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2008.02.05

[書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル)

 アーノルド・ミンデルの思索と実践が現代社会に重要な意味を持つ、あるいはさらに持ち続ける可能性があるのは、本書「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」(参照)によるものだろう。本書、あるいはコーマワークが存在しなければ、ミンデルは奇矯な思索者・精神医学者ということで終わるだろう。もっとも類似の問題は、本書のはしがきでミンデル本人が言及しているように、キュブラー・ロスにも関連している。

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昏睡状態の人と対話する
プロセス指向心理学の
新たな試み
(NHKブックス)
 本書、あるいはコーマワークとはなにか。これは邦訳の表題が適切で「昏睡状態の人と対話する」ことであり、その手法に言及したものだ。アマゾンの紹介が、ある意味で、簡素にまとまとまっているので引用する。

著者のミンデル氏は、昏睡状態の人と対話するという信じられないことを可能にした。忍耐強い働きかけを行っていくと、クライアントは筋肉の一部の動きや言葉の応答によって、死にたいか、生きたいかの意思表示や未解決の愛のテーマなどを完了することができる。そして生と死にまつわる観念を乗りこえていく。ユング派のセラピストが、数多くの臨床例から、死に瀕した人の微細なメッセージを聞きとる方法や、生の深い意味を明かす待望の翻訳書。

 「ある意味で」と限定したのは、これは現代医学的にはトンデモ説の領域になることは、ほぼ明らかと言っていいだろうと思うし、これを組織化して実践されたら、偽科学なり似非科学なりで批判すべきだろう。穏当に言っても、そうしたことが可能になるケースもあるが、医学的には、ほぼありえないことだと見ていい。
 問題は、これがレアーケースを汎化した珍妙な議論なのかというと、このミンデルの提起は、まさにその彼の提起というプロセスにおいて現代社会に重たい意味をもたらしている。端的に言えば、私たちはみなこの昏睡(コーマ)を経て死にいたるし、おそらく50年も生きていれば大半の人が愛する人がコーマに陥ってしまう状態に直面する。その時の苦悩のなにかにつながっている。
 昏睡者、それは死者ではない。生きているのだ。そしてその生きたその人を愛しているのだが、彼は彼女はもう私の愛に応えてはくれない。脳につながった計測器は脳死を示す。彼は彼女はあるいは私はコーマのなかで肉体に接続された機器なしには生命を存続させることはできない。
 これに対する現代社会の答えは一つある。脳死を定義し、コーマに陥る前に自死を表明しておくことだ。
 だがそれが答えになるのか。正直にコーマに直面したとき、私たちは答えられないことが多い。そうした心の弱みにつけいる悪書が本書であると言われたとき、どうしたらいいのだろうか。ミンデルはそこを理解していないわけではない。

 なぜ私は、本書を書くことに切迫感を感じているのだろうか? それは私が脳死に関する現在の医学的定義の拡大、つまり新たな倫理に向けて戦っているからだろうか? あるいは、私自身の永遠の自己を発見するために、臨死体験を研究する意味があるからだろうか?
 当初から私は、本書の執筆が私にとって必要であることを感じていた。第一稿を書き終え数カ月が過ぎ、本書を編集している段階においても、初めに私を執筆に向かわせたあの切迫感を感じている。

 答えは本書の中にある。ではお求めくださいと、アフィリエイトを誘うわけではない。簡単には答えがたい問題があるからだ。端的に言えば、本書のオリジナルタイトルが答えになる。"COMA: Key to Awakening"、つまり「昏睡、それは覚醒の鍵」ということ。昏睡とは人間存在の覚醒のプロセスだというのだ。ただ、それだけ言えば、すでに宗教の部類だろう。つまり、答えがたい問題に戻る。
 本書を扱ったエントリを書くに際して、アマゾンを見て不思議に思ったのだが、本書は絶版なのか古書のプレミアムがついており、定価より千円ほど高い。そこまで求められていた本なのか。また、邦訳書が宗教系の出版社ではないところから出されている点にも思うことは多い。千円ほど高いプレミアムで購入すべきかはよくわからないが、恐らく求められているのは、以上述べてきたような周辺的な知識ではなく、昏睡者との対話法というハウツーであろう。この点については、訳者前書きに配慮がある。

また家族や知人に実際に昏睡状態の人がいて、理論や臨床例よりもコーマワークの具体的な方法を今すぐしりたいという読者は、7章と8章をまず読むことをお勧めする。
 また一般の方ならびに援助専門家のためのコーマワークの実践的マニュアル本(現在翻訳中)が、本書の後にミンデルのパートナー、エイミー・ミンデルによって執筆されている。とても平易な英文で書かれているので必要なかたは是非活用していただきたい。

 その翻訳書が日本で出版されたかどうか、ざっとサーチしたところではわからない。英書は、”Coma, a Healing Journey: A Guide for Family, Friends and Helpers”(参照)である。
 
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Coma, a Healing Journey:
A Guide for Family, Friends and Helpers
 コーマのなかの人と対話できるとしよう。それはすべて、なんらかの覚醒の状態であるのかはわからない。そのなかで常に生きることが選択されているわけでもないことも興味深い。

