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2008.02.28

指貫

 指貫のことをちょっと書きたいと思うのだが前振り。
 はてなに匿名ダイアリーというのがあり、ネットの匿名なのだから2ちゃんねるのようになっているかというと、必ずしもそうでもない。いや2ちゃんねるだっていろんなスレがあるのだから、匿名というだけでは比較にはならないというのもあるだろう。それでも匿名ダイアリー、通称「増田」は、匿名で暴言を撒き散らすというより、はてな利用者が若い世代が多いこともあるのだろうが、性のことや恋愛のちょっと内面的な話題が覗けて面白い。覗き趣味なんて下品とも言えるが、日常生活からちょっと性活動を隠す微妙な部分のコミュニケーション可能な領域というのはあるだろう。悩み事の話も多い。私は悩みの多い人なんで、そうだよなと共感することが多いのだが、それでも50歳にもなればそれなりに、いろいろと若い時代の悩みは終了している。自然に終了したものも多い。単に自分の顔を鏡で見て、これ俺の顔だよねとようやく納得したという類も多い。なんとか自力で解決した問題もある。書籍から学んでわかったこともある。そういう書籍を3冊紹介して、「大人になるために必読の3冊」とかネタにしようと思っていた。候補は決まっている。2点はすでに書いた。


  1. 「極東ブログ: [書評]「ビルとアンの愛の法則」(ウィリアム・ナーグラー&アン・アンドロフ)」(参照
  2. 「極東ブログ: [書評]ミス・マナーズのほんとうのマナー(ジュディス・マーチン)」(参照

 あと一点は、「常識以前でございますが おばあちゃんの家事ノート(町田貞子)」(参照)かなと思って書架から取り出して読んで、そうだよなこれかな、とアマゾンを見るとすでに絶版。もちろん絶版でも中古で安く購入できればいいのではないかなと見ると2800円とプレミアム状態。本を見る人は見るもんだなとも思うが、案外他の書店とかにはあったりするのでネットを見ると、復刊リクエスト投票(参照)にリストされているものの、こうある。

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2004.04.29 ゆぴちん とにかく読みたい!
2003.01.12 玲子 まだ 絶版になっていませんでした。 購入可能です。

 年号を見るともう絶版だろうか。町田貞子の本はどれも金太郎飴的なので他の本でもいいのではないかと見ていくと、「娘に伝えたいこと 本当の幸せを知ってもらうために」(参照)は文庫化されていた。元の単行本は1999年だ。「常識以前でございますが」は1985年。ざっと15年くらいの時代の差がある。
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娘に伝えたいこと
本当の幸せを知ってもらうために
町田貞子
 二冊を並べて見ていくうちに、町田の基本的な主張は同じでも、「娘に伝えたいこと」は87歳の作品であるのに「常識以前でございますが」は74歳。どっちもお婆ちゃんじゃないかと以前は思っていたが、この年差は大きいなと思うことがあり、むしろ、「娘に伝えたいこと」はこれからマジで老人になっていく自分として再読するといろいろ考えさせられることが多かった。
 そして、なんでこんなことに気が付かなかったのだろう。「娘に伝えたいこと」は町田の絶筆なのだった。遺書と言ってもいい書籍だ。それから今、さらに10年近い年月が過ぎ、明治時代の女性というものが見えなくなるなか、いろいろ考えさせられる。
 読みながら、いろいろと明治生まれの人を思い出すのだが、基本的に彼らは現代の日本人より近代人の相貌をもっている。ある意味で精神が徹底的に若いし、合理的なのだ。女性の場合、専業主婦というのはむしろ少ない。もちろん、昭和初期までの近代化というのはそれでも第一次産業が主であり家族労働という側面もあるが、シャドーワーク的な主婦労働というのとは違っていた。いや、家事の労働も質が違う。そのあたりの微妙な部分が「娘に伝えたいこと」であり、その象徴が指貫だ。
 「常識以前でございますが」のプロローグ「銀の指ぬき」はこう始まる。

 私は、今年七十四歳になります。
 座っているそばには、合い間仕事にと持ち歩けるよう、つかいこんだ小出しの針箱があります。その中には銀の指ぬきが光って、そっと入っています。
 それは、私の結婚が決まった、いまから五十数年前に、母が私にくれた指ぬきです。母が使っていたのと同じ……銀製の。
 そのとき母は、私にその指ぬきを手渡しながら、
 「昔から秋田では、お針仕事がよくできるようにとねがって、母親は娘が嫁ぐときに、その娘の幸せを重ねてねがいながら、銀の指ぬきをあげたものだといいます。私もあなたのおばあさんから、そうやってもらったから、こんどは私が貞子にあげる番です」
 と話してくれました。
 短い静かなひとときでしたが、いまでもその場をはっきり覚えています。母は秋田の生まれ、そしてその昔、秋田は銀山をもち、銀細工の盛んなところでした。
 私の母は長いこと小学校の教師として働き、いまでいう兼業主婦ということになりますが、その忙しい毎日のなかでも、時間をみつけてはよく針仕事をしていました。かならず右手の中指に銀の指ぬきをして……。

 この話は14年後の「娘に伝えたいこと」の「はじめに」に続いていく。

 遡りますと十四年前(一九八五年)のことになりますが、光文社から刊行した『常識以前でございますが』のプロローグで「銀の指ぬき」のついて書きました。それが十四年経って、今また「銀の指ぬき」の話が蘇ってきたのです。

 話の要点は今度その銀の指ぬきを娘や孫娘に継がせるということで、その銀の指ぬきが象徴する女の生き方ということになる。そこが説教じみているし保守反動的でもあるのだろうが、この本の主眼になるし、冒頭たらたらと増田のことを書いたが、知っておけばいいような人生の知恵みたいなソリューションがあるにはある。
 ただここでちょっと私は意図的に話をずらしたい。
 同書にはこういうエピソードがある。

 私は相談にのって手製の『衣服ノート』のことをいろいろお話ししました。
 その帰り際にお嬢さん方が、「先生が出された『常識以前でございますが』を私たちは読んで、そこで初めて『銀の指ぬき』のことを知りました」と言い出したのです。

 これな。1985年、私が28歳のとき。私はどういうわけだがいろいろお譲さん方を見ていたものだが、つまりこのお嬢さんたちは私の同級生くらいだ。彼女たち真性お譲さんたちは『常識以前でございますが』をさらりと読んで嫁に行ったのだった。もっとも、このシーンのお嬢さんたちはそれから10年後、現在ようやく40歳といったあたりの年代だろう。

 さらに「先生のところにあるその銀の指ぬきがどんなものか見せていただきたいのです。私たち、本を読んですごく憧れましたから」と言うので、「ああ、そうなの。それじゃ、お見せしましょうね」と、私は母からもらった銀の指ぬきを出してきました。
 初めて銀の指ぬきを見たお嬢さんたちは、実際に指にはめてみながら、「わあ、これ素敵! こういうもんがあるんですね」と喜んでいました。
 お嬢さんたちの喜ぶ姿を見て私が「あら、あなた方、それ欲しいんですか」ときくと、「そうですね、どこかで売っていれば欲しいですけど……」と言うのです。

 町田の視線とおニャン子世代のお嬢さんたちの視線は少し違っている。
cover
絹糸でかがる
加賀のゆびぬき
大西由紀子
 彼女たちには銀の指貫は美しい骨董品のようなものであり、また失われたある日本のノスタルジックな美学のようなものだ。町田にしてみれば、もっと近代的な世界の何かだったのに。
 私の同世代の、かつてのお嬢さんたちは今頃、嫁がせる娘をもっているだろう。銀の指ぬきを渡しただろうか。というのもこの伝承は町田が言うような日本の伝統というより、西洋の伝統臭い。町田の母も近代人でありそうした流れのなかの近代幻想なのではないだろうか。

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2008.02.26

ロス疑惑、米国捜査再開

 日本時間で今朝未明にロス市警の記者会見があるというのを昨日知ったので、どういう発表があるか気になっていたが、国内報道を見る限り、新証拠が提示されたということではないようだった。ニュースとしては、今朝方の朝日新聞系”新証拠、明らかにせず ロス市警「2、3年前から捜査」”(参照)を引用しておく。他紙及び他の国内報道も同じようなものであった。


 会見した未解決事件捜査班のリック・ジャクソン班長は、三浦元社長が度々サイパンに旅行している事実をつかんだ2、3年前から本格的に逮捕、移送に向けた協議を関係当局と重ねてきたと説明。新証拠の有無については回答を避け、サイパンからの移送についても「どれくらいになるか分からない」と話した。

 率直なところ新証拠はやはりないのかという思いが強い。恐らく昨日夕刻までには書き上げていただろう今朝の朝日新聞社説”ロス疑惑再燃―「新証拠」とは何なのか”(参照)はそこを読んでいたのかもしれない。

 米国の警察は「新しい証拠を入手した」と警察庁に伝えてきた。それは物証なのか、証言なのか。できるだけ早く開示してもらいたい。だが、やはり犯人だったのかと短絡するような見方は慎まなければならない。

 引用したのは、この「慎まなければ」のニュアンスを留めてみたいこともあった。私の印象では冤罪を避けるというより、三浦氏によるメディア攻勢はけっこう威力があったのではないか。
 関連するが後段のこの指摘は微妙な思いがする。

 ロス市警は元社長の身柄をロスに移すよう求めている。問題は、米国の警察の「新証拠」が、日本で確定した無罪の結論を覆すほどのものなのかどうかである。それによって、起訴されるかどうかが決まるだろう。

 つまり、「日本で確定した無罪」というのが「新証拠」とバランスするという論理なのだが、これは邦人の擁護という視点だろうか。私はこの2点は国家と司法という点で別ではないかと思う。
 同社説はこの27年も昔の事件をこう続けて振り返る。言うまでもなくこの事件が記憶にある人は現在35歳以上ということになるのだろう。

 銃撃事件の3カ月前、元社長の妻はロスのホテルで何者かに殴られてけがをした。この事件で元社長は共犯者の元女優とともに殺人未遂の有罪が確定した。妻にかけた保険金が動機と認定された。
 この公判途中の88年、元社長は銃撃事件での殺人容疑でも逮捕された。一審は共犯の実行役を特定しないまま有罪判決を下した。しかし、二審は逆転無罪を言い渡し、最高裁で確定した。
 現地のロスの警察や検察は、日本側と協力して捜査した。検察は元社長を起訴するため逮捕状を取ったが、最後は日本側の捜査に委ねた。すでに殴打事件の公判が始まっているうえ、容疑者らが日本にいるという事情もあったようだ。

 当時の気が狂ったような報道を知っている私はこのまとめでよしとするのには違和感がある。ただ、社説で書くにはこの程度かもしれない。ウィキペディアの同項目(参照)が詳しい。当時の感覚としては81年の事件と文春が発端となってマスコミが騒ぎ出した84年とでは事件の印象が違う。ある意味で後者が事件を作り出しているといったふうにも見えた。ついでだが吉本隆明は三浦容疑者(現在の新聞報道が容疑者としているのに習う)を殺人をするような人には見えないし、法理では無罪だろうとおりに触れて言及していたことも思い出す。
 事件についてはウィキペディアの同項目に「事件」というサイトの”「疑惑の銃弾」事件”(参照)へのリンクがあり、こちらは“Jane Doe 88”から始まっている。つまり、白石千鶴子の事件だ。これもロスで起きた。

白石千鶴子は結婚していたが、1977年(昭和52年)秋に別居し、1978年(昭和53年)2月から「フルハムロード」の取締役になった。1979年(昭和54年)3月20日に前夫と離婚が成立。間もなく「北海道に行く」と言い残し、行方不明になった。3月29日に出国し、5月4日に遺体となって発見された。このとき、千鶴子は34歳だった。三浦は3月27日に出国して、ロスに滞在しており、4月6日に帰国している。

5月8日、千鶴子の銀行口座に前夫から慰謝料430万円が振り込まれる。


 なんらかの配慮があるのかあまり明快には書かれていない。ロサンゼルスタイムズのアーカイブには84年3月29日の記事”Mystery Only Deepens as Japanese Woman's Body Is Finally Identified”があり概要には次のように記されている。

Jane Doe No. 88, the partly mummified corpse discovered nearly five years ago on a Lakeview Terrace hillside, was positively identified Wednesday as Chizuko Shiraishi, the long-missing mistress of a Japanese

 85年7月23日には”Japanese, L.A. Police Confer on Slaying Local Meeting Centers on Unresolved Murder of Importer's Wife”がある。

Then, in March of last year, the corpse of a woman found in a vacant field five years earlier was identified as that of Chizuko Shiraishi, 34, who by Miura's own admission once was his business associate and lover. Miura also admitted that he had used Shiraishi's bank card and secret identification number to withdraw $21,000 from her bank account shortly after she left Japan in 1979.

U.S. Immigration and Naturalization Service records showed that Shiraishi arrived in Los Angeles on March 29, 1979. In an interview, Miura said he was in Los Angeles at that time but that he did not know his former lover was here then and did not see her.

The Shiraishi case was assigned to Los Angeles Police Detectives Phil Sartuche and Bill Williams of the department's Major Crimes Division. They also have been investigating the Miura shootings, which occurred at Fremont Avenue near 1st Street on Nov. 18, 1981.


 かなり踏み込んだ書き方をしているようだが、当時の日本のマスメディアの情報以上のものはない。ただ、これらはロス市警にとっては、コールドケース(Cold Case)として意識されてはいるだろう。最近の米国の動向としてテレビドラマ(参照)やDNA鑑定による無罪化などの影響もあるのだろうが、コールドケースへの関心は全体に高まっている。今回のロス市警の公式アナウンス”News Release Saturday, February 23, 2008”(参照)でもコールドケースがキーワードになっている。

Cold Case Homicide Detectives Get Their Man

Los Angeles: A murder suspect who has been eluding dragnet has finally been captured.

On February 21, 2008, at 9:30 AM, detectives from the LAPD’s Cold Case Homicide Unit were informed that 60-year-old, Kazuyoshi Miura, was arrested on a warrant, charging him with the murder of his wife, Kazumi Miura, and conspiracy.

Mrs. Miura, who was 28 years old at the time, was shot on November 18, 1981. She was at a location in the 200 block of Fremont Avenue, in downtown Los Angeles. She died over a year later in Japan on November 30, 1982.

Miura’s was taken into police custody on the Island of Saipan, located in the northern Marianas Islands, a commonwealth territory of the United States. Cold Case Detectives have been closely working with authorities in Guam and Saipan, believing that Miura would be visiting the island from his residence in Japan.

Miura was arrested at Saipan’s airport on February 22, 2008, at noon.

Miura’s extradition is pending, and there is no additional information available at this time.


 当時のロス市警側のインタビューも、現在の日本のマスコミでは報道できそうにもないほどある種の執念を感じさせて興味深い。CNN”Japan businessman arrested in wife's 1981 killing”(参照)より。

The incident reinforced Japanese stereotypes of violence in the U.S. at a time when Los Angeles was preparing for the 1984 Olympics and was particularly sensitive about its overseas image. The LAPD vowed to find the killers.

Daryl Gates, who was police chief at the time of the killing, said Saturday that Miura was a key suspect even then.

"I remember the case well. I think he killed his wife," said Gates, who had not heard about Miura's arrest before he spoke Saturday afternoon. "We had Japanese police come over; they believed he was guilty, we believed he was guilty, but we couldn't prove it."


cover
Shocking Crimes
of Postwar Japan
Mark Schreiber
 加えてロス疑惑ことミウラケースがどの程度米国に知られていたかなのだが、96年に出版された”Shocking Crimes of Postwar Japan”(参照)では一章を当てていることから日本の犯罪に関心がある人にとっては、日米司法の差異を含めてある程度読まれていたようだ。同書はGoogle Booksから検索して主要部分を読むことができるが、白石千鶴子事件の言及もある。ただし、基本的に当時の日本のマスコミの二次情報のようだ。
 今後の展開なのだが、率直に言って私には皆目わからない。三浦容疑者については先日の万引き後の対応に私はあまり好印象を持っていないのでバイアスがあるだろうこともあまり言及したくない点だ。
 国内報道というか邦文報道ではなく英文の報道を見ていると、ある種の違和感があり、それらは今後の予想を示唆する部分がないわけではない。それほど重要な報道ではないだろうが、SanDiego.com” L.A. detective: Accounts differed in '81 Japanese businessman case”(参照)ではこうある。

Police Detective Rick Jackson said Monday that two witnesses saw a car pull up to the pair. When it pulled away, the couple were on the ground. Though witnesses didn't see the shooter, they said the car was different from the one Miura described.

 先のCNN報道にある当時の捜査官の回想を思うと、やはり新証拠はあるのだろうかとも思うが、新証拠というよりも、このジャクソン氏の発言程度の疑念でも、大陪審または予備審理による職業裁判官いずれかによる裁判に持ち込まれるのは通常ケースなのではないだろうかとも思う。陪審に持ち込まれると、日本人としては刮目すべき結果がでるかもしれない。
 今回の事件は連邦によるものではないが、結果としては日本の司法への意外な角度からの批判になるだろうし、繰り返される日米間のある種のいざこざの流れから別のスーリーが浮かばないでもないがそこまで与太話を想定する必要もないだろう。


追記
 その後、記者会見について邦文の報道が出た。関連するところを引用しておきたい。
 MSN産経ニュース”【ロス市警会見詳報】(1)「殺人現場を目撃していた第三者がいた」”(参照)より。


 彼のあずかり知らないことだが、現場から1ブロックに位置する高層ビルから、事件の一部始終を目撃していた第三者がいた。彼らの車両に関する証言は、三浦容疑者の供述と全面的に異なっていた。これが、当時の捜査の詳細である。そして基本的に、これが現在の流れである」
 --その目撃者らは、実際の銃撃を見たのか?
 捜査官「現時点でいえるのは、1台の車が止まり、視界をブロックしていた。その後、バックして、そして2人が倒れていた、ということだ」

 MSN産経ニュース”【ロス市警会見詳報】(3)完「(新証拠は)必ずしも必要ではない」”(参照)より。

--サイパンからの移送と、本国内の移送とでは手続きは異なるのか
 捜査官「私は移送の専門家ではないが、今回の移送は州間での移送とほぼ同じと理解している。三浦容疑者は、移送に異議を唱える権利がある。意見聴取が行われ、最終的に管轄地域の知事が判断する」
 --裁判になれば、カリフォルニア州法によって、カリフォルニア州の裁判所で裁かれるのか
 捜査官「そうだ」
 --未解決事件に着手する場合、新証拠は必要ないのか
 捜査官「必ずしも必要というわけではない。一般に、未解決事件の解決にはDNAや指紋といった新証拠が必要だと思われている。確かに、そういうケースは多い。しかし、ある個人に当たっていた焦点を再び洗い直すということもある。(未解決事件を扱う際には)関係者に対する聞き込みをやり直す時間もある」
 --日本で判決が確定した事件について、再び訴追することには問題はないのか
 捜査官「“二重危険”(日本でいう『一事不再理』に相当)についてだが、われわれは法律の専門家から、今回の件については二重危険に該当しないとの判断を得ている。法律によれば、われわれはここカリフォルニアで犯された罪については、たとえ他国で訴追されていようが、優先権をもっている。詳しくは、地方検事局に確認してほしい」

 
追記
共同”故三浦元社長が「容疑者」 79年の女性変死でロス市警(2009.01.10)”(参照)より。

米ロサンゼルス郊外で1979年、白石千鶴子さん=当時(34)=の変死体が発見された事件で、ロス市警は10日までに、事件を殺人と断定、元交際相手で81年のロス銃撃事件で逮捕され昨年10月に死亡した三浦和義元会社社長=当時(61)、日本で銃撃事件の無罪確定=が「容疑者だった」とする捜査報告書をまとめた。
 担当のリック・ジャクソン捜査官は、報告書作成によって捜査が公式に終結したとしている。新証拠はなく状況証拠を根拠にしており、真相解明は事実上困難になった。三浦元社長は生前、両事件への関与を全面的に否定していた。
 市警は銃撃事件で昨年2月に三浦元社長をサイパンで逮捕し、白石さん事件も再捜査。銃撃事件と同様に金銭目的の犯行とみて、元社長を殺人などの容疑で訴追する予定だった。
 ジャクソン捜査官は殺人と断定した理由について(1)34歳の白石さんが自然死したとは考えられない(2)遺体の発見された山林が普段人が入らない場所だった―などと説明。「米国では死因が特定されなくても状況証拠によって殺人事件で有罪とすることができる」と述べた。

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2008.02.24

簡単スコーン風クッキー

 最近とんと料理とかの話がないですねというわけで、たまにはね。で、料理ではないんだけど、さっき簡単スコーン風クッキーを作ったので、その作り方でも。
 バターとか、マーガリンやショートニングとか使わないでできるのがポイントです、ちなみに(塩もなしね)。

材料


  • 薄力粉(普通の小麦粉)200g
  • ベーキングパウダー小さじ2
  • 砂糖大さじ4
  • 卵1個
  • サラダオイル大さじ4(60cc)
  • 薄いチョコ(無くてもいい)

作り方
 小麦粉とベーキングパウダーと砂糖をおしゃもじでよくまぜる。ベーキングパウダーはラムフォードがいいと思う。
 次に卵をよく溶かしてこれにサラダオイルを入れてさらによく溶かす。卵には乳化作用があるので溶けます。できたらサラダオイルではなくピュアなキャノーラ油がよい。

