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2008.02.10

人類文明についての与太話・序説

 そろそろコソボ問題に言及しとくべき時期にきているようだけど、なんとなく昨日の続きのような与太話。今度は人類文明編。でも、書いてみたら今朝の除雪ならぬ、序説っぽくなってしまった。
 高校生のころ図書館にトインビーの全集があって学校の世界史の勉強の参考書というか批判的参考書がてらにぽっつりぽっつり読んでいた時期があった。具体的なことはあまり頭に残っていないが、文明をフラットに見る感じと、微妙に大英帝国的な世界の感性の影響を受けたかと思う。彼は四大文明という発想を捨てるというか拡張し細分化していた。そのころ自分が思ったことで今でも覚えているのだけど、文明というのはようするに今の文明につながっているかどうかということだけが問題の軸なんじゃないかな、今の文明と途絶した文明というのはけっこうどうでもいいんじゃないかな、いや、むしろそういう文明こそが、我々の文明が学ぶべき点があるのかなとか、そんなことだった。
 今でもあのしょーもない四大文明説は学校とかで教えているのだろうか。さすがにそれはないと思うが、高校生向きと思われるネットの「世界史講義録」(参照)とみると困惑する。”第3回 文明誕生”(参照)にはこうある。


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四大文明
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 農耕が世界各地で始まるのですが、その中で文明と呼べるものを生み出した地域が四つあります。すべて、大河の流域に生まれました。
 メソポタミア文明---ティグリス・ユーフラテス河
 エジプト文明---ナイル川
 インダス文明---インダス川
 黄河文明--------黄河

 古い順に列べてあります。
 長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから、ここでは覚えなくてもいいです。
 それぞれの話は次回以降にやります。
 今日はこの四大文明の共通点を確認して終わろう。


 味わい深い。「長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから」だそうです。私が高校生だったら、ゲリラ的に別の教材プリント作ってばらまいてしまいそう。で、この「長江文明」もちとアレげな感じはする。アレげというのは梅原猛のあの変な議論みたいな。ちなみにウィキペディアの同項を見ると。

長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある[2]。


 これもちょっとなと思う。が、読み進めるとそれなりにウィキペディアらしい説明があるのでそれはそれでいいのかもしれない。ちょっと気になったのだけど、この項目の関連では中文しかリンクがないのはなぜなんだろ。余談ついでにいうと、中国古代史関連では史記とか真に受けちゃう暗翻丹が多いんで困る。
 関連で話を少し戻すと。

このように河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの中国文明=黄河文明と言う図式のみならず、古代文明=世界四大文明と言う図式をも壊し、当時の定説を大きく覆す事になった[3]。

 だからというわけではないが、四大文明説はゴミでもいいかなという面もある。ただ、ここでやっかいなのは、文字の問題だ。

2004年現在、長江文明・四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代は紀元前2000年 - 紀元前600年とされている。現在出土している最古の甲骨文字が紀元前1300年くらい(武丁期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字に先んじた文字と言う事になる。

 ほいで、それをちょっとスタックに入れておいて、四大文明(参照)についてのウィキペディアの説明に戻ると、それなりに現代啓蒙的。

世界四大文明(せかいよんだいぶんめい)とは人類の歴史において、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむという歴史観に基づく概念である。四大河文明とも言う。

四大文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明をさした。

この考え方の原型は梁啓超の『二十世紀太平洋歌』(1900年)にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている。この考え方はアジアでは広まったものの、欧米では受け入れられなかった。また、考古学研究が進展した現代では、初期の文明を4つに限定する見方は否定的であり、四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものといえる。


 そのあたりは現代人のFAでいいのだが、問題は先の「文字」ということになる。スタックからポップ、と。
 歴史というのは、書かれた文字という性質があり、ようするに文明というのは文字の観点からつい見られる。いちおう無文字文明という概念も成り立つのだが、そこでどうしてもある種のひっかりがあり、ジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)の提唱する二分心(Bicameral Mind)のような問題意識はつきまとう。
 そういえばとジュリアン・ジェインズ関連をウィキペディアを見るとあまり情報はないが(参照)。

Julian Jaynesは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない進化段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、古典文献・神話学・考古学・心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。

 与太話でどさくさで言うと、私も、文明というのはどうも「3000年前に生成した」というのでよいのではないかという感じがしているというか、そこから多元文明論や無文字文明というのをフィルターというか整理していいような感じがしている。そのあたりと、「銃・病原菌・鉄」(参照)で与太話が展開できそうな感じはする。
 その前にジュリアン・ジェインズに戻って、彼については英語の同項目が当然詳しいのだが、この「二分心」の主張は1976年の”The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind”(参照)によるもので、トインビー級に古い。なのでその後の展開としてはトインビー並にシカトの憂き目にあっているのかと思うと、英語の同項がやや微妙(参照)。

Jaynes's hypothesis found little acceptance among mainstream academics. This was partly due to the perception that Jaynes was pandering to the general public[citation needed], and because he did not offer The Origin of Consciousness for peer review.

His proposals generated great controversy when first published, and provided impetus for many other scientists and philosophers to investigate the matters it discussed in detail in order to attempt to refute its arguments.[citation needed]


 文明史学のメインストリームからは無視という感じではある。なお、この項目、[citation needed]が多いようにちと偏向もあるかもしれないし、古い問題持ち出すなか、あるいは今でも問題か。
cover
神々の沈黙
意識の誕生と
文明の興亡
 というあたりで、なぜかこの本、日本では2005年になって翻訳された。「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」(参照)。アマゾン読者評を見るとこれが30年前の古い本なんだよということは理解されてないかもしれない懸念もある。
 同書については別の機会に触れるかもしれないけど、このところ70年代の本とか読み返すと、随分得るものが多い。
 話を少し戻して、ジュリアン・ジェインズ説へのコメントを見ていって、そういえばこれがあった。

Richard Dawkins addressed the subject towards the end of his book The God Delusion in an attempt to discover where religion comes from. He says about it: "It is one of those books that is either complete rubbish or a work of consummate genius, nothing in between!"

 私のようなぬるい人はそのビトゥイーン・ライオンみたいなリンボにいるわけだけど、ドーキンスはこうしてみるとけっこうお茶目。
 どうでもいいけど、与太話の本題に入る前に話が長くなってきたので、本題はまたいずれ。

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コメント

大著ゆえ時間がかかりましたがようやく読了、というかもの凄く端折りました。というのも読んでて「自明」にしか思えなかったんで。細かいところはともかく、これで良いように思うんですが、なんでシカトなんでしょうね。

投稿: Sundaland | 2008.03.04 16:09

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