 生き続けたいという欲求は誰もが抱くわけでもない。ロジャーのケースがそうだった。私はそれまで彼には一度も会ったことはなかった。彼は慢性的なアルコール依存症患者で、その時には脳幹にダメージを負っており、数週間にわたって持続的な植物状態に陥った。質問(サムに用いたのと似たような方法を用いての)に対する彼の答えは「ノー」だった。それがあきらかになるや医療スタッフは私たちのワークがまるでなかったように、ロジャーの親族の一人と相談して、数日以内にライフサポートシステムを取り外すことを決定した。この場合、医療システムサイドの思惑が、植物状態の患者と一致したわけである。

 私の率直な考えを言えば、コーマワークは偽医学であろうし、その応答は端からナンセンスだろうと思う。そしてこの対処の過程は、ありがちな普通の風景なのだろう。そしてこうミンデルが説明することに困惑を覚える。

 死の倫理とは、一人一人に自分自身で決定を下すチャンスを与えることである。臨死状態におけるドリームワークとボディ・ワークの向かうべき方向ははっきりしている。私たちは深い無意識状態から送られてくるシグナルを展開する技術を身につけるべきなのだ。そうすることで患者自身の手に人生の選択権を下す力を委ねることができるのである。

 私はミンデルに冷淡だろうか。そう言われても昏睡者にその選択権の能力があるとは思えない。そこで、この問題はまた平行線をたどり元にもどる。つまり、選択権は昏睡前に表示するしかないだろうと。
 だが割り切れないものは残る。私たちもまた一人一人昏睡を経て死に至る。そのことを体験できない。昏睡のなかで意識はないとされているが、意識とはおよそ「私」の意識であり、計測器の電光ではない。電光を見つめているのは私ではなく、私の殺傷権を委託されされたとする誰かだ。
 私は完全にミンデルに否定的なのではない。ミンデルの前提が受け入れられないとは思うが次の提言に、私たちの生存のなんらかの謎が関係していることは感受できる。

 変性意識状態に光りをあて、それにもっと自覚的になることで、現実に対する私たちの文化的信念の基盤は変わっていくように思われる。人生はもっと楽しいものになり、死は以前ほど問題ではなくなるのではないだろうか。
 植物状態は、自己探求へと向かう私たちの衝動を促進させようともくろむ非常に特殊な夢なのである。私たちの内側で息をひそめていた、この生の最大級のブラックホールにおいて、全生命が完了と目覚めを求めている。この観点からすると人生は自らを理解するための探求であり、私たちの能力の普遍化と全体化を目指すものである。

 私にはわからない。だが50年も生きて、すでに人生の大半を消費した私ですら、人生の意味了解が自分に根付き、どこかしら死につながっていると了解せざるを得なくはなっている。それをプロセスと呼ぶのなら、基本的なところで私はミンデルとプロセスを共有している。

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コメント

いま、サリー・ニコルズというアメリカのユング派の文筆家の書いた「ユングとタロット」という本を読んでいるのですが、読み進めるのが苦痛です。

タロットの本質や歴史の話ではなく、タロットについて、ニコルズが思いつくところをユングとユング心理学の権威を借用して長話を書き散らしているだけだから。それに、ニコルズはアメリカ人で、あまりにもラテン語の素養が乏しくて、タロットの系譜学的な側面に踏み込む技量も持ち合わせていません。

ユングも含めて、ユング派の悪いところというのは、社会から強い反発を受けても本当のことを伝えようとするより、反論のしようがない話をレトリックで説得力を持たせてまくし立てるところだと思います。反証の存在しない仮説からは科学は成立し得ないというテーゼを説いたのはカール・ポパーだったと記憶していますが、ポパーが正しければ、ユング派心理学はどうやっても科学ではないのです。

フロイト派は、いろいろ問題と欠点があっても科学だと思いますが、ユング派は、科学ではなく説得術だと思います。

自分が恩恵を受けた、業界に貢献の大きい岡本翔子先生と鏡リュウジ先生をけなすような話をするのは心苦しいのだけれど、ユング派の心理学を利用して占星術を科学だと主張しようとするのは、論理の循環だと思っています。占星術も、ユング派心理学もどちらも科学などではないのだから、両方を組み合わせても、そういう占星心理学は、どうやっても科学になどならないのです。

ユングがうそつきだ、といっているのではありません。ユングが本当のことを言っていても、それを、誰でもが納得する手法で検証できない話があまりにも多いのです。そして、この点については、ユングは、直観・思考・感情・感覚の4つの心的機能の話をして逃げてしまえるのです。(「それは、直観と感情で知覚すべき問題だ。思考と感覚に置き換えられない。」と言われてしまえば、もうそれ以上反論できません。)

もう一言付け加えれば、「元型」、「アニマ・アニムス」、「シャドウ」、「集団的無意識」などといった作業仮説を挿入して説明をつけていくユングの手法は、ユークリッド幾何学の問題を解く際に、図形に補助線を書き加えていくやり方にすごくよく似ているような気がします。

投稿: ユング派の弱点 | 2009.01.28 14:16

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