彼がけっこう初期段階でクリントンは嘘つきだと喝破したのは忘れられない。今回のコラムだが、サミュエルソンは当初オバマに好意的だったそうだ。だが。


 何千万もの有権者が私と同じ印象をもったからこそ、オバマは大統領選の民主党指名候補争いでトップに立った。しかし私は今、それはまちがいだと思っている。

 なにが間違いなのか。サミュエルソンに言わせれば、オバマの「人心をつかむその演説と彼の実際の考え方との間に大きなギャップがあること」らしい。さらに、独創性もないし、自らが課した倫理基準も満たしていないと批判する。もっともサミュエルソンもわかっているように、それは現状のオバマ人気というかオバマ空気を背景にすればという特定の条件下でのことであり、他の米大統領候補との比較という文脈ではない。
 本当の問題は、サミュエルソンのお得意領域でもあるのだが、経済だ。オバマの公約はただのバラマキ政策だとする。

 たとえば、定年を迎えつつあるベビーブーム世代には率直にこう言うべきだろう。
「退職者向けの支出がすでに国家予算の半分近くを占めている。社会保障の給付年齢を上げて支払いを下げなければ、われわれの子供の世代は増税につぶされてしまう」と。

 耳が痛い。のは、それって日本のことじゃないのかとつい思ってしまったからだ。大丈夫、日本じゃない。米国こと。他所の国のことじゃないか。

 だが、オバマは「現在の受給者に対してだけでなく、将来的にも社会保障の給付水準を維持すると言っている。これは「変化」ではない。現状の聖域化だ。

 耳が痛い。それって日本のことじゃないのかとつい思ってしまった。はっ、大丈夫大丈夫、日本じゃない。米国こと、他所の国のことだ……いやはやベタなギャグ。

「変化というあいまいな約束を掲げるオバマだが、移民問題にしろ経済や地球温暖化にしろ、根本的な原因に切り込もうとせずに紋切り型の「解決策」を並べるばかりだ。

 紋切り型が問題というより、根本的な問題の解決が一向に見えないのに浮かれている米国民の姿がなんだかなというところだが、がというのは、一息ついて再考するとそうでもないのかもしれない。
 ヒラリー・クリントン上院議員は60歳。まさに問題の根幹であるベイビーブーマーであるのに対して、オバマ上院議員は46歳。彼自身はミレニアル世代(Millennial Generation:80年代90年代生まれ)ではないものの、現在のオバマ現象はその世代によるものだし、その世代の利益主張でもあるのだろう。とすればオバマが勝てばサミュエルソンが危惧しているベイビーブーマーへの締め付けはそう難しくはないのかもしれない。少なくともヒラリーよりはよいだろうし、共和党よりもよいだろう。
 日本の同種の問題はというと、日本のミレニアル世代の声は、いろいろ言われているし各所に兆候も見えるのだが政治的な流れにはなっていない。
 ならないのではないだろうか。というのは、日本は米国よりもっともっと老人国家だ。若い世代が弱い国家なのだ。というか、俺もその老人の一人になるのか。

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2008.03.04

北京オリンピック近づくに黄砂の他に舞うもの

 最初にお断り。エントリは中国バッシングを意図したものではない。私はオリンピックにはほとんど関心はないが、つつがなく北京オリンピックが成功すればいいなと思っている。そしてできたら秋口に値崩れしたハイビジョン・ディスプレイでも買おうかな、とその程度の思いしかない。以下、内容は、メディアをブラウズしてそういうもんかいなと印象をもったので、ブログにログっておくという程度のもの。
 日本版ニューズウィーク3・5のPERISCOPEに「人権問題書部は中国が不戦勝」というべた記事があった。内容は表題どおりで、「中国は人権問題で貴重な勝利をあげたようだ」ということだが、問題のポイントは中国ではない。


 最近になってニュージーランドやベルギー、イギリスが自国の代表選手に、法輪功やチベットを擁護する発言をすることや、ダルフール問題に抗議するバンドを着用することを禁止した。違反すれば大会から追放されるおそれもある。

 ちなみに、日本ではホワイトバンドが流行ったけど、「ダルフール問題に抗議するバンド」というものがある。緑のバンドだ(参照)。
 問題のポイントは中国ではないというのは、ご覧のとおり、ニュージーランド、ベルギー、イギリスといった国の問題だから。
 さらにメディアも。