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 粉と卵液をさくさくと混ぜる。ボロボロっていう感じがよい。

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 全体がしっとりしたら、これを手で玉にする。できるだけ練らないこと。でも、玉にまとまらないようなら水を足してもいい。
 それを平たく伸ばす。ここでもできるだけ練らないこと。厚みは5mmから1cmくらい適当でいい。

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 コップで型抜きをする。型抜きがめんどくさかったら、ナイフで碁盤目に切ってもいい。型抜きの場合は、端きれができるので、またそれをまとめて型抜き。3回で最後はいびつなクッキーにする。

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 型抜きしたクッキーをオーブンに並べて焼く。クッキングシートを敷くといい。オーブンの温度は220度。余熱あり。焼く時間は12分。(工夫すればオーブントースターでもできると思う。)

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 焼き上がったら、これでできあがりでもいいんだけど、チョコを乗せてみましたとさ。
 焼き上がったクッキーにチョコを乗せる。チョコの厚みによるけどクッキーの余熱で適当に溶ける。

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 できあがり。チョコが固まってから食べたほうがよいよ。
 さくっと軽くて、甘みもしつこくないし、思ったほど油の感じはしないはず。っていうか、そこがお菓子の怖いところ。
 ちなみに今回使ったチョコはこれでした。

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2008.02.23

超訳「片羽少女」

 ユーチューブの”Katawa Shoujo (Disablity Girls):An original visual novel”(参照)が面白くて、ちょっと訳してみようと思ったのだけど、口語が難しいのと、日本語としてこなれないんで、ええい誤訳ごまかしの超訳にしちゃえっていうネタがこれ。ついでに人名には漢字を充ててしまいました。
 関心もった人はもっといい訳にして、字幕ものでも作ってくれると吉。それと、これ、著作権とかでマジーとかでしたら、削除します。じゃ。

 * * * * * * * * * *

 僕は自分が窓の外を眺めているわけに気がついた。
 生徒が多数向かって行く大講堂には食堂がある。下に見える戸口から生徒があふれ出し講堂に向う。この学校の講堂は、まるで伝説の龍が居座っているみたいだ。あるいは丘の上に鎮座する王様。でもこの王様は巨大過ぎたし王位を守る気力もなさそうだ。
 講堂は昔、産業会館にも使われていたらしい。年季の入った装飾に満ちて、赤みがかった二層の瓦屋根は古風な日本建築。大工たちは完璧を狙っていたのだろう。
 お弁当はそこで食べることにしよう。

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 僕は廊下の先を見る。最初に三年生の教室があって、その向こうに表札のない教室がある。静かだ。誰も僕のじゃまをしない。廊下を進み戸に手をかける。
 教室のようだけど、しばらく使われた形跡がない。机と椅子が散らばって埃がかっている。薄暗いのは、重たいカーテンが窓を半分覆っているからだ。埃が少し舞って光りの筋が何本も見える。
 僕は誰もいない教室なのにふざけて声をかけてみる。「誰かいっ……」
 言葉を詰まらせた。
 ショートヘアーの女子生徒が机に腰をかけている。
 でも変だ。男子の制服を着て、ズボンの先の足の指でフォークを掴んでいるし、そこには食べ物が刺さっている。
 僕は彼女が最初よく見えなかった。深い影が彼女を影そのものにしていたからだ。彼女は僕を見つめながら、フォークの食べ物を口に入れようとしていた。僕も口を開けたまま彼女を見ていた。突然、僕は何って言っていいかわからなくなった。

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 「どうしたの?」彼女は声をかけてきた。
 フォークは置いてあった。僕はそのときようやく彼女の上着の袖が肩からそのままだらっとぶらさがっているのに気が付いた。
 「あの、僕はちょっとお弁当を食べる静かな場所を探していただけなんだ。誰かいるなんて思わなかったんだ」
 「でも違った。私がいたんだもの」
 「君が先にここを取ったってこと?」
 彼女は眉をしかめて僕の言ったことを疑っているようだった。
 「いい勘してるわね。で、君、誰?」
 この子はすごいストレートだな。
 「僕? 中井久夫。今日転校してきたんだ」
 「私は手塚凜。握手でもしたいところなんだけど、私がどういうふうなのかもうわかったでしょ?」
 僕は彼女の意図をさぐろうと首を傾げたとたん、ギアを入れ替えるみたいに脳の中身が入れ替わる感じがした。彼女の言っていることがわかった。
 「腕、ないの?」
 「その発言、今日は君が一番乗り。君、けっこうまともな注意力があるね。これで5ポイント・ゲット。それ以前の対応もいいから、あと2ポイント上げる。君の合計得点は7ポイント」
 何が言いいたいんだろ、この女の子。そう思っているうちに、彼女は僕のことなんか気にせず食べ物を見つめている。
 「わたし、ここで食べてていいよね? 君が気にしなければっていうことなんだけど。だから君もそこにいていいし……一緒に食べる?」
 「ご自由に。っていうか僕も自分の好きにするよ」
 僕は近くの机に腰をかけた。凜はまた足の指にフォークを挟んだ。僕もお弁当箱を開けて食べ始めた。
 「中井君って呼んでいいよね。中井君、どうしてここに来たの?」 凜は口いっぱい食べ物をほおばりながらきいた。
 「静かなところだったら、どこでもよかったんだ」
 「そういう意味じゃなくて。あのさ、中井君もわかっていると思うけど、ここにいる生徒ってみんなどっか壊れているじゃない。でも中井君って、見た目フツーじゃない。それとも中身がイカレているとか?」
 「あたり。中身のほう」
 「当ててみようか。わたし、勘がいいんだ」凜は唇にフォークをあてて天井を見る。天井に答えが書いてあるのかもしれない。窓から差し込む光の筋が彼女の横顔を照らし、半面の横顔を暗くしている。
 「頭がイカレているってことないわよね。からだのほうが何かフツーじゃないのよね。私の食事みたいに」 そして彼女は不意を突いて言った「パンツの中身に関係しているでしょ?」
 思わずご飯が喉に詰まって僕は死にそうになった。
 それはないよ。でも、凜の瞳には確信と驚愕が浮かんでいる。
 「アタリでしょ! つまり、チンコに問題がある」
 喉にご飯を詰まらせている場合じゃないな。僕の名誉の問題ってやつだ。咳き込みながら僕は反撃に出た。
 「すごい言いようだね。しかも男子服の女子生徒から言われるなんて。ここって学校だよね」
 「あのね、わたしこう言われているの。『君のような学生がスカートを履いて行動していると他の学生に好ましくない影響がある』って。意味、わかる? わたし、納得はしないけど、ここは学校だし、しかたないかな」
 僕は喉に詰まったご飯にまだむせているのに、アメフトで強烈にタックルされたって感じ。
 「チンコの問題よりはマシかも。心臓だよ。不整脈。親とか先生が、僕はこの学校に転校するのが一番いいんだってさ」
 凜は口をすぼめて僕を睨んでいる。勘が外れたのがそんなに悔しいのかよ。
 「つまんない。チンコ問題のほうがみんなで楽しめるのに」
 「がっかりさせてごめん?」
 そして言うべきこともなく会話も行き詰まった。見つめ合っているのもなんか気まずくて、二人とも食事に専念した。
 でも僕は横目で彼女を見て考えていた。髪の毛は赤毛。っていうかオレンジ色。ショートヘアー。腕がないってことはロングヘアーにはできないってことなんだろうな。それと男子生徒の服装を着ていることと、腕がないことで痩せて見えるわりに胸が強調されている。魅力的というかどきっとする。深海色の瞳は窓の光をすべて吸い込んでいるわけではないけど、深い井戸のようにいろんなものを秘めてるみたいだ。
 凜は普通の人が手を使うみたいに器用に足を使って食べている。でも、普通の人はそういう光景が不快なんだろう。特に食事とかだと。
 しばらく二人とも黙って気まずくなっていたから、僕は勇気を出してこの変な女の子に話しかけてみた。
 「いつも食事は一人? つまり僕は不意のお客さんっていうかさ」
 「そうね、今日最初のお客さん。でも、いつもわたし一人で食べているわけじゃないよ。たまに友だちと屋上で食べる。彼女がどたばたしなければなんだけど」
 「どたばたしないって?」
 「スポーツ好きの女の子なの。彼女は私をよく理解してくれる。彼女も切断手術受けているし。普通に足がないってだけじゃないけど」
 「そうなんだ」 もっと話を引き出すコミュニケーション能力っていうのが僕にはないのか。凜が最後の一口をほおばるとまた二人沈黙した。僕のお弁当箱ももう空っぽ。どうしょう?
 「無理して一緒にいなくていいよ。これからちょっと私は夢の国に行くから。それと、もし君が今日最初の登校だとしたら、校庭にでもいて、他の人が食事しているときは他をうろうろしないほうがいいよ。以上であります。あとは君が寝ている女の子を見ていたいかどうかってこと」
 僕は凜の言っていることがよくわからなかったけど、冗談でもないみたいだった。少し考え込んでいると凜が突然笑い出したから、つられて僕も笑顔にしたみた。
 「じゃ、向こうに行って。わたしこれから半日くらい眠るの。いろいろ夢が必要なんだから」
 「そう。それじゃ、他に行くよ。いろいろ教えてくれてありがとう」
 「どういたしまして。誰かとお喋りするのも久しぶりだったし」
 僕たちはそんなに話したわけじゃないけど、大切なことだったと思う。
 「また話でもできるといいな、手塚さん」
 「『凜』って呼んでいいよ。君とは十分うまくやっていけると思うし」
 「うん。僕は『久夫』で」
 「じゃあね、久夫君」
 僕は教室を出て自分の顔を終了するみたいに戸を閉じた。「面白い女の子だなあ」と独り言を言った。
 「聞こえてますよぉ」と教室の中から凜の声がした。どきっとして気まずい感じで僕は講堂に向かった。


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2008.02.22

[書評]小林秀雄の恵み(橋本治)

 橋本治は直感から本質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。
 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山本七平)」(参照)で触れた山本の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの難しい理路がそこでよく解明されている。現存する小林秀雄についての評論で、私が読んだなかでは、山本七平のこのエッセイがもっとも優れている。ちなみにそれに次ぐのは竹田青嗣「世界という背理 小林秀雄と吉本隆明」(参照)だろうと私は思うが、だいぶ劣る。江藤淳の「小林秀雄」(参照)は労作だが資料的な意味しかないだろう。
 山本七平はそこまで小林秀雄の本質を理解しつつも、それでも意図して「本居宣長」(参照)には踏み込まなかった。二十年したら言えるかもしれないとトボケていた。もしあの時の山本にあと二十年の命があり、あるいは八十歳という年齢を迎えることがあったら、彼の親族のトリ様のように語ったかもしれない。
 山本が「本居宣長」に踏み込まない理由には複雑なものがあるが、それでもあえて言うなら吉本隆明が「悲劇の解読」(参照)で感得したようにそこに戦後のすべてを無化しようとする妖しい魅力を感じたからだろう。もっとも吉本は同書の「小林秀雄」の項目を読めばわかるが、小林のこの妖しい書籍を理解してはいない。理解などもしたくなかっただろう。山本と対談するときでさえ、そこいらのボンクラ左翼のように天皇への親和を感じる山本への疑念を不愉快に表明したほどだ。近世史の機微は吉本にはわかりえない。吉本の親鸞考察が親鸞伝説をほとんどあっさり捨象している様からもそうした傾向はわかる。
 しかし、山本七平の天皇への親和というのはただ近代国家の王制のごく儀礼にすぎず、そこから逸脱する現人神との格闘が彼の戦後の孤独の戦いだった。そしてこの決戦において、あえていうのだが、小林秀雄が勝利の地歩を得たことを知った。「現人神の創作者たち」参照)によって本居宣長の残した怪物たちは打ち倒したが、その怪物を育てた噴泉である本居宣長を壊すことは山本にはできなかった。できない理由もわかっていただろうし、そこにまた小林へのある畏怖をも覚えただろう。その感覚は私は共感的に理解できる。

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小林秀雄の恵み
橋本治
 橋本治にはこうしたことはさっぱりわからないだろうと思う。橋本を貶めていうのではなく、本書「小林秀雄の恵み」(参照)はそうした、戦後は終わったという暢気な地点で、しかも小林の死後二年後に、実質、「本居宣長」だけを読んで書かれたものである。本来なら薄っぺらな本になっても不思議ではない。それに橋本なら、三島由紀夫の自決をなぜ小林秀雄が否定しなかったのかをまず読み解かなければならないものだが、本書にはまるでその考察はないのだ。
 もっとも、橋本は吉本とは異なり、近世世界の言葉と思想の感覚をかなり明確にもっているという強みがあり、そのことは本書の半ばでかなり生かされている。というか、橋本はもうこのおちゃらけ文章をやめて普通に老成した学者であってもよいのではないかとも思えるほどの熟達した考察がそこに開陳されていて読み応えがある。
 そしてその達成でいうなら、橋本治は小林秀雄より本居宣長という人を的確に理解している。少し踏み込んで言うなら、いわゆる本居宣長の学術研究からは見えない宣長の本質を橋本は本書でうまく言い当てている。私もおちゃらけで言うのだが、宣長という人は、擬人化萌えのオタクでしかないのだ。今の世にあるなら、はてなダアリーあたりでゴスロリ論とかエヴァンゲリオン論でもやっていそうな、そういう人なのだ。あるいは「語学と文学の間」(参照)ではないが、匿名ダイアリー(増田)あたりでこっそり若い日の恋愛をぐちゃぐちゃ書いていても不思議ではない。
 橋本は「本居宣長」しか読まないことを、ある意味で本書方法論上の強みとしての仕掛けにしているので、そこを批判しても始まらない。実際のところ、彼は方法論としての無知だけに寄っているわけではない。「無常という事」(参照)や、新潮社側の仕込みどおりに戦中の小林の講演「歴史の魂」を引き寄せ、それを縦横に使いこなしている。特にこの講演テキストは事実上戦後封印され2000年以降の全集で姿を現すものだ。これを使わないことには、「本居宣長」も解明などできるわけでもないが、そのあたりは戦中から小林を見ていた吉本隆明などには自明であっても、従来の「本居宣長」論では事実上封印されていたに等しい。その意味で、このミッシングリンク的な接合は誰かが行うべきだったので、それを新潮社が自作自演っぽく実行したのもしかたないことだろうし、橋本治は十分にそれに答えている。しかも橋本治のような団塊世代・全共闘世代にその仕事をさせれば、その世代の言語感覚から、今後退職を迎えるこの世代の人も読むだろうという新潮社側のマーケット感覚もずばりというところだろうか。
 だが、橋本治は小林秀雄と折口信夫の関係すらも理解していない。そのため、ちょっとこれは編集で削れよというくらいのおちゃらけ展開もあり、滑稽というより悲しい部分がある。同じことは「感想」(参照)についても言える。橋本はベルクソン論である「感想」と「本居宣長」の構成はよく似ているとしながら、そしてその同構造にこそ重要な契機が潜むことは、文庫版「本居宣長」の巻末における小林秀雄と江藤淳との対談からもわかりきっていることなのに、彼は「感想」は小林秀雄が自ら封じたから読まなくてもよいのだとしている。それも橋本らしい方法論的な手法といえないこともないし、「歴史の魂」だって事実上封じられたものではないかというのも大人げない。いずれにせよ、小林秀雄と本居宣長の関係について、橋本は最初に大きな禁じ手を置いている。
 いや、橋本治はその禁じ手の意味をまったく知らないわけではない。というのは、本書「小林秀雄の恵み」は、批判的な意味ではなく、戦略的な意味での評価として言うのだが、「本居宣長」を読ませないための作品でもあるのだ。あるいはあえて迷宮に叩き込むように作為されている。特に、冒頭の宣長の遺書を小林が結語で再読して欲しいとした意図を無化しようとしているための構成に端的に表れる。それは橋本が宣長の本質は学者ではなく歌人であり、小林にはそれがわかってないとするしかけにも存在している。
 なぜ橋本はこのような迷宮を構築したのか? 
 私はここで迷宮をあえて暢気に爆破しておこうと思う。
 小林秀雄が「本居宣長」を通して言いたいことは、奇っ怪だが、そう難しくはない。人は素直な心(やまとたましい)をもって人生の機微の情に触れ、それを日本語という歴史の言葉にそって整えていけば、近代世界にあっても、その内面において死後・永世の世界への展望が自然と確信の形になる、と言いたいのだ。
 最初から死後・永世の世界への確信があるわけでもない。ユング派のミンデルが、魂というものが永遠にあるのだと想像してごらんなさいと脳天気に言うようなものでもない。それはむしろポランニ的なパーソナルな契機が働くのであり、あるいは後期ハイデガー的な、言葉というものの存在生起の先行性による果実なのだ。
 だからこそ小林はその説明の仕事を終えたとき、「本居宣長」の冒頭においた、宣長の遺書をもう一度読み直してごらんなさいというのだ。宣長先生のように学べば、このように、この世の様を保ちながらも、永世の中に生きる確信を得るという矛盾が統合するのだ、と。
 もう少し踏み込んで言おう。橋本は宣長を歌人とし、そこに小林の学者とする理解との差を強調する。が、なんのとこはない、じっちゃんは微笑むだけだろう。歌人であるということは、歌によってやまと言葉でやまとたましいの情を整えていく行為であり、学びであり、契沖のいう俗中の真の道にほからない。宣長は学びはなんでもいいと言っているが、その学びとは日本語という言葉の学びなら、いずれその真なるところから歌の情に至るとの確信が小林にあるからなのだ。
 問題はむしろこの先にある。これも端的に言ってみよう。小林秀雄は怪人宣長のように、あるいは、オンム・セティのように死後・永世の世界を穏和に身の丈で受け止めていたのだろうか?
 それは愚問に等しい。なぜならその表明が『本居宣長』という作品であり、そして、それは戦後の世界のなかで、昭和という悲劇が殺傷せしめた日本人の鎮魂と再生の祈念だったからだ。
 だからこそ「本居宣長」を吉本隆明が直感的に忌避し嫌悪したのは正しいし、山本がまたここに悪夢を感じたのも正しい。小林は深く日本の歴史に毒を残した。それは一種の宗教とでもいうべきなにかだ。山本夏彦は小林を神がかりと率直に言った。
 だが、そこにそれだけでは解決できない難問は残る。吉本が喝破したように、およそ民族国家というのは宗教によっているのだから。
 ここまで言えば、そういうお前は小林教を信じるのかと問われているに等しい。
 私はそれを信じていない。そもそも古事記というのは偽書だと言うにはばからない私である。古事記は道教だぜとも言う。ではなぜ、私が、小林に惹かれ、宣長に惹かれるのかと言えば、私の人生が日本人の、日本語の情というものによって成り立っている根底的な限界の意味を受容する他はありうべくもないからだ。
 むしろ、私の死はその限界を超えるものであってもよいに違いないのに。

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2008.02.21

[書評]反哲学入門 (木田元)

 率直に言うと暇つぶしくらいの気持ちで木田元「反哲学入門」(参照)を買った。というのも、たぶんまたいつもの木田先生の著書と同じ内容なんじゃないかなと高をくくっていた。が、比較的新刊書っぽいし、見開いたところにちょっと気になる話(subjectという言葉の歴史の解説)があったのと、前書きを見るとまたぞろ口述筆記本らしいが木田先生だからいいかと思った。夜、眠くなるかもなと読み始めたが、やばいやばすぎる。すごい面白い。二時間くらいで読めるが、もったいなくて読書速度が遅くなる四時間くらいかかる。すると徹夜になると思ってとりあえず閉じた。

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単行本
反哲学入門
木田 元
 本書の内容は木田ファンなら特に目新しいことはないと言ってもいい。講談社学術文庫「反哲学史」(参照)と同じと言っていいかもしれない。その意味で結局本書も「反哲学」とメルロー=ポンティ風なタイトルになっているが、要するに後期ハイデガー論である。なので当然、ハイデガーや「存在と時間」(参照)も出てくるし、「ハイデガー『存在と時間』の構築(木田元)」(参照)のダブリがあるのだが、なんというのか、本書はところどころ、はっとさせられる。要点をかなり踏み込んで言い切っているためだろう。あるいは、すいすいと読める読書の速度が理解の全体像を捕捉しやすくしている。それでいて要所のディテールはしっかり語られていて、つまづきがない。たぶん、哲学プロパーというか哲学関連の院生とかでも得るところは多いのではないか。もちろん、ディテールで木田先生それは違いますよといった点はあるのだが(ケプラーとか)、それはそれとしてしかたない。
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反哲学入門 (新潮文庫)
 ハイデガーについては、私は率直なところ竹田青嗣も木田元もなんか違うなという印象を持っていた。特に「極東ブログ: ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル」(参照)で触れたあたりだ。本書でもそのあたりはやはり踏み込まれていないのだが、ゲシュテルの視点と木田による後期ハイデガー論のリンケージというか総合理解みたいなものを得る機会は得られた。
 またこれは自分の無知の表明でもあるのだが、「極東ブログ: 「自然」という言葉を愚考する」(参照)あたりの考察もかなり整理できた。
 ソクラテス、プラトン、アリストテレスの三者の微妙な関係についてもかなり腑に落ちた。特にソクラテスについては孔子なんかでもそうなのだが思想家というより史実の人物としての理解も必要になるのでそのあたりは少し勉強しなおそうかなとも思った。
 読みながらはっとしたというか、「そうなんです、木田先生!」とうなるのは次のようなところだ。

