[書評]記憶と情動の脳科学(ジェームズ・L・マッガウ)
先日のエントリ「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)にも書いたが、コットのインタビュー相手、神経生理学者ジェームズ・L・マッガウによる、初心者向け書籍の邦訳がブルーバックスにあることを知ったので、この機会に比較的最近の脳機能の知識についてまとめておいてもいいかなと思い読んだ。「記憶と情動の脳科学」(参照)である。
記憶と情動の 脳科学 |
まず、これも先日のエントリ「極東ブログ: [書評]アリはなぜ、ちゃんと働くのか(デボラ・ゴードン)」(参照)ではないが、ちょっと利発な高校生くらいなら読んでおくとよい。ゴードンとは違った意味で、科学の考えかたというものがよく理解できる。
本書だが一読して概ねたいしたことはないと思ったのだが、読みながら最初にアレ?と思ったことは、パブロフの古典的条件付けについてだ。これは間違いですとマッガウが断言し説明していた。率直に言うと30年前の私でもこんなソ連のバカ学者のくだらない理論が大手を振るっているのは、しかも米国で大手を振るっているのは、どうかしてんじゃないのと思っていたが、それでも主要学派の基礎理論っぽいのでどうでもいいやとしていたのだが、きちんとこれは間違いですという解説があったのでアレ?と思った次第だ。ちなみに、ウィキペディアの同項目(参照)にはつまらない話しか掲載されていない。どころか、ヘッブ学説がさも古典的条件付けを裏付けているような変な説明がある。
古典的条件づけのモデル
ドナルド・ヘッブは1949年、神経細胞間の結合強度(伝達効率)の変化によって古典的条件づけを説明できる仮説を提案した。こうした、神経細胞間の結合強度が刺激によって変化していく性質を、シナプス可塑性という。のちに生理学的にもその存在が確認され、ヘッブの法則(あるいはヘブ則)と呼ばれてる。
ついでにパブロフの項目(参照)を見て、笑った。
晩年は睡眠や本能などを研究する傍ら、再教育を考えていたウラジミール・レーニンと親交を結び、条件反射の発見は「全世界の労働者階級にとって重大な意義をもつ」と賛辞が与えられた。
いやはや。本書ではこう指摘されている。
古典的条件づけが単に学習された反射から成るという見方も、また多くの実験によって問題されました。パブロフの研究室のほとんどの実験で、イヌは、「条件づけされ」て、装具で制限された状態でテストされていました。あるとき、食物によって(反応として唾液分泌を起こすように)訓練されたイヌが装具から解放されました。条件づけの刺激が示されると、イヌはすぐに給餌装置に走りより、装置に向かってしっぽを降り、装置に飛びかかろうとし、吠えたりしました。
言い換えると、そのイヌは、食物を求める行動パターン全体を、非常にはっきりと示したのです。古典的な実験で条件づけされていたのは、唾液分泌反応というたった一つの反応ではなく、食物を求めるというシステム全体だったのです。
皮肉な言い方をすれば、犬を縛り付ける装具が社会主義だったようなものだが、冗談はさておき、類似のS-R理論や報酬理論なども同じことが言える。
報酬は、ヒトや他の動物がすることに影響します。しかし報酬が自動的にS-R結合を強化することによって影響を与えるのではないことが、現在でははっきりとわかっています。したがって「効果の法則」は、今となっては歴史上の遺物です。「効果の法則」は現代の学習と記憶の理論としては不適切なのです。
この先でマッガウはなぜこんな間違いが科学とされてきたかについて「ハルが効果の法則を提唱した頃は、そもそも合目的的に動くしくみという発想そのものがなかったのです」として、合目的性が現代の学習・記憶理論の基礎にあることを示している。つまり、「合目的的に行動する能力には記憶が必要なのです」ということ。
引用が多くなり、考えようによってはあたりまえのことだが関連をもう一箇所引用しておきたい。
重要なのは、ある出来事が、別の出来事が起きること(あるいは起きないこと)を予告する情報を持っているかどうかです。既に動物が持っている知識からのずれがあるとき、古典的条件づけは成立します。それよって、動物はさまざまな出来事の関係を理解し、自分を取り巻く世界のありかたを学ぶのです。
合目的性や世界認識、予想といったものによって記憶や学習が秩序づけられている。さらにラットなども認識、判断による記憶の秩序付け、推論といったことから行動していることも示される。