 中国の影響力には、メディア王のルバート・マードックさえ屈するほど。マードックは中国での商機をを得るため、傘下の出版社の中国批判本を発行中止にしたうえ、中国政府の「道徳的価値観」を称賛した。スポーツ選手をはじめ誰も、中国を怒らせたら後が怖いと思っている。

 そういうものでしょ。まったく、マードックのような外国メディアは商機だけで考えるということなのでしょ。
 ワシントンポストは幸いマードックの息はかかっていないのかもしれない。2月29日付け”Olympic Speech”(参照)にはこんな社説が載っていた。

RUN, HIGH-JUMP, hurdle or kayak -- but whatever you do, don't speak. That's the message some countries are sending to their athletes ahead of the Beijing Olympics.
(走れ、ハイジャンプ、ハードルにカヤック。でもなんであれ、しゃべっちゃダメだ。北京オリンピックを前に、そう自国の選手に告げる国がある。)

Last month, the Belgian Olympic Committee announced that it will not permit its athletes to make political statements, verbally or sartorially, in Olympic venues. The British Olympic Association similarly muzzled its athletes, who will be expelled from the team if they talk about political issues anywhere at all. The New Zealand Olympic Committee has also waffled about exactly how much freedom of expression its athletes will enjoy.
(先月、ベルギー・オリンピック委員会は、オリンピックの檜舞台では、口頭であれ衣服に書いたメッセージであれ、政治的な発言は断じてならぬとアナウンスした。英国オリンピック協会も同様に、非難対象がなんであれ政治的発言をしたらチームから追放するとして選手の口封じを行った。ニュージーランド・オリンピック協会も選手の言論の自由について言葉を濁した。)


 どうでもいけど、waffleというのは、ネットのワッフル・ワッフルという意味じゃなくて、言葉を濁すということ。

The decisions must please China, which has been condemning human rights groups for "politicizing" the Games. The Belgian, British and New Zealand committees argue that the gag orders are just meant to uphold the Olympic charter, which declares that "no kind of demonstration or political, religious or racial propaganda is permitted" at the Games.
(この決定は中国を喜ばすに違いない。というのもこれまで人権団体がオリンピックを政治問題化するとして非難してきたのだから。ベルギー、英国、ニュージーランドの各協会では、箝口令は、競技において「示威活動または政治・宗教・人種のプロパガンダや許されない」としているオリンピック憲章に則ったものだとしている。)

 なるほど。
 なのにワシントンポストはこう続ける。

In making its Olympic bid, China repeatedly argued that placing the Games in Beijing would "help the development of human rights." Yet China's human rights record has in many ways worsened (as in the appalling arrest of dissident Hu Jia recently), and China has continued to abet repression in Burma and Sudan. Belgium's and Britain's orders to athletes not to comment on China's poor behavior may actually embolden Beijing.
(オリンピック招致で、中国は繰り返し、北京大会が人権拡張に役立つと力説してきた。なのに、中国の人権報告はさまざまに悪化している(最近の見せしめ胡佳逮捕のように)。加えて中国は、ミャンマーやスーダンでの弾圧を幇助しつづけている。ベルギーや英国の選手に対する箝口令は中国の貧弱な対応でよいのだとして北京政府をつけあがらせることになりかねない。)

 なかなかワシントンポストは手厳しいですな。というか、問題を中国バッシングというより、現状について、自分たちの政治的な価値の問題として引き受けるというキンタマがあるからなのだろう。

These gag orders call into question the West's belief in freedom of speech, a value that democracies should be promoting, not discounting, in China.
(この手の箝口令は、西側諸国において言論の自由、つまり民主主義を推進する価値であり、中国だから値引きしていいものじゃないということに疑念を呼び起こしている。)

 箝口令なんか言明するから問題なので、ニュージーランドがこの問題をワッフルするよりも、日本のメディアみたいにもっと原点から問題にしなければよいというキンタマレスなソリューションもあるかもしれない。あるいは問題は餃子だよ餃子。

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2008.03.03

[書評]売れるもマーケ 当たるもマーケ マーケティング22の法則 (アル ライズ/ジャック トラウト)