 しかし、デカルトの「理性」とわたしたち日本人の考えている「理性」の違いを意識している日本の哲学研究者はほとんどいないのではないでしょうか。デカルトを読みながら、当分自分たちも同じ理性をもっていると思い、そのつもりでデカルトを理解しようとしているようです。

 小林秀雄の愛読者である私は「方法序説」(参照)を高校生時代に読んだし、小林秀雄のいう「常識」くらいには理解していた。が、その後チョムスキーを体系的に読むことになり、特に「デカルト派言語学 合理主義思想の歴史の一章」(参照)と「言語と精神」(参照)でデカルトの言う理性の意味がわかり愕然としたことがある。と同時に、みんなデカルトを理解しているのか、チョムスキーを理解しているのか、と叫びたいような衝撃を受けたものだ。大げさといえば大げさなのだが、その思いはこっそり今でも抱いている。特に、昨今、チョムスキーがアメリカ批判の文脈でしかも先進的な科学者として語られているとき、チョム先生はデカルトと同じだよ、何を考えているのかみなさんわかってんのか、とかちょっと思う。いやちょっと理性を逸した書き方になってしまったが、木田元は本書でデカルトの「理性」をこう説明している。

 たとえばデカルトは、この本の本文の冒頭、つまり第一部の冒頭でこう言います。「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」。この「良識(ボン・サンス)は数行後に「正しく判断し、真と偽を区別する能力、これこそ、ほんらい良識(ボン・サンス)とか理性(レゾン)と呼ばれているものだ」と解説され、さらに「自然の光(lumiere naturelle)とも言いかえられています。そして、この「自然の光り(lumen naturale)は『哲学原理』(Ⅰ三〇)で「神からわれわれに与えられた認識能力」と定義されます。
 要するにデカルトの言う「理性」は、神によってわれわれに分かち与えられたものであり、われわれ人間のうちにありながらもわれわれのもつ自然的な能力ではなく、神の理性の派出所とか出張所のようなものなのです。だからこそ、そこに個人差はなく「公平に分け与えられていて」、これを正しく使いさえすれば普遍的な認識ができるのであり、のみならず、世界創造の設計図である神の理性の出張所なのだから、これを正しく使いさえすれば、世界の奥の奥の存在構造を捉えることもできるのです。
 わたしたち日本人も、「理性」という言葉を使うことはあります。「あまり感情的にならないで、理性的に話し合おうよ」といった言い方をすることは珍しくありません。しかし、そうしたばあい、私たちが考えているのは、やはり人間が持っている認知能力――生物として環境に適応するための能力の一種――の比較的上等な部分のことなので、わたしたちのもつほかのさまざまな能力と同じように個人差もあれば、その時どき働き方にも波があります。こんな「理性」の概念でもって、デカルトのいうような神的理性の派出所としての「理性」を理解しようとしても、できるはずはありません。

 とてもではないが、これは「分別」などと訳せるような概念ではない。そしてこの木田の解説からうっすらチョムスキーが見えてくる不気味さをなんと言っていいのかわからない。もちろん、チョム先生は「神」なんてことは言わないのだが、彼が説く人間の尊厳の根拠性としての創造力というのはほぼユダヤ教的な「神」に等しく、またその理性が進化論的な説明を拒絶しているのは往年のピアジェをコケにした議論からも理解できたものだった。
 チョムスキーの言う言語能力というのもこの理性の数学的な表現になる。言語能力とは構文能力であり構文の同値を維持しつつ変換する数学的な演算群なのだ。このあたりも本書の木田の説明が呼応する。ここでいう数学を言語に置き換えてみるとわかりやすい。

ところが、数学的諸観念、たとえば数の観念や幾何学的図形の観念は、感覚的経験に与えられたものから獲得された経験的観念ではありません。2や3といった数の観念に対応する対象や、純粋な二次元の平面に幅のない直線で描かれた三角形の観念に対応する対象が、われわれの感覚的経験に与えられることはけっしてないのです。にもかかわらず、われわれの精神のうちにはそうした観念がある。しかもすべての精神に普遍的にそうした観念がそなわっていて、それによって普遍的な数学的認識をおこなうことができる以上、こうした観念はわれわれの精神に生得的なもの、神が精神に等しく植え付けた「生得観念」だと、当時の人たちは考えたのです。

 チョムスキーの言う言語の生得性はこれとたいして違いはしない。
 他にもいろいろ啓発される指摘があるが、後期ハイデガーについて、次の説明はごくあたりまえものだが、木田が説明している以上の含みをもつと思った。いわゆるサルトルとの対比されるヒューマニズム論なのだが。

 ここでハイデガーは人間よりも〈存在〉の方が、そしてその存在の住まいである〈言葉〉の方が先だと主張します。ただ〈存在〉と言われても、雲をつかむような感じですが、『存在と時間』の時代には〈存在了解〉(〈ある〉ということをどう了解するか、〈つくられてある〉と了解するか、〈成りいでてある〉と了解するか)と言われていたものを思い出せばよいと思います。その後ハイデガーは、〈存在〉というものは、現存在(人間)がああ了解したりこう了解したり、現存在に左右することのできるものではなく、むしろ存在自体の方から現存在に、ああ現れてきたりこう現れてきたりするもので、現存在はそれを受け容れるしかないと考えるようになり、それを〈存在の生起〉と呼ぶようになりました。彼の考えでは、その〈存在の生起〉は〈言葉〉のなかで起きるのであり、だからこそ〈人間〉より〈言葉〉の方が先だと言うのです。
 (中略)
 しかし、ハイデガーのこうした考えた方が、人間より構造が先だと主張し、やはり反ヒューマニズムを標榜することになる二十世紀後半のフランスの構造主義やポスト構造主義の思想家たち、デリダやラカンやフーコーやドゥルーズといった人たちに大きな影響を与えたことは、ご存じの方も多いと思います。

 木田はこうして人間を越える構造や、人間主義的なものや形而上学の解体という思想史の理路を眺望させるのだが、それよりも、ハイデガーが戦争との関わりで見せた、民族主義化した情念的な政治実践傾向に、むしろ民族言語という経験=歴史の、人(現存在)への優位という奇っ怪なイデーが存在したのだろう。つまり〈存在の生起〉は民族言語として意識化された言語の内部から発生する。
 そこにある意味でファイナルな問題が存在する。それは小林秀雄の『本居宣長』(参照)のテーマである。後期ハイデガーと本居宣長の奇妙な連携のようなものも見えてくる。

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2008.02.20

米国偵察衛星のミサイル破壊

 米国偵察衛星のミサイル破壊実験だが、15日付け産経報道では”米衛星破壊、ミサイル発射は20日以後”(参照)とあり、そういえば今日だなと思い出し、欧米のニュースを見ると19日ロサンゼルスタイムズ”Pentagon might launch missile at satellite Wednesday”(参照)によれば米時間で今日ということだ。けっこう早いものだなと思うので忘れないうちに雑感程度だが書いておこう。
 米国偵察衛星のミサイル破壊実験についてだが、15日付け朝日新聞記事”米、偵察衛星をミサイルで破壊へ 人体に有害な燃料搭載”(参照)の書き出しが簡素に要点をおさえている。


 米国防総省は14日、制御不能で地上に落下する見通しのスパイ衛星を、大気圏再突入前にミサイルで破壊する、と発表した。衛星には人体に有害な燃料ヒドラジンが積載されており、地上への飛散を回避するのが主な目的。米国のミサイル防衛システムが人工衛星の破壊に使われるのは初めて。

 さらりと書いているがこの記事を書いた記者はかなり優秀で、今回の実験目的がミサイル防衛システム(MD)の一環である示唆を巧妙に含めている。

 発表によると、この衛星は米国家偵察局(NRO)が06年12月に打ち上げたもので、直後に制御不能になった。小型バスほどの大きさで、重さは約1.1トン。姿勢制御用燃料ヒドラジンを約450キロ積載している。2月下旬から3月にかけて地上に落下する見通し。

 サイズ的には大きいようにも思えるし、有毒なヒドラジン関連の米国説明もあながち嘘ということでもないようだ(ちなみヒドラジンを含む衛星落下の懸念が今回初ということではない)。が、米国艦船つまりイージス艦から海上配備型迎撃ミサイルSM3で打ち落とすということでこれはMD実験であることは明白だろう。中国報道CRIが17日付け”米の衛星破壊は「新たな戦略兵器の実験」とロシアは懸念”(参照)でロシアの懸念を伝えているのが奥ゆかしい。

 アメリカ国防総省が、制御不能になって地球に落下する恐れがあるスパイ衛星をミサイルで破壊すると発表したことに対して、ロシア国防省は16日、「アメリカは、新たな戦略兵器の実験を計画しているのだろう」と懸念を示しました。

 やはりわかりやすいコミュニケーション技術というのは必要なものでロシアはきちんとメッセージを受け止めているし、中国も中華風に伝えていることになる。
 今回の実験だが、ネットを見ていたら、先日の中国による衛星破壊実験を米国が責めていながら、その米国が同じことをするというのはどうよという意見もあった。この点についてはしかし、軍事的な威嚇という意味では正しいが、汚染について米国が理不尽ということではない。

 人工衛星のミサイルによる破壊は、07年1月に中国が実験として実施。破片が他の衛星などに衝突する危険性や、宇宙での軍拡競争につながりかねないとの懸念などから、米国などは中国を強く批判した。
 今回の衛星破壊について米航空宇宙局(NASA)のグリフィン長官は「中国の衛星破壊実験は高度約850キロで行われ、破片は数十年とどまるが、今回は(破壊高度が低く)破片は数カ月以内に落下する」と話し、問題はないとの認識を示した。

 上空約240キロの大気圏外で破壊になるので、この米国の認識は科学的に正しいと言ってよいだろう。そのあたりの科学的な理解がなく反米なり親中といったイデオロギー的な理解に矮小化しても問題は見えない。むしろ、SM3ってそんなに高度が上がるのかというのは強い軍事的なデモンストレーションになるのだろう。
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LA Timesイラスト
 気になるのは、中国もやったから米国もやった的な議論もまた、どうも浅薄な印象を受ける。詳しく情報を整理するのがめんどくさいので記憶によるだが、昨年1月の中国による衛星破壊だが、中央の北京政府側がきちんと軍事部門を統制できてなかったような情報の混乱と、さらに事後米国は中国を非難したが事前のプロセスでは実質的に中国が衛星破壊を行ってもよいと見なせるようなシグナルを出し、ある意味で中国がこれにひっかかったような経緯がある。陰謀論とまでのことではなく、こうしたシグナリングは軍事外交上普通のことだがそれでも米国が端から中国による衛星破壊を阻止しようせず、これを機会とする可能性と北京政府側のグリップを注視していたようすはあった。今回の件でも北京政府側はオリンピックなどを控え忍耐強く耐えているかのようだが案外米国の今回の実験に親和性をもっている可能性もある。が、経済関係で実際にはポールソン・ウー対談の失敗から米中関係が冷え込んできており、また中国政府投資の背景などもあり、いろいろ慎重にならざるえないというあたりが妥当な観測だろう。
 今回の実験について米国ジャーナリズムの受け止めはどうかというと、先のロサンゼルスタイムズの記事でも実質MDに焦点を当てていることから、やはり軍事威嚇としての理解は広まっている。16日付けニューヨークタイムズ社説”Taking Aim at a Disabled Satellite”(参照)でもその配慮が見られる。冒頭から衛星攻撃兵器(anti-satellite:ASAT)の話題が出てくる。

The United States has given a plausible reason for wanting to shoot down an errant spy satellite before it can tumble to Earth and release potentially harmful gas near the impact point. But that hasn’t calmed suspicions that what the Bush administration really wants to do is test its capacity for waging anti-satellite warfare.

 社説の次の指摘はブロガーに焦点を当てている点で興味深い。

Some experts and bloggers are skeptical that safety concerns are the main reason for this effort. They speculate that the Pentagon is worried that if the satellite does not burn up it might give away secret technology to any enemy that found it. Another theory is that the Navy really wants to test whether its missile might have applications as an anti-satellite weapon, or that the United States is eager to trump China, which shot down one of its own satellites last year. American officials firmly deny all of these speculations.

 米国では対抗ジャーナリズムとして"Some experts and bloggers"が存在感をもっている。引用後半部はすでに触れたように対中軍事的な疑念だが、前半の"it might give away secret technology to any enemy"という技術的な疑念もあるらしい。そこまでは考えすぎだろうと、日本のブロガーの一人として思うが。

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2008.02.19

[書評]脳を鍛える!(シンシア・R・グリーン)

 表題から連想できる程度のハウツー物なので「脳を鍛える! ボケないための8つの習慣」(参照)はブログで取り上げるほどのことはないかというのと、でも2002年の出版で新刊書でもないので弾小飼氏に献本されてもいないだろうから……。ただ読み方のアングルがハウツー的ではなかったせいか、自分なりには面白かった。

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脳を鍛える!
ボケないための
8つの習慣
シンシア・R・グリーン
 読んだ理由は、またしても「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)なのだが同書の対談者シンシア・R・グリーンの本の邦訳本を探したらこの本が見つかったのでなんとなく読んでみたというくらいだ。オリジナルは「Total Memory Workout: 8 Easy Steps to Maximum Memory Fitness」(参照)。初版は1999年らしい。邦訳は2002年。いずれにせよ古い本かな。邦訳はたぶん、「脳を鍛える」と「8つの習慣」という当時のベストセラーのドジョウ狙いがあったのではないかと思うが、オリジナルタイトルの「Total Memory Workout」の主眼は「全体的な記憶力」という点にありそうだ。そして「Memory Fitness」には老化防止の含みもあるだろう。ベイビーブーマー世代が老化を迎えそれにライフスタイルの一環として対応しようという意図がある。
 コットの書籍では、シンシア・R・グリーンはこう紹介されている。

グリーンはニューヨーク市のマウント・サイナイ医学校およびマウント・サイナイ医療センターに勤め、マウント・サイナイ病院における記憶力増強プログラムの創始者である。これは健康な成人のための記憶管理プログラムで、このテーマに関する最新の神経科学的研究を応用した「脳を鍛える! ボケないための8つの習慣」(手塚勲訳、山と渓谷社)の原理に沿った六週間の授業からなる。

 著者シンシアは医師であり、健康者を対象とはしているが本書は基本的に医学的な観点から書かれている。
 コットのインタビューでも強調されているが、シンシアの記憶増強の原理はAM原理とされている。Aはアテンション(注意力)、Mはミーニング(意味)である。記憶力を増強したいなら、記憶対象に注意力を払えるようにすること、そしてその意味を了解すること、ということだ。
 AM原理は、ごく当たり前といえば当たり前のことだが、いわゆる記憶力ハウツー本は本書の後半に書かれている、トリックフルな記憶術的訓練と習熟の関連が多い。つまり、コンピューターのように記憶を入れては出すといった頭脳を獲得したいという要望に応える書籍がどうしても多い。だが、AM原理はそれと本質的に異なっている(まったく異なっているわけではない)。全体的な記憶力にとって重要なのは、覚えるべきことにいかに注意を払えるかということであり、その意味をどう了解したかということだ。いわゆる記憶はそれに従属的なのだ。
 私自身おやっと思う間に50歳とかになってしまい、記憶力衰えたかなと思うことがある。アレなんだっけ思い出せないな、みたいな状況がある。爺だな俺みたいな。ただ、冷静に考えてみるとどうも自分が溜め込んだゴミのような記憶が膨大になっていて、それに対する注意力の配分が問題らしく、記憶力自体はそれほど若いときと変わってないようでもある。本書でも老人の記憶力低下とされているものは、病変でなければ、注意力の維持が年齢とともに衰えることだとされている。そう言われてみるとそのほうが思い当たることはある。
 新しいことを覚えるときでも、基本的に過去の学習の枠組みを応用してしまい、そしてたいていの場合はそれが有用なので、新規なものの学習が阻まれるし、新しい名称など過去の枠組みの名称分類に影響されるあたりが、記憶力の低下のようにも現れてくるのだろう。が、案外、若い学生さんとかでも同じようなことがあるかもしれない。若いときはいわゆる学習に向けるべき注意を散漫にする魅力的なことが多いだろうから。
 何に注意を払いどこに意味を感じるかということに、年を取ると過去の記憶が影響するのが問題なんだろうなと本書を読みながら理解した。
 関心や感覚をリニューしつつ、古い関心を整理して、注意力を維持し、未知な分野を理解しようとしてくと、それなりに脳の機能というのはそれほどは老いないものかな。そのあたりに関心がある人ならこの本、図書館とかで読んでみてもいいかもしれない。

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2008.02.17

[書評]記憶と情動の脳科学(ジェームズ・L・マッガウ)

 先日のエントリ「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)にも書いたが、コットのインタビュー相手、神経生理学者ジェームズ・L・マッガウによる、初心者向け書籍の邦訳がブルーバックスにあることを知ったので、この機会に比較的最近の脳機能の知識についてまとめておいてもいいかなと思い読んだ。「記憶と情動の脳科学」(参照)である。

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記憶と情動の
脳科学
 一読して、特に新しい知見はないなと思い、ましてブログに書くこともないだろうと思っていたが、もし書くとしたらどのあたりがポイントだろうかと再読してみて、これは重要な書籍かもしれないと考えを改めた。
 まず、これも先日のエントリ「極東ブログ: [書評]アリはなぜ、ちゃんと働くのか(デボラ・ゴードン)」(参照)ではないが、ちょっと利発な高校生くらいなら読んでおくとよい。ゴードンとは違った意味で、科学の考えかたというものがよく理解できる。
 本書だが一読して概ねたいしたことはないと思ったのだが、読みながら最初にアレ?と思ったことは、パブロフの古典的条件付けについてだ。これは間違いですとマッガウが断言し説明していた。率直に言うと30年前の私でもこんなソ連のバカ学者のくだらない理論が大手を振るっているのは、しかも米国で大手を振るっているのは、どうかしてんじゃないのと思っていたが、それでも主要学派の基礎理論っぽいのでどうでもいいやとしていたのだが、きちんとこれは間違いですという解説があったのでアレ?と思った次第だ。ちなみに、ウィキペディアの同項目(参照)にはつまらない話しか掲載されていない。どころか、ヘッブ学説がさも古典的条件付けを裏付けているような変な説明がある。

古典的条件づけのモデル
ドナルド・ヘッブは1949年、神経細胞間の結合強度(伝達効率)の変化によって古典的条件づけを説明できる仮説を提案した。こうした、神経細胞間の結合強度が刺激によって変化していく性質を、シナプス可塑性という。のちに生理学的にもその存在が確認され、ヘッブの法則(あるいはヘブ則)と呼ばれてる。

 ついでにパブロフの項目(参照)を見て、笑った。

晩年は睡眠や本能などを研究する傍ら、再教育を考えていたウラジミール・レーニンと親交を結び、条件反射の発見は「全世界の労働者階級にとって重大な意義をもつ」と賛辞が与えられた。

 いやはや。本書ではこう指摘されている。

 古典的条件づけが単に学習された反射から成るという見方も、また多くの実験によって問題されました。パブロフの研究室のほとんどの実験で、イヌは、「条件づけされ」て、装具で制限された状態でテストされていました。あるとき、食物によって(反応として唾液分泌を起こすように)訓練されたイヌが装具から解放されました。条件づけの刺激が示されると、イヌはすぐに給餌装置に走りより、装置に向かってしっぽを降り、装置に飛びかかろうとし、吠えたりしました。
 言い換えると、そのイヌは、食物を求める行動パターン全体を、非常にはっきりと示したのです。古典的な実験で条件づけされていたのは、唾液分泌反応というたった一つの反応ではなく、食物を求めるというシステム全体だったのです。

 皮肉な言い方をすれば、犬を縛り付ける装具が社会主義だったようなものだが、冗談はさておき、類似のS-R理論や報酬理論なども同じことが言える。

 報酬は、ヒトや他の動物がすることに影響します。しかし報酬が自動的にS-R結合を強化することによって影響を与えるのではないことが、現在でははっきりとわかっています。したがって「効果の法則」は、今となっては歴史上の遺物です。「効果の法則」は現代の学習と記憶の理論としては不適切なのです。

 この先でマッガウはなぜこんな間違いが科学とされてきたかについて「ハルが効果の法則を提唱した頃は、そもそも合目的的に動くしくみという発想そのものがなかったのです」として、合目的性が現代の学習・記憶理論の基礎にあることを示している。つまり、「合目的的に行動する能力には記憶が必要なのです」ということ。
 引用が多くなり、考えようによってはあたりまえのことだが関連をもう一箇所引用しておきたい。

重要なのは、ある出来事が、別の出来事が起きること(あるいは起きないこと)を予告する情報を持っているかどうかです。既に動物が持っている知識からのずれがあるとき、古典的条件づけは成立します。それよって、動物はさまざまな出来事の関係を理解し、自分を取り巻く世界のありかたを学ぶのです。

 合目的性や世界認識、予想といったものによって記憶や学習が秩序づけられている。さらにラットなども認識、判断による記憶の秩序付け、推論といったことから行動していることも示される。
 あたりまえなのだが、このあたりの科学について、どうもいわゆる応用された学習理論というか現場の教育理論のベースには至ってないように思われる。というか、現状の教育理論はいまだにS-R理論的な古い時代の理論に基礎をもっているように思える。
 いわゆる学習や記憶について、教育の現場では反復の重要性などが説かれているが、本書を読めばわかるように、それは脳機能の点からは概ね否定されている(だから反復的な学習が不要だということではないが)。「短期記憶と長期記憶は同一のプロセスで形成され耐久性が異なる」ということも否定されている。もちろん、長期記憶は時間をかけて固定するのだが、短期記憶とは異質なものだ。この異質性は、陳述記憶と非陳述記憶の差にも表れ、さらにそれが脳機能構造の差異にも由来する。
 具体的に、海馬、扁桃体、大脳皮質についての関わりが本書では丹念に慎重に語られているので関心ある人は一読されるとよいだろう。このあたりの説明だが、簡単に海馬が記憶を担っていますというような単純なものではない。加えて、「健常者でも猛烈に記憶すれば海馬の構造が変わる」という事実は何を意味しているのか現段階では不明だが非常に興味深い。
 本書からは箇条書きにできるような記憶や学習のコツを取り出すことは難しいし、そうした記憶力の賛美をマッガウはどちらかといえば否定している。だが、ストレスは記憶力の向上に役立つとはいえそうなので、学校とかの場所はストレスフルであったもよいのかもしれないなと寝惚けた感想ももった。逆に想起するときはリラックスしたほうがよさそうだ。
 結局、記憶とは何か? 脳の機構として見た場合、何なのか。そういえば以前、半分おふざけで「極東ブログ: おばあちゃん細胞が発見された」(参照)を書いたことがある。
 記憶や学習成果というのは、先にパブロフについてのウィキペディア項目からヘッブ仮説を引用したが、一般的にはシナプス可塑性から理解されることが多い。本書では、LTPとして扱っている。

 この活動依存性のニューロン結合の変化は、プリスとレモが「長期持続増強」と呼んだもので、今では「長期増強(LTP)」と呼ばれています。

 マッガウはこれに慎重な態度を示している。

 このように、これまでのたくさんの研究で、LTPが多くの条件で学習に関係していることが示され、そのことを疑う余地はほとんどありません。
 しかし、今までの研究で欠けているのは、LTPと学習が決定的に関係しているという証拠です。言いかえると、LTPが学習に必須であるかどうかを明らかにする証拠がまだありません。また、記憶を固定化する過程は時間がかかりますが、LTPがその過程の中のいつ起こっているかもわかっていません。

 マッガウはこの分野の世界的な第一人者であると言っていいだろうし(参照)、脳の形成にはごくあたりまえに進化論的な枠組みで考えている。が、すでに見てきたように、パブロフ的な単純な機械論や、シナプス可塑性がイコール記憶や学習の実体としているわけではない。むしろ、記憶の持つ合目的性という枠組みが見て取れる点は生化学の現在の側面をよく示している。

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2008.02.16

[書評]さまよう魂(ジョナサン・コット)

 邦訳「さまよう魂 ラフカディオ・ハーンの遍歴」(参照)が出版された1994年にざっと目を通していた記憶があるが、この年沖縄出奔など私事いろいろなことあり、そうした記憶に埋もれてしまっていた。ラフカディオ・ハーンほどではないが、自分もさまよう人生になりそうだなと思っていた。先日「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)でも触れたが「転生」を読んだ後、こちらの本も続けて読んだ。非常に面白かった。

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さまよう魂
ラフカディオ・ハーンの遍歴
ジョナサン・コット
 本書はラフカディオ・ハーンが日本に至るまで、新聞記者として書いたコラムが数多く掲載されている。アンソロジーの趣向もある。前世紀のシンシナティ、ニューオーリンズの情景も米国という国の理解を深める点で興味深い。また、マルティニークの描写にも心惹かれる。
 引用というのは長すぎる随所のラフカディオ・ハーンのコラムだが、読み続けていくうちに、コットがラフカディオ・ハーンの霊とインタビューでもしているような錯覚にも襲われる。詩人のコットならではの感受性によってしか掬い取れないラフカディオ・ハーンの魂が結果的によく描かれている。が、その分、学術研究ないし歴史的な人物評論しては描かれていない側面も多いのだろう。それでも、単純に人種差別主義だったかような浅薄な理解を排する力は十分に込められている。
 本書は、ちょっと年寄りめいた言い方になるのでためらうのだが、二十代から三十代の、文系的な感受性も持ちながら現代性にも適合する感覚も持っている男性が読むことで深い感動というか得難い読書経験をもたらすだろうと思う。たとえば、ラフカディオ・ハーンが28歳のときニューオーリンズで無一文かつ病を得たときに、知人に充てた次の手紙の一節は、若い現代日本人にも痛切に響くだろう。

 しかし、自分を改めない限り、この苦い二十八年――着実に悪化の一途をたどったように思える歳月――の向こうに未来はありません。自分を改めるのは不可能に近いことです。そう思いませんか。大きな意志も気力もない小男がこの素晴らしい国でできることなどないのではないか、そう思うこともあります。成功する者はかならず大きな肩と優れた品行の持ち主であるようです。私が追随しようとむなしくあがいてきた分野で成功した青年たちの軌跡を見ると、だいたいは首吊りか自殺か飢え死にで終わっています。発行人たちが巨万の富と世界的な評判を得るのは、不幸な理想家の作家たちが死んだあとなのです。二、三の例外はありますがそれは作家に並はずれた個人的な気力と生命力がそなわっている場合のことです。私の全本質は始まったことを続けろと訴えていますが、その先には飢えと病気しか見えません。人為的な要求を多少なりとも満足させるだけの財力もなく、最後は失意の底に落ちていくのでしょう。私はまだ完全に自信を喪失したわけではありませんが、自分のなかに潜んでいる価値のある何かを成し遂げる能力を伸ばす手段や暇があるかというと、はなはだ心許ないところです。

 ラフカディオ・ハーンの人生はその後もなんども無一文、野宿のような経験を経て、放浪の最後に、40歳で日本にたどり着いてまだ無一文のような状態になる。それは彼の生き方や性格にもよるとしか言えないところも多いが、本書のオリジナルタイトル"Wandering Ghost"、彷徨っているゴースト、としか言えない放浪の魂の必然が根幹にある。こういうと適切ではないのかもしれないが、ラフカディオ・ハーンは黒人やアジア人といった有色人種にしかおそらく性的な感興を覚えなかったようだ。異人や異世界でなんども自分を破滅させたいという欲望に駆られていたとしか見えない。
 本書の後半三分の一は、ラフカディオ・ハーンが日本に至ってからの話になる。この部分で描かれるラフカディオ・ハーンの像はこれまでよく流布されてきた小泉八雲像とそれほと変わっているものではないし、日本人からするとその日本賛美を勘違いしそうになる。だが、この日本時代へのある種の変化に、コットの視線は少しズレのようなものを描いている。
 コットは強調していていないが、工藤美代子「夢の途上 ラフカディオ・ハーンの生涯」(参照)のようにあるいは工藤の理解とは違うのだろうし「知られざるハーン絵入書簡 ワトキン、ビスランド、グルード宛 1876‐1903」(参照)のようにそのつながりは精神的なものであったことは否定しないが、40歳を過ぎてのラフカディオ・ハーンの精神的な意味での恋人はエリザベス・ビスランドと言っていいだろうし、妻セツとの関係は、恋愛とはまた違ったものだったのだろう。
 もちろん、ラフカディオ・ハーンはセツを愛していたし、その間に生まれた一雄の存在によって救われたとは言える。

 昨晩、私の子供が生まれました――黒い大きな目をしたとても元気な男の子です。
(中略)
 もしあなた〔エルウッド・ヘンドリック〕が父親になって赤ん坊のか細い泣き声を聞いたら、きっとあなたの人生で最も奇妙で最も強い印象を受けることでしょう。しばらくのあいだは、まるで自分の分身が現れたようなおかしな感じがすると思います。でも、それ以上に分析などとてもできないようなこともあります。――過去において似たような状況であらゆる父親と母親が感じたことの、人間の心の反響とでもいいましょうか。それはとても優しく、同時にとても精神的な感覚です。――
 人生の意味や、世界の意味や、あらゆるものの意味というのは、子供を持ってその子を愛するようになるまでは誰にもわからないでしょう。子供を持ったとたんに、宇宙全体の意味が変わるのです――何もかもがそれまでとは違ってくるのです。

 どこかのはてなダイアリーでも引用しているような感じもするが、汚辱と異世界を愛した放浪者ラフカディオ・ハーンが変わっていくのは、日本という世界より、セツと子供ということ、つまりは年齢といっていい何かによる影響でもあっただろうし、それは彼の人生の一つの到達的な結実でもあっただろう。
 しかし、コットの視線はそうした大団円を微妙にズラしている。コットがその地点で自分の感性をラフカディオ・ハーンに重ねられなかったからかもしれないし、その違和感がむしろ、日本に向かうラフカディオ・ハーンの印象的な後ろ姿のイラストで象徴したものかもしれない。
 本書の結末の言葉をここに記すのは未読者にスポイラーになりかねないが、コットが次のラフカディオ・ハーンの言葉で締めくくった意味は大きい。

私は個人――個人の魂だ! いや、私は全市民――十億の集団さえ越えた全市民だ! 私は数え切れないほどの世代、永劫の永劫だ! 何度となく私をつくっている群衆が離散させられてきた。としたら、次の分裂にどんな不安があるというのだ? そおらく、それぞれ違った太陽の王朝で一兆年も燃え続けたあと、私の最良の部分がまた集まってくるだろう。

 人はこれを詩と読むだろう。コットはここで沈黙する。「極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)」(参照)でふれたように、本書オリジナル刊行1991年を思うと、コットはその後、ラフカディオ・ハーンとの出会いの記憶を失った。詩でなければそこにとてつもない神秘が、まるでラフカディオ・ハーンの左眼の視界のように、現れている。

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2008.02.15

[書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット)

 先日のエントリ「極東ブログ: [書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)」(参照)の訳者後書きに、コットを評して「……、自らの鬱病と記憶喪失体験をめぐる『記憶の海の上で』など、多面的な好奇心を生かした緻密な仕事が特徴的である」とあり、気になってコットの最近の作品をアマゾンを見直したら、『記憶の海の上で』は、本書、「奪われた記憶 記憶と忘却への旅」(参照)という邦題でほぼ同時期に出版されていた。オリジナルは「On The Sea Of Memory: A Journey From Forgetting To Remembering」(参照)であり、05年の作品だ。有名なインタビューの復刻を除くと、比較的最近のコットの作品のようだ。

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奪われた記憶
記憶と忘却への旅
ジョナサン・コット
 邦訳副題が「記憶と忘却への旅」とあるがオリジナル副題の直訳は「忘却から想起の旅」となる。「転生」後書きからは、鬱病と記憶喪失が関連し、そしてそこからまたある想起に至ったのだろうかという印象を得た。そしてそはどこかしら「転生」のオンム・セティの生き方と共鳴する部分があったのだろうか。そんな思いににも駆り立てられ読んだ。感想に結論というのもなんだが結論はとても微妙な感じがする。エントリなりでも書いてみないとその感触がくっきりとしてこない。
 まず本書の構成だが、インタビューが中心になっている。そして、希代のインタビュー名手ジョナサン・コットだから、どういう対話と切り込みがあるのか、そこに期待が寄せられて当然だろう。だが、そこがなんとも不思議というか、通常優れたインタビューというのは対象者の本音というか、対象者を含む裏や社会背景までさりげなく引き出したり、対立する緊迫感を伴うものになるのだが、本書のコットは非常に内面的だ。自己主張的ということではない、対話が総合してコットの苦悩や懐疑に音楽的な調和を示しているような不思議さがある。
 そのあたりは、出版社からこてこてと書かれているアマゾンの紹介とは、かなり違う印象がある。

 『ローリング・ストーン』誌 創刊時からの敏腕インタビュアー、ジョナサン・コットは、危険性を知らされないまま、鬱病治療のため、計36回の電気けいれん治療--ECTを受け、その結果、過去15年間分の記憶を失った。本書は、いちじるしい記憶障害に苦しむ著者が、各界の専門家との対話を通して、忘却と記憶について多様な視点から思考を試みるノンフィフィクション。前半では、神経生物学者、老年学者、神経精神医学者などとの対話を通して、医学的、肉体的、物理的アプローチを試み、後半では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、チベット仏教の宗教家たちなどとの対話を通して、哲学的、精神的、神秘思想的アプローチを試みている。最終章の「追記」では、自分を知る親しい人たちと、自分と同じ境遇の作家との対話を通して、自分のこれからの生き方について探ろうとしている。記憶をなくした経緯が完全な一人称で語られる1章以外、ほぼ全編が対話形式となっている。


 超高齢化社会にともない、認知症の問題がますます深刻になっています。
 また、これは高齢者だけの問題ではありません。若年性のアルツハイマーを題材にした、現在放映中の長瀬智也主演のTVドラマ『歌姫』渡辺謙主演の『明日の記憶』、韓国映画の『私の頭の中の消しゴム』などがヒットするなど、若年の記憶障害も注目されるようになってきています。一方、人間の思考を科学的に理解する脳科学への関心も高まり、茂木健一郎氏などの本もよく読まれています。本書は「記憶と忘却」について、科学、医学、宗教、音楽、演劇など、フィールドを超えて考察した稀少な本で、読み物としてもおもしろく読めます。ロック雑誌の名インタビュアーで、本書の著者であり、患者本人でもあるコットの文章は一般の読者にも容易で、一気に読み進められるものです。人間にとって「記憶とは何か」を考える手がかりになります。

 出版社の意図がわからないでもないし、そういうふうな売り路線を見るのも誤りではない。が、一見日垣隆でもやりそうな啓蒙的なインタビュー集とはかなり違うのは、コットの内面から読者、おそらくある一定の人生経験における記憶の神秘に触れた読者の内面に呼応する不思議な部分だ。
 あえて単純に言えば、私たちの記憶はなぜ存在するのだろうかという本質的な問いに迫まってくる何かだ。記憶が今の自分そのものを示すプロセスであることについては本書の最新科学研究者の指摘が興味深いとして、消し去りたい記憶やあるいは基調な記憶の喪失ということがなぜ存在するのだろうか。
 出版社紹介にも触れているがコットは、ECTつまり電気痙攣療法(参照)によって、彼の才能の最開花期ともいえる1985年から2000年までの15年間の記憶を失った。彼の説明を読むかぎり喪失の原因はECTであるようにも思われる。そして「カッコーの巣の上で」(参照)のような非人道的な療法が現在でも行われているのかと、つい思いがちだが、ウィキペディアの項目にもあるように、現代でもこの療法は有効で安全だとされている。

術前の全身状態の評価を適切に行い、無けいれん電気けいれん療法を行った場合、安全で有効な治療法である。薬物療法による副作用での死亡率よりも少ないという報告もある。米国精神医学会タスクフォースレポートによれば、絶対的な医学的禁忌といったものも存在しない。[1] しかし、以下のような副作用が起こることがある。

 一応そういう医学評価が出ているし、薬剤がらみでもないのでナニワの浜六郎医師が登場する場面でもなさそうだが、コットの事例を見ていると私はこれは一種の高次機能障害ではないかという印象も持った。
 話を非科学的な部分に誘導したいわけではないが、神経生物学者ジェームズ・L・マッガの次の指摘は中立的なのではないだろうか。

― お話ししたように、私は何年分もの記憶を永久に失いました。
M 脳の損傷の研究では、逆向性健忘が数年間に及ぶことが報告された複数の症例がありますが、ECTがそのような影響をもたらすのは珍しいことでしょう。そういう記憶はかなり長い間固まっているように見えるという他に、長期間の逆向性健忘を説明できるうまい解釈はありません。
― 子どの頃の記憶と、人生の大半の記憶はきちんとあります。
M それは臨床的な記憶研究において、多数の証拠にもとづいて提唱されている一般的な結論と一致します。しかし、あなたが経験したと思われる類いの長期の記憶喪失を、ECTが誘発するのは異例でしょう。

 本書を読みながら、自分の記憶を失い、その記憶を親しい友人に頼って他者のように過去の自分に出会うコットの内面の動揺に親近感を覚えながらも、コットの記憶喪失はECTが原因だとだけは言い難いのではないかということと、「転生」という奇妙な作品に続けて読んだせいもあるが、コットの記憶喪失は87年刊行の「転生」との時間的な系列があるような印象を覚える。つまり、「転生」を書き終えたときコットは長い記憶の喪失の期間に入った……もちろんそこが話を非科学的な部分に誘導したいわけではないと前置きした部分でもあるのだが。
 本書はコットのある種の記憶というものの、人間存在の痛切な思いからいろいろと共感的に魂に突き刺さってくる部分が多い。さらに違和感のようなそれでいてさらに強く訴えかけてくる部分もあった。長く心に残る問い掛けのように残るのはユダヤ教ラビ、ローレンス・クシュナーの話だろう。

― 哲学者アヴィシャイ・マルガリートは著書『記憶の倫理』の中で、ユダヤ教の伝統において、許すことと忘れることをどう区別するかについて書いています。また、エレミア書にある神の言葉、「私は彼らの咎を許し、彼の罪を忘れるであろう」を引用します。そしてマルガリートは、神が許したことを神が忘れることはあるかもしれないが、われわれは許すことはあっても、忘れることはないと言っています。
K その言葉は好きだけど、嫌いでもありますね。ユダヤ人はこの概念に固執しています。これはアマレクに関する命令にまで遡るわけですが、人びとがあなたに対してやったことを思い出さなければならない、でないと人びとは同じことを繰り返す、という考え方です。でも、たとえば、虐待されてきた人がすべてを忘れるためには、何が必要なのかも考え合わせなければなりません。なぜなら、覚え続けていると、それがその人を虐待し続けるからです。残念なことに、今日多くのユダヤ人の中にその傾向が見られます。私個人は、ワシントンのホロコースト博物館への特別招待を何度もお断りしました。思い出したくないからです。また、私のことを犠牲者として思い出すなんて、世間の人にとっては時間の無駄だと思います。私がその恐ろしさを覚えておきたいのは、あのようなことが私にも、他の誰にも、二度と起こらないようにするためだけです。


 明らかにユダヤ人は、ホロコーストによって、狂気に駆られた技術主義国家の強大な力の犠牲になることの意味について、恐ろしい教訓を得ました。しかし、現在同じ状況で苦しんでいる他の人びとをどのように助けるかを忘れてしまったように思われます。そのことを問題にしたい。
 以前所属していた教会で、「大量虐殺に反対するユダヤ人」をスローガンに掲げるグループを作るのに私は手を貸しましたが、そのグループの名前は「われわれでなければ、誰が?」でした。そのようなやり方で、私はホロコーストの記憶に応えようと思います。私はガス室の写真を見たいとは思いません。ですが、大量虐殺が現在行われているルワンダやその他の地域の写真は、関心をもって見ています。私はそのことをひとりのユダヤ人としては心の底から知っています。ですから、そのことが私なりの社会的責任を負わせているのです。そのことは忘れたくありません。

 クシュナーの話はそこで終わり、これを受けるコットの言葉は記されていない。

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2008.02.14

主婦の友休刊を聞いて

 雑誌「主婦の友」が休刊するという話を12日のニュースで聞いた。時代かなと思ったが、私が読んでいた雑誌ではないしそれほど気にかけてもいなかったのだが、それからぽつんぽつんと思い出すことがあった。
 休刊というのは実際には廃刊になる。今年の5月発売の6月号が最後になるらしい。歴史は91年に及ぶという。長いと言えば長いのだが、先日まで少年だったような記憶が入り交じる自分は50歳なので、私が生まれころは40年くらいの歴史だったということになる。朝日新聞記事”老舗女性誌「主婦の友」今年6月号で休刊”(参照)によるとこう。


同誌は「主婦之友」の名称で、主婦之友社(現主婦の友社)を設立した石川武美社長が1917(大正6)年2月に創刊。「家庭生活の向上」をめざし、月刊の総合婦人雑誌の草分けとして、主婦向けに生活情報や教養などを提供してきた。

 大正6年と聞くと随分古いものだと思うが、その時代から昭和の初期はある意味でハイカラな自由主義的な時代でもあったので、今読み返してみても面白いのかもしれない。だが、こうして歴史を考えるとむしろ戦中に至る時代や戦後の時代のほうに関心が向く。継続的に刊行されてはいないだろうが(3月号で通巻1173号)、時代時代でどのように「主婦」の関心事を受けていたのだろうか。
 関連記事を読むとピーク時には単号で180万部に達したとのことだがその時代はいつだろうか。70年代か80年代か。競合の「婦人倶楽部」「婦人生活」「主婦と生活」は80年代から90年代に休刊したことから、最盛期は70年代ではないか。というと、私の母親がいちばん主婦らしい時代だったはずだ。
 家には「主婦の友」だったかわからないが、分厚い主婦雑誌があった。内容の記憶はほとんどない。が二つ思い出したことがある。一つは、新年号の家計簿の付録が主婦には重要だったらしいことだ。本誌よりは薄いが立派な家計簿がついていた。あれで実際には年間購読を募っていたようだった。記憶と辿ると、当時は本屋が家にやってきて配達していた。もう一つの記憶は、内容の記憶はないといいつつそこに袋とじのページがあった記憶がある。つまり子供に見せないという配慮なのだろうが、子供としては見られないものがあるということについ関心を持った。
 今頃になって推測すれば、袋とじの内容は出産関連か性行為に関連する記事だろうと思う。そしてそう考えてみると、そういう情報を提供するためのメディアでもあったのだろう。
 主婦雑誌というジャンルが90年代になくなっていったわけではない。「サンキュ」「すてきな奥さん」「おはよう奥さん」といったいまではコンビニ販売系の平閉じ雑誌が刊行されていたから、ただ時代に合わせた世代交代というものだったのだろう。それと、雑誌というのは基本的に広告媒体なので、広告主の変化もあるのかもしれない。
 そういえば、蛍雪時代は生き残っているようだが、中一時代や中一コースといった学習雑誌は無くなった。それも90年代に入るころだったようだ。この手の雑誌で、私は富島健夫のティーン向けの小説をいくつか読んだことがある。タイトルは忘れてしまったが、ちょっとエロという感じだ。富島健夫か。なんかネットに情報があるかなと思ったらウィキペディアに項目があった(参照)。

富島 健夫(とみしま たけお, 冨島とも, 1931年10月25日 - 1998年2月5日)は、日本の小説家・官能小説家。


「喪家の狗」(1953年)で芥川賞候補。その後ジュニア小説に進むが、それまでタブー視されていた性の問題を正面から扱った。ジュニア通俗小説と見られつつ、『制服の胸のここには』、『純子の実験』など、独自の世界を作り上げた。1970年代には官能小説にも進み、生涯を通じて数百冊の作品を残している。

 「1970年代には官能小説」とあるのは「おさな妻」あたりからだろうか。と、リストを見直すとたぶん団塊世代には胸キュンものの小説がずらりとあり、官能小説家への変化は自然な流れだったのだろう。
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雪の記憶:
富島健夫
 私はなぜかというか角川文庫で出たときの「雪の記憶」(参照)を買って読んでいる。なんだか思い入れがあって処分しないと思うので実家にもまだあるはずだ。が、これが事実上彼の処女作に近いようだ。1958年の作品というから、私が生まれた時代の恋愛や性の意識を描いている。

敗戦と同時に引き揚げてきた小島海彦にとって、心の支えは毎朝電車で出会う少女・雪子だった。やがて二人は言葉を交すようになる。雪子に、やるせない思いを抱き始める海彦だが、ある日雪子から恋文を受け取り…。富島青春文学の最高傑作。

 現代から見ると柴田翔「贈る言葉」(参照)の「十年の後」の一世代前版みたいなもので、私くらいまでは、最初のおセックスに至るまではなにかとこの手の物語があったものだった。いや今でもあるんだろうけど。
 「雪の記憶」の主人公は小島海彦は引き揚げ者とある。私の父も引き揚げ者だった。その世代の最後が五木寛之になり、「風に吹かれて」(参照)にも関連する話があった。あらためて五木寛之と富島健夫を比べると一つ違いであることに驚く。

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2008.02.13

コソボ独立宣言、迫る

 コソボ独立宣言が迫っている。ニュース報道では17日という予想が多い。この問題について私が特定の見解を持っているわけではないが、時代のログとして看過できないので簡単に触れておきたい。
 この問題は、大筋では地位問題である。国家の地位問題は日本近代史さらには日本近隣国家の問題として重要な問題を示唆する部分もあるだろう。
 ウィキペディアを見ると単独の項目が立っていて(参照)、簡素な説明がある。一言でいえばこうだ。


コソボ地位問題(又はコソボ地位プロセス)とは、国連暫定統治下にあるセルビア共和国のコソボ地域の最終的な国際法上の地位を確定する問題。

 概要も手短にまとまっているが、実際的な問題化はコソボ紛争の関わりが深い。

 コソボは1991年にユーゴスラビア連邦共和国(当時)からの分離独立を宣言した。これを国際的に承認したのはコソボと同じアルバニア人国家であるアルバニアのみで、国際承認というプロセスにおいてコソボは独立国と見なされず、国際的にはあくまでもユーゴスラビア(その後、セルビア・モンテネグロ、次いでセルビア)の一自治州と見なされていた。
 一方1999年のコソボ紛争後、コソボにおけるセルビア人部隊が一斉にセルビアに引き上げ、これに代わって国連コソボ暫定行政ミッション(United Nations Interim Administration Mission in Kosovo:UNMIK)の暫定統治下に入った。ここにおいてコソボはセルビアの実効支配下から完全に脱する事になった。[1]
 従って1999年以降のコソボは「独立国ではない」ものの「特定国家の実効支配下にない」という非常にあいまいな地位に意図的に留め置かれている。
 「コソボの地位問題」とは、究極的にはこのあいまいな状態を脱して「独立国」とするのか、それとも「現状を維持」するのかという議論に集約できる。

 つまり今回の独立宣言の予想は、この問題を住民側から一歩進めることになる。
 そこで懸念されるのはコソボ紛争の悪夢だ。コソボ紛争についてもウィキペディアを引用しておく(参照)。多少セルビア寄りの視点を感じる人もいるだろう。

 一向に進展しない情勢に業を煮やしたアルバニア人住民の中には、ルコバの非暴力主義では埒が明かないと、武力闘争を辞さない強硬派のコソボ解放軍(KLA)を支持する者も多くなった。またアメリカやEUがコソボ解放軍を支援していたとの情報もある。コソボ解放軍は1997年7月頃からセルビア人住民へ対しての殺害や誘拐などのテロ活動を行うようになり、1998年には遂にユーゴ連邦政府は反乱を鎮定するべく連邦軍(実質セルビア軍)を送り込み、コソヴォ解放軍との間で戦闘となった。しかし、セルビア軍やセルビア人民兵がアルバニア人の虐殺を行ったことが明らかになり[1]、人道面からユーゴ政府に対する非難の声が上がった。
 アルバニア人による自作自演とセルビア側は主張しているが、西側マスコミはこぞってセルビア軍の残虐さを強調した。国際連合はユーゴにコソボからの撤退を要求したが、当時のミロシェビッチ大統領は「自国の問題」と拒否した。

 とりあえず以上が今回も問題の背景だが、近いところでは、結局このブログで触れなかったのだが、3日行われたセルビア大統領選挙が重要だった。単純に色分けすれば、極右とされるセルビア民族主義系のセルビア急進党ニコリッチ党首代行に対して、再選を目指す親欧米系の民主党タディッチ大統領の争いだった。結果はタディッチ大統領が勝利し、欧米側としては胸をなで下ろした形になったが、皮肉な見方をすれば、経済的な関係でEUと縁を切るわけにもいかないというセルビアの現実路線の結果でもあっただろうし、国政を担う元ユーゴ大統領でもあったコシュトニツァ首相にはセルビア民族主義系の支援層も強く、そのあたりからコソボ独立に向けて奇妙な動きも懸念されるといえば懸念される。
 私はこの問題の本質によくわからない点があるので、ごく単純に本質はロシアとEUの問題だろうと思っている。約200万人の住民構成からすればコソボはアルバニア人が9割を占め、EUや米国も独立承認に賛成の意向を持っているので、問題は反対勢力が浮かび上がる。セルビアが反対するのは元領土ということで理解できるが、これを国際問題上難しくしているのは国連の常任理事国でもあるロシアがセルビア支持に回っていることで、広義にはロシアの民族主義的な動向の力の問題だろう。冷淡に見ると、コソボが独立しても経済的にはセルビアが利する面のほうが大きいようにも思われる。
 もう少し踏み出していえば、EUはセルビアをも飲み込む形で動こうとしているのをロシアが阻止したいのだろうし、ロシアの思惑はEUとNATOの分断を目論んでいるのだろう。
 NATOを中心とした流れで見ていくと、アフガン問題におけるNATOの躓きも結果的にはロシアを利する方向に動いていく。だが、そうであればEUはもっとアフガン問題に関わっていくかというとそうではない。むしろ、穏和な形で各国のナショナリズムが国際問題を遠隔化していく。この傾向は日本も同じだ。そのなかで表面的には反米意識が鼓舞されることになる。そして当の米国はこれも単純にいえば大統領選挙もあり、また金融問題からも米国自身が国内問題に目を向けすぎている。
 とはいえ、実際にコソボが独立宣言を出した場合の動乱も予想される。EUは関わらざるをえないし米国も巻き込まれるだろう。ロシアはすでに巻き込む気概で固まっているようにも見える。
 こうした当面の問題に対して、日本、そして中国も対岸の火事のように傍観しているし、傍観を越えそうな気配以前にロシアは日本にもちょこっと威嚇をかけているようにも思われる。
 単純に見れば、新冷戦構造とも言えないことはない。だが、経済の流れから見れば、ロシアとEUは一蓮托生になっていくだろうし、EUは長期的にはより国内の民族問題を抱えていくのだろうから、ロシア的な国家モデルが先行しているかもしれないし、賢いプーチンのことだからどっかに痛みのある落とし所を想定しているのかもしれない。

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2008.02.11

[書評]転生 古代エジプトから甦った女考古学者(ジョナサン・コット)

 「転生 古代エジプトから甦った女考古学者」(参照)のオリジナルを読んだことはないがけっこう古い本なので復刻かなと思ったら、後書きに訳者田中真知が「本書をルクソールの本屋で見つけたのは十数年以上前である」と書いていて、そうかと思って奥付を見ると、昨年11月20日の初版だった。ついでにこれが新潮社刊だったのかとあらためて気が付いた。

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転生
古代エジプトから
甦った女考古学者
 オリジナル”Search for Omm Sety: A Story of Eternal Love”(参照)は紅渡が生まれた1987年だ。最近、古い本でも訳者からこれ絶対に面白いっス的な企画が大手出版社に登るようになったのかもしれないな。そう、これ、絶対に面白いっス。
 とまで言っていいか、ちょっとためらうところもある。ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者諸賢とかには気持ち悪いのではないだろうか。アマゾンの紹介はこれだものね。

内容紹介
私はファラオの愛人だった! 3000年前の記憶を持った女性の驚くべき人生。

20世紀前半、英国に生まれたドロシー・エディーは、自分の前世が古代エジプトの巫女であったことを知り、昼は厳正なエジプト学者としての評判を高めてゆく一方、夜になると幻視を通じて過去の記憶に入っていった。ついにナイル渓谷にあるアビドス神殿に住みつき生を終えた女性の特異な転生体験を辿る異色ノンフィクション。


 間違いではないし、率直に言って、現代日本で出版するとなるとマーケットとしてはその当たりを狙わざるを得ないのだろうとはいうのもわかる。そして、新潮社売りの枠組みがなく何の予備知識もなく第一章から読み出すとけっこう面食らうというか、これって、角川書店「ザ・シークレット」(参照)かよというか、講談社「江原啓之 本音発言」(参照)かよとか、文藝春秋「冥途のお客」(参照)かよとか、大手出版までハート出版なのかよ的状況に圧倒されるというか、いや芹沢光治良最晩年の「神の微笑」(参照)シリーズを出版させちゃったさすがは新潮社というか。なんだかアフィリリンクだなこりゃ。
 冗談はさておき。本書「転生」については、そういう昨今の、オウム事件もすっかり忘れましたなという世相のオカルト循環の文脈で読まれるのは仕方ないし、米国でも本書は、Reincarnationサブタイトルが強調されることもある。だが、本書はそうアチラの世界だけの関心で読んで面白い本ではない。むしろ、腐女子というかオタク少女というかそういう幻想に突っ走ってしまう系の女性の物語としても読めるし、いや女性というのは案外理念型としてはみんなドロシー・エディーみたいなもんよとも読めるし、女性本質の文脈を除いても人が内面に従って生きる気魄の物語とも読める。英国人というかアイルランド人気質の女性ドロシー・エディーが後半生エジプト国籍を取得し、オンム・セティなり、名声もカネも一切拒絶してただ自分の個性化だけに生きて死んだ物語りとしても読める。というか私はそう読んで圧倒されましたよ。立って半畳、寝て一畳ならぬ、砂漠のわずかな砂となる。
 オカルト的な文脈が読書の障害になるなら、本書は、むしろ訳者後書き、そして第七章エピローグから読まれてもいいと思う。特にこの第七章では、転生したされるドロシー・エディーことオンム・セティについて著者ジョナサン・コットが、どう考えたらよいのかというのを冷静に扱っていて、普通の近代人にとっても受け入れやすい、妥当な見解が導かれている。単純に言えば、ドロシー・エディーの生涯の意味は、転生を信じなくても十分に理解できるものではないかということだ。もちろん、それはすべてを短絡的な合理性に還元するものでもない。ジョナサン・コットがインタビューした、マイケル・グルーバー博士の次の提言はわかりやすい。

 オンム・セティを「虚言症」や「統合失調症」といって片付けてしまえば彼女の経験を切り捨てることになります。ご存じのように、オンム・セティの経験は、彼女の人生に充実した意味をもたらしました。健康あるいは正気を示す基準が、仮にその人が創造的で、思いやりをもち、規律正しい生き方をしているかどうかと関わっているとすれば、オンム・セティはまちがいなく、この条件を満たしていました。彼女は社会にたいして、多くのきわめて有意義な貢献を行っています。

 私もこの考え方に同意する。オンム・セティを「虚言症」や「統合失調症」といって片付けてしまいそうな、いわゆる科学的な批判ほうが偽臭いのは、そもそもこうした内的な体験の領域が科学の問題ではなく、また体験の外的な表出が社会のルールの問題であることを隠蔽にする点にある点だ。社会のルール、あるいはさらにその社会的な貢献や規律において律せされるべき問題に、倫理でありえない科学を擬似的に倫理を変形して持ち込み、本来なら社会の融和たるべき倫理性に断罪的な属性を強いるのは欺瞞だろう。
 とはいえ、このこと、つまりオンム・セティの転生ということが、簡単に片付くわけでもない。単純な話、オンム・セティはいいけどエハラーが間違っているとはいえないということになるし、前世を信じる少女や外面的にはおばさんにしか見えないけど内面は少女たちの、前世確信を、おそらくオンム・セティの生涯という物語は鼓舞することになるだろう。それでいいのか、私は少し違うだろうという思いもある。
 第七章ではユングも登場しているし、夫人も。特にユング夫人によって、ユング派では、それは言わないお約束がぽろっと語れてもいる。死や前世といった神話は、私たちの人生の意味的な了解の必然的な形態の一つのなのかもしれないし、私がおちゃらかしている19世紀的科学的社会主義者諸賢の活動も実際には同次元の神学的な、宗教的な闘争にすぎないのかもしれない。そしてこの問題は、お前はどう生きるのさ? どう死ぬのさ?という問い掛けをやはりオンム・セティの生涯が持っていることを示しているし、おそらくオンム・セティの強烈さはそこに、ある種の普遍的な宗教性を暗示させるところにある。さらに、およそ人類に文明というものが数千年の規模で残存されている意義についてもちょっと奇っ怪な理解を強いる。
 私はこの本を読みながら、ユング夫人が内緒のお約束をぽろっと述べたように、小林秀雄だの本居宣長だのも、それほどオンム・セティと変わらない人生の意味了解をしていただろういう奇妙な確信を深めた。
 もうちょっと私も踏み出して言えば、この書物は、著者や訳者が意図していたかどうかわからないが、オンム・セティの直の言葉の系列がもたらす、ポリフォニックな奇っ怪な意味合いがあり、その系列をある種の直感力のある人なら読み解いてしまいかねない。
 本書は、1987年に出版されたときは、副題が”A Story of Eternal Love”(永遠の愛の物語)とされた。つまり、愛の物語の側面を持っており、オノ・ヨーコも「オンム・セティの三千年の愛の強さを感じる魅惑的なラブストーリー」(訳者後書きより)としていた。だが、この物語は、死を渡る罪と許しの物語という枠組みがある。

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2008.02.10

人類文明についての与太話・序説

 そろそろコソボ問題に言及しとくべき時期にきているようだけど、なんとなく昨日の続きのような与太話。今度は人類文明編。でも、書いてみたら今朝の除雪ならぬ、序説っぽくなってしまった。
 高校生のころ図書館にトインビーの全集があって学校の世界史の勉強の参考書というか批判的参考書がてらにぽっつりぽっつり読んでいた時期があった。具体的なことはあまり頭に残っていないが、文明をフラットに見る感じと、微妙に大英帝国的な世界の感性の影響を受けたかと思う。彼は四大文明という発想を捨てるというか拡張し細分化していた。そのころ自分が思ったことで今でも覚えているのだけど、文明というのはようするに今の文明につながっているかどうかということだけが問題の軸なんじゃないかな、今の文明と途絶した文明というのはけっこうどうでもいいんじゃないかな、いや、むしろそういう文明こそが、我々の文明が学ぶべき点があるのかなとか、そんなことだった。
 今でもあのしょーもない四大文明説は学校とかで教えているのだろうか。さすがにそれはないと思うが、高校生向きと思われるネットの「世界史講義録」(参照)とみると困惑する。”第3回 文明誕生”(参照)にはこうある。


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四大文明
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 農耕が世界各地で始まるのですが、その中で文明と呼べるものを生み出した地域が四つあります。すべて、大河の流域に生まれました。
 メソポタミア文明---ティグリス・ユーフラテス河
 エジプト文明---ナイル川
 インダス文明---インダス川
 黄河文明--------黄河

 古い順に列べてあります。
 長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから、ここでは覚えなくてもいいです。
 それぞれの話は次回以降にやります。
 今日はこの四大文明の共通点を確認して終わろう。


 味わい深い。「長江文明を言う人もいますが、まだ評価が定まっていませんから」だそうです。私が高校生だったら、ゲリラ的に別の教材プリント作ってばらまいてしまいそう。で、この「長江文明」もちとアレげな感じはする。アレげというのは梅原猛のあの変な議論みたいな。ちなみにウィキペディアの同項を見ると。

長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る[1]。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。

また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある[2]。


 これもちょっとなと思う。が、読み進めるとそれなりにウィキペディアらしい説明があるのでそれはそれでいいのかもしれない。ちょっと気になったのだけど、この項目の関連では中文しかリンクがないのはなぜなんだろ。余談ついでにいうと、中国古代史関連では史記とか真に受けちゃう暗翻丹が多いんで困る。
 関連で話を少し戻すと。

このように河姆渡遺跡は明らかに黄河文明とは系統の異なるものであり、それまでの中国文明=黄河文明と言う図式のみならず、古代文明=世界四大文明と言う図式をも壊し、当時の定説を大きく覆す事になった[3]。

 だからというわけではないが、四大文明説はゴミでもいいかなという面もある。ただ、ここでやっかいなのは、文字の問題だ。

2004年現在、長江文明・四川文明とも体系化された文字は見つかっていない。ただし、文字様の記号は見つかっており、その年代は紀元前2000年 - 紀元前600年とされている。現在出土している最古の甲骨文字が紀元前1300年くらい(武丁期)のものなので、これが文字だとすれば甲骨文字に先んじた文字と言う事になる。

 ほいで、それをちょっとスタックに入れておいて、四大文明(参照)についてのウィキペディアの説明に戻ると、それなりに現代啓蒙的。

世界四大文明(せかいよんだいぶんめい)とは人類の歴史において、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れをくむという歴史観に基づく概念である。四大河文明とも言う。

四大文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明をさした。

この考え方の原型は梁啓超の『二十世紀太平洋歌』(1900年)にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている。この考え方はアジアでは広まったものの、欧米では受け入れられなかった。また、考古学研究が進展した現代では、初期の文明を4つに限定する見方は否定的であり、四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものといえる。


 そのあたりは現代人のFAでいいのだが、問題は先の「文字」ということになる。スタックからポップ、と。
 歴史というのは、書かれた文字という性質があり、ようするに文明というのは文字の観点からつい見られる。いちおう無文字文明という概念も成り立つのだが、そこでどうしてもある種のひっかりがあり、ジュリアン・ジェインズ(Julian Jaynes)の提唱する二分心(Bicameral Mind)のような問題意識はつきまとう。
 そういえばとジュリアン・ジェインズ関連をウィキペディアを見るとあまり情報はないが(参照)。

Julian Jaynesは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない進化段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、古典文献・神話学・考古学・心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。

 与太話でどさくさで言うと、私も、文明というのはどうも「3000年前に生成した」というのでよいのではないかという感じがしているというか、そこから多元文明論や無文字文明というのをフィルターというか整理していいような感じがしている。そのあたりと、「銃・病原菌・鉄」(参照)で与太話が展開できそうな感じはする。
 その前にジュリアン・ジェインズに戻って、彼については英語の同項目が当然詳しいのだが、この「二分心」の主張は1976年の”The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind”(参照)によるもので、トインビー級に古い。なのでその後の展開としてはトインビー並にシカトの憂き目にあっているのかと思うと、英語の同項がやや微妙(参照)。

Jaynes's hypothesis found little acceptance among mainstream academics. This was partly due to the perception that Jaynes was pandering to the general public[citation needed], and because he did not offer The Origin of Consciousness for peer review.

His proposals generated great controversy when first published, and provided impetus for many other scientists and philosophers to investigate the matters it discussed in detail in order to attempt to refute its arguments.[citation needed]


 文明史学のメインストリームからは無視という感じではある。なお、この項目、[citation needed]が多いようにちと偏向もあるかもしれないし、古い問題持ち出すなか、あるいは今でも問題か。
cover
神々の沈黙
意識の誕生と
文明の興亡
 というあたりで、なぜかこの本、日本では2005年になって翻訳された。「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」(参照)。アマゾン読者評を見るとこれが30年前の古い本なんだよということは理解されてないかもしれない懸念もある。
 同書については別の機会に触れるかもしれないけど、このところ70年代の本とか読み返すと、随分得るものが多い。
 話を少し戻して、ジュリアン・ジェインズ説へのコメントを見ていって、そういえばこれがあった。

Richard Dawkins addressed the subject towards the end of his book The God Delusion in an attempt to discover where religion comes from. He says about it: "It is one of those books that is either complete rubbish or a work of consummate genius, nothing in between!"

 私のようなぬるい人はそのビトゥイーン・ライオンみたいなリンボにいるわけだけど、ドーキンスはこうしてみるとけっこうお茶目。
 どうでもいいけど、与太話の本題に入る前に話が長くなってきたので、本題はまたいずれ。

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2008.02.09

後人類的知性についての与太話

 与太話でも。先日、3日の日経コラム「春秋」(参照)にこんな話があった。もちろん、コラムだし些細な話である。春秋の筆法という趣向ではない。


ベランダに放置してあるプランターに、勝手に生えてきたタンポポやスミレが早くも花をつけている。狭い人為的な空間でも、みごとに生態学的な地位を築く草花のたくましさに驚く。心配なのは、彼らも我ら人類も、生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件が、今大変動しているという科学者の指摘だ。

 春秋子、あまり科学的なものの考えをなさらないのであろうが、科学少年の慣れて果てでかつ無粋なダーウィニストである私はこんなことを思った。「生存の基礎を全面的に委ねている地球の気候条件」とかいうけれど、別段温暖化がどんどん進んで人類が滅んでも、生命が途絶するわけではないよ、心配すんなよ、と。
 氷河期だってなんどもあったんだし、そのおかげでむしろチャンスが回ってきたのが人間種の祖先だった。
 もともと地球上の酸素は生物が、牛のゲップみたいに吐き出したものだし(いやそうではないけどね)、その総量もそれほど多いわけでもない。人間種が炭素濃度を変化させることで自身の種の生存環境を壊滅しても他種のチャンスが回ってくるだけのことだ。というか、人間種は恐竜なんかと同じように種としてはすでに生存に失敗してしまったのかもしれない。この手の生存はある種のインフレーション後に一気に瓦解的に滅亡してしまうものではないだろうか。ありふれた種の滅亡パターンの構成をそう逸脱してないようにも思える。
 人間種が滅んだあと、何か別の種が、人間に近いようなあるいは人間以上の知性を獲得し、そしてそれが人間のように自らを滅ぼさないような知性にまで到達したなら、人間種のことは地球にとって、「ま、あれはなかったことにしよう、ノアよ」みたいに、忘れ去れていいような挿話に過ぎないことになるのだろう。ただ、その新知性生命が、人間種なり、あるいは人間種の知性と関わりを持つかどうかわからない。
 とか私は考えていた。
 私の考えは変だろうか?
 べたなダーウィニズムからの逸脱はないのではないか? どうなんだろ。
 なんか変な感じがするのは、人間種の知性が撲滅したあとでも、何億年くらい後に、また生命による知性の到達の可能性があると想定するあたりが、どうよ?ってことだろうか。
 このあたり、知的種という概念にも奇妙なものがないわけではない。人間種は、自身の種以下の知性の想定ができても、人間種を越える知性については、その部分的な知性の量的な延長としてしか想像できず、その質的な延長の種みたいなものはなかなか想像できない。
 世の中には天才みたいな人がいるし、そういう人の知性のある種の量的な拡張ではなく、質的な拡張みたいなものを想定してみると、異質な上位知性がまったくありえないわけではない。仏陀のような知性がごく普通に偏在するような知的種というのが、想定できないわけではないが、仏陀に限っていえば、それがリプロダクションをしたのは出家前だし、出家後の仏陀となるとおセックスはしないだろうから、どうやって生命のリプロダクションと進化を遂げるかがわからない。そのくらいの知的種なら、おセックス以外のリプロダクションを獲得しているのだろうか。そのあたり、おお、なんて与太話なんだっていうことになる。
 遺伝子(ジーン)に対して、意味を伝えるミームといった与太話もあるが、人類が滅んだあとグーグルのシステムだけが、アレキサンドリアの図書館のようにしばらく生き残っても、それが生命としての独自の生存をするかはよくわからない。しないんじゃないだろうか。どのような知性があっても、かなり低次な生命のリプロダクション・システムに従属するというのは、生命そのものの制約なのではないだろうか。
 というところで、すでに自分のなかで人類は終了している感がなきにしもあらずだが、そもそも地球の歴史は46億年だったか。地球誕生から生命誕生までは6億年くらいか。意外に早いっていうか、本当にそれは地球で誕生した生命なのかよくわからないが、案外生命というのはそのくらいの速度で自然に発生するものかもしれない。
 でも、現在の地球生命体の直接的な祖先である後カンブリア紀型生物の出現はこの5億年くらいなので、30億年くらいの奇妙な停滞を必要とするのかもしれない。
 いずれにせよ、後カンブリア紀の生命の進化速度は速い。人類種が滅亡しても、後カンブリア紀のスタートラインに戻るわけではないから、数億年で人類知性くらいの獲得は楽勝なのではないか。
 というあたりで、地球歴史と宇宙歴史の時間差も気になる。全宇宙史は137億年らしいので、その間、地球様の生命環境は多様にあるだろうから、人間くらいの知的種の達成はかなり楽勝で宇宙のあっちこっちに存在していると考えるのが妥当だろう。が、先の人間知性を越える知性が想定しづらいように、実際には、かなりの知的種は、自滅しているのだろう。宇宙空間の広さと自滅の速度を考えると、おそらく知的種と人間種の遭遇というのは、ほぼゼロなのだろう。でも、ダイソンの永遠知性(Dyson's eternal intelligence)みたいなことも考えられるか。
 とか思って、ネットをちらと見ていたら、”進化:ダーウィンを継ぐもの」対談:ドーキンス vs レニエ”(参照)という記事があって、ちょっと微笑ましかった。ドーキンスはその可能性に興奮していたわけだな。

レニエ:
最近私がスリルを感じたことが一つあります。それは,私をちょうどこのところ高めてくれているある種の畏怖を与えてくれたんですが,火星の生命の証拠です。私は,この生命のように見えるものの化学が,如何に私たち自身のと似ているかに衝撃を受けました。それに,私は,多くの科学コミュニティの飽きて関心の無い態度にも衝撃を受けました。これは,とてつもなく大きなことのように思えるんですけれど。
ドーキンス:
もし本当なら,恐ろしいほど大きなことだよね。それは,一つの惑星で生命が誕生する確率についての私たちの推定を完全に変えてしまうからね。これまで生命の起源は普通にはありそうもないことで,この種のことは銀河にたった一度しか起こっていないだろうと私たちは思ってきたから。もし突然,私たちの太陽系で生命の2つの別々の進化があるってことになったら,生命は全宇宙に単純に満ち溢れていることがわかるわけだ。これが,それが大きなことだっていう理由のひとつ。もう一つの理由は,全然別のことで,進化の一般的な現象について考えるときに,私たちはサンプルを一つしかもっていないよね。たった一つのサンプルから,全部の生命と進化の理論を位置づけているわけだ。もしこのサンプルが二つに増えたら,たとえ二つ目が2,3の微小な化石だとしても,一般現象としての(たんなる地方教区の,地球上の現象としてではない)生命について,新しい情報とアイディアの莫大な注入を手にすることになるだろう。
レニエ:
そうすると,私たちを理解してくれる他の生命とのコンタクトについて考えるのは合理的でなくもないということになりますね。
ドーキンス:
だが,問題は,その証拠によって興奮しすぎてしまうことだ。多くの人はまだ懐疑的だよ。本当であって欲しいとは思うけれど,納得はしていないと言わざるを得ないね。

 懐疑的とかいうけど口の滑り具合からして、ドーキンスもけっこう与太なことを考えていたようだ。
cover
神は妄想である
宗教との決別
 ところで、私の与太話、そしてドーキンスの与太話にも暗黙に含まれているが、生命進化に知性への方向性というか指向性という想定がある。
 そのあたりは、どうなのだろうか。というのは、知的種というのは宇宙の必然だとするなら、それ自体がなんだかインテリジェント・デザイン臭い感じはしないではない。もちろん、インテリジェント・デザインみたいに原点にデザインという起点を置くのではなく、知性を形成させる場としての宇宙といった考えになる。
 ベルクソンはそんな場としての宇宙を考えていたようだ。ド・シャルダンはというと、彼の想定するポイント・オメガの場合は、そうした自滅する知的種を含んでいたのか、人類種の知性の到達に描かれていたのか、どちらかといえば後者であるようには思う。
 そう考えてみると、ベルクソンとかはけっこう索漠とした宇宙の冷酷さに震撼しているという感じであろうか。星も無き夜、聖書的漆黒!

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2008.02.08

チャド情勢、本質はダルフール危機

 チャド情勢について多少推測を交えて踏み込んでおきたい。というのは、この問題の本質はダルフール危機なのだ。このブログでの関連エントリはいくつかあるが、とりあえず「極東ブログ: ダルフール危機からチャドにおけるジェノサイドの危険性」(参照)は近い文脈にある。
 まず日本国内のこの事態へのジャーナリズムの扱い方から触れたい。私たち日本人の公的な関わりがここで問われているからだ。典型例として、6日付け日経新聞社説”AUは紛争解決へ意志示せ”(参照)を取り上げたい。誤解なきよう前もって述べておきたいのだが、同社説を批判したいのではない。むしろ日経はこの問題を社説に取り上げただけ他紙よりはるかにましだと言える。
 冒頭はこうだ。


 産業基盤の強化を主な議題にアフリカ連合(AU)首脳会議が先週末開かれたが、ケニア、そしてチャドの治安情勢の悪化に翻弄(ほんろう)された。アフリカではスーダンのダルフール地方、ソマリアでもいまだに紛争が続いている。AUは先進国による援助を生かすためにも紛争解決へ積極的な役割を果たすことが求められている。

 この書き出しから、「チャドの治安情勢」がケニアに並列することで、ソマリアの紛争と並列されたダルフール「紛争」が分離される。あたかも、チャドの治安とダルフール危機が別の系列の問題かのように読める。執筆者は欧米高級紙などを読まず、単純に事態を理解していないだけなのかもしれない。今回のチャドの問題はダルフール危機に強く関連していることは読み取れない。この分離はむしろ主張もされている。

 会議開会中にはチャドの内乱激化という知らせも飛び込んできた。その隣のスーダン・ダルフール地方では今も約250万人が難民となったままだ。

 あたかも2つの問題であるかのように記述されている。だが、これが連鎖した問題である可能性がかなり高いことは後で述べる。なお、難民も問題だが、ダルフール危機の問題の本質は、ジェノサイドにある。
 もう一点気になるのは表題にあるAUへの過大な期待だ。

 会議に出席したリビアの最高指導者カダフィ大佐はAUの紛争解決機能を強化すべきだと強調した。大佐には独特の政治的思惑があるのかもしれないが、その主張は正論だ。

 カダフィによる提言は前回もあり、NHKもそれが解決であるかのような報道をしていたが、経緯を長期的かつ詳細に見ていたBBCはその時点からスーダン政府による裏腹な妨害行動を報じていた。あの時点でのカダフィーの活動は失敗に終わった。端的に言えば、同席すべきダルフール反抗勢力に、スーダン政府あるいは仲介とする勢力への信頼が構築できないことだった。ダルフール反抗勢力に問題がないわけではないが、この時点での動向はダルフール反抗勢力の推測に近く展開していたし、ダルフール難民の多くもほぼ同じ視点を持っていた。
 日経の社説は結語として日本はアフリカを支援すべきだというふうに展開し、当の主題を失ってしまう。重要なことは、AUがダルフール危機、そしてその連鎖とも言えるチャドの問題に、現時点ではほぼ対応不能になっていることなのだ。
 このエントリの結論を、やや踏み出して先回りして言えば、今回のチャド問題は、おそらくスーダン政府がAU以外の勢力としてEU軍がダルフール危機に介在することを妨害するための工作だということだ。その背景にはAUならスーダン政府が手玉に取れるという自信がある。
 話を当のチャド問題に移そう。情勢の変化については、事件勃発に近い2日付けAFP”チャド反政府勢力が首都ヌジャメナ制圧”(参照)がわかりやすい。

 アフリカのチャドで2日、反政府勢力と政府軍の戦闘が発生し、3時間にわたる交戦の末、反政府勢力が首都ヌジャメナ(N'djamena)を制圧した。政府軍筋が明らかにしたもので、イドリス・デビ(Idriss Deby)大統領は、大統領府に残っているという。
 反政府勢力と政府軍双方からの情報では、戦闘は現地時間の午前8時(日本時間午後4時)ごろヌジャメナの北約20キロで始まった。フランス軍がのちに発表したところでは、約2000人の反政府勢力がヌジャメナ市内で激しい戦闘を行ったという。

 このチャドの反政府勢力なのだが、どこから現れたか? スーダン側の拠点である。

反政府勢力は1月28日、トラック約300台に分乗してスーダンの拠点を出発し、800キロ離れたヌジャメナに向けて進攻した。1日にはヌジャメナから約50キロ離れたMassaguetで反政府勢力と政府軍が交戦し、Daoud Soumain陸軍参謀長が戦死した。この戦闘が政府軍が示したほぼ唯一の抵抗だった。

 その後の展開だが、同じくAFPの7日付”チャド、首都戦闘の死者は160人以上、3万人が国外に避難と赤十字”(参照)では被害はこう報道される。

チャドの国際赤十字(Red Cross)現地事務所は6日、先に首都ヌジャメナ(Ndjamena)で起きた政府軍と反政府武装勢力との激しい戦闘で、160人以上が死亡、1000人近くが負傷したと発表した。市内の墓地に埋められていた遺体80体を回収したが、全部は回収しきれていないとしている。

 国外避難民は4万人に登るという報道もある。
 現状ではチャド政府軍が優勢のようだ。7日付けCNN”政府軍が全土掌握と大統領が宣言、アフリカのチャド情勢”(参照)より。

政府軍と反政府勢力の戦闘が今月2日から首都で起きたアフリカ中部、チャド情勢で、同国のデビ大統領は6日、首都ヌジャメナだけでなく地方部を含めた全土を掌握したと宣言した。AP通信が報じた。戦闘後に大統領が記者団の前に姿を現したのは初めて。

 ただし、情勢は安定していない。反政府勢力の再攻撃の懸念も高い。
 本題に入る。現状では、公平に見れば、チャド反政府勢力がスーダン政府によるものだとは確定しづらい。スーダン政府も否定している。そのためか日本の報道ではそのリンケージがほとんど語られていない。しかし、このリンケージは欧米報道ではもはや自明に近い。ジャンジャウィードがスーダン政府の支援を受けていたこと、またスーダン政府軍がダルフールに空爆していたことなどと同様に、自明なものに近く報道されている。そのあたりを、テレグラフとワシントンポストから言及しておきたい。なお、どちらも右派的な報道だと見るむきもあるだろうから、その分については考慮されたい。
 5日付テレグラフ”Rebels' assault on Chad really a war by proxy”(参照)では表題のように代理戦争とまで今回の問題の評価を強く打ち出している。

The battle on the streets of N'Djamena, Chad's capital is a vivid demonstration of how a war which began in Sudan's western region of Darfur has now spread across Africa to engulf a neighbouring state.

Rebel fighters besieging the presidential palace in Chad are said to be supported by Sudan's regime

Three rebel groups are besieging President Idriss Deby's palace on the banks of the Chari river. All are believed to be armed and supplied by Sudan's regime.


 証言を使い間接的な報道だが(その分誘導的にも読めるが)、チャドの反政府勢力がスーダン政府の傀儡であるとしている。
 重要なのは、なぜ現時点でチャドで紛争が発生したかだ。

The European Union has agreed to deploy a military mission of 3,500 troops to protect 370,000 refugees in eastern Chad.

But Sudan is adamantly opposed to the presence of European troops on its western frontier.

The latest fighting has already halted the arrival of the EU force. If Mr Deby is ousted, Chad's new president will almost certainly serve Sudan's interests and block the arrival of any foreign troops.

Khartoum blames Mr Deby for helping to start the Darfur war. Fighting began in 2003 when black African rebels rose against Sudan's Arab-dominated regime.


 EU軍がこれから東部チャドに派兵する直前のタイミングでこれらの紛争が発生した。EU軍の介在を恐れたものだという推測は自然に導かれる。テレグラフは、ややほのめかしたような記述にしているが、ダルフール危機へのEUの介在を阻止する目的を推定しているようだ。
 この点、7日付ワシントンポスト”Darfur's Chaos Spreads”(参照)は、もう少し踏み込んでいる。

N'DJAMENA, the capital of Chad, is hundreds of miles from Darfur. But the violence in Chad over the past few days is closely linked to the Sudanese government's bloody campaign to subdue Darfur. Some of Darfur's rebels enjoy sanctuary in eastern Chad as well as other support from the government of President Idriss Deby. Meanwhile, Chadian rebel groups are clients of President Omar al-Bashir of Sudan.

 重要なのは、"closely linked to the Sudanese government's bloody campaign to subdue Darfur"という点だ。つまり、スーダン政府によるダルフール制圧のための流血の軍事活動に強く関連している、とワシントンポストは冒頭で述べている。
 どうすればいいのか。それ以前にこれは、ワシントンポスト記事の表題にあるように、スーダン政府とダルフール危機の問題の延長だという認識をどこまでとるかにかかっている。
 日本のジャーナリズムはどこまでこの問題に対応できるだろうか。
 もし、問題がスーダン政府にあると単純に考えれば、スーダン政府に外交的に自粛を求めることが先決のように思える。だがそれがどれほど無益なことだったかは、ダルフール危機の経緯が明らかにしている。AUへの期待のむなしさもすでにほぼ証明済みと言っていいだろう。

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2008.02.07

ニューヨーク・タイムズが報道した中国薬剤問題について

 1月31日付ニューヨーク・タイムズの一面報道ということと昨今の日本の騒動もあって、日本でも多少孫引きでニュースにはなったようだが、少しニュアンスが違う部分があり、以前、「極東ブログ: 中絶船、ポルトガルへ」(参照)や「極東ブログ: お菓子のような避妊薬」(参照)で触れた問題とも関係があり、最近この方面に言及していなかったので、国内報道の仕組みもかねて簡単にまとめておきたい。またそういう次第(事実性のみ、孫引き情報、記事が短い、報道検証)なのであえてニュースは全文引用とする。
 まず同日の共同”中国製の薬品にも懸念 米紙報道”(参照)は次のように報道していた。


 31日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、中国・上海の国営薬品会社のがん治療薬が原因で中国国内で薬害被害が深刻になっていることを伝え、同じ会社から米国が経口中絶薬を輸入しているとして懸念を指摘した。
 同紙によると、米食品医薬品局(FDA)と中国の衛生行政当局は、中国での薬害と輸入経口中絶薬とは無関係としているが、米国の消費者保護団体の専門家は「同じ企業の工場はすべて検査されるべきだ」としており、米国で中国製品に対する不信が再燃しそうだ。
 同紙によると、薬害は白血病患者に投与された抗がん剤が原因。2種類の薬を飲んだ患者計200人近くが相次いで下半身のまひなどを訴え、両方の薬に製造過程で別のがん治療薬が混入した結果の副作用と判明した。
 米国が輸入している中絶薬は別の工場で生産されたというが、同紙は中国製薬品で死者が出た例があることや米薬品会社の中国製の薬品成分に対する不信感を紹介している。(共同)

 次に翌日1日付のTBSでは次のように”米紙、中国製経口中絶薬の輸入に懸念”(参照・リンク切れ)と報道していた。

 アメリカのニューヨークタイムズ紙は、中国で去年発覚した抗がん剤による薬害被害を伝え、同じ会社の経口中絶薬がアメリカに輸入されていることに懸念を示しました。
 上海で発覚した被害は、国営薬品会社の抗がん剤を投与された白血病の患者およそ200人が、下半身のまひなどの副作用を訴えたものです。上海の公安当局が捜査を始め、この薬品会社は、去年12月に、衛生部から薬の製造許可を取り消されています。
 ニューヨークタイムズ紙は、この事件を1面で報じ、同じ会社で生産された経口中絶薬がアメリカに輸入されていると指摘しました。
 FDA=アメリカ食品医薬品局は、輸入中絶薬と薬害の関連性を否定していますが、専門家は、「同じ会社の製品は、全て検査すべきだ」として、中国産の薬品への懸念を示しました。(01日09:15)

 時系列的には共同が先になっているが、報道された内容と構成からみると共同は共同なりに、TBSはTBSとして独自に孫引きニュースを作ったようだ。文体は共同のほうがしっかりしているようだが、報道としてみるとTBSのほうがわずかに優れている。共同の「薬害被害が深刻」や「米国で中国製品に対する不信が再燃しそうだ」はやや主観に傾きすぎる。また両方とも「副作用」としているが意図された作用があれば副作用とみてよいが今回の事例では異なる。ただし、こうした報道に問題があるというわけでもないし、報道批判をブログで展開したいということではまったくない。
 ニューヨーク・タイムズのオリジナル報道はWebからでも閲覧ができる。”Tainted Drugs Tied to Maker of Abortion Pill”(参照)である。

BEIJING - A huge state-owned Chinese pharmaceutical company that exports to dozens of countries, including the United States, is at the center of a nationwide drug scandal after nearly 200 Chinese cancer patients were paralyzed or otherwise harmed last summer by contaminated leukemia drugs.

 書き出しは共同やTBS報道とほとんど同じ。またこれに続く段落も同じ。国内の孫引き報道と異なってくるのは三段落目である。

The drug maker, Shanghai Hualian, is the sole supplier to the United States of the abortion pill, mifepristone, known as RU-486. It is made at a factory different from the one that produced the tainted cancer drugs, about an hour’s drive away.

 つまり、その経口中絶薬とはRU-486、つまりミフェプリストン(mifepristone)である。英語版のウィキペディアには詳細な情報がある(参照)が、日本版には存在していない。

Mifepristone is a synthetic steroid compound used as a pharmaceutical. It is used as an abortifacient in the first two months of pregnancy, and in smaller doses as an emergency contraceptive. It can also be used as a treatment for obstetric bleeding.[1] During early trials, it was known as RU-486, its designation at the Roussel Uclaf company, which designed the drug. The drug was initially made available in France, and other countries then followed - often amid controversy. In France and countries other than the United States it is marketed and distributed by Exelgyn Laboratories under the tradename Mifegyne. In the United States it is sold by Danco Laboratories under the tradename Mifeprex. (The drug is still commonly referred to as "RU-486".)

 合成ステロイドであること、RU-486と呼ばれる背景、また米国ないでMifeprex商標のもとにDanco Laboratoriesが製造しているという基本情報がウィキペディアの同項の冒頭に書かれている。
 邦文で読める情報をサーチすると04年の情報だが”経口妊娠中絶薬ミフェプリストンに新たな警告--健康情報”(参照)が詳しい。以下の点は重要なので引用しておきたい。

日本ではミフェプリストンは認可されていませんが、インターネットを中心に代行輸入販売がされていました。個人輸入されているミフェプリストン(mifepristone)には、RU-486(開発時のコード名)、ミフェプレックス(MifeprexTM)(米国)、ミフェジン(Mifegyne)(EU)、息隠(米非司酉同片)(中国)など、いくつかのブランドがあります。厚生労働省は、違法な輸入や入手が多いため、このほどミフェプリストンの危険性を警告し、違法な介在をする、インターネット販売業者の摘発を要請しました。

 数年前の厚労省の懸念だが現状も変わっていないだろうが、この件について最近の国内報道はあまり見かけないように思う。また、ミフェプリストンに中国語の薬剤名がある意味についてはこのエントリでは立ち入らない。
 ニューヨークタイムズの報道に戻るが、この問題はきわめてRU-486に深く関わっている側面があり、結論的な言い方になるが、その部分が日本国内報道には、しかたがないのかもしれないとはいえ、その背景からみた話のスジには関心が向けられていない。
 この部分の記述で私が気になったのは、"the sole supplier"という点だ。もちろん、米国内のRU-486がすべてこの中国の製薬会社からということではなく、中国から輸入しているRU-486についてはこの上海の製薬会社ということだが、それでもウィキペディアに情報があるように、米国内にRU-486の製薬会社がありながら、なぜ米国が中国から輸入しているのだろうかという点だ。普通に考えられるのは、薬価だろう。中国製品が安いということだ。だが、私は違うのではないかと思った。それは記事中央ほどにある次の言及に呼応する。

Because of opposition from the anti-abortion movement, the F.D.A. has never publicly identified the maker of the abortion pill for the American market. The pill was first manufactured in France, and since its approval by the F.D.A. in 2000 it has been distributed in the United States by Danco Laboratories. Danco, which does not list a street address on its Web site, did not return two telephone calls seeking comment.

 RU-486に対する過激な反対運動のため、米国製造社Danco Laboratoriesの所在情報は公開されていない。というか、食品医薬品局(FDA)は保護のためにその情報を意図的に隠蔽している。
 今回の中国制約会社についても同様の配慮がある。

The United States Food and Drug Administration declined to answer questions about Shanghai Hualian, because of security concerns stemming from the sometimes violent opposition to abortion.

 ここで私のまた推測なのだが、なぜRU-486の製薬会社が保護されるのかなのだが、当然他の薬品どおり保護されるべきだというのがあるとして、どうも中絶の比較的容易な選択の権利を守ることの副次的なあるいは従属的な保護のようでもある。さらに推測を延長するのだが、中国製薬会社からの輸入は薬価よりもRU-486のある種イデオロギー的なサポートの一環なのかもしれない。そして、今回のニューヨークタイムズの報道にもその背景のニュアンスが感じられる。
 話を今回の事件に絞ると、国内孫引き報道にもあるように中国制薬剤への不信というのはある。たとえばファイザーは品質の問題から中国から薬剤の素材は輸入していないとのことだ。

One major pharmaceutical company, Pfizer, declined to buy drug ingredients from Shanghai Pharmaceutical Group because of quality-related issues, said Christopher Loder, a Pfizer spokesman. In 2006, Pfizer agreed to evaluate Shanghai Pharmaceutical Group’s “capabilities” as an ingredient supplier, but so far the company “has not met the standards required by Pfizer,” Mr. Loder said in a statement.

 日本の製薬やサプリメントといった分野でどうなっているかは私はわからない。
 もう一点、これはニューヨークタイムズの報道で啓発されたのだが、今回の問題は中国の病院の問題でもあるというのだ。

“Many people thought there was a problem with the hospitals,” said Zheng Qiang, director of the Center for Pharmaceutical Information and Engineering Research at Peking University. “It wasn’t until later that they discovered the problem was with the medicine.”


Family members at the No. 307 hospital have counted 53 victims in Beijing, and say they were told that there were least 193 victims nationwide. It is unclear how many were paralyzed, because the authorities have not released an official figure. Relatives have joined to share information and advocate for the victims. Based on interviews with several families in Beijing and Shanghai, it appears that about half of those injected still cannot walk.

 被害者当然病院に収容されているのだが、その病院から情報があがってこない現状がある。
 広義に言えば、情報の問題がある。特に、中国では国家や分散された権力主体による隠蔽が問題になる。
 余談だが、情報という点では日本では、今回の中国製毒入り餃子では解毒や診断の点で、東京(地下鉄)サリン事件の教訓が生かされていたかは報道からはよくわからない。毒入り餃子はテロだという声も聞くがそうであればテロの教訓が生かされていたのかの反省が先行すべきだろう。

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2008.02.06

[書評]人間関係にあらわれる未知なるもの(アーノルド・ミンデル)

 先日、「極東ブログ: [書評]身体症状に<宇宙の声>を聴く(アーノルド・ミンデル)」(参照)を書いたあと、アーノルド・ミンデルの新刊書がこの1月25日に出ていたことを知って、条件反射的にアマゾンのワンクリックてぽちっとなとした。すぐに、これ、「人間関係にあらわれる未知なるもの 身体・夢・地球をつなぐ心理療法」(参照)が、古い本というか初期ミンデルの著作だなとわかったが、注文の取り消しはしなかった。おそらくミンデルをフォローしている関係者にとって、日本の現在に重要な本という認識があるのだろうという直感があったからだ。実際読んでみて、そのあたりの思いのようなものは伝わった。たぶん現実に日本でプロセスワークに関わっている人、あるいは関わっていく人にとっては、昨日触れた「極東ブログ: [書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル)」(参照)より喫緊の課題というか、差し迫った現状のようなものがあるのだろう。

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人間関係にあらわれる
未知なるもの
身体・夢・地球をつなぐ
心理療法
 とはいえ本書のオリジナル"The dreambody in relationships"が執筆されたのが1987年であることの明示的な言及はなかった。訳本は2002年刊行のものを利用しているが、オリジナルは1987年であることについて監訳者あとがきに含めるべきだっただろう。もっとも本文に中にはすでにプロセスワークでは利用されていない、易(「ガラス玉演戯」を彷彿とさせる)や冷戦時代背景についての訳者注は含まれているので、そうした点での理解に躓かないような配慮はなされている点は評価できる。
 難癖のようなコメントが続くが表題も誤解を招きやすいのではないか。確かに、ミンデルは「人間関係にあらわれる未知なるもの」に着目しているし、冷戦時代らしい世界意識や公的な政治状況の対話を実践していく後半の展開からは、「身体・夢・地球をつなぐ心理療法」という表現も的外れではない。オリジナルの"The dreambody in relationships"をそのまま「関係性におけるドリームボディ」とするわけにもいかないこともわかる。だが、この原題のrelationshipsは実際には夫婦関係と親子関係を指しているので、「夫婦と親子の関係を人生の総体から見直す」という含みがある。「ドリームボディ」というというミンデルのオカルティックな着想は、人間の個性化の可能態ともいえるだろうし、個性化と家族関係の問題が、実質本書のテーマになっている。
 冒頭の、本書の訳書が今なぜ?という視点に戻ると、私の推測だが、団塊世代が退職を始めた日本の現在、そしてその子供たち(団塊チルドレン)がさらに子供を産み、大きなジェネレーション変化が起きつつあるが、その地殻変動的な日本社会変化に、この"The dreambody in relationships"が関わるという、大きなプロセスの認識が訳者たちの実践の場にあり、それが出版に大きく関わっているのではないか。
 端的に言えば、ふたつの問題になるだろう。ひとつは団塊世代の夫婦関係の少なからぬ関係が終わりを迎えているというここと、もうひとつは団塊チルドレンがうまく親になれないことだ。
 あまり強く勧めて失望されてもなんだが、この二点の問題に関心のある人なら本書から得るものは大きいだろうと思われる。本書は、「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照)のような不必要な難解さもないし、「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」(参照)のような、人によっては深刻な渇望とも違う文脈にあり、かつ、ミンデルの初期の作品らしく比較的わかりやすい。ただし、前半はやや精神医学プロパーな話もあるし、一次プロセスと二次プロセスという概念はやや曖昧な部分がある。即効を求めてしまう現代人には、少し忍耐を強いる読書になるだろう。
 本書の、現代日本という文脈における意義として私は二点あげたが、その一点目を「夫婦関係の少なからぬ関係が終わりを迎えている」とした。これは端的には離婚なり熟年離婚して理解されるだろうし、それはそれでいいのだが、私が本書を読みながら考えたのは、夫婦関係というのを、人間のプロセス、つまり、人生の流れのなかで経験すべき過程(プロセス)として捉えたとき、始まりと終わりがあるという、ミンデルのある明瞭な前提意識だった。
 すこし余談に逸れる。米人の場合、人工国家的な米国国家の特質にもよるが、その構成員は家族と愛というものに個体レベルの神話性を求められるので恋愛という協約的な神話が人生のプロセスに求められる。それゆえに愛情がないと家族が崩壊してしまう。やや余談めくが米人における愛情とは実際には身体的なセンセーションであり禁忌と性快楽の無意識のシステムなので、愛情(恋愛)に性が強く反映する。反面、実際の米国の支配層は恋愛よりも日本の閨閥にも近いファミリーの関係性のなかで資本と女を交換しているので、性愛は別の側面に出るし、その特権性が禁忌的な階級への欲望を喚起する。いずれにせよ、夫婦の関係が、その国家の認識のように丸山真男的な作為の契機を軸としているので、終わるという前提発想がある。また彼らは性センセーションによる身体性から、死体による性交不能性によって、関係性の終わりを暗示する愛の神話的な構造がある(死は身体の性的な別離である)。これに対して日本では、夫婦関係の終わりは恋愛から性的身体の終焉としての死体にはなく、家制度に、つまり娘の権力の側の神格化に、収斂していく。吉本ばなな「デッドエンドの思い出」(参照)が顕著な例だが、夫婦関係は「老」から「死」の空間にたやすく接合している。しかも、彼女の父吉本隆明がプレ団塊であることから、彼女もプレ団塊チルドレン的な世代ではあるものの、この日本の夫婦関係の幻想性は、団塊チルドレンの夫婦関係の無意識的な基底に危うく存在することも示唆される。吉本ばななが過剰なまで身体性を唱える疑似宗教的な雰囲気を醸し出しているのも同じ水平にある。
 余談に逸れたが、夫婦関係は、プロセスという視点からすれば当然、始まりがあり終わりがある。その形態は文化性として偽装されている国家の宗教性との関係があるものの、そのまさにプロセスとしての本質には関わらない。端的にいえば、退職した団塊世代の夫婦は強烈な圧力でそのプロセス、つまり夫婦関係の終わりというのも日本の社会に吐き出すだろうし、その団塊チルドレンの夫婦関係の暴走もそれに連鎖するだろう。その一番身近な問題は、団塊チルドレンの子供の身体と心に、こう言うとやや一線を越えるのだが、病的に出現するだろう。まさに、その病的特質こそがドリームボディの本質でもある。
 ここには、プロセスというものが、個体を越えている、つまり、関係性のプロセスをドリームボディが含み込むという、通常なら曖昧な言説にしか受け取れないミンデルの明瞭な認識がある。夫婦関係の終わりというのは、個体プロセスの側の問題だけではなく、関係性のプロセスの問題であるのだ。短絡させれば、個体や関係を包む社会から日本社会という関係性のプロセスの総体が今問われ始めていることになる。
 この極東ブログを読んで不眠症が解消されましたと素敵なコメントをくださった五反田六先生こと鋭敏なライター速水健朗による「自分探しが止まらない」(参照)はまだアマゾンでは予約中だし私などが読んでも理解できるかどうかわからないが、表題や釣りから察する「自分探しが止まらない」日本人というのは、おそらく個体の問題というより、夫婦関係的な性の関係性の不安定性とその時代的なフレームワークの終焉の大きな圧力の、まさにプロセスなのではないだろうか。
 と書くとまた五反田六先生の眠気をさそう曖昧な表現となるのだろうが、本書「人間関係にあらわれる未知なるもの」は、日本社会の大きな変化が性的な関係性(夫婦関係・家族関係)でどのように出現するかということに対して、初期ミンデルの心理治療家らしい具体的な創見に満ちている。
 ついでなので、現時点までのミンデルの邦訳著作のリスト(邦訳書はアフィリエイト・リンク)を整理しておく

  • 1982年 『ドリームボディ』(第二版)  Dreambody, the body’s role in revealing the self. Santa Monica, CA: Sigo Press. ISBN 0938434055
  • 1985年 『プロセス指向心理学』 River’s way: the process science of the dreambody: information and channels in dream and bodywork, psychology and physics, Taoism and alchemy. London: Routledge & Kegan Paul. ISBN 0710206313
  • 1985年 『ドリームボディ・ワーク』 Working with the dreaming body. London: Routledge & Kegan Paul. ISBN 0710204655
  • 1987年 『人間関係にあらわれる未知なるもの』 The dreambody in relationships. London: Routledge & Kegan Paul. ISBN 0710210728
  • 1989年 『昏睡状態の人と対話する』 Coma: key to awakening. Boston: Shambhala. ISBN 0877734860
  • 1990年 『自分さがしの瞑想』  Working on yourself alone: inner dreambody work. New York, NY.: Arkana. ISBN 0014092018
  • 1992年 『うしろ向きに馬に乗る』  Riding the horse backwards: process work in theory and practice. New York, NY.: Arkana. ISBN 0140193200
  • 1993年 『シャーマンズボディ』 The shaman’s body: a new shamanism for transforming health, relationships, and community. San Francisco, CA: Harper. ISBN 0062506552
  • 1995年 『紛争の心理学』(抄訳) Sitting in the fire: large group transformation using conflict and diversity. Portland, OR: Lao Tse Press. ISBN 1887078002
  • 2000年 『24時間の明晰夢』 Dreaming while awake: techniques for 24-hour lucid dreaming. Charlottesville, VA.: Hampton Roads. ISBN 1571741879
  • 2001年 『プロセス指向のドリームワーク』 The dreammaker’s apprentice: using heightened states of consciousness to interpret dreams. Charlottesville, VA : Hampton Roads. ISBN 1571742298
  • 2004年 『身体症状に「宇宙の声」を聴く』 The quantum mind and healing: how to listen and respond to your body’s symptoms. Charlottesville, VA: Hampton Roads. ISBN 1571743952

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2008.02.05

[書評]昏睡状態の人と対話する(アーノルド・ミンデル)

 アーノルド・ミンデルの思索と実践が現代社会に重要な意味を持つ、あるいはさらに持ち続ける可能性があるのは、本書「昏睡状態の人と対話する プロセス指向心理学の新たな試み」(参照)によるものだろう。本書、あるいはコーマワークが存在しなければ、ミンデルは奇矯な思索者・精神医学者ということで終わるだろう。もっとも類似の問題は、本書のはしがきでミンデル本人が言及しているように、キュブラー・ロスにも関連している。

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昏睡状態の人と対話する
プロセス指向心理学の
新たな試み
(NHKブックス)
 本書、あるいはコーマワークとはなにか。これは邦訳の表題が適切で「昏睡状態の人と対話する」ことであり、その手法に言及したものだ。アマゾンの紹介が、ある意味で、簡素にまとまとまっているので引用する。

著者のミンデル氏は、昏睡状態の人と対話するという信じられないことを可能にした。忍耐強い働きかけを行っていくと、クライアントは筋肉の一部の動きや言葉の応答によって、死にたいか、生きたいかの意思表示や未解決の愛のテーマなどを完了することができる。そして生と死にまつわる観念を乗りこえていく。ユング派のセラピストが、数多くの臨床例から、死に瀕した人の微細なメッセージを聞きとる方法や、生の深い意味を明かす待望の翻訳書。

 「ある意味で」と限定したのは、これは現代医学的にはトンデモ説の領域になることは、ほぼ明らかと言っていいだろうと思うし、これを組織化して実践されたら、偽科学なり似非科学なりで批判すべきだろう。穏当に言っても、そうしたことが可能になるケースもあるが、医学的には、ほぼありえないことだと見ていい。
 問題は、これがレアーケースを汎化した珍妙な議論なのかというと、このミンデルの提起は、まさにその彼の提起というプロセスにおいて現代社会に重たい意味をもたらしている。端的に言えば、私たちはみなこの昏睡(コーマ)を経て死にいたるし、おそらく50年も生きていれば大半の人が愛する人がコーマに陥ってしまう状態に直面する。その時の苦悩のなにかにつながっている。
 昏睡者、それは死者ではない。生きているのだ。そしてその生きたその人を愛しているのだが、彼は彼女はもう私の愛に応えてはくれない。脳につながった計測器は脳死を示す。彼は彼女はあるいは私はコーマのなかで肉体に接続された機器なしには生命を存続させることはできない。
 これに対する現代社会の答えは一つある。脳死を定義し、コーマに陥る前に自死を表明しておくことだ。
 だがそれが答えになるのか。正直にコーマに直面したとき、私たちは答えられないことが多い。そうした心の弱みにつけいる悪書が本書であると言われたとき、どうしたらいいのだろうか。ミンデルはそこを理解していないわけではない。

 なぜ私は、本書を書くことに切迫感を感じているのだろうか? それは私が脳死に関する現在の医学的定義の拡大、つまり新たな倫理に向けて戦っているからだろうか? あるいは、私自身の永遠の自己を発見するために、臨死体験を研究する意味があるからだろうか?
 当初から私は、本書の執筆が私にとって必要であることを感じていた。第一稿を書き終え数カ月が過ぎ、本書を編集している段階においても、初めに私を執筆に向かわせたあの切迫感を感じている。

 答えは本書の中にある。ではお求めくださいと、アフィリエイトを誘うわけではない。簡単には答えがたい問題があるからだ。端的に言えば、本書のオリジナルタイトルが答えになる。"COMA: Key to Awakening"、つまり「昏睡、それは覚醒の鍵」ということ。昏睡とは人間存在の覚醒のプロセスだというのだ。ただ、それだけ言えば、すでに宗教の部類だろう。つまり、答えがたい問題に戻る。
 本書を扱ったエントリを書くに際して、アマゾンを見て不思議に思ったのだが、本書は絶版なのか古書のプレミアムがついており、定価より千円ほど高い。そこまで求められていた本なのか。また、邦訳書が宗教系の出版社ではないところから出されている点にも思うことは多い。千円ほど高いプレミアムで購入すべきかはよくわからないが、恐らく求められているのは、以上述べてきたような周辺的な知識ではなく、昏睡者との対話法というハウツーであろう。この点については、訳者前書きに配慮がある。

また家族や知人に実際に昏睡状態の人がいて、理論や臨床例よりもコーマワークの具体的な方法を今すぐしりたいという読者は、7章と8章をまず読むことをお勧めする。
 また一般の方ならびに援助専門家のためのコーマワークの実践的マニュアル本(現在翻訳中)が、本書の後にミンデルのパートナー、エイミー・ミンデルによって執筆されている。とても平易な英文で書かれているので必要なかたは是非活用していただきたい。

 その翻訳書が日本で出版されたかどうか、ざっとサーチしたところではわからない。英書は、”Coma, a Healing Journey: A Guide for Family, Friends and Helpers”(参照)である。
 
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Coma, a Healing Journey:
A Guide for Family, Friends and Helpers
 コーマのなかの人と対話できるとしよう。それはすべて、なんらかの覚醒の状態であるのかはわからない。そのなかで常に生きることが選択されているわけでもないことも興味深い。

 生き続けたいという欲求は誰もが抱くわけでもない。ロジャーのケースがそうだった。私はそれまで彼には一度も会ったことはなかった。彼は慢性的なアルコール依存症患者で、その時には脳幹にダメージを負っており、数週間にわたって持続的な植物状態に陥った。質問(サムに用いたのと似たような方法を用いての)に対する彼の答えは「ノー」だった。それがあきらかになるや医療スタッフは私たちのワークがまるでなかったように、ロジャーの親族の一人と相談して、数日以内にライフサポートシステムを取り外すことを決定した。この場合、医療システムサイドの思惑が、植物状態の患者と一致したわけである。

 私の率直な考えを言えば、コーマワークは偽医学であろうし、その応答は端からナンセンスだろうと思う。そしてこの対処の過程は、ありがちな普通の風景なのだろう。そしてこうミンデルが説明することに困惑を覚える。

 死の倫理とは、一人一人に自分自身で決定を下すチャンスを与えることである。臨死状態におけるドリームワークとボディ・ワークの向かうべき方向ははっきりしている。私たちは深い無意識状態から送られてくるシグナルを展開する技術を身につけるべきなのだ。そうすることで患者自身の手に人生の選択権を下す力を委ねることができるのである。

 私はミンデルに冷淡だろうか。そう言われても昏睡者にその選択権の能力があるとは思えない。そこで、この問題はまた平行線をたどり元にもどる。つまり、選択権は昏睡前に表示するしかないだろうと。
 だが割り切れないものは残る。私たちもまた一人一人昏睡を経て死に至る。そのことを体験できない。昏睡のなかで意識はないとされているが、意識とはおよそ「私」の意識であり、計測器の電光ではない。電光を見つめているのは私ではなく、私の殺傷権を委託されされたとする誰かだ。
 私は完全にミンデルに否定的なのではない。ミンデルの前提が受け入れられないとは思うが次の提言に、私たちの生存のなんらかの謎が関係していることは感受できる。

 変性意識状態に光りをあて、それにもっと自覚的になることで、現実に対する私たちの文化的信念の基盤は変わっていくように思われる。人生はもっと楽しいものになり、死は以前ほど問題ではなくなるのではないだろうか。
 植物状態は、自己探求へと向かう私たちの衝動を促進させようともくろむ非常に特殊な夢なのである。私たちの内側で息をひそめていた、この生の最大級のブラックホールにおいて、全生命が完了と目覚めを求めている。この観点からすると人生は自らを理解するための探求であり、私たちの能力の普遍化と全体化を目指すものである。

 私にはわからない。だが50年も生きて、すでに人生の大半を消費した私ですら、人生の意味了解が自分に根付き、どこかしら死につながっていると了解せざるを得なくはなっている。それをプロセスと呼ぶのなら、基本的なところで私はミンデルとプロセスを共有している。

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2008.02.03

[書評]身体症状に<宇宙の声>を聴く(アーノルド・ミンデル)

 本書を読んでいる姿を人に見られ「何を読んでいるの?」と聞かれ、手渡したところ表題を見て顔をしかめられた。内容を理解しようとしていて、うかつにも表題のことなど念頭になかったので、ふと表題を思い出してから、あたふたした。「いやそのそういう表題の本というわけじゃないんだけど……」とつい弁解が先に立ったが、私に向けられた疑念の表情は消えなかった。やっぱりこいつトンデモじゃん……ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者の諸賢にそう思われてもしかたないものばかり読んでいる。

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身体症状に「宇宙の声」を聴く
癒しのプロセスワーク
 表題だけじゃない。帯もこうだ。「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照

“心ある道”を生きるための心理学。
私たちは複数の次元、パラレルワールドに同時に存在しており、病は、叡知に満ちた普遍的次元からのメッセージを知る手がかりとなる。量子論、シャーマニズム、東洋思想の考え方を援用しつつ、深々とした生のリアリティを取り戻す具体的方法を紹介。

 いやはや。これって著者はチョプラじゃねーの、みたいな感じがする。が、アーノルド・ミンデルであり、刊行は04年。日本では06年のもので邦文で読めるミンデルものとしては最新刊になる。これまでのミンデル思想の集大成になっているのだが、そういう背景を知らなければ、救いようのないトンデモ本と見られてもしかたがない。
 オリジナルタイトルは”The Quantum Mind and Healing: How to Listen and Respond to Your Body's Symptoms”で、べたに訳すと、「量子精神と癒し。身体症状の聞き方と対応の仕方」となる。オリジンルタイトルもけっこうドンビキではあるな。
 どのような本なのか。アマゾンに出版社紹介があるので、ドンビキついでに引用してみよう。

◎“心ある道”を生きるための心理学
“プロセス指向心理学”の創始者、ミンデル博士の最新作である本書は、量子論、生化学、東洋思想、シャーマニズムなどの考え方を援用しながら、身体症状についての新たな視点、新たな医療パラダイムの可能性を提示する。著者によれば、痛みや熱などの身体症状、あるいはちょっとした違和感などは、叡知に満ちた根源的次元からのメッセージを知る重要な手がかりであり、繊細な「気づき」の能力を培うことで、そうしたメッセージを癒しの力として、また、人生を新たな方向へ展開してくれる強力なガイドとして活かすことができるという。「気づき」の力が老化プロセスや遺伝子に影響を与える可能性についても論及されている。本文内のコラムでは、最先端の科学的知見がわかりやすく解説され、プロセスワークを体験するためのエクササイズも豊富に盛り込まれている。医療関係者、セラピスト、ヘルパー、ファシリテーター、そして何よりも身体症状に苦しむ人たちに有益なアドバイスを与え、新たな世界観を提供する、刺激に満ちた一書と言えよう。

 この紹介は間違いか? よく読み直してみたが、間違いではない。むしろよくまとまっているとも言える。では、やっぱりこの本はトンデモ本とか偽科学の類なのだろうか。
 偽科学というキーワードがつい出てしまうのは、病といった医学分野に生化学が出てくるのはわかるとして、なぜ量子論、東洋思想、シャーマニズムが出てくるのか。そのあたりで日本的な常識人なら放り投げてしまうだろう。あるいは、東洋思想とシャーマニズムというなら、よくあるありげなおばかな本なのだが、ここに量子論が登場してくるとたんに、トンデモ度がアップしてくる。
 実際、本書を読んでみると、いやめくってみてもわかるが、量子力学の話がけっこう出てくる。チョプラの書きそうおバカ本の比ではない。量子力学の不思議な特性をダシにしたよくあるイカレポンチの本なのだろうか。が、ここでちょっとミンデルの経歴を引用しよう。

ミンデル,アーノルド[ミンデル,アーノルド][Mindell,Arnold]
1940年生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了(理論物理学)、ユニオン大学大学院Ph.D(臨床心理学)。ユング派分析家、プロセスワークの創始者

 ごらんのとおり、Ph.Dの分野は別として、MITの理論物理のMSはガチですよ。量子力学の基本的な理解にベタなボケがあろうはずはない。
 では、あれか脳機能学者で紅白歌合戦の審査員でもある茂木健一郎訳の「ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて」(参照)といった趣向なのだろうか。そこが実に微妙だ。ミンデルはペンローズほどマジじゃない。では、シャレなのか。
 それ以前にMITのMSとかいっても現状はただのボケということはないのか。つまり、量子力学の理解にトンデモが含まれていないのか。まずはそのあたりがこの本、というかミンデル理解のかなりキモになるだろう。少し強い言い方になるのだが、ミンデルの信奉者たちもけっこうそのあたりに誤解があるようだし、さらに先回りした言い方をすればミンデル自身がそうした誤解をある程度意図的に提出しているきらいがある。
 結局どうなのか。私が知る量子力学の知識で見るかぎりだが、本書では、一点を除いて、ミンデルの量子力学理解に間違いはなかった。
 では、正確な量子力学の知識がなぜ、シャーマニズムと結びついてしまうのか。これは、ミンデルがユング派に属していることを考えれば、ある程度想定外のことではない。ユングと、パウリ効果でノーベル賞を受賞したヴォルフガング・パウリによる「自然現象と心の構造 非因果的連関の原理」(参照)にその根がある、といった冗談の文章に笑えるようでないと、なかなかこの分野のまともな知性を投入するのはいかがなものかという感じだが、その懸念どおり、「シンクロニシティ」(参照)ではユング・パウリからデイビッド・ボームの量子力学への延長がある。どうでもいいけど、この本、サンマーク文庫だよ。もう朝日出版じゃないのな。
 ミンデルの本書における量子力学理解で、一点問題になるのは、そうしたユング・パウリ的な展開のいかがわしさではなく、いやその部分こそ重要なのだが、前提としてどうにも受け付けがたいのは、古典的なコペンハーゲン的解釈と、エヴェレットの多世界解釈にさらにデイヴィッド・ボームのパイロット波論、さらにノイマン的な意識論が、ごちゃごちゃに、いいからかんにおじやになっているというか、それぞれの具の味わいはあるのだが、量子論としては、いったいなんだかさっぱりわからないものになっている点だ。
 量子論のある種の不可思議さに対する諸論は、単純に多世界論だけ取り出しても通約不能になっているというか、基本的にはコペンハーゲン的解釈に緩やかに集約されるはずだ。くどいが、ミンデルはそうしない。諸論の面白げなところをパッチワークにしている。とくに、デイヴィッド・ボームのパイロット波論が重視されているのが、そのモデルが光速を越える実体を想定しなければならない難点というか、つまりはベル定理と同質じゃないかこのボンクラぁには目を向けてない。意図的なのか、同値だからか。
 なぜこんなことになってしまったのだろうか? 答えはあっけないほど簡単なのだ。ミンデルは人間の意識、というか無意識の比喩として量子力学的実在を挙げているだけなのだ。くどいが、私はよくよくミンデルの説明を読んだが微妙なところで、量子力学的実在は無意識の比喩とされていて、同値はされていない。無意識は、実在のように不可分であるという比喩表現なのだ。そして、彼はこの無意識を、ちょっと大雑把な切り方になるが、「夢」と呼んでいる。そしてこの夢の表現が「病」だというのだ。
 とはいえ、実在に無意識が含まれうると考えだとすればついその比喩的な特性が無意識にあるかのように誤解されるのはしかたがないだろう。
 再び問おう。なぜこんなことになってしまったのだろうか?
 無意識が不可分な実体であるということをミンデルは説きたいためだ。
 無意識が不可分な実体であるというのは、ある意味で不可解極まる考え方で、ようするに、私たちが意識しているこの意識は私にバインドされ局在されているが、無意識は私を越えてすべて全一の実在なのだということなのだ。
 それって宗教?
 いや、ここでやはりユングを問い直すと、まさにそれこそがユングが問うたことと言えるのだろうし、ミンデルはまさにユングのある意味で直系とも言えるのかもしれない。ただ、一般に理解されている元形論的なユングとは異なるだろうが。
 ミンデルの考えには、先行して無意識が不可分な実体であるという前提があり、その説明が量子力学を頓珍漢に引き寄せているとみてよいだろうと思う。
 いったい、このヘンテコな無意識不可分仮説にどのような意味があるのだろうか。明らかにそれは科学ではない。量子力学を持ち出すのは悪趣味だと言ってもよい。だがこの仮説の意味は、ユングがそうであったように、私たちの生存や人生の意味に関わってくる。存在を意味了解する(あるいは了解しつつ変容する、なんだかハイデガー臭いが)、というプロセス(生成)の基底に、この珍妙な仮説が眠っていることは、人生経験のある地点である種の経験的な理解として訪れやすい。
 ここにゲートがあるのだ。
 ユング・ミンデルのこの奇妙な前提というゲートの向こうには、人生の意味を変える魔法のようなものが薄ら見えるというだけでなく、私たちの実人生の死へのプロセスの過程においてその向う側の先駆的な了解を信じている事実性がある。およそ人生を50年も生きたなら、我々は自分の人生にある種の意味判断を持たざるをえない。
 ところで今アマゾンを見直したら、さらにミンデルの新刊が出ていた。ちょっと溜息をつくなあ。

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2008.02.02

[書評]高学歴男性におくる弱腰矯正読本(須原一秀)

 表題に釣られて読んだわけではない。表題が内容を反映していないとも言い難い。「高学歴男性におくる弱腰矯正読本 男の解放と変性意識(須原一秀)」(参照)は奇妙な本だった。面白かったかと言えば面白いのだが、一種の奇書の類でどう評価していいのかわからない困惑を覚える。いわゆる「トンデモ本」かというと、取りあえずはそうではないというぎりぎりの臨界の内側にあるようでいて、変性意識(非日常で狂気に近い状態の意識)というテーマを扱う学問的フレームワークがほとんど独断的に無視(著者は喝破のつもりかもしれない)しているように見える点ではトンデモ本と言っていいだろう。初版日付は2000年の1月31日。7年前だ。この7年の意味はもしかするとまた別のエントリで書くかもしれないし、もしかすると察しの良いコメントを頂ける可能性もゼロでもないかもしれない。

cover
高学歴男性におくる
弱腰矯正読本
男の解放と変性意識
須原一秀
 専門スジにはトンデモ本でしょうと言ったものの、そのスジの人、つまり精神医学などの専門ないし関連分野に関心ある人にとっては、興味深い本だろう。というのは、珍妙な事例が豊富に掲載されているからだ。たとえば、刃物の刃先を見ていたら足に突き刺したくなって刺したその時の気分(つまり変性意識)の話みたいなものが多数収録されている。そしてそうした事例を読むだけで、変性意識を誘うような奇妙な幻惑感がある。9年間をかけて年間接する2000人もの学生から集めたとのことだ。
 奇妙な書題、「高学歴男性におくる弱腰矯正読本 男の解放と変性意識」は著者によるものかもしれない。それだけ読むと不可解だが、ようは、現代の弱腰な男性(特に高学歴男性)を、フェミニズムが女性を解放したように解放するなら、変性意識のなかで生命を捨ててもいいほどの価値を身体的に獲得しなければならない、とするものだ。その獲得のため、著者のいう男性解放のために、哲学者であった著者らしい手順でステップ的に書かれている。
 キーワードの変性意識というのは、先に触れたように刃物の刃先に魅入られるような、そういう魅入られる対象の意識の陶酔がある。そしてそのなかで生命を捨ててもいいという価値性に目覚めることを著者は、「ウヨク」と呼ぶ。由来は「右翼」であり、フランス右翼と三島由紀夫が当面のモデルの年頭にあるようだ。話を読んでいくと別段「ウヨク」でなくても「任侠」とか「ヤクザ」としてもいいのかもしれないように思うが、そういう不合理だが身体のなかで確信できる価値性に目覚めなければ男性は解放されない、というのが筆者の主張だとしていいだろう。アマゾンなど書籍紹介ではこのような文章が掲載されている。

真の「優しさ」と「強さ」は自己破壊である。そのことがわかっていないから、中途半端なのだ。日常がつまらないのは、自己保全意識が強すぎるからだ。男性解放のための基礎理論を説く。

 こうした筆者の、珍妙とも言えるような、根拠もなさそうな主張をどう受け止めたらいいのだろうか。という以前に、弱腰男性はそのように解放されたいものなのか?
 現代の弱腰の男性に向けて「そうだろ」と著者が問い詰めていく過程が本書の前半を占めていると言ってもいいだろう。君たちが人生の虚無感を抱えているのは事実であり、君たちは苦悩しているはずだというような問い詰めである。

 変性意識も価値意味も、右翼もオウム真理教も、怖いものです。だからこそ、現代人は、マンガとかドラマの形でしか、「正義」も「純愛」も、「価値意味」も「ヤクザ」も、自分に近づけないようにしているのです。それはある意味で賢明なことです。
 それなのに、「昔のように生きる意味が見つからない」と言って騒いでいるのは、青春を共有した彼を捨てて、《体》目当てのオヤジと《金》目当てに結婚した女が、ヌクヌクとした生活の中で「愛」も「夢」も見つからないと言って嘆いているのに似ています。現代人に総じて、「意味」など見つかるはずありません。これが現代ニヒリズムの一つの様相です。
 このような視点から見ると、「生きがい」という言葉も矛盾語です。なぜなら、価値意味が見つかることは、即自己保全意識が低下することです。場合によっては、自分の命も幸せも犠牲にすることです。地獄行きを覚悟することです。

 こうした現代人の欺瞞的な意識が生の充溢感を覆っているし、男性は弱腰なのだということだ。
 こうしたウヨク性をいかに獲得すべきか、その獲得に変性意識がどう関わるかということで、ある意味当然のように現代の不抜けた欺瞞的な市民社会にどう対峙するかという展開に本書は進む。このあたりはある意味で凡庸な展開にすぎないとも言える。だが、終章の具体的な提案で、さらに奇妙な陰というか異質な射光が感じられる。
 このような話題の展開には、ある意味で、一つのモデルとして三島由紀夫の亡霊のようなものが潜んでいるし、その三島自体の情念や変性意識を扱うのではなくその原理性を扱うのだとしても、基本的に死の乗り越えという契機を持つはずだ。余談だが、この思想こそはバタイユがヘーゲルから継いだものでもあったが、筆者はその領域の知識を持っていなかったのかもしれない。
 しかし、そういう死の乗り越えの価値観ということではなく、社会との対峙だからだろうか「罰」が突然抽出される。男性の解放には横着さが必要だという文脈だがこう続く。

 そこで、横着さを養成するための方法が問題となりますが、そのための基本としては、第一講と第二講の変性意識の事例、そして第六講の覚醒欲求と突発性危機の事例を何度も読んでみることです。そして、「危険で非合理な自分」を腹の底からシッカリと確認すると同時に、「罰系優位の神経システムと罰系優位の社会システムの両方を破壊する潜在力」を常時意識しておくことです。死を覚悟するのではなく、罰系システムをナメルのです。これが基本です。

 罰系システムという考えはこの章になってやや唐突に登場する。が、註があり認知心理学が参照されている。つまり心理学用語から来ているのだが、それが社会システムとの対峙というのはすでに心理学のフレームワークにはないだろう。
 簡単に言えば、男たるもの社会・国家の処罰システムを舐めてかかって生きろ、ということだ。もちろん、それが反社会的なメッセージであることはこの文脈ではとくに問題とはならないというか愚問だ。
 筆者にはおそらく自覚はないのだろうが、この問題は、国家と禁忌、そして、共同幻想と対幻想という、一連の吉本隆明思想に通底している。しかも、吉本がそれを原理的に捉えようとしたのに対して、本書の著者須原一秀はそのままに埋没しているにすぎない。吉本的に言うなら無自覚な逆立のようなものであるし、より端的に言えば、「お前さんの対性の問題だろう」ということになりかねない。
 ここで私を突然登場させたい。私は吉本隆明のようにスーパに買い物籠さげていくような男だが、吉本も私も自己の女性性について無自覚ではないものの、自己の対性に対する男性性にはびたの揺らぎもない。悪魔の羽根をばたばたさせて生きているのはその言葉の吐き出す毒のなかに現れている。では、吉本や私は解放されているのか。あるいはそれは男性の解放なのか。吉本なら問題にもしないだろうし、私もそこが根底的にわからないところだ。
 かくして私は、須原の示唆には根幹に倒錯的な生命時間の認識があるように思える。彼は「死を覚悟するのではなく、罰系システムをナメル」いうが、それは失われた生に対する失望とニーチェの言うルサンチマンが形を変えているだけなのではないか。一見すると話が逆で、須原はニーチェ的な生の肯定があるように見えるし、いわゆるウヨク性がニーチェに接近しているようでありながら、ニーチェこそは死を永劫回帰によって封じ手とした。そしてどうやらこの永劫回帰も変性意識に関わるのだがこのエントリでは触れない。
 なんと言ったらいいのだろうか。それは緩慢というような何かだ。それはやや悪魔的何かであり次のような独白の通底にあるように感じられる。

 とにかく、「馬鹿ウヨク」になると同時に、「馬鹿ウヨク」になってはいけません。徹底して横着になると同時に、あまり横着になってもいけません。また、可能なら「自分の死」を徹底して引き受けると同時に、そんなことはどうでも良いのです(放っておいても、どうせ何時かはキッチリと死ねます)。
 あるいは「自分は百歳前後までもダラダラと生き続けるかもしれない。そして、介護を受けなければならないかもしれない。そのためには貯金が何千万円必要かもしれない。保険制度は大丈夫か!」なんていう不安心理はあっさりと放棄するのも手です。
 つまり、自分の寿命スケデュールをきっぱりと策定しておく方法もあるということです。そうすれば、自己防衛意識が低下して、意味を見つけて、もっと勢いよく生きられそうです。

 私はここにいずれそう遠からず自分が直面するかもしれない単なる絶望の声を聞く。そして私は自分の変性意識のなかで、いやもちろん比喩だが、死霊に向かってこう語り出す。いや、須原さん、死というのものは私たちの手中には入らないものではないのですか。惚けなお生きている吉本隆明が明晰に言ったように、死というものは別物ですよ。私たちが生かされている他律的な存在の根底において私たちの自己が他者を包括する社会をまだ夢見るべきなのではないですか。ニーチェが子どもたちの国を語ったように、ドストエフスキーが子どもたちを語ったように。

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