あたりまえなのだが、このあたりの科学について、どうもいわゆる応用された学習理論というか現場の教育理論のベースには至ってないように思われる。というか、現状の教育理論はいまだにS-R理論的な古い時代の理論に基礎をもっているように思える。
いわゆる学習や記憶について、教育の現場では反復の重要性などが説かれているが、本書を読めばわかるように、それは脳機能の点からは概ね否定されている(だから反復的な学習が不要だということではないが)。「短期記憶と長期記憶は同一のプロセスで形成され耐久性が異なる」ということも否定されている。もちろん、長期記憶は時間をかけて固定するのだが、短期記憶とは異質なものだ。この異質性は、陳述記憶と非陳述記憶の差にも表れ、さらにそれが脳機能構造の差異にも由来する。
具体的に、海馬、扁桃体、大脳皮質についての関わりが本書では丹念に慎重に語られているので関心ある人は一読されるとよいだろう。このあたりの説明だが、簡単に海馬が記憶を担っていますというような単純なものではない。加えて、「健常者でも猛烈に記憶すれば海馬の構造が変わる」という事実は何を意味しているのか現段階では不明だが非常に興味深い。
本書からは箇条書きにできるような記憶や学習のコツを取り出すことは難しいし、そうした記憶力の賛美をマッガウはどちらかといえば否定している。だが、ストレスは記憶力の向上に役立つとはいえそうなので、学校とかの場所はストレスフルであったもよいのかもしれないなと寝惚けた感想ももった。逆に想起するときはリラックスしたほうがよさそうだ。
結局、記憶とは何か? 脳の機構として見た場合、何なのか。そういえば以前、半分おふざけで「極東ブログ: おばあちゃん細胞が発見された」(参照)を書いたことがある。
記憶や学習成果というのは、先にパブロフについてのウィキペディア項目からヘッブ仮説を引用したが、一般的にはシナプス可塑性から理解されることが多い。本書では、LTPとして扱っている。
この活動依存性のニューロン結合の変化は、プリスとレモが「長期持続増強」と呼んだもので、今では「長期増強(LTP)」と呼ばれています。
マッガウはこれに慎重な態度を示している。
このように、これまでのたくさんの研究で、LTPが多くの条件で学習に関係していることが示され、そのことを疑う余地はほとんどありません。
しかし、今までの研究で欠けているのは、LTPと学習が決定的に関係しているという証拠です。言いかえると、LTPが学習に必須であるかどうかを明らかにする証拠がまだありません。また、記憶を固定化する過程は時間がかかりますが、LTPがその過程の中のいつ起こっているかもわかっていません。
マッガウはこの分野の世界的な第一人者であると言っていいだろうし(参照)、脳の形成にはごくあたりまえに進化論的な枠組みで考えている。が、すでに見てきたように、パブロフ的な単純な機械論や、シナプス可塑性がイコール記憶や学習の実体としているわけではない。むしろ、記憶の持つ合目的性という枠組みが見て取れる点は生化学の現在の側面をよく示している。
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コメント
「健常者でも猛烈に記憶すれば海馬の構造が変わる」
最近読んだ『心が脳を変える―脳科学と「心の力」』(ジェフリー・M.シュウォーツ, シャロン ベグレイ)という本に、この事例が載っていました。ロンドンのタクシー運転手は、ベテランになるほど海馬の後部が普通の人よりも大きいそうです。本が今手元にないのでちょっとうろ覚えですが、ロンドンの道は非常に複雑で、覚えるのが大変らしいのです。地図を記憶するために海馬が利用されるので、複雑な道を覚える過程で肥大したのだろうと書かれていたと思います。
投稿: えり | 2008.03.28 17:14
自分がある重大な事に気づいて、その事をずーっと忘れていて、ある日急に思い出し、あ!これだ!と思い出すことがたまにある。そして、ああ、もうすぐこの事を忘れるんだろうな、何とか記憶する方法はないんだろうか、でも、どうしようもないな、と思いながら、最初の文に戻る。こういうの何て言うんだろうか。記憶できないが知る事が出来る事がどうやらあるらしい。
投稿: ddc | 2008.05.05 21:23