 洒落で書いた昨日のエントリ「極東ブログ: [書評] 「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること」(アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)だが、そういえばアル・ライズとジャック・トラウトのコンビの著作といえば、むしろこっち、「売れるもマーケ 当たるもマーケ マーケティング22の法則 (アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)を紹介しておくべきかなと思い、昨晩はレモン・ワインを飲みながらパラパラと再読した。

cover
売れるもマーケ
当たるもマーケ
マーケティング22の法則
アル ライズ
ジャック トラウト
 アル・ライズとジャック・トラウトには同趣向の本もあるので、必ずしも本書がというわけではないと言えばそうなのだけど、端的に言えば、本書はマーケティングのバイブルですよ。その筋の人でこれ読んでなければモグリです。ただ、その筋の人はこれを普通の人には読ませたくないだろう。
 では、その筋でない人が読むとしたらどういうメリットがあるかというと、大蟻コンコンチキというか、たとえばブログで有名になろうとかするなら、本書を適用すればいい。ま、実際に適用するかどうかはブロガーのもつ理念によるわけで、読後マジこれやるかよというのはそれから思案してもいいのだが、既存の有名ブログが有名ブログである理由は本書でさらりと解けますよ。
 ブログだけではないどっかの社員とかで自分自身をマーケティングしたいと思ったらこれを適用すればいい。ええいついでに言っちゃうとモテたいと思ったら同じようにこれを応用すればかなりいけるだろう。
 本書を素人さんが読むもう一つのメリットは、世の中の仕組みがよくわかるようになるというか、マーケティングがどう動いているかという原理がよくわかるようになる。つまり、消費資本主義のかなりコアな部分に納得がいくようになる。で、納得してどういうメリットがあるかというと、単純に言うと、自由になれる。
 毎度ながら本書の背景を簡単に説明すると、オリジナルは”The 22 Immutable Laws of Marketing: Violate Them at Your Own Risk”(参照)。オリジナルタイトルは単純に「マーケティングにおいる22の普遍法則」ということ。サブタイトルは「この法則を破るならそれなりにリスクを取れ」だ。
 出版年は1993年と古い。昨日紹介した「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること」(アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)が1990年なので、洒落の後に教科書にしてみますか的なノリでできたような雰囲気がまだ漂っている。たぶん、現在の一線のマーケッターは本書の22の法則を、「あ、あれですか、古典的ですね、あれはもう古いですよ。たとえば……」といなすだろうと思う。たしかに法則が明確化された以上、「兵は詭道」なりということはある。しかし、そこまでできるマーケッターはそうはいないのでぶいぶいいうお兄さんには適当に騙されちゃいなというのも大人の態度かもしれない(ちなみに、凡庸なマーケッターと賢いマーケッターを困惑させるのは「リサーチ」の限界を本書が鋭く指摘している点が大きい)。
 けど、私の見る限り本書の法則はまさに法則で今でも生きているというか、マーケッティングの失敗事例はだいたい本書で説明できる。この間、大きく変わったのはマネーの問題だろう。今はジャブジャブ余っているのであたかも本書のシビアな世界とは違うように見える。見えるっていうだけなんだけど。
 で、当の22の法則は以下のとおり。梅田望夫著「ウェブ時代 5つの定理 この言葉が未来を切り開く!」(参照)ではないけど、英文も添えておく、というか、英語がとてもきれいなんで覚えられる人は覚えておくといい。

