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2008.02.03

[書評]身体症状に<宇宙の声>を聴く(アーノルド・ミンデル)

 本書を読んでいる姿を人に見られ「何を読んでいるの?」と聞かれ、手渡したところ表題を見て顔をしかめられた。内容を理解しようとしていて、うかつにも表題のことなど念頭になかったので、ふと表題を思い出してから、あたふたした。「いやそのそういう表題の本というわけじゃないんだけど……」とつい弁解が先に立ったが、私に向けられた疑念の表情は消えなかった。やっぱりこいつトンデモじゃん……ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者の諸賢にそう思われてもしかたないものばかり読んでいる。

cover
身体症状に「宇宙の声」を聴く
癒しのプロセスワーク
 表題だけじゃない。帯もこうだ。「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照

“心ある道”を生きるための心理学。
私たちは複数の次元、パラレルワールドに同時に存在しており、病は、叡知に満ちた普遍的次元からのメッセージを知る手がかりとなる。量子論、シャーマニズム、東洋思想の考え方を援用しつつ、深々とした生のリアリティを取り戻す具体的方法を紹介。

 いやはや。これって著者はチョプラじゃねーの、みたいな感じがする。が、アーノルド・ミンデルであり、刊行は04年。日本では06年のもので邦文で読めるミンデルものとしては最新刊になる。これまでのミンデル思想の集大成になっているのだが、そういう背景を知らなければ、救いようのないトンデモ本と見られてもしかたがない。
 オリジナルタイトルは”The Quantum Mind and Healing: How to Listen and Respond to Your Body's Symptoms”で、べたに訳すと、「量子精神と癒し。身体症状の聞き方と対応の仕方」となる。オリジンルタイトルもけっこうドンビキではあるな。
 どのような本なのか。アマゾンに出版社紹介があるので、ドンビキついでに引用してみよう。

◎“心ある道”を生きるための心理学
“プロセス指向心理学”の創始者、ミンデル博士の最新作である本書は、量子論、生化学、東洋思想、シャーマニズムなどの考え方を援用しながら、身体症状についての新たな視点、新たな医療パラダイムの可能性を提示する。著者によれば、痛みや熱などの身体症状、あるいはちょっとした違和感などは、叡知に満ちた根源的次元からのメッセージを知る重要な手がかりであり、繊細な「気づき」の能力を培うことで、そうしたメッセージを癒しの力として、また、人生を新たな方向へ展開してくれる強力なガイドとして活かすことができるという。「気づき」の力が老化プロセスや遺伝子に影響を与える可能性についても論及されている。本文内のコラムでは、最先端の科学的知見がわかりやすく解説され、プロセスワークを体験するためのエクササイズも豊富に盛り込まれている。医療関係者、セラピスト、ヘルパー、ファシリテーター、そして何よりも身体症状に苦しむ人たちに有益なアドバイスを与え、新たな世界観を提供する、刺激に満ちた一書と言えよう。

 この紹介は間違いか? よく読み直してみたが、間違いではない。むしろよくまとまっているとも言える。では、やっぱりこの本はトンデモ本とか偽科学の類なのだろうか。
 偽科学というキーワードがつい出てしまうのは、病といった医学分野に生化学が出てくるのはわかるとして、なぜ量子論、東洋思想、シャーマニズムが出てくるのか。そのあたりで日本的な常識人なら放り投げてしまうだろう。あるいは、東洋思想とシャーマニズムというなら、よくあるありげなおばかな本なのだが、ここに量子論が登場してくるとたんに、トンデモ度がアップしてくる。
 実際、本書を読んでみると、いやめくってみてもわかるが、量子力学の話がけっこう出てくる。チョプラの書きそうおバカ本の比ではない。量子力学の不思議な特性をダシにしたよくあるイカレポンチの本なのだろうか。が、ここでちょっとミンデルの経歴を引用しよう。

ミンデル,アーノルド[ミンデル,アーノルド][Mindell,Arnold]
1940年生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了(理論物理学)、ユニオン大学大学院Ph.D(臨床心理学)。ユング派分析家、プロセスワークの創始者