  1. 一番手の法則(The Law of Leadership)一番手になることは、ベターであることに優る(It is better to be first than it is to be better.)
  2. カテゴリーの法則(The Law of the Category)あるカテゴリーで一番手になれない場合は、一番手になれるあたらしいカテゴリーを作れ(If you can't be first in a category, set up a new category you can be first in.)
  3. 心の法則(The Law of the Mind)市場に最初に参入するより、顧客の心に最初に入るほうがベターである(It is better to be first in the mind than to be first in the marketplace.)
  4. 知覚の法則(The Law of Perception)マーケティングとは商品の戦いではなく、知覚の戦いである(Marketing is not a battle of products, it's a battle of perceptions.)
  5. 集中の法則(The Law of Focus)マーケティングにおける最も強力なコンセプトは見込客の心の中にただ一つの言葉を植えつけることである。(The most powerful concept in marketing is owning a word in the prospect's mind.)
  6. 独占の法則(The Law of Exclusivity)二つの会社が顧客の心の中に同じ言葉を植えつけることはできない(Two companies cannot own the same word in the prospect's mind.)
  7. 梯子の法則(The Law of the Ladder)採用すべき戦略は、あなたが梯子のどの段にいるかによって決まる(The strategy to use depends on which rung you occupy on the ladder.)
  8. 二極分化の法則(The Law of Duality)長期的に見れば、あらゆる市場は二頭の馬の競走になる(In the long run, every market becomes a two horse race.)
  9. 対立の法則(The Law of the Opposite)ナンバーツーの座を狙っている時の戦略はナンバーワンの在り方によってきまる(If you are shooting for second place, your strategy is determined by the leader.)
  10. 分割の法則(The Law of Division)時の経過とともに、一つのカテゴリーは分割し、二つ以上のカテゴリーに分かれていく(Over time, a category will divide and become two or more categories.)
  11. 遠近関係の法則(The Law of Perspective)マーケティングの効果は、長い時間を得てから現われる(Marketing effects take place over an extended period of time.)
  12. 製品ライン拡張の法則(The Law of Line Extension)ブランドの権威を広げたいという抗しがたい圧力が存在する(There is an irresistible pressure to extend the equity of the brand.)
  13. 犠牲の法則(The Law of Sacrifice)何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない(You have to give up something to get something.)
  14. 属性の法則(The Law of Attributes)あらゆる属性には、それとは正反対の、優れた属性があるものだ(For every attribute, there is an opposite, effective attribute.)
  15. 正直の法則(The Law of Candor)あなたが自分のネガティブな面を認めたら、顧客はあなたにポジティブな評価を与えてくれるだろう(When you admit a negative, the prospect will give you a positive.)
  16. 一撃の法則(The Law of SIngularity)それぞれの状況においては、ただ一つの動きな重大な結果を生むのである(In each situation, only one move will produce substantial results.)
  17. 予測不能の法則(The Law of Unpredictability)自分で競合相手のプランを作成したのでない限り、あなたが将来を予測することはできない(Unless you write your competitor's plans, you can't predict the future.)
  18. 成功の法則(The Law of Success)成功はしばしば傲慢につながり、傲慢は失敗につながる(Success often leads to arrogance, and arrogance to failure.)
  19. 失敗の法則(The Law of Failure)失敗は予期することもできるし、また受け入れることもできる(Failure is to be expected and accepted.)
  20. パブリシティの法則 The Law of Hype)実態は、マスコミに現れる姿とは逆である場合が多い(The situation is often the opposite of the way it appears in the press.)
  21. 成長促進の法則(The Law of Acceleration)成功するマーケティング計画は、一時的流行現象(ファッド)の上にきずかれるのではない。トレンドの上に築かれるのだ。(Successful programs are not built on fads, they're built on trends.)
  22. 財源の法則(The Law of Resources)しかるべき資金がなければ、せっかくのアイデアも宝の持ち腐れとなる(Without adequate funding, an idea won't get off the ground.)

 察しのいい人なら、法則とその簡単な解説で、ああそうかと思うだろうし、若干この世界に関わって痛い思いをした人は、そうだよなこれは法則だとわかるだろう。
 話はそのくらいでもいいかなと思うのだが、なんとなく私らしい書籍の紹介のしかたでもないので、少し蛇足でも書いて置こう。
 22の法則は独立しているのだろうか?
 そんなことはない。本書をよく読むとわかるが、基本的な法則は、たぶん3つだろう。ただし、世間の法則というのは本書には明示的には書かれていない。

  1. 知覚(認知)の法則
  2. 心(マインド)の法則
  3. 世間の法則

 意外と難しいのは、知覚の法則(The Law of Perception)というときの、Perceptionの意味合いだ。これは現代日本語的にいえば「幻想」と言っていいだろう。「マーケティングとはPerceptionをめぐる戦いであって、商品をめぐる戦いではない」ということにある意味で尽きているのだが、ようは市場にどのような催眠をかけるのかと言っていいだろうし、そしてその催眠が次に、どうマインドという機械(マシン)で機能するかが問題なのだ。そう、心というのは市場を支える心のように見えるがこれは一種の心理力学の機械なのだ。だから、そこにはその機械の動作原理があり、それが各種の法則に展開されている。そしてそのマインドの経済学的な動きが、ようするに世間の法則だ。
 浮世離れした日本の知識人はこの手のジャンルを嘲笑的に見るのだろうが、著者たちは意外なほど哲学的にもクレバーであり、しかも米人特有の本気を剥き出しにしている。その本気度は、財源の法則(The Law of Resources)と本書適用に際しての注意書きに現れている。端的に言えば、本書は、マーケットを通して見た経営哲学でもあるのだ。

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2008.03.02

[書評] 「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること」(アル ライズ/ジャック トラウト)

 誰のブログだったかどのエントリだったか忘れてしまったが、反語の通じない世の中になったという嘆きが書かれていた。そうかな。それどころじゃないや。洒落も通じなくなってしまった。常識も通じないかもしれない。まあ、どうでもいいや。というわけで、「勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること(アル ライズ/ジャック トラウト)」(参照)の紹介エントリでも書いてみよう。誰か書いていた? 

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勝ち馬に乗る!
 何の本かって? 表題でわかんない? わかんないわけね、あー、そう。おっと、そこで教えて!ダンコーガイ!とか言うなよな。分裂君まで召喚しちゃうぜ。ファンガイヤよりキバが人類の敵になるかもしれないのに。いやその、俺も善人のなり損ねだしな。というわけで、本書は、本当の成功術だ。成功したい? じゃ、この本を読むべきなんだよ。これが本当っていうこと。
 オリジナルタイトルは"Horse Sense: The Key to Success Is Finding a Horse to Ride"(参照)。サブタイトルはわかりやすい「成功の鍵は、乗るべき馬を見つけること」。なので邦題、「勝ち馬に乗る」はそれでいいかもしれない。邦題のサブタイトルはどうでもいい。問題は書題"Horse Sense"だが、サブタイトルからすると、馬のセンスということで、馬を見分ける感性という感じがするが、これは「常識」ということ。デカルトの良識とはぜんぜん違って、日本語の「常識」に近い。が、バカでもわかるんじゃねーのそんなことというニュアンスがあると思う。オリジナルが出版されたのは1990年。古い。本書は一応ビジネス書でかつ「成功願望者向け書籍」なので成功者の事例がこてこて出てくるのだが、あれから何年経ったでしょみたいに年月が経つとタイムマシンで結末を見るように見るわけで、クルル曹長の笑みのように巧まざる失笑が楽しめるというオツなところがある、ま、どうでもいいですが。成功本っていうのはあれだね、個別事例を書くと十年もすると痛いもんだな、と。
 でも本書がいくら失笑で楽しめても、お楽しみはそこにあるのではない。どこにあるのかは読めよなんだが、ありげにハンガリー狂詩曲的に紹介してみよう。
 まず基本だ。

 成功と自信の関係は、鶏と卵の関係のようなものだ。二通りの考え方ができる。
 自分に自信があるから成功したのか。成功したから自信がもてるのか。
 われわれが見るところ、両方とも正しい。だが、ふたつのアプローチには大きな違いがある。自分に自信をつけるのは、とんでもなく難しい。むなしい努力と言ってもいいかもしれない。自信たっぷりの人たちは、そう生まれついたと思うしかない。(中略)
 逆に、自分に自信のない人は、生まれつきそうか、子供の頃に自信をなくしたかどちらかだ。
 IQ(知能指数)だけでなく、CQ(自信指数)も生まれつき決まっているものだ。努力して大幅にアップできるものではない。


 だが、己を信じることが成功の秘訣なのだろうか。われわれはそう思わない。人生で本当に成功する秘訣は、自分以外の何かを信じることだと考える。競馬でいえば、賭けるべき馬を見つけるのだ。

 かくして賭けるべき馬を眺めてみようということで、本書は穴馬、対抗馬、本命が列挙される。
 穴馬とは何か。

 まずは、馬のハンデについて「穴馬」から見ていこう。なぜ穴馬からはじめるのか。いちばん人気があるかだ。
 いちばん難しく、勝ち目がない馬でもある(初心者が最初に思い知ることだが、穴馬に賭けると大金をするのはあっという間だ)。
 この本でいう倍率は配当のことではない。大勝するチャンス、あなたが目指す「成功」へのチャンスのことだ。残念ながら穴馬は、本命よりも勝ち目が少ない。どんな馬よりも勝つのが難しい。

 では、穴馬のリスト。

  • 勤勉な馬 …… 100倍
  • IQの馬 …… 75倍
  • 学歴の馬 …… 60倍
  • 会社の馬 …… 50倍

 意味わかる? 詳しい話は本書にこてこて書いてあるけど、ようするに勤勉というのが一番勝ち目が薄いということ。地頭がいいのを当てにするのも、まあ、負けになるよ、と。学歴なんかたいしたことないぜ。いい会社を選ぶことも、たいしたことないよ、今の日本となっては本書の米国と同じだし。
 次は、対抗馬。

 対抗馬と穴馬の違いは何だろう。
 穴馬は、自分自身の何かに賭ける。対抗馬も、自分自身の何かに賭けるのはおなじだが、違いがある。自分自身の何かを、ほかの何かと結びつけなくてはいけないのだ。

 では、対抗馬のリスト。

  • 才能の馬 …… 25倍
  • 趣味の馬 …… 20倍
  • 地の利の馬 …… 15倍
  • 宣伝の馬 …… 10倍

 才能というのはつまり誰かに認められることだ。誰も認めてくれない才能についてはまあどうぞご勝手に。それにしても頭がよいから成功したとかいう自慢話っていうのはよく読むとわかるけど誰かがその才能を認めてくれたという話なのな。趣味の馬というのは、好きでやっているということ。仕事が趣味だみたいなやつ。いるだろ。地の利の馬は簡単に言えばTPOっていうか高校前のパン屋みたいなもの。宣伝の馬というのは自分をアピールする能力だ。コミュニケーション力とかもそう。つまり学歴よりはマシな馬だけどくらいなもの。
 さて、本命だ。

 本命と対抗馬の違いは何だろうか。
 対抗馬では、自分自身にも賭けるし、他人にも賭ける。一方、自分以外の人やモノに全面的に賭けて、成功を目指す――これが本命だ。
 自分自身を賭けから外すと、勝ち目はぐっと高くなる。

 では、本命のリスト。

  • 商品の馬 ……  5倍
  • アイデアの馬…… 4倍
  • 他人という馬…… 3倍
  • パートナーの馬… 2.5倍
  • 配偶者の馬……  2倍
  • 家族の馬 …… 1.5倍

 商品の馬というのは、「これは売れる」というやつだ。本場の餃子とか。アイデアの馬というのはあれだスニーカーにバネをつけてぴょんぴょんするとかだ。他人という馬はようするに上司だ。あるいは教授とか。パートナーの馬を知りたければビルゲイツの代わりによく出てくる海坊主を想起せよ。配偶者の馬は、嫁の選び方。家族の馬というのは、親の選び方だ。
 つまりだ、成功したければ、一番の近道はよい家系にいること。でも、残念でした。たいていはそうではない。というわけで、配偶者とかそれを介して嫁の父のファミリーにつながるっていか、閨閥。日本社会の正当な成功者っていうのはそういうもの。
 というわけで、この本は、はてなブックーマークなんかを釣っている穴馬とか対抗馬のくだらない話は早々に見切りが付けられ、穴馬についてそれぞれ一章をあてて説明していくわけだが。
 がというのは、こんな本、マジ読むのは某アルファブロガーくらいかもしれないので、最終章の「勝ち馬を見つけるために、心に刻んでおきたい7項目」というのもリストだけしておこう。

  1. 知性より性格が重要
  2. 純粋な民主主義社会では、機会は平等ではない
  3. 夢を手放す ―― チャンスは巡ってきた時につかまえる
  4. キャリア・プランは意味のない練習である
  5. 早すぎることもなければ、遅すぎることもない
  6. 沈黙は金
  7. 前線の馬を探す

 「前線の馬を探す」はこう説明されている。

 自分自身は忘れることだ。未来のフロンティアは何だろうか。それが問うべき質問だ。誰も未来はわからないが、新しいアイデアやコンセプトがつくられた時、つねにその場に居合わせるようにすることはできる。つねに行動が起きる場にいる。つねに乗るべき馬を探す。

 アイロニーを抜きにしてその提言には考えさせられることはある。いやざっくばらんに言えば、成功者というのは、二世であるとか、カネのついた嫁をもらったとか、いい友人がいたとか、運がよくてマッチョな自信をブログで語っているとか、そういうことだ。他人事だ。いや世間様がそういうふうにその人に仕事をさせているということだ。

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2008.03.01

[書評]不謹慎な経済学(田中秀臣)

 講談社BIZというブランドから、二、三時間で読める軽いタッチの執筆と編集で作成されているし、実際さらりと読めたのだが、本書「不謹慎な経済学(田中秀臣)」(参照)の読後には少し微妙な思いが残った。しいていうと、「もったいない」という感じだろうか。私が本書の編集に関わっていたら、もっとばっさり切り刻んで一時間で読める本にして、もっと裾野の広い読者へ読ませたいと夢想した。

cover
不謹慎な経済学
(講談社BIZ)
田中秀臣
 が、そうすることで田中がためらいながらしか述べることができない重要な部分(湛山の理念など)もまた切り落とされるだろう。どちらがいいのかわからないなと戸惑っていると、明快!教えてダンコーガイ!ではないが、ブログ404 Blog Not Found「不謹慎が不徹底」(参照)に通勤特快高尾行き的な書評が上がっていた。

目次を見ての通り、本書では多彩な話題が取り上げられている。いや、多彩すぎるのだ。そのおかげでどこに焦点が当たっているのかわからない。「目玉商品」が何なのかわからないのだ。

 そう読まれてしまう懸念はあるだろうと共感したが、逆に言えば、多彩な内容それぞれに値千金的な考慮がある。各章ごとに一冊分の内容があるとしてゆっくり読まれたほうがいい。あるいは、現在の日本経済政策の間違い、世界経済と日本経済の今後の方向性、昭和史の見直しから未来日本社会の構想、経済学好きのネタ話、といった見やすい複数のクラス分類があったほうがよかったかもしれない。ただ、本書のままでもよく読めば緻密な思考のスレッドは読み取れる(中国経済にもすぱっと見通しが書かれている)。
 表面的なことばかりになるが、本書で著者田中は、評論家山形浩生など幾人かの論者の意見を尊重して自己の意見を添えるという展開がやや多いのだが、そうした諸論者の意見についてはコラムなりにまとめて、本筋は自己意見だけのように通したような書き方のほうが読みやすいだろう。こう言ってはなんだが、これまでの田中の著書は同じ経済学観や、あるいは面識のある論者間の内向きに書かれた印象もある。本書の内輪的な雰囲気は誤解に過ぎないのだから、従来の理解者より批判者や新しい理解者へ切り進めた、通勤特快東京行き的な一般書であってもよかった。
 書籍的な構成は別にすれば、本書には、現在日本の経済状況および世界経済理解の虎の巻に十分使える内容が盛り込まれているし、これを薄めれば政治経済ブログを書く人のネタ帳になる。たとえば、以下の部分はいわゆるリフレ派見解だが、妥当な経済学(それが日本では不謹慎になるということなのだろうが)的見解が簡潔にまとまっている。

 ここで、日本の長期不況のメカニズムを説明しておこう。簡単に言うと、「デフレ(物価水準の平均的下落)が将来も続くと人々が予想していること」が日本の長期不況の特徴であり、またこの問題の根源でもある。
 例えば、企業が新規に事業プロジェクトを立ち上げるため、あるいは個人が住宅などを購入するために、銀行から借り入れをする場合を考えてみよう。この借り入れをする際に、借りる側が注目するのは現在の状況だけではない。つまり、借り入れ率についても、現在の額面通りの名目利子率ではなく、返済までの将来時点にどう変化するかを考える。要するに、実質利子率のことを考えているのだ。
 実質利子率は、名目利子率から予想されるインフレ率を引いたものに等しい(もちろん、実際に契約される約定利子率は、さまざまな条件の下でプレミアムがつくので、実質率からいくらか上下するかもしれない)。この実質利子率が高いと、それだけ返済にかかると費用が多くなるため、新規プロジェクトの立ち上げや住宅購入の数が低下してしまう。反対に、実質利子率が低ければ返済額が少なくてすむので、より多くのプロジェクトを立ち上げ(投資)や住宅・車の購入(消費)が可能になる。
 日本の長期的停滞の特徴であるデフレは、「ゼロ金利現象」との組み合わせで起こった。名目利子率がゼロであっても、数%のデフレが続くと人々が予想すれば、それだけ実質利子率は高くなり、景気は悪化する。日本の不況がこれほど長く続いたのは、こうした人々のデフレ期待が頑固に定着したからである。
 実質利子率が高いと、前述したように、消費や投資が停滞してしまう。消費や投資は総需要の重要な一部なので、「日本の長期停滞は総需要不足が原因だ」ということになる。

 経済学オンチの私が言ってもしかたがないが、おそらく日本の失われた十年からくりはここに尽きている。だが一般読書人にとって、「実質利子率」の理解はそう簡単ではない。岩田規久男の「日本経済にいま何が起きているのか」(参照)でくどいほど図解して説明されているのもその配慮からだ。
 そしてブログ世界禁断であるリフレ派批判にとられるかもしれないが、「実質利子率もわからない経済学のバカはしょうがないな」というふうに、経済学の理解に問題性を求め、いわば知の塔に篭もってしまえば、日本社会が抱える問題にはまったく解決にならない。さらに悪循環なのは、「総需要の低下が原点だ」という経済学的な説明も可能といえば可能だし、そうした空中戦には普通の読書人は取り残されてしまう。著者田中秀臣はそうした経済学の学的な悪循環に気が付いてはいるし、やさしく表現もされているのだが、それでもまだ十分な説得力はないだろう。
 同じことの繰り返しでくどいが、例えば「流動性の罠」という経済学の考え方がある。これについて本書では、経済学者クルーグマンの「子守協同組合クーポン券」の比喩で簡素に説明している。読書人ならこれで「流動性の罠」は理解できる。だから、「クルーグマン教授の経済入門」(参照)で縷説されているIS-LMをきちんと理解してないバカは困るな、とかいう問題ではない。なにも数式を用いない経済学解説書がよいとか悪いとかそういう問題ではなく、日本社会の構成員がどのように国家の経済政策を了解するか、その道具はどうあるべきかが問題なのだ。
 ただ、日本の市民が「実質金利」の経済学的に理解したとしても、その問題の構造の根幹にある日銀の在り方をどう見詰めていくかという問題には直接はつながらないだろうし、つなげようとしても無理はある。
 本書の内容は多彩で個別に興味深い論点がいくつもあったが、金融政策関連では、著者田中が元財務官溝口善兵衛を高く評価している点には、随分割り切ったものだなという印象ももった。
 この話題の経緯については、結果的に極東ブログでもフォローすることになり私もいろいろ考えたが、結論から言えば私も「昔は高橋是清、いまはテイラー、溝口」という田中の評価に等しい。が、ここで私と田中との微妙な立ち位置の差異がある。逆に言うと本書を読みながら、個々の問題では田中と私の考えはとても近いと思うことのほうが多かったのだが。

 実は90年代後半から、「非不胎化介入によって長期停滞からの脱出が可能である」という意見が、日本の経済論壇でも強く主張されていた。例えば、浜田宏一(イエール大学教授)はその急先鋒として知られる。しかし、これに対して、”日銀派”と目されるエコノミストたちや、それ以外にも小宮隆太郎(東京大学名誉教授)などから非不胎化介入政策の効果に疑問が提起された。彼らは、日本の長期停滞の原因は構造的なものであり、金融政策で片がつく代物ではないと主張した。また、非不胎化介入を「IMF条項違反」だとして黙殺するエコノミストもいた。
 だが、テイラーの回顧録を読めば、経済学の通常の主張が正しいことがわかるはずだ。日本経済の「失われた10年」の真の原因は金融的な要因であり、それは積極的な金融緩和政策によってのみ解決可能なものであった、ということを。

 「経済学の通常の主張」が「不謹慎な経済学」になる矛盾を明快に述べている。だが、私は昨年正月「極東ブログ: 経済談義、五年前を振り返る」(参照)でも触れたが、「金融政策論議の争点 日銀批判とその反論」(参照)における小宮隆太郎の立ち位置はもっと民主主義制度上の手続き的なことであるように思えたし、私はその点で小宮の立場を理解した。偽悪的に言うなら、いくら正しい解決策があっても、現行の制度のなかで民主主義的な理念から実施できないなら諦めるしかないだろうということだ。民主主義は衆愚政治とも批判されるし、それゆえにか金融政策はそうした民主主義の制度から若干独立した権力の構造に基礎を置いている。金融政策が経済学的に間違っていても、どのようにそれに市民の理念が介入すべきかは簡単にはわからない。
 話が馬脚を露わすの趣になってきたが、先のテイラーおよび溝口評価の、非不胎化介入によるいわゆるリフレ効果以外の基礎である「円高シンドローム」に関連するが、私は、必ずしも「円高シンドローム」論を採るわけではないが、と言いつつ「極東ブログ: [書評]ウォルフレン教授のやさしい日本経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)で触れたウォルフレンのように、円安誘導をする日本の戦時的経済構造とそれに附帯する権力構造が、結局は現行の金融政策を支えていると考えている。
 だから、日本の市民社会はまず戦時的経済構造を脱するべく、市民の側の労働と消費の意識の呪縛が解けなくてどうしもようないのではないかと思う。そして、その呪縛を解くということは、具体的には老後を迎える団塊世代が「子守協同組合クーポン券」を放出していくようなライフスタイルの価値観の構築ではないかと考えている。
 別の言い方をすれば、私たち市民は産業マシンや効率のよい投資マシンの生き方から脱するべきなのに、それを強化しかねない円安誘導的な施策は、たとえリフレ政策的な効果を持っていても、よくないのではないだろうか……いや、書いていて愚問だろうなとは思うよ。
 というのも田中は、実際にはいわゆるリフレ派政策より「円」という貨幣の呪縛性を問題の根幹に据え、その呪縛を解くための社会を構築していく模索へ考察を進めているように見えるからだ。その一歩として、経済学者の高説を越えていく位置に、この軽快なそしてある意味で難読でもある本書があるのだろう。

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