 ごらんのとおり、Ph.Dの分野は別として、MITの理論物理のMSはガチですよ。量子力学の基本的な理解にベタなボケがあろうはずはない。
 では、あれか脳機能学者で紅白歌合戦の審査員でもある茂木健一郎訳の「ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて」(参照)といった趣向なのだろうか。そこが実に微妙だ。ミンデルはペンローズほどマジじゃない。では、シャレなのか。
 それ以前にMITのMSとかいっても現状はただのボケということはないのか。つまり、量子力学の理解にトンデモが含まれていないのか。まずはそのあたりがこの本、というかミンデル理解のかなりキモになるだろう。少し強い言い方になるのだが、ミンデルの信奉者たちもけっこうそのあたりに誤解があるようだし、さらに先回りした言い方をすればミンデル自身がそうした誤解をある程度意図的に提出しているきらいがある。
 結局どうなのか。私が知る量子力学の知識で見るかぎりだが、本書では、一点を除いて、ミンデルの量子力学理解に間違いはなかった。
 では、正確な量子力学の知識がなぜ、シャーマニズムと結びついてしまうのか。これは、ミンデルがユング派に属していることを考えれば、ある程度想定外のことではない。ユングと、パウリ効果でノーベル賞を受賞したヴォルフガング・パウリによる「自然現象と心の構造 非因果的連関の原理」(参照)にその根がある、といった冗談の文章に笑えるようでないと、なかなかこの分野のまともな知性を投入するのはいかがなものかという感じだが、その懸念どおり、「シンクロニシティ」(参照)ではユング・パウリからデイビッド・ボームの量子力学への延長がある。どうでもいいけど、この本、サンマーク文庫だよ。もう朝日出版じゃないのな。
 ミンデルの本書における量子力学理解で、一点問題になるのは、そうしたユング・パウリ的な展開のいかがわしさではなく、いやその部分こそ重要なのだが、前提としてどうにも受け付けがたいのは、古典的なコペンハーゲン的解釈と、エヴェレットの多世界解釈にさらにデイヴィッド・ボームのパイロット波論、さらにノイマン的な意識論が、ごちゃごちゃに、いいからかんにおじやになっているというか、それぞれの具の味わいはあるのだが、量子論としては、いったいなんだかさっぱりわからないものになっている点だ。
 量子論のある種の不可思議さに対する諸論は、単純に多世界論だけ取り出しても通約不能になっているというか、基本的にはコペンハーゲン的解釈に緩やかに集約されるはずだ。くどいが、ミンデルはそうしない。諸論の面白げなところをパッチワークにしている。とくに、デイヴィッド・ボームのパイロット波論が重視されているのが、そのモデルが光速を越える実体を想定しなければならない難点というか、つまりはベル定理と同質じゃないかこのボンクラぁには目を向けてない。意図的なのか、同値だからか。
 なぜこんなことになってしまったのだろうか? 答えはあっけないほど簡単なのだ。ミンデルは人間の意識、というか無意識の比喩として量子力学的実在を挙げているだけなのだ。くどいが、私はよくよくミンデルの説明を読んだが微妙なところで、量子力学的実在は無意識の比喩とされていて、同値はされていない。無意識は、実在のように不可分であるという比喩表現なのだ。そして、彼はこの無意識を、ちょっと大雑把な切り方になるが、「夢」と呼んでいる。そしてこの夢の表現が「病」だというのだ。
 とはいえ、実在に無意識が含まれうると考えだとすればついその比喩的な特性が無意識にあるかのように誤解されるのはしかたがないだろう。
 再び問おう。なぜこんなことになってしまったのだろうか?
 無意識が不可分な実体であるということをミンデルは説きたいためだ。
 無意識が不可分な実体であるというのは、ある意味で不可解極まる考え方で、ようするに、私たちが意識しているこの意識は私にバインドされ局在されているが、無意識は私を越えてすべて全一の実在なのだということなのだ。
 それって宗教?
 いや、ここでやはりユングを問い直すと、まさにそれこそがユングが問うたことと言えるのだろうし、ミンデルはまさにユングのある意味で直系とも言えるのかもしれない。ただ、一般に理解されている元形論的なユングとは異なるだろうが。
 ミンデルの考えには、先行して無意識が不可分な実体であるという前提があり、その説明が量子力学を頓珍漢に引き寄せているとみてよいだろうと思う。
 いったい、このヘンテコな無意識不可分仮説にどのような意味があるのだろうか。明らかにそれは科学ではない。量子力学を持ち出すのは悪趣味だと言ってもよい。だがこの仮説の意味は、ユングがそうであったように、私たちの生存や人生の意味に関わってくる。存在を意味了解する(あるいは了解しつつ変容する、なんだかハイデガー臭いが)、というプロセス(生成)の基底に、この珍妙な仮説が眠っていることは、人生経験のある地点である種の経験的な理解として訪れやすい。
 ここにゲートがあるのだ。
 ユング・ミンデルのこの奇妙な前提というゲートの向こうには、人生の意味を変える魔法のようなものが薄ら見えるというだけでなく、私たちの実人生の死へのプロセスの過程においてその向う側の先駆的な了解を信じている事実性がある。およそ人生を50年も生きたなら、我々は自分の人生にある種の意味判断を持たざるをえない。
 ところで今アマゾンを見直したら、さらにミンデルの新刊が出ていた。ちょっと溜息をつくなあ。

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コメント

MAではなくてMSではないですか?

投稿: MAMS | 2008.02.03 18:44

MAMSさん、ご指摘ありがとうございます。本人のサイトのプロフィールで確認しました。やはりMSでした。修正しました。

投稿: finalvent | 2008.02.03 19:30

理科系へ行って留学までさせてもらったのにダメだった茂木健一郎が、文科系に落ちてきてメディアに乗せてもらって荒稼ぎをしているのには、あきれはてた!東大ですらとにかく入りやすい理学部や工学部から毎年毎年モノにならないやつが相当数文科系の学部に落ちてくる。才能がない彼らは日本で優雅に食える文科系に転部してくるのだ。茂木健一郎も理系にいられずに途中から試験もなしに2年間文系にもぐりこんだその実態は落ちこぼれのやくざである。東大の学者が、非常に優秀な新井泉さんを強制的に監禁虐待して食事も睡眠も奪い取って、新井泉さんの人生も健康もむりやり破壊した。凶悪な彼らが捕まらないのをいいことに、やくざの茂木が次々に対談をセットする極悪国営放送どもと共謀して何の罪もない新井泉さんを暗殺しようとしたのだ。神といわれるほど天才の新井泉さんを虐殺してしまえば、あとは国営官庁や国営企業に入れてもらった凶悪犯どもだけが優雅に暮らせると毎日毎日強盗殺人を談合してやっている。公務員やマスコミ人になると何の罪もないヒトを殺して口封じできるのだと無能学者というよりも学者ですらないやくざ茂木が凶悪犯罪を犯しまくって栄耀栄華を楽しんでいるが、暴力団とつるんだこんな極悪人を早く滅ぼさなければならない。

投稿: 麗華 | 2008.02.19 16:48

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受信: 2008.02.03 20